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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

映画納めは「スーパーソニック」~神話になったオアシスの2年半

2016-12-30 20:16:10 | 映画、ドラマ
 俺はまさに〝要準介護〟人間で、公私にわたるカバーのおかげでこの一年を生き長らえた。多くの方々に心から感謝している。ありがとうございました。

 今年の映画納めは、角川シネマ有楽町で見た「スーパーソニック」(2016年)だった。オアシスの魔法の2年半に迫ったドキュメンタリーである。「グアンタナモ、僕達が見た真実」で編集に携わったホワイトハウス監督は、エンターテインメント性と社会性を程良くブレンドしている。ノエル&リアムのギャラガー兄弟による共同プロデュースだが、絶縁した両者を仲介した関係者の苦労は大変なものだったに違いない。

 96年のネブワース公演(2日間で25万人動員)まで、オアシスは目にも止まらぬスピードで飛翔した。ノエルが話していた通り、IT時代直前で、情報が行き渡るスピードは遅かったが、楽曲の力で一気にNO・1バンドの座に就く。オアシスは97年以降、5枚のアルバムを発表し、09年に解散したが、ギャラガー兄弟は口を揃えて「俺たちはネブワースで終わった」と語る。

 93年、オアシスは知り合いのガールズバンド、シスター・ラヴァーズの前座としてグラスゴーに赴く。小さな会場にアラン・マッギー(クリエイション・レコーズ代表)がいた。シスター・ラヴァーズのひとりの元彼だったアランは〝悪意あるサプライズ〟を起こすために現れたのだが、〝想定外のサプライズ〟に震えることになる。それがオアシスで、翌日に契約を結ぶ。まさに、奇跡の邂逅だった。

 ノエルはデビュー時、27歳だったから、多くの曲を書きためていたと誤解していたが、最初の2枚は〝やっつけ仕事〟だった。尻を叩かれて書いた曲が、聴く者の心に刺さって伝播する。ロックの神、もしくは悪魔がノエルに憑依していたのだろう。「モーニング・グローリー」の製作も途轍もないスピードで進み、5日で5曲の録音を終える。

 貧しく不幸な家庭に育った兄弟だが、性格は真逆だった。ノエルは内向的で、部屋に引きこもってギターを弾いていた。リアムは街で有名な悪ガキで、感情の起伏が激しかった。ソングライターとしてバンドを仕切るノエル、リーダーを自任するリアムの葛藤は、凄まじい暴力沙汰に発展した。

 兄弟だけでなく、他のメンバー、スタッフも薬漬けで、バンドは深刻な状態にあった。アメリカ公演では誤ったセットリストが配られ、5人が別々の曲を演奏してやり直すシーンが収録されている。無軌道というロックの悪しき伝統を体現したオアシスだが、曲では60年代の普遍性を甦らせた。最初の2枚を映画に例えれば、黒澤明とビリー・ワイルダーだ。年齢、性別、国境を超え、聴く者全てが口ずさんでしまう。神話を体現したオアシスは、〝イカルス失墜〟を地でいく。

 ノエルは先輩ロッカーに悪態をつき、薬物中毒を隠すどころか、「国民の半分がクスリをやっている」と発言した。バッシングは凄まじく、バンドを守る、いや制御するため企業グループが前面に出てきた。<企業が主導権を握り、バンドは死に体になった>と証言していたスタッフは、一人また一人と去っていく。神もまたオアシスから離れた。

 日本公演の際の映像も興味深かった。「英語もわからないのに会場は異様に盛り上がり、追っかけの女の子たちが部屋の中までついてくる。人生で最大の驚きだった」とノエルが語っていた。オアシスがもたらした奇跡の開放感、高揚感、疾走感は、言葉の壁など瞬時に吹っ飛ばしてしまった。

 最後に今年、映画館で観賞した映画ベストテンを記したい。

①「オマールの壁」(パレスチナ、ハニ・アブ・サハド)
②「トランポ ハリウッドに最も嫌われた男」(米、ジェイ・ローチ)
③「聖の青春」(日、森義隆)
④「帰ってきたヒトラー」(独、デヴィッド・ヴェンド)
⑤「FAKE」(日、森達也)
⑥「世界侵略のススメ」(米、マイケル・ムーア)
⑦「恋人たち」(日本、橋口亮輔)
⑧「それでも僕は帰る 若者たちが求め続けたふるさと」(シリアなど、タラール・デリキ)
⑨「人間の値打ち」(伊、パオロ・ヴィルズイ)
⑩「ハートビート」(米・ルーマニア、マイケル・ダミアン)

 以下に続くのが「孤独のススメ」(蘭、ディーデリク・エピンゲ)、「シチズン・フォー スノーデンの暴露」(米独、ローラ・ポイトラス)、「暗殺」(韓、チェ・ドンフン)、「ベテラン」(韓、リュ・スワン)、「牡蠣工場」(日、想田和弘)、「第4の革命」(カール・A・フェヒナー)、そして「スーパーソニック」だ。

 「ソシアルシネマクラブすぎなみ」の上映会に足を運ぶようになり、ドキュメンタリーを見る機会が増えた。充実した映画ライフを送れた一年だと思う。
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「許されざる者」~想像力の地下茎で紡がれた伽藍

2016-12-27 22:38:40 | 読書
 デヴィッド・ボウイ、ヨハン・クライフ、モハメド・アリ、マイケル・チミノ、アッバス・キアロスタミ、大橋巨泉、アンジェイ・ワイダ、平尾誠二、荒戸源次郎etc……。記憶の底で煌めく人たちが次々に召された一年だった。改めて冥福を祈りたい。

 今年を振り返ると、排外主義、貧困と差別が世界に蔓延し、民主主義の基盤が危うくなっていることが、最も大きな問題だと思う。共感を抱いてきたポデモス、スコットランド独立党はともに社会主義を標榜しているが、EUについては対応が逆だ。反グローバリズムを強調する前者はEU離脱、調和と寛容を重視する後者は残留を主張している。この亀裂を修復する方法はあるだろうか。

 日本では秋以降、天皇制と日露関係が浮上してきた。こじつけになるが、考えるヒントになりそうな小説を読了した。「許されざる者」(辻原登/集英社文庫)で1000㌻超(上下巻)の長編である。<虚実のあわいで空中楼閣を築き上げる魔物>と評した辻原が、日露戦争前後の日本と世界を壮大なスケールで紡いでいる。

 辻原の作品は現実と創作が交錯するメタフィクションで、次々に現れる歴史的人物が主人公の槇隆光に敬意を払う。アメリカで学び、インドで最下層カーストの患者に寄り添った槇は、脚気の原因が栄養障害であるとの結論に至った。故郷の森宮(熊野)に帰って病院を経営する傍ら、「差別なき医療奉仕団」を立ち上げて被差別の患者を無償で診ている。

 対露開戦を煽るために森宮で演説会を開いた頭山満に、非戦の立場で論戦を挑んだ槇だが、戦地で斃れる脚気患者を救うため従軍医になった。脚気細菌説に固執する森鴎外軍医総監と対峙しつつ、多くの兵隊の命を救う。従軍記者として登場した田山花袋は、槇と鴎外の結び目になる。

 アナキストに転じた幸徳秋水とは立ち位置が異なる槇だが、幸徳が渡米する際、親交があったジャック・ロンドンを紹介する。交遊が仇になり、危うく幸徳より先に大逆罪を適用されそうになった。明治政府が幸徳を恐れていたことが本作からも窺える。夏目漱石も「それから」で幸徳へのシンパシーを明かしていた。敗れたロシアより大きな犠牲を強いられた日本でも、革命を志向する者が現れるが、槇は戦略も理論もない稚拙な活動家を戒めていた。

 とはいえ、槇は堅物ではない。ハイカラ(死語?)趣味でアート全般に造詣が深く、シェフとしても一流だ。リアルとリンクした本作は幻想的な色彩は薄まっているが、愛馬ホイッスルと森閑とした山奥で野宿して星を眺めるシーンには、従来のスピリチュアルなムードが漂っていた。登場人物に多面性を付与する辻原にとって、槇こそ理想のキャラクターといえるだろう。

 辻原の作品について、<マジックリアリズムへの日本からの返答>と記したことがある。辻原の出身地である熊野は、土着信仰が息づく霊地、聖地で、マジックリアリズムが生起するに相応しい。本作は色合いが多少異なり、読了後、「狂風記」(石川淳)が重なった。正と邪、聖と俗、激情と冷淡を体現する者たちが自由に振る舞いつつ、予定調和的に物語に織り込まれている。狂言回しは女親分の中子菊子、負の感情で流れを歪めるのが新聞記者の左巴君枝と警察署長の鳥子だ。

 槇と交わる者たちの中で傑出しているのは、大谷光瑞がモデルの谷晃之だ。大谷は浄土真宗本願寺派22世宗主で、西域を探検、調査した。本作の谷は諜報活動に携わっているようにも取れる。谷とのやりとりが、エンドマーク以降の槇の行動を暗示しているように思えた。

 味気なく紹介した感はあるが、本作は至高の恋愛小説だ。槇の姪である千春と四角関係を形成するひとりは、小林一三をモデルにした上林道助だ。メーンは槇と水野夫人の愛である。「ドクトル・ジバゴ」(パステルナーク)を下敷きにして書かれたとしても不思議はない。何せ槇の愛称は「ドクトル」なのだ。「ドクトル・ジバゴ」のララほど波瀾万丈ではないが、女神のような水野夫人は旧藩主の血を引く軍人の妻だ。二人の愛は成就するのか、それとも……。結末は自身で確かめてほしい。

 俺の知る範囲だが、映像化された辻原の小説はない。「マノンの肉体」の文庫版解説で、<どのような想像力の地下茎が(辻原の)言語宇宙に張り巡らされているのか茫然としてしまう>と藤沢周が評していた。想像力の地下茎で紡がれた伽藍を映像化出来るほどの力量を備えた監督は、恐らくいないだろう。

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希望と勇気~2つのトークイベントで感じたこと

2016-12-24 20:17:38 | 社会、政治
 今週、足を運んだ2つのトークイベントの感想を以下に記したい。まずは、高坂勝さんの「次の時代を、先に生きる。」(ワニブックス)の刊行記念イベント(19日、八重洲ブックセンター)から。

 佐々木典士さん(担当編集者、ミニマリスト)の後、髙野孟さんが登場する。高坂さんは匝瑳、髙野さんは鴨川で農業に従事し、NGOを立ち上げ、移住者を支援している。高坂さんは前共同代表、髙野さんは設立時(2012年)からの支持者と、緑の党と縁が深い。ともに脱GDP、反グローバリズム(ローカリゼーション)を実践しているから、噛み合ったトークが続いた。

 髙野さんは旧民主党結成時(1996年)、多極分散、自立と協働、オルタナティブな循環型社会を見据えた未来志向の綱領を書いたが、新民主党→民進党に移行する過程で、崇高な理念は霧消した。緑の党を自身の理念の継承者と捉えていることが言葉の端々に窺えたが、あの場にいた会員は高坂さん以外、俺だけだった(恐らく)。

 質疑応答に入り、<地方移住、ダウンシフト、ミニマリズム、脱成長はアメリカや日本でも浸透しているが、目に見えるうねりにする方法は?>と質問した。髙野さんは<政治への回路は塞がっているが、希望はある。サンダースが民主党候補だったら草の根の変化を吸収出来ただろう>(要旨)と答え、時代閉塞を打破するため、サンダース来日を企画していることを明かされた。

 高坂さんと話す機会は多いが、今回のイベントで、髙野さんの奥深さ、慧眼を知ることが出来た。髙野さんが3・11直後、レギュラー番組を降ろされた経緯も興味深かった。原発の危険性を主張した髙野さんは、広告代理店の指示でレッドカードを出された。メディアの偏向を正すなら、〝真の独裁者〟に刃を向けるしかない。

 翌20日に開催された「自主避難者によるお話会~原発避難、いじめ、住宅支援打ち切り問題などを巡って」(高円寺グレイン)は心に刺さるイベントだった。報告者のKさんは2人の子供と東京に移り、福島で仕事を続けていた夫も後に続く。実名を明かせないのは、反応が怖いからだ。ネット上で意見や経緯をアップすると、反応の9割以上は凄まじいバッシングになる。Kさんも仕事先で「税金泥棒」という罵声を浴びたことがあったという。

 Kさんの声は終始潤み、聞く者の心を濡らす。子供の体内被曝を最低限にとどめるため、Kさんは移住を決意した。だが、<体内被曝などなく、自主避難は不要>が広告代理店、メディア、東電らの意を酌んだ国の方針だ。ネットで形成される民意の底にあるのは、<強者に隷従し、弱者を打つ>という奴隷根性だ。そこまでいかなくても、お上(国や会社)の方針に逆らうのは無意味と信じる飼い犬が幅を利かせている。森達也氏が指摘する通り、日本の最大の課題は、アメリカ化でも保守化でもなく、集団化だと思う。

 集団化の最悪の形としてのいじめが、自主避難者の子供たちを全国で苦しめている。政治が弱者を打ち、いじめられた大人が異議を唱えない現状で、子供だけに<正義>を求めるのは間違いだ。教育委員会に自由な発言を封じられた中、解決を試みる教員がいることを知って少し安心した。

 来年3月末、政府は自主避難者への住宅無償貸与を打ち切るが、自治体によって対応が異なる。北海道や山形に続き、神奈川も期限延長を決めたが、東京都の対応は最悪だ。避難者宅を訪れた職員は開いたドアに足を挟み、ヤクザまがい、いや暴対法下ではヤクザの方がおとなしいと思えるような恫喝を繰り返す。職員の歪んだ表情は、小池知事の冷酷さの反映といっていい。

 Kさんの報告は、政治の無為を穿っていた。傘下に置こうと引き回す某党が、結果として避難者の分裂を招いているという。彼らの側で涙を流してくれる政治家は、福島瑞穂、山本太郎両議員ぐらいだ。Kさんを取材した朝日新聞記者は元東電社員で、彼女の意図を意識的に歪めた記事を掲載した。3・11後、<体内被曝は全く問題がない>と福島に招かれて主張した山下俊一氏に「日本がん大賞」を授与するなど、朝日新聞の罪深さに愕然とさせられる。ちなみに山下氏は七三一部隊に連なる人脈に属している。

 質疑応答の時間で、冒頭に記した高坂さんと髙野さんの試みを紹介し、<東京でも福島でもない第三の場所に移住し、新たなコミュニティーの一員になるという考えはありますか>と聞いたが、「早くから移った人はいるが、自分は厳しい」とKさんは答えた。

 自主避難者の問題は、環境と健康という生存権に繋がっており、格差と貧困にもリンクしている。オスプレイなどの武器購入や五輪予算をわずかでも削れば解決する点もあるが、Kさんたちの声を受け止める政治の回路は閉ざされている。

 老い先短い俺の目標は<人を繋ぐ>だが、自分の無為と無力を嘆くばかりだ。このブログの読者がもう少し多かったらとも思うが、力不足ゆえ仕方ない。希望と勇気に心震えたイベントに参加出来たことを、自分を変えるきっかけにしたい。


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ライブ納めは友川カズキ~ナイーブな荒ぶる魂に魅せられた

2016-12-20 22:50:08 | 音楽
 20~40代は月に5枚以上、ロックの新譜を購入していたが、還暦にもなるとアンテナは錆び、新規開拓は難しい。俺の中で最後のムーヴメントは、数年前の米インディーシーンの隆盛だった。ダーティー・プロジェクターズ(DP)の初発来日公演(10年3月)、4カ月後のフジロック(オレンジコート)での神々しいパフォーマンスに圧倒される。

 同年のフジ(ホワイトステージ)では、日本盤発売前のローカル・ネイティヴズ(LN)が鳴り物入りで登場した。両バンドはメンバーが担当楽器を次々に替え、全員でハーモニーを奏でる。オルタナティヴ、開放的、祝祭的な志向に共感し、未来のヘッドライナーと確信した。ところが2年後、バンドの中の力学が確立したのか、DPからフレキシブルで自由なムードが消えていた。同期生のグリズリー・ベアは、既に活動を停止している。

 インディー勢が停滞する中、今年はビッグネームが新譜を次々にリリースした。<レーベル=広告代理店=プロモーター>と〝利益共同体〟を形成するメディアは絶賛するが、聴いてみると「?」という作品も多々ある。サンプルが少ないので説得力はないが、今年のベストアルバム5枚を選んでみた。

 まずは、デヴィッド・ボウイの遺作「★」。キャリア半世紀を経ても、ベルリン3部作(1976~79年)に比べてもクオリティーは劣らない。ボウイの創造性に感嘆した。次に挙げるのはデビュー25年、いまだ進化と深化を続けるPJハーヴェイの「ザ・ホープ・シックス・デモリッション・プロジェクト」は、ロックの境界線を押し広げた意欲作だ。来年1月の日本公演(オーチャードホール)が楽しみだ。

 LNの3rd「サンリット・ユース」はメディアにスルーされたが、心に染みる純水のようなメロディーは健在だ。驚嘆させられたのは、ロックの初期衝動を甦らせたMitskiの「PUBERTY2」である。Mitskiは日本生まれで、アメリカ人とのハーフという。PVも刺激的だ。

 もう一枚は友川カズキの「光るクレヨン」で、発売記念ライブでもある「オルタナミーティングvol10」(18日、阿佐ヶ谷ロフト)に足を運んだ。テレヴィジョン&ルースターズ、ステレオフォニックス、モリッシー、PANTA、ブロンド・レッドヘッド、マニック・ストリート・プリーチャーズと続いたラインアップの掉尾を飾るに相応しい濃密な3時間だった。

 昨年より動員力はアップし、立ち見の出る盛況ぶりだった。20~30代が目立ち、平均年齢は一気に下がっていた。友川は66歳にして新しいファンを開拓している。オープニングアクトは等身大の目線で真情を吐露する五十嵐正史とソウルブラザーズだ。友川は彼らを「真人間」と評し、「私は今更、あんな風になれない」と語って笑いを取っていた。 

 道端に佇む男に言葉の礫を投げつけられ、血は出ないのに、痛みが心に広がっていく……。回りくどいが、友川の存在感を表現すればこんな感じか。怜悧で熱く、自虐と諦念に満ちた詩は、モノトーンでありながら、カラフルな文化の薫りが漂っている。接近戦で世界に挑んでいるから、言葉に嘘はない。

 友川の名作「ワルツ」を歌った火取ゆき挟み、アンコールを含めれば3部構成で友川のステージが続く。新作からタイトル曲、「愉楽」、「『楕円の柩』アラカルト」らを弾き語ったが、ハイライトは「三鬼の喉笛」で、ソウルブラザーズと山崎春美が登場し、迫力あるセッションを繰り広げた。

 詩、小説、映画、絵画に造詣が深い友川は、様々な表現者からインスパアされたことを明かして歌いだす。今回のライブでも、ビクトル・エリセ、谷川雁、吉村昭らの名を挙げていた。客席に愛読している平松洋子がいて、目を泳がせながらシャイに語り掛けていた。「どこに出しても恥ずかしい人」、「下には下がいることに安心して帰ってください」といった偽悪的、自虐的なMCに、言葉のままの俺は共感していた。

 ヘビースモーカー、飲んだくれ、ギャンブル中毒(特に競輪)の友川は、〝人間失格〟を自任し、底から社会に切り込む。今回のMCでは安倍首相、オスプレイ、マイナンバー、原発、民進党、禁煙ファシズム、米ソ首脳、日和り出した鹿児島県知事を一刀両断し、独裁国家日本を憂えていた。

 比類なき存在感は、ミュージシャンから俳優に転じた泉谷しげるやピエール瀧に劣らない。地のままでも演技者になれると思っていたが、ウィキペディアによると、大島渚は「戦場のメリークリスマス」のヨノイ大尉役にオファーを出したという。秋田訛りを理由に断ったことで坂本龍一が演じた。

 友川は競輪グランプリに向け、妄想の世界にこもるという。はるかに軽症のギャンブル中毒者の俺も、有馬記念を的中させていい年を迎えたい。サウンズオブアースを軸に買うつもりでいる。
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「アリ地獄のような街」に透けて見える日本の未来

2016-12-16 13:15:01 | 映画、ドラマ
 別稿(11月20日)でドキュメンタリー「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと」を紹介した。人口の半分(1100万人)が故郷を追われた、史上希に見るシリアの人道危機をつくり出した張本人が来日した。プーチン大統領こそ今世紀最悪の戦争犯罪人だ。握手した安倍首相の掌も血が滲んでいるだろう。抗議アピール(外務省前)をパスしたことを悔いている。

 先日、高坂勝さんが経営するオーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」を訪れた。開店直後でもあり、ため息交じりに高坂さんと一年を振り返る。若者3人がやってきたので1時間弱で辞去した。毎日新聞の書評欄で大きく取り上げられた高坂さんの新著「次の時代を、先に生きる。」(ワニブックス)刊行を記念し、髙野孟氏とのトークイベント(19日、八重洲ブックセンター)が開催される。

 オスプレイ事故、辺野古移設での県側敗訴と沖縄を巡る出来事を筆頭に、暗澹たる気分にさせられるニュースが続くが、「物言えば唇寒し秋の風」で批判の声は小さい。高坂さんは上記のイベントで、<時代閉塞を打破する方策>を髙野さんに尋ねるという。旧民主党を立ち上げた際(1996年)、未来志向の斬新な綱領を提示した髙野さんの答えを、俺も聞いてみたい。

 問題が山積している日本だが、喫緊の課題は貧困ストップだ。OECDの基準に基づけば、日本人の6分の1が年収122万円を下回る。貧困は年齢、性別を問わず拡大し、家庭内暴力とも無縁ではない。♪弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者をたたく……。ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」(1988年)の歌詞のように、格差は人々の心を蝕んでいる。弱い者たちは抗議せず、自分より弱い者を探し、強者に媚びる。政権への高支持率は歪んだ精神の上に成立している。

 ♪ここは天国じゃないんだ かと言って地獄でもない……。同曲にはこんなフレーズがあるが、28年後の今、多くの人が<板子一枚下は地獄>に怯えている。大きく報道されない理由は簡単だ。格差社会の頂上に聳えるメディアにとって、貧困を取り上げれば、自らの〝欺瞞〟を穿つことになるからだ。

 「ソシアルシネマクラブすぎなみ」のマンスリー上映会(高円寺グレイン)で「アリ地獄のような街」(09年、シュボシシユ・ロイ監督)を見た。バングラデシュを舞台に、貧困と向き合って製作されたリアルストーリーである。

 首都ダッカに林立する高層ビルの足元、50万人ともいわれるストリートチルドレンの列に、農村から流れ着いた少年ラジュ、望まぬ妊娠で捨てられた少女ククが加わった。保護者面で近づいてきたのは、薬物と売春で街の闇を仕切るイアシンで、警察にも顔が利く。ラジュは運び屋になり、ククは遠からず〝商品〟になる。まさに、抜け出す術が見つからないアリ地獄だ。

 本作にはイアシンというわかりやすい悪が登場するが、俯瞰で眺めれば、途上国と支援国との歪んだ関係、世界中で格差を広げる病理(=グローバリズム)が浮き彫りになる。ラジュやククにとっての真の悪魔は、遠く離れた先進国の会議室に集う<1%>の中の<1%>なのだ。

 話は逸れるが、米大統領選の分析で、<ヒラリー=グローバリズム推進者、トランプ=反ムの保護主義者>という構図を前提にした論評が目に付いた。グローバリズム≒新自由主義と保護主義が対立概念でないことは、レーガン時代を振り返れば明らかになる。レーガノミクスは国内で個人経営の農民や牧場主を没落させ、中産階級を崩壊に導いた。新自由主義の実験場になった南米で狼煙を上げた反グローバリズムは、世紀を超えて反資本主義に先鋭化しつつある。

 ダッカ、そして国を挙げて〝幸せごっこ〟と〝弱者いじめ〟に興じる日本……。地獄の蓋は閉じそうにない。だが、本作を配給したユナイテッドピープルが提唱し、「ソシアルシネマクラブすぎなみ」が実践する市民上映会というシステムは、世界の仕組みを変えるための拠点になる。終映後、南アフリカでストリートチルドレン救済に携わった若い女性が、貴重な経験談を語ってくれた。

 「自分は傍観者に過ぎない」と無力感に苛まれる必要はない。当事者がそれぞれの現場で見聞した出来事を伝え、共有する場があればいいのだ。俺の従兄弟は、3年前の台風で甚大な被害を受けたフィリピンの貧困救済のため、当地を頻繁に訪ねている。聞かされた被災地の状況は、ダッカと重なっている。「ソシアルシネマクラブすぎなみ」と従兄弟を繋いでみたくなった。
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「ブルーに生まれついて」~青から眩い闇に沈んで

2016-12-12 22:18:01 | 映画、ドラマ
 叡王戦決勝3番勝負は佐藤名人が千田五段を2連勝で退け、電王戦で最強ソフトのポナンザと対局する。〝人類最高の知能〟の羽生3冠、棋界で最もAIに精通した千田を破ったあたり、さすが名人といったところだ。人間相手の名人戦と同時進行になるから、将棋ファン以外の耳目も集めるはずだ。

 「特報首都圏~企業と軍事 民生技術活用はどうあるべきか」(NHK)を見た。<デュアルユース=民生技術の軍事利用>を進める政府が注目しているのは、防衛目的に転用できそうな研究に取り組む中小企業だ。〝死の商人〟のレッテル貼りを恐れる大企業は、武器輸出に前のめりの安倍政権と距離を置いている。

 オンエアされなかったが、寺澤敏行キャスターのブログには、杉原浩司武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)代表のコメントも紹介されている。「安全を守るという建前での防衛産業参入は、軍事拡大を後押しすることになる。今こそ交渉と対話による軍縮に向かうべき」(要旨)と語っていた。杉原さんとは年内に話す機会があるので、イスラエルと日本との軍事提携、武器輸入の増大についても併せて聞いてみたい。

 理系学生を対象に、「自分の研究が軍事に用いられる可能性をどう考えるか」をテーマに掲げたゼミが紹介されていた。お上(政府や会社)の方針に従うのが当然とされる日本で、個人が<倫理と正義>に照らして考え行動するのはたやすいことではない。問題提起になる番組だった。

 土曜日に「ブルーに生まれついて」(15年、ロバート・バトロー監督)を観賞した。一世を風靡したトランペッター、チェット・ベイカーがどん底から這い上がっていく過程を描いた作品である。スタンダードのタイトル曲も劇中でも演奏され、イーサン・ホークは全身全霊を込めてチェットを演じていた。

 俺が持っているアルバムは「チェット・ベイカー・シングス」(1954年)と「チェット・ベイカー・シングス・アンド・プレイズ」(55年)の2枚だけ。〝ジャズ界のジェームズ・ディーン〟ともてはやされたこと以外、何も知らなかったが、それが逆によかった。再起は無理? 自殺も間近?……。チェットの置かれた状況にハラハラしながら見入っていた。

 上記2作を、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、チャールズ・ミンガスら、精神性と実験性に溢れたモダンジャズの巨匠たちの作品と同列に並べるのは無理だ。チェットが「バードランド」(ニューヨーク)に出演した際、「甘いキャンディー」とマイルスに一刀両断されたのも頷ける。

 「あの野郎、白人のくせにチャーリー・パーカーに認められやがった」……。深読みかもしれないが、マイルスら黒人ジャズマンにとってチェットは嫉妬の対象だったかもしれない。台詞に「(ジェリー)マリガンと吹きまくった」とあったから、チェットは革新的なスタイルを身につけていたはずだ。マイルスの「甘いキャンティー」は、「おまえ、何やってんだよ」という叱咤とも受け取れる。

 伝記映画を企画していた監督にローマの刑務所から連れ戻されたチェットだが、売人とのトラブルで顔面を殴打され、アーティストの未来は閉ざされたかに見えた。だが、頓挫した映画で共演したジェーン(カルメン・イジョゴ)とチェットは手を携え、復活、大役ゲットというそれぞれの夢を追い始める。

 ガソリンスタンドで働いたり、リゾート地で雑用をこなしたりと、かつての栄光は色褪せた。ジェーンの車が住処で、アマチュアに同情される始末だが、人間的な魅力があるのだろう。突き放していたプロモーターや保護観察官の応援もあり、感覚を取り戻していく。「技術は落ちたが、内面的な深みが音楽に表れている」とプロモーターは太鼓判を押した。

 人種の壁を超え、チェットとジェーンは幸せを掴んだかに見えた。マイルスも見守るバードランドでの十数年ぶりの再演は、聴く者の心に刻まれたが、チェットは異様なプレッシャーと闘っていた。コカインとメタドン(副作用のない中毒患者の薬)は、<音楽>と<愛>のメタファーなのだろう。ジェーンはチェットにしぐさで全てを理解する。

 チェットはなぜバードランドにこだわったのか。帰宅後、復習して謎が解けた。自身を見いだし、薬物の先生でもあったチャーリー・パーカーのニックネーム「バード」にちなんで名付けられたのがバードランドだった。そこはチェットにとって、完璧なパフォーマンスを見せるためには悪魔と取引してもいいと思える聖地だったのだ。

 ブルーに生まれついたチェットは、バードランドで眩い闇に沈んでいたのだろう。表現者の孤独と苦悩、未完に終わった愛に、凡人たる俺の心もブルーに滲んだ。
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いる者、いない者~生死のあわいを翔る「真鶴」

2016-12-09 12:41:31 | 読書
 グレッグ・レイクが亡くなった。レイクは記憶の中で、EL&Pのメンバーではなく初期キング・クリムゾンのボーカリスト、ベーシストとして煌めいている。ロックに目覚めて40年、最高のアルバムを挙げるなら「クリムゾン・キングの宮殿」(69年)だ。友人の部屋で輸入盤を聴き、〝プログレッシブ〟の言葉に相応しい衝撃に、二人して言葉を失くした。ロックの地平を広げた偉才の死を心から悼みたい。

 ちなみにナンバー2はオアシスの2nd「モーニング・グローリー」(95年)だ。発表当時、「今聴かれるべきは、ビートルズの『アビー・ロード』より『モーニング・グローリー』」と話したら、同世代の知人は怪訝な表情を浮かべていたが、確信は今も揺るがない。オアシスの飛翔と失墜を追ったドキュメンタリー「スーパーソニック」が間もなく公開される。年内に足を運びたい。

 師走はスケジュールが立て込んで気ぜわしい。重いのはもたれるから、サラッとした本を選ぼうと紀伊國屋本店の2階に足を運んだ。<軽く、スイスイ>をキーワードに購入したのは川上弘美の「真鶴」(06年、文春文庫)である。ところが、全くの見込み違いだった。

 川上を読むのは「センセイの鞄」(01年)以来、2冊目で、感想は別稿(昨年5月)に記した。四季折々の移ろいを織り込んだ水彩画で、鳥、虫、月、花にツキコ(主人公)の思いが仮託されている。寂寥が滲むラストが印象的だった。「真鶴」もトーンは近いが、深みとスケール感が増している。

 読了後、心の濾紙に苦味が残り、底に純水が滴り落ちた。苦味の実体は何かと思い巡らすうち、ここ数年、最も難渋した二つの小説、古井由吉の「槿」と保坂和志の「未明の闘争」に行き着く。ともに幻影(幽霊)が現れ、自身と他者への距離、現実と仮想の混濁、生死の淡い境界が描かれている。同じテーマを追求した「真鶴」には、飛沫を立てて苦味を洗い流す鮮やかさがあった。

 「センセイの鞄」のツキコは30代後半だったが、「真鶴」の京(けい)は40代半ばと、発表時の川上の実年齢に近い設定になっている。「真鶴」では女性の生理、欲望と性が柔らかく簡潔な言葉で描かれていた。<フェミニン>を前面に表現する女流作家は、意外に少ないのではないか。

 京はフリーライターで母、娘の百の3人家族だ。血の繋がった3人ゆえ、感覚が近いことが会話からも窺える。夫の礼は10年以上前に失踪したが、籍は抜いていない。孤独に苛まれた京だが、数年来の恋人がいる。妻子ある編集者の青茲で、京の中で礼と青茲の濃淡が入れ替わる。

 「センセイの鞄」では、〝センセイへの思いを確認する媒体〟として小島が登場する。「真鶴」では青茲≒小島、礼≒センセイといった構図だ。京と青茲は互いの家庭を壊さないという〝正しい不倫のルール〟を守っているが、<いる者、いない者>を交えた嫉妬が生じ、京の中で常に天秤が揺れている。

 母、百、青茲、そして記憶の中の礼に加え、中盤以降、女が京に纏わりついていく。女は幽霊で、京を真鶴に誘う。そこは恐らく礼が命を絶った場所で、京と礼の過去が甦る。女の姿が濃くなるにつれて今生と他生の境界が曖昧になっていく。日本的な死生観が滲み出て、「雨月物語」や「高野聖」に似た色調を帯びてくるのだ。京は女が語る境遇に感応し、彼女の悲運に思いを馳せる。

 幽霊をどう捉えるか、個人差があるだろう。礼を追い詰めたことへの京の贖罪の意識の表れと見ることも可能だ。ミステリー好きなら、<嫉妬に狂った京が礼を殺した>なんて想像するかもしれない。「理解が浅い」と嗤われるのを承知で私見を述べれば、<女の幽霊を京の元に使わしたのは礼>……。過去と決着をつけた京は、死者と生者が織り成す三角形から解き放たれ、パソコンで小説を打ち始める。書き出しは<いるのに、いない>で、タイトルは恐らく「真鶴」だ。

 日本文学の高みに連なる小説に出会えたのは無上の喜びだった。俺より2歳下の川上は14年に「水声」(読売文学賞)、今年は「大きな鳥にさらわれないよう」(泉鏡花文学賞)と高評価の小説を続けて発表している。アラカン女性の真情がどう描かれているのか興味がある。「真鶴」からの進化と深化も楽しみだ。
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ドラマ、オーストリア大統領選、六義園、カジノ法、麻雀ブーム?~師走の雑感あれこれ

2016-12-05 22:48:36 | 戯れ言
 「相棒」で甲斐享を演じた成宮寛貴に薬物疑惑が浮上した。「シーズン13」のラスト、<法の下の正義>を説く杉下に、甲斐が突き付けた<人間としての正義>は、伊坂幸太郎の小説や「その女アレックス」と同一線上にある。いずれ甲斐が杉下の敵として再登場し、正義を巡って闘う……、そんな展開を密かに期待していたが、実現しそうにない。

 勤続疲労気味の「相棒」に比べ、シャープで疾走感に溢れた「スニッファー」(NHK)が終了した。未見の方はぜひ再放送をご覧になってほしい。ウクライナで制作されたドラマのリメークで、最終話のエンディングからPART2は確実だ。阿部寛と香川照之の日本を代表する名優が〝相棒〟で、人間臭さや欠点を曝け出しながら事件を解決していく。日本社会への警鐘をサラリと台詞に込めている点にも共感出来る。

 オーストリア大統領選で、緑の党前代表のファン・デア・ペレン氏が極右候補を破った。世界中で接着剤、緩衝材としての役割を果たすのが緑の党で、オーストリアでもリベラルの結び目になった。結党4年のグリーンズジャパンはまだまだ力不足だが、カルチャーを軸に緑の理念――多様性の尊重、環境保護、脱成長、格差是正――を浸透させていきたい。

 週末は六義園で、ライトアップされた紅葉を観賞した。5年連続になるが、お約束の〝演出〟に以前ほどの感興を覚えなかった。FBやブログに掲載したり、メールで知人に送信したりするため、競うようにスマホで撮影する人々に囲まれたが、「凄く人工的」と話していた若い女性は、〝事の本質〟を突いていた。

 勤め人だった頃、帰省した折に嵯峨野を何度か散策した。俺は当時、情緒と無縁だったが、それでも情念の蠢き、霊的なざわめきに感応した。世紀を挟んで、観光の形は変わる。個として自然に向き合うより、スマホを介在させて自分と他者を繋ぐことに比重が移っているのだろう。

 カジノ法案があす6日にも衆院を通過する運びとなった。採決反対の民進党だが、非主流派の長島、前原、松野議員らは以前から賛成で、角突き合わせている石原、小池の元・現都知事も推進派だ。仕事先の夕刊紙は、<自民党が拙速に進める理由はトランプへのご機嫌取り>と報じていた。トランプ最大のスポンサーはカジノを牛耳るホテル王で、自身も関心が強いといわれている。

 プロのギャンブラー兼作家の森巣博は2年前、「津田大介 日本にプラス」に出演した際、<ギャンブルが劣悪な環境下(莫大な控除など)で行われている日本で、カジノが世界標準で実施されるなら認めざるを得ない>(要旨)と話していた。だが、〝世界標準〟になるのは難しい。パチンコ業界同様、カジノが警察関係者の重要な天下り先になり、〝日本的な締め付け〟がルールになるだろう。

 良血馬(サトノの冠)を数多く所有する里見治氏(セガサミーHD会長)もカジノのキーマンか。同氏を超える資産(600億円弱)を持つ藤田晋氏(サイバーエージェント社長)も競馬好きとして知られるが、〝道楽〟に選んだのは麻雀である。自身も2年前、最強位を獲得するなどプロ並みの打ち手だ。サイバーエージェントの協賛・サポートにより、CS局で麻雀番組が飛躍的に増えた。気前のいいタニマチであり、営業部長兼広報部長でもある。

 最強位戦出場を懸けた「サイバーエージェントカップ」には、藤田氏が各団体のリーグ戦で打ち筋を観察した上で、次代のスター候補8人をピックアップした。当ブログには高宮まりが頻繁に登場するが、同戦に選抜された水口美香、アシスタントを務めた東城りおもかなりの美貌だ。「アカギ」を演じた本多奏多や水崎綾女(女優)など、才能ある若手芸能人が次々に参戦している。

 将棋も相変わらず面白い。雀士のように対局者を挑発するコメントは御法度だが、指し手で自由を表現する棋士も多い。代表格は佐藤康光九段で、47歳になってもファンを瞠目させている。昨日のNHK杯では23歳の斎藤慎太郎六段と対局した。序盤の工夫が空回りし、斎藤のペースになった。佐藤の玉は8筋から2筋に大移動し、秒読みで薄氷の攻防で勝勢になった。他の棋士が真似出来ない佐藤の独創性と粘り強さに感嘆した一局だった。

 NFLについて記す機会が減った。充実した布陣で中継していたGAORAが放映権を失い、「GAMEPASS」(ネットの中継コンテンツ、年間3万円)が殆どの試合を中継している。録画でじっくり楽しんできた俺にとって、大きな痛手だ。WWEに続き、〝飯の供〟を2つなくしたが、補って余りあるのが上記した麻雀番組だ。

 還暦になった俺は、生き方を変える必要に迫られている。来年に向けて、あれこれ思いを巡らす年の瀬だ。
 
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「唐牛伝」~光芒を放つ漂流者の生き様

2016-12-02 11:39:15 | 読書
 佐野眞一の新作「唐牛伝~敗者の戦後漂流」(小学館)を読了した。4年前、〝ノンフィクションを殺した男〟のレッテルを貼られ、社会的に葬られたかに見えた佐野にとって、再生のスタートラインである。「東電OL殺人事件」(2000年)以降、俯瞰で距離を保つのではなく、対象の懐に入り込むようになった。本書でも、唐牛健太郎という魅力ある突破者、アウトローの47年の漂流にインファイトを仕掛けている。

 函館出身の唐牛は北大時代、共産党に幻滅しブント(共産主義者同盟)に加わる。島成郎書記長にスカウトされて全学連委員長に就き、60年安保闘争の象徴になった。本書は60年安保とそれ以降のラディカルな運動に参加し、共産党に決定的な不信感を抱く少数派向けのエンターテインメントで、佐野もそのひとりだ。

 60年安保は岸信介、昨年の戦争法反対は安倍晋三……。主たる敵が一族というだけでなく、マスコミの屈服など重なる点も多い。本書の冒頭に登場するシールズは、既成政党と組み、非暴力を貫いた。安保闘争時のブント全学連は既成左翼の否定から始まり、身体性が際立っていた。60年4月26日、国会前のデモで唐牛が装甲車に飛び乗ってアジテーションする歴史的瞬間は、伝説として語り継がれている。

 ブントの中心メンバーはその後、様々な分野で業績を残す。精神科医として地域医療に携わった精神科医の島(上記)、唐牛の生涯の友だった西部邁、理論的指導者で後にノーベル経済学賞の候補に挙がった青木昌彦と枚挙にいとまない。ちなみに青木は、岸を北一輝の影響が濃い国家社会主義者と論じていた。そして〝輝ける星〟唐牛は漂流者だった。

 文化人もブントにシンパシーを抱く。吉本隆明の「擬制の終焉」、高橋和己の「憂鬱なる党派」、大島渚の「日本の夜と霧」は、いずれも共産党の前衛神話崩壊をテーマにしている。同じく時代の寵児だった寺山修司はカンパ要請を拒否したが、石原慎太郎は大枚をはたいた。石原らしいエピソードである。

 学生運動の拠点は東大と京大だった。全学連委員長にスカウトされた北の田舎者に、〝エリート〟たちは冷たい視線を向けたが、唐牛の野性と情熱は雑音を封じ込める。唐牛はヌーヴェルヴァーグ、パンクであり、天性の傾奇者(かぶき者)――戦国時代を闊歩した異形の集団――だった。ちなみに西部はブント全学連を非行者の集団と評している。唐牛のルックスや放つオーラは石原裕次郎並みで、言動は若者たちを魅了した。

 女性を口説きまくった唐牛だが、後に青木と事実婚する桐島洋子は別の側面を指摘している。関係に臆病で、子供を持たないと決めていたという。唐牛は庶子であることに苦悩し、幸薄い母への思いが強かった。幸せな家庭への忌避感は生き方にも敷衍する。友人だった岩田昌征(社会学者)は唐牛の悔いを以下のように記していた。

 <自分の現場指揮によって生起してた多大の犠牲者、ノーマルな人生設計のチャンスを失ってしまった多くの学生の運命を、心の底の重荷としていた。全学連委員長であった自分は、闘争の血債を支払った者のその後の人生水準よりも上の楽な生活を絶対しない>(要旨)

 自分を律する唐牛の厳しさ、潔さに感銘を覚える。戦争、公害、原発事故と国民に災禍をもたらしながら、責任を逃れ、罪の意識が窺えない者たちに、唐牛の決意はどう響くだろう。唐牛の漂流と下降は、矜持と美学に基づいていたのだろう。

 一瞬で燃え尽きたブントだが、岸内閣を倒し、憲法を守った。安保法反対と比較にならない成果といえる。違いはどこから生じたのか。安保は若者中心で躍動感と身体性(≠暴力性)に溢れていた。機動隊員を引きずるように走った唐牛は、権力側にとって忌むべき存在であり続ける。3億円事件の犯人と疑われ、母の看病のため函館に帰っていた時期(70年代後半)も、公安の監視下にあった。世紀が変わっても、親族の周辺に公安の影がちらついていた。

 西部は唐牛と同郷(長万部町出身)で、ともに文学青年だった。唐牛はマルロー、カミュからハードボイルドまで幅広く小説を読んでいたという。唐牛は68年、安田講堂に籠城した学生たちにヘリコプターから食糧を降下する計画を立てた、聞きつけた西部は、運動と縁を切っていたにもかかわらず、「何か手伝うことはないか」と言ってきたという。開放的な唐牛、粘着質に見える西部……。好対照に映る両者だが、修羅場をくぐった戦友だった。

 <唐牛は家族という最小単位の社会からもずれる種類の人間だった。その喪失、その欠落を補おうとする唐牛の意欲も(中略)激しいものがあった>……。漂流する唐牛の元をしばしば訪ねた西部の唐牛評はいずれも秀逸である。

 死の床を訪ねた西岡武夫、管直人、加藤紘一ら政治家、陰ながら支援した〝財界官房長官〟こと今里広記(日本精工社長)、選挙を応援した徳田虎雄etc……。本書には唐牛に惹かれた著名人が数多く登場する。人たらしの唐牛は、出会った者の心を鷲掴みするのだ。膨大な人脈の中で物議を醸したのが、田中清玄と田岡一雄(山口組三代目)だ。

 ブント全学連は田中から資金援助を受けており、その弟分である田岡も元活動家を系列会社に雇う。白と黒を峻別する二元論者にとって唾棄すべき事態だが、60年代はファジーな時代だった。佐野の著書「旅する巨人~宮本常一と渋沢敬三」に、興味深い下りがあった。そもそも宮本自身、割り切れない存在で、住民運動や解放運動に寄与すると同時に、熱烈な皇室崇拝者だった。当時、黒幕(恐らく田中清玄)、各界の大立者、新左翼党派のリーダーまで集うサロンが存在し、宮本も常連だった。闇鍋のような混沌と曖昧が常態だったのだろう。

 唐牛は漂流を重ねるうち、論理や言葉に距離を置き、日本的情念が濃くなる。行く先々で強い印象を与えたが、闘志的な発言はせず、大酒を食らい、バカ話やホラで周囲を楽しませた。高倉健を気取り、愛唱歌は小林旭の「さすらい」だった。84年、直腸がんで召されたが、悪化しても節制はしなかった。時間を掛けての自殺といえるだろう。告別式では加藤登紀子が「知床旅情」を歌った。

 唐牛は何者だったのか……。勇姿を知らぬ俺には、光の加減と回すスピードで劇的に景色が変わる万華鏡の如くだ。大島渚は「ストイックな生きざまは清々しく痛々しい」と語っていたが、身近で接した桐島洋子は、闘争中もプールで泳ぎ、阪神を熱心に応援し、女の子を口説きまくる唐牛に驚いたという。

 唐牛はなぜ愛されたのか……。佐野の答えは<嫉妬心がなかったから>。唐牛はさらに、徹底した水平思考の持ち主だった。漂流の果て、<不良少年の更生>という生きがいを見つけた。生き永らえていれば、〝非行者の大将〟の再生に多くの者が協力したに違いない。唐牛が最後に夢を手に入れたことに救いを覚えた。

 函館は俺が最も愛する街だ。「海炭市叙景」(佐藤泰志著)を携え、唐牛の痕跡を追ってみたい。2世代下の俺も、唐牛の磁力に引き寄せられつつある。
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