酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「高架線」~滝口悠生が描く青春グラフィティーat東長崎

2024-06-13 21:52:31 | 読書
 「にっぽん縦断 こころ旅」(NHK・BS)について何度か記した。火野正平が視聴者の思い出の風景を自転車で巡って手紙を読むという紀行番組で、放送回数は1000を超えたが、火野の腰痛で現在は休止中だ。俺の心に残る街はどこだろうと記憶の底をつついた。答えは1977年から2000年まで過ごした<江古田>である。どの場所ということはないが、中野に引っ越した時、〝永い青春時代〟が終わったことを実感した。

 西武池袋線で隣の駅といえば東長崎だ。池袋から徒歩で帰ったことも多く、馴染み深い街である。駅から徒歩5分のアパート「かたばみ荘」を舞台にした小説「高架線」(2017年、講談社文庫)を読了した。滝口悠生は初めて読む作家で、2016年には芥川賞を受賞している。料理に関する記述が秀逸なのは、主夫志向だったゆえんといえるだろう。

 4室から成るかたばみ荘は年季が入っており、バストイレ付きながら家賃は格安の3万円だ。住人は引っ越す時、次の入居者を探しておくというシステムで、不動産屋は通さないから礼金も敷金もない。2000年前後から十数年の2号室の住人、その知人たちの計7人のモノローグが「*」で繋がっていく。冒頭は大学3年生の新井田千一だ。新井田が語る高校時代の文通に、別稿で紹介した井上ひさし著「十二人の手紙」の「ペンフレンド」が重なった。

 大学卒業後、新井田は職場に近い場所に引っ越した。伝手を頼って見つけた入居者はバンドマンの片川三郎だった。語り手も片川になるかと思いきや、片川は失踪し、友人である七見歩、七見の妻・奈緒子が継いでいく。前半の主人公は片川で、虚実の境を彷徨うキャラクターは、他の滝口作品にも描かれているはずだ。

 淡々と流れるかと思ったら、語り手が27歳の峠茶太郎にリレーされるあたりで、大家さんまで巻き込むドラマチックな展開になる。秋田出身の茶太郎は波瀾万丈とまではいわないけど、割と派手な生き方をしている。片川の知人の紹介でかたばみ荘に引っ越した。2011年の東日本大震災を契機に、環境運動に関わるようになった恋人との別れも描かれている。

 後半のキーワードはヤクザだ。茶太郎が秋田を出たのはヤクザの情婦とねんごろになって身の危険を感じたからだし、かたばみ荘の隣人はヤクザのコスプレをしているような松林千波だ。転んだおばあさんを目撃し、慌てて助けようとして階段から落っこちて胸骨を骨折するほどお人好しの松林と交遊するようになった茶太郎は、語り口まで似てくる。松林が憑依したように、映画「蒲田行進曲」について熱弁する。聞き手はかたばみ荘近くの喫茶店オーナーである木下目見で、ラスト近くで語り手を引き継ぐ。福岡出身の目見は学生時代のバイトから喫茶店を任された東長崎の主的存在で、駅前の西友で買い物する場面が頻繁に出てくる。

 「蒲田行進曲」の話が延々と続くうち、最後の語り手である日暮純一が、喫茶店の客として登場する。「蒲田行進曲」が大家夫妻の青春と重なることが明らかになり、滝口の構想力に驚かされた。〝青春グラフィティーat東長崎〟の趣がある本作には滝口の柔らかく優しい眼差しが込められている。かたばみ荘が取り壊されるシーンに、数十年にわたる何十人の青春時代の終焉を感じた。滝口の他の作品も読んでみたいと思った。
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