酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「枯れ葉」~ノルタルジックなカウリスマキの世界

2023-12-31 20:24:46 | 映画、ドラマ
 無職だから金はない。映画館に足を運ぶのも月4~5回が限度で、見逃した作品も多い。年間ベストテンなんておこがましいので、スクリーンで見た作品限定で、記憶に残る10本を監督名とともに挙げてみたい。今年は邦画の傑作が多かった。「怪物」(是枝裕和)、「福田村事件」(森達也)、「月」(石井裕也)はテーマ性と衝撃度で甲乙付け難い。前々稿で紹介した「市子」(戸田彬弘)も3作に拮抗する秀作だった。

 洋画なら「パリタクシー」(クリスチャン・カリオン)、「熊は、いない」(ジャファール・パナヒ)、「アフターサン」(シャーロット・ウェルズ)、「悪い子バビー」(ロルフ・デ・ヒーア)で、「告白、あるいは完璧な弁護」(ユン・ジョンソク)もリメイクながら韓国映画の底力を示すエンターテインメントだった。あと1作を何にしようか迷っていた。「ロストケア」(前田哲)、「渇水」(高橋正弥)、「あしたの少女」(チョン・ジュリ)が候補で、昨年公開でアンコール上映だった「ケイコ 目を澄ませて」(三宅唱)は選ばないことにした。

 最後のワンピースは、映画締めで見た「枯れ葉」(アキ・カウリスマキ監督)になる。タイトルがいい。俺の現在そのものを言い表しているようだ。まあ、落ち葉の方が近い気はするが……。「希望のかなた」完成後に引退を宣言したが、6年ぶりの復帰である。カウリスマキを見たのは8作目、ブログに記すのは6作目で、スクリーンの端々に過去の精華と色彩がちりばめられていた。

 「枯れ葉」のW主人公は似たような境遇の男女だ。アンサ(アルマ・ポウスティ)はスーパーで働く非正規従業員で、賞味期限切れの総菜をホームレスに与える場面を見咎められてクビになる。ホラッパ(ユッシ・バタネン)は移民が働く工場でブラスト作業を担当しているが、仕事中の飲酒がばれてクビになった。

 そんな二人が出会うのはカラオケ店だ。互いのことが気になりながら言葉を交わせずにいたが、偶然再会し、初デートは映画館だった。上映していたのはカウリスマキの盟友であるジム・ジャームッシュのホラーコメディー「デッド・ドント・ダイ」である。ホラッパはアンサに渡された電話番号が書かれた紙をなくしてしまう。惹かれ合った二人は街を彷徨い、映画館前でようやく再会する。ネットと携帯を嫌うカウリスマキらしい設定だ。

 フィンランドは国民の幸福度が高く、貧富の差は小さい。ジェンダー問題でも世界のトップクラスだ。だが、カウリスマキの目に映る光景は異なる。1996~2006年に発表された「浮き雲」、「過去のない男」、「街のあかり」の<敗者の三部作>では非運の連続で社会から疎外された者たちに優しい眼差しが注がれていた。傷ついた男を包み込む菩薩の如き女性を演じていたのは、〝カウリスマキ組〟の姉御というべきカティ・オウティネンである。他者と折り合えない孤独な青年だった「街のあかり」の主人公は「枯れ葉」のホラッパに似ている。

 カウリスマキは小津安二郎の作品を見て映画の世界の扉を叩いた。寿司好きは有名で、「希望のかなた」の登場人物は寿司屋に転じるという設定だった。日本の曲が流れるシーンも多く、「枯れ葉」では戦争のニュースに苛立ったアンナが変えたチャンネルから「竹田の子守唄」が流れていた。本作は音楽映画の趣で、カラオケ店で歌われる曲を含め、ロックンロール、民謡、シューベルト、マンボ、チャイコフスキー、シャンソンの「枯れ葉」が、時にアンビバレンツにシーンと重なる。ハイライトといえるのは姉妹シンセポップデュオのマウステテュトットが演奏するシーンだ。聴いていたホラッパはアンサに受け入れられるため断酒を決意する。

 カウリマスキの演出は俳優たちには大きなプレッシャーのはずだ。カメラ固定のワンテイクで、暗転が多用される。感情表現は控え、簡潔な台詞と目の動きで物語を紡ぐよう指示されるのだ。だから、本作の最後でアンサがホラッパにウインクするシーンに胸が熱くなった。煙草と犬もカウリスマキのお約束で、ホラッパはヘビースモーカーだ。心優しいアンサは仕事先で殺処分寸前の犬を引き取り、チャップリンと名付ける。ここにもカウリマスキのオマージュが表れている。

 〝カウリマスキ時間〟というべきか、現在のヘルシンキが舞台なのに、どこかノスタルジックかつメランコリックなムードの中で、くたびれた中年男女の思いが繋がった。アンサとホラッパ、そしてチャップリンが歩く歩道に余韻は去らない。アンサとカラッパが聞くラジオからロシアのウクライナ侵攻に関するニュースが流れていた。カウリスマキは戦争の時代に、ささやかな愛を対置したのだ。

 最後に。今年も遺書代わり、防備録にお付き合いいただいて感謝しています。よいお年をお迎えください。
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「翔べ麒麟」~唐代の中国を疾走する超絶エンターテインメント

2023-12-27 18:21:47 | 読書
 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ地区へのジェノサイドは来年に継続する。世界の好戦ムードに乗って、岸田政権は殺傷能力のある武器輸出を緩和した。憲法9条は〝殺された〟のだ。絶望的な気分に輪をかけるのがパーティー券問題だが、なぜか怒りが湧いてこない。辺見庸はブログで以下のように綴っていた。

 <政治は口臭である。ドブのような口臭者の所業である。例外はほとんど、あるいは、まったくない。問題は堪えるか、慣れるか。嗅覚を除去するか。政治部記者の口臭にも注意せよ>……。俺も口臭に慣れてしまったようだ。

 鬱屈を吹き飛ばすエンターテインメント小説を読了した。上下巻で700㌻超の辻原登著「翔べ麒麟」(1998年、角川文庫)である。想像力の地下茎を紡ぎ、虚実のあわいに空中楼閣を構築する辻原の力業に感嘆してきた。代表作は大逆事件に連座した大石誠之助を主人公に据え、日本近代史を照射した「許されざる者」だが、俺が歴史小説家としての辻原を〝発見〟したのは「韃靼の馬」だった。13年前に発表された「翔べ麒麟」は唐代の中国を舞台に展開する壮大な歴史活劇で、2人の主人公は日本人だ。

 辻原ワールドでは、真実は幻想の淡い影の如くだ。対新羅強硬派だった藤原広嗣は太宰府で挙兵したが、捕らわれて死罪となる。主人公の藤原真幸は広嗣の庶子という設定だが、辻原の創作である。真幸は第11次遣唐使の一員として唐に派遣され、剣の腕前を買われて大使護衛士を任ぜられた。もう一人の主人公は朝衡で、第9次遣唐使の一員として唐に渡った阿倍仲麻呂だ。玄宗の信頼が厚く、大唐帝国秘書監・衛尉卿に上り詰めた。朝衡は実在の人物で、詠んだ歌は古今和歌集に収録されている。

 辻原には20世紀の日中関係を背景に描いた「ジャスミン」という傑作があるが、「翔べ麒麟」のページを繰るうち、中国史への造詣の深さを実感する。中国のイメージといえば人間の奔流だ。本作に描かれる長安と洛陽のスケールの大きさに圧倒されたが、本作を詠む限り、人種的な寛容さがパワーの源であったように感じる。

 朝衡のライバルで楊貴妃の従兄に当たる宰相の楊国忠は漢民族至上主義だが、玄宗は朝衡だけでなく、突厥族とソグド人の血を引く安禄山を取り立てた。<朝衡・安禄山連合>が楊国忠と対峙したのは、排外主義との闘いという意味があったのか。長安はまさに多国籍文化都市で、キャラバンサライの宝石商が暗躍し、エキゾチックな歌姫や舞姫が人気を博す。父広嗣は対新羅強硬派だったが、真幸は新羅王子付き武官である高良と親友になった。朝衡は後半で窮地に陥るが、安南(現ベトナム)に流れ着く。史実では安南都護府長官に任命されたのだが、本作では安南兵を引き連れ、長安で決戦に挑むという設定だ。

 辻原ワールドの特徴といえば、恋愛小説の要素が濃いことだ。朝衡は玄宗の姪である李茉利と強い絆で結ばれ、真幸は舞姫の飛飛、女刺客の劉小秋と心を通わせ、男装して科挙を目指していた李春と結ばれる。超イケメンで武道に通じ、唐で出世の階段を駆け上るばかりか、安禄山にも目をかけられた。ストーリーに引っ張られた感もあるが、一人の青年が疾走する痛快な作品だった。

 今年読んだ中でベスト3を挙げれば、「巨匠とマルガリータ」(ミハイル・ブルガーコフ著、水野忠夫訳/岩波文庫)、「死してなお踊れ 一遍上人伝」(栗原康著、河出文庫)、そして今回紹介した「翔べ麒麟」か。老い先短い俺だが。来年も読書をベースに生きていきたい。
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「市子」~杉咲花の魂がスクリーンで弾けた

2023-12-24 21:47:58 | 映画、ドラマ
 暇に飽かせてYoutubeを見ることが多い。ロック関連の充実は目を瞠るものがあり、モリッシーの来日公演(11月28日、豊洲PIT)の映像もアップされている。スミス時代からのファンである俺は、反王室主義者、反戦を掲げるベジタリアン、そして性的マイノリティーへの理解者であるモリッシーを絶賛してきたが数年前、異変が起きる。反イスラム、反移民を標榜する極右政党を支持していることが明らかになったのだ。

 2016年のワールドツアーで来日した際、オーチャードホールに足を運んだが、SNSで〝最も乗りが悪い客〟として東京を挙げていた。その後に3枚のアルバムを発表したが日本盤は出ていない。今回のライブは意外なほどフレンドリーで、スミス時代の6曲もセットリストに含まれる充実した内容だったらしい。「いまモリッシーを聴くということ」の著書もある英国在住のブレイディみかこ(作家、ジャーナリスト)は、弱者の側から去ったモリッシーをどう捉えているのだろう。

 モリッシーは俺にとって〝失踪者〟になってしまったが、様々な視点で失踪を扱った映画は多い。当ブログで紹介した作品で思い浮かぶのは「ザ・バニシング-消失-」、「さがす」、「ゴーン・ガール」、「彼女が消えた浜辺」、「search/サーチ1・2」、「オールド・ボーイ」あたりか。これらと遜色のない作品を新宿で見た。「市子」(2023年、戸田彬弘監督)である。原作は監督自身が主宰する劇団の旗揚げ公演作品「川辺市子のために」だ。

 公開後半月ほどだから、ネタバレは最小限にとどめたいが、傑作が揃った今年の邦画の中でも上位にランクしていいと思う。スクリーン右下に時が示され、カットバックしながら物語は進んでいく。主人公の川辺市子を演じた杉咲花の本作に懸ける思いが伝わってきた。冒頭(15年8月)、市子は東大阪市の生駒山で白骨死体が見つかったことをニュースで知る。市子は前日、恋人の長谷川義則(若葉竜也)にプロポーズされていた。併せてプレゼントされたのは花火大会用の浴衣である。市子の花火への憧憬は作品中に織り込まれていた。

 3年間同棲していた義則に求婚された時の市子の表情が印象的だった。鼻をこすって笑みを浮かべたが、照れのためではなく諦念ゆえだったことが明らかになる。市子は姿を消し、捜索願を出した義則の元を訪れた後藤刑事(宇野祥平)は「川辺市子という人間は存在しない」旨を伝える。義則は後藤とタッグを組んで市子の真の姿に迫ろうとする。

 市子が月子と名乗っていた時期があったこと、市子の周辺で2人の人間が消息を絶っていることが明らかになる。月子とは何者か、市子が〝この世に存在していない人間〟になった経緯が、義則が小さな手掛かりを追って辿り着いた市子の母なつみ(中村ゆり)によって語られる。高校時代の市子に思いを寄せていた北秀和(森永悠希)の証言に、義則は衝撃を受けた。

 市子と〝共犯関係〟にあった北は、どんなことがあっても彼女を守ると決めていた。高校時代、帰宅途中の2人は夕立に遭う。猛雨の中、立ち尽くして空を見上げ、市子は「最高」と叫ぶ。全てを流して浄化したいという願望が感じられた。卒業後に出会った市子に、北は「悪魔みたい」と囁く。天使と悪魔のアンビバレンツを表現しきった杉咲花の表現力に感銘を覚えた。

 市子は自殺願望の女性と連絡を取り、北と待ち合わせる。市子は北の車のヘッドライトにまぶしそうに手で顔を覆う。そして、事件が報じられた。オープニングで市子は海辺に佇み、エンディングで坂道を歩く。そこはどこなのかわからないが、無国籍の市子は彷徨い続ける宿命なのだ。義則との3年間を語るモノローグが心に刺さる。市子の、そして杉咲花の魂がスクリーンで弾けていた。
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「神」~シーラッハが〝神なき〟日本人に問いかける

2023-12-20 22:32:13 | 読書
「政治をかえる8区の会」主催の「パレスチナに平和を!緊急集会」(阿佐谷地域区民センター)に参加した。講師は酒井啓子氏(千葉大教授)で、ナビゲーターを永田浩三氏(武蔵大教授)が務める。講演の内容は多岐にわたるが、ポイントだけを記したい。〝どっちもどっち〟的議論に陥りがちだが、酒井氏はイスラエルが国連を無視してパレスチナ人の土地を奪ってきた経緯を長いスパンで説明する。

 戦力比は100:1だ。ナチスのユダヤ人へのジェノサイドを反転する形で、イスラエルがパレスチナ人を殲滅しようとしていることは、ネタニヤフ政権の閣僚がガザ地区への攻撃を〝浄化〟と語っていたことからも窺える。〝テロ組織〟と見做されているハマスだが、地域で慈善組織、民生組織として機能し、コロナワクチンを供与している。<アメリカ=イスラエル>こそ最強のテロ枢軸国と見做すことも可能なのだ。

 自死の意味を問う「神」(フェルディナント・フォン・シーラッハ著、酒寄進一訳/東京創元社)を読了した。シーラッハ原作の映像化作品はドラマ「犯罪」、「罪悪」、「裁判劇 テロ」、映画「コリーニ事件」を見ている。ドイツ屈指の弁護士としての経験をベースに、良心、倫理、正義が絡み合う濃密な世界を描いているが、原作を読むのは初めてだった。「神」は戯曲で舞台はドイツ倫理委員会主催の公開討論会だ。冒頭に記されているアルベール・カミュの「哲学的問題で本当に深刻なのはひとつだけだ。自殺である」(「シジフォスの神話」)が本作のテーマを示している。

 登場人物は医師に自死の幇助を求める78歳の建築家ゲルトナー、主治医のブラント、顧問弁護士のビーグラ-、倫理委員のケラー、憲法学者のリッテン、医師会役員のシュペアリング、司教のティールで、会議の進行役を務めるのは倫理委会長だ。ゲルトナーがベントバルビタール剤を入手することの是非は観客(読者)に委ねられる。健康体のゲルトナーが自死を願うのは、妻を亡くして生きる意味を見いだせないからだ。高齢者にとっての愛と孤独が背景にある。

 日本では安楽死は嘱託殺人罪に当たる。ドイツでは不可罰だったが2015年、新設された刑法217条で一部、処罰対象になる。5年後、ドイツ連邦憲法裁判所で217条を違憲とする判決が下された。「神」はドイツ社会の混乱を背景に問題提起している。シーラッハの作品では<憲法は倫理を超えた最高法規>、<憲法を超える良心に従うべき>といった考え方が対峙するケースがあるが、「コリーニ事件」で追求したのは<法を超える正義>だった。

 仮に自死幇助、安楽死(嘱託殺人)を認めたらどうなるか。本作では、拡大解釈で法の根幹を揺るがす可能性も否定出来ないと警鐘を鳴らす声が上がっていた。ナチスが優生思想に基づき、ユダヤ人や障害者の命を奪った歴史がある。かつてシーラッハは<無秩序(カオス)を防ぐのが法。しかし法は薄氷で下は冷水。割れれば死ぬ>と<法を超える正義>の危険性を記していた。映画「PLAN75」(早川千絵監督)は近未来ディストピアで、高齢者連続殺害事件をきっかけに<75歳に達した人間に自ら生死の選択を与える>という法案が成立する。<死の選択>とは即ち安楽死だった。

 法律も医学も門外漢で、何より俺は〝神なき国〟の住民だ。タイトル「神」からも本作のメインといえるティール司教が壇上で交わす議論を理解するのは難しかったが、原罪についてビーグラ-が司教に問いかける場面が印象的だった。シーラッハは原罪にこだわっており、ドラマの本編やエンドタイトルにも原罪の象徴というべきリンゴが描かれていた。

 「神」を読んで再認識したのは、シーラッハが<人間の尊厳>に価値を置いていることだ。未読の作品も多いのでいずれ取り上げたいと思う。
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「JFK/新証言 知られざる陰謀」~主犯に迫ったオリバー・ストーンの執念

2023-12-16 22:58:49 | 映画、ドラマ
 国連総会緊急特別会合(12日)でガザ地区の情勢を巡り、即時停戦、人質解放、人道支援確保などを求める決議案の採決が行われ、153カ国が賛成して可決された。前回(10月27日)から26カ国が棄権から賛成に回り、イスラエルを擁護するアメリカの孤立が際立つ形になった。アメリカ国内でも若い世代でパレスチナ支持が急伸しており、民主党に投票してきたイスラム系団体もバイデンを見限った。〝トランプ再登場〟の悪夢が現実味を帯びてくる。

 60年前の1963年11月22日、テキサス州ダラスを遊説中のジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された。日本時間翌日(勤労感謝の日)、小学1年だった俺は近所の同級生たちとオルガン教室に向かう。俺の母を含め保護者たちが深刻な表情で話していた。その日朝、アメリカから放送史上初めてニュース映像が送られてくるという歴史的な実験が行われたが、メインになったのは大統領暗殺である。

 新宿武蔵野館で先日、「JFK/新証言 知られざる陰謀」(2021年)を見た。監督は「JFK」で知られるオリバー・ストーンで、新たに機密解除された証拠や証言に基づく稠密なドキュメンタリーだ。ストーンといえば〝牽強付会〟、〝力業〟いうイメージがあるが、本作では調査報道の手法でジャーナリスティックに取材を進めていた。

 <軍産複合体=保守派=差別主義者=CIA=FBI=マフィア=亡命キューバ人らが連携してケネディを暗殺した>が定説だが、リー・ハーベイ・オズワルドが単独犯として逮捕され、その2日後、刑務所に移送される車に乗る直前、ジャック・ルビーに射殺される。06年にNHK・BSで放映された「暗殺のランデブー~ケネディとカストロ」は<ケネディ暗殺はキューバ諜報機関(G2)の単独犯行>という衝撃的な仮説を提示したが、「JFK/新証言――」を見れば信憑性は低いと思う。

 ストーンはポイントを挙げて検証していく。オズワルド単独犯説では射撃場所を教科書倉庫ビルに設定している。〝魔法の銃弾〟が後方からケネディの体内を貫通して同乗していたテキサス州コナリー知事の手首など7カ所に当たったことになるが、発見された弾丸に傷がない。検視官はケネディの首に当たったのは射入痕で、即ち進行方向前のグラシノールの丘から撃たれた可能性を指摘した。

 ダラス警察はオズワルド単独犯説で突っ走り、オズワルドが所有していたライフルを凶器と決めつける。オズワルドの言動をFBIとCIAは把握していたが、事件前に監視リストから外した。ルビーはマフィアでオズワルドと面識があったという情報も無視される。ケネディの脳の状態など数々の疑問をもみ消したのはウォーレン委員会だった。

 ウォーレン委員会は悪の巣窟だった。ジョージア州知事時代に人種隔離政策を推進したリチャード・ラッセル・ジュニア、ナチスドイツ系企業と関係があり日系アメリカ人の強制収容を決定したジョン・マクロイ、アレン・ダラス前CIA長官、保守本流で後に大統領になったジェラルド・フォードらが顔を連ねている。新大統領に就任したリンドン・ジョンソン肝いりの面々で、ケネディとは距離を置いていた。

 ジョンソンの最初の仕事は、ケネディがストップをかけていたベトナムへの積極的な介入で、軍需産業から後押しされていたことが窺える。ストーンはジョンソンこそ陰謀の〝主犯〟と仄めかしていた。ケネディ夫人のジャックリーンは服や体に夫の血や脳がこびり付いたまま大統領専用機に赴き、ジョンソンの就任式に立ち会った。着替えを勧めた側近に「彼らがやったことを思い知らせてやる」と話したという。

 ラストでアラバマ大学への黒人学生入学を支持したJFKの格調高い演説が紹介される。JFKは民主主義のシンボルになったが、司法長官だった弟のロバートともどもマフィアに目の敵にされていた。彼らの父ジョセフはマフィアと緊密な関係を築いていたが、息子たちは組織犯罪撲滅を公言する。マフィアが革命前、マネーロンダリングとして使っていたのがキューバで、両者が繰り返し陰謀説に登場するのも理由がある。

 ストーンはあくまで軍需産業、差別主義者、CIA、FBIに照準を定め、多くのデータや証言を用いて暗殺の真相に迫った。自由と民主主義に価値を置くストーンの執念に喝采を送りたい。
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小川洋子著「貴婦人Aの蘇生」~老女が語るファンタジー

2023-12-12 21:57:32 | 読書
 Youtubeで今、再生回数が最も多いバンドはイタリア出身のマネスキンだ。WOWOWで生中継された来日公演を偶然見たが、オルタナ、メタルなど様々な要素を織り込んだハードロックで、歪みとポップを融合させている。22~24歳と若いのに演奏力とエンタメ性は抜群で、目が行ってしまうのはキュートなーシストのヴィクトリアだ。トップレスで乳首にテープを貼ってステージに立つこともあるという。

 数年前に現役ロックファンを引退したので、マネスキンがどのような文脈で登場したのか理解出来ていないが、ヴィクトリアがソニック・ユースのキム・ゴードンへのオマージュを公言しており、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロとスタジオライブで共演していることもあって親近感を覚えている。1970年代、幾多の傑作を世に問うたイタリアンプログレを英米メディアは意識的に低評価した。歪んだ構図は50年後も変わらない。

 川上弘美著「どこから行っても遠い町」に続き、日本を代表する女流作家の小説を読んだ。「貴婦人Aの蘇生」(2002年、朝日文庫)で、小川洋子の作品を紹介するのは11作目になる。当ブログで小川について<欠落の哀しみや喪失の痛みを自由への起点に、自然の移ろいを精緻な筆致で描く作家>と評してきた。「貴婦人Aの蘇生」も物語から寓話に飛翔する小川ワールド特有の色彩と薫りがする小説だった。

 主な登場人物は4人で、主人公の私は大学生だ。ユーリ伯母さんを退院させ、亡くなった伯父さん宅で共に暮らすことになる。伯父さんは若い頃、世界を転々としていたが、中年になって成功し、かなり年上で瞳がブルーのユーリ伯母さんと結婚する。伯父は動物の剥製の収集家だったが、10年ほど経ち、ホッキョクグマの剥製の口に頭を突っ込んだ姿で絶命する。

 小川の作品には動物たちが登場人物のメタファ-として、心象風景の表象として現れる。俺が読んだ中で挙げるなら「ことり」、「ブラフマンの埋葬」、「ミーナの行進」、「猫を抱いて象と泳ぐ」あたりか。伯父宅はプールもある巨大な洋館で、無数の剥製が散乱している。ユーリ伯母さんは剥製に「A」のイニシャルの刺繍を施していた。伯父との絆を紡ぐためと思っていたが、「A」の意味が明らかになる。

 私のボーイフレンドであるニコは強迫性障害を患っており、建物の前で決まったルーチンをこなさないと中に入れなかった。時には何度試しても扉の前で力尽きることもある。〝欠落の哀しみ〟に重なるのは「猫を抱いて象と泳ぐ」の主人公のL・Aで、大きくなり過ぎてデパート屋上で一生を終えた象や少女ミイラ以外に友達はいなかったが、ニコには私が付き添い、ユーリ伯母さんとも心を通わせるようになる。ニコには他者の心を読む力があった。

 剥製マニアでフリーライターのオハラに私は不信感を抱いていた。伯母さんに近づいて剥製を不当に入手しようとする悪党と見做しており、窃盗を目の当たりにするが、伯母さんとニコは鷹揚だ。オハラによって伯母さんは剥製の館の主だけではない。ロマノフ王朝最後の皇女アナスタシア、すなわちイニシャルAである可能性が浮上する。

 伯母さんは過去を喪失していた。伯父さんと結婚した時も、親族は来し方を知らなかった。伯母さんの振る舞いを妄想と受け止める読者もいる。詐称していると考えるのも当たり前で、私もその一人だ。オハラは様々な取材を仕切り、ユーリ伯母さんをテレビに引っ張り出す。金儲けのためではなく、オハラは伯母さんのブルーの瞳、品のある所作に魅せられていた。愛といっていい感情に衝き動かされていたのだ。

 俺もオハラの気持ちに沿うようになっていく。テレビ番組終盤で伯母さんの弟アレクセイ皇太子が現れ、放送後に旧交を温める。伯母さんは伯父さんに似た最期を迎えるが、現実と幻想の境界を行き来するファンタジーに温かい気持ちになれた。
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「ザ・バニシング-消失-」~宣伝部長はキューブリック?

2023-12-08 22:23:09 | 映画、ドラマ
 チバユウスケさんの訃報が届いた。享年55と早過ぎる死である。記憶に残るのはミッシェル・ガン・エレファント時代で、チバさんは削いで研いだ言葉を礫にして吐き出すボーカルスタイルだった。ファンになるにはあまりに老いていて、ライブに触れたのはフジロック'98(豊洲)の一度きりだったが、最後方で目の当たりにした聴衆を熱狂させるパワーに、「彼らが今、世界一のバンド」と感じた。

 ミッシェル・ガンはともに邦楽ロックを世界標準に引き上げたブランキー・ジェット・シティと交流があったし、俺にとって最も大切なバンドであるルースターズへのオマージュを表している。〝魂のロッカー〟チバさんの冥福を心から祈りたい。ミッシェル・ガン解散後、殺気さえ覚えるパフォーマンスで〝鬼〟と評されたギタリストのアベフトシさんは一線を退き、ひっそり亡くなった。2人が奏でる轟音ロックが天国で鳴り響いているに違いない。

 新宿武蔵野館で1988年にオランダで製作された「ザ・バニシング-消失-」(ジョルジュ・シュルイツァー監督)を見た。国内上映権消失のため1週間の限定上映だった。1988年といえばACミランに所属していたフリット、ファンバステン、ライカールトがオランダを欧州王者に導いた年で、心が戦ぐのを感じた。ちなみに本作の主人公レックス(ジーン・ベルヴォーツ)はカートップに自転車を2台載せており、ツールド・ド・フランスの実況中継が流れている。

 本作には絶対的な宣伝部長が存在した。かのスタンリー・キューブリックで、3回観賞し「これまで見た中で最も恐ろしい映画」と絶賛した。シュルイツァー監督が「あなたの『シャイニング』と比べたら」と問うと、「本作に遠く及ばない」と答えた。かくして<サイコサスペンスの史上ナンバーワン映画>の評価が確立する。〝粗探ししてやる〟とひねくれ者の俺は、食い入るようにスクリーンを眺めたが、伏線は周到に張り巡らされていた。

 オランダ人のレックスは恋人サスキア(ヨハンナ・テア・ステーゲ)とフランスへの小旅行を楽しんでいる。ティム・クラッベによる原作タイトルは「金の卵」で、サスキアは冒頭、「金の卵に永遠に閉じ込められる夢」と見たとレックスに語る。さらに「金の卵はもう一つあった」と付け加えた。トンネルの中で車がガス欠して、レックスはサスキアを置き去りにしてガソリンを買いにいく。サスキアは闇の中を叫びながら歩いていた。

 ぎくしゃくする場面があったので、〝サスキアは自ら去った〟と勘繰ったが、さにあらず。仲直りした2人に視線をやっている男がいた。レイモン(ベルナール・ピエール・ドナデュー)だ。ドライブインに飲み物を買いにいったサスキアは戻らず、3年の月日が経ったが、レックスはサスキアの写真入りのポスターを現場近くで貼っている。テレビ番組に出演し、「君に会って真実を知りたい」と犯人(=レイモン)に呼び掛ける。レックスの元に犯人からの手紙が届くようになった。

 本作で興味深いのは構成で、レックスとレイモンの日常がカットバックされる。新しい恋人が出来たレックスだが、喪失感に苛まれている。一方のレイモンは大学教員で、妻と2人の娘と平穏な生活を送っている。異常者には見えないが、心に歪んだ欲望を秘めていた。女性を車に乗せて拉致するため、綿密に計画を練っているが、実行に移すと失敗ばかりのドジ男なのだ。

 家族とのエピソードで印象に残るのは庭で食事をするシーンだ。台の引き出しにサソリ? が蠢いていて、妻や娘が挙げた叫び声に鳥が呼応する。レイモンは笑っていた。レイモンは正義と悪の狭間で揺れていた。川で溺れていた少女を橋から飛び降りて救出し、娘の尊敬を得たレイモンだが、究極の悪を志向していた。偶然が幾つも重なりターゲットになったのがサスキアだった。

 レックスとレイモンはアムステルダムで遂に出会い、車に乗って国境を越える。両者の会話は緊張感が溢れ、レイモンは真実を語る条件を提示する。確実に睡眠薬が入ったコーヒーをレックスに勧めるのだ。見る側も試されている。あなたは飲まずに去るのか、飲んでサスキアに起きたことを知るのか……。レックスは決断し、酷いラストに至る。

 レイモンは検問所係員に「自分は閉所恐怖症」と語る場面があった。レイモンにとって生き埋めとは考え得る最悪の状況だったのか。シュルイツァーは5年後、本作をセルフリメークしている。タイトルは「失踪」で、ラストはハリウッド的な結末という。
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川上弘美著「どこから行っても遠い町」~倒立して心に刺さった町

2023-12-04 21:29:05 | 読書
 AXN海外ドラマ(現アクションチャンネル)で録画した「コールドケース」(シーズン1~7)を少しずつ消化している。舞台はフィラデルフィアで、リリー・ラッシュ刑事(キャスリン・モリス)ら市警殺人課未解決事件専従班のメンバーが、数年前から数十前まで長いスパンで迷宮入りした事件を解決する。背景は黒人差別、戦争、エイズ、DVと様々でアメリカの闇が生々しく描かれている。ラストで涙腺が緩むことが多いのは、ラッシュだけでなく、孤独、葛藤、絶望を抱える捜査班の心情とストーリーがリンクしているからだろう。

 ささやかな愛と営みが交錯する短編集を読了した。川上弘美著「どこから行っても遠い町」(新潮文庫)で、<都心から私鉄でも地下鉄でも二十分ほど>の商店街での出来事を綴った11作が収録されている。別のストーリーの語り手が繰り返し現れ、全体として円環を成している。川上の作品を紹介するのは今回が8作目で、独特の空気感に浸ることが出来た。

 描かれるのはありきたりの日常だが、川上の筆致は読む者の記憶の扉をそっと押す。孤独とは、愛とは、絆とは……。そんな問いの答えを探しながら読み進めた。読後のしっとりした感覚は、「古道具 中野商店」に似ている。偶然に紡がれた連作は鮮やかなカタルシスを生み、読み終えた後、町はリアルな像を結んでいた。

 本作を読み進めるうち、物忘れの激しい俺でさえ、〝あ、この人、出てた〟と別の物語で登場していたことに気付く。そして、彼らの性格や所作に、〝俺の伯母さんとよく似てる〟とノスタルジックな親近感を覚えることもあった。読む人の年齢にもよるが、俺ぐらい(67歳)の年の人は、自分史と重ねながら読了したのではないか。

 全11作を通してキースポットといえるのは、魚屋の「魚春」、軽食喫茶風の「ロマン」、割烹「ぶどう屋」の3カ所で、登場人物たちがさりげなく交遊している。とりわけ重要なのは♯1「小屋のある屋上」と♯11「ゆるく巻くかたつむりの殻」の舞台である魚春だ。経営者は平蔵さんで、仕込み担当は源さんだ。2人の絆は平蔵さんの亡き妻、真紀さんによって紡がれた。源さんは真紀さんの浮気相手だったが、2人は同じ建物に暮らしている。

 魚春で頻繁に買い物をする妙子は店内に飾られているピカソとコクトーの写真が平蔵さんと源さんの雰囲気に似ていると感じる。妙子と恋人の久保田は魚春から仕入れているぶどう屋の常連だ。こんな風に、町は魚春を軸に繋がっている。「ゆるく巻くかたつむりの殻」の語り手は死者の真紀さんだ。生死の淡い境界を描いた「真鶴」と重なった。

 最も心に刺さったのは表題作で♯10「どこから行っても遠い町」だった。妻子がいる会社員の俺は幼い頃、真紀さんにお世話になった。真紀さんが家を出て源さんと抱擁するシーンも目撃している。その記憶と、不倫中の現在がオーバーラップしていた。冒頭で俺は「どうして女は事を決めたがるのだろう」と思っていたが、ラストで考えが変わる。「俺は何も決めなかったと思っていた。(中略)俺は生きてきたというそのことだけで、常に事を決めていたのだ」と独白する。小さな転回だが、齢を重ねる意味を感じることが出来た。

 俺もまた、「どこから行っても遠い町」に入り込んでいる。「魚春」で毎日のようにシメサバを買ったり、「ロマン」の熟女ウエートレスのあけみさんを口説いたり、「ぶどう屋」女将の央子さんに熱い視線を送ったり……。町は倒立して俺の心に刺さっている。
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