酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

桜満開の時節、「バイバイ、ブラックバード」と「去年の冬、きみと別れ」に痺れる

2018-03-28 20:35:48 | 映画、ドラマ
 上野公園から不忍池というコースで花見を楽しんだ。半袖の白人、ヒジャブを被ったムスリムの女性、アジアからのツアー客と道行く人々は国際色豊かである。<桜という文化>に親しんでいるのは外国人の方かもしれない。

 同行した知人は先週、留学時代の仲間と北京を訪れ、天安門広場に向かったが、警備が厳しく近づけなかったという。金正恩訪中を控えた準備だったかもしれないが、<広場の文化>は中国で失われている。東京でも深刻な事態が進行中だ。29日に都議会を通過する「東京都迷惑防止条例法案」は、警察が集会やデモの参加者を恣意的に逮捕出来るという共謀罪に匹敵する悪法だ。

 10代が立ち上がり銃規制を求める大規模な集会が開催されたアメリカだけでなく、韓国、台湾、香港でも<広場の文化>は健在だ。100万近い人々が街を〝占拠〟しているが、日本では完全に失われた。森友問題で政権が倒れない日本は、他の先進国からは独裁国家と映っているに相違ない。

 還暦過ぎても読書を修行と考えている俺には、<ミステリーやサスペンスは映像化作品で接する>という決め事がある。伊坂幸太郎の原作も映画は数本見たが、読んだのは「キャプテンサンダーボルト」(阿部和重との共作)と「死神の精度」だけだ。

 「バイバイ、ブラックバード」(WOWOW、全6話)を録画してまとめて見た。筋の悪い借金を背負った星野(高良健吾)は2週間後、〝人間として生活を送れない場所〟へバスで運ばれる。猶予期間中、5人の恋人に別れを告げる星野に婚約者として付き添うのが繭美(城田優、女装)だ。5人との馴れ初めが回想シーンで描かれ、柔らかくなった空気を繭美が破る。

 草食系で培養液のように女性を癒やす星野、肉食系で粗暴な繭美……。対照的な二つの魂は次第に相寄り、繭美の刺々しさの奥に潜む絶望と孤独が浮き彫りになる。繭美が持ち歩く辞書は、肯定的な意味を持つ言葉の数々(例えば「人助け」)が塗り潰されている。

 時代設定といい、星野と繭美の存在感といい、リアルと曖昧が象る緩い空間に迷い込む。余韻が去らぬエンドマークの先、何が起きるか想像してみた。星野と繭美の会話が肝で、5人の女性もチャーミングだった。「ブラックバード」はビートルズ、「バイバイ、ブラックバード」はジャズのスタンダードで、歌詞はともにドラマの内容とマッチしている。

 「去年の冬、きみと別れ」(18年、瀧本智行監督)を新宿で観賞した。中村文則の原作は4作、映画化されているが、見たのは「最後の命」(2014年、松本准平監督)に次いで2本目になる。

 小説(13年発表)をブログで紹介する際、中村について辛口に評した。<不満を覚えるのは重量感のなさで、本作を読み終えるのに3時間かからなかった。(中略)饒舌な長編を切に願っている>と……。俺の願いは叶った。「教団X」(14年)と「R帝国」は現在の日本を照射する重厚な長編だった。

 冒頭、ワーナーブラザーズのロゴがスクリーンに大写しになる。中村の作品はNYタイムズやウォールストリート・ジャーナルなどで年間ベストテンに選出されているから、本作も全米で公開されるのだろう。興味深いのは、日米で捉え方が異なる点だ。亀山郁夫前東京外大学長が<ドストエフスキーが追求したテーマを21世紀の日本に甦らせた>と評するように、日本では純文学の旗手と見做されているが、アメリカではミステリー作家にカテゴライズされている。

 若い女性が館内を占めていたことに驚き、帰宅後〝復習〟して、主役のフリーライター、耶雲(=中園)を演じた岩田剛典がEXILEのメンバーだと知る。耶雲と対峙する木原坂(斎藤工)は「地獄変」(芥川龍之介)の絵師に自分を重ねる悪魔の如きカメラマンだ。後半に進むにつれ、耶雲の佇まいが木原坂に近づいていく。

 映像化不可能とされた原作は「2章」→「3章」→「1章」で再構成され、秀逸なエンターテインメントとして完結する。中村ワールドに頻繁に登場する〝絶対者〟はある時点まで木原坂の姉朱里(浅見れいな)で、〝あらかじめ失った者〟を耶雲が体現していた。この3人を繋ぐ編集者の小林(北村一輝)、耶雲の婚約者である百合子(山本美月)も重要なキャストだが、タイトルに含まれる「きみ」、そして〝闇の司祭〟の正体がラストで明らかになる。

 原作では<資料>と名付けられた各章に、雄大や朱里を巡る経緯、主観不明のモノローグや会話が挿入され、時空を超えて遡行していく。細部まで仕掛けが施されていたが、映像化された本作では痕跡が鮮やかに示されていた。

 憎しみとは、狂気とは、全てを擲ってもいい愛とは……。こう問い掛ける本作は、原作を超えたと思う。中村自身、同じように感じているのではないか。「ユージュアル・サスペクツ」に迫るドンデン返しというのは褒め過ぎかな。
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3・11から7年~「さよなら原発集会」に参加して

2018-03-24 19:00:30 | 社会、政治
 雨、霙、雪で日中も零度近くだった春分の日、「さよなら原発全国集会」(代々木公園)に「オルタナプロジェクト」ブーススタッフとして参加した。運営に携わるメンバーが様々な理由で来られず、震えながら悪戦苦闘した。

 3・11から7年、原発事故で自主避難した人たちを取り巻く状況は厳しさを増す一方だ。国連人権理事会(19日)で、大阪で家族と暮らす女性が支援の継続に加え、「低年齢層の被曝を防ぐよう力を貸してください」と訴える。参加44カ国から出された217項目の勧告を理事会は採択した。日本は既に、人権後進国と見做されているようだ。

 良心的な医師たちの報告を見ると、チェルノブイリ事故後のベラルーシやウクライナで起きた放射能汚染の拡大を、福島が後追いしていることが理解出来る。両国が体内被曝を最小限に食い止めるため、どれほどの策を講じているかについて、当ブログで繰り返し記してきた。

 原発関連の番組が幾つか放映された。田原総一朗が司会を務める「激論!クロスファイア」(BS朝日)では、政府のエネルギー政策に関わってきた推進派の柏木孝夫氏(東工大特命教授)と「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟会長」の吉原毅氏(城南信用金庫相談役)が討論していた。

 吉原氏は経済人として詳細な数字を示して脱原発を主張する。欧米の金融機関の〝査定〟のみならず、安倍政権に近い竹中平蔵、高橋洋一両氏でさえ原発は非効率と考えているが、野党6党が「原発ゼロ法案」を提出した際、安倍首相と世耕経産相は「無責任」と言い放った。日本は脱原発にシフト出来ない理由のひとつに、かつて湯川れい子さんが反原発集会で言及した<原子力(ウラン)マフィア>の影が窺える。

 柏木氏が指摘したように、「自然エネルギー100%」は夢物語の可能性も否定出来ない。「脱成長ミーティング」で松久寛京大名誉教授は<再生可能エネルギーが世界を救う>という理想を科学者の目で否定していた。危険極まりなく高コストの原発はもっての外だが、それ以外の化石燃料と自然エネルギーをミックスしていくのが、現実的な道程だと思う。

 あいにくの天候で本やTシャツの物販は難しかったので、供託金違憲訴訟などの署名集めと、「高円寺グレイン」で開催される映画上映会の告知にとどまった。第28回ソシアルシネマクラブすぎなみ上映会「コスタリカの奇跡」(4月21日)と第16回オルタナプロジェクト「遠藤ミチロウ シネマナイト『お母さん、いい加減あなたの顔を忘れてしまいました』」(4月25、26日)である。

 ブース訪問者は途切れなかった。原発や環境問題に関心のある人たちにとって、緑の党がブランドであることを再認識する。オーストラリアの元国会議員、映画「獄友」(24日公開、陣内プロデューサーは緑の党会員)関係者らとの交流も有意義だった。見栄えのいいパネルを掲示したことで、映画会のチラシも大量にさばけた。

 これまで通り、供託金問題の反響が圧倒的に大きかった。<OECD34カ国のうち22カ国で供託金はなく、残りの国も大半が10万円以下。日本の300万は異常で、安倍政権が貧困層を切り捨てているのは弱者の声が政治に反映しないから。供託金廃止こそ封建制打破と民主主義のスタートライン>……。こんな説明を繰り返すのが役目だったが、多くの人は俺以上に事の本質を掴んでいて、次々に署名してくれた。

 反原発、反安倍と同じ側に身を置きながら、「供託金をなくしたら、安倍首相に近い有象無象が大量に立候補して選挙は混乱する」と突っかかってくる人がいた。4月13日の次回公判で、供託金違憲の判決が出たアイルランドで起きた事態が検証される。傍聴し、説得力ある論拠を示せるようになりたい。

 21日夜のニュースは平昌五輪メダリストの凱旋パレード、枝野幸男立憲民主党代表の森友問題を巡る街頭演説を伝えていた。枝野氏の顔を見るたび、官房長官当時の「(放射能は)直ちに影響はない」を思い出す。物忘れが酷い俺だが、執念深い質なのだろう。翌日の朝刊で唯一、集会を取り上げたのは、信頼に足る
唯一のメディアである東京新聞で、カラー写真が1面に掲載されていた。

 阪神・淡路大震災時は自身の痛みとして感応出来なかったのに、3・11で俺は大きく変わった。簡単にいえば、〝人間になった〟ということ。55歳まで、俺は冷血動物だったのだ。悲劇をきっかけに、俺は新たな絆と仲間を得た。翌年の妹の死もあり、〝残り少ない時間をいかに生きるか〟を考えるようになる。自分自身の<過去-現在-未来>を繋ぐテーマに、これからも関わっていきたい。

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「ZAN~ジュゴンが姿を見せるとき」&「沖縄と国家」~沖縄を抉る硬軟のナイフ

2018-03-20 19:12:03 | 社会、政治
 NHK杯決勝で山崎隆之八段が稲葉陽八段を破り、13年ぶり2度目の優勝を果たした。独創的な山崎、踏み込みのいい稲葉が紡ぐスピーディーでエキサイティングな展開に魅了される。煌めく才能で〝棋界のプリンス〟と称された山崎だが、後輩たちに追い抜かれた感は否めない。来期のA級昇段に期待する。

 森友問題で安倍内閣が倒れても、小渕内閣以降の保守化、アメリカ化、集団化の流れは変わらない。「虚人の星」(島田雅彦著)ではないが、追い込まれた自民党が小泉進次郎筆頭議員を前面に押し出せば国政選挙では負けない。社会の構造を覆さない限り、永遠に政局絡みの動きに踊らされるだけだ。

 ブログに記したが、戦争法の時も俺はシラけていた。国会前で知識人や国会議員のアピールを耳にするたび、違和感どころか怒りさえ覚えた。〝臍曲がりの政治音痴〟ゆえと考えていたが、〝真実〟に思い至る。戦争法や憲法に言及する際、必要不可欠なピース、即ち<沖縄>と<日米安保>が避けられていることに気付いた。

 先週、沖縄を抉る硬軟両様のナイフに触れた。まずは〝軟〟から。第27回ソシアルシネマすぎなみ上映会(高円寺グレイン)で観賞した「ZAN~ジュゴンが姿を見せるとき~」(17年、リック・グレハン監督)は。絶滅危惧種ジョゴンを探して辺野古・大浦湾を訪ねた青年(木佐美有)を追っていた。

 野古移設反対運動、日米両国が一体になった弾圧が後景に描かれているが、メーンテーマは生物多様性、環境との調和、そして絆だった。前稿で紹介した「シェイプ・オsブ・ウォーター」が提示した世界観を共有している。イライザは「彼を助けなければ、私たちは人間ではない」と決意を示したが、本作で彼と重なるのがジュゴンだ。

 態系を守ることは、平和と非戦に繋がる……。木佐美をはじめメッセージを伝えた人々の思いは共通していた。「美しい国、日本」を掲げた安倍首相は、原発再稼働とTPPで自然を破壊するだけでなく、日本人の倫理、良心、矜持を葬ろうとしている。心身とも醜くなった国を立て直すのに、どれだけの時間がかかるのだろうか。

 切っ先鋭いメスで俺の違和感の正体を抉出したのが辺見庸と目取真俊の対談集「沖縄と国家」(⒘年、角川新書)である。目取真は沖縄出身の芥川賞作家(辺見も)で、現在は筆をおく形で辺野古移設反対運動に取り組んでいる。両者はともにラディカルな一匹狼で、互いの中に自身の影をみていた。

 <平和憲法によって日本は戦争と無縁だった>というのは世迷い言に過ぎない。米兵が戦場に向かうための発進地を保証している日本は〝共犯〟で、日本人の手もとっくに血塗られている。リベラルはなぜ、真実を捨象するのだろう。<沖縄は日本ではない>という前提を無意識のうちに受け入れているのだろうか。

 <今オキナワに必要なのは、数千人のデモでもなければ、数万人の集会でもなく、一人のアメリカ人の幼児の死なのだ>……。辺見は目取真の小説の一節を〝犯行声明〟として紹介している。肉体を賭して権力と対峙している目取真ならではの暴力論だ。

 「市民として抗議する」というアピールに、<非暴力=善>という発送が潜んでいる。だが、国家という暴力装置に対峙する側も、表現の仕方はともかく、暴力の内在化が必要だと思う。反戦争法の国会前集会で、辺見が、そして60年安保闘争を領導した全学連委員長の唐牛健太郎の評伝「唐牛伝」の著者、佐野眞一が抱いた違和感は、〝あまりにも薄い暴力〟だった。

 沖縄と日米安保を射程に含めず反戦争法や護憲を語っても意味がない。政治の言葉の血肉化を語りつつ、危険な二人は〝共謀〟していた。本書に感銘を覚えた俺も、〝危険分子〟なのだろうか。
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「シェイプ・オブ・ウォーター」~官能的なラブファンタジー

2018-03-16 10:23:19 | 映画、ドラマ
 物忘れの酷さをぼやいていたら、同世代の知人に<藤井聡太を見ればわかるが、人間の脳は10代で進化し、齢を重ねるごとに衰えていく。若い頃に怠けていたおまえが、50代になってインプットしたって、処理できるはずがない>と言われた。的を射た指摘に返す言葉もない。

 NHKBS1で「眠りの科学」(16年、再放送/カナダ制作)を見た。質量とも適切な眠りが記憶を蓄積させ、直感や創造力を育むことが、実験データを踏まえて示されていた。睡眠時間の短い人は食事量を調節する機能が衰え、肥満になりがちだという。夢と日常の関連も興味深かった。

 発病寸前であるアルツハイマー病の原因物質アミロイドβは、適正な睡眠によって脳内から排出される。防ぐための第一は7時間眠ることらしい。仕事中の爆睡は周りに迷惑だが、仮眠は脳の活性化に役立つと知り、少し安心した。

 別稿(3月2日)で「スリー・ビルボード」をオスカー最有力と予想したが、作品賞に輝いた「シェイプ・オブ・ウォーター」(17年、ギレルモ・デル・トロ監督)を新宿で観賞した。愛の意味を問うファンタジーで、俺は2時間余、夢と現の境界を陶然と彷徨う。3月初旬に公開されたばかりなので、興趣を削がぬようストーリーの紹介は最小限にとどめたい。「スリー――」と拮抗する傑作である。

 デル・トロは監督としてだけでなく、30年にわたって脚本家、プロデューサーとして映画に関わってきた。監督作「パシフィック・リム」(13年)について、<頭脳と肉体、科学と魂、光と闇のコントラストが鮮やかなファンタジー>(要旨)と記した。「シェイプ――」も同様で、デル・トロが志向するものは一貫している。

 米ソの緊張がピークに達した1962年、ボルティモアにある「航空宇宙研究所」が舞台だ。予告編では<地味な女性と異種との恋>という印象だったが、そこはデル・トロ、キャラクター作りに秀でている。主人公のイライザ(リリー・ホーキンス)は、研究所で働く深夜シフトの清掃員だ。発語障害を抱え、手話でコミュニケーションする。〝通訳〟は同僚のゼルダ(オィタヴィア・スペンサー)だ。

 冒頭、バスルームでのイライザの自慰のシーンで、〝地味〟という先入観は吹っ飛ぶ。プラトニックにとどまらない、エロチックな愛の形を予感した。タイトルは訳せば<水の形>だ。本作で<水の形>は<愛の形>に通じる。水とは人を潤し癒やすもの、中和し育むもの、そして再生への培養液……。研究所に南米から謎の生命体(ダグ・ジョーンズ)が運び込まれ、水槽で〝飼育〟される。

 イライザは半魚人の如き彼と交流するようになる。手話をたちまち理解する知性、豊かな感情、神々しい気品を併せ持っていた。「ゴジラ」など日本の特撮に多大な影響を受けたデル・トロは、〝異形の者たちの哀しみ〟に寄り添っている。孤独の闇に佇むイライザと彼……。二つの相寄る魂が、本作を神話へと飛翔させた。

 イライザは発語障害、彼女と同じアパートで暮らす画家のジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)はゲイ、ゼルダは黒人、ホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)はソ連のスパイ……。欠落した者、秘密を隠す者たちは身を賭して突飛な行動に出る。「彼を助けなければ、私たちは人間ではない」というイライザの台詞に、メキシコ出身のデル・トロの世界観が表れている。

 主人公たちと対峙するのは、研究所で警備を担当するストリックランド(マイケル・シャノン)だ。元帥の意に沿うためには殺人も辞さない男である。話は逸れるが、ワイドショーを見ていたら、田崎史郎氏が昵懇の安倍首相と官邸を必死にかばっていた。ストリックランドと表現は異なるが、田崎氏も〝権力の犬〟の醜さを体現している。

 キューバ危機、黒人による抗議運動だけでなく、本作には1962年当時の世相がテレビ画面を通して映し出されていた。イライザとジャイルズの好みは少し古めのミュージカルのようだ。登場人物それぞれのテーマ曲が流れるなど、細かい点まで工夫が凝らされた作品だった。
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「R帝国」~中村文則が提示するリアルなデストピア

2018-03-12 22:01:42 | 読書
 東日本大震災から7年、この間に感じたことは別稿で記したい。代々木公園で開催される反原発集会(21日)にはブーススタッフとして参加する。

 自殺した財務省職員の苦悩はいかほどだったのか、想像するに余りある。冥福を心から祈りたい。この経緯に、「悪い奴ほどよく眠る」(黒澤明監督)を重ねた方も多いはずだ。火口に飛び込む寸前の公団管理部長(志村喬)を助けた西(三船敏郎)が、汚職の闇に迫るというストーリーである。

 証人喚問逃れで辞任した佐川国税庁長官でさえ〝被害者〟に見えてしまう。居座りを画策する麻生財務相、国家を私物化する〝最も悪い奴〟安倍首相を高枕で眠らせてはいけない。映画公開から60年、この国は何も変わっていないどころか、明らかに劣化していることを実感した。。

 前稿で紹介した「ロープ/戦場の生命線」は〝戦闘シーンなき戦争映画〟だったが、戦争を後景に据えた中村文則の「R帝国」(17年、中央公論新社)を読了した。突発的に起きたのではなく、様々な国の思惑によって仕組まれた戦争であることが明らかになる。

 辺見庸は「3・11後、言葉は以前と同じものであってはいけない」と語ったが、指向性を鋭く変えた作家のひとりが中村だ。兆しを感じたのは短編集「A」で、従軍慰安婦、中国における日本軍の残虐行為をテーマにした作品が収録されていた。本作には沖縄戦を含め、中村の正しい歴史認識が織り込まれている。

 「R帝国」は近未来を舞台にした21世紀版「1984」の趣もある。ビッグ・ブラザーに比すべきは<党>の指導者、加賀だ。矢崎とアルファ、栗原とサキの2組の男女が織り糸で、古賀を含め主要な登場人物は宿命によって紡がれている。ポリティカルフィクション、デストピアであると同時に、優れた恋愛小説の側面もある。

 R帝国では各自が人工知能を搭載した携帯機器(HP)で情報を収集し、他者と連絡を取り合う。HPには人格と感情があり、時に所有者にアドバイスする。ITの進歩によって自由を獲得出来るはずだったのに、管理のツールと化したHPによって社会は閉塞する。現在日本で起きていることが、R帝国で加速度的に進行している。

 R帝国とは近未来の日本だ。思想弾圧が徹底し、<抵抗>という言葉だけでなく、抗うという意識も消去されている。太平洋戦争時における日本の棄民やナチスドイツの蛮行は、時折アップされる<小説>として人々の目に触れる。だが、加賀が言う<半径5㍍以内の出来事にしか関心がない>国民は全てをゲームのように眺めている。

 唯一、<党>に反抗する「L」に、「悪と仮面のルール」(10年)に登場した「JL」が重なった。革命を志向したことのある「L」だが、現在は<多様性、平等、調和>の理念を仲間と共有し、社会を根底から変えようと息を潜めている。

 中村はドストエフスキーの影響が強い。「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」を彷彿させる場面が本作にもある。<邪>を体現する加賀は、神をも冒瀆するような傲慢さと大衆への侮蔑を隠さない。サキと対論するが、公正な条件ではない。石井部隊の生き残りを想起させる加賀は、洗脳を含め生殺与奪の力を握っているからだ。

 原発事故と再稼働、秘密保護法、戦争法、共謀罪……。辺見は「華氏451度」を念頭に、「日本の現状に、物書きとして絶望している」と記していた。中村にとって本作は、<反抗する作家>としてのマニフェストかもしれない。ネット空間を支配する党公認の「ボランティア・サポーター」は、自民党が「サポーターズ・クラブ」から育んだネット右翼そのものだ。中村を検索したら、〝反日〟のタグが付く日も近いのではないか。

 中村の小説を読む際のBGMはザ・クーパー・テンプル・クロースと決まっている。憂鬱と倦怠が滲むダウナーな音にマッチするからだ。野球ファンの中村は開幕を心待ちにしているはずだ。贔屓チームは知らないが一球一球、食い入るように画面を見つめているらしい。とても息抜きとは思えない気もするけれど……。
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「ロープ/戦場の生命線」~戦闘シーンなき戦争映画の傑作

2018-03-09 12:18:20 | 映画、ドラマ
 朝鮮半島の緊張融和に、日本政府は警戒感を隠さない。南風にアメリカが乗っかれば、北風政策を叫ぶ安倍首相が梯子を外される可能性もある。トランプ-金正恩会談が浮上した。俺はこの間、安倍首相が文大統領に送り続ける<韓国も強硬路線を>のメッセージに違和感を覚えてきた。

 歴史を踏まえれば、日本が朝鮮半島の現状に重い責任を負っていることは明らかだ。同胞としての両国民の絆を勘案すれば、韓国政府に制裁強化を要求するのもお門違いだろう。北朝鮮の脅威を煽る背景に、国民統制、軍事国家化、憲法改正の意図が窺える。

 3年前の夏、戦争法反対の集会やデモに参加したが、違和感を拭えなかった。理由の第一は、<21世紀における戦争のリアリティー>を掴めなかったこと。かつての沖縄やベトナムのように、兵士たちが対峙する戦争に日本人が参加する可能性は低い。「ドローン・オブ・ウォー」や「アイ・イン・ザ・スカイ」に描かれたように、戦場から遠く離れた場所で操縦桿を握る……そんな光景が思い浮かぶ。

 戦闘シーンこそないが、戦争の実相をリアルに描いた映画「ロープ/戦場の生命線」(2015年、フェルナンド・レオン・デ・アラノア監督)を新宿で見た。1995年、停戦中のバルカン半島を舞台に描いた作品である。ユーゴスラビア解体後、異なる民族と宗教を繫ぎ留めていたビーズは切れ、憎悪剥き出しの殺戮が始まる。NATOによる空爆も凄惨を極めた。

 当地で活動するNGO「国境なき水と衛生管理団」は思いも寄らぬ事態に直面する。水密売を企むグループが、飲料水供給用の井戸に死体を投げ込んだのだ。マンブルゥ(ベニチオ・デルトロ)、ビー(ティム・ロビンス)を中心に、ゴヨ(セルジ・ロペス)、ダミール(フェジャ・ストゥカン)、新人ソフィー(メラニー・ティエリー)の個性的な面々が、死体引き揚げ用のロープを求めて奮闘する。

 官僚的な国連軍の対応、住民たちの偏見に阻まれ、ロープは簡単に手に入らない。地雷原を警戒して移動にも難儀する。その過程で知り合ったニコラ少年は、ニコラは宗教もしくは民族の違いで対立するグループにサッカーボールを奪われた。マンブルゥの元恋人で国連調査分析官のカディヤ(オルガ・キュリレンコ)も、ロープ&ボール捜しに加わった。

 本作の魅力は台詞で、極限状況に身を置く者たちの知恵、ユーモア、皮肉がちりばめられている。ロックテイストのサントラも素晴らしく、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、バズコックス、ラモーンズ、当地のミュージシャンによる曲がラインアップされていた。プロテストソング「花はどこへいった」のカバーが画面にマッチしていた。

 ロープとボールは、作品を読み解くキーワードであり、メタファーになっている。使命感、世界観ゆえ茨の道を選んだ彼らが求めているのは<ロープ=人を繋ぐ絆>と、<ボール=対話のツール>だ。国境を超えて集まった仲間たちこそ家族であるとマンブルゥは吐露していが、小さな旅の終わりに目にしたのは、絆を壊し、対話を無にする戦争の傷跡だった。

 原題は「ア・パーフェクト・デー」で、学校英語では〝完璧な日〟となる。散々な日々の後、彼らはさらに困難と思える作業に向かう。ラストで原題の意味が明らかになり、救われた気持ちになった。

 藤井聡太六段が千日手指し直しの末、王座戦予選で師匠の杉本昌隆七段を破り〝恩返し〟を果たした。これで14連勝と再点火の兆しが窺える。包容力とユーモアに溢れる杉本、謙虚で礼儀正しい藤井……。将棋は頭脳と精神をフル稼働させる〝戦争〟だが、師弟対決に柔らかな空気を感じた。
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初春の雑感あれこれ~落語、POG、波乱のA級順位戦etc

2018-03-05 20:52:42 | 戯れ言
 前稿の最後に、アカデミ-作品賞を「スリー・ビルボード」と予想したが、主演女優賞、助演男優賞の2部門にとどまった。作品賞、監督賞に輝いた「シェイプ・オブ・ウォーター」は異種間の愛を描いたファンタジーという。近いうちに観賞するつもりでいる。

 平昌狂騒曲を冷めた目で眺めていたが、日本は今後、スポーツ大国になるだろう。第一の理由は格差と貧困の拡大で、ハングリー精神はスポーツにとって最高の栄養素だ。第二の理由はDNAの融合で、既に陸上などで成果が表れている。話は変わるが、設楽悠太の1億円ゲットには驚いた。

 仕事先の夕刊紙の書評欄で、「男性という孤独な存在」(橘木俊詔著、PHP研究所)が気になった。同書によると江戸時代、非婚率は50%で、〝勝ち組〟以外の男性は独身が当たり前だったという。駄目な夫としっかり者の妻……、落語で頻繁に描かれる貧乏長屋の光景は、現実味は乏しいのかもしれない。これからは。当時の社会や風俗に思いを馳せながら落語に接することにする。

 先月末、WOWOWで柳家喬太郞、TBSチャンネルで春風亭一之輔の独演会を観賞した。両者の共通点は〝毒〟だが、意味合いが異なる。喬太郞は妖しい毒まき散らし、江戸川乱歩の短編をベースにした新作「赤いへや」、艶笑噺「吉田御殿」の2席を演じる。ともにレアかつ危うい噺で、WOWOWのチャレンジ精神に感心した。

 一之輔は「加賀の千代」と「鼠穴」の古典に、弾ける毒をまぶしていた。両者に加え、桃月庵白酒、柳家三三ら実力派もメディアへの露出が増えているが、三遊亭白鳥のテレビ登場は不可能だ。本人は腹を括り、寄席とホールで毒の塊を吐き続けるだろう。

 先週末はPOG指名馬が8頭も出走した。以下、発走順に成績を列挙する。
<3月3日>
小倉3R3歳未勝利(18頭・芝1200㍍)=⑪着ラベールノアール(8番人気)
中山4R3歳500万下(13頭・ダ1800㍍)=③着テトラルキア(2番人気)
阪神11Rチューリップ賞(10頭・芝1600㍍)=④着サラキア(4番人気)
=⑧着カレンシリエージョ(9番人気)
<3月4日>
小倉5R3歳未勝利(16頭・芝1800㍍)=⑤着スズカワークシップ(10番人気)
中山5R3歳未勝利(15頭・芝1600㍍)=③着エルディアマンテ(1番人気)
阪神9Rアルメリア賞(11頭・芝1800㍍)=①着フランツ(3番人気)
中山11R弥生賞(11頭・芝2000㍍)=①着ダノンプレミアム(1番人気)

 世代一の座を不動にしたダノンプレミアムは16位指名だったが、1位指名はフランツである。前年1位のアドミラブルとはオーナー、厩舎、騎手と共通点があり、血統も近いが、決定的な違いがある。調教で凄まじい動きを見せるアドミラブルと対照的に、フランツの動きは並以下だ。展開の利とデムーロの好判断でアルメリア賞を制したが、運も実力のうち。ダービー出走を期待したい。

 A級順位戦最終戦(全5局)が2日、一斉に行われ、6勝4敗で並んだ6人によるプレーオフという空前絶後の展開になる。実は当日、夕方から深夜まで仕事で、劇的なドラマをリアルタイムでチェック出来なかった。その分、プレーオフはネット中継で楽しみたい。

 パラマス方式で順位が下の久保利明王将と豊島将之八段は、挑戦権獲得には5連勝が必要だ。王将戦では1勝3敗と追い詰められた豊島が大熱戦を制し、ラウンド2で佐藤康光九段と相まみえる。抜け番だった2位の羽生善治竜王、1勝のみで連続挑戦出来る1位の稲葉陽八段が有力だが、何が起きるかわからない。

 最も耳目を集めたのは渡辺明棋王と三浦弘行八段の対局だった。繰り返しになるから詳述しないが、16年秋の竜王戦で挑戦者に決まった三浦が失格になった経緯が、将棋界に波紋を広げた。この動きを主導したのが渡辺だったから、因縁の対決だ。気合を前面に攻め続けた三浦が5勝5敗で残留し、敗れた渡辺は4勝6敗で降級する。3年越しのドラマは衝撃の結末を迎えた。

 ハリウッドの脚本家たちが結集してもこんなストーリーは作れない……。NFLや麻雀の対局番組ではこう感じることもしばしばだが、将棋界も先の読めないドラマチックな流れを見せている。
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亀裂から融和へ~「スリー・ビルボード」が提示するもの

2018-03-02 11:14:55 | 映画、ドラマ
 永久独裁を目論むプーチンと習近平、稚気と狂気が滲むトランプ……。この3人が、金正恩、アサド、エルドアン、安倍晋三ら脇役たちと円卓を囲んでいても不思議はない。むろん、司会進行役は軍需産業、グローバル企業のトップたちだ。

 陰謀論めいているが、自称〝平和論者〟のオバマの正体は外遊の際、武器を売りさばく〝死の商人〟だった。二つの顔の落差に、深層を知る手掛かりが潜んでいるのだろう。後任トランプの言動にも辟易しつつ、「デモクラシーNOW!」など独立系メディアのHPで、〝アメリカの今〟をチェックしている。

 フェイスブックはパレスチナ人の投稿を制限し、「パレスチナの正義を求める学生の会」結成を却下されたフォーダム大自治会は当局に抗議した。巨大メディアはパレスチナ関連のフェイクニュースを意図的に流しているという。トランプの「エルサレム首都宣言」と軌を一に、甚だしい言論弾圧が進行している。キーワードは<イスラエル>だ。

 新宿で先日、「スリー・ビルボード」(17年、マーティン・マクドナー監督)を観賞した。ヴェネチア映画祭では金獅子賞を逃したが、ゴールデングローブ賞で作品賞を獲得、アカデミー賞(5日発表)でも最有力候補だ。アメリカ社会の闇を照らす作品との予見に沿って枕を記したが、作品の趣は異っていた。

 ミズーリ州エビング(架空の街)で7カ月前、ティーンエイジャーがレイプされ焼き殺された。娘の母ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は看板3枚を設置し、遅々として進まぬ捜査に抗議する。地域住民はミルドレッドに同情的だったが、「どうして、ウィロビー署長?」の文言が空気を変える。

 ビル・ウィロビー(ウディ・ハレルソン)は末期がんで余命数カ月、病と闘いながら家族(妻と娘2人)と暮らしている。人望ある署長に弓を引いたことで村八分になったミルドレッドだが、決して怯まない。常に闘い続けてきたことが強靭さの原点だが、ミルドレッドは荒々しく、時に暴力的だった。

 ミルドレッドVSウィロビー……。この構図で進行するかに思えたが、ウィロビーが下した決断はミルドレッドをさらに追い詰め、新たな〝敵〟と向き合うことになる。対峙したのは、他者と摩擦を生むという欠点を共有するディクソン巡査(サム・ロックウェル)だった。先を読めない展開の連続で、両者の対立が、ラストでカタルシスに転じる。

 レイシストであることを隠さぬディクソンは。後任署長(黒人)の登場で窮地に陥る。ディクソンを改心させたのはウィロビーが遺した手紙だった。差別より共感を、対立より調和を、怒りより赦しを……。ディクソンの大転回こそ本作のテーマといえる。本作はトランプ政権下で深まった亀裂を紡ぎ、癒やすための処方箋といえるだろう。

 本作にはアメリカ南部を理解するためのヒントがちりばめられている。ウィロビーの愛読書は職務にそぐわない小説だった。牧歌的と暴力的が同居する作品で、英語を理解出来る観客から笑い声が何度も上がっていた。ブラックユーモアとスラングが台詞に込められているのだろう。

 カントリーテイストのサントラも魅力的で、シーンとミスマッチの音楽が〝逆説の手法〟の効果を挙げている。憤怒に満ちたディクソンがスマホでアバを聴いているシーンも面白かった。観賞後、ポスターを改めて見ると、ミルドレッド、ウィロビー、ディクソンが大写しになっていた。際立つ三つの個性もタイトルの「スリー」に込められているのだろう。

 博才のない俺が何を言っても説得力はないが、アカデミー賞では作品賞と助演男優賞は堅いと思う。主演女優賞、脚本賞の可能性もある。5日(日本時間)が楽しみだ。
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