酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「蝶の舌」~いまだ癒えない内戦の傷

2008-01-31 00:10:31 | 映画、ドラマ
 岡田ジャパンがボスニア・ヘルツェゴビナに3対0で快勝した。W杯3次予選に向けて調整は順調のようだが、FWの得点欠乏症は解消されていない。

 欧州サッカーも佳境を迎えつつある。躍動感に満ちたプレミアも捨て難いが、<想像と創造>で抜きん出ているのがリーガ・エスパニョーラだ。メッシら神の子たちのプレーは、スペイン史の闇を映し絵に輝きを増している。

 スペインは州ごとに成り立ちが異なり、公用語も5種類だ。バスクは分離独立を志向し、アンダルシアにはイスラムとロマの薫りが漂っている。内戦における<ファシズム―自由>の構図はフランコの死(75年)まで維持され、マドリードとカタロニアの対抗意識は極めて強い。

 スペイン内戦を扱った映画を思いつくまま挙げてみる。終結20年後を描いた「日曜日には鼠を殺せ」、共産党の裏切りを抉った「自由の大地」、女性の視点で捉えた「リベルタリアス」、ロルカの死の謎を追った「ロルカ、暗殺の丘」……。意外に少ない気もするが、白眉といえるのは「蝶の舌」(99年、ホセ・ルイス・グエルタ)だ。

 喘息の持病を抱えるモンチョは、他の子供より少し遅れて小学校に入学する。担任は高潔で自主性を重んじるグレゴリオ先生だった。好奇心の強いモンチョがぶつける様々な問いに、先生は含蓄ある言葉で答えてくれる。生徒たちは先生に引率され、ガリシアの美しい自然に親しむようになる。作品を包む神秘的なイメージの核になっているのは、タイトルにもなった<蝶の舌>と、愛する牝に蘭の花を贈る<ティロノリンコ>という鳥だ。

 織り込まれたエピソードで印象的なのは、モンチョの兄アンドレスの恋だった。ブルー・オーケストラの一員となったアンドレスは、演奏旅行で薄幸の中国人女性と出会う。サックスに託した思いは伝わったが、壁を破ることはできなかった。スペインといえばフラメンコを連想するが、ブルー・オーケストラが奏でる音は、ジャズとマンボが混ざり合っており、ロマの影響は感じなかった。

 グレゴリオ先生は退任のあいさつで「狼はきっと羊を仕留めるでしょう」と王党派の勝利を暗示しつつ、自由の尊厳を高らかに謳った。内戦が勃発するや共和派の摘発が始まり、先生も威厳を保ったまま連行されていく。共和派の父を守るため、モンチョも王党派を装わざるをえない。罵声を浴びせた後、モンチョが絶叫した秘密の言葉は、果たして先生の耳に届いたのだろうか。抑制の効いた水彩画の世界は、余韻が去らぬ悲痛なラストで幕を閉じた。

 内戦の死者は70万という。その多くが思想を懸けた接近戦や処刑によるものだけに、後世に残した傷も深い。サッカーという罪作りなゲームは、時にガーゼを剥がしてしまう。むき出しになったかさぶたには、いまだ血が滲んでいる。


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「蜂起」~声高な反権力の潔さ

2008-01-28 05:35:04 | 読書
 週末3大決戦の結果が出た。大阪府知事選で橋下徹氏、サウスカロライナ州の民主党予備選でオバマ氏が、それぞれ圧勝劇を演じる。千秋楽のモンゴル対決を制したのは白鵬だったが、朝青龍のヒールぶりが相撲人気復活を支えているのは皮肉な話だ。

 スーパーボウル(2月3日)、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(10日)と、俺にとって「祭り」が2週続く。Youtubeで予習してみると、レイジのメンバーは今ツアー、革命歌「インターナショナル」とともにステージに登場している。幕張メッセでは日本語版を流してもらいたい。♪起て飢えたる者 今ぞ日は近し 醒めよ我が同胞(はらから) 暁は来ぬ……。2万人以上の聴衆は、彼らのメッセージを受け止められるだろうか。

 レイジを文学に例えれば森巣博氏の小説になる。日本人は相手が手ごわいとムニャムニャ、ナヨナヨ沈黙してしまうが、森巣氏は違う。声高に反権力を唱える潔さに感嘆するしかない。

 「非国民」については別稿(05年12月21日)に記したが、今回は「蜂起」(幻冬舎文庫)を取り上げる。森巣氏の作品は少数派がカタルシスに浸る<危険小説>で、俺の心情にピッタリとフィットする。本作は「週刊金曜日」連載中、多くの読者から苦情が寄せられたという。左翼、リベラルに清濁併せ呑めない人が多いのは残念でならない。

 「蜂起」の主な登場人物は以下の4人だ。
□盛山…身に覚えのない科で懲戒免職処分を食らった55歳の警視。貸金業を始めるが、妻子に財産ごと逃げられる。
□まゆ…セックス依存症の30歳。広告代理店をリストラされ、心に潜む凶暴さを抑えられなくなる。
□忠臣…右翼団体を主宰する51歳。シノギが苦しくなり、焦って虎の尾を踏む。競輪で大逆転を狙うが……。
□裕子…自傷癖(リストカット)のある16歳。大人の欲望に心身を汚され、破壊衝動に目覚める。

 本作は東京を舞台にしたポリティカルSFだ。上記4人だけでなく、高齢者、若者はそれぞれの方法で狼煙を上げ、自殺者は同時刻に電車に飛び込む。主戦場の皇居周辺に、全国からホームレスが続々と集結した。<一点突破・全面展開>ならぬ<全面破壊・展開不要>の様相に、権力中枢は民族浄化(ジェノサイド)を計画する。お上に従わぬ<非国民>は日本人ではないから殺すべしという<国家の本性>が剥き出しになる。

 崖っ縁の日本経済、「絶対権力」警察の病巣、少女をターゲットにした性市場の闇、<霞ケ関―永田町>の腐敗の構図、飼い慣らされたメディアの体たらく……。<オーストラリアの博奕打ち>である森巣氏は、数字と情報を縁(よすが)に修羅場をくぐってきた。リアルな裏付けに基づいて社会全般を抉っているが、とりわけ心が躍ったのは忠臣が車券を検討する場面だ。人を滅ぼすギャンブルの本質が、経験に基づき描き出されている。

 自らの知識を<チュウサン(中三)階級>と謙遜する森巣氏だが、深く広い教養には驚くしかない。森巣氏は「ナショナリズムの克服」(姜尚中=政治学者)、「ご臨終メディア」(森達也=映像作家)、「戦争の克服」(鵜飼哲=哲学者、阿部浩己=法学者)と、日本を代表する知性と対談している。鋭い直感、豊富な知識、独自の分析で相手をうならせる場面もしばしばだ。

 日本社会の崩壊が進行し、すべての境界(壁)が揺らいだ時、森巣氏の作品は<自由な飢えたる者>にとってバイブルになるだろう。


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“In Rainbows”~レディオヘッドの新作を聴く

2008-01-25 00:16:54 | 音楽
 レディオヘッドの新作“In Rainbows”を聴いた。昨年10月にダウンロード可能だったから、4カ月遅れになる。サウンドスカルプチャー(音響彫刻)を施した「OKコンピューター」(3rdアルバム)というのが、俺の第一印象だ。

 ニューウェーヴ風の♯2“Bodysnachers”、賛美歌のような♯3“NUDE”、シンプルな歌詞と骨太のビートが切迫感を生む♯5“All Ⅰ Need”、リリカルな♯7“Reckoner”が耳に残った。1st~3rdのように輪郭がくっきりして口ずさめる曲はないが、曖昧で柔らかい音の連なりに心を癒やされた。

 初期レディオヘッドは薄皮一枚で聴衆と接していた。青くて痛かったトム・ヨークだが、「OKコンピューター」後、雰囲気が一変する。「ミーテング・ピープル・イズ・イージー」には、憂鬱な表情を浮かべ、周囲との疎隔感を「演技」するメンバーの様子が収められている。連中は神になりたがっている……。俺の悪い予感は的中し、<レディオヘッド無謬論者>は増殖の一途を辿った。

 「キッドA」以降のレディオヘッドを、メディアは<ポストロック>の旗手と称賛するが、俺にとってはフィジカルを否定した<脱ロック>だった。5人中4人がベジタリアンであることは、志向する音と無縁ではないだろう。現在のレディオヘッドの音は、MP3で鼓膜から心身に染み込ませるのに適している。

 レディオヘッドのバンド名はトーキング・ヘッズの曲名から拝借したが、革新性ではヘッズの域に達していない。スカスカのNYパンクからスタートしたヘッズは、テクノ、アフロなどあらゆる要素を取り込んだが、前衛バンドの宿命で、混沌のうちに活動を停止した。レディオヘッドの試行錯誤は評価に値するが、破綻や軋轢が欠けている気がする。

 <ロック来るべきもの>はフェルミン・ムグルザ、グルーヴ・アルマダ、ジュノ・リアクターらが志向する民族音楽とデジタルとの融合と確信している。レディオヘッドはあまりに白人的で、<変革>の本筋から外れていると思う。レディオヘッドは新作で、大気圏の彼方から<虹の中>まで帰還した。次回作では<音楽の魔法>を携え、地上に戻ってきてほしい。

 ビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」でロックに目覚めた俺にとり、<音楽の魔法>とはキャッチーで良質なポップである。だからこそ最近のレディオヘッドに違和感を抱き、初期に郷愁を覚えてしまうのだ。セレブの女性に向かって、「昔の方が素直で良かった」なんて言ってるのと同じなんだろうけど……。




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「あるいは裏切りという名の犬」~警察に咲く悪の華

2008-01-22 01:11:24 | 映画、ドラマ
 この正月、録画済みの映画をまとめて見た。とりわけ強烈だったのは、「あるいは裏切りという名の犬」(仏、04年)だ。

 主人公のレオ・ヴリングス警視(ダニエル・オートゥイユ)は部下と同じ目線で泣き笑いするタイプだ。パリ警視庁長官の座を争うクラン警視(ジェラール・ドパルデュー)は、権力欲の塊として描かれている。両者はあらゆる組織に見いだせる対立項だが、ヒエラルヒーを上昇するのは水平志向のレオタイプではなく、垂直志向のクランタイプと決まっている。トロツキーとスターリンが歴史上の好例だ。

 レオの部下たちは手荒な捜査を躊躇せず、上層部に堂々と反抗する悪たれ軍団だ。異彩を放っていたティティ(フランシス・ルノー)が<蟻の一穴>の役割を果たし、ラストのどんでん返しを導くことになる。レオが明らかに部下の側に軸足を移した時、冷徹な組織原理が立ちはだかった。人間の仮面をかなぐり捨てたクランに傷を突かれ、塗炭の苦しみを味わうことになる。

 クールなトーンが生み出すモノクロームの緊張感と感情のマグマが溶け合った本作は、まさに<21世紀版フィルムノワール>だ。女性の登場が極めて少ない元祖と異なり、夫婦愛、父娘愛もしっかり描かれていた。ロバート・デニーロ制作でリメイクが決まっており、レオ役をデニーロ自身が、クラン役をジョージ・クルーニーが演じる予定という。
 
 「上海から来た女」や「現金に体を張れ」などのハリウッド映画もフィルムノワールに含める論者もいる。フランス、ハリウッド、香港がノワール三大潮流らしいが、日本のヤクザ映画を忘れてもらっちゃ困る。<組織―個人>、<実利―人情>の構図を際立たせ、<最もヤクザを否定したのがヤクザ映画>という逆説を成立させた深作欣二、佐藤純彌らの功績は、日本より海外で評価されている。

 「セルピコ」、「LAコンフィデンシャル」、「16ブロック」などハリウッド作品に顕著だが、洋画における警察の腐敗は際限がない。異臭漂う土壌に、ケシやムシトリスミレが咲き誇るが如くである。<正義>という頂から転げ落ちた警官は、悪への加速を制御できないのだろう。 

 警察の不正をメーンテーマに据えた邦画を見た記憶がない。日本の警官は高給取りで福利厚生も充実し、退職後の天下りや高額年金も保証されているが、不祥事は頻繁に報道されている。「朱」ならぬ「黒」と日常的に交わることで、感覚が麻痺してしまうのだろうか。
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タイタニックで<大人度>を測る

2008-01-19 01:14:40 | 戯れ言
 GⅠシリーズ中はともかく、中2日のブログ更新はたやすいことではない。ネタに窮し、お気に入りのブログや日記をサーフィンしていると、「大人になりたい」、「わたしは子供」といった記述に幾つも出会った。

 そうだ、テーマは「大人」でいこうと決めたものの、俺自身は成熟と程遠い五十路だし、大人と確信できる同性を一人も知らない。妥協と迎合を第一に世間を渡る「日本的大人」を、「真の大人」と認める気にはなれないからだ。

 「日本的大人」の代名詞といえる福田首相を、別稿(昨年9月23日)で以下のように評した。<俺は福田氏のようなタイプを多く知っている。含蓄に富み、隙がなく、道理を弁えているように見えるが、その実、芯も核もないタマネギのような御仁を>……。

 「大人もどき」はごまんといる。古紙率偽装各社の経営者、寄付を装い脱税を企んだ歯科医、贈収賄の国交省職員と建設業者、インサイダー取引のNHK職員……。この一両日、仮衣を剥がされた人たちがメディアを賑わせていた。

 識者やメディアは大人になれない成人たちを憂えているが、支配層は明らかに子供のままの大衆を求めている。「天皇の赤子」は戦後60年、無知なまま飼い慣らされてきた。企業はこぞって、<管理職―社員>を<先生―生徒>に置き換える人事考課制度を導入した。目標(宿題)を与えて社員を子供扱いし、組織のコントロール下に置くことが成果主義の肝である。

 俺には<大人度>を測るリトマス紙がある。それは「タイタニック・シミュレーション」と呼びうるものだ。即ち<豪華客船が沈みかけているが、救命ボートの定員は3分の1しかない。この状況で人はどのような行動に出るだろう>……。

 女性と子供を最優先し、次に将来ある若者を救うことを提案する。ボートに突進する中高年の男性がいたら体を張って制し、自らは粛々と死を選ぶ……。

 これが正しい選択だが、俺だけではなく、大人で通っている者も本性を剥き出しにする可能性が高い。「真」が付かない大人なんて、その程度の存在なのだ。幸いなことに小泉、安倍両氏は、子供のままでも総理大臣になれることを証明してくれた。無理に大人になる必要なんてない。

 お気楽な俺はともかく、親として教師として子供と接する立場だと大変だろう。モラルも思想も伝統も消えたこの国で、大人として若い世代に何を語ればいいのか見当もつかない。

 無責任も甚だしいが、俺なら若者に日本脱出を勧める。国民1人当たり1000万円という借金のツケを払い続けるぐらいなら、身一つで海外に出た方がマシではないか。異文化との遭遇と軋轢も、大人への近道なのだから……。


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「素数の音楽」~天才たちをくすぐる甘美な旋律

2008-01-16 00:20:49 | 読書
 数学できんのがなんで悪い……。「高校大パニック」(78年)の台詞に、私大生だった俺は大きな共感を覚えた。

 数学が得意だったら、俺の人生どうなっただろう? 国立大合格⇒お堅い仕事⇒資質とのズレでストレス⇒キレて逆噴射(痴漢とか暴力行為とか)⇒前科者……。道筋は多少違っても、どのみち社会からパージされたはずだ。まあ、今とあまり変わらないけれど……。

 30歳を過ぎた頃、自然科学がロマンに満ち溢れていることを知る。今回紹介する「素数の音楽」(マーカス・デュ・ソートイ、新潮クレスト・ブックス)にも、数学者たちの夢が詰め込まれていた。素数とは<1とその数以外に約数がない正の整数>で、1、2、3、5、7、11、13、17、23、29……と続く。ドイツ人のリーマンは1859年、数列の法則性を提示した。以後150年、「リーマン予想」の証明が数学者の最大目標になる。

 数学の本質は<人々の目に混沌としか映らないものに、構造と秩序を見いだす>ことだという。本書では音楽との相似性が強調されていた。数学者は数式の美しさに神の摂理を覚え、音楽家は天空に舞う音符を掴んで形にする。数式の証明は、調和の取れた音楽を創造することと同義なのだ。

 バーンスタインが「ビートルズの曲はバッハのフーガに匹敵する」と評したように、20世紀後半、ロックが最もクリエイティヴな音楽になる。数学者にように純粋さと狂気を合わせ持つロッカーも少なくない。ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)、デヴィッド・バーン(トーキング・ヘッズ)、アンディー・パートリッジ(XTC)、グリーン・ガートサイド(スクリッティ・ポリッティ)といった面々だ。

 数学界のパンクといえば、本書で<数学の秘儀を授かった人>と評されているインド人のラマヌジャンだ。港湾局で経理を担当していたラマヌジャンは、高等教育と無縁の状態で<素数の海>に飛び込んだ。音楽的素養のなかったパンクロッカーが情念と初期衝動で革命を起こしたように、ラマヌジャンも直感を武器に数学界を震撼させる。ケンブリッジでは異文化に順応できず、心身ともに衰弱して32歳で夭折したが、後世への影響は大きかった。

 ようやく最終章で日本人が登場する。プリンストン研究所で数学界に多大な足跡を残した志村五郎氏だ。本書で再認識したのは、実用を重視するあまり<霞を食う>ことに冷淡な日本の文化的土壌だった。

 本書には数学と物理学との接近が言及されていた。ペレルマン(ロシア)が「ボアンカレ予想」を証明できたのは、物理学を深く理解していたからだという。ペレルマンは数学界最高の栄誉であるフィールズ賞受賞を辞退して失踪する。その経緯に迫った秀逸なドキュメンタリーが、「100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者失踪の謎」(NHK、昨年秋放送)だった。

 いまだ証明に至らぬ「リーマン予想」、そして「ポアンカレ予想」に憑かれた天才たちの多くは、人生の歯車を狂わせてきた。それでも数学者は、蜃気楼を求めて砂漠を彷徨う旅人のように難問に挑み続ける。凡人には聴こえない甘美な旋律に、恍惚とした表情を浮かべながら……。


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日米政治ショーの行方は

2008-01-13 01:07:35 | 社会、政治
 大阪府知事選挙が10日、告示された。橋下徹氏(自民・公明)、熊谷貞俊氏(民主・社民・国民新)、梅田章二氏(共産)の三つどもえの様相だ。

 大阪府民には横山ノック氏に225万票を与えた「前科」がある。石原慎太郎2世を気取ってタカ派発言を繰り返す橋下氏が、知名度だけで勝利を収めても不思議はない。対する熊谷氏は兄信昭氏(前阪大総長)とともに産学協同推進者で、財界とのパイプが太い。

 アメリカ型保守2党体制を目指すのか、北欧型社民主義を理想モデルに据えるのか、民主党は岐路に立っている。俺は後者に期待しているが、今回の知事選は<ウルトラ保守VS保守>の構図になった。2度目の挑戦になる梅田氏が、持たざる者の声なき声をどこまで吸収するか注目したい。

 意気軒昂だった舛添要一氏は、今や厚労省という<腐敗した池>で溺れている。伏魔殿ぶりは大阪府庁も負けず劣らずで、財政破綻、闇の世界も絡まる利権構造、差別に起因するさまざまな問題が、新知事の行く手に待ち受けている。<田中康夫知事―片山善博副知事>クラスの強力タッグじゃないと、大阪再建は難しいだろう。

 アメリカでは大統領選挙という<スマートな茶番>の幕が開いた。サブプライムローン破綻で多くの人がホームレスになる一方、煽った側の証券会社CEOは、巨額の損益を計上しながら200億円近い退職金を得た。これぞ<資本主義独裁国>の恐るべき実相だ。

 選挙制度が他の先進国並みなら、英労働党、仏社会党に近いグループが第1党になるだろうが、穏健な社民主義者さえ弾圧してきたアメリカでは夢物語だ。<アメリカの良心>といえるキャプラでさえ、容共のレッテルを貼られハリウッドからパージされた。

 牛丼しか食べられない人に<ステーキか焼き肉か>を迫るのがアメリカ大統領選挙だ。フランス大統領選の85%、日本の総選挙の68%と比べ、前回(04年)の投票率は50%台前半と著しく低い。絶望した国民はメディアのショーアップに背を向け、棄権で抗議の意を表明している。
 
 リベラルっぽく振る舞うヒラリーの首には、金融界の黒い鎖が鈍く光っている。オバマは未知数だが、ヒラリー同様、多数のアンチを抱えている。民主党勝利は動かないとされているが、ジュリアーニが共和党候補に選出されれば、消去法的選択で逆転する可能性も十分だ。

 大状況を論じる前に、身近の職場やサークルを変えるのが民主主義の第一歩だ。わかっちゃいるけど面倒臭い。だからこそ<自由からの逃走レース>のスタートは、時を超え世界中で繰り返し切られている。

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寒いよ、ベンジー~回り続ける青白い独楽

2008-01-10 11:35:44 | 音楽
 おととい(8日)スカパーで、Sherbetsのライブ(6日、リキッドルーム)を見た。浅井健一(ベンジー)は相変わらず、純水のように冴え冴えとしたオーラを纏っていた。パスしたことを悔やんだが、10周年記念ギグ(5月)には足を運ぶつもりだ。

 新作“MIRACLE”は前作“Natural”の内向と繊細を維持したアルバムだ。鼓膜に残った「Iceland Boy」、「Rainbow Surfer」、「カリフォルニアドリーミング」、「トライベッカホテル」、「Ghost Highway」はリストにあったが、聴かせどころと期待していた「赤いスポーツカー」は、なぜか演奏しなかった。

 オリジナルアルバムはブランキー・ジェット・シティ(BJC)9枚、Sherbets6枚、JUDE5枚、AJICO1枚、浅井健一名義3枚。シングルならびにライブ盤のみの曲を加えると、ベンジーは17年弱で26枚分の作詞作曲を手掛けたことになる。ギネス級の多作ぶりだが、最も好きなアルバムは「AURORA」(Sherbets)だ。1曲選ぶとしたら「シェリル」(BJC)か。

 ♪まわれまわれ 二色の独楽よ 色をまぜてきれいになれ……(中略)はかない はかない独楽がある まわれよ 止まるな いつまでも 止まった時 唄も終るよ

 ベンジーで連想するのは井上陽水の「二色の独楽」だ。心棒で聴く者の感性を磨き、オーロラのように青白い光を発しながら回り続けている。<寒いよ、マイルス>は谷川俊太郎による有名な一節だが、「寒いよ、ベンジー」と思わず画面に語りかけてしまった。

 エコー&バニーメン、アイシクルワークス、アンド・オールソー・トゥリーズのサイケなメランコリアに痺れたUKニューウェーブファンは、Sherbetsの音に郷愁を覚えるだろう。ベンジーはキュアー信奉者で、ギターを弾くさまは時々スリムなロバート・スミスになる。フジロック'07でのキュアーについては、「いまいちだったけど、最後まで応援しとったわ」と辛口な感想を述べていた。キュアーの価値を知るからこそ、キーボードレスの構成に不満を覚えたのかもしれない。

 <十代の荒野>から抜け出せない俺みたいな五十路はともかく、以下に該当する若者には、ぜひSherbetsを聴いてほしい。

 繊細だからこそ壊れそうになる、自然にルールを破ってしまう、独りが好きなのに寂しがりや、優しくされると毛羽立つ、心の中で洪水と旱魃を繰り返す、純粋ゆえに汚れてしまう……。

 15~25歳の人口(1400万人前後)のうち、条件を満たす30万人(推定)の多くは、ニート、不良、問題児のレッテルを既に貼られているかもしれない。幸運にもSherbetsの扉を叩いた者にとり、ベンジーは掌に握られたエメラルドになるはずだ。ベンジーに刺激を受けた若者が、次世代の表現者になる日を心待ちにしている。


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民主主義の条件は人口にあり?

2008-01-07 00:13:22 | 社会、政治
 政治は常に、虚無を俺に味わわせてくれる。07年最大の失望はベネズエラのチャベス大統領だった。

 チャベスは01年、CIAが暗躍したクーデターで政権の座を追われたが、民衆の支持を背景に2日で復権を果たす。大統領府に帰還するや、「憲法は国家の規範であり、何人も侵すことはできない」と世界に向けて宣言した。そのチャベスは、<規範>たる憲法の改正を試みるなど独裁色を強め、今や「オール・ザ・キングスメン」のスタークそのものに変質した。ベネズエラの民主主義は、風前の灯になっている。

 果たして世界に、民主主義のお手本は存在するのだろうか。NHKが放映したシリーズ「民主主義」(33カ国共同制作)が考えるヒントになった。500以上の企画から精選された10本ゆえ、いずれ劣らぬ充実した内容だった。テーマは以下の通りである。

 ①米国の捕虜虐待、②ボリビア社会主義政権の葛藤、③ムハンマド風刺画をめぐる波紋、④エジプト民主化に向けた闘い、⑤内戦を経て誕生したリベリア「女の内閣」、⑥ロシアにおけるナショナリズム勃興、⑦イスラム教と民主主義の狭間で揺れるパキスタン、⑧ガンジーの理念が失われたインド、⑨中国・武漢の小学校における民主主義の実験、⑩日本のドブ板選挙の現実……。

 ⑩は「選挙」(想田和弘監督)の50分版だったが、白眉というべきは⑨の「こども民主主義」である。小学3年生のクラスで学級委員長選挙が実施されることになり、担任は以下の3人を候補として指名した。
 □少年A=父は警察署長で、この2年間、学級委員長を務めている。級友に暴力的に接するいじめっ子タイプ
 □少年B=母親はテレビ局プロデューサーで、利発な感じがする甘えっ子
 □少女C=成績はいいがおとなしい。母親(シングルマザー)は当校教師

 一部始終を陳監督が記録していく。少女の母親は節度を保っていたが、少年たちの家族はネガティブキャンペーンを子供に教え込むなど、民主主義を全く理解していない。最後のアピールを終え、親掛かりの買収工作を公然と行った少年Aが、圧倒的勝利を収める。選挙期間中「これまでの反省を踏まえ、独裁者にはなりません」と殊勝な決意を語っていた少年Aだが、ラストシーン(選出後)では以前と変わらず、高圧的な態度で級友に接していた。

 陳監督の絶望が滲み出ていたが、中国の<非民主主義的土壌>を嗤える国は多くない。カースト制が残るインド、人権と相容れない原理主義が浸透するイスラム諸国、内戦で疲弊したアフリカ……。先進国はどうだろう。アメリカ、フランス、イギリスの民主主義にも目に見える欠陥がある。

 理想形を求めるならデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドではないか。1人当たりのGDP、所得、労働生産性はいずれも世界トップ10圏内で、教育と福祉のレベルも極めて高い。社会民主主義を標榜する政党が最大勢力であることも、北欧諸国の共通点だ。

 <社会>抜きで民主主義は機能しないという仮説も成り立つが、見逃せない点がある。上記の国はすべて人口が1000万以下なのだ。民主主義は人口がある上限を超えたら成立しない制度かもしれない。道州制導入は日本の民主主義のためにプラスに作用するのではないか。

 アメリカでは大統領選挙の予備選が始まり、日本では10日、大阪府知事選挙が告示される。民主主義がどの程度機能しているのか注視したいと思う。



  
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箱根、ラグビー、そして「相棒」~テレビ桟敷の三が日

2008-01-04 01:44:31 | 戯れ言
 三が日はゴロゴロしながらテレビを見ていた。録画しておいた映画やドキュメンタリーより、<生もの>のスポーツを優先したのは致し方ない。

 香山リカ氏によると、最近の若い人は高年層より<誰かの役に立ちたい>という願望が強いという。その傾向にマッチするのが箱根駅伝で、ブレーキになったランナーの悲愴な表情に心打たれる視聴者も多いはずだ。往路終了時、駒大の総合優勝は「既定事実」になっていたが、8区まで楽しめる展開だった。

 順大、東海大、大東大がリタイアしたことで予選会が厳しくなり、必然的に学連選抜のレベルも上がる。今回も4位と健闘したが、優勝が現実のものとなれば制度見直しを問う声も上がるだろう。

 先月末の大統領・議会選挙の結果をめぐり、ケニア各地で衝突が起きている。実業団駅伝、箱根で健脚を見せ付けたケニアの若者たちは、母国の混乱に胸を痛めているに違いない。

 箱根で復活した早大だが、ラグビー大学選手権準決勝では予想外に苦しんだ。超高校級の素材を集めた早大は、関東学院不在の今回、負ける要素はゼロのはずが、帝京大の戦略(FW局地戦)に追い詰められていた。高校ラグビーでは、郷里の伏見工がベスト4に進出した。BKの決め手は素晴らしいが、ラインアウトに難がある。両プロップの負傷もマイナスで、優勝は難しそうだ。

 「ハッスル祭り」には目を覆ったが、「プロレス愛」と「先達への敬意」に満ちたWWE「RAW15周年記念特番」には素直に感動した。アマレス代表クラス、初代タイガーマスク並みのアスリートが高度で危険なシナリオをこなすからこそ、WWEはエンターテインメントとして成立している。プロレスは<虚と実>のつづれ織りだが、「基礎工事」(技術と体力の強化)抜きでは薄っぺらな三文芝居になる。高田延彦は<プロレスの死>を目論んでいるのだろうか。

 「相棒」元日スペシャルには不満が残った。武装闘争が伏線になっていたが、現実の当事者は悔恨に苛まれている。シンパだった女性が爆弾を用いて復讐を試みるという設定は荒唐無稽だし、公安警察が強化された70年以降、爆弾闘争指導者が通産官僚になれるはずもない。政治をストーリーに織り込むなら、十分な準備と学習が必要だと思う。
 
 MONDO21が放送するプロ雀士の闘牌は緊張感たっぷりだが、「割れポン」のインフレ麻雀も実に楽しく、芸能人の強運ぶりにはいつもながら驚かされた。それにしても、運とは実に不思議で不公平だ。不信心で不行跡の俺が冴えないのは当然の報いだが、清く正しく善根を積んでいる者に降りてくるとは限らない。

 仕事始めに向け、そろそろリズムを変えねばならぬ。最初ぐらいビシッと決めたいものだが……。

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