酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「その女アレックス」~ダークな繭に織り込まれた共犯関係

2016-10-30 17:07:43 | 読書
 シーズン中はろくに野球を見ないが、魅力あるチーム同士の対戦だったので、日本シリーズは熱心に観戦した。これがカープの敗因とまず頭に浮かんだのは、第5戦のジョンソン先発だ。2勝3敗で広島に帰っても、休養十分のジョンソン、野村で巻き返す可能性はあったはずだ。

 「花の里」の元女将、高樹沙耶の逮捕で「相棒」は大揺れだ。新シーズンも視聴率はイマイチだが、理由は二つあると思う。まずは原作がないこと。脚本の質が低下していくと歯止めが利かなくなるのだ。次に、時代に取り残されたこと。政府は憲法を蔑ろにし、利権を貪る権力者は法の網をすり抜ける。そんな状況で杉下右京が<法の下の裁き>を説いても、見る者の心に響かない。ミステリーの分野で最も人気のある伊坂幸太郎は<法を超えた正義>を希求しており、警察を嘲笑の的にしている。

 宇都宮連続爆破事件では当初、K容疑者の行動に狂気を覚えたが、SNSにおける投稿が公開されるや、「悪いことが重なったら、俺だって」と我が身に翻って同情してしまう。ところが、元妻や知人、KのDVを認定した裁判所関係者は揃って作り話と証言した。犯人像が短期間でクルクル変わったのだ。

 多忙で読書に割く時間が持てなかったので、〝手軽に流せそう〟と積読本からミステリーを手に取った。海外を含め6冠を獲得した「その女アレックス」(ピエール・ルメートル著、橘明美訳/文春文庫)である。映画化の噂もあり、ネタバレは最小限にとどめたい。

 〝手軽に流せる〟は勘違いで、〝心に刺さる重厚な〟作品だった。昨年だったか、来日して中村文則と対談したルメートルは、ベストミステリーに与えられる英インターナショナル・ダガー賞(3度)、仏純文学界で最も権威のあるゴングール賞を併せて受賞している。一方の中村は、日本ではドストエフスキーを21世紀に甦らせた純文学の旗手、アメリカではミステリーの新星という位置付けだ。境界を超えクロスオーバーする作家と世界で評価されているのが、両者の共通点といえる。

 「その女アレックス」は、「悲しみのイレーヌ」、「傷だらけのカミーユ」に挟まれた「カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズ」の第2作という。ちなみに、イレーヌとはカミーユの亡き妻で、身重の状態で誘拐され、お腹の子とともに惨殺された。本作には喪失感と絶望に苛まれるカミーユの心情がちりばめられている。最前線から退いていたカミーユはグエン部長に、トラウマになっていた誘拐事件の捜査を、班長として担当することを命じられる。

 被害者アレックスは非正規の看護師で、契約終了直後だったため、不在を訝る声はどこからも上がらない。社会との繋がりを意識的に断ち、太ったりダイエットしたりと外見を変える〝実験〟を繰り返していることもあり、社会での認知度は極めて低い。彼女をいたぶる誘拐犯の真意が掴めず、切れ者のカミーユをもってしても捜査は難航する。

 警察小説の常で、チーム内の絆と確執が丁寧に描かれている。上司グエンは巨体の色事師、吝嗇家のアルマン、金持ちのルイは有能な部下だ。カミーユの苦悩を慮りながら、チームは事件の闇に迫っていく。日本の警察ドラマでもお約束だが、気に入らぬ輩も登場する。若造の予審判事ヴィダールに対する憎悪を、カミーユは隠し切れない。

 カミーユは145㌢の小男だ。有名な画家である母が重度のニコチン中毒だったことが低身長の理由と、当人は考えている。亡き母への複雑な思いは「悲しみのイレーヌ」で詳述されているはずだが、本作では母との和解に至る過程が記されている。一方のアレックスは、家族によってもたらされた癒えることのない傷を抱えてきた。

 〝死ぬまでにやらねばならぬこと〟を実行するため軛を解いたアレックスの振る舞いは、あたかもシリアルキラーだ。カミーユとアレックスのモノローグがカットバックし、ダークな繭が紡がれる。読む側もまた、心の糸を重ねていくのだ。俺もアレックスに感情移入し、愛に似た思いを寄せていた。<驚愕、逆転、慟哭、感動>の帯は、本作を見事に言い当てている。

 カミーユはラストでヴィタールと歩み寄る。「われわれにとって大事なのは、真実ではなく正義ですよ。そうでしょう」と問い掛けるヴィダールに、カミーユは微笑んでうなずいた。「相棒」の杉下が許すことのない結末だが、アレックス、カミーユ、ヴィタール、そして俺自身との〝共犯関係〟に和みを覚えた。

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グリーンとブロンド~二つの色彩にたっぷり浸る

2016-10-27 22:20:53 | カルチャー
 ボブ・ディランはノーベル文学賞を拒否するのだろうか。ディランの知人は「〝死の商人〟ノーベル財団から賞を受けることを恥と感じているのでは」と心の内を慮っている。

 ロッキング・オン誌のHPに、BBCが選ぶ「ディラン以外にノーベル文学賞に値する作詞家12人」が掲載されていた。モリッシー、ケイト・ブッシュ、パティ・スミス、ジョニ・ミッチェル、ニック・ケイヴ、レナード・コーエンら、俺のフェイバリットがピックアップされている。モリッシー、パティ・スミス、コーエンらは万が一、受賞しても、上記の理由で拒絶するはずだ。

 23日は午後から「グローバル・グリーンズ憲章」学習会の第1回「エコロジカルな知恵」(阿佐ケ谷中)、夕方からブロンド・レッドヘッド来日公演(ビルボードライブ東京)に足を運んだ。それぞれの感想を以下に……。

 「エコロジカルな知恵」の講師は、当ブログで頻繁に登場する高坂勝さんだ。「脱成長」「ミニマリズム」「半農半X」を提唱し、TBS、NHK、日経etcとメディアで露出が増えている。週4日はバー(池袋)のマスター、3日は匝瑳で農作業という日々の実践に基づくトークだった。

 参加者はワークショップや自然保護活動を主宰するなど、高坂さんと同じ目線だ。太陽光パネルの設置、ゴミの削減と分別など工夫を凝らし、食へのこだわりも強い。さらに、預金するなら城南信用金庫、電力会社は東電以外、新聞なら東京新聞と、環境派の〝決め事〟実行している。

 「3%の意識を変われば、地殻変動の道筋は出来る」が高坂さんの持論だ。日本でも<成長の呪縛>から自由になり、オルタナティブを志向する人が増えているが、緑の党は力不足で、彼らの目に映っていない。ミニマリズム浸透の背景にあるのは格差と貧困の拡大で、様々な要素が混ざり合い、ケミストリーが起きる日が来るのではないか。

 還暦を迎え〝土に還る日〟が迫る俺は、東京を離れ、高坂さんのNPOに加わるべきではないか……。残念ながら、それは不可能だ。小学校入学直前、我が家は長閑な園部町(現南丹市)から伏見区に引っ越した。裏手に竣工したばかりの団地群が立ち並び、入居者を待ち構えていた。散策して目の当たりにした光景が、今も心に焼き付いている。俺が〝自然より人工〟を選んだ瞬間だった。

 環境保護を語る人は〝コミュニティー〟を大切にする。俺はその点でも失格で、京都を離れデラシネになり、東京砂漠で棲息している。音楽の趣味も乾いていて、ブルース、ソウル、カントリーといったルーツミュージックとは無縁である。学習会終了後、自身の湿度にピッタリのブロンド・レッドヘッドのライブに向かった。

 8月に一度、キャンセルになり、再決定した日本公演だった。京都出身のカズ・マキノとイタリア出身のパーチェ兄弟(双子のアメデオ&シモーネ)の3人組で、メンバーチェンジはあったが、20年以上の活動歴を誇っている。キャンセルの理由は明らかにされていないが、カズの声に問題があったのではないか。幾つかの曲で、アメデオが代わってボーカルを担当していた。

 ブロンド・レッドヘッドは、コクトー・ツインズやシューゲイザーを輩出した4ADから代表作の「ミザリー・イズ・ア・バタフライ」と「23」をリリースしている。当夜もこの2枚中心のセットリストで、幻想的かつ頽廃的な美学が会場を包んでいく。UKロックの神髄を継承すると同時に、90年代からニューヨークで活動する彼らはソニック・ユースの影響が濃く、ノイジーなビートを刻んでいた。耽美とエキセントリックを結ぶのが、カズの官能的な声としぐさである。

 <アメデオ=懸想する男、カズ=つれない女>の疑似恋愛を以前のステージで感じたが、当夜はむしろ、アメデオが主導権を握っていた。担当するパートも以前と異なり、カズがキーボートを弾く曲が増え、アメデオはギター一本だった。同郷人として、カズの柔らかい京都弁のMCがあまり聞けなかったのは残念だった。

 グリーンとブロンド……。二つの色彩を満喫した一日だった。T君とは、テレヴィジョン、モリッシー、今回、そしてPJハーヴェイとライブ同行が続く。感性が似た友が近くにいるのは心強いものだ。

 最後に、枠順が確定した天皇賞秋の予想を……。①エイシンヒカリ、③アンビシャス、⑧モーリス、⑨ルージュバックが有力だが、他の馬を含め、どこが勝負掛かりなのかわからない。香港を見据えている陣営も多いはずだ。どうせ外れるなら、かつてのPOG指名馬⑭ステファノスを軸に馬券を買う。
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「みな殺しの霊歌」~煮えたぎる坩堝から生まれたアンビバレント

2016-10-23 09:37:04 | 映画、ドラマ
 前稿アップ後、「報道ステーション」を録画で見た。冒頭は平尾誠二追悼で、松尾雄治の惜しむ言葉は的を射ていた。日本代表に初招集された平尾(当時19歳)に、松尾は「ただ者じゃない」と感嘆したという。「試合中に個人が自由にプレーし、周りが合わせていくようなスタイルにしないと、世界で通用しない」(趣旨)と熱く語っていたからだ。

 日本代表監督に就任した際、平尾は「自立した個がチームとしてまとまる形を示して、日本の空気を変えたい」とインタビューに答えていた。その志は20年後、ラグビーでは形になりつつある。ならば、日本はどうか。空気を読んで自分を抑えることが主音になり、閉塞感が覆っている。自由を志向した平尾は心残りだったに違いない。

 「週刊文春」最新号で、三浦九段がスマホ不正を告発された経緯が明かされている。今回の一件をきっかけに来春、世間の目が将棋界に注がれるかもしれない。主役は人類最高の頭脳を誇る羽生3冠で、叡王戦トーナメントを勝ち抜いたら(現在ベスト8)、ポナンザ(最強ソフト)と相まみえることになる。

 日本シリーズ第1戦の結果を見ようと昨夜10時前、NHKにチャンネルを合わせた。始まったのはスポーツニュースではなく、新番組「スニッファー 嗅覚捜査官」だった。テンポとスピード感に魅せられ、緊張感を保ったまま最後まで見てしまう。阿部寛と香川照之の掛け合いも最高で、脇役陣も豪華だ。とかく批判があるNHKだが、アベノミクスを否定し、1%に収奪された者の怨嗟を台詞に込めるなど、批判精神も窺える。来週以降も楽しみだ。

 午後からダブルヘッダーと、用事が立て込んでいる。ライブでは見られないが、菊花賞の予想を……。といっても、POG指名馬の④シュペルミエールを応援するだけだ。2強の③サトノダイアモンド、⑥ディーマジェスティに、⑦レッドエルビスト、⑩ウムブルフを絡めて馬券を買った。帰宅後、結果を知って呆然とするだろう。

 ようやく本題……。WOWOWでオンエアされた「みな殺しの霊歌」(68年、加藤泰監督)を紹介したい。クレジットを見なかったら、ヌーヴェルヴァーグの影響を受けた若手監督のATG映画と勘違いしたに相違ない。実際は時代劇、任侠映画で知られるベテランがメガホンを執った松竹配給作品だった。

 加藤泰といえば、誰しも邦画史に燦然と輝く「明治俠客伝 三代目襲名」(65年)を思い浮かべるだろう。68歳の巨匠が3年後、様式美から自らを解き放った本作は、雑多な具材が煮えたぎる坩堝から混然と現れたかの如くだ。ローアングルも斬新で、繰り返し流れるスキャットと「いつでも夢を」も効果的だった。

 東映で学んだ〝異端児〟内藤誠、〝松竹の象徴〟山田洋次……。対極の両者がスタッフに加わったことで、アンビバレントが生じている。扇情的な暴力シーン、川島(佐藤允)と春子(倍賞千恵子)の悲恋が、松竹らしい微温的なオブラートでくるまれていた。

 ニヒルで孤独な川島は佐藤のハマリ役だが、庶民派で親しまれた倍賞はイメージと真逆の、厭世的な薄幸の女性を演じていた。川島と春子の共通点は、愛ゆえに殺人を犯したこと。川島は新婚初夜、他に男がいることを仄めかした妻を殺し、家庭内暴力を繰り返す兄を殺した春子は刑に服した。痛みと絶望を抱える二人は、恋人というより仮想の兄妹で、〝汚れちまった悲しみ〟を共有する。

 川島は5人の有閑マダムを次々に殺す。彼女たちに弄ばれて自殺した少年の復讐という設定に納得出来ない人も多いだろう。キーになるのは、少年が口ずさんでいた「いつでも夢を」の歌詞ではないか。純真、無垢を体現し恋に憧れる少年の心を汚した女たちに、川島は〝仮想の兄〟として復讐する。

 「幕末太陽傳」(57年、川島雄三)や「けんかえれじい」(66年、鈴木清順)のように、現場に不協和音や軋轢が時に傑作が生まれることもある。「みな殺しの霊歌」もレアケースの典型といえるかもしれない。

 昭和の映画は、当時の世相や風俗をノスタルジックに振り返れるから楽しい。半世紀前の本作にはゴーゴークラブ、グループサウンズが映し出され、全学連が台詞に織り込まれていた。高度成長の時期、格差が広がりつつあったことも描かれている。春子が働く食堂に貼ってあるカツ丼やラーメンの値段も気になった。
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1500回目は<言葉>をキーワードに

2016-10-20 23:23:51 | 独り言
 1500回目の更新は、<言葉>をキーワードに記したい。第1回は04年10月16日だから、12年以上も続いたことになる。ここ数年、ブログは俺にとって〝遺書代わり〟で、思いの丈を綴ることに意味を求めていたが、意外な効能に気付く。

 一昨年2月、30年ぶりに政治活動を再開し、多くの仲間を得た。山本太郎参院議員が〝永田町が最も恐れる男〟と評する杉原浩司さん(武器輸出反対ネットワーク=NAJAT代表)もそのひとりである。昨夏以降、「世界」に寄稿してきた杉原さんの提言「軍産学複合、許すのか」が19日付東京新聞1面に掲載された。レベルが違う杉原さんと背伸びしつつ親しく話せるのは、ブログを書くことで言葉と格闘してきたからだと思う。

 平尾誠二さんが亡くなった。彼の勇姿に初めて触れたのは高校ラグビー決勝で、伏見工が大阪工大高を劇的なトライで下した試合だった。その後の活躍はご存じの通りだが、俺が同氏に感銘を覚えたのは、ラグビーを緻密に語る言葉だった。スポーツと知性を融合させたアスリートの早過ぎる死を心から悼みたい。

 大阪府警の機動隊員が沖縄高江村で、ヘリパッド建設に抗議する人たちに「土人」「シナ人」と暴言を吐いた。<警察=政権側>の本音を下敷きにした言葉であることは、件の隊員を労った松井大阪府知事のツイッターからも明らかだ。背景には〝お上に逆らうのは悪〟という意識の蔓延があるだろう。

 自殺した電通の女子社員に過労死が適用された。今回の一件で感じたのは<言葉の欠落>である。もがき喘いでいた彼女を冷たく突き放した上司の顔は、どこを、誰の方を向いていたのだろう。そこに電通という会社の本質が透けて見える気がする。言葉や映像を介して企業の意図を反映させる電通は長年、自民党と密接な関係を築いてきた。言論の自由が萎んできたのも、権力と結んだ代理店にメディアが逆らえないからである。

 「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」(日本テレビ系)が10%超の視聴率をキープしている。〝校閲ロートルボーイ〟の俺はサラリーマン時代、十数人の「校閲ガールズ」に囲まれて仕事をしたことがあった。俺は見るつもりはないが、同業者の声は総じて厳しく、「放送事故並み」なんていうのもある。ちなみに経験則から、校閲という仕事は、集中力のある女性の方が明らかに向いている。

 俺は社会的不適応者の典型で、学生の頃から「どの職業に就いても落ちこぼれる」ことを覚悟していた。偏差値50を辛うじてクリア出来る唯一の仕事を見つけたことは、幸運としか言いようがない。仕事を聞かれ、「新聞の校閲です」と小声で言うと、「日本語のプロですね」なんて言われる。でも、実際が真逆であることはこのブログからも明らかだ。時間を経て凡ミスに気付き、赤面することもしばしばだ。

 俺が校閲を始めた1980年代前半はシステムが古く、表を含め手書き原稿ばかりで綱渡りの日々だった。会社によって〝文化〟は異なるが、俺は<校閲=共同作業>を叩き込まれた。自分の面をコソコソやっていようものなら、「てめえの面だけやってんじゃねえ」とトップから怒声が飛んだ。どれだけ優秀な担当者でも、複数の目が通っていようが、ミスは残る。それが、校閲という仕事の宿命であることを知る。

 数年前、同業者の女性から「校閲やってる男の人って、どこか変じゃないですか」と言われたことがある。俺も「変」の範疇に含まれるが、彼女の言う「変」は、<他者への厳しさ>だった。誤りを指摘するという職業柄、他者の失敗や欠点に厳しい男性校閲者は確かに多い。ちなみに、自分がいかに仕事が出来ないか身に染みて知っている俺は、<人に優しく>をモットーに生きている。
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帯広競馬場で還暦を迎えた

2016-10-17 21:10:31 | 独り言
 京都、北海道と東京を離れていたのでアンジェイ・ワイダ監督の死(9日)を知らなかった。享年90歳、巨匠の冥福を心から祈りたい。「灰とダイヤモンド」(1958年)は俺の中でベストワン候補だ。ワイダは作家ジョージ・オーウェルとともに、いち早く共産党の矛盾を突いた。背景は<自由と管理>の対立項だが、本作が永遠に語り継がれるには訳がある。

 たいまつの如く火花を散らし 我が身を焦がす時 自由となれるを汝は知るや 持てるもの全て失われ 残るのは灰と混沌 嵐の如き深淵の底深く 永遠の勝利の暁に 燦然と輝くダイヤモンド……

 クリーシャとともに荒れ果てた教会を訪れたマチェクは、墓碑に刻まれたノルヴィトの詩を読む。「私たちは何」と問うクリーシャに、照れながら「君こそダイヤモンドだ」と答えるのだ。これ以上、ロマンチックなシーンを俺は知らない。至高の恋愛映画といっていい。

 ボブ・ディランのノーベル文学賞が波紋を広げている。文学者と併せ、ダブル受賞という手もあったのではないか。上記のノルヴィトのように言葉と格闘した詩人は世界中にいる。ちなみに、日本も実は詩人の宝庫といっていい。アレン・ギンズバーグやホルヘ・ルイス・ボルヘスはノーベル文学賞と無縁たったが、なぜ、ディラン? 理由を探れば<影響力の大きさ>ではないか。

 ポップミュージックはディラン以降、メッセージを伝えるのが当たり前になった。あれから半世紀、ムードは変わりつつある。日本では政治的主張を表明するアーティストはネットで叩かれる。ディランの受賞をきっかけに、<音楽と政治を結びつけるな。黙って空気を読め>というこの国の空気が変わることを期待している。

 釧路では幣舞橋からの夜景を楽しみ、フィッシャーマンズワーフMOOなど市内を散策した。午後は和商市場で新鮮な魚、夜は釧路ラーメンと食事は定番である。翌日は帯広に向かい、ばんえい競馬を観戦した。場内は想定外にモダンで清潔だったが、楽天がサポートしていることも大きいのだろう。間近にレースを見て迫力に圧倒された。

 1㌧前後の馬が1㌧近い重量を引っ張って障害を2つ越える。1歳馬による模擬レースでは力尽きた馬が厩舎関係者に引かれてゴールし、場内から拍手が湧き起こる。重荷を背負ってフラフラになりながら歯を食い縛って走り抜く馬たちに、人生を重ねる人も多いに相違ない。ばん馬たちはほぼ毎週走っている。同夜(15日)、還暦を迎えた俺は、怠惰で情けない来し方を反省しつつ、残り少ない日々を真面目に生きようと誓った。

 評判の豚丼はホテルの朝食バイキングで済まし、緑豊かな帯広の街を散策する。思いがけず気温が上がり、汗ぐっしょりになった。函館に次ぎ、帯広もお気に入りに加わった。機会があれば当初訪れる予定だった小樽にも足を運びたい。

 帰京したら吉報が待っていた。新潟知事選で共産、自由、社民が推薦した米山隆一氏が当選する。連合は自公が推した森民夫氏に相乗りしたが、民進党の多くの議員は米山氏の応援に回った。今回の結果ではっきりしたのは<脱原発は今もフレッシュ>であること……。希望の光が射してきた。

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「黒い迷宮」~浸潤する漆黒の闇

2016-10-14 00:06:30 | 読書
 衝撃が将棋界を襲っている。渡辺竜王への挑戦を決めていた三浦九段が対局中、スマホを用いて不正を行った疑いで出場停止処分を受けたのだ。〝棋界の武蔵〟の異名を取る三浦は濡れ衣を主張し、代役の丸山九段も「連盟の決定には賛成しかねる」と語っていた。今後の推移を見守りたい。

 「相棒シーズン15」が始まった。反町隆史は視聴率低迷の〝戦犯〟扱いされているが、脚本の質が落ちていることは否めない。「十津川警部シリーズ」(TBS系)では、体調不良で渡瀬恒彦が降板した。引き継ぐのは内藤剛志という。渡瀬、内藤といえば刑事ドラマの常連で、「相棒」の水谷豊とともに名推理を披露している。

 テレビの影響か、<日本の警察は優秀>と信じている人も多いが、京都で読了した「黒い迷宮」(リチャード・ロイド・パリー著、濱野大道訳/早川書房)で、著者は<犯罪に距離を置く多くの日本人が、警察に無能をカバーしてきた>との見解を述べている。併せて司法制度の矛盾を指摘していた。

 サブタイトルに〝ルーシー・ブラックマン事件 15年目の真実〟とあるように2001年7月、英国人女性(当時21歳)が失踪した事件の真相に迫っている。ハルバースタムや佐野眞一を囓った程度の俺だが、本作はこれまで読んだノンフィクションで白眉と感じた。英国生まれのパリーは長年、東京で活動しているジャーナリストである。

 ルーシーは幼馴染みのルイーズと日本にやってきた。主たる目的は借金返済である。欧州の若い世代にとって、<日本は社会的不適応者を引き寄せる魅力的な場所>らしい。01年といえば、バブルは既に崩壊していたものの、100万円単位なら手軽に稼げるという情報がネットで流布していた。ルーシーは「家族から自由になりたい」という切実な思いも抱えていたが、いずれにせよ、日本は彼女にとって数カ月のシェルターのはずだった。

 ルーシーは六本木にあるクラブのホステスになる。若くて美しい欧米女性のみを採用しており、客はといえば金回りのいい自営業者やサラリーマンだ。そこは純粋に会話を楽しむ場所で、接待費で落とすことも可能だった。来日後2カ月で常連客がつき、海兵隊の恋人も出来た。これからという時、ルーシーは姿を消す。

 店も住まいも同じルイーズは警察に駆け込むが、門前払いを食らい、共犯者扱いされる始末。犯人の目くらましの通報に引っ掛かり、初動捜査の対象は宗教団体だった。以前に失踪した外国人女性の友人、命は助かったものの暴行された女性が警察を訪れたこともあったが、相手にされなかった。その都度きちんと捜査していれば、ルーシーの件は確実に防げただろう。

 ルーシーの両親は離婚していた。家を出て再婚した父ティム、母ジェーンとともに暮らす妹ソフィーが来日し、メディアに対応する。ちなみにティムは、被害者の父にそぐわぬ言動で、本国でもバッシングを浴びることになる。事大主義の警察は、ティムがブレア首相に直接訴えたことで本腰を入れる。メディアも巻き込んだ大騒動になり、警察はかつて放置した訴えに注目する。

 六本木は俺にとって完全なアウエーだが、事件が起きた00年前後、知人に誘われ深夜に足を運んだことがある。見栄えのいい欧米人が練り歩き、イラン人とイスラエル人が売る薬が蔓延していた。暴力沙汰も頻繁だったが、治外法権の租界の如く、警察の介入は希だった。六本木は〝日本のダブルスタンダード〟を象徴する街といえる。

 ルーシー失踪に関わる容疑者として織原が逮捕される。数々の余罪が明らかになり、状況証拠も揃っていた。織原は迷宮に潜む魔物で、無数のプリズムで乱反射した光が吸収され、影さえ見えない。闇の濃さで匹敵するのは麻原彰晃ぐらいだろうか。

 織原は大阪生まれの在日2世で、一代で財を成した父が急死すると、母や兄弟とともに莫大な遺産を相続する。学生時代から友人は皆無で、意識的に自身の痕跡を消していた。バブル期は事業で利益を挙げたが、意識を失わせた上で陵辱した女性たちを除き、他者と交わることは一切なかった。著者は日本と朝鮮半島の歴史、日本における深刻な差別にページを割くなど、あらゆる角度から織原の実像に迫ろうとする。

 自己破産した織原だが、恐らく親族から援助されていたのか、〝主任弁護人〟として弁護団を指揮する。織原は著者の皇室関連の記事について、「そのうち右翼の攻撃を受ける」と予言し、その通りになる。不可視の人脈と底で連なっていたのだろう。日本の闇社会に精通し、本作にコメントを寄せている宮崎学氏でさえ、織原の謎を解き明かせなかったようだ。

 織原の魔性と闇は、既に崩壊していたブラックマン一家を苛み、ルーシーの知人にも浸潤する。著者は取材した人々の心象風景に迫っていた。母ジェーンとルーシーの思いが交錯するラストに痛みは和らぎ、救いを覚えてページを閉じた。
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冷え込む京都から雑感あれこれ

2016-10-11 21:36:04 | 独り言
 めっきり涼しくなった京都から更新している。手短に記したい。

 俺の帰省に合わせるかのように、皇太子が植樹祭で京都を訪れた……。なんて書くと時代が違えば不敬罪だが、母の暮らす施設でも入居者一同、沿道に出て歓迎したようだ。今や護憲派のシンボルになった皇室に対し、多くの国民が敬意を抱いている。「憲法の無意識」(岩波新書)で柄谷行人が記したように、昭和天皇が死んだ1989年、象徴天皇制が実質的にスタートした。

 従兄弟宅で飼っている熟女猫ミーコとすっかり仲良くなった。そのミーコは便秘に悩んでいて、トイレで何度もうずくまり、苛立って砂をまき散らしている。たまに外に出て走り回るなど運動は足りているはずだが、猫も人間同様、年を取ると胃腸の働きが衰えるのだろう。俺も頻繁に便秘になる。

 従兄弟と話しているとなかなか楽しい。元自民党の参議院議員だが、経歴から想像できないほどリベラルで、<フィリピンの貧困救済>をライフワークに、頻繁に当地を訪れている。土産買い出しに付き合ったが、フィリピン人が大好物というシーフードヌードルを大量に購入していた。今月末、同国のドゥテルテ大統領が来日する。従兄弟によれば、スキャンダルと無縁で清貧のイメージを維持していることが人気の理由で、貧困層、左派の支持も高いという。祖父が中国人でもあり、中露との接近を公言している。

 大学で生物学を専攻した従兄弟は長年、自然と人間の調和にも関心を抱いている。日本ではなぜ、<環境保護>や<生物多様性>が他の先進国のように浸透しないのかと問うてみた。日本は戦後、一貫して<成長=量的増加>を国是としてきた。現在の安倍政権もその傾向は顕著で、<成長のためには環境破壊(原発再稼働)もやむなし>を前提に教育を推し進めてきたと、文教族だった従兄弟は言う。

 <脱成長>と<半農半X>を掲げ、TBS、日経、NHK、はたまた立ち位置が異なるフジテレビにまで登場する高坂勝氏(緑の党前代表)だけでなく、多くのミニマリストがメディアで紹介されているが、大きなうねりにならない。集団化、上意下達を好む日本人は、国家の意思の反映である教科書に縛られる。教科書に<他の生命体や環境を重視することの価値>が盛り込まれない限り、空気を変えるのは難しく、結果として緑の党は欧米のように伸びないと、従兄弟は結論付けていた。

 俺は常々<アメリカの虚妄の2大政党制>を斬ってきたが、ヒラリーVSトランプの第2回討論は目を覆いたくなる内容だった。トランプは2007年、WWEの舞台でオーナーのビンス・マクマホンと丁々発止を展開していた。かのビンスに引けを取らない表現力に瞠目させられたが、今のトランプは当時とさほど変わらない。そんな男が共和党で勝ち抜いたことが、アメリカ民主主義の絶望的なレベルを示している。

 あす帰京し、金曜日から2泊3日で北海道へ行く。9日は「豊洲移転」、10日は「格差と貧困」をテーマに宇都宮健児氏が講演した。16日は毎年2万人が集まる「土と平和の祭典」(日比谷公園)に緑の党として「グリーンマルシェ」を出店する。その他、映画会を含め、様々なイベントをパスすることになった。それを申し訳なく感じる俺は、意外に真面目なのかも……。
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ノルウェー発「ジャーナリスト事件簿」に感銘を受ける

2016-10-08 23:23:35 | 映画、ドラマ
 京都から更新している。親戚宅(寺)に寄宿し、母が暮らすケアハウスに通う日々が当分続く。

 羽生3冠が糸谷八段の挑戦を3連勝で退け王座を守った。羽生は第2期叡王本戦トーナメント初戦で第1期を制した山崎を下し、「人類VSコンピューター最強対決」に一歩近づいた。羽生という巨大な壁に行く手を阻まれた糸谷と山崎は、共に森信雄門下だ。森の一番弟子である故村山聖八段の短い生涯を追った「聖の青春」(大崎善生著)が映画化され、11月に公開される。

 原作を読んでいるが、HPにアップされた予告編を見ただけで号泣状態になる。死を踏まえて全力で生きた村山に、難病と闘って斃れた妹が重なってしまうからだろう。映画館にはタオル持参で足を運ぶつもりだ。村山を松山ケンイチ、羽生を東出昌大が演じるか、キャスティングの妙と感じたのは森役のリリー・フランキーだった、

 WOWOWといえばスポーツと映画がメーンコンテンツだが、最近はドラマの充実が著しい。オリジナルドラマの質は地上波を凌駕しており、海外ドラマも話題作、問題作が次々にオンエアされる。時間に限りがあるので年に数本、決め打ちしているが、録画していた「ジャーナリスト事件簿~匿名の影」(再放送、全6話)を先日、一気に見て、深い感銘を覚えた。

 「ミレニアム3部作」以降、世界を席巻する北欧ミステリーの一作で、舞台はノルウェーだ。続編製作が決定し、アメリカのFOXがリメーク権を入手したことも話題になっている。ネットなどITをフルに活用しながら、人間の心の深層に迫っていく作品で、デジタルとアナログの見事なコラボといえるだろう。

 ノルウェーといえば最新の調査で,民主主義度世界1位、報道の自由度世界3位にランクされている。自由の精神、政治参加、情報公開、社会福祉が浸透した国だが、本作の背景にあるのは、政官財に加え大学、教会、メディアが醸成する濃密な闇だ。「日本とあまり変わらないな」と妙に安心してしまう。

 軸になっているのは、<兄弟の相克と和解>だ。冒頭では毎話、同じ回想シーンが流れる。逃げる弟を追う兄が映し出され、棒が振り下ろされたかに思えた刹那、フェードアウトする。三十数年後、真逆の構図がノルウェーを震撼させる。敏腕ジャーナリストのペテルが、匿名の情報を元に金融界の大物である兄ダニエルの横領を暴露したのだ。

 兄を告発したペテルに、世間は厳しい目を向ける。経済犯罪局の捜査でシロとされたから尚更だ。ペテルを家に呼んだダニエルは息子アンドレアスの保護を依頼した直後、自殺した。その日からペテルはアンドレアスにとって憎悪の対象になる。ダニエルはペテルとだけでなく、牧師である父トーレとも大きな確執を抱えてきた。

 収束したかに思えた事件だが、ペテルの元に信じ難い情報がもたらされる。元恋人で犯罪捜査局員のヴィビケから「匿名の告発メールを送ったのはダニエル自身だった」と伝えられるのだ。数年後、ペテルとダニエルの妻エヴァ立ち会いの下で閲覧することを条件に、ダニエルの弁護士から資料が届く。

 俺を含め日本人が本作を正しく理解出来ないのは、キリスト教が底にあるからだ。共犯者たちの絆は、信仰を守るため息子イサクを焼き殺したアブラハムの行い(創世記)に則っていた。<沈黙を守れば子供に手を出さない>という黙契が、ある事件によって<掟を破れば子供の命はない>の脅しにすり替わり、ペテルの目前で兄を含め3人の男が自ら命を絶つことになる。ちなみに、アブラハムを父トーレ、イサクをダニエルに置き換えることも可能かもしれない。

 エヴァ、アンドレアス、そして元上司マティーセンも真相究明に協力するが、最も貢献したのは犯罪捜査局を辞したヴィビケだった。黙契を脅しに替えた張本人を知った上で再度見てみると、伏線はしっかりちりばめられていた。勘の鋭い人なら途中で気付くかもしれない。

 北欧発の映画やドラマで感嘆させられるのは生活水準の高さだ。ノルウェーの1人当たりのGDPは日本の倍近いし、住居も立派だ。国の成り立ち、作り方を日本はどこかで間違えてしまったのだろうか。
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幸せ、そしてPANTAさん~充実した週末

2016-10-05 21:50:44 | カルチャー
 人生とは、絆とは、愛とは、そして幸せとは……。10日後に還暦を迎える俺だが、いまだ答え探しの日々が続く。情けない話だ。先週末(1日)は午後から「ソシアルシネマクラブすぎなみ」(高円寺グレイン)、夕方からはPANTAのワンマンライブ「悪たれ小僧」(新宿MARZ)の充実したダブルヘッダーだった。

 映画の方は「幸せの経済学」(10年)と「happy――しあわせを探すあなた」(12年)のドキュメンタリー2本立てだった。「幸せ」という言葉の響きが女性を引き寄せるのか、男性はイベントの主宰者の加藤さんと大場さん以外、俺一人だった。両作はともにGNP、GDPからの解放と新しい生き方を志向している。

 「幸せの経済学」のヘレナ・ノーバーグ=ホッジ監督は語り手も兼ねていた。俺は常々<反グローバリズム>を主張しているが、〝反〟ではなく地に足を着けた方向性を示していた。ホッジ監督は地産地消、自然との調和、持続可能な社会を繋ぐ<ローカリゼーション>を掲げ、世界の動きを追っている。小川町(埼玉県)のフィールドスタディーも紹介されていた。

 「happy――」は絆を軸に幸せの形を追求する。キーワードは<GNH=国民総幸福量>だ。本作も日本に時間を割き、過労死した自動車メーカー社員と沖縄の長寿の島を対比していた。<コミュニティーで育まれる絆こそ幸せの扉>という結論に違和感を覚えてしまう。温かく湿り気のあるコミュニティーで、ひねくれ者の俺は孤独を感じるに違いない。だからこそ20歳前に東京砂漠を選んだのだ。

 高円寺から新宿に向かい、駅のコインロッカーにバッグを預ける。MARZにかなり近づいた時、チケットをバッグにしまったことを思い出してUターンする。うっかりが最近、あまりに多過ぎる。

 PANTAワンマンライブ「悪たれ小僧」は1時間弱ずつで休憩が入り、アンコールを含めて3部構成になっていた。インタバルの長さに、PANTAさんの体調が少し心配になった。別稿に記したが、俺は反原発集会に「PANTA隊」の一員として参加し、その人柄に魅せられた。だから、〝さん〟付けすることにする。

 頭脳警察(1970年デビュー)はパンクの先駆けだったし、PANTA&HAL時代の「マラッカ」(79年)と「1980X」(80年)はコンセプト、サウンド両面で世界の最先端を走っていた。日本のロック界随一のカリスマといっていいPANTAさんは優しい人で、一期一会の貴重な時間、不躾な問いにも丁寧に答えてくれた。

 PANTAさんは様々なユニットでアルバムを製作し、ライブ活動を展開している。当夜は菊池琢己ら付き合いの長い面々とともに、ロック色の濃いパフォーマンスだった。MCでは親友の死、「沈黙-サイレンス」(マーチン・スコセッシ監督、来年公開)でキリシタンを演じたことに言及していた。

 第1部はレア曲が多かった。ルースターズ解散直後の花田裕之が製作に加わった「PISS」から、タイトル曲と「タンバリン」を演奏する。ちなみに、オルタナミーティング代表でもある上記の大場さんは、PANTAさんと花田の共演を企画するも、諸般の事情で頓挫した。来年以降の実現を期待している。

 「夜と霧の中で」や「万物流転」も聴けたが、俺にとってのハイライトは、「ココヘッド」~「ネフードの風」~「ルイーズ」~「つれなのふりや」と続く2部の冒頭だった。開演前から3時間半、立ちっ放しで、膝はガクガクになった。

 PANTAさんだけでなく、友川カズキや遠藤ミチロウも、輝きと気魄は還暦を超えても失せることはない。干からびた老人にならないためにも、彼らのライブに触れてエネルギーを注入していきたい。
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モリッシーという強力な磁界に閉じ込められて

2016-10-02 20:26:17 | 音楽
 新潟知事選が告示された。泉田知事の唐突な出馬辞退に、闇の力を感じたのは俺だけだろうか。野党統一の枠組みは壊れ、原発再稼働に与する民進党は自主投票だ。年内解散が囁かれる今、民進党が連合とともに自公に合流する可能性さえ囁かれている。

 アメリカでは〝擬制の2大政党制〟が維持されそうだ。ヒラリー支持を表明したサンダースに、「なぜ第三極を目指さないのか」という批判の声が上がったが、選挙戦が始まるとメディアの洗脳もあり、民主、共和以外、政党は存在しないことになる。

 「トランプもヒラリーも最悪。アメリカから逃げてきた(先週まで当地でツアー)僕は賢明だった」……。米大統領選をぶった斬った男のライブを29日、オーチャードホール(渋谷)で見た。男の名はモリッシーである。

 スミスの1stアルバム(1984年)の帯に〝20年ぶりの衝撃〟と記されていた。即ちビートルズ以来ということだが、レーベル担当者は予知能力の持ち主だったのだろう。♯1「リール・アラウンド・ザ・ファウンテン」の回転がずれたような音に、俺は異世界に誘われた。

 実働5年、オリジナルアルバム4枚で87年に解散したスミスは、NMEのファン投票で<20世紀最高のUKバンド>〟の項で1位に選出された。コーチェラフェス(アメリカ最大規模)の主催者は毎年、「メーンステージのヘッドライナーとしての再結成」をオファーし、モリッシーとジョニー・マーが固辞するのがお約束になっている。

 ライブの構成は斬新だった。開演から30分、ピストルズ、ニューヨーク・ドールズらモリッシーが敬意を払うアーティストの映像がスクリーンに流される。<僕のことをもっと知ってほしい>というモリッシーのメッセージなのだろう。日本風のお辞儀で始まったライブは、2曲目の「エブリデイ・イズ・ライク・サンデー」など、ソロキャリアの代表曲がセットリストに含まれていた。スミス時代の曲は「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」だけだった。

 一番聴きたかった「モンスターが生まれた11月」がセットリストになかったのは残念だった。「モンスター――」のラスト、醜い少年(=モリッシー)は街に出る。導いたのはマーだが、2人は87年に袂を分かつ。ロック史に残る〝男たちの悲恋〟から30年、両者に歩み寄る気配はない。

 女王を「あの陰険な女」と呼び、キャメロン元英首相をぶった斬る。その政治的発言が世界中で話題になるが、ある〝不敬〟でロックファンの不興を買った。マンチェスター公演で今年亡くなったレジェンドに弔意を表したが、かつて親密だったデヴィッド・ボウイの名がなかった。マーといいボウイといい、仲違いすれば絶対許さないのは、病的な潔癖さゆえだろう。

 ソロになって以降の10作を繰り返し聴いて予習した。どのアルバムもクオリティーは高いが、進化は感じない。作詞はすべてモリッシーで、作曲を担当するアラン・ホワイトやボズ・ブーラーらとともに不変の世界を形成している。ソプラノとともにモリッシーのウリといえるビルドアップされた上半身を、1曲目途中から晒していた。

 スミス時代、「クイーン・イズ・デッド」(85年)というタイトルのアルバムを発表するなど、モリッシーは30年以上、<権力者を攻撃し、弱者とアウトサイダーの側に立つ>という姿勢を貫いてきた。10代の頃は引きこもりでパートナーは男性という自身の体験から、社会的不適応、登校拒否、LGBT、格差と貧困をテーマに曲を書いてきた。反戦主義者で菜食主義者のモリッシーの根底にあるのは、<動物であれ人間であれ何も殺さない>という<生物多様性>の概念である。

 今回の来日公演で、モリッシーを唯一無比と見做すファンと絆は深まった……と言いたいところだが、残念な事態が起きた。必要なステージセットを設置出来ないという理由で、横浜公演がドタキャンされる。そういえば、フジロックでも同様なことがあった。57歳のモリッシーは〝がんぜない子供〟のままで、次の来日は難しそうだ。

 最後に、モリッシーにすれば動物虐待以外の何物でもない競馬の予想を……。日本馬が出走する海外GⅠの馬券が購入出来るようになった。第1弾の凱旋門賞はアイリッシュのモリッシーにちなみ、アイルランド馬ファウンドを軸にして馬券を買うことにする。
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