俺はまさに〝要準介護〟人間で、公私にわたるカバーのおかげでこの一年を生き長らえた。多くの方々に心から感謝している。ありがとうございました。
今年の映画納めは、角川シネマ有楽町で見た「スーパーソニック」(2016年)だった。オアシスの魔法の2年半に迫ったドキュメンタリーである。「グアンタナモ、僕達が見た真実」で編集に携わったホワイトハウス監督は、エンターテインメント性と社会性を程良くブレンドしている。ノエル&リアムのギャラガー兄弟による共同プロデュースだが、絶縁した両者を仲介した関係者の苦労は大変なものだったに違いない。
96年のネブワース公演(2日間で25万人動員)まで、オアシスは目にも止まらぬスピードで飛翔した。ノエルが話していた通り、IT時代直前で、情報が行き渡るスピードは遅かったが、楽曲の力で一気にNO・1バンドの座に就く。オアシスは97年以降、5枚のアルバムを発表し、09年に解散したが、ギャラガー兄弟は口を揃えて「俺たちはネブワースで終わった」と語る。
93年、オアシスは知り合いのガールズバンド、シスター・ラヴァーズの前座としてグラスゴーに赴く。小さな会場にアラン・マッギー(クリエイション・レコーズ代表)がいた。シスター・ラヴァーズのひとりの元彼だったアランは〝悪意あるサプライズ〟を起こすために現れたのだが、〝想定外のサプライズ〟に震えることになる。それがオアシスで、翌日に契約を結ぶ。まさに、奇跡の邂逅だった。
ノエルはデビュー時、27歳だったから、多くの曲を書きためていたと誤解していたが、最初の2枚は〝やっつけ仕事〟だった。尻を叩かれて書いた曲が、聴く者の心に刺さって伝播する。ロックの神、もしくは悪魔がノエルに憑依していたのだろう。「モーニング・グローリー」の製作も途轍もないスピードで進み、5日で5曲の録音を終える。
貧しく不幸な家庭に育った兄弟だが、性格は真逆だった。ノエルは内向的で、部屋に引きこもってギターを弾いていた。リアムは街で有名な悪ガキで、感情の起伏が激しかった。ソングライターとしてバンドを仕切るノエル、リーダーを自任するリアムの葛藤は、凄まじい暴力沙汰に発展した。
兄弟だけでなく、他のメンバー、スタッフも薬漬けで、バンドは深刻な状態にあった。アメリカ公演では誤ったセットリストが配られ、5人が別々の曲を演奏してやり直すシーンが収録されている。無軌道というロックの悪しき伝統を体現したオアシスだが、曲では60年代の普遍性を甦らせた。最初の2枚を映画に例えれば、黒澤明とビリー・ワイルダーだ。年齢、性別、国境を超え、聴く者全てが口ずさんでしまう。神話を体現したオアシスは、〝イカルス失墜〟を地でいく。
ノエルは先輩ロッカーに悪態をつき、薬物中毒を隠すどころか、「国民の半分がクスリをやっている」と発言した。バッシングは凄まじく、バンドを守る、いや制御するため企業グループが前面に出てきた。<企業が主導権を握り、バンドは死に体になった>と証言していたスタッフは、一人また一人と去っていく。神もまたオアシスから離れた。
日本公演の際の映像も興味深かった。「英語もわからないのに会場は異様に盛り上がり、追っかけの女の子たちが部屋の中までついてくる。人生で最大の驚きだった」とノエルが語っていた。オアシスがもたらした奇跡の開放感、高揚感、疾走感は、言葉の壁など瞬時に吹っ飛ばしてしまった。
最後に今年、映画館で観賞した映画ベストテンを記したい。
①「オマールの壁」(パレスチナ、ハニ・アブ・サハド)
②「トランポ ハリウッドに最も嫌われた男」(米、ジェイ・ローチ)
③「聖の青春」(日、森義隆)
④「帰ってきたヒトラー」(独、デヴィッド・ヴェンド)
⑤「FAKE」(日、森達也)
⑥「世界侵略のススメ」(米、マイケル・ムーア)
⑦「恋人たち」(日本、橋口亮輔)
⑧「それでも僕は帰る 若者たちが求め続けたふるさと」(シリアなど、タラール・デリキ)
⑨「人間の値打ち」(伊、パオロ・ヴィルズイ)
⑩「ハートビート」(米・ルーマニア、マイケル・ダミアン)
以下に続くのが「孤独のススメ」(蘭、ディーデリク・エピンゲ)、「シチズン・フォー スノーデンの暴露」(米独、ローラ・ポイトラス)、「暗殺」(韓、チェ・ドンフン)、「ベテラン」(韓、リュ・スワン)、「牡蠣工場」(日、想田和弘)、「第4の革命」(カール・A・フェヒナー)、そして「スーパーソニック」だ。
「ソシアルシネマクラブすぎなみ」の上映会に足を運ぶようになり、ドキュメンタリーを見る機会が増えた。充実した映画ライフを送れた一年だと思う。
今年の映画納めは、角川シネマ有楽町で見た「スーパーソニック」(2016年)だった。オアシスの魔法の2年半に迫ったドキュメンタリーである。「グアンタナモ、僕達が見た真実」で編集に携わったホワイトハウス監督は、エンターテインメント性と社会性を程良くブレンドしている。ノエル&リアムのギャラガー兄弟による共同プロデュースだが、絶縁した両者を仲介した関係者の苦労は大変なものだったに違いない。
96年のネブワース公演(2日間で25万人動員)まで、オアシスは目にも止まらぬスピードで飛翔した。ノエルが話していた通り、IT時代直前で、情報が行き渡るスピードは遅かったが、楽曲の力で一気にNO・1バンドの座に就く。オアシスは97年以降、5枚のアルバムを発表し、09年に解散したが、ギャラガー兄弟は口を揃えて「俺たちはネブワースで終わった」と語る。
93年、オアシスは知り合いのガールズバンド、シスター・ラヴァーズの前座としてグラスゴーに赴く。小さな会場にアラン・マッギー(クリエイション・レコーズ代表)がいた。シスター・ラヴァーズのひとりの元彼だったアランは〝悪意あるサプライズ〟を起こすために現れたのだが、〝想定外のサプライズ〟に震えることになる。それがオアシスで、翌日に契約を結ぶ。まさに、奇跡の邂逅だった。
ノエルはデビュー時、27歳だったから、多くの曲を書きためていたと誤解していたが、最初の2枚は〝やっつけ仕事〟だった。尻を叩かれて書いた曲が、聴く者の心に刺さって伝播する。ロックの神、もしくは悪魔がノエルに憑依していたのだろう。「モーニング・グローリー」の製作も途轍もないスピードで進み、5日で5曲の録音を終える。
貧しく不幸な家庭に育った兄弟だが、性格は真逆だった。ノエルは内向的で、部屋に引きこもってギターを弾いていた。リアムは街で有名な悪ガキで、感情の起伏が激しかった。ソングライターとしてバンドを仕切るノエル、リーダーを自任するリアムの葛藤は、凄まじい暴力沙汰に発展した。
兄弟だけでなく、他のメンバー、スタッフも薬漬けで、バンドは深刻な状態にあった。アメリカ公演では誤ったセットリストが配られ、5人が別々の曲を演奏してやり直すシーンが収録されている。無軌道というロックの悪しき伝統を体現したオアシスだが、曲では60年代の普遍性を甦らせた。最初の2枚を映画に例えれば、黒澤明とビリー・ワイルダーだ。年齢、性別、国境を超え、聴く者全てが口ずさんでしまう。神話を体現したオアシスは、〝イカルス失墜〟を地でいく。
ノエルは先輩ロッカーに悪態をつき、薬物中毒を隠すどころか、「国民の半分がクスリをやっている」と発言した。バッシングは凄まじく、バンドを守る、いや制御するため企業グループが前面に出てきた。<企業が主導権を握り、バンドは死に体になった>と証言していたスタッフは、一人また一人と去っていく。神もまたオアシスから離れた。
日本公演の際の映像も興味深かった。「英語もわからないのに会場は異様に盛り上がり、追っかけの女の子たちが部屋の中までついてくる。人生で最大の驚きだった」とノエルが語っていた。オアシスがもたらした奇跡の開放感、高揚感、疾走感は、言葉の壁など瞬時に吹っ飛ばしてしまった。
最後に今年、映画館で観賞した映画ベストテンを記したい。
①「オマールの壁」(パレスチナ、ハニ・アブ・サハド)
②「トランポ ハリウッドに最も嫌われた男」(米、ジェイ・ローチ)
③「聖の青春」(日、森義隆)
④「帰ってきたヒトラー」(独、デヴィッド・ヴェンド)
⑤「FAKE」(日、森達也)
⑥「世界侵略のススメ」(米、マイケル・ムーア)
⑦「恋人たち」(日本、橋口亮輔)
⑧「それでも僕は帰る 若者たちが求め続けたふるさと」(シリアなど、タラール・デリキ)
⑨「人間の値打ち」(伊、パオロ・ヴィルズイ)
⑩「ハートビート」(米・ルーマニア、マイケル・ダミアン)
以下に続くのが「孤独のススメ」(蘭、ディーデリク・エピンゲ)、「シチズン・フォー スノーデンの暴露」(米独、ローラ・ポイトラス)、「暗殺」(韓、チェ・ドンフン)、「ベテラン」(韓、リュ・スワン)、「牡蠣工場」(日、想田和弘)、「第4の革命」(カール・A・フェヒナー)、そして「スーパーソニック」だ。
「ソシアルシネマクラブすぎなみ」の上映会に足を運ぶようになり、ドキュメンタリーを見る機会が増えた。充実した映画ライフを送れた一年だと思う。