酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

神田香織一門会&「T2」~意志の力とカタルシスに浸る日々

2017-04-30 23:14:54 | カルチャー
 「ロッキング・オン」HPによれば、レディオヘッドのイスラエル公演が波紋を呼んでいる。「アーティスツ・フォー・パレスチナ UK」は、イスラエルによるガザ無差別空爆などの〝ジェノサイド〟に抗議している。当地における文化活動ボイコットを訴える団体に賛同し、サーストン・ムーア、ロジャー・ウオーターズ、作家、俳優ら40人以上が公開書簡で公演中止を要請している。

 レディオヘッドが支持を公言するアムネスティが、<パレスチナに対するイスラエルの人権侵害>を告発し続けている以上、「分断や差別、憎悪をけしかける政治に立ち向かうため、一歩踏み出してほしい」というメッセージは届くだろう。<良心に基づき抵抗する側に寄り添う>という姿勢は、ロックファンの共感を確実に呼ぶからである。

 抵抗が胚胎したポピュラーミュージック(ブルース、ジャズ、ロック、フォーク)はメッセージ性と不可分だが、日本では、旗幟を鮮明にする表現者を嗤い、政治と音楽は別と考える風潮がある。反原発など政治を語るバンドが叩かれるのは、<黙ってお上(組織)に従え>という集団化の反映と捉えていいだろう。

 第11回オルタナミーティング「神田香織一門~平成世直し講談会」(27日、高円寺グレイン)に足を運んだ。サブタイトルの「3・11年から6年 福島を忘れない」が示すように、神田香織は反原発を伝え続け、ソールドアウト連発の人気を博している。
 
 当日は高橋織丸「人を喰う魚! 豊洲移転騒動の巻」でスタートした。築地市場で十数年、働いた経験のある高橋は、旧知の業者を取材し、豊洲移転にまつわる動きを20年近いスパンで調べ上げて、台本を構成した。社会性を追求する師匠の薫陶と年輪を感じさせる演目に感銘を覚えた。

 古典の「三方ヶ原戦記」を演じた神田伊織は入門2年の前座である。台本なしで落語家よろしく客席を目で追い、反応を観察して当意即妙のアドリブを入れる。「凄いな」と感じたが、講談のイロハを知らないから評価を保留していたが、神田香織の冒頭の言葉に納得する。「伊織は10以上の古典を諳んじている。弟子を褒めるのは気が引けるが、50年、いや、100年にひとりの逸材かも」と絶賛していた。青年の前途は洋々のようである。

 スベトラーナ・アレクシエービッチ(ノーベル賞作家)の「チェルノブイリの祈り」を十八番にする神田香織は、「フクシマの祈り」同様、原発事故の自己避難者をテーマにした「ルポ母子避難~消されてゆく原発事故被害者」(原作=吉田千亜)を演じた。政府の冷酷な対応への抗議を織り交ぜながら、子供の体内被曝を案じる家族の思いを熱く訴える。神田香織の意志の力に心を揺さぶられた.

 講談の前日、新宿ピカデリーで「T2トレインスポッティング」(17年)を見た。21年ぶりの続編で、這い上がれない男たちの現在を描いている。公開直後なので、ストーリーの紹介は最低現にとどめたい。

 ダニー・ボイル監督は「28日後……」(2002年)、アカデミー賞で8個のオスカーを得た「スラムドック$ミリオネア」(08年)、「127時間」(10年)と傑作を次々に発表し、鬼才から巨匠にジャンプアップする。この間、ロンドン五輪(12年)開会式で芸術監督を務めている。

 いかにもインディーズといった前作と主な登場人物は変わらない。裏稼業(売春やゆすり)で生計を立てているパブ経営者シック・ボーイ(ジョニー・リー・ミラー)、ジャンキーのままのスパッド(ユエン・ブレムナー)、殺人罪で服役中のベグビー(ロバート・カーライル)……。トリオがくすぶるエディンジバラに、マトモになったマークがオランダから帰ってくる。

 前作を見た頃の俺は〝現役ロックファン〟で、サウンドトラックの曲名とアーティストを即座に言い当てられた。だが、新譜を買う機会が減った今、「T2」ではクラッシュ、ブロンディー、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド以外、馴染みのない曲ばかりだった。還暦になって感性は摩耗しているものの、根本的には進化も深化もない。本作を見ながら、「こいつら(登場人物)も俺も何も変わらないな」と笑ってしまった。

 <大人になる>ことを奨励する風潮がこの国にある。若い頃は不良だったり、政治活動に没頭していたりしても、次第に飼い慣らされて枠組みに収まることが、日本では美徳とされる。俺が大学卒業後、フリーターになったのも、今思えば「馴致されてたまるか」という意地が、心の片隅にあったのかもしれない。不発弾のまま時を過ごした俺と比べ、「T2」の登場人物は禍々しさと毒をブレンドし、自爆に向けて疾走する。〝青春の曠野〟に閉じ込められている者にとって、「T2」はカタルシスとノスタルジーが滲み出る玉手箱だ。
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「キトラ・ボックス」~ウイグル、中国、日本を紡ぐ時空を超えたミステリー

2017-04-27 23:40:24 | 読書
 ジョナサン・デミ監督が亡くなった。デミといえば、トーキング・ヘッズの絶頂期を捉えた「ストップ・メイキング・センス」(1984年)、幾多の映画賞に輝いた「羊たちの沈黙」(90年)を挙げるのが普通だが、俺の記憶に残っているのは「サムシング・ワイルド」(86年)だ。ロック界と交流が深く、斬新な感覚で時代を切り開いた鬼才の死を悼みたい。

 フランス大統領選はマクロン候補(中道=独立系)とルペン候補(右派)が決選投票(5月7日)に進んだ。日本のことさえ把握出来ない俺が論じても説得力はないが、立場や主張を明確にして繰り広げられる論戦に羨ましさを覚えた。

 翻って日本はどうか。佐賀県知事の玄海原発再稼働、辺野古埋め立て工事再開、本音を漏らして辞任した今村復興相を擁護しメディアを批判した二階幹事長、拡大する森友疑惑……。<憲法と自由>、<基地と沖縄>、<原発>、<福祉と医療>、<格差と貧困>など個別のテーマで実施された世論調査を見る限り、議席は拮抗しているはずで、政権の独断専行はあり得ない。だが、民意を吸収し国民にアピールするという本来の役割を、野党は放棄してしまっている。

 福永武彦はフランスの薫りがする作家だった。父から受け継いだ繊細さに骨太さをブレンドしたのが息子の池澤夏樹である。アイヌや沖縄の苦難の道程に心を寄せて、「静かな太地」、「カデナ」を著わした。日本軍に蹂躙されたアジア諸国をグローバルな視点で俯瞰し、作品に反映させている。「すばらしい新世界」(2000年)では脱原発と再生可能エネルギーを織り込んでいた。

 前々作「アトミック・ボックス」(14年)は、国産原爆製造プロジェクト「あさぼらけ」に関わった父と娘の美汐を軸に据えたポリティカルサスペンスで、池澤自身の<原発≒原爆>の思いがちりばめられていた。同作で活躍した主要キャストが、最新作「キトラ・ボックス」(16年、KADOKAWA)に集結する。

 美汐は後方に控え、明晰な頭脳と行動力で本作の主人公、可敦(カトン)を支える。可敦はウイグル出身の30代の女性で、チベット人のDNAも流れている。控えめながら芯が強く、美貌を押しとどめるような意志が窺えるヒロインは、国立民族学博物館(奈良県)の研究員だ。影と憂いを秘める<可敦の謎>もラストで明かされる。北京が恐れるのはウイグルとチベットの連帯で、日中関係にも軋みが目立つ。可敦は絡み合う糸の結び目になっていた

 可敦を〝発見〟したのは、美汐と同じ讃岐大学で考古学を教える藤波三次郎准教授だ。二人はかつて恋仲だったが、三次郎の浮気で関係は壊れた。それでも、両者の友情は続いている。三次郎は可敦の論文を読み、キトラ古墳とトルファンで出土した銅鏡が似ていることに気付いた。三次郎は共同研究を提案し、可敦は応じた。

 可敦が拉致されそうになる事件が起き、〝防衛チーム〟が立ち上がる。「アトミック・ボックス」で美汐の後塵を拝した行田(元公安刑事、現在は郵便局員)、彼女の大逃走に手を貸した敏腕記者の竹西も、美汐の下に馳せ参じる。研究以外に能がなさそうな三次郎だが、意外な特技で貢献する。

 冒頭は1400年前の墳墓盗掘シーンで、祀られていた阿倍御主人(あべのみうし)の主観と現在がカットバックし、物語は進行する。遣唐使として渡った長安で、安倍は語学を留学生に教える陽先生、ウイグル出身で陰陽道に通じたヤグラカルと親交を深める。日本に連れ帰ったヤグラカルは壬申の乱で力を発揮し、阿倍の立身出世に寄与した。ちなみに「竹取物語」に登場する阿倍だけでなく、ヤグラカルも史書にも記された実在の人物だ。

 阿倍の語る飛鳥時代の国の貌が興味深い。中国のみならず朝鮮半島から渡来した帰化人が日本社会の発展に貢献した。蘇我氏だけでなく、藤原氏も朝鮮半島にルーツを持つという説もある。アイデンティティーの浸潤、調和を作品のテーマにしてきた池澤は、複層的な社会を肯定的に綴っている。1400年の時を超え、ウイグル、中国、日本を紡ぐロマンチックで壮大なミステリーだった。

 最後に競馬予想を。天皇賞は①シャケトラ、③キタサンブラック、⑮サトノダイヤモンドを①~③着に、②③着に⑥シュヴァルグランと⑦アルバートをマークする3連単で。俺にとって今週のメーンはPOG指名馬のアドミラブルとトリコロールブルーが出走する青葉賞だ。両馬を軸に据えた3連単を購入し、現地で応援する予定だ。
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「ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡」が写すブラジルの光と影

2017-04-24 22:40:43 | 映画、ドラマ
 〝14歳の大器〟藤井聡大四段が、「炎の七番勝負」(企画=AbemaTV、非公式戦)最終局で羽生3冠を破り、6勝1敗でシリーズを終えた。対局者は羽生のみならず、若手精鋭、タイトル獲得経験者の現役A級と錚々たる顔ぶれだった。公式戦では無敗(12連勝)の快進撃を続けている。

 昨年の今頃、藤井は三段リーグ(29人中27位)を戦い、13勝5敗(もしている!)で10月に四段(プロ)になる。将棋界には<TV対局はオンエアまで結果は明かさない>という不文律があり、羽生戦が行われたのは2月のことである。成長曲線の傾きに驚嘆するしかない。創造性、直観力を評価する声も高く、ネットで棋譜をチェックすることにした。

 〝60歳の怠器〟は50代になって少し勤勉になったが、遅きに逸した感は拭えない。先週末は映画と落語を満喫した。映画は第16回ソシアルシネマクラブ(高円寺グレイン)で上映された「ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡」(10年、ルーシー・ウォーカー監督)、落語はよみうりホールで開催された「よってたかって春らくご17」だ。時系列は逆になるが、まずは落語から……。

 桃月庵白酒「短命」→柳家喬太郞「母恋いクラゲ」→春風亭一之輔「かぼちゃ屋」→三遊亭白鳥「豆腐屋ジョニー」→柳家三三「殿様と海」の順で、爆笑が途切れることなく会は進む。いつも感心するのは、後で上がる噺家が前の高座をチェックし、アドリブで組み込んでシンクロさせていることだ。

 「落語家は気楽な稼業」のフレーズを古今亭志ん生や三遊亭円生の枕で何度も耳にしたが、当の二人を含め、そう考えているトップは皆無だろう。旬のエリートが集うホール落語に何度か足を運んだが、今回は白眉だった。開放感と緊張感が混ざり合い、客席に放射されていた。白酒と一之輔は古典を現代風にアレンジして疾走する。あとの三つは新作落語で、喬太郞と白鳥は尋常ではない弾けっぷりだった。正統派の三三が心配になったが、喬太郞や白鳥との二人会で芸域を広げた成果か、白鳥作に古典風味をまぶし、トリの貫禄を見せつけた。

 「ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡」はリオデジャネイロ郊外に位置する世界最大級のごみ集積場「シャウジン・グラマーショ」が舞台だ。リオ五輪の閉会セレモニーをプロデュースした現代アートの旗手ムニーズが、働く人々の肖像を製作する。ムニーズ自身、中産下層階級の出身だが、幸運にもニューヨークで学ぶチャンスを得て世界に羽ばたいた。当人は<不幸や非運が重なれば、自分もグラマーショで働いていた>と語っていた。

 ムニーズがピックアップしたのは、苦難に挫けることなく、矜持や意志の力を感じさせる人たちだった。その作品は抽象的だが、肝になっているのはモデル自身の希望、気高さである。<描く者―描かれる者>の境界が取り払われ、作品は聖なる輝きに満ちている。高額で落札された作品を含め、世界中で展示された後、モデルたちは新しい一歩を踏み出す。俗から聖への飛翔する瞬間を捉えた奇跡のドキュメンタリーだった。

 映画終了後、ケペル木村さん(ブラジル音楽研究家)のトークイベントが開催される。木村さんの言葉に重なったのは、本作と同じくリオのスラムとごみ集積場を背景に描いた「トラッシュ! この街が輝く日まで」(14年、スティ-ヴン・ダルトリー監督)だった。木村さんが現地を訪ねて見聞した凄まじい格差と貧困、政治腐敗が「トラッシュ!」の背景になっていた。

 ブラジルというと、サッカーとサンバが頭に浮かぶ。情熱的で自由な社会と思いがちだが、実像は異なる。木村さんによれば徹底した階級社会で、ウエーターとして実力を発揮しても、下層階級出身なら決して給仕長になれないという。サッカーやサンバは日本でいう「ハレ」で、辛くて長い「ケ」から自身を解き放つためのツールなのだろう。

 サンパウロを舞台に、1980年代半ばまで四半世紀続いたブラジルの軍事独裁政権下に起きた女性失踪事件を描いた「K――消えた娘を追って」(ベルナルド・クシンシスキー著)を別稿(昨年9月)で紹介した。同書を踏まえ、「独裁政権の傷痕は感じましたか」と87年にブラジルを初めて訪れた木村さんに質問した。負の遺産は当然だが、「音楽に関していうなら、詩の中身がダブルミーニング、トリプルミーニングを志向することで豊かになった」と語っていた。

 前々稿で紹介した現在のイラン映画、そしてかつてのポーランド映画のように、弾圧や検閲が時に表現の深みを増すことがある。映画と木村さんのトークで、ブラジルの光と影の一端を知ることが出来た。
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「日本近現代史入門」~広瀬隆が抉る日本の病巣

2017-04-21 12:37:52 | 読書
 少子高齢化、医療と福祉の崩壊、貧困と格差の拡大、原発再稼働と輸出、地方衰退、アメリカへの隷従と沖縄への冷酷な対応、秘密保護法と共謀罪、国民の沈黙と集団化……。 

 日々のニュースに怒りと無力感を覚えている俺に、広瀬隆著「日本近現代史入門~黒い人脈と金脈」(16年、集英社インターナショナル刊)が〝新しい羅針盤〟を提示してくれた。1860年代からの約120年を独自の視点で記している。

 広瀬の的確かつ迅速な情報分析の最たる例は、3・11日から12日後に開催された「緊急報告会」(デイズジャパン主催、早稲田奉仕園)での発言だった。広河隆一編集長に続いてマイクを握った広瀬は、体内被曝を隠蔽する現在の福島、東電や保険会社は一切補償に応じないという近未来を予言する。七三一部隊の系譜に連なる山下俊一長崎大教授の福島県アドバイザー就任が根拠だった。

 「体内被曝について福島県や国が発表する数字は信用出来ない」と広瀬は断言したが、当の山下は翌日(24日)の「報道ステーション」で「福島産の食物は安全」と話していた。テレビ朝日は代理店と東電に屈し、本体の朝日新聞は同年、山下に日本がん大賞を授与する。反安倍政権サイドが言及するメディア不信の典型的な事例が民主党政権下、3・11直後の朝日で起きていた。

 一方で、桐生悠々を筆頭に、戦争反対を発信し続けた言論人を称賛している。「アレクシエービッチの旅路」について綴った稿(3月24日)で、彼女が強調した言葉「人間であること」は老い先短い俺にとってキーワードになっているが、本書にも繰り返し現れる。

 歴史書は予定調和に陥りがちだ。広瀬は〝情念のアジテーター〟というイメージだが、早大理工学部卒ゆえか、歴史をひもとく手法は理系である。唯物史観を信奉する左派からは忌避感を抱かれがちだが、民衆史に分類される色川大吉や鹿野政直の著書に近い読後感がある。権力に踏みにじられてきた圧倒的多数の棄民を、その抵抗とともに記しているからだ。

 以下を読み、こう感じる方もいるだろう。<広瀬の尻馬に乗って悪口を書いているだけ>と……。小説やドラマの主人公で人気を博してきた歴史的人物の実相を、広瀬は史料と照らし合わせて暴く。偶像破壊の書ともいえる。

 俺は現在の日本を重篤な病人と考えている。日本はどこで間違えたのか? 広瀬は医者としてメスで抉っていく。行き着いたのは明治維新で、吉田松陰と福沢諭吉の思想が、アジア侵略のベースと捉えている。山形有朋や松方正義ら強欲な志士たちが国家を私物化していく経緯も詳述されていた。

 民主主義の萌芽と評価される自由民権運動だが、征韓論を唱えて下野した4人が軸になっていた。排外主義者が自由を説くのは大きな矛盾で、彼らを操り、後にスポンサーになって政党を動かしたのが財閥である。明治政府を領導した財閥によって、日本は戦争抜きに成り立たない〝戦争国家〟になる。この流れは大正、昭和に加速し、財閥とその傀儡政治家が富と権力を独占する。彼らが怨嗟の的になり、血なまぐさい事件が頻発した。

 1920年代を振り返れば、現在の日本との共通点がいくつも挙げられる。格差と貧困が拡大に喘ぐ民衆が軍国主義に引き寄せられていった。<格差と貧困がファシズムを生む>が定説になっているが、正しくは<意識的につくられた貧困が軍国主義を支える>だと広瀬は理解している。

 治安維持法の下、身を賭した大規模な社会運動が燎原の火のように広がった。翻って現在、反原発と反戦争法の広範な広がりで権力の壁に亀裂が生じたものの、たちまち修復され、以前より強大になって立ちはだかっている。この国ではなぜ、〝祭りの後〟の喪失感を繰り返してしまうのか。その謎に迫る鍵も本書に記されている。

 ニューディール派から保守派に主導権が移るGHQだが、前半において果たした役割を広瀬は高く評価している。第一に、上記した吉田茂、白洲次郎、緒方竹虎らファシストたちの策謀を食い止めたこと。この3人は<在外邦人の定着化=棄民>を提言し、GHQに呆れられた。船員たちが在外邦人の帰国に体を張り、米軍も積極的に協力する。

 第二に、GHQは無能極まりなく冷酷な政府に代わって国民を飢餓から救った。敗戦の日の1日前、1945年8月14日に何が起きたか、<軍需物資持ち逃げ 8月14日>で検索すれば、日本の支配層の実態を知ることが出来る。この動きに、岸信介も一枚噛んでいた。第三は、新憲法だ。GHQには多くの案が寄せられたが、採用されたのは鈴木安蔵らのグループが作成した要項だ。新憲法の起草者は日本人だったのである。ちなみに新憲法への苛立ちを白洲は日記に記している。彼の再評価も、安倍政権と連動しているに相違ない。

 1970年、大阪万博協会会長で財界総理と称された石坂泰三は「公害なんて大きな問題ではない」と発言し、見識を疑われた。公害の被害が拡大し、森永ヒ素ミルク事件も起きていた。その都度、御用学者が登場して隠蔽する構図は原発事故でも変わらなかった。足尾鉱毒事件から、棄民の伝統は連綿と守られている。

 本書はメディア関係者、社会を直視しようと考えている人にとって必携といえる。広瀬の結論には納得出来なくても、収録された史料群――入手可能なデータと統計、権力構造を裏付ける系図、日記や公文書の数々――は、物事を考えるベースになり得るからだ。

 オプティミズムに根差す唯物史観なら、<機は熟した。マグマは噴出しつつある。さあ、革命だ>となるが、そうはならない。広瀬は本書で病巣を抉り出し、敵の姿はくっきり浮かんできた。どう立ち向かうかが、今後のテーマだ。

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「人生タクシー」~映画の都から近未来の日本に向けた贈り物

2017-04-18 22:39:20 | 映画、ドラマ
 皐月賞でPOG指名馬ウインブライトは0秒5差の⑧着に終わった。想定外の高速馬場で17番枠では致し方ない。前稿末に記したように、土曜4R未勝利戦の好タイム決着を見て覚悟していたが、情を優先して馬券を買ったことに悔いはない。体調を整えてダービーに向かってほしい。

 俺にとって一番の〝飯の供〟はスカパーの麻雀対局番組で、録画して数日後に見ている。老舗のMONDOTVを筆頭に、麻雀が人気コンテンツになっている局は多い。先日オンエアされた番組対抗戦「THE極雀DEポン」では、「極雀」代表の御徒町凧と多井隆晴、「われポン」代表の萩原聖人とビートきよしが凄まじい闘牌を展開する。

 多彩な分野で才能を発揮している御徒町、前期最強位戦のファイナル(ベスト16)時点で優勝予想の70%を集めた多井、土田浩翔プロいわく〝プロアマ問わず日本最強〟の萩原、修羅場を潜った凄みが滲み出ているきよし……。萩原が奇跡的な追い込みで御徒町を逆転し、土田の言葉を証明した。囲碁や将棋はAIの軍門に下りつつあるが、「知と理」を超越した麻雀はゲーム最後の砦になるかもしれない。

 さて、本題……。この30年、最も質の高い映画を作り続けてきたのはイラン人監督で、主要な映画祭を席巻している。その中のひとり、ジャファル・バナビ監督の新作「人生タクシー」(15年)を封切り初日に見た。初めて観賞したバナビの作品はベルリン国際映画祭金熊賞に輝いている。

 背景を語らず本作を紹介するのは無意味だ。イランにおける検閲は徹底しており、モフマン・マフバルバフ、バフマン・ゴバディは活躍の場を海外に求めた。国内にとどまっている監督の中で、最も厳しい状況に置かれているのがバナビである。体制を批判して2度逮捕され、3カ月近い獄中生活も経験している。国外脱出、海外メディアとの接触、そして映画製作(29年間)も禁じられているのだ。

 それでもバナビは屈しない。USBメモリに収められた映像が海外に持ち出され、上映に至ったこともあった。裁判所の命令に明らかに違反しており、懲役刑を科せられる可能性もある。原理主義者によって暗殺されても不思議ではない。サハロフ賞を受賞するなど、バナビが国際的な人権ネットワークに守られていることが救いといえる。

 上記した事情を知らずに見ると、〝退屈〟と感じるかもしれない。事実、前後左右で船を漕いでいる人を見かけた。ストーリーらしきものはない〝フェイクドキュメント〟で、タクシー運転手に扮したバナビ本人を前に、乗客がイラン社会について論じ合う。バナビは闘士というより、物腰柔らかいおっさんという雰囲気だ。イランのタクシーは日本と異なり、席が空いていれば行き先が違う客も同乗できるようだ。

 微罪の者への死刑執行について激論を交わす自称路上強盗と女性教師、海賊版DVDを販売する男、交通事故に遭った男とその妻、監督志望の若者、迷信深い高年女性2人組、強盗被害に遭った幼馴染み、そして同志というべき女性弁護士……。乗り合わせた様々な人たちとの会話に、イラン社会の影が刻印されている、

 ヒロインはバナビのおしゃまな姪だ。さすが映画の都というべきか、テヘランの小学校では映画製作を教えている。教科書というべき〝正しい映画の作り方〟――むろんバナビは逸脱しているが――をテーマに会話が進む。その姪も、目撃した小さな犯罪をカメラに収めていた。タクシーという名の牢獄からバナビが飛び出した瞬間、ある出来事が起きる。判断は見る側に委ねられているが、イラン映画らしい寓意とユーモア、そして自由への思いに溢れた作品だった。

 本作を遠い国の話と感じた人はおめでたい限りだ。秘密保護法→共謀罪と、この国でも言論封殺の動きが加速している。バナビの腰を据えた闘い方は、近未来の日本人にとってお手本といえるかもしれない。ハンドメイドの本作は映画の都から近未来の日本に向けた贈り物なのだ。

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民進党と井手教授、ガールズ競輪、一之輔、皐月賞~うららかな春の雑感あれこれ

2017-04-15 22:41:21 | 戯れ言
 暖かくなってきた。うららかな春の雑感を思いつくまま記したい。

 民進党大会(3月12日)で「尊厳ある生活保障総合調査会」(会長=前原誠司元民主党代表)のアドバイザーとして壇上に立った井手英策慶大教授のスピーチ(動画、約12分)が、猛スピードで拡散中だ。立ち位置を超えて共感を呼んだ内容は、前々稿で紹介した映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」に通じる。<民進党 井手>で検索すればヒットするのでご覧になってほしい。

 井手教授は先進国最低レベルの福祉と社会保障、アベノミクスの下で進行する弱者切り捨てと格差放置をデータで示し、「自己責任」が横行する異様な社会から、人々が分かち合う温かい社会へのパラダイムシフトの必要性を訴える。その軸になるのは民進党しかないとエールを送った。根底にあるのは<人間としての尊厳>だ。1カ月後の今、民進党は混乱のさなかにある。冷酷で「自己ファースト」の小池都知事になびく者が続出し、右派は離党の時機を窺っている。覚悟を決めた教授の思いは、党員の心に届かなかったのか。

 硬い話はここまで、以降はどんどん軟らかくなる。まずは、「ガールズケイリン~陰で支える人々の情熱」(JSPORTS)から。5年前に復活したガールズケイリンの舞台裏に、様々な切り口で迫っている。元競輪選手の富山健一、彼の弟子の小林莉子と奥井迪、1期生で現在はガールズ競輪の広報と普及に奮闘する藍野美穂、ジャーナリストの若生武則……。5人の情熱が描かれている。

 富山はS級に上がれず、藍野は一つも勝てないままリンクを去る。ネットで配信している若生は、紙メディア廃刊を経験している。彼らの挫折が、人間臭い競輪というゲームにフィットしているのだろう。自主性と対話を重視しながら選手のモチベーションを上げる富山に感銘を覚えた。

 ここ数年、寄席や落語会に足を運ぶようになった。当ブログの一押しは春風亭一之輔で、精鋭が集うホール落語でも光って見える。古典落語という太い幹に現代的な感性の花を咲かせる一之輔が、「プロフェッショナル仕事の流儀」(NHK)に取り上げられた。噺家では2人目で、1人目の柳家小三治(人間国宝)が落語協会会長時代、「久しぶりの本物」と21人抜きで真打ちに抜擢したのが一之輔だった。

 <ポップとギャグは人を狂気に追い込む>というのが俺の持論で、〝客を笑わせないと意味がない〟と自身を追い込む一之輔の行く末を心配していた。師匠の春風亭一朝が呆れるほどの努力家で、年間900席とハードスケジュールをこなしながらプレッシャーと闘っている。落語の稽古は師匠や兄弟子の口伝が中心であるためか、一之輔は演目の進行や台詞をびっしりノートに書き込んでいる。録音した自身の声を道すがら聴きながら、併せてブツブツ呟いている。アナログとデジタルを融合させているのだ。

 TBSチャンネルのライブ中継の枕で安倍首相夫妻を揶揄していた一之輔に限らず、三遊亭白鳥、柳家喬太郎、桃月庵白酒、柳家三三ら売れっ子は、政治ネタを含めて毒を吐く。修練をベースにした閃きと、客席の空気を瞬時に読む観察力で、磁場を歪ませるのだ。ロック同様、テレビ画面では伝わらないことが多いから、旬の噺家を現場で体感してほしい。

 一之輔を支えているのは家族と師匠だ。息子と自分の日常をヒントに、「初天神」を進化させる過程が興味深かった。師匠との落語会で。飄々とした一朝の芸に「面白いよなあ、師匠は。50年やってるのに、工夫を加えてる」(要旨)と感嘆していた。疾走中の39歳は、目の前の一席に全身全霊を傾けながら、創作落語に挑戦するなど30年先を見据えている。

 最後に、難解な皐月賞の予想、いや、願望を。POG指名馬の⑰ウインブライトの勝利を願っている。スピードよりパワーが要求される外差し馬場は同馬に合うと想定していたが、土曜4R未勝利戦で好タイムが出たように、予想は一筋縄ではいかない。前走の体重減が気になっていたが、原因は寄生虫で、現在は戻しているという。まずは単勝を買い、馬連は②スワーヴリチャード、④カデナ、⑧ファンディーナに流したい。

 マイネル、コスモ、ウインといえば、打倒社台に命を懸ける岡繁幸総帥で、時に大言壮語で大向こうを唸らせる。今回静かなのは、体調が優れないためらしい。ウインブライトの父ステイゴールド(15年没)は社台生産馬だが、繋養先は非社台だ。畠山厩舎と松岡騎手は雑草コンビだ。非エリートの薫りがするウインブライトを心から応援したい。
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「はじまりへの旅」が示すアメリカ文化の奥行き

2017-04-12 21:51:05 | 映画、ドラマ
 フィギュアスケートを観戦した時間は皆無に等しい俺だが、浅田真央の引退には感慨を覚えた。亡き妹が熱烈なファンだったからである。病のため出産が叶わなかった妹にとって、浅田は娘のような存在だった。健気で非運のイメージがある浅田を、実在するかしないかにかかわらず、娘、孫、妹に重ねた女性は多いだろう。浅田は肉親の情で愛された希有なアスリートといえるだろう。

 トランプ大統領はシリア空爆の理由に<化学兵器使用>を挙げているが、アメリカに人道を語る資格などない。湾岸戦争(1991年)で劣化ウラン弾(事実上の核兵器)、ファルージャ空爆(2004年)で大量破壊兵器(劣化ウラン弾と化学兵器の複合体?)を投下した。当地で起きたことは「ファルージャ~イラク戦争 日本人人質事件……そして」(13年、伊藤めぐみ監督)に収められている。

 酷たらしい無数の遺体、DNAを破壊され先天異常で生まれてきた子供たちの姿に、自衛隊派遣を黙認した罪、侵攻がもたらした惨禍を知らなかった自身の罪を突き付けられた。贖罪の意識と無縁で、〝自前の正義〟を振りかざすアメリカを非難する俺だが、<反米主義者>ではないことを、数少ないブログ読者だけはご存じだ。

 俺は米国内で〝普遍的な正義〟を追求するムーヴメント、その周辺に位置する映画監督、作家、ロッカー、ジャーナリストらにシンパシーを抱いている。その中のひとり、ノーマ・チョムスキーへのオマージュがちりばめられた映画「はじまりへの旅」(16年、マット・ロス監督)を新宿で見た。

 公開されたばかりなので、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。<世界中で笑いと涙を誘ったロードムービー>というキャッチコピーは的外れで、アメリカ文化の奥深さを描いたシリアスな内容である。脳裏のスクリーンには、〝広大で複層のアメリカ〟が輻射しながら重なり合っていた。

 キャッシュ一家は北西部の大森林に暮らしている。狩猟と菜園で食料を賄う生活で、パソコン、携帯、ゲームの類いとは無縁だ。父親ベン(ヴィゴ・モーテンセン)の薫陶を受け、18歳の長男ボウ(ジョージ・マッケイ)を筆頭に、6人の子供たちは驚くべき教養を身につけている。ロウソクの灯りの下、子供たちは「カラマーゾフの兄弟」や「銃・病原体・鉄」を読み、読書に疲れたら、家族ぐるみのジャムセッションが始まる。

 ゲリラ基地と訝るような訓練で、子供たちはフィジカル面も優れている。「僕はトロツキストというより毛派」とボウが語るなど、ラディカルな言葉が飛び交っていた。チョムスキーを信奉し、反権力と反資本主義を体現する家族に、母親レスリーの姿はない。訃報がもたらされたが、一家は葬儀出席を拒否される。

 ベンの義父ジャック(フランク・ランジェラ)は地元の名士で、混乱を恐れていた。家族は平等という前提で協議を重ねた結果、ベンは子供たちに背中を押されてニューメキシコに向かう。移動手段はスティーヴと名付けられたバスだった。一家のミッションは<仏教徒だった母をキリスト教から救え>で、亡き母と家族との絆が少しずつ明らかになっていく。

 ベンには19世紀半ばに自然回帰を説いたヘンリー・ソローの影響を感じる。ソローの問題提起は21世紀に入り、環境保護、ミニマリズム、循環型社会を志向する者たちに受け継がれている。ファストフードで加工されたメニューに呆れたキャッシュ一家は、<食べ物を救え>のミッションを掲げた。

 アメリカにはキャッシュ一家のように、定住せず漂浪するボヘミアン階級(≒ヒッピー)が存在する。「ウッドストック」の企画立案者たち、「イージーライダー」に登場するモーターサイクリスト、グレートフル・デッドのツアーで共に全米を回ったデッドチルドレンが典型だ。Xスポーツもボヘミアンから生まれた文化である。彼らのバイブルはヘルマン・ヘッセの著作で、「シッダールタ」から命名(芸名も)されたリバー・フェニックスなど、ボヘミアンは多くの表現者を輩出している。

 ボヘミアンは法律、制度、慣習に囚われない。麻薬には寛容だし、FBIから逃れるため、全米を転々する政治犯もいる。上記の二つのミッション、<仏教徒だった母をキリスト教から救え>と<食べ物を救え>も実行すれば犯罪だが、キャッシュ一家は気に留める様子はない。

 ラストに近づくにつれ、落としどころが心配になってきた。「モスキート・コースト」(86年、ピーター・ウィアー監督)のアリー(ハリソン・フォード)のように、ベンは狂気の〝森の王〟と化してしまうのか……。あるいは「イン・トゥ・ザ・ワイルド」(07年、ショーン・ペン監督)のクリストファー(エミール・ハーシュ)ように、社会の通路が遮断されてしまうのか……。だが、本作の柔らかいカタルシスに癒やしを覚えた。ちなみに、「モスキート--」で長男を演じたのはフェニックスである。

 タイプは異なるが、「はじまりへの旅」は前稿で紹介した「わたしは、ダニエル・ブレイク」に匹敵する傑作である。今年は俺にとって、〝豊饒な映画の年〟になりそうだ。
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「わたしは、ダニエル・ブレイク」~誇り高き生き様に熱くなる

2017-04-09 21:21:05 | 映画、ドラマ
 20代対決となった将棋名人戦第1局は、挑戦者の稲葉陽八段が後手番で制し、好スタートを切った。佐藤天彦名人(叡王)は電王戦(1日)で最強ソフト「PONANZA」に敗れたばかりで、AIと人間の挟撃にプレッシャーを覚えているはずだ。ちなみに、「3月のライオン」で監修を担当した先崎学九段は観戦記(今日付の朝日新聞)で<感覚重視>と評していた。

 両者以外に20代後半には豊島将之、糸谷哲郎の両八段ら、20代前半には千田翔太六段など精鋭がひしめいている。彼らは一様に背後に迫る怪物、公式戦11連勝中の中学生棋士、藤井聡大四段の足音に気付いている。棋譜は見ていないが、藤井の力を測る物差しがNHK杯1回戦、千田との対局だ。将棋ファンにとって垂涎ものの好カードである。

 オリバー・ストーンといえばリベラルの代表だが、作品に違和感を覚えることが多いは。<トランプは積極的な軍事行動に出ないと予測出来る点で、ヒラリーよりましかもしれない>(要旨)という大統領選後の発言が的外れであったことは、シリア空爆からも明らかだ。トランプの経済政策や英国のEU離脱を<反グローバリズム>と評価する識者もいるが、ともに「グローバルな格差と貧困の是正」を志向していない以上、誤謬は遠からず明らかになる。

 <反グローバリズムと反民営化>の視点で格差と貧困、行政の冷酷さを描いた映画を見た。パルムドール(カンヌ最高賞)をはじめ、世界の映画祭を席巻した「わたしは、ダニエル・ブレイク」(16年、ケン・ローチ監督)に深い感動を覚えた。最近のキーワード「人間」と重なるからである。

 「アレクシエービッチの旅路」(3月24日の稿)で、ノーベル賞作家は東京外大で若者に<孤独でも「人間」であることを丹念に続けるしかない>と提言する。換言すれば、<自身だけでなく人間の尊厳を守るため、集団から孤立しても「NO」を突き付けるべき>となる。本作の主人公ダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)は「人間」を体現していた。
   
 大ヒット公開中で、いずれDVDでご覧になる方も多いだろう。ストーリー紹介は最低限にとどめ、感想を以下に記したい。背景にあるのはデジタル化、民営化を進める過程で弱者を切り捨てる冷酷な行政で、日本の現状と近似的だ。

 英国北部のニューカッスルに暮らすダニエルは俺と同年代だが、生き方は真逆だ。フワフワ流されてきた俺と対照的に、ダニエルは40年、大工職一筋で生きてきた。心を病んだ亡き妻の介護に務めてきたが、疲労がたたったのか心臓に疾患を抱えている。主治医からドクターストップがかかり、仕事が出来なくなった。

 ダニエルは窓口に足を運ぶが、よそよそしい対応に怒りを禁じ得ず、「(民営化されて)アメリカの会社に雇われているのか」と毒づいてしまう。親身な担当者が叱責されるほど、役所には官僚主義が横行していた。還暦を過ぎて区の窓口を訪ねる機会が増えた俺だが、この点だけは日本の方がマシかなと感じたぐらいだ。

 ダニエルは休職と求職手当の二通りの矛盾する書類の提出を命じられるが、はなから要求をはねつけるのは決まっている。パソコンに触れたことがないから、作業は遅々として進まない。困ったダニエルに手を差し伸べるのはシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイザーズ)だ。彼女も窓口で理不尽さに怒りを爆発させたが、援軍になってくれたダニエルに恩義を感じていた。追い詰められたダニエルとケイティの友情が本作のキーになっていた。

 「人間」として当然だが、ダニエルは権力と対峙し、弱者には優しい。ケイティの苦境は日本のシングルマザーそのもので、その選択がダニエルをも苦しませることになる。また、隣室の黒人青年チャイナ(ケマ・シカズヴェ)とも、習慣の違いによるいさかいをクリアして繋がっていく。ダニエルは偏見や差別とは無縁なのだ。

 胸がすくハイライトが用意されている。タイトル「わたしは、ダニエル・ブレイク」はその場面にちなんでいるが、ここでは記さない。その先に待ち受けるラストは、果たして……。誇りと他者への優しさを併せ持つダニエルの生き様に感銘を覚え、俺はまだ「人間」に程遠いことを思い知らされた。80歳のケン・ローチは引退を撤回し、本作を完成させた。反骨精神に溢れた映像作家に感謝の思いを捧げたい。
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「Deluxe Edition」~阿部和重の実験に惑う

2017-04-06 23:07:08 | 読書
 チェルノブイリ周辺の現状を検証すれば明らかだが、福島原発事故がもたらす体内被曝は今後、首都圏を含めた広範な地域に及ぶだろう。国による避難解除は<放射能汚染は深刻ではない→若い世代の疾病(白血病や甲状腺がん)は原発事故と無関係→国や東電は補償する必要はない>を前提にしている。今村復興相の「自主責任」は失言ではなく、政府の冷酷な論理に則ったものだ。

 昨年8月以降、自主避難者のシビアな状況を記してぃた。「自主避難者によるお話会~原発避難、いじめ、住宅支援打ち切り問題などを巡って」(昨年12月)は心に刺さるイベントで、参加していた杉原浩司さん(武器輸出反対ネットワーク代表)はFoE Japan、希望のまち東京をつくる会(宇都宮健児代表)らと抗議活動を展開している。〝都民ファースト〟を掲げる小池都知事も復興相と立ち位置が変わらないことが、この間の経緯で明らかになった。

 現実はあまりに酷い。だが、俺の夢は濃密かつリアルで、焦燥感で叫びそうになりながら目覚めることも度々だ。夢の続きのような小説を読了した。阿部和重の「Deluxe Edition」(13年、文春文庫)で、帯に「時代を撃ち抜け~9・11/3・11をこえて」とある。21世紀の空気を織り込んだ12編からなる実験的な短編集だ。

 各作品のタイトルは曲名だ。阿部と親交があり、文庫版の解説を担当している福永信によれば、2作セットでレコードのA、B面という構成になっているらしい。日本的情念と超常現象への畏怖は変わらないが、阿部は従来と異なる貌を見せていた。作家としての腕の見せどころは<感情移入させて自分の世界に引き込む>ことだが、本作では意識的に読者を突き放している。入り込めたと思った刹那、主観が変わり、鏡の向こうに追いやられるのだ。

 ♯1「Man in the Mirror」では〝新しい人類〟の研究に孤島に赴いた科学者の主人公が、屈折したプリズムに吸い込まれてしまう。♯2「Geronimo-E,KIA」では、バーチャルな戦場に送り込まれた少年たちの二次元から、監視する監督の三次元へと視座が移り、現代の戦争の形が炙り出される。

 阿部の作品の特徴の一つは、登場人物が幼いことだ。♯10「The Nutcracker」、♯11「Family Affair」の2人の主人公は、それぞれ14歳、11歳である。評論「幼少の帝国-成熟を拒否する日本人」(13年)で論じた成熟拒否が、小説のテーマになっているのだろう。さらなる特徴は、性のタブーも恐れないこと。♯10では民話という仕掛けでロリコンとサディズムを昇華させ、♯4「Just LikeaWoman」では男権社会の暴力と性の垣根を描いている。
 
 阿部の小説の底には、不可視の支配への恐怖、集団化への忌避感が流れている。格差社会における若者の閉塞を表現した♯5「Search and Destroy」では、狩られる大人、狩る若者の主観を交錯させていた。日常と非日常の曖昧な境界を描いた♯「Sunday Bloody Sunday」も興味深い内容だった。

 文学と映画の違いはあるが、俺が阿部に重ねているのはロバート・アルトマンだ。複数の主観を再構成するという手法に共通点があるし、阿部の小説に頻繁に現れる地震、洪水、火事、爆発に、アルトマンの最高傑作「ショート・カッツ」のカタストロフィーが重なる。カオスを好む阿部が3・11を題材に書いたのが♯6「In a large Room with No Light」で、収束することなく物語は終わる。

 俺の感性のアンテナは錆び付いているから、阿部の実験を理解するのは難しかった。<ジグソーパズルから零れ落ちたピースの数々が、散乱したまま床に放置された>というのが本作の印象である。次回作では壊した後の予定調和的再構成を期待したい。

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桜、将棋、落語に触れ、〝正しい日本的〟を考えた

2017-04-03 23:37:23 | カルチャー
 録画しておいた「そして誰もいなくなった」(前後編、アガサ・クリスティ原作)を見た。45年以上前(中学生の頃)に読んだ原作を現在の日本に置き換えた長坂秀佳の脚本が秀逸で、期待以上の内容だった。語り部は仲間由紀恵が務めたが、〝真の主役〟渡瀬恒彦である。事実上の遺作であり、テレビ朝日の渡瀬への感謝と鎮魂が窺えた。

 花火が鎮魂の表現であると前稿に記したが、花見も同じである。今日は新宿中央公園、明日は上野で桜に親しむ。4月1日は亡き妹の誕生日、4月12日は父の命日で、満開の桜の彼方に二人の面影を追っている。死が身近になるにつれ、俺の感性も和化している……と言いたいところだが、俺が感じる日本人像は世間と乖離しつつあるようだ。いや、〝誤った日本的〟が蔓延している。

 日本政府はアメリカに配慮し、核兵器禁止条約の交渉会議に不参加を表明した。唯一の被爆国としての矜持はどこに消えてしまったのか。〝醜い顔〟でアジアを侵略した大日本帝国の精神的支柱だった教育勅語の復活が、森友学園問題で明らかになる。教育勅語の「夫婦相和シ」を、果たして首相夫妻は唱和出来るだろうか。違法の天下りを常態化した文科省に、道徳を説く資格なんてない。

 同志たち――首相夫妻、松井大阪知事、籠池前理事長――の責任のなすり合いは、保守派の信義が薄っぺらであることを証明した。勇ましい稲田防衛相だが、インタビューで「自分の息子は戦場に行ってほしくない(=死ぬのは庶民)」と本音を漏らしている。リベラルや左派だって褒められたものではないが、保守派の劣化は甚だしい。ちなみに、戦前回帰と右傾化を誰より危惧しているのが皇室であることは、発言からも明らかだ。

 「日本人の最も特徴的な点は何か」と問われたら、俺は〝オルタナティブ〟と答える。操作がたやすく集団化しやすいという欠点はあるが、寛容な日本人は古代から、海外の文化や習慣を柔軟に受け入れ、生活に織り込んできた。排外主義やヘイトスピーチの源流は吉田松陰で、その薫陶を受けた長州閥が育んできたとみることも出来が、本来の日本人とは対極にあったと考えている。

 先週は紀伊國屋ホールで2日続けて、日本文化の神髄に触れた。まずは第6回「将棋対局~女流棋士の知と美~」(3月28日)から。メーンは香川愛生女流三段と室谷由紀女流二段の対局で、先崎学九段が解説を、山口恵梨子女流二段が聞き手を務めた。映画「3月のライオン」(羽海野チカ原作、大友啓史監督)のプロモーションも兼ねており、上記4人が対局前、作品についてのトークを展開した。先崎九段は同作のアドバイザーを務めている。

 公開対局に足を運ぶのは初めてだが、先崎、山口の軽妙なやりとりは当然、対局者に聞こえている。ファンサービスの一環の対局だが、局面は次第に緊迫し、室谷が最終盤の鮮やかな一着で勝利を収めた。香川と室谷は自他共に認めるライバルだが、両者の間に和やかな空気が流れているのを感じた。

 翌29日は第9回「白鳥・三三 両極端の会」である。異端派の三遊亭白鳥、正統派の柳家三三が互いに宿題を出し合いながら共演するという趣旨で、今回は白鳥が古典を、三三が白鳥の新作を、それぞれアレンジしながら演じた。白鳥は「女性版文七元結」、三三は「天使がバスで降りた寄席」を披露する。

 三三は冒頭のトークで「兄さん(白鳥)に近づいてきてるので、『両極端ではない会』の方が正解かも」と話していた。小三治の愛弟子で柳家の看板を背負う三三は相当のプレッシャ-を感じているはずだが、白鳥、柳家喬太郞といった芸域の異なる噺家との交流で、毒を取り込みながらスケールアップしている。

 皇室をネタにした新作を披露するなど、白鳥は際どくブラックな噺家で、反骨精神が窺える。大御所たちを激怒させたエピソードには事欠かないが、円丈(師匠)の下、アウトサイダーを極めた。今回は力量が求められる「文七元結」を女性の視点でアレンジするという離れ業を見せつける。噺と途中で「支度」を「しど」と発音し、締めのトークで「知らなかった」と話していたが、仕込みに相違ない。

 日本の文化や風習を学ぶ手段は他にもある。農業も一つの案だが、虫が怖い俺には難しい。俳句や短歌を詠んでみようと思ったことも何度かあった。仕事から解放されたら――かなり厳しそうだが――中高年のサークルにでも参加してみるか。

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