酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ダラス・バイヤーズクラブ」が描くアメリカの矛盾と人間の尊厳

2014-02-28 12:47:33 | 映画、ドラマ
 高村薫は「神の火」(91年)で、<二酸化炭素排出規制=原発推進派の後ろ盾>に言及していた。15年後(06年)、<二酸化炭素温暖化説>に則る「不都合な真実」が公開され、提唱者アル・ゴアはノーベル平和賞を授与される。聖人になったのも束の間、転落も早かった。ニューヨーク・タイムズら主要紙に誤りを指摘され、日本の原発推進派でさえ、同説に依拠する者はいなくなった。

 有楽町で昨日、1980年代のダラスの街を舞台にした「ダラス・バイヤーズクラブ」(13年、ジャン=マルク・ヴァレ監督)を見た。'13アカデミー作品賞候補作は5本目だが、最も魂を揺さぶられた作品である。

 「ダラス――」の背景に重なるのが<ゴア最大の罪>だ。「金で買えるアメリカ民主主義」(グレッグ・バラスト著、角川書店)はゴアの酷い過去を暴いている。エイズが蔓延するアフリカに向け、南米やアジアで造られた安価の治療薬が輸出される運びになっていた。ストップを掛けたのは〝製薬メジャーの代理人〟ゴアである。高い治療薬がアフリカで普及するはずもない。<史上最も多くのアフリカ人を殺した非人道的な男>の汚名が広がったことが00年大統領選の敗因と、バラストは指摘している。

 人間は苦境に陥らないと矛盾に気付かない。「ダラス・バイヤーズクラブ」の主人公ロン(マシュー・マコノヒー)も同様だった。共和党支持、カウボーイハットが似合うダラス・カウボーイズの大ファン、酒、麻薬、女、賭け事に溺れるうちに野心と夢は溶け、トレーラーハウスに独り暮らし……。ロンは冒頭のシーンで、エイズ感染を公表したロック・ハドソンをこき下ろしていた。

 体調不良を自覚していたロンは、意識を失い病院に搬送される。待っていたのは「エイズで余命30日」の宣告だった。エイズ患者≒ゲイが当時の常識だったが、ロンの場合は不特定多数(主に娼婦)との性交渉が感染の理由だったのだろう。マッチョを競った仲間たちはロンから離れていき、彼の身を案じたのは幼馴染の警官タッカーだけだった。

 偏見、孤立、死への恐怖と闘いながらエイズについて学ぶうち、ロンは恐るべき構図に行き当たる。副作用のある高価なAZTで患者をモルモットにするFDA(米保健福祉省)と製薬メジャー、病院、ゴアら政治家、司法当局、メディアが結託してエイズ患者を死に追いやっている。敵は強大な国家そのものなのだ。

 メキシコ人医師の処方で生き永らえたロンは、効果的な治療薬をエイズ患者に与えるべく、「ダラス・バイヤーズクラブ」を立ち上げた。副作用が小さく安価な薬は企業の利潤を生まない。だから権力は、全国に広がった「バイヤーズクラブ」を弾圧する。ロンは日本やオランダを訪れ、治療薬確保と販路拡大に邁進する。

 病院で知り合ったレイヨン(ジャレッド・レト)を毛嫌いしていたロンだが、あまりの駄目さに肉親の情が芽生え、同時にゲイや女装への偏見は消えた。マコノヒーは21㌔、レトは12㌔減量と身を削った演技が衝迫を際立たせ、神々しい輝きを添えている。

 レイヨンはマーク・ボラン崇拝者という設定で、エンディングにはT・レックスが流れていた。レイヨンの恋人サニーを演じたブラッドフォード・コックスはディアハンターの中心メンバーと、ロックの薫りがする作品である。4ADナイト(11年11月)で彼らを見たが、ブロンド・レッドヘッドの至高のパフォーマンスと比べ、「情念に欠ける」と辛口に評した記憶がある。

 享楽的に生きてきたロンは、医師のイブ(ジェニファー・ガーナー)と共に生きたいと願う。心から愛しているのに彼女を抱きしめられない。ロンとイブの表情に、切なさと哀しみが宿っていた。ロンとイブ、そしてレイヨンとサニーと、本作は崇高な愛の形に迫っている。

 絶望の淵を知った者は、勇気や優しさを身につける。ロンにとってエイズ感染は悲劇だったが、矛盾と闘い、差別意識を克服し、人間の尊厳を体現する。地上すれすれを舞っている俺など、真実に近づくために堕ちた方がいいのだろうが、気力も体力もとっくに萎えている。そうなったら這いつくばったまま、人生を終えることになるはずだ。
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「英雄はそこにいる」~自己犠牲と破壊願望の彼方に

2014-02-25 23:19:40 | 読書
 別稿(12年5月)で、都内で行われたシンポジウムのレセプションに紛れ込んだ知人の目撃談を紹介した。登壇した野田前首相は「ご指導のほどをお願いします」と居並ぶ面々に低姿勢で挨拶し、会場を後にする。陰謀論好きによると、あの場にいたのは、息のかかった者をトップに据え、陰で世界を操る輩だという。

 野田前首相も傀儡として、原発再稼働、TPP参加、弱者切り捨て、消費税増税、辺野古移設を粛々と進め、安倍政権に向けた地均しをした。俺はその稿で<99%が覚醒して叛乱を起こせば、怪しい会議なんて吹っ飛ばせる>と書いたが、その通りのことが起きていた。現実ではなく、フィクションの世界で……。

 「カオスの娘」(07年)の続編である島田雅彦の「英雄はそこにいる」(12年、集英社)を読了した。前作では蜃気楼のように揺れていたブラックハウスだが、本作では実体ある影としてこの国を覆っていた。3・11後の日本を組み込んだ超弩級のエンターテインメントで、作者自身の脱原発の思い、政治への絶望が色濃く反映している。「カオスの娘」について<神の怒りに通じる憤りと破滅願望が滲んでいる>と記したが、本作はよりエモーショナルな衝動に貫かれている。

 主人公は前作に続きシャーマン探偵のナルヒコで、評判を聞いた穴見警部に要請され、女性刑事の八朔とともに迷宮入り事件の現場に足を運ぶ。「ホステス誘拐事件」、「ジャーナリスト連続殺人事件」、「山手線死体遺棄事件」、「中央線沿線通り魔殺人事件」、「歌舞伎町水難事件」、「不動産業者殺人事件」……。無関係に思えた未解決の難事件がナルヒコの霊視により、同心円であることが判明した。

 浮かび上がってきたのは〝完璧なテロリスト〟サトウイチローだ。知性、体力、胆力、魅力的な容貌を併せ持つ30代半ばのイチローは、絶滅したはずのDNAを体内に刻み、繰り返し痕跡を消されている。ともに〝絶滅種〟で、人知を超えたパワーを有する者同士として、ナルヒコはイチローと対峙しつつ共感する。二人はまるで合わせ鏡のようだ。

 橋下徹大阪市長や金正恩総書記をモデルにした人物が登場するなど、物語はミステリーからポリティカルフィクションへと主音を変えていく。ブラックハウスのボス、組織に火を放たんと試みるイチロー……。時に和解を偽装する父子の相克は、ギリシャ神話のゼウスとヘラクレスを下敷きにしている。

 首長暗殺、そして反原発を掲げる宗教団体「世界市民連盟」指導者の影響力を削ぐこと……。イチローは二つのミッションを与えられる。前者は実行したが、後者で手のひらを返す。ブラックハウスの存在が日の下に晒され、ネット上で直接民主主義の叛乱が起きる。イチローは英雄視され、世間の喝采を浴びるのだ。

 政官財のみならず、警察もまた<1%>に蝕まれており、ブラックハウスに叛旗を翻したイチローを抹殺する方針で捜査は進む。イチローが説く<99%>にとっての幸福、イチローが断罪する<1%>が富と権力を収める構図……。いずれの側に正義があるかを悟ったナルヒコ、穴見、八朔はイチローの〝共犯者〟であることを選んだ。

 島田作品の登場人物には温かい血が流れている。「無限カノン三部作」のカヲル同様、本作のナルヒコやイチローも情義に厚く、自己犠牲を厭わず真実を追求する。壮大な悲運にカタルシスを覚えるのだ。俺の目に島田は<極めて危険な作家>と映る。もちろん褒め言葉だが、それゆえに文藝春秋は芥川賞を与えなかったのではないか。


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「小三治・三三親子会」、そして「円生と志ん生」~落語で暖を取る日々

2014-02-22 20:59:48 | カルチャー
 山口県といえば、上関原発建設中止を求める祝島の闘いが脱原発のシンボルになっている。安倍首相の地元に乗り込むとの臆測もあった小泉氏だが、県知事選では何のアクションも起こしていない。宇都宮氏に投票した俺でさえ元首相の発信力に期待している。細川氏を支持した方は失望を覚えているのではないか。

 五輪にもフィギュアにも無関心の俺だが、浅田真央には注目していた。妹が生前、「真央ちゃん」をわが娘のように応援していたからである。集大成となるフリーの演技に感銘を受け、天国の妹に思いを馳せた。妹だけでなく多くの人々を勇気づけてきた希代のスケーターに対する森喜朗氏の暴言(=本音)に、震えるような怒りを覚え、同時に悲しくなった。利に敏く人情の機微に疎い男を首相の座に押し上げたのは、他ならぬ我々だった。

 都内の公立図書館で250冊以上の「アンネの日記」が破られた。欧米のグローバルスタンダードに刃を突き付け、日本の独自性を主張するグループによる意思表示だろう。これもまた、〝日本的〟の一形態かもしれないが、俺とは志向が真逆だ。俺にとっての〝日本的〟とは多様性、調和、そして寛容の精神である。

 感性が和製化しつつあるアラカン(57歳)の俺が親しみを覚えるのが、ファジー、アバウト、ピンボケ、怠惰なキャラが闊歩する落語である。先日(18日)、「柳家小三治・三三親子会」(川口リリアホール)に足を運んだ。三三の演題はWOWOW特番、花緑との二人会、正月の鈴本と4回続けて「締め込み」だったので、眠気を覚えてしまった。

 年齢層が高いこともあり、寄席での睡眠率はかなり高い。「お目当て(トリ)までたっぷり時間があります。楽になさってください」は出番の早い落語家の決まり文句だが、笑い疲れてトリの時間に爆睡している客も少なくない。裃と無縁の落語では、幕が下りる頃に覚め、「寝ちまったか」と頭を掻くのもありなのだ。

 一門の出囃子を担当している柳家そのじは、着物が似合う柔らかな雰囲気の女性だった。東京芸大邦楽科卒業で、太田そのの名で三味線師として活躍中という。舞台裏で三味線に合わせて太鼓を叩いていた三三は、なかなかの芸達者である。

 満を持して登場した小三治は、ソチ五輪などを枕に笑いを取り、自身が酒に強くないことを明かした上で、「禁酒番屋」に流れていく。同行した知人はファン歴が長いが、生で聞くのは初めてだったという。テンポといい、間といい、豊かな表情といい申し分ない出来栄えで、大ホールに笑いの渦が起きていた。74歳と高齢で体調維持は大変だと思うが、一日でも長く高座に上がってくれることを願うばかりだ。

 小三治クラスになると比較されるのは過去の名人で、最たる例が戯曲「円生と志ん生」(井上ひさし)に描かれる二人だ。円生の高座はTBS系スカパーで何度も放映されているが、志ん生の映像は殆ど残っていないから、CDで至芸に触れるしかない。型破りの志ん生と正統派の円生、融通無碍の志ん生と自分にも他人にも厳しい円生……。両者のイメージは正反対だ。

 空襲を逃れるため満州慰問団に加わる際、志ん生は弟分の円生を誘う。酒は飲み放題で佐官クラスの扱い……。天国のはずの満州は、関東軍が脱兎の如く逃げ帰った後、一変する。他の在留邦人同様、二人は塗炭の苦しみを味わった。

 抑留時代の志ん生と円生を描いた本作は、こまつ座75回公演として05年2月、紀伊國屋ホールでお披露目された。孝蔵(志ん生)を角野卓造、松尾(円生)を辻萬長がそれぞれ演じている。演劇の世界の仕組みはわからないが、再演されたらぜひ見てみたい。

 10歳年上の孝蔵は破滅型で、一方の松尾は堅実派だ。愚兄賢弟ぶりがおかしく、落語そのものの台詞回しに、井上の反戦の思いがちりばめられている。孝蔵と松尾は「文化戦犯」として追われ、娼館に身を潜めることになる。酒や賭け事に溺れ、帰国費を騙し取られて路上生活に転落する孝蔵と対照的に、松尾は俳優として稼ぎ、隠れ蓑として偽装結婚する。生活者としての能力は格段の差があるが、落語に関しては孝蔵が松尾にて教える側だ。

 文学少女の弥生が店番をする喫茶店のシーンが印象的だった。孝蔵が「三代目柳家小さん落語全集」を松尾に手渡す時の会話を聞いていた弥生は、次のように話す。

 <二葉亭四迷は円朝の落語を聞いて、言文一致体を発明しました。(中略)そしてわたしの漱石先生は、三代目小さんの噺をもとに、新しい小説の文体をつくり出した……>

 牽強付会の部分もあるだろうが、井上は落語史を深く学んで本作を書いたのだろう。孝蔵と松尾が修道女たちに聖者と勘違いされる場面では、トンチンカンな会話に落語の本質が滲んでいた。

 帰国した志ん生と円生は、ラジオの普及もあって大ブレークする。不断の精進に加え、辛酸を舐めた経験が芸の肥やしになったことは想像に難くない。

 来月2日は「渋谷に福来たる」で、「古典モダニズム」と題された立川志らくと桃月庵白酒の二人会を見る。志らくの才気と毒、白酒のダイナミズムのコラボの妙を楽しみたい。
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「アメリカン・ハッスル」~天才詐欺師が導くまろやかなエンディング

2014-02-18 22:47:01 | 映画、ドラマ
 オバマ大統領やケネディ駐日大使は、この国でリベラルと見做されている。彼らと安倍首相の亀裂を取り上げ、「首相は遠からずアメリカに見放され、政権の座から転落する」と希望的観測を報じるメディアもあるが、笑止千万な奴隷根性だ。<アメリカ=民主主義国家>が嘘っぱちであることは、沖縄の現実、ウィキリークスやスノーデン氏の告発からも明らかである。

 安倍政権、そして後に続く〝安倍もどき政権〟を自力で倒さなければ意味がない。そのためには護憲、反秘密保護法、脱原発、辺野古移設反対、アジア諸国との協調、貧困と格差の是正といった様々な課題――全てで一致する必要はないが――を掲げる人たちが結集するべきだ。安倍機関(=メディア)の妨害も予想され、困難な道のりが待ち受けている。

 話が急に軟らかくなるが、日本でタイムラグなしのオンエアが始まったWWEでは、<トップがファンを操作する>構図が崩壊しつつある。PPV「ロイヤルランブル」で叛乱が起きた。第1試合で死闘を演じたダニエル・ブライアンの名を、ファンはその後も連呼し続ける。王座戦を闘ったオートンとシナ、ランブル戦を制したバティスタも大ブーイングを浴び、「ボアダム(退屈)」のチャントが飛び交っていた。

 インディーズ出身のブライアンは小柄(170㌢強)でルックスも平凡だが、日本を含め長い下積み時代に習得した技量と表現力で、全盛期のオースチンに匹敵する熱狂を呼び起こしている。ブライアンの扱いの悪さに業を煮やしたファンの切実な叫びが、全世界(約100カ国)に響き渡った。直接民主主義のうねりといえばオーバーだが、経営陣は「レッスルマニア」に向け、軌道修正を迫られている。

 さて、本題。新宿で先週末、「アメリカン・ハッスル」(13年、デヴィッド・O・ラッセル監督)を見た。WWEのPPVのようなタイトルである。本作同様、アカデミー賞作品賞にノミネートされている「キャプテン・フィリプス」、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」よりかなり上、「ゼロ・グラビティ」より少し下というのが、俺の中の序列だ。

 公開直後でもあり、ストーリーの紹介は最低限にとどめるが、本作のトーンは昨年の作品賞受賞作「アルゴ」に近い。イランを舞台にした「アルゴ」はCIAと映画関係者による人質救出作戦を描いていたが、本作も実話(アブスキャム事件)に基づいている。デューク・エリントン、ウイングス、トム・ジョーンズらの曲が効果的に用いられ、映像と見事にマッチしていた。

 天才詐欺師のアーヴィン(クリスチャン・ベイル)とパートナー兼愛人のシドニー(エイミー・アダムス)は、逮捕逃れと引き換えにFBI捜査官リッチー(ブラッドリー・クーパー)に協力することになる。目的は政界浄化で、ターゲットはポリート市長(ジェレミー・レナー)だ。アーヴィンの妻ロザリン(ジェニファー・ローレンス)を加えた5人が主なキャストで、シドニーを巡る三角関係、アーヴィンと市長の間に芽生えた友情がストーリーに彩りを添えていく。

 FBIは「ウルフ・オブ――」にも登場したが、主人公のジョーダンより薄っぺらに描かれていた。その辺りは本作も同様で、功名心に衝き動かされたFBIに比べ、アーヴィンは俯瞰の目で全体を眺め、落としどころを探っていく。 

 クリスチャン・ベイルのプロ根性には感嘆した。「野火」の船越英二、「レイジング・ブル」のロバート・デ・ニーロ、「マシニスト」のベイルetc……。身を削った役作りは枚挙にいとまないが、「マシニスト」で30㌔落とし、「バットマン」シリーズで精悍なウェインを演じたベイルが、今回はブヨブヨのおっさんに変身している。鈍くて曖昧な存在感が、逆に共演者の魅力を引き出していた。醸し出す雰囲気と表情に、俺は原田芳雄を重ねていた。

 ジェニファー・ローレンスの変貌に驚いた。「ウィンターズ・ボーン」で表現した清冽さ、気高さは今も記憶に焼き付いているが、3年後の本作では、妖艶でエキセントリックな女性を演じ切っていた。23歳にしてオスカー女優なんて過大評価と考えていたが、本作を見てその実力を再認識する。

 アーヴィンは日本的な美徳を併せ持っていた。他者のプライドを重んじ、徹底的に傷つけることを本能的に避けようとする。全てを奪われた人間の絶望と狂気を、詐欺師人生で目の当たりにしてきたのだろう。トリックを仕掛け、物語をまろやかなエンディングに導くテクニックは葛西紀明ばりで、温かで爽やかなテレマークが心に染みた。
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「夕子ちゃんの近道」~長嶋有が描く透明で歪んだパラレルワールド

2014-02-15 22:42:25 | 読書
 本日未明、仕事を終えて街に出た。降り積もった雪で、銀座一帯はタクシー難民で溢れている。40分の雪中行軍で痛めている左膝が悲鳴を上げた時、奇跡が起きた。後方で客を降ろしたタクシーを捕まえ、帰宅してテレビをつけると、男子フィギュアのSPが佳境を迎えていた。

 数日前、仕事先で「はぶって、そんなに凄いの」と聞いて失笑される。フィギュアブームの蚊帳の外にいる俺だが、羽生の金獲得をリアルタイムで目撃した。硬さと蒼さを覚えた羽生だが、4年後の平昌ではグッと洗練され、チャンのように笑みの仮面を被っているだろう。

 アラサーの女性Aと先日、久しぶりに会った。ジェンダー、フェミニズム問題に一家言を持ち、貧困と格差に敏感な小説家志望である。「誰に投票したの」と尋ねると、答えは「田母神さん」……。昨年の参院選では維新に投票したと聞き、俺は絶句した。

 同世代の女性Bは生き様が波瀾万丈で、若い頃は寺山修司やパンクロックに浸っていた。今も<反逆と抵抗>に価値を置いているが、かなりの右派で、田母神候補に投票したことは間違いない。若者の右傾化に警鐘を鳴らす声もあるが、俺にはAとBが田母神支持に至る回路が見つからない。女心が読めないのは、彼女たちに限ったことではないけれど……。

 「夕子ちゃんの近道」(長嶋有、講談社文庫)を読了した。本作は第1回大江健三郎賞受賞作で、第4回が「掏摸」(中村文則)、第5回が「俺俺」(星野智幸)と、当ブログで頻繁に取り上げている作家が受賞者に名を連ねている。

 主人公の僕は古道具屋「フラココ屋」の店番で、2階に居候している。主な登場人物は店長、常連の瑞枝さん、大家の孫の朝子さんと夕子ちゃん姉妹、そしてフランス人のフランソワーズだ。

 普通の人たちが緩やかな弧で交わり、ストーリーは穏やかに進んでいく。読後感は別稿(1月26日)で記した「季節の記憶」(保坂和志)に似ているが、志向するものは少し違う。「季節の記憶」では自然との触れ合いを軸に時は循環して流れていたが、「夕子ちゃんの近道」はある種のパラレルワールドだ。「季節の記憶」の方が現実に近い。

 古道具は来し方が重要だが、僕の来歴は省かれている。行間から読み取れば、金銭に余裕のある読書家の30代前半で、21世紀の高等遊民といった印象だ。夕子ちゃんに「背景みたいに透明」と評されたように存在感が希薄だがらこそ、触媒的な役割を果たして周りの思いを繋いでいる。本作が発表された06年に根付き始めた「草食系男子」の典型といえるだろう。

 ホームズについて、まるで実在の探偵であるかの如く語るシャーロキアンのように、登場人物は世間と少しズレている。店長は金儲けが苦手だし、事実上バツ1の瑞枝さんはアート全般に関心を抱くイラストレーター、フランソワーズは相撲オタクだ。瑞枝さんはフランソワーズを、フランソワーズは瑞枝さんを、店長の元カノと睨んでいるのも面白い。

 朝子さんは大量の箱を用いて壮大なオブジェを創作する美大生で、夕子ちゃんはコミケでのコスプレが生き甲斐の定時制高校生だ。本作で起きる唯一の事件は夕子ちゃんの妊娠だが、すべて円く収まり、家族の絆が深まるきっかけになる。悪意、憎しみ、嫉妬といった負の感情が渦巻く現実を濾過した、癒やしと和みに満ちた空間だが、俺はなぜか、歪みと違和感を覚えた。

 「季節の記憶」の主人公(中野)と美紗ちゃんの関係に、本作の僕と瑞枝さんが重なった。僕と瑞枝さんは互いを気遣い、ドラマチックに至りそうなシーンもあるが、距離は詰まらない。本作は僕と瑞枝さんの〝恋愛未満小説〟ともいえる。

 ラスト近く、キャスト全員とパリを訪れた僕は、次のように独白する。

 <そのとき不意に、自分が旅をしていると思った。昨日から旅をしていたのだが、そうではなく、もっと前、フラココ屋の二階に転がり込んだときから、旅というものがずっと途切れずに続いているように思って、一瞬立ち止まった>

 海外だろうが東京だろうが、僕は、そして他の登場人物も社会に壁を感じている。アイデンティティーを喪失した優しい小鳥は、どこへ飛んでいくのだろう。排他的なショナリズムもまた、止まり木の有力な選択肢なのかもしれない。
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「7番房の奇跡」~父娘の天使が運ぶ和みと癒やし

2014-02-12 23:25:54 | 映画、ドラマ
 スポーツへの興味が薄れてしまい、NFLが終幕した今、競馬とWWEを見る程度だ。〝国を代表して戦う〟という構図に忌避感を覚えてしまうので、ソチ五輪にも無関心だが、ジャンプ好きの俺としては、高梨沙羅に金メダルを取ってほしかった。

 本日は紀伊國屋寄席に足を運んだ。才紫、文菊、志らく、白酒、鳳楽の豪華なラインアップだったが、最もインパクトを受けたのは志らくである。WOWOWの特集では才走った印象だったが、さすが談志の弟子というべきか,テレビ向きではない。都知事選の主要候補を、変態、影が薄い、バカ殿、軍人と揶揄するなど、発する毒にあたってしまった。

 その都知事選だが、加藤登紀子さん(細川支持)と三宅洋平氏(宇都宮支持)は脱原発陣営の関係修復に踏み出した。その姿勢に敬意を表したい。選挙戦を通じて浮き彫りになった脱原発への道筋を、俺なりに考えてみた。

<A>…沖縄、差別、貧困と格差、地方自治、ライフスタイルなど多くの課題を射程に入れて原発を考えるべきとする<地殻変動=革命>志向。
<B>…細川氏に近い古賀茂明、田中秀征氏らが目指す<護憲と脱原発を軸にした政界再編>。
<C>…権力機構の維持も許容し、経済効率を優先した上で廃炉への道程を探る<上からの脱原発>。

 A~Cの中間にも様々な方法論があるだろう。立脚点を明確にした上で合意点を見いだし、自治体首長を含めて連携を図るべきだ。

 ようやく本題。大雪の土曜日、銀座で韓国映画「7番房の奇跡」(13年、イ・ファンギョン監督)を見た。普段は大入りというが、悪天候で客席は閑散としていた。公開直後なので、ネタバレを最小限に感想を記したい。

 韓国映画といえば業や不条理を追求する哲学的な作品、アクションをふんだんに取り入れたエンターテインメント、闇世界に照準を定めた群像劇が注目を浴びているが、本作は「サニー 永遠の仲間たち」とトーンが近いヒューマンドラマだ。泣かせようとする制作サイドの計算はうざいが、ハンカチを手にご覧になることを勧めたい。

 主人公はイ・ヨング(リュ・スンリョン)とイェスン(カル・ソウォン)の父娘で、成人して弁護士になったイェスンをパク・シネが演じている。ヨングは知的障害者で、精神年齢は娘と同じ6歳だ。涙の成分は、ヨングとイェスンの純真さである。

 韓国の名子役といえば「冬の小鳥」、「アジョシ」のキム・セロンが記憶に残っている。可憐なカル・ソウォン、薄幸が似合うキム・セロンと好対照な個性が、いずれ韓国映画を背負って立つかもしれない。

 舞台は1990年代の韓国だ。小学校入学を控えたイェスンは店頭に飾られた「セーラー・ムーン」のランドセルを父にねだる。翌日(給料日)に購入することを約束したヨングだが、店内で身なりのいい家族が手に取ったことで、ストーリーは暗転する。

 日本は韓流ブームだが、90年代の韓国では「セーラー・ムーン」に限らず、日本文化が好意的に受け入れられていた。卓球の南北統一チーム(91年)の真実に迫った「HANA~奇跡の46日間」に登場する韓国選手は、日本への憧憬を隠さなかった。不幸な現状を導いた政治の失敗を思うと悲しくなる。

 冤罪と死刑が本作の背景になっていた。1997年以降、死刑執行が途絶えた韓国を、アムネスティは「死刑廃止国」と見做している。死刑を宣告された金大中氏が大統領に就任した国だから、日本と考え方が異なるのは当然といえる。

 国の民主度が刑務所の実態で測れるとすれば、本作を見る限り、韓国は日本より自由だ。タイトルに含まれる奇跡が起きるのはラストだけではない。父娘の天使がお互いに寄せる情愛と無垢な振る舞いが、7番房に収容された個性的な面々、課長(チョン・ジニョン)の心を溶かしていく。

 シリアスさだけでなく、コミカルでエンターテインメントの要素も濃い「7番房の奇跡」は、ささくれ立った俺の心に和みと癒やしを与えてくれた。
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都知事選の結果を踏まえ~未来に光を見いだそう

2014-02-09 23:55:31 | 社会、政治
 今回の都知事選で目を疑ったのは46%台の投票率だ。ブログやSNSでこの間、熱く語ってきた方は拍子抜けされたに違いない。大事な選択と思えば、多少のことがあっても投票所に向かうはずだ。都民にとって今回の選挙は、〝この程度〟のことだったのか。田母神氏が20代に最も支持されたという出口調査の分析にもショックを受けた。

 宇都宮氏に一票を投じた理由は前稿に長々と記した。脱原発に限らず様々な課題を支えてきた方が、細川支持を次々に表明する。その言葉の激烈さに違和感を覚えつつ、〝俺は間違っているのか〟と自問自答したこともあった。

 告示直後、「舛添氏と細川氏の2強対決」と予測するメディアも多かったが中盤以降、細川氏は伸び悩む。今回は<細川候補はなぜ完敗したか>をテーマに、開票直後の感想を記したい。細川氏を非難するつもりは毛頭なく、この問いの先に、脱原発運動の今後に向けた光を見いだせると確信するからだ。

 第一に挙げるのは<脱原発の位置付け>だ。細川ブレーンである古賀茂明氏は昨年末の講演会で、<護憲と脱原発>を軸にしたリベラル結集に期待を込め、細川新党を念頭に「春に動きがある」と仄めかしていた。古賀氏はかねて<脱原発は政官財の癒着、地方の中央従属を根絶するスタートライン>と述べており、前稿で紹介した小出裕章、星野智幸両氏は<原発は護憲(=自由)、貧困、差別、沖縄と通底している>と説いている。

 上記に加え脱原発は、環境とエネルギー問題、ライフスタイルまで問い掛ける〝ビッグイシュー〟だが、今回の選挙で〝ワンイシュー〟に矮小化された。細川陣営は準備不足もあり、廃炉に向けての具体的な道筋を示さず、他の課題とリンクして語ることもなかった。だが、このまま終わることは決してない。小泉氏は各首長選で脱原発派を継続して応援する決意を明らかにしている。まずは山口県知事選を見守りたい。

 第二は<内紛>だ。元首相タッグ結成に尽力した支援者が選対から追放されたが、上杉隆氏もそのひとりだ。小沢一郎氏の人脈も事実上、門前払いされ、細川氏元秘書の松野頼久衆院議員(維新)が選対を仕切っていたという。発信力を誇る小泉進次郎議員、脱原発を訴えてきた河野太郎議員が自民党にとどまったのは、内輪もめに嫌気が差したからではないか。

 第三は<メディアの偏向>だが、そこに拘泥していては先に進めない。東欧や韓国では、身を賭した長年の闘いによって壁は壊れた。治安維持法下の日本でも、凄まじい弾圧を跳ね返した無産政党が総選挙で30議席以上を獲得している。メディアが〝安倍機関〟化した今、<地殻変動>を起こすためには、周到な準備、創意工夫、強い意志が必要だ。

 舛添候補の街頭演説は閑散としていたが、細川陣営は画期的な数の聴衆を集め、その映像はネットにもアップされた。外山恒一氏の表現を借りれば、「街頭やネットで消費された段階」にとどまっていたのかもしれない。直接民主主義のうねりを投票に繋げるのは、海外を見ても容易ではない。この点は今後の選挙でも課題になるだろう。

 母から夜、電話が掛かってきた。
母「誰に入れたんや」
俺「宇都宮や」
母「あんた、共産党は嫌い言うてたのに」
俺「緑の党支持やから」
母「何や、それ。危ないとこ違うか」

 母だけでなく、緑の党と聞いたら「カルトの一種」と勘違いする人は周りにもいる。「政党とは国会に議席を得てナンボ」が普通の考え方で、HPを見て「面白い」と感想を述べたのは、左右問わず何らかの形で政治に関わってきた人たちだ。

 俺は脱原発派の関係修復を支えるため、多様性と調和を前面に掲げ、ちょっぴりファジーな緑の党に入会する。60年安保以降、常に闘いの前線から逃亡し、党勢維持に努めてきたのが共産党だ。その良質な支持者を緑の党が少しずつ奪っていければ、最高の展開なのだけど……。
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間近に迫った都知事選~闘いの後の地殻変動に希望を込めて

2014-02-07 15:31:19 | 社会、政治
 都知事選の投開票が2日後に迫った。舛添候補圧勝、細川、宇都宮候補が2位争いという流れは、最新の世論調査(東京新聞)でも変わらない。細川候補を応援する天木直人氏は「立場を明確しない脱原発派が一番卑怯」とブログに記していた。俺はかねて宇都宮支持を明言している。理由を以下に記したい。

 まずは<義と情>だ。「このままいけばホームレス」……。フリーになったはいいが、能力に欠けるキリギリスゆえ、俺はこんな不安に怯えていた、お世話になりたい、そして活動の一翼を担いたいと、宇都宮健児氏が代表を務める反貧困ネットワークの一員になる。〝悪運〟がセーフティーネットになって自身の状況は好転したが、送られてくるDVDや資料でシビアな現実に触れ、<貧困と格差>こそ社会を測る第一の物差しであると確信した。

 昨年6月末、反貧困ネットワーク主催の集会に参加した。〝参院選直前、各党に貧困問題を問う〟という趣旨で、自公以外の著名議員が壇上に顔を揃えていた。俺はその場で、ひとり無名の高坂勝氏(緑の党共同代表)に衝撃を受ける。哲学が滲み出る発言が各党の論客を凌駕していたからだ。そして本番では、同党候補の三宅洋平氏が「選挙フェス」で一大旋風を巻き起こす。静と動のコントラストが際立つ同党は、もちろん宇都宮氏を推薦している。

 調和と多様性を掲げる緑の党に重なるのは、池澤夏樹や星野智幸が志向する<浸潤するアイデンティティー>と<柔軟なオルタナティヴ>だ。ちょっぴりファジーな点も気に入っている。〝アイデンティティー拒否症〟の俺だが同党に入会し、脱原発陣営の亀裂修復に動きだした三宅氏らを支えたいと考えている。

 次は<知と理>だ。脱原発に限らず様々な運動に関わってきた方々が分裂している現状で、俺の発言など〝重さゼロ〟であることは承知している。ゆえに〝虎の威〟を借り、感銘を受けた二人の言葉を紹介したい。まずは小出裕章氏だ。

 <私の戦いは「原子力マフィア」と呼ぶ強大な権力が相手でしたので、常に敗北でした。それでも、負けても負けてもやらなければいけない戦いはあると、今でもそう思います。歴史は大きな流れですので、目の前の小さな勝ちを得るためではなく、遠い未来から見ても恥ずかしくない戦いをするべきだと思ってきました。私が原子力に反対するのは、単に原子力が危険を抱えているからではなく、それが社会的な弱者の犠牲の上にしか成り立たないからです。当然、戦争の問題、沖縄の問題など、無数に存在している課題と通底しています>(一部省略)

 星野智幸のブログは長文なので、肝と感じた部分の要旨を記す。

 <生命を維持しているだけとしか言いようがない若者の貧困、孤立する高齢者の一人暮らしや夫婦等々、今この一瞬が死活問題として、生死の瀬戸際に立たされている人がたくさんおり、福祉が都知事選で最も重要な課題となっている。ヘイトスピーチという差別と暴力が顕在化しているのは主に東京と大阪で、東京都にはこの問題を、地域として対処する使命がある。原発の問題はこれらと並ぶ重要な政策だが、「並ぶ」のであって優先されるべきではない。いずれも人の生命がかかった同じ重さの課題だ。脱原発を実現するために、貧困で生死の瀬戸際にいる人は我慢してくださいとは絶対言えない。これを言える人、あるいは考えないでいられる人は、ヘイトスピーチについて語る資格はないとさえ思う>(抜粋)

 宇都宮支持者の多くは、原発が他の課題――護憲、反戦、貧困、差別etc――と通底していると考えている。沖縄では全自治体が反対決議をし、多くの県民が抗議活動を繰り広げても、オスプレイは配備され、辺野古移設は強行される。原発も同様で、<地殻変動(≒革命)>を起こすまで、この先も長く厳しい闘いが続くはずだ。

 <細川=小泉>、<宇都宮=共産党>と図式的に決めつけ、後者を材料にそれぞれの候補を叩く報道も目立ったが、舛添候補を利する露骨な世論操作だ。憲法やアジア観、社会保障、志向するライフスタイルで、細川氏と小泉氏の間に大きな隔たりがある。一方の宇都宮氏は、前回の選挙時(一昨年12月)、共産党系の選対入りを拒み、軋轢が生じた。同氏が関わる反差別法、脱原発法の賛同者に共産党議員が一人もいないことが、両者の距離を物語っている。

 小泉氏には「ファルージャ~イラク戦争 日本人人質事件……そして」(13年)を見てほしい。小泉首相時代、日本は米国債(30兆円)を買い、イラク戦争の戦費を調達した。小泉氏はファルージャ攻撃も支持したが、米軍が用いた劣化ウラン弾(第2の核兵器)により、同地では先天異常を持って生まれる子供が後を絶たない。子供たちの姿に俺は、<自衛隊派遣に反対なのに黙認した罪、侵攻がもたらした惨禍を知らなかった無知の罪>が形になっていると別稿に記した。原発と放射能の危険、命の尊厳を説く小泉氏には、主導した戦争がもたらした事態を直視し、その上で今後も各首長選で、脱原発候補を応援してほしい。

 脱原発状態で各企業が莫大な利益を挙げている今こそ、<廃原発>をメーンに掲げるべきだ。広瀬氏は早くから集会や講演会で<廃炉こそ最大のテーマで、東電や融資する銀行を潰すことが目的ではない。そのためには電気代値上げを許容する必要がある>と説いてきた。

 広瀬氏の見解にリアリティーを覚えつつ、ルビコン川を渡ったという印象を受けた。<地殻変動>が起きなくても、東電と銀行の破綻が回避され、政官財の利権構造が維持されるなら、自民党政権下でも脱原発が可能……。そんな道筋が見えてきたからで、小泉氏も同様の視点で安倍首相に方向転換を求めた。<公的な機関が主体になって廃炉を実行するべき>というみんなの党の主張――もちろん財源は国民の負担増――を受け入れ、安倍政権が与党再編に着手したら……。考えているうち混乱してきたが、仮定の話だからここで止めておく。

 民主党が圧勝した衆院選直前(09年)の空気を、俺は<不気味なほど静かな革命>とブログで表現した。当時と比べ、今回の都知事選の方がはるかに騒々しい。<細川―小泉タッグ>は1万人規模の聴衆を集め、南米に端を発した直接民主主義の流れに連なっている。一方の宇都宮陣営には、ロッカー、ラッパー、イラストレーター、役者らが集い、若い世代や女性が個性的な表現で支持を訴えている。両方の力が結集すれば、脱原発の願いは燎原の火の如く、津々浦々に広がっていくだろう。
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「ウルフ・オブ・ウォールストリート」~狂気と怜悧の狭間で

2014-02-04 23:40:27 | 映画、ドラマ
 AFCはブロンコス、NFCはシーホークスと贔屓にしていた両チームがスーパーボウルで激突した。ブロンコスには圧勝の可能性があり、シーホークスが勝つなら接戦……。これが全米のアナリストの一致した見解だったが、逆の目が出てシーホークスが43―8で圧倒する。

 ブロンコスQBマニングによるパスオフェンスはアートの域に達しているが、スポーツの世界で美学を追求する者は悲運に付き纏われる。マニングはその典型で、勝負弱さが頻繁に顔を覗かせる。シーホークス・キャロルHCは、泣かせる逸話に事欠かない情の人だ。NFLでは珍しい選手に寄り添うタイプで、聞く者を駆り立てるペップトークの使い手であることは間違いない。

 政治の世界にもペップトークの達人がいる。細川陣営の小泉純一郎元首相と、宇都宮支持の三宅洋平氏だ。〝小泉劇場〟の再現を期待した人も多かったはずだが、メディアの無視でその声はネットの外へ届かない。「キング牧師に匹敵する名演説家」と職場の先輩Yさんが評していた三宅氏だが、脱原発陣営の分裂もあり、今回は表に出ていない。ペップトークの不発もあり、都知事選は下馬評通りの結果に終わりそうだ。

 新宿で先日、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」(13年、マーチン・スコセッシ監督)を見た。3時間弱の長尺で、「まとまりがない」という声もあるが、俺にとっては集中が途切れないエンターテインメントだった。自伝の映画化で、主人公ジョーダン・ベルフォートをレオナルド・ディカプリオが熱演していた。堀江貴文氏をさらにアクティブに、奔放にしたのがジョーダンで、ラストで両者の像が重なった。公開直後でもあり、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。

 ジョーダンは一流投資銀行でトレーダーとして第一歩を踏み出した。上司にランチに誘われ、成功の秘訣を吹き込まれる。即ち「1日2回、マスターベーションしろ」「コカインを味わえ」……。直後に起きた大暴落(ブラックマンデー)で銀行は破綻したが、ジョーダンは上司のアドバイスをスケールアップして実行する。

 <ウォール街を占拠せよ>運動がきっかけで、俺は<1%=悪>という図式を濫用してきた。数字を操るクールなワーカホリックが庶民の射幸心を冷酷に弄ぶといった光景を想像していたが、映画では正反対だった。スラングが飛び交うフロアは、恐らくスーパーボウル直前のロッカールームに似ている。そしてジョーダンこそがペップトークの天才で、求心力の高さは新興宗教の教祖さながらだ。

 
 入行したばかりの銀行が破綻し、就職難に直面したジョーダンは、「ストラットン・オークモンド」を設立する。彼が声を掛けたのは学歴や経験もなく、平凡、いや落ちこぼれ、アウトローといっていい連中だった。ジョーダンの下で狂気と怜悧を併せ持つ猛獣となり、壁を幾つも破っていく。街のチンピラが巨大な闇組織に成長していく、実録ヤクザ映画にトーンが似ている。

 町田康について記した前稿で、<主人公たちは堕ちていくのだが、カラフルさと飛翔を感じた>と記した。本作でジョーダンと仲間は限りなく上昇していくが、予定調和的な下降が匂っていた。善と悪といった構図と無縁の本作では描かれていなかったが、ウォール街は死屍累々の上に成立しているバベルの塔だ。ジョーダンたちが儀式のように浸る享楽と悪徳は、共犯の証しであり、贖罪の意識の裏返しといえるだろう。

 金で買えるものは何か、そして金で買えないものは何か……。本作を見ながらこんなことを考えた。愛と友情は両方イエスだ。成り上がりのジョーダンには限界があったが、富の力で正義やモラルまで手に入れることが出来る……。それがアメリカの病理だと社会派スコセッシは問いかけているに違いない。FBIやスイス銀行といった権威が、ジョーダンより俗っぽく薄っぺらに描かれていた。
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「夫婦茶碗」~毒々しくておちゃめな町田ワールド

2014-02-01 23:13:02 | 読書
 「STAP細胞」作製に成功した小保方晴子さんが、過熱する報道に自重を求めた。俺も童顔の30歳に胸キュンのアラカンオヤジだが、「研究が進めば若返りにも応用可能」と聞いて暗い気分になった。先日の朝刊各紙に<最富裕層85人の資産総額は下層の35億人分に相当する>という記事が掲載されていた。<1%>が健康と寿命を金で買い、<99%>の命はさらに安く軽くなる……。幾多のSFに描かれた歪んだ未来が現実になりそうだ。

 星野智幸が自身のブログ「言ってしまえばよかったのに日記」で都知事選について綴っている。メーンに据えたのは貧困と格差、そして福祉の問題だ。鋭く深い論考に感銘を受けたが、元首相連合を批判しており、一読して怒りに震える細川支持者もいるはずだ。

 細川候補は宇都宮支持を表明している三宅洋平氏と対談した。三宅氏は「哲学を語り合うことが出来た。次回は(宇都宮氏を含めた)3人で会いたい」とツイッターに投稿している。若さゆえの柔軟さだろう。三宅氏だけでなく山本太郎参院議員も、脱原発派に生じた亀裂を修復すべく立ち上がった。

 昨年以降、本の途中放り出しが続いた。解決策として、同世代の日本人作家で馴らすことにした。村上龍、保坂和志に続き、町田康の「夫婦茶碗」(98年、新潮文庫)を読んだ。01年に映画化された「人間の屑」も収録されている。〝21世紀の戯作文学〟といえる毒々しくておちゃめな町田ワールドに、玄関口で魅了された。猫好きで知られる町田らしく、「人間の屑」には猫についての観察と薀蓄がたっぷり披露されている。

 堕落、下降、現実逃避、幼児性、衝動、反抗、自虐、社会的不適応、身から出た貧乏……。「夫婦茶碗」のわたし、「人間の屑」の清十郎は、上記の負の言葉を重ね着していた。「夫婦茶碗」の妻、「人間の屑」のミオのアンニュイで浮世離れしたキャラは、町田の好みに違いない。

 「夫婦茶碗」に顕著だが、会話のズレとおかしみに落語を連想した。ちなみに同作の結末は、落語のオチに近い。不良、奔放というイメージを勝手に抱いていたが、セックスや薬物耽溺の描写は淡泊だった。町田は意識的にブレーキをかけているのだろうか。成熟とは程遠いわたしと清十郎は、心ならずも父になったが、〝責任〟の重圧で変調を来す。

 「夫婦茶碗」のわたしは知人の仲介でペンキ塗りを始めるが、日給8000円で非創造的作業に身を削るべきではないという思いが頭をもたげてくる。仕事を辞め夢想に逃げ込んだ揚げ句、夫婦のおかずは自生するタンポポのてんぷらと相成った。神経症的症状が現れてきたわたしは、卵の保管を巡って妻と険悪になる。一念発起してメルヘン作家を目指すものの、現実と空想が次第に混濁してくる。

 「人間の屑」の清十郎は、作者自身の投影といえるだろう。パンクロッカーとして好スタートを切りながら、薬物に手を出したり、女性関係がこじれたりで、東京から2度、逐電する羽目になる。最初の逃亡先は祖母が所有する温泉旅館、次は母が女郎屋を営む大阪と、清十郎は家族の絆にすがっている。破天荒と自省のアンビバレンツに引き裂かれた清十郎を待ち受けていたのは、とんでもないカタストロフィーだった。

 下降の書き手といえば車谷長吉で、主人公は自らを削ぎ落としながら孤立し、社会の底まで沈んでいく。町田の主人公も堕ちていくのだが、そこにカラフルさと飛翔を感じた。ダウナーな車谷、ポップな町田……。下降もまた、作者の個性で描き方が変わってくるのだろう。

 大抵の人はセーフティーネットを設け、自らの安全を保障する。超凡人の俺が言っても説得力はないが、無理を承知で壊れ、狂うことが、非凡に至る道筋なのだろう。町田の作品に触れ、そんなことを考えた。
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