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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

フジロック'07初日~神話になった苗場の夜

2007-07-29 02:01:45 | 音楽
 車内泊バスツアーの強行日程でフジロック初日(27日)を楽しんだ。グリーンステージ後方に敷いたレジャーシートで体を休め、演奏開始と同時にステージに向かうというパターンで一日を過ごした。

 各バンドの感想を簡単に。サンボマスターはパワフルだったが、MCが多すぎで白けてしまった。ロッカーは曲にメッセ-ジを込め、喋りは最低限に控えるべきだと思う。イエローカードはバイオリンとロックを融合させたユニークなバンドだった。メロディーに磨きが掛かれば、グリーンデイの継承者になれる。流れが悪ければ、レッドカードで退場の可能性もあるが……。

 前半のハイライトはKEMURIで、そのグルーヴ感は俺の体まで揺らすほどだった。年内解散が惜しまれてならない。ジャービス・コッカーは、「過去の人」というイメージが拭えなかった。PULP時代のヒットパレード的セットリストで臨んでくれたら、盛り上がったはずなのに……。キングス・オブ・レオンはUK勢のブロック・パーティーとともに、俺の一押しバンドである。重く、沈み、歪んだ米オルタナ正統の音は心身にズシリ響くが、モノトーンで表情に乏しい。外向きのベクトルも必要だと思う。

 そして、待ちに待ったミューズ⇒キュアーだ。ミューズは29日に韓国初の夏フェス、キュアーは30日に香港公演がブッキングされている。このスケジュールのおかげで、欧米主要フェスでヘッドライナー(トリ)を務める両バンドが同じ夜、同じ場所で演奏するという奇跡が成立した。ミューズは自他共に認めるキュアーチルドレンで、04年のキュアー全米ツアーに帯同したこともある。ファンが体感したのは、ゼウス(父=ロバート・スミス)とヘラクレス(息子=マシュー・ベラミー)の凄まじい闘いだった。

 キュアーへのリスペクトを「父殺し」で示すため、マシューは掟を三つ破っている。第1は開始時間の遅れだ。照明効果を上げるために30分弱待ったというのが俺の推察(邪推)である。第2は自前スタッフによる大型スクリーンのコントロール、第3はトリ以外に許されないアンコールの設定である(PA不調にブチ切れて引っ込んだという説もあり)。

 ミューズは97年(第1回)のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに匹敵する超絶パフォーマンスを、ドラムセットを壊す03年以前のスタイルで締めくくった。PA不調にマシューはキレていたが、パフォーマンスの質には影響なかったと思う。「怒れる息子」は「俺たちが一番」と言いたげに天に指を立てたが、ロバートが引き下がるはずはない。「スケジュールの都合で90分しか演奏できません」とのHPの告知を撤回し、アンコール2回、2時間20分のセットリストで、マシューの意気込みに対抗した。

 23年のブランクと日本を意識し、“In Orange”当時のリストから“Kyoto Song”と“Walk”(歌詞に“Japanese baby”)を選ぶなどサービス精神も旺盛だった。別稿「キュアーという蜃気楼」(7月17日)では<ポストパンク/オルタナの創始者>という面ばかり強調したが、ロバートがポップな曲をいかに多く作ってきたか、あらためて実感できた。ロバートが背を向けアコースティックギターに持ち替えた瞬間、“In Between Days”と呟いた。予想通りイントロが流れると、隣の外人さんが俺の肩を叩いてくれた。

 ヘラクレスの弓から天上に向かって放たれた毒矢は、ゼウスに命中しなかった。なぜならキュアーは下界に降り立ち、オーラと年輪をファンに示したからだ。「悪魔憑き」ロバートの声が、苗場の闇を切り裂き、深くする。「2ちゃんねる」などのミューズ関連の掲示板では、ミューズ絶賛だけでなく、「キュアーは凄い」という書き込みも目立っている。キュアーとミューズが同じ神話に登場する“Icon”であることを、若いファンは実感したに違いない。俺もまた「UKロック版~ゼウスとヘラクレス」の2幕の物語に、時がたつのを忘れていた。

 ミューズの現在をキュアーの歴史に当てはめると、“Head On The Door”(85年)の時期に相当する。ミューズが「父超え」を成し遂げるためには、あと3枚、キュアーの“Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me”~ “Disintegration”~“Wish”に匹敵するアルバムを発表しなければならない。その点で、俺はかなり悲観的である。

 申し分ない苗場初体験だったが、心残りがある。20日余り不眠症が続き、起きている時間が長い分、暴飲暴食を繰り返していた。ところが26日から便秘になる。フェス当日、下痢になったら目も当てられないので、現地で評判の旨いものを一切食えなかった。

 来年は胃腸を整え参加して、旨いものを食いまくるか。レイジが来てくれるなら……。

 <追記>スマッシュ日高代表が明かした裏話。フジ初日、ミューズの機材が届いたのは夕方5時半で、キャンセルは免れたものの7時20分スタートは不可能。キュアー側は遅れを了承するのと引き換えに、演奏時間延長を要求。両バンドの相譲らぬパフォーマンスの陰に、このようなエピソードがあったとは……。
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何処へ行くのか大江慎也~ロック少年の終わりなき旅

2007-07-26 05:09:36 | 音楽
 <88年はBOØWYが解散した年ではなく、ルースターズが消えた日>……。ウィキペディアの「ルースターズ」の項にはこう記されている。

 ルースターズのオリジナルメンバーは04年、フジロックのメーンステージに立った。大江慎也はこの「解散ライブ」で、10年ぶりに公式の場に姿を現す。復帰後の大江に密着したドキュメンタリー「何処へ行こうか」がフジ721で放映された。

 花田裕之、池畑潤二、井上富雄がバンド結成から大江脱退への経緯を語る。80年代前半、ルースターズは「インセイン」~「イン・ニュルンベルグ」(12㌅シングル)でビートを極め、ファンや評論家を瞠目させる。驚異の飛躍を実現させた大江の心身は、「イカルスの翼」のように傷ついていた。

 大江自身は入退院を繰り返した頃を、「ただぼんやり、時が過ぎるのを待っていた」と回想している。大江の停滞期、新加入の下山淳が煌く才能で新風を吹き込んでいく。「ルースターズはリーダー不在のバンドになった」と、池畑と井上が相次いで脱退した。板挟みになった花田が苦悩の日々を過ごしたことは想像に難くない。

 <花田―下山>ラインで制作された「φ」は、大江の心的風景に沿うように絶望と孤独に彩られており、ルー・リードの「ベルリン」に匹敵する美しいアルバムだ。メンバーが病室の大江を担ぎ出し、スタジオに向かったという逸話も残されている。「φ」発表後の85年、大江はルースターズを脱退し、バンドも3年後、活動に終止符を打った。

 大江の代表曲は「CMC」(83年)だ。「世界最終戦争」をイメージしたかのような歌詞は、モリッシーの「エブリデイ・イズ・ライク・サンデー」(90年)と共通している。UKのカリスマにコンセプトで7年も先んじたという事実が、ルースターズの革新性を示している。

 昨年8月6日に開催された「ブラックリスト」で、大江は「CMC」をリストから外した。<ロックンロールとは人間の喜びと悲しみから生まれた音楽だ。原爆が投下された日、戦争を連想させる曲を演奏する気にはなれない>……。大江の良識は、久間前防衛相と対極に位置している。

 浅井健一(元ブランキー・ジェット・シティ)、Birthdayのチバユウスケ(元ミッシェルガン・エレファント)、冷牟田竜之(東京スカパラダイスオーケストラ)が、大江こそ自らの原点と番組内で繰り返し語っていた。彼らだけではなく、ブルーハーツら邦楽ロックを隆盛に導いた多くのアーティストが、大江に限りないリスペクトを抱いている。ひっそり消えた不遇のバンドは世紀を超え、ロック界最高のレジェンドになる。ルースターズが証明したのは、<ある時代の前衛は次の世代のポップミュージックになる>というロック史の公式だった。

 母校(東筑高)訪問編も楽しめた。同期生らしい女性音楽教師は、大江が「偉く」なったことを全く知らなかった。東筑は高倉健や故仰木彬氏を輩出するなど質実剛健で鳴る名門校だが、大江は女装姿でアルバムに収まっていた。

 「孤高のカリスマ」大江は、傲岸とは無縁で、自らの「値打ち」に無頓着だ。初心でぎこちない少年のまま、これから「何処」に向かうのだろう。極北を目指し、ひとりワイルドサイドを歩もうとも、大江は決して孤独ではない。出会いから30年、花田と池畑は友としてミュージシャンとして、今も大江を支え続けているからだ。「何処へ行こうか」は褪せることのない友情、壊れることのない絆が存在することをも教えてくれた。

 さて、フジロック。仕事を終えた後、深夜バスで当地に向かう。極度の不眠症で疲労も蓄積している。ミューズ⇒キュアーを楽しむ前に力尽き、救護テント行きも十分ありうる話だ。今(5時過ぎ)から少し寝ようかな……。

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テーマは<ストップ封建制>~参院選まで1週間

2007-07-23 01:10:10 | 社会、政治
 麻生外相の「アルツハイマー発言」に涙が出そうになった。この程度の御仁を首相に戴く可能性があるからだ。かつて麻生氏は自民党総務会で、野中広務氏から差別発言についての糾弾を受けている(魚住昭著「野中広務 差別と権力」)。麻生氏は筋金入りの<反人権主義者>といえるだろう。

 今の日本を端的に表現するなら、<封建制下の階級社会>だ。格差拡大、地方切り捨て、年金不安が進行する中、弱者の痛みがわかる政治家が自民党にいるとは思えない。

 中川幹事長、中川政調会長、丹羽総務会長、石原幹事長代理、逢沢議運委員長はすべて2世議員だ。父が県会議員だった二階国対委員長は「準世襲」といえるだろう。内閣でも安倍首相、塩崎官房長官、麻生外相、甘利経産相、赤城農水相、渡辺行革相、佐田前行革相、世耕補佐官と、世襲議員が主要ポストを占めている。

 封建制を今風に噛み砕けば<旧来の権威が幅を利かし、改革への情熱が失われた状態>で、上意下達のヒエラルヒーと世襲が社会に蔓延する。北朝鮮が恰好のモデルだが、日本も人ごとではない。世界広しといえど、党最高幹部の世襲は自民党と朝鮮労働党ぐらいだろう。自民党を支える創価学会も、封建制の典型というべき組織である。

 共産党は<ストップ貧困>を掲げているが、今の日本には<ストップ封建制>も必要だ。今回の参院選は試金石だが、政権交代が実現すればムードは変わる。複数の価値観がぶつかり合う状況こそ<ダイナミズム>の必要条件で、政治腐敗や汚職の構造も改善されるはずだ。

 「ニュースの深層」(朝日ニュースター)で田原総一朗氏は、安倍政権の実績を評価し、バッシングが起きた理由を自己流に分析していた。即ち<社保庁含め反安倍の官僚からのリークが民主党やマスコミに流れ、何も知らぬ国民が同調した>……。

 原子力行政の闇を告発するなど、「権力に噛み付く犬」だった田原氏だが、今や「与党の老番犬」に堕している。小沢一郎民主党代表が最低保障年金の全額支給ラインを年収600万円に設定したことに嫌悪感を隠さず、「(金持ちの)俺たちは小沢さんの敵なんだ」と、進行役の宮崎哲弥氏に同意を求めていた。

 田原氏だけでなく、小沢氏の社民主義への傾斜を指摘する論者は多い。年収600万に到達しそうもない俺は軌道修正を支持するが、前原前代表ら若手保守派の造反(脱党)を危惧する声もある。

 参院選で個人的に注目しているのは、共産党と社民党の得票率だ。両党が民主旋風に巻き込まれず、一定の支持を獲得すれば、それが地殻変動の証明になる。次期衆院選で政権交代は確実だろう。

 俺の思想信条は社民党に近いが、死に票を避けるため、地方区は民主党の危なそうな候補という選択になりそうだ。比例区は大いに迷っている。当ブログの読者の方なら、理由はご存じかもしれないが……。


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「スーパーサイズ・ミー」~体を張った警告

2007-07-20 00:25:45 | 映画、ドラマ
 米国産牛肉、不二家、あらゆる中国産、ミートホープの牛肉偽装と、食の安全を脅かすニュースが相次いでいる。18日にはマクドナルドで販売中の牛乳が大腸菌群混入の恐れありとして、自主回収された。

 今回は、そのマクドナルドをめぐって物議を醸したドキュメンタリー「スーパーサイズ・ミー」(04年)を紹介する。先日シネフィル・イマジカで2度目の視聴と相成った。本作で注目を浴びたモーガン・スパーロックは、「30デイズ」シリーズ(WOWOWで放映)でテレビ界にも新風を吹き込んでいる。

 スパーロックは自らをサンプルに、<マクドナルドを一日3回、30日間食べ続ける実験>を行い、心身の変化をカメラに収める。「スーパーサイズにしますか」という店員の提案を呑むこともルールに含まれていた。本作が反響を呼び、マクドナルドは「スーパーサイズ」をメニューから外している。

 実験の結果は深刻だった。健康体だったスパーロックだが、体重は11㌔増え、総コレステロール、中性脂肪、GPTなどあらゆる数値が危険水域に達する。本作へのネガティブキャンペーンは凄まじかったが、スパーロックの目的はマクドナルド告発ではない。莫大な宣伝費で子供たちを洗脳し、給食にまでファストフードが入り込んでいる実態に警鐘を鳴らしたかったのだ。

 スパーロックはエリック・シュローサー著「ファストフードが世界を食いつくす」(草思社刊、01年)にインスパイアされたに違いない。同書はファストフードの伸張が及ぼした影響を、あらゆる角度から分析している。レーガン政権下で反トラスト法が棚上げされ、農業で寡占化が進行した。追い詰められた家族経営の農場は、食肉メジャー傘下に入らざるをえなかった。ファストフードに食材を提供している養鶏業者の年収は、1万2000㌦程度に抑えられているという。

 「30デイズ」シリーズを貫くのは、スパーロックの人間に対する信頼だ。俺は勝手にスパーロックを、真のアメリカンドリームを希求したキャプラの継承者と位置付けている。<対極の価値観を持つ者が30日間生活をともにし、思想信条の変化を探る>がシリーズの基本パターンだが、スパーロックは<相寄る魂>が対立を乗り越える過程に迫っている。

 俺も30代の頃、無意識のうちに実験を行っていた。運動もせず肉類、ジャンクフード、炭酸飲料、アイスクリームを貪り食っていた。影響は精神にも及び、脱力感と無気力に苛まれていたが、40代突入とともにライフスタイルを変えた。ウオーキングを始め、余分な糖分を控えた結果、数値は少しずつ下がっていった。あれから10年、節制は多少緩んでいるが、ウオーキングは生活の基本リズムになっている。

 本作を見て、急にマックを食べたくなった。全くの逆効果である。俺のファストフード利用頻度は月2~3回だが、年齢を考えると多い部類かもしれない。そういや今日から、メガマックが限定販売される。旨いも何も、大き過ぎ、食べているうちに冷めてしまうのだが……。


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キュアーという蜃気楼

2007-07-17 02:38:18 | 音楽
 新潟県中越沖地震で7人が亡くなった。ご冥福をお祈りしたい。中越地震から3年もたっていない。避難生活を強いられる被災者のことを思うと胸が痛む。原発の耐震性に不安が生じるなど、今回の地震も深刻な事態を引き起こした。

 フジロックまで10日。老骨に鞭打ち車内泊バスツアーでキュアーを初体験する。苗場周辺は被害が小さかったようだが、会場で行われる募金などチャリティーには積極的に加わりたい。

 「キュアーを見ずに死ねるか」と馳せ参じる同志は少なくない……と思いたいが、悲しいかな、キュアーは日本で無名のままだ。<キュアー=ロバート・スミス>の構図が絶対で、バンド特有の汗臭さや愛憎劇と無縁なのも、日本で盛り上がらない一因かもしれない。

 「アングラの帝王」ソニック・ユースと比較して、キュアーの日本における浸透度を測ってみよう。ミクシィのコミュニティ参加者はソニックス5304人、キュアー2387人。ヤフーBBの着メロ曲数はソニックス9、キュアー0……。世界制覇を達成したキュアーだが、日本ではソニックスよりマイナーなのだ。

 ソニックスは「グランジの父」として、ニルヴァーナやダイナソーJRのファンからも支持されるなど、ファンの<相互乗り入れ>が健全な形で実現している。一方のキュアーだが、その影響力はソニックスを凌駕している。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、メタリカ、グリーン・デイ、レディオヘッド、リンプ・ビズキット、リンキン・パーク、ミューズ、キラーズ……。錚々たる面々がキュアーへの敬意を表明しているが、その事実は日本のロックファンに認知されていない。

 フジ初日、欧米の主要フェスでヘッドライナー(トリ)を務めるミューズが、キュアーの「前座」を務める。ミューズはキュアーの全米ツアー(04年)に帯同したこともあり、キュアー・チルドレンを自任するバンドだ。ミューズ(キュアー)のファンならキュアー(ミューズ)を聴くべし……。スマッシュ日高代表が意図したのは、ファンの<相互乗り入れ>だと思う。

 「クロウ~飛翔伝説」(94年)のサントラには、ナイン・インチ・ネイルズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ストーン・テンプル・パイロッツら米オルタナ界を代表するバンドが名を連ねている。彼らの中で「キュアーにもぜひ」という声が上がり、書き下ろしの「バーン」を提供した。この経緯が、<ポストパンク/オルタナの創始者>としてのキュアーの位置を物語っている。

 「MTV-Icon」のDVDでは、進行役を務めたマリリン・マンソンがロバート・スミスに跪き、憧れを表現していた。Blink-182、AFI、デフトーンズらカリフォルニア産のオルタナバンドが、次々にキュアーの曲を演奏する。その様子をロバートは、感慨深げに眺めていた。キュアーは本国UKよりアメリカで、正当な評価を受けているのかもしれない。

 20年以上前のインタビューで、ロバートは安部公房や三島由紀夫を好きな作家に挙げていた。1度きりの来日公演時(84年)、ファンと京都観光に興じている。“Kyoto Song”(“Head On The Door”収録)は、その時のことを歌った曲かもしれない。キュアーの歌詞には“Japanese”、“Tokyo”といった言葉が多くちりばめられている。ロバートは意外にも「親日家」かもしれない。

 キュアー初心者のために、手っ取り早く神髄に迫る方法を伝授する。お薦めはDVD「トリロジー~ライブ・イン・ベルリン」だ。“Pornography”、“Disintegration”、“Bloodflowers”の「闇の3部作」を曲順のまま演奏する画期的な試みを収録しており、CDを3枚買うより遥かにお得だ。

 「トリロジー」購入を前提にCDを買うなら、“Head On The Door”、“Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me”、“Wish”の3枚だ。とりわけ“Wish”は究極のポップアルバムで、“Disintegration”とともにキュアーの2大傑作といえる。フランスの古城でのライブを収めた“In Orange”はロックのライブ映像でNO・1と断言できるが、現在は廃盤だ。DVD化を心待ちにしている。

 ロバートは少年の夢、孤独、絶望を詩に託し、ファンの心を掴んできた。キュアーがロック界に与えた影響は<形式>ではなく、音楽性、志向性、文学性といった<精神>に属するものだ。だからこそ、カフカの「城」のように、なかなか本質に辿り着けない。伸ばした手の先、辛うじて触れているのは、巨大でカラフルな蜃気楼の一部なのだから……。

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「一陽来復」もしくは「負のスパイラル」?

2007-07-14 04:34:58 | 戯れ言
 昨年9月末、ラーメン屋のカウンターで遅い夕飯を取っていた。
 「あの人、ネズミ男に似てる。きっと駄目になるよ」
 「おまえ、政治音痴だな。支持率70%だよ」
 安倍晋三新首相が店内のテレビでアップになっていた。声の主はテーブル席の10代とおぼしきカップルである。

 <安倍新首相は小泉前首相より遥かに危険な存在である>……。俺が敬意を抱く辺見庸、立花隆、佐野眞一、佐高信の各氏が警鐘を鳴らしていたが、完全な肩透かしだった。ラーメン屋の少女こそ、この国で最も鋭敏な「政治評論家」だったとは……。

 安倍首相は快調なスタートを切った。父(故晋太郎氏)の代から昵懇の池田創価学会会長の仲介で訪中し、<平成の妖怪>に大化けかと思わせたが、その後はジリ貧である。閣僚らの相次ぐ失態、郵政民営化反対派の復党、本間税調会長の愛人問題、消えた年金と逆風は収まらず、支持率は漸減していく。

 先日「ニュース23」で、選挙通の3氏が参院選を展望していた。岸井氏は<自民47・公明12>、星氏は<自民44・公明12>、田勢氏は<自民39・公明12>と、いずれも与党過半数割れを予測していた。「週刊文春」、「週刊新潮」、「夕刊フジ」ら安倍応援団のはずの保守系メディアからも見放されている。

 首相は第一声で、<教育基本法改正、防衛庁の省昇格、国民投票法案成立により、「美しい国」(本音は「強い国」)づくりの礎を築いた>と誇らしげに語った。明らかに国民の意識と乖離している。本人は「理念型首相」気取りだが、「女は産む機械」、「原爆投下はしょうがない」発言にビビッドに反応できなかった。底の浅さと身内意識は否めない。

 実はこの9カ月、首相と悪い運気を共有していた。人生の歯車は完全に狂っていたが、最近ようやく「天中殺」から脱し、「一陽来復」の意味を実感している。一方の首相は依然「負のスパイラル」状態だ。参院選での与党惨敗に期待しているが、首相の悲痛な表情に呵呵大笑するつもりはない。それこそ、「負け慣れた者」のたしなみなのだから……。

 安倍政権以上に流れが悪いのがWWEで、3週遅れの日本の放送に興醒めしている。ビンス・マクマホン会長が精神に異常を来し、自動車事故で死ぬという虚構を作り上げていたのだ。レスラーが惜別の言葉を捧げるなど「まやかしのセレモニー」を続けたが、ファンは哀悼のテンカウントに起立せず、ブーイングを浴びせていた。死を弄ぶストーリーラインのさなか、ベノワの無理心中事件が起きた。

 ファンが白けきったギミックも、現実のベノワの死でピリオドが打たれたようだ(来週の放送)。ビンスの次なる手が「七転び八起き」になるか、「七転八倒」になるか注目している。WWEとは10年以上付き合ってきたが、修正と反省が見られなければ距離を置くかもしれない。


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「在日」~心揺さぶられる自伝

2007-07-11 01:44:23 | 読書
 「スタジオパークからこんにちは」の録画を見ながら、拙稿を書いている。姜尚中東大教授は「大脱走」のテーマをバックに颯爽と登場した。武内陶子アナが「素敵ですね」を連発したように、姜氏は女性の支持が高い。NHK御用達の知識人でもあり、現在も教育テレビ「知るを楽しむ~漱石編」(4回)のコメンテーターを務めている。バランスのいいリベラル的スタンスが、局にも視聴者にも受けているのだろう。

 政治学の専門書は敷居が高くチンプンカンプンだった。「ナショナリズムの克服」(vs森巣博氏)、「日本論」(vs佐高信氏)の対談集は示唆に富んでいたが、一番のお薦めは自らの半生を赤裸々に綴った「在日」である。

 スマート、シャープ、論理的、洗練、余裕、クール……。姜氏はこんなイメージと真逆の、貧困と混沌の坩堝で育った。「バッチギ!」の舞台でもある朝鮮人集落である。

 姜氏は当時の暮らしを「地の群れ」や「どん底」になぞらえていた。日本語の読み書きができないオモニ(母)に叩き込まれたのは、朝鮮半島の習慣だった。合法的に生きる糧は養豚と廃品回収しかなく、姜氏の両親とおじさんは後者を営んでいた。おじさんは血縁者ではなかったが、姜氏に最も大きな影響を与えた人物である。近くのハンセン病施設の患者と食卓を囲むこともあった。姜氏は両親とおじさんへの敬意を込め、以下のように記している。

 <彼らには、世の中で「汚いもの」「醜いもの」と思われているものとの接触を恐れない胆力のようなものが備わっていた。彼らの心優しさは、すさんだ「在日」の境遇を生きざるをえないからこそ、より不遇な人たちへの共感を強めていったのかもしれない>……。

 金嬉老事件、軍事独裁下の韓国訪問、梁政明さん(在日2世の早大生)の自殺が、姜氏の心にナショナリズムの火を灯す。「永野鉄男」の日本名を捨てる道を選び、早大韓国文化研究会(韓文研)の門を叩いた。70年代、金大中拉致、民青学連、朴大統領暗殺未遂と、日韓両国を揺さぶる事件が次々起こる。氏もこの状況に積極的に関わっていた。

 同胞から惨状を聞き及んでいたこともあり、姜氏は北朝鮮から距離を置いていた。韓国独裁体制打破を目指す運動を担ったが、左翼との折り合いは悪かった。立て看に書いた「韓国における民族の良心」の言葉を、「民族主義的偏向」とセクトから糾弾され、激論になったという。氏の原点は大塚久雄とマックス・ウェーバーで、左右の極論を排する姿勢は、学生時代から一貫している。

 ドイツ留学で得た親友インマヌエルは、日本における姜氏同様、当地でアウトサイダーとして生きるギリシャ系移民の2世だった。世界中から集まった留学生との交遊で、氏は様々な価値観に触れていく。最も触発された思想家として、パレスチナ出身のサイードを挙げていた。帰国後、指紋押捺拒否運動で土門牧師と知り合い、洗礼を受けている。

 永野鉄男と姜尚中、熊本と東京、土俗的習慣と学問、引き裂かれた祖国……。内なる葛藤と軋轢と闘いつつ、姜氏はアイデンティティーを探す内なる旅を続けてきた。氏の発言が多くの人を惹きつけるのは、生い立ちと成長過程でおのずと複眼的思考を身に付けたからだろう。

 <アンチ姜派>は数的に支持者を凌駕しているかもしれない。掲示板で攻撃対象になるケースも少なくないが、<姜氏=北朝鮮寄り、左翼>という誤った前提で批判を展開することは無意味である。



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キャプラが示した理想のアメリカ

2007-07-08 01:14:52 | 映画、ドラマ
 アメリカは20世紀初頭から、<自由・平等・公平>を排除し続け、2大政党が政権をたらい回しする<偽装民主主義>の仕組みを模索してきた。<資本主義独裁国家>が完成したのはマッカーシズムの時期である。チャップリンは追放され、キャパはいづらくなり、フランク・キャプラは深く傷ついた。

 今回は「わが家の楽園」(38年)、「スミス都へ行く」(39年)、「群衆」(41年)、「素晴らしき哉、人生!」(46年)を下敷きに、キャプラが掲げたアメリカの理想について論じたい。

 「スミス都へ行く」と「群衆」は、政治を真正面から取り上げた作品だ。前者では木偶として上院に送り込まれたスミスが、信念を武器に腐敗した議会にぶつかっていく。後者では架空の男を演じるうちに良心に目覚めた青年が、ナチス的全体主義を志向する資本家らに闘いを挑んだ。

 「わが家の楽園」では、文明批評的な視点も提示されている。ひたすら利潤を追求する資本家カービーと、コミューン化した自宅で人生を謳歌するヴァンダホフ老人……。対照的に描かれた二人は、それぞれの息子と娘が恋に落ちたことで人生を交錯させていく。

 先日シネフィル・イマジカで、キャプラの人生を追った「フランク・キャプラのアメリカン・ドリーム」(97年)を見た。ロン・ハワード、アルトマン、スコセッシ、オリバー・ストーンらの敬意に溢れたコメントも興味深いが、最も印象に残ったのは絶頂期のキャプラが下した決断だった。

 「わが家の楽園」で3度目のオスカー獲得と、イタリア移民のキャプラは40代前半で頂点を極めた。まさにその時期、大衆は恐慌により生活困窮に喘いでいた。成功したことへの罪の意識と償いのため、キャプラは従軍監督の道を選択する。空白期の生活費稼ぎのために撮った「毒薬と老嬢」(44年)は、ヒッチコックの「ハリーの災難」(55年)と似たトーンのブラックコメディーである。ちなみにヒッチコックは、マッカーシズムの礼賛者だった。

 戦争を境にキャプラの人生は暗転する。「素晴らしき哉、人生!」は興行的に大失敗で、非米活動調査委員会から召喚状が届いた。民主主義のため身を挺したキャプラは容共的と見做され、「見えざる手」により活躍の場は狭められていく。後半生は屈辱と憤懣の日々といえた(91年没、享年94歳)。

 「素晴らしき哉、人生!」の再評価が、キャプラにとっての救いだった。クリスマスの定番作品になり、アメリカ映画史上NO・1に推す声も少なくない。「家族そろって感涙にむせる人生賛歌」のキャッチフレーズゆえ、長きにわたって敬遠してきたが、奥深いヒューマニズムと批評性に強い感銘を受けた。

 主人公ベイリーが天使に伴われ、自分が存在しなかったパラレルワールドを彷徨う場面が秀逸だ。強欲な銀行家が支配する街で、人々は格差と貧困、ぎくしゃくした人間関係に苦しんでいた。「フランク・キャプラの――」でリチャード・シケル(映画評論家)は、「あの場面はアメリカの暗い夢であり、現在の国の姿を予知している」と語っていた。公平な社会を築くために自己犠牲を厭わないベイリーに、キャプラは<民主主義の理想>を仮託していた。

 青臭い主人公が、童貞と処女のカップルが語る愛のように、生硬かつ純粋に理想を説き、薄汚れた壁を乗り越えていく……。50年分の塵芥を溜め込んだ俺にとり、キャプラの作品は漂白剤かつ濾紙といえるだろう。数年おきに見て、心を清めることにしよう。
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「終わりなき旅」~棄民国家の真実とは

2007-07-05 00:41:33 | 読書
 帰郷中、「終わりなき旅」(井出孫六著、岩波現代文庫)を読んだ。満州開拓団の苦難の歴史が綴られている。

 同じころ報道番組を賑わせていたのは、久間章生前防衛相の「しょうがない発言」だった。<ソ連侵攻が予想された時期、原爆投下によって米国主導の占領が実現した。その後の経過を考えれば、甚大な被害も許容すべきである>が真意である。久間発言の本質は「終わりなき旅」の内容とピタリ重なっていた。

 「終わりなき旅」では最も多くの開拓民を満州に送り出した長野県に焦点を当てている。背景にあったのは<村税も集らない、信組が半潰れだ、差押へが来る、小作料は五年も滞る>という農村の惨状だった。関東軍主導の満州武装移民計画は、慎重派の高橋是清蔵相が2・26事件で暗殺されたことで一気に本格化する。

 満州を「王道楽土」と喧伝し、絶望に打ちひしがれた大衆を駆り立てた経緯は、北朝鮮帰国事業と近似的だ。「地上の楽園」の宣伝文句に躍らされ、在日朝鮮人や親族の日本人は塗炭の苦しみを味わった。自国民を楯にし、収奪し、棄てる……。キャッチフレーズこそ異なるが、満州開拓団と北朝鮮帰国事業は、全く同じ構図といえるだろう。

 酷寒の土地で開拓民は厳しい生活を強いられる。土壌改良や灌漑など、生産向上のための長期展望は存在しなかった。そして運命の45年8月9日が訪れる。ソ連はヤルタ会談を踏まえ、日本政府が予期した通り不可侵条約を破って参戦した。開拓団を強行に主張した関東軍は、召集した17歳から45歳の開拓民男性を人柱に、脱兎のごとく敗走する。

 終戦を知らされなかった開拓民の中には、ソ連軍に立ち向かって殺される者が続出した。ソ連軍や暴徒化した当地の民衆による殺害、集団自決、飢え、病気……。老人、女性、子供だけの逃避行は悲惨を極めるものだった。本書で紹介された<死にし子の着衣はぎとり粟と換う 三途の川の鬼女かも、われは>の歌に、地獄図の一端が表れている。

 日中戦争における死者は、関東軍が4万6700人、開拓民が8万余……。情報を得て事前に脱出した者は、チャーター船で無傷のまま帰国した。石井部隊など軍関係者たちである。この史実と久間発言を重ね合わせると、<棄民国家日本>の姿が浮かび上がる。庶民の命が大量に奪われても、支配層(国体)が維持されれば構わない……。弱者切り捨てが進む現在、権力者の本音(棄民)を知った以上、国を愛せといわれても困惑するしかない。

 井出氏は<「中国残留孤児」の歴史と現在>と副題を付け、帰国後の日本における生活も取材している。なぜ「中国残留孤児」と括弧付きなのか。「残留」ではなく「投棄」が真実だと、井出氏は暗に主張しているのだろう。

 日本が棄てた子供たちを、中国農民は養父母として育て上げた。労働力として酷使した者も多いが、実子のように慈しんだケースも少なくない。井出氏は「逆の立場なら日本人はどう振る舞っただろう」と読者に問い掛けていた。本書には考えさせられる教訓が幾つも含まれているが、日中友好について考える糸口にもなると思う。
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京都にて~ポン太の変化にショックを受ける

2007-07-02 18:38:59 | 戯れ言
 今回は亀岡市のネットカフェから更新している。別稿(3月5日)の続編になるが、手短に記すつもりだ。

 ウオーキングするとわかるが、亀岡にも流行は入り込んでいる。24時間営業のコンビニ、ファストフード、ファミレス、百円ショップ、宅配フーズ、安売り電器店、レンタルDVD……。京都学園大など大学が三つあり、カラオケ、ビリヤード、レンタルビデオと若者向きの施設も整っている。大規模の本屋が2軒つぶれたのは、学生の活字離れの影響かもしれない。

 車さえあれば便利な街だが、免許のない俺は条件を満たしていない。実家で“Motorcycle Emptiness”を実感するとは皮肉な話だ。

 帰郷の目的は、ケガをした母のお見舞いである。退院してからは「仮想の息子」氷川きよしの出る幕がないほど、「実の息子」として孝行に励んだと言いたいところだが……。実家でつくづく感じたのは、年金や医療の面で母の世代が恵まれていることだ。若者たちには「茨の老後」が待ち受けている。国を愛せと説かれても、困惑せざるをえないだろう。

 妹夫婦が飼う猫(ポン太)との再会も心待ちにしていたが、4カ月で起きた変化にショックを受けた。彼(去勢手術はしたが)にとって実家はアウエーであり、母も俺も「見知らぬ人」なのだろう。誰彼なく甘える人懐っこさは、影を潜めていた。それはポン太にとって、「アイデンティティーの確立」といえるだろうが……。

 話は変わる。ベノワ関連でマイミクの猫缶さんからメールを頂いた。彼女のマイミクさんの日記が転載されていたが、内容は脳震盪への警鐘だった。ハーバード出身の元WWEレスラー、クリス・ノインスキーの考察がベースになっている。

 NFLだけでなく、プロレスラーにも脳震盪に悩む者が多く、突発的な行為に至る危険性もあるという。ベノワだけでなく、WWEは頭部への負担を選手に強いている。最近でも、HBKとRVDの脳震盪をギミックとして用いていた。ハーディーズなど、いつ致命的な落下事故を起こしても不思議はない。究極のシナリオを実行するレスラーに対し、WWEは心身両面のケアを怠らないでほしい。

 俺も頭部に打撃を受けたことがある。最初は10歳の頃、悪戯で鉄製の門を額に打ち付けられた。2度目は20代後半、夜の池袋で喧嘩を売られ、強烈なパンチを浴びて記憶喪失に陥った。それが原因ではないが、俺の脳は名前の度忘れなど、とっくに液状化している。ブログは俺にとり、ボケ防止の一環でもある。

 東京にはあした戻る。慣れ親しんだ東京だが、違和感を覚えることが増えたのは年齢のせいだろうか。

 
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