キネマ旬報が10年前、日本と世界に分けて「映画史上ベストテン」を選定した。100人ほどの選者によるポイント制である。邦画編で黒沢、小津、溝口に伍していたのが山中貞雄だった。「人情紙風船」(37年)が4位、「丹下左膳餘話 百萬両の壺」(35年)が9位、消失したデビュー作「磯の源太 抱寝の長脇差」(32年)が86位にランクされていた。現存するフィルムが3本だけというハンデを考えると、驚異的な高評価といえる。
本稿では「評伝山中貞雄」(千葉伸夫著=平凡社ライブラリー)を基に山中の人生を紹介し、先日WOWOWで放映された「丹下左膳――」の感想も合わせて述べることにする。
山中は京都一商卒業後、18歳で草創期の映画界に身を投じる。折しもサイレントからトーキーへの移行期、山中はシナリオライターで実績を積み、22歳で監督デビューを果たした。欧米の作品に影響を受けつつ、自らのスタイルを追求した山中だが、たちまち第1の壁にぶつかった。野心作「盤嶽の一生」が、検閲によって切り刻まれたのである。戦時体制が確立し、表現の自由は蝕まれつつあった。
山中は長いアゴと巧まざるユーモアで、誰からも好かれる存在だった。仲間と酒を酌み交わし、映画以外の知識も積極的に吸収した。シャイな硬派で、女性は苦手だったらしい。そのせいか、「恋愛描写がいまひとつ」と評されたこともある。一方で、裏方や助監督には優しく接した。共同性を重視する山中の姿勢は、作品の完成度にもプラスに作用する。「街の入墨者」に出演した中村翫右衛門ら前進座の芸達者たちは、完成試写を見て一斉に泣き出した。自らの演技力を極限まで引き出す山中の技量に感激したからだという。
映画人との交流の中で、特筆すべきは小津安二郎との<兄弟>関係だろう。山中が京都から東京に拠点を移したのは、小津の存在が大きかった。ともに遊び、飲み、語り、歌舞伎を見る。小津は6歳年下の山中を「ウィリアム・ワイラーになりうる器」と絶賛していた。山中も小津を慕い、アドバイスを頻繁に受けていた。
以下に、見たばかりの「丹下左膳餘話 百萬両の壺」の感想を。ストーリー展開の妙、テンポの良さ、スピード感、音楽の斬新な使い方と、黒沢の代表作と比べても見劣らぬ、爽快で愉快なホームドラマ風時代劇だった。飄々とした左膳(大河内伝次郎)と独特のイントネーションのお藤(喜代三)の掛け合いが最高だが、二人のセリフには<逆手の話法>が繰り返し用いられている。柳生家所有の「百萬両の壺」が狂言回し役だが、次第にお上の事情はお構いなしになる。エンディングに<戦争より庶民の生活の方が大切>という山中の意思を読み取ろうとするのは、穿ち過ぎだろうか。
「丹下左膳――」の後、山中は第2の壁に跳ね返される。<時代劇という表現形態の限界>と<大衆性と芸術性の狭間>に悩み、精彩を欠いたのだ。母親の死も大きかった。間もなく山中はスランプを脱したが、「人情紙風船」でその映画人生の幕が下りた。別項(6月5日)でも簡単に触れたが、同作は絶望的な暗さに覆われている。評伝の著者による的を射た分析を以下に示したい。<(前略)この映画のドラマは、市民的個人的レベルでの近代の日本へのひそかな闘いの敗北の叙述だったろうと思わせられる。敗北を確かめたとき、山本の魂は紙風船となって、黒々とした溝の闇のなかに吸いとられ遊離していったのだろう>(374㌻)。撮了後、山中は召集令状を受け取った。
<(バンザイを)叫ぶ人の悲劇 叫ばれる奴の悲劇 喜劇かもしれない>と書き残し、山中は戦地中国に赴いた。過酷な転戦で心身をすり減らしたが、映画への思いは断ち切れず、幾つものアイデアを温めていた。病の床に臥しながら最期まで気遣いを忘れない姿に、戦友たちは涙したという。享年28歳、早すぎる天才の死だった。「人情紙風船」は映画史に燦然と輝いているが、山中自身「これが僕の最後の作品では浮かばれない」と述べている。先輩の伊丹万作監督(十三氏の父)は、「山中が発揮したものは本人の才能からすれば微々たるもの」と追悼の言葉を寄せていた。
死の半年ほど前、山中と小津は南京で再会を果たした。30分ほど映画の話をし、「今度会う時は東京だ」と言って別れた。生死を分かったものは、紛うことなく運である。山中が生きていれば、映画史は大きく書き換えられ、<黒沢天皇>と異なる<柔らかな監督像>を提示したことだろう。死神から逃れた小津は数々の名作を送り続ける。志半ばで斃れた山中ら映画人の死が、創作の原動力になったことは想像に難くない。
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