酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「行き止まりの世界に生まれて」~スケボーが紡いだ絆

2020-09-27 19:05:44 | 映画、ドラマ
 竹内結子さんが亡くなった。享年40である。最近では「ミス・シャーロック」のシャーロック役が記憶に新しい。自ら死を選んだ女優の死を心から悼みたい。

 カリフォルニア州ニューサム知事が、2035年まで販売される全ての新車を「ゼロエミッション車」に限定すると発表した。<頻発する山火事の原因は気候変動>と指摘し、環境への影響が大きい運輸部門の温暖化対策を急ぐ方針という。昨年10月、全米20州以上で排ガス規制を無効にしたトランプは、確実に対抗措置を講じるはずだ。

 気候危機対策のみならず、大統領選は今後に向けた分岐点になる。パレスチナへのアパルトヘイトを断行するイスラエルと、イエメン空爆を主導するUAEがトランプの仲介で国交を樹立した。まさに悪の三国同盟だ。民主主義を破壊するトランプだが、世論調査でバイデンに迫っているという。再選を期待しているのは、米国の失墜をともに願う習近平とプーチン、庇護されているイスラエルのネタニヤフ、そして日本の菅首相あたりか。

 シネマカリテで先日、「行き止まりの世界に生まれて」(2018年、ビン・リー監督)を見た。上記の「ミス・シャーロック」同様、配信はHuLuである。舞台のイリノイ州ロックフォードは繁栄から取り残されたラストベルト(錆び付いた工業地帯)に属している。失業率、犯罪率が高い街で生まれた3人の幼馴染み、ビン、キアー、ザックの12年を追ったドキュメンタリーだ。

 監督でもあるビンは中国系、キアーは黒人だ。3人を紡いだのは、形に囚われない自由、反抗のイメージが湧くスケートボードだった。リーダー格のザックは「普通の子供のようにアメフトに熱中し、勉強していい会社に入るなんて糞食らえだ」と吐き捨てていた。

 <オバマ前大統領が年間ベストワンに選んだ>が謳い文句だが、〝トランプのアメリカ〟を映したというのは的外れだ。ラストベルト化が進行したのはオバマ政権下で、前回の大統領選でヒラリー候補は民主党の金城湯池をトランプに明け渡している。本作は政治的背景と無関係に、ビンが幼い頃から撮っていたフィルムをまとめたドキュメンタリーだ。

 ビンが手にしたカメラの前で、キアーとザックは自然体に振る舞う。3人がスケボーに興じるシーンは疾走感に溢れ、スクリ-ンに瑞々しさが行き渡っていた。家庭に軋轢を抱える彼らにとって、スケボーはアイデンティティーの象徴、心を解放する手段、そしてバランスシートでもあった。ちなみに、原題“Minding the Gap”はスケボー用語で〝段差に注意せよ〟の意味だ。

 屈託ない表情を浮かべる3人だが、青年期になるにつれ孤独と絶望が滲んでくる。ザックは恋人との間に子供をもうけながら幸せな家庭を築けず、デンバーに移る。父や兄と確執を抱えていたキアーは絆の意味に気付く。父の墓を探し当て、和解した。継父のDVから守れなかったことを悔いる母の涙をフィルムに収めながら、ビンは心の揺れを隠せない。普遍的なドラマゆえ、見る側は癒やしと潤いを覚えるのだ。

 ビン監督はインタビューで、<暴力と、暴力によってクモの巣のように広がる影響は、大部分で永続されて、扉の向こうにとどまってしまう。僕の願いは「行き止まりの世界に生まれて」で扉を開いてくれた登場人物たちによって、同じように苦労している若者が勇気を得て、その状況を切り抜けること>(趣旨)と語っていた。

 63歳の俺は観賞後、自らの来し方を重ねた。ビンたちに限らず、人は齢を重ねるにつれ〝段差〟が広がっていく。足を取られそうになるが急いでも仕方がない。目の前に聳えるのは〝行き止まりの壁〟だ。無限の可能性を秘める若者たちが羨ましい。
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ウイズ・コロナの秋の雑感~TIME誌、卓球、将棋、ベンジー、闇に葬られた秩父事件

2020-09-23 22:09:27 | 独り言

 シルバーウイークに秩父を訪ねた。久しぶりの旅行をメインに、あれこれ雑感を記すことにする。

 TIME誌「世界で最も影響力のある100人」に、大坂なおみ選手とともに伊藤詩織さん(ジャーナリスト)が選ばれた。安倍政権の闇を継承する菅首相に忖度し、控えめに報道するメディアもあるかもしれないが、彼女の勇気は前稿で紹介したキャサリン・ガンさん以上ともいえ、称賛に値する。伊藤さんを支援してきたひとりが、菅首相の〝天敵〟、東京新聞の望月衣塑子記者だ。

 秋分の日は秋彼岸のさなかでもある。亡き父と妹に思いを馳せながら、四十数年ぶりに卓球に興じた。父が管理していた施設に卓球台があり、しばしば3人で楽しんだ。ペン専門で、シェイクしかなかった今回は勝手が違ったが、ラケットのせいにしても仕方ない。空振りしたり、体を捻り切れずアウトしたりで、肉体の衰えを実感した。

 「藤井聡太二冠 新たな盤上の物語」(NHK総合)は。AI時代を背景に藤井の斬新な指し手に迫ったドキュメンタリーで、トップ棋士たちの証言も興味深かった。その藤井を王将挑戦者リーグ初戦で破った羽生九段は、竜王戦挑戦者決定第3局で丸山九段を下しており、タイトル獲得通算100期を目指す。

 羽生を待ち受ける豊島竜王はA級順位戦初戦で敗れた。対局過多が心配だが、叡王戦第9局で永瀬叡王に勝ち2冠に復帰した。日本シリーズを含め藤井には5連勝している。豊島の謎めいた柔らかさに、藤井の鋭い鈎は掛からないのかもしれない。

 熱い勝負を生配信し、将棋ブームを後押ししているのがAbemaTVだ。囲いの基本も知らない知人の女性は、棋士のキャラに興味を持ってAbemaの将棋番組を楽しんでいる。佐藤会長、深浦九段ら〝堅物〟イメージだったベテランがサービス精神を発揮し、〝魔王〟渡辺名人も奥さんの漫画でおちゃめな素顔を晒している。女流棋士には美人が多く、棋界への注目はさらにアップするはずだ。

 「69号室の住人」(TOKYO MX)に浅井健一(ベンジー)が出演していた。MCは遠山大輔(グランジ)である。ブランキー・ジェット・シティ(BJC)、シャーベッツ、JUDEなどでフロントマンを務め、現在はインターチェンジキルズを率いるベンジーも55歳になった。輪廻転生を意識したのか、♪老人はこの世の中で一番始まりに近い……とニューシングルで歌っている。妙に共感出来るが、俺の場合、単にガキに戻っているだけだ。

 BJC時代は反米意識が窺える曲もあったが、シャーベッツでは絵を描くようにイメージの連なりを紡ぐ作詞の手法を確立した。楽曲には反映させていないが、ベンジーはある時期、右派的な発言が目立った。三島由紀夫、一水会の系譜を引く〝反米ナショナリズム〟が滲んでいて、現政権の米国従属とは一線を画している。

 遠山が芸人であることを意識した上で、<平和が危うくなっている。音楽や漫才が出来なくなる時代が来るかもしれない>(趣旨)とベンジーは表現の自由が侵されつつあるという危機感を訴える。<コロナ禍で様子が変になった人がいたら、周りが手を差し伸べるべき>と語るベンジーに、「ディズニーランド」(1982年)が蘇った。同曲では壊れてしまった友と一緒にいられない罪深さを歌っていた。たゆまぬ進化と深化により、ベンジーは今もロックの極北に位置する孤高のボヘミアンだ。

 秩父行きを決めた際、「秩父事件~自由民権期の農民蜂起」(井上幸治著、中公新書)を購入した。1968年に発表された名著で、満を持して「秩父事件資料館 井上伝蔵邸」に足を運んだ。だが、窓口で同世代と思しき男性から<映画「草の乱」(2004年)に使われた衣装などが展示されているだけで、価値はない>と伝えられる。

 ブログに書くと差し障りがある可能性を承知した上で、その男性の思いと井上の著書をベースに記したい。秩父事件は1884年10月末から11月上旬にかけ、負債減免を求めて起きた農民蜂起だ。生糸生産を生業にしていた農家が、横浜を舞台にした取引に翻弄されていく状況が、井上の著書にデータとして提示されていた。今風にいえば、グローバル経済に巻き込まれた生産者の困窮といえる。

 大宮、上州、信州、八王子と生糸生産で結びついた広範な地域の農民が、自由党の軛を脱し、秩父困民党に馳せ参じた。加わった博徒たちも山林での会議を一瞬で賭場に偽装するなど巧妙な作戦で寄与する。当時の農村には一揆の力学が維持されており、維新後十数年、革命と武力への志向は、現在と比べものにならないほど強かった。

 公憤と私憤が混在し、証書を焼くだけでなく、暴利を貪る高利貸への襲撃が相次いだ。困民党を抑えられなかったという理由で解散した自由党は、貧困に喘ぐ農民に寄り添えなかったのだ。窓口の男性によると、膨大な史料が残されているにもかかわらず、表に出てこない。<暴徒>として葬られた困民党は、秩父でタブーになっている。

 米民主党はサンダースの影響で、公平・公正を主張し社会主義を是認するオルタナティブが勢力を増し、欧州でもグリーン・レッド連合が伸張している。翻って日本はどうか。コロナ禍で格差は広がり、街に失業者が溢れることは確実なのに、野党の体質は困民党を見捨てた自由党と変わらない<脱成長コミュニズム>を提唱し、社会の枠組みを変えようとしている大阪市大・斎藤幸平准教授の声は届きそうにない。

 秩父事件関連の史料や展示には出合えなかったが、西武秩父駅-秩父鉄道秩父駅間を数往復するなど、歴史を感じる街並みを散策した。夜祭など繁忙期には観光客で溢れているに違いない。
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「オフィシャル・シークレット」~キャサリン・ガンが撃ち抜く権力の罪

2020-09-19 23:30:46 | 映画、ドラマ
 同じ目線で世界を眺める知人のひとりが、仕事先の整理部記者Yさんだ。強大かつ凶悪な力に抗う香港、フクシマ、沖縄、パレスチナの側に立つという姿勢を共有しているから、アプリオリに〝本題〟へ進める。PANTAさんの知己を得たのも、Yさんの計らいで「PANTA隊」の一員として反原発集会に参加したことがきっかけだった。

 Yさんに「コリーニ事件」のお返しとして薦められた「オフィシャル・シークレット」(2019年、ギャヴィン・フッド監督)を日比谷シャンテで見た。開演15分前、俺の前列に座っていた中高年女性3人組の会話に違和感を覚える。

 3人組は自民党員で、菅新首相を絶賛し、返す刀で岸田、石破両氏を酷評する。リベラルから〝飼い犬〟に変節した河野氏を「はっきり物を言う」と褒めていた。この世を謳歌する多数派と俺とは対極に位置するが、権力に抗って正義を追求した女性を描いた本作は、俺のようなマイノリティー御用達の映画といえるだろう。
 
 主人公のキャサリン・ガン(キーラ・ナイトレイ)は英国の諜報機関、政府通信本部(GCHQ)に勤務している。GCHQ宛てに米国家安全保障局(NSA)からにメールが届いた。国際世論をイラク開戦に導く工作を依頼する内容だった。諜報員として政府の誤りを黙視するか、リークによって違法な戦争を回避すべきか……。キャサリンは苦悩の末、英政権を告発する。ニュースフィルムで目を泳がせていたブレア首相を日本に置き換えれば、<安倍首相-菅官房長官>の隷米コンビといったところか。

 <政府は変わる。私は国民に仕えている>のキャサリンの言葉が印象的だった。森友、加計、桜と官僚は忖度を繰り返したが、キャサリンの決断は経歴に裏打ちされている。少女時代を広島で過ごしたキャサリンは原爆資料館を何度も訪ねている。元同僚の反戦活動家を通じて「オブザーバー」紙にメールをリークした。

 GCHQの仲間たちはキャサリンを支持していたが、米英両国は大量破壊兵器の確証を掴めないまま侵攻を開始する。裏切り者の汚名を着せられたキャサリンは、エマーソン弁護士(レイフ・ファインズ)に協力を要請する。キャサリンだけでなく、トルコから逃れてきたクルド系の夫ヤシャル(アダム・バクリ)にも圧力は及ぶ。当局の意を受けた司法・警察により、ヤシャルは国外退去寸前にまで追い込まれた。

 オブザーバーのマーティン・ブライト記者(マット・スミス)は正義を貫こうと尽力するが、校閲担当者がスペルを英国式に直したことで、メールは〝フェイク〟と疑われ、米英主要メディアは政権に忖度してオブザーバー叩きに加わる。ヤシャルはクルド人を虐殺したサダム・フセインを憎んでいたが、メディアはヤシャルをイスラム教徒と一括りする。

 テーマ性とエンターテインメント性を併せ持つ傑作だった。オープニングは裁判の冒頭陳述で、遡行してから時系列を追う。フッド監督には17年のベストテン2位に挙げた「アイ・イン・ザ・スカイ」で瞠目させられたが、本作でもその手腕に感嘆させられた。秀逸なエンディングをスクリーンで確認してほしい。

 イラク戦争は日本にも大きな影響を及ぼした。ドキュメンタリー映画「ファルージャ~イラク戦争 日本人人質事件……そして」(13年、伊藤めぐみ監督)は04年にイラクで起きた日本人人質事件の当事者、今井さんと高遠さんのその後に迫っている。

 当時メディアを賑わせた<自己責任>は〝勝手に行った者を国は助けない〟という論調だった。現在は形を変えて弱者を撃っている。大量破壊兵器は存在せず、フセインはアルカイダと無関係だったが、侵攻に踏み切ったブッシュ元大統領、自衛隊を派遣した小泉元首相は責任を取らなかった。成田に降り立った今井さんたちを待ち受けていたのは在特会の前身で、その後、ヘイトスピーチで内外の批判を浴びることになる。

 キャサリン、オブザーバー、エマーソン弁護士の勇気によって英国の自由と民主主義は守られた。翻って政権を免罪した日本では沈黙と忖度が主音になった。冷酷な菅首相がいつの間か〝好人物の仮面〟を被っていることに愕然とする。
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「不時着する流星たち」~発光して舞う10枚の細密画

2020-09-15 22:42:47 | 読書
 芦名星さんが亡くなった。「相棒」ではここ数年、先鋭なジャーナリスト、風間楓子を演じていた。新シーズンでも活躍を期待していたから残念でならない。将来を嘱望された女優の死を心から悼みたい。

 自民党総裁選と立憲と国民の組み替えは目を覆う三文芝居だ。囃し立てるメディアの劣化も甚だしく、風間楓子のような記者は希である。最大の要因は、この国のガラバゴス化だ。先進国に例を見ない莫大な供託金制度によって国会は〝貴族の巣窟〟になり、自由と民主主義が育つ土壌は失われている。EC加盟の条件である死刑廃止への道のりも遠い。<正しいグローバルスタンダード>に則ることが再生の第一歩になる。

 日本文学を<グローバルスタンダード>に照らせばどのように位置付けになるだろう。ノーベル文学賞有力候補の多和田葉子は「献灯使」で全米図書賞を受賞したが、小川洋子は「密やかな結晶」(1994年発表)でブッカー賞の最終候補に残ったものの受賞を逃した。四半世紀前の作品だけに、その後の充実した作品群が翻訳されたら受賞も十分可能だ。

 小川が3年前に発表した「不時着する流星たち」(KADOKAWA)に既視感ならぬ〝既読感〟を覚えた。小川を<寂寥、孤独、欠落の哀しみ、喪失の痛みを精緻な筆致で描き、物語を寓話に飛翔させる作家>と評してきた。本作は10話から成る短編集で、従来の小川ワールドを更に濃縮し、現実と幻想のスプーンで攪拌している。

 小川は四季折々の移ろいや心情の変化を丁寧に描写するが、それは必ずしも現実とは限らない。「不時着する流星たち」のタイトル通り、想像によって紡がれた異星の光景にも思える。共通しているのは死の影、ノスタルジー、他者との距離で、各話の繋ぎに、何に着想を得たのか〝種明かし〟している。あたかも10枚の細密画の如くで、一話を読み終えるや、一つの言葉が発光する。

 ♯1「誘拐の女王」では<裁縫箱>、♯2「散歩同盟会長への手紙」では<小石>、♯3「カタツム リの結婚式」では<同志>、♯4「臨時実験補助員」では<手紙>、♯5「測量」では<口笛虫>、♯6「手違い」では<毛糸の靴>、♯7「肉詰めピーマンとマットレス」では<手引き書>、♯8「若草物語」では<ハムスター>、♯9「さあ、いい子だ、おいで」では<文鳥>、♯10「十三人きょうだい」では<白鳥>が全体を表象する発光源だ。

 発光源はパルスのように行き渡り、全体を帯電させる。細密画が浮力を得て、宙を舞うのだ。来し方や嗜好によって〝発光源〟は異なり、脳裏のスクリーンを彩るイリュージョンは人それぞれだが、小川が<どこにも存在しない幻の世界>へ読者を誘う魔法使いだ。少女の純粋な感性と、運命を冷徹に見据える眼差しを併せ持っている。

 全話に魅せられたが、ホラー、ミステリーの要素も濃い。異界との境界を描いた♯1と♯6、親和性が失われた家族の緩やかな崩壊を背景に据えた♯5、♯10も印象的だった。日常と非日常が交錯する小川ワールドに一貫して表れる母性を織り込んだストーリーもあった。♯7には穏やかな母性、♯4と♯9には狂おしい母性が描かれていた。

 小川の表現力の根底にあるのは一つ一つの言葉へのこだわりで、校閲についての考察が記された作品もあった。「ミーナの行進」で主人公の伯母は、誤植探しで孤独を癒やしていた。「人質の朗読会」の語り手のひとりは、校閲者だった頃の思い出を語っている。三流の校閲者である俺は、小川に親近感と敬意を抱いている。
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「ジョーカー」~坩堝から立ち昇る悪の極致

2020-09-11 13:09:38 | 映画、ドラマ
 直接会って話す機会は激減しているが、その分はネットサーフォンでカバーしている。沖縄、フクシマ、香港、パレスチナに心を寄せ、習近平、トランプ、プーチンの〝三悪人〟に異議を唱えるブログやHPに安堵する。とはいえ、俺は少数派だ。安倍首相の退任表明直後、朝日新聞は世論調査を実施したが、「安倍政権を全く評価しない」がたった9%……。〝同志〟のあまりの少なさに絶望を覚えた。

 前稿の「国際市場で逢いましょう」に続き、今回も旧作を紹介する。WOWOWで録画した「ジョーカー」(19年、トッド・フィリップス監督)だ。公開時、「バットマン」ファンの知人から薦められたが、タイミングを逸する。劇場で見ていたら、「象は静かに座っている」に次ぐ年間2位にランクしたはずだ。

 「ジョーカー」は〝バットマン前史〟と位置付けられる作品で、時代は1980年代前半だ。「バットマン」(89年、ティム・バートン監督)でジョーカーは敵役だったし、舞台も同じくゴッサムシティーだ。ブルース・ウェイン(バットマン)は幼い頃、目の前で両親を射殺されている。そのエピソードは本作にも描かれていた。

 主演のアーサー(ジョーカー)を演じたホアキン・フェニックスは、早逝したリヴァー・フェニックスの弟である。人気コメディー番組の司会者マレー・フランクリンをロバート・デ・ニーロ、市長候補のトーマス・ウェイン(バットマンの父)をブレット・カレンが演じていた。アメコミ映画共通の廃墟と近未来の混在を象徴していたのは、低所得者層が暮らす下町から高層ビル街へと勾配を上っていく電車だ。

 ピエロを生業にするアーサーはコメディアンを志望している。画面を見る限り厳しそうで、私生活でも失敗続きだ。踏みつけにされているアーサーが覚醒し、ヒーローとして闘うなんて予想は的外れで、アーサーのベクトルは自身の闇へと向かっていく。

 荒み、怨嗟、無秩序、狂気といったアメコミ映画の〝お約束〟に加え、現在の格差を重ねている。貧困者を落伍者扱いする富裕層代表のウェインは憎悪の対象だが、母の過去とも繋がっていた。社会の空気とアーサーの内面が相乗効果を生み、悪が醸成されてジョーカーが現れた。本作がサイコサスペンスの彩りを纏っていくのは、現実と妄想の境界が曖昧になっていくからだ。

 アーサーは同じアパートに暮らすシングルマザーのソフィー(サジー・ビーツ)と親しくなる。きっかけは、ソフィーが指で銃の形をつくり、こめかみを撃つしぐさをし、アーサーも同じポーズで返したことだった。銃がストーリーの回転軸になり、同僚の道化師ランドルから入手した銃でアーサーは地下鉄で3人を射殺する。後半になって、ソフィーは見知らぬ男のようにアーサーと接する。恋もまた、妄想だったのか。

 俺は冒頭のカウンセリングのシーンで本作に入り込めた。心を病み、笑い出すと止まらないアーサーは「狂っているのは僕? それとも世間?」とカウンセラーに尋ねる。俺は枕で〝9%〟の数字を挙げた。この間、「間違っているのは俺? それとも世間?」と自問自答してきた。俺はアーサーと疎外感を共有したのだ。アーサーの負の感情が坩堝の中で煮えたぎり、悪の極致になって立ち昇る様子に心が躍った。アーサーほどじゃないが、俺はヤバい奴かもしれない。

 本作のキーワードはスマイルとハッピーで、アーサーの幼年時代へと遡っていく。母ペニーは養父から虐待を受けたが笑っていたアーサーをハッピーと呼ぶ。アーサーの笑いの微妙な差をフェニックスは巧みに表現していた。オスカーだけでなく多くの映画賞で栄誉に浴したのも当然である。

 アメコミ映画で記憶に残るのは「ザ・クロウ~飛翔伝説」だ。撮影中のブランドン・リーの事故死が儚く美しいストーリーと重なり、永遠の愛を謳うラストが胸を打つ。サントラにはキュアー、ナイン・インチ・ネイルズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンら<ポストパンク/オルタナ>の雄が名を連ねていた。

 「ジョーカー」のサントラも秀逸だ。ジャズ、シナトラ、アコースティック、ショーン・マイケルズの入場曲風と時を超越した音楽で彩られていた。特筆すべきは、暴動を背景に流れるクリームの「ホワイト・ルーム」だ。シュールな歌詞で、監督は♪黒のカーテンに閉ざされた白い部屋のイメージを仮託したに相違ない。

 ラストで精神科医の診察を受けていたアーサーは吹っ切れたような笑みを浮かべた後、血の付着した足跡を残して消える。アーサーは個の世界に回帰するのか、悪の権化ジョーカーとしてバットマンと対峙するのか……。エンドマークの後は見た者の想像に委ねられるが、解けない謎は消化不良のまましこりになって残っている。
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「国際市場で逢いましょう」~韓国現代史に織り込まれた家族の物語

2020-09-07 22:56:46 | 映画、ドラマ
 藤井聡太2冠を表紙にした「Number」が爆発的に売れているという。俺は<将棋は精神の格闘技。KOで決着するまで闘うボクシング>と記してきたから、同誌が将棋を特集したのは遅きに失した感がする。暦は秋だが、竜王戦挑戦者決定戦第3局は19日、叡王戦第9局は21日と熱い夏は終わらない。

 生物多様性をテーマに記した前稿を、<ヒトは、とりわけ日本では、進化せず同じ過ちを繰り返す種なのだろう>と締めくくった。偉そうに書いたが、64歳間近の俺は今も煩悩の河で溺れている。欠陥だらけだが、何が一番欠けているかといえば一本気と頑固さだ。そのことを痛いほど思い知らされた映画を見た。「国際市場で逢いましょう」(2014年、ユン・ジェギュン監督)で、数カ月前にシネフィルWOWOWで録画しておいた。

 韓国で大ヒット(1400万人動員)した本作は、〝号泣必至のヒューマンドラマ〟という謳い文句で公開されたが、ひねくれ者の俺はパスした。劇場で見なかったことを反省している。細部にまで趣向が凝らされた心温まる社会派エンターテインメントだった。

 主人公のユン・ドクス(ファン・ジョンミン)は幼い頃、戦火のさなかに身を置いていた。朝鮮戦争である。侵攻する中国軍を前に、米軍は咸興市から撤退するが、将官は嘆願を聞き入れ、軍艦から武器を下ろして市民を乗せた。ヒューマニズム溢れる決断が、ドクスが西ドイツとベトナムで直面した極限状況にオーバーラップしていく。

 軍艦によじ登っていたドクスの背から妹マクスンが落ち、救いにいった父と離れ離れになる。妹を守れなかったことへの贖罪の意識、父の最後の言葉「おまえが家長だ。妹(伯母)が経営するコッフンの店(釜山の国際市場)で待っていてくれ」が人生を決めた。ドクスは身を粉に、時に自分を犠牲にして、一本気かつ頑固に家族を支える。「会いたいよ」「辛かったよ」……。折に触れて父に語りかけるシーンに心が潤んだ。

 史実とフィクションが混淆したメタフィクション(オートフィクション)の手法を用いた小説は、島田雅彦、目取真俊、奧泉光など日本でも数多い。熟練の使い手は辻原登で、大逆事件に連座した大石誠之助を主人公に据えた「許されざる者」は必読の作品だ。映画なら「フォレスト・ガンプ」が真っ先に思い浮かぶが、その韓国版と評されるのが「国際市場で逢いましょう」である。

 閑話休題……。激動の韓国現代史を背景に描かれた本作を彩ったのは、強い絆で結ばれたダルグ(オ・ダルス)と、西ドイツで出会ったヨンジャ(キム・ユンジン)だ。ドクス役のファンは1970年生まれ、オは68年生まれ、キムは73年生まれだから、3人は20代前半から70代後半までを演じ切ったことになる。名優たちの演技力のたまものといえる。

 ドクスとダルクは青年期、西ドイツの鉱山に出稼ぎにいき、地底で真っ黒になる。ベトナム戦争にも揃って従軍し、前線に立つ。ドクスは生活のため、裕福なダルクはボヘミアン風と違いはあっても、2人は常に一緒にいる。公園で国歌が流れ国旗が掲揚されるなど、愛国教育の徹底も窺えた。

 現代財閥の創立者、著名なファッションデザイナーが登場するなど、歴史の断片が織り込まれていたが、ベトナムのシーンが印象的だった。ドクスは海兵隊員だった歌手ナムジンの的確な判断に敬意を表し、帰国後にファンになる。ダルクとベトナム人女性との結婚も史実に基づいているようだ。

 西ドイツやベトナムでの経験に基づき、ドクスにはコスモポリタンとしての意識、戦争への忌避感が根付いていた。老いても外国出身者を差別する若者を許さず突っかかっていく。地上げに屈せずコッフンの店を売らないのも、父が帰って来る日を待ち続けているからだ。

 ハイライトは韓国と北朝鮮が協力し、朝鮮戦争で離散した家族に再会の場を設けるイベントだ。旧作ゆえネタバレはご容赦願いたいが、妹マクスンが見つかった。港で泣いていたところを保護され、里子としてアメリカに渡ったのだ。兄妹の再会の場面に、映画館では多くの人がハンカチで涙を拭っていたという。

 シリアスな場面を和らげていたのは、ドクスとダルクのユーモア溢れるやりとりだ。冒頭とエンドマーク直前で飛ぶ蝶は父のメタファーなのだろう。ラストでドクスは柔らかくなる。心から父とわかり合えたと確信出来たのだろう。映画では描かれていなかったが、軍事独裁政権と民主化運動の時代を、ドクスとダルクはどう生きたのだろう。そんなことが少し気になった。
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ウイズ&アフターコロナ時代の生物多様性~キーワードは進化と侵略

2020-09-03 22:56:47 | カルチャー
 「進化論」(ダーウィン)の基本さえ理解していないのに、環境保護や気候危機に言及してきた。その点を反省し、今稿ではA「都会の中の〝進化論〟」(2019年、NHK・BS1/ドイツ)とB「終わりなき侵略者との闘い」(17年、五箇公一著/小学館クリエイティブ)を下敷きに生物多様性について考えた。

 ABとも制作、発刊はビフォアコロナだが、ウイズ&アフターコロナ時代を生きるためのヒントを与えてくれた。Aでリポートする各国の生物学者たち。Bの著者で国立環境研究所に籍を置く五箇に共通する問題意識は、<経済のグローバル化により、人と物の動きがボーダレスになったことで、生物多様性はどう変容したか>……。綿密なデータに基づく理系の範疇を、文系的に咀嚼して記したい。

 Aは都会の厳しい環境下における動植物の変化(≒進化)をメインに据え、Bは外来種の侵入が従来の生態系、ひいては生物多様性破壊に繋がっていることにポイントを置いている。リンクしている内容も多いので、カットバックしながら綴ることにする。

 Aの冒頭、フランス・アルビ市の河川で食物連鎖の頂点に君臨する東欧からの外来種ヨーロッパオオナマズが紹介されていた。体長数㍍に及ぶオオナマズは都市で進化し、犬やハトを捕食するまでに至る。都市の〝光害〟は昆虫の数を減少させたが、蛾の一種は光への耐性を遺伝子レベルに組み込み最適化した。

 絶滅寸前の動植物は無数に存在するが、自然選択に成功し、人間が防除に苦しむ種も多い。その殆どが外来種だ。<従来種=善、外来種=悪>の決めつけは〝排外主義〟めいているが、五箇はデータ、イラスト、写真を用い、長年にわたって日本で形成された〝ぬるい〟生態系が、外来種によって損なわれる過程を提示している。帯には<外来動物は人間のしくじりが招いた環境問題>と記されていた。

 〝しくじり〟の典型は<ペットとして輸入→成長して飼い切れなくなり廃棄→野生化して生態系破壊>のパターン。グリーンアノール、アライグマ、ミドリガメらが当てはまる。今や生物多様性の高さはアマゾン川に匹敵し、〝タマゾン川〟と揶揄される多摩川には、廃棄されたアリゲーター・ガー、ニシキヘビ、熱帯魚が棲息し、在来種を駆逐している。俺は生物多様性をアプリオリに肯定していたが、負の側面が少なからずあることを教えられた。

 第10章「侵略的外来生物としての病原体」は新型コロナウイルス蔓延を予感させる内容だった。五箇はエボラウイルスが猛威を振るった2014年を振り返り、<経済優先が感染拡大をもたらした>と警鐘を鳴らしていた。状況を把握し、政府に伝えた医師の声は届かなかった。対策を誤ったアメリカやブラジルが今回また、経済を優先し、深刻な状態に陥っている。グローバリズム、温暖化、都市化により、新たな人獣共通蔓延症がいつ発生しても不思議ではないのだ。
 
 第9章「マングースはハブと闘わない」など目からウロコの内容に満ちたBを、文系の俺でも心から楽しめた。バラエティーにも出演する五箇は研究者として無意識に危険な外来種を持ち込んだ責任を自嘲的に語っている。深刻な真実を正しく伝えるエンターテイナーの活躍に期待している。

 Aで印象的だったのはオランダ・ライデン大教授の指摘だった。<ダーウィンは進化に時間がかかるので、過程を見ることは出来ないと考えていた。都市で進行中の進化に驚くに違いない。自然選択を過小評価していたのではないか>と語っていた。世界の都市で起きている凄まじいスピードの進化は、ダーウィンにとって想定外だったのだ。

 翻って、ヒトはどうか。自民党総裁選で忖度、私物化、米国隷属、破綻したアベノミクスと外交を継承する菅官房長官が圧勝する見通しだ。党費を払っている自民党員は黙って見過ごすのだろうか。立民と国民の合流では、福島原発事故の教訓を無視する連合系の議員が参加しないという。動植物と比べ、適応力はゼロだ。ヒトは、とりわけ日本では、進化せず同じ過ちを繰り返す種なのだろう。
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