酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

心と体で感じた晩秋の福島

2014-10-29 23:56:12 | 戯れ言
 週末から週初めにかけて福島を訪れた。知事選の投開票日に合わせて……なんていうのは後付けで、スケジュールは全て同行した知人任せである。3・11以降、幾つかのボランティアに関わる知人だが、今回はノンポリ? の俺に合わせた観光だった。

 最初に足を運んだのは競馬場だ。8~10Rを3連続的中とラッキーが続いたが、11Rは迷った揚げ句に切った3番人気に勝たれ、菊花賞も撃沈。浮いたのは少額で、〝接待ギャンブラー〟の面目躍如だ。

 その後、電車を乗り継ぎ磐梯熱海温泉に向かう。車窓から眺める景色にデジャヴを覚える。帰省する際の亀岡―園部間に似た田園風景が広がっていた。磐越西線、翌日に乗った磐越東線はともに単線で、1時間に1本程度なのに車内は空いていた。磐梯熱海駅周辺、温泉街も寂れた趣はあるが、3・11の影響と決めつけるのは早計だろう。宿は満杯と大繁盛で、玄関口からすぐのケヤキの森も格好の散策コースだった。

 日本シリーズが気になってテレビをつけた瞬間、内堀氏当選の一報が入る。得票数は熊坂氏の約4倍という圧勝劇だった。細川元首相は「全候補が脱原発だから選挙に関わらない」という妄言を吐いていた。僚友の小泉元首相は先週、都内で脱原発の〝空論〟を展開していた。

 脱原発の〝正論〟とは、放射能汚染と体内被曝の現実を見据え、補償等を含めた道筋を提示することだ。副知事として隠蔽を主導した内堀氏は最悪の候補といえる。だからこそ、都知事選で細川、宇都宮両陣営に分裂した脱原発派が手を携え、共産党も熊坂氏を支援した。熊坂勝手連の河合弁護士は都知事選では細川陣営の中心で、井戸川候補も細川氏を応援した。一本化に動くべきだった元首相コンビの無策に愕然とした。

 イラク戦争に加担し、ファルージャ攻撃を支持した小泉氏に、志葉玲氏(ジャーナリスト)は鋭く問い掛けた。「あなたは現地で起きた劣化ウラン弾等における被爆(=被曝)で死んだ無数の人たち(多くは子供)についてどう考えますか」と……。答えない小泉氏に、脱原発を語る資格など、そもそもなかったのではないか。福島への冷淡さにもかかわらず、いまだに小泉氏に期待を寄せる脱原発派がいることが不思議でならない。……とガチガチ考える頭をほぐしてくれたのは、旅先で出会った人たちの優しい気遣いだった。

 一泊して郡山市に向かい、街を散策する。駅前は都内のターミナル周辺とそっくりで、駅舎を含め商用施設が立ち並んでいた。24階建てのビッグアイの8~14階に萌世高校が入居している。同校は定時制、通信制を併置する県立高校で、市民向けに講座を開いている。郡山市は県の中間に位置しており、県庁所在地の推す声もあるという。駅案内所に置かれた観光ガイドも充実しており、廬山公園など自然と街並みがマッチしていた。

 次なる目的地は、巨大な複合施設であるスパハワイアンズで、俺たちが泊まったのはモノリスタワーだ。フラガールによるショータイムもウリのひとつで、月曜夜というのに会場はフルハウスの盛況だった。火を用いた男性ダンサー3人組によるポリネシアン舞踊が圧巻だった。リピーターが多いのか、体験タイムには100人もの観客がステージに上がってフラガールズと楽しんでいた。

 ショーの前にフラ・ミュージアムに足を運んだ。フラの歴史的、民俗学的な背景が掲示されている。神に捧げる儀式として出発したフラは、バリダンスやガムラン、沖縄の伝統舞踊に通底し、ムックリ(アイヌの笛)に似た楽器を用いている。人々は海を渡って広く交流していたのだろう。

 磐梯温泉では豪華な和食、スパは朝夕ともバイキングで、狂ったように食いまくった。まさに、食を堪能した旅だった。福島の野菜や果物は子供にとって安全とはいえないだろうが、俺ぐらいの年になると被害は小さい。俺は東京でも、福島産を率先して買うようにしている。

 チェックアウト後、タクシーで10分ほどの馬の温泉に向かう。昨年暮れ、当ブログで紹介した「祭の馬」(13年、松林要樹監督)の〝主馬公〟ミラーズクエストと違い、JRAの現役馬が手厚く繋養されていた。人懐こいクリノスーアンコーはデュランダル産駒の2歳牡馬で、既に1勝(1200㍍、未勝利戦)している。トレセン復帰も間近というから、出走したら応援したい。

 心と体(特に胃)で福島を感じる旅だった。俺が齧ったのは、北海道、岩手に次ぐ面積を誇る福島のほんの一部である。次回は原発事故被災地を中心に訪ねてみたい。
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原作と映画の狭間~「悪童日記」に感じたこと

2014-10-26 01:22:15 | 映画、ドラマ
 敵失を突くのは闘いの常だ。勢いづく民主党には、東電株を大量に保有する宮沢経産相、在特会と親密な山谷国家公安委員長を辞任に追い込んでほしい。その民主党にも失策はある。集団的自衛権行使について、「関連法案に賛成するケースもある」と語った枝野幹事長に、天木直人氏は憤りを表明していた。

 脱原発の道筋を問う福島県知事選で、社民党は保守3党(自公民)とともに、放射能汚染、体内被曝の実態を隠蔽した内堀前副知事を推した。これは社民党の失策だが、沖縄知事選について由々しき話が囁かれている。三宅洋平氏と山本太郎氏が、<オール沖縄>の枠組みを壊した喜納昌吉支持に回る可能性があるという。臆測の域は出ないが、仮に現実になれば、両氏にとって取り返しのつかない失策になる。

 新宿カリテで先日、「悪童日記」(13年、ヤーノシュ・サース監督/ドイツ・ハンガリー)を見た。各国の名匠が映画化権を獲得しながら頓挫した経緯があるが、ハンガリー人の監督がクリスティアン・ベルガーと組んで完成にこぎ着けた。原作者のアゴタ・クリストフはハンガリー動乱時、夫とともに母国を離れ、バリに居を構える。東欧革命の息吹と軌を一にして1986年に発表された本作は、実験的な手法で世界を震撼させた。

 ベルガー色が濃すぎるというのが俺の感想だ。不条理や心の闇をスクリーンに照射するベルガーは、ミヒャエル・ハネケの作品、「白いリボン」の撮影監督として知られる。その手法は「悪童日記」でも効果的だったが、原作の魅力を十全に生かしているとは思わない。

 高い評価を受けた小説を映画化した場合、活字派と映像派で大抵、意見が分かれる。「ガープの世界」や「ブリキの太鼓」のように両派を納得させた作品は少数だ。「華麗なるギャツビー」(74年)のように、原作に忠実過ぎてつまらなかった作品もある。

 映像化に際し、時間的な制約で原作がカットされることも活字派の不満のひとつだ。テレビとはいえ、そのマイナス面をカバーしているのがWOWOWの「ドラマW」だ。トータルで4時間前後(全5回)になるから、原作の意図を損なわず、深化させることも可能だ。来月オンエアされる「悪貨」(島田雅彦原作)を楽しみにしている。

 本題に戻る。「悪童日記」の主人公は双子の少年で、互いの意識を分離せず<ぼくら>で通している。作文形式の日記は、漠然とした表現を用いず、物象、人間、自らの行動の具体的な描写で構成されている。小説では、簡潔な筆致と双子が引き起こした衝撃の乖離を、読者の想像力が埋める。映画では逆ベクトルになり、見る側はショッキングな映像から、双子の心象風景に迫るのだ。

 東欧映画には、悪魔もしくは悪魔的な存在が頻繁に登場する。背景にあるのは悲運の連鎖だ。原作を読まず映画をご覧になった方は「悪魔日記」の方がタイトルに相応しいと感じるかもしれない。ハンガリーもまた、ドイツ軍進駐、ユダヤ人やジプシーへの迫害、解放軍として迎えられたソ連軍の弾圧と苦難の時が続く。涙も涸れる酷い現実が、<ぼくら>の冷徹な視線で切り取られていく。

 <ぼくら>はブダベストから母に連れられ、「魔女」と呼ばれるおばあちゃんに預けられる。「牝犬の子」とおばあちゃんに罵られる<ぼくら>は、平時の生温い倫理や良心に囚われず、酷薄さを身に付けて生き残る。本作の肝は<ぼくら>の鋭く澄んだ目だ。観察することで洞察力と屈折した優しさを獲得した<ぼくら>は、おばあちゃんに寄り添っていく。

 闇が濃い映画より、クリアな闇というべき小説を薦めたい。映画は導眠剤になる可能性大だが、目が覚めるシーンが幾つも用意されていた。ストーブの爆発、燃える納屋、母、そして父の爆死……。噴き上げる焔を見据える<ぼくら>の冷徹な目に、自身の罪も映っていた。

 政治についてあれこれ語る俺だが、菊花賞にも注目している。◎⑥ショウナンラグーン、○④サウンズオブアース、▲⑨ハギノハイブリッド、注⑮ワンアンドオンリーが俺の予想だ。軸として買うショウナンは大久保洋吉師がクラシックに送り出す最後の馬で、鞍上は愛弟子の吉田豊だ。

 今や世間を上回る格差社会と化した競馬村だが、かつては義理と人情に彩られた職人世界だった。伝統の最後の灯というべき師弟コンビを、競馬記者の多くが応援している。俺は福島競馬場のターフビジョンでレースを観戦するが、感涙にむせぶ師弟の姿を見たいものだ。
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「告白」~時空を自由に飛び交う町田ワールド

2014-10-23 22:38:36 | 読書
 温厚な俺だが、この半月余り叫びたいほどの怒りを覚えている。都知事選直後、「今年最も重要な闘い」と喧伝されていた通り、脱原発の道筋を問う福島知事選が、いつの間にか〝争点なし〟扱いになってしまった。

 無為な自分自身はさておき、誠意の欠片もなく福島から逃げた元首相コンビ、いまだに彼らを頼る脱原発派、煽っておいて一行も触れない無責任なメディアに憤懣やる方ない。週末から福島を訪ねるので、俺の思いは次々稿に記すことにする。

 11月2日、「東京大行進~TOKYO NO HATE」(新宿中央公園)に参加する。アート色が濃い賛同人の中に、当ブログで推奨している平野啓一郎と星野智幸の名があった。格差と貧困が最大のテーマになった今、〝市民〟を念仏のように唱える大江健三郎は賞味期限切れだ。日本文学を牽引する平野と星野が、鋭敏な感覚でメッセージを発信することを期待している。

 別稿(10月12日)で平野の新作「透明な迷宮」を紹介した。平野はクラシックに造詣が深い。<BGMに選んだロックは明らかなミスマッチ>と理解不足の言い訳をしたが、ロッカーだった町田康はどうか。ロイヤル・ブラッドの1st、ヴァインズの「ウィキッド・ネイチャー」を聴きながら「告白」(中公文庫)を読んだが、意外なことにロックはまるでフィットしなかった。

 「告白」は土着的ユーモアに彩られ、途轍もないエネルギーでバチバチ弾けていた。モチーフは1893年に起きた「河内十人斬り事件」で、河内音頭の代表的な演目という。主犯の熊太郎が主人公で、共犯は弟分の弥五郎だ。両者の思考回路は対照的で、熊太郎は螺旋のように曲がりくねり、弥五郎は一直線に突き進む。2人の噛み合わない会話が、作品の基調になっている。

 河内の風土と文化が本作の背景だ。熊太郎は自身を〝楠木正成の生まれ変わり〟と勘違いしてことがあった。語り部は21世紀の視点で、いや、その魂が憑依したように熊太郎の内面を吐露している。100年を超えるタイムラグをクリアする町田の力業に感嘆するしかない。

 ページを繰るうち、自分に似ている熊太郎が他人に思えなくなった。自虐的、思考の堂々巡り、妄想癖、怠け者、小心、マヌケ、見栄っ張り、役立たず、へぼギャンブラー……。俺は中途半端なフリーランスで、熊太郎は生半可な遊び人と、ともに社会の仕組みからはみ出している。どん詰まりの状況で、俺はグダグダ沈んでいるが、熊太郎は奇矯な振る舞いで周囲を呆れさせる。むろん違いもある。熊太郎は俺同様、女性の扱いは苦手だが、目も眩むような美女に好かれるモテ男なのだ。そのことも、悲劇の呼び水になるのだけど……。

 熊太郎は10代半ばの体験がトラウマになっている。腐乱臭のする森の小鬼(葛木モヘア)の腕を折り、兄(葛木ドール)を御陵の岩室で殺したのは、熊太郎だけにインプットされた偽の記憶だったとしたら、葛木兄弟は一体、何者なのか……。その答えこそが、本作を読み解く鍵になっているのではないか。楠公が祀られた葛木神社で、熊太郎が守り人の兄弟と交感したと考えたら、靄が一気に晴れてくる。

 「俺の思想と言葉が合一したとき俺は死ぬ」と口にしていた熊太郎は復讐劇のさなか、「思想と言葉と世界がいま直列した」と感じる。惨劇にカタルシスを覚えた俺は歪んでいるのだろうか……。少し心配になったが、語り部に入り込んだ作者が、「当時、命の値段は軽かった」など熊太郎を弁護しているのがおかしかった。

 「告白」では俗から聖に飛躍し、罪障と救済が交錯する。「夫婦茶碗」に次いで2作目の俺は、破天荒でお茶目な町田ワールドのとば口に立ったばかりだ。
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北斎、鈴本、竜王戦~ジャパネスクを堪能した週末

2014-10-19 23:30:53 | カルチャー
 エボラ出血熱の蔓延が深刻さを増している。背景にあるのは、アフリカを蹂躙するグローバリズム、国連常任理事国からの武器輸出ではないか。地場産業は崩壊に至り、凄まじい貧困がアフリカを覆っている。世界の構造を根底から変えない限り、根本的な解決に至らない。

 繰り返し記しているが、俺の感性はここ数年、<日本化>している……。こう書くと安倍支持と疑われそうだが、首相が目指しているのは俺とは真逆の<アメリカ化>だ。居丈高だが、すべてにおいてアメリカの威を借りている。集団的自衛権と辺野古移設、新自由主義による格差拡大、原発推進……。安倍政権は宗主国の意のまま動いている。

 先週末はジャパネスクを堪能した。まずは上野の森美術館で開催中の「ボストン美術館浮世絵名品展~北斎」から。テレビや新聞で頻繁に取り上げられたこともあり、1時間待ちの混雑だった。美術と縁遠い俺も、メディアに踊らされたひとりだろう。前知識は殆どなく、作品と簡単な解説を頭越しに見た。通り一遍の感想を以下に。

 膨大な作品群に、幅の広さを覚えた。東洋の伝統を継承した職人、西洋の技法を取り入れたアーティスト、そして大衆の支持を得たポップな時代の寵児……。複数の貌を持つ北斎は70年間、精力的に絵筆を揮い続けた。

 ハイライトは富嶽三十六景で、遠近法に基づき、ダイナミックかつ繊細な構図の風景画だ。加えて全国の滝や橋をモチーフにした作品も展示されていた。人間が描き込まれている点も興味深い。農夫や漁民といった労働者、市井の人たち、そして旅人が風景とマッチしている。北斎もまた、漂泊する者だったのか。

 妖怪や幽霊が主役のおどろおどろしい漫画、版元に応じて作った挿絵、花鳥風月画と作品は多岐にわたる。独力、あるいは工房で娘や弟子とともに創り上げたのだろう。1時間ほどで観賞を終えたが、北斎は蜃気楼のような画家で、その実像に迫る迷路の入り口に、俺はようやく立つことができた。

 美術館を出て早めのディナーを取り、鈴本演芸場に向かった。お目当ては初めて見る三遊亭天どんだったが、昨夜は兄弟子の三遊亭白鳥が代演でトリを務めていた。後半は橘家文左衛門、順番が入れ替わった柳家はん治、紙切りの林家正楽、桃月庵白酒、白鳥と豪華なラインアップである。

 文左衛門の豪放磊落さは相変わらずで、「時そば」での食べっぷりの良さに感心させられる。ネタ帳をネタにするのはお約束なのだろう。はん治は小三治の弟子だが、師匠と違い、軽妙な創作落語で笑いを取っていた。正楽の芸は人間国宝に相応しい神業である。

 クライマックスシリーズの途中経過を報告したり、はん治の遅刻の経緯を面白おかしくばらしたりと、白酒の臨機応変さに驚くばかりだ。その白酒が「古典芸能の破壊」と評した白鳥は、憲法9条、沖縄の基地問題を噺に取り入れ、主役に小沢一郎氏を据えるなど、毒と風刺に溢れていた。入りは半分ほどだったが、スタートから白鳥まで、客席の乗りと反応は、これまで経験したことがないほど良かった。最近はホール落語づいているが、奇術、漫才、紙切り、大神楽とバラエティーに富んだ寄席の魅力を満喫できた。

 竜王戦第1局は挑戦者の糸谷7段が先勝した。前々稿で母が感銘を受けた「聖の青春」(大崎善生著)を紹介した。夭折した村山聖9段の生き様に迫ったドキュメンタリーである。糸谷は個性派揃いの森信雄門下で、村山の弟弟子である。奨励会時代から武勇伝に事欠かない糸谷は、童顔で巧まざるユーモアに溢れる自然児だが、阪大大学院で哲学を専攻する学究派でもある。

 粘り強さが定評の森内竜王は、長いシリーズで巻き返してくるだろう。直感的で攻撃力のある糸谷、奥行きが深く鉄壁の守備を誇る森内の闘いから目を離せない。
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終活、ブログ10周年、「相棒」etc~台風一過の京都で考えたこと

2014-10-16 22:26:25 | 戯れ言
 帰省中、台風19号が全国を縦断した。京都だけでも昨年は観光地の嵐山、亀岡市や南丹市で多くの家屋が水浸しになった。今夏の福知山市での甚大な被害は記憶に新しい。相次ぐ水害といい、御嶽山の噴火といい、3・11以降、日本は災害列島になってしまった。

 親類宅(寺)が定宿となったが、住職の従兄弟は洪水に襲われたフィリピン救済のために基金を設立した。フェイスブックに掲載された当地の甚大な被害に胸が痛み、俺も些額ながら寄付した。

 15日に58歳の誕生日を迎えた俺に、従兄弟は「一人暮らしのおまえは、死んだ時のことを今から準備しておいた方がいい」と言う。確かに、同年代の訃報を知る機会が増えた。不摂生の俺など、お迎えがいつ来ても不思議はない。墓は決まっているが、葬儀の場所や細々した雑事、連絡先など、箇条書きしてまとめておくことにする。

 昨16日にブログ10周年を迎えた。当ブログのアクセスポイント数は、社会の動きと密接にリンクしている。郵政選挙(05年9月)前後、小泉元首相の人気は絶大だった。イラクで人質になった3人が帰国した際、罵声で迎えたのが在特会の原型だった。小泉元首相によって育まれたネット右翼は、俺の弱小ブログまでパトロールする。竹中―小泉の新自由主義批判。従軍慰安婦、南京大虐殺、靖国参拝について記すたび、アクセスポイント数はアップした。

 <3・11>直後、俺は当ブログで熱く反原発を語り、政府、東電、メディアを批判した。共感した方が多く訪れてくれたが、<3・11>の風化で旧に復する。「安倍首相」がアクセス数アップに繋がらないのは、ネット右翼が今や社会の主流になり、批判の声を気にする必要もないからだろう。今年2月に緑の党に入会した後は、アクセス数が右肩下がりとなった。<旗幟を鮮明にすること>に忌避感を覚えた読者が去っていったのだろう。

 ケアハウスに母を訪ねていると、職員の方が認知症の診断にやってきた。診断といっても、簡単な引き算、口答で可能な記憶テストといった類いである。母は30点満点で27点、横で聞いていた俺は満点だったが、喜んではいられない。職員が帰った後、「相棒」の再放送を見たが、すっかり忘れている。シーズン1(12年前)のエピソードを新鮮な気持ちで見た。よくできているというのが、正直な感想である。

 シーズン13の初回特番は、スケールは大きいけど、水膨れというか、空回りを覚えた。とはいえ、仲間由紀恵が今後も登場しそうなのは嬉しい限りである。映画とテレビドラマの違いはあるが、「監視者」や「サスペクト」に描かれた韓国警察のハイテクぶりと比べ、警視庁はあまりにトロい。まあ、<プライバシーと個人情報の重視>の観点でいえば、むしろ歓迎すべきかもしれないが……。

 美味しいものを食べ、母や親族との絆に温もりを覚えた数日間だった。戻った東京はぐっと気温が下がり、すっかり秋の装いである。
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「透明な迷宮」~三島へのオマージュに溢れたラビリンス

2014-10-12 08:53:13 | 読書
 本稿更新後、京都に帰る。南丹市内の親戚宅(寺)に泊まり、ケアハウスに母を訪ねる日々だ。この1年、読書が共通の趣味になり、母子の絆が強まった。雑用から解放された母は、入居者用の本棚から次々とピックアップし、無聊を慰めるようになる。

 GWに帰省した際、俺が持ち帰った数冊を母は1カ月ほどで読了した。「聖の青春」(大崎善生著)にいたく感動し、周囲に薦めたという。闘病の末、29歳で夭折した棋士、村山聖の凄絶かつ清冽な一生を追ったドキュメンタリーである。今回の目玉は藤沢周平だが、俺は一冊も読んでいない。

 <憲法9条を守った日本国民>のノーベル平和賞受賞はならなかったが、俺はよかったと思っている。数年後、<憲法9条を盾に危険な政権を倒した日本国民>として受賞すればいい。国民の過半数が護憲派である以上、永田町の右に偏った地図を書き換えることは不可能ではない。

 昨年の参院選時、平野啓一郎は<自民党の改憲案に吐き気がする。苦渋の選択として共産党に投票した>(要旨)とツイッターに記した。次の国政選挙で、平野も含まれるリベラル&左派の目に、俺が一員である緑の党は選択肢として映るだろうか。

 平野の新作「透明な迷宮」(新潮社)を読了した。現実と虚構の淡い境界線を行き来する作品集で、俺はラビリンスに誘われた。「決壊」など<分人主義>を掲げた力作群を経た、平野の新境地といえるだろう。

 ♯1「消えた蜜蜂」には、他者の筆跡を完璧に模倣する郵便配達夫Kと僕との交流が描かれる。廃業した養蜂農家の次男であるKは、自身の手の甲に針を刺し、働きバチの如き勤勉さで郵便物の筆写に没頭する。絆を測るトラップをも織り交ぜて……。

 ♯2「ハワイに捜して来た男」も♯1と同様、アイデンティティーを巡る物語で、安部公房の初期短編を彷彿させる。「ドーン」(09年発表)を紹介した稿で、同作と対比した映画「デジャヴ」(06年)が、「ハワイに――」の冒頭で言及されていた。俺の直観は的を射ていたのかもしれない。

 表題作の♯3「透明な迷宮」の舞台はブダペストと東京で、主人公の岡田は双子姉妹と愛の曠野を彷徨う。平野の作品には、画像や映像が頻繁に現れるが、本作でも<行為する者、写す者、見る者>の三つの位相が交錯する。<愛を受胎するのは、二人の間の出来事なのだろうか>……。姉妹のひとりが、記憶に囚われた岡田に問い掛けた。

 鈍いしこりが残ったのは♯4「family affaair」だ。父の遺品の拳銃が、家族に波紋を広げる。銃には2発撃った形跡があった。一体、誰が、何のために用いたのか……。父自身? 若くして家を出た兄? それとも姪の愛人? 姉妹は不安と恐怖に苛まれる。拳銃とは、慎ましい家族が普遍的に抱える傷や桎梏のメタファーなのか。

 平野はデビュー時、〝三島由紀夫の再来〟と謳われた。♯5「火色の琥珀」と♯6「re:依田氏からの依頼」には、三島へのオマージュが窺える。♯5に「仮面の告白」と「金閣寺」を重ねる読者もいるだろう。自分と他者の決定的な差異を認識し、火に魅せられた主人公の弧独が、読む側の心に迫ってくる。

 平野の政治へのスタンスは、三島と大きく異なる。三島は日本的情念と美意識に殉じたが、平野は俯瞰で世界を眺めるリベラルで、護憲や反原発の意思を表明している。アート全般、社会の構造、歴史への理解が深く、その作品には教養小説的な側面がある。

 3・11後、平野は「小説はこれまでと同じであるはずがない」と記していた。池澤夏樹や星野智幸のように、原発事故をレアな形で作品に取り込むことはないが、♯6の起点は3・11だ。演出家の依田は「サド侯爵夫人」上演のためパリへ向かう直前、主演女優と被災地を訪れる。その時点で依田は壊れ始め、時間が正常に流れなくなった。主人公の作家は、依田の妻から夫の手記を小説化するよう依頼される。三島についての虚実ないまぜの記述が興味深い。

 意図されたものかはわからないが、♯3、♯4、♯6で姉妹の葛藤が重要な意味を持っていた。BGMに選んだロックは、明らかにミスマッチである。平野の作品には、愛好するクラシックが頻繁に登場する。本作の理解が浅かったのは、BGMのせいにしておこう。
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「サスペクト」&「プロテスト」~韓国と沖縄からの熱い風

2014-10-09 20:35:14 | カルチャー
 村上春樹は今年もノーベル文学賞を逃した。<9条を守った日本国民>が物理学賞に続けるかが次の注目だが、俺は複雑な思いを抱いている。改憲を掲げる安倍首相もしくはポスト安倍を選挙で引きずり下ろした後なら、受賞を心から喜べる。でも、現状なら平和賞を錦の御旗に、自公政権を攻撃する護憲派も出てくるだろう。〝外圧〟頼みはいかがなものか。

 週末は韓国映画に総毛立ち、週明けは沖縄の熱き歌に心が震えた。まずは「サスペクト~哀しい容疑者」(13年、ウン・シニョン監督)の感想を簡単に記したい。

 主人公のチ・ドンチョル(コン・ユ)は訳あって韓国に亡命した元北朝鮮の工作員だ。運転代行を生業とするチは恩人である大企業会長を殺害した容疑で追われる身となり、壮絶なカーチェイスが展開する。追うのはスパイ狩りの名手、ミン大佐(パク・ヒソン)だ。ちなみにコン・ユは肉体を改造し、格闘シーンを含めノースタントで通したという。

 チはストイックで研ぎ澄まされたイケメン、ミンは鷹揚で人間臭いオッサン……。「義兄弟」のカン・ドンウォンとソン・ガンホが典型だが、南北の腕利きが対峙する韓国映画の基本パターンを、本作も踏襲している。物語が進むにつれ両者は友情、いや、肉親の情を覚えるようになる。ラストに「ベルリンファイル」の影響が窺えた。本作でも巨悪は警察内部に潜んでいたが、韓国映画では警察への絶対的な不信が頻繁に描かれる。軍事独裁時代の弾圧が、人々の記憶に沈殿しているのだろう。

 本作のようなアクション、そして原罪と宿命に迫る「母なる証明」「息もできない」「嘆きのピエタ」といった文芸作品……。韓国が傑作映画を生み続ける秘訣は徴兵制にあるのではないか。韓国の映画人にとって、兵役は飼い慣らされる機会ではない。国家を超える価値と倫理を追求し、反権力の刃を研いで〝シャバ〟に戻ってくるのだ。

 6日は阿佐ケ谷ロフトで、沖縄の熱い息吹を体感した。「オルタナミーティングVOL2」と題されたイベントで、沖縄民謡のレジェンド、大工哲弘とジンタらムータが共演する。ライブが進行するにつれ、体の芯から噴き上げてくるものを感じた。

 最初に登場したジンタらムータは、祝祭的ムードを醸し出す雑食性の楽団だ。ホーン3本、ギターに加え、チンドン屋の装いの女性が打楽器を担当している、バルカン半島の民謡、グレゴリオ聖歌、ワルシャワ労働歌を、独自のアレンジで大道芸人風に演奏していた。

 休憩を挟み、大工さんが三線を手に現れる。2曲はウチナンチュウの言葉で歌い、「皆さん、わからないでしょ。諦めてください」とMCで笑いを取ったが、3曲目からはソトナンチュウの言葉で歌ってくれた。スカイブで対談予定だった金平茂紀氏が、台風によるイベント中止でロフトに足を運び、大工さんとトークを展開する。

 金平氏は「筑紫哲也 NEWS23」のプロデューサーとして95年、大工さんをスタジオに招いた。「沖縄を返せ」の最後の部分で、「沖縄を返せ」をリフレインせず、「沖縄へ返せ」と大工さんが歌ったことで、同曲に新たな命が吹き込まれた。「拳を握り締めるのでなく、相手の足をすっと払うのが大工さんの魅力」と金平氏が評した通り、オヤジギャグを交え、飄々とした語りで聴く者を魅了していた。

 後半のジンタらムータとのコラボは圧巻だった。台風で楽屋入りが遅れた大工さんは、音合わせをする時間がなかった。大熊(ジンタらムータのリーダー)と共演するのは数年ぶりというが、三池闘争時に作られた抵抗の歌、高田渡の曲が半ば即興で演奏されていく。反骨の絆がステージから客席へと紡がれていった。

 立ち見の出る大盛況の中、Oプロデューサーの縁で、緑の党会員も俺を含め多く参加していた。最後に踊り出す人もいるなど意外な乗りの良さに驚いたが。輪の中に〝硬骨のジャーナリスト〟金平氏の笑顔もあった。

 大工さんとは同い年で仲がいい喜納昌吉だが、沖縄知事選で<オール沖縄>の翁長前那覇市長を推さず、自身が立候補する。「彼(喜納)は絶滅危惧種になってしまった」と話した大工さんの表情に、無念さが滲んでいた。

 福島知事選が告示された。大手メディアは「争点なき戦い」と論じているが、<正しい脱原発>の道筋を決める重大な選挙で、放射能汚染、若い世代の体内被曝への対策が問われている。保守3党(自公民)に社民党が加わり、反・脱原発側は熊坂氏と井戸川氏に分裂した。両候補に近い小泉―細川の元首相コンビは、なぜ一本化に向けて動かなかったのか。
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プチギャンブラーが斜めに語るカジノ論

2014-10-05 23:46:20 | 戯れ言
 凱旋門賞で不安を囁かれていたトレヴが連覇を果たした。日本馬はハープスターの6着が最高と、夢は来年に持ち越しになる。3頭とも日本人騎手を乗せたことに勝負気配を疑っていたが、やはりロンシャンに経験豊富な欧州ジョッキーに依頼すべきだったかもしれない。あくまでも結果論だが……。

 紀伊國屋で先日、勤め人時代のOGと遭遇した。1年半ぶりの再会で、喫茶店でよもやま話をする。大手版社社員の彼女を〝ノンポリのキャリアウーマン〟と決めつけていたから、スルー(嘲笑込み)覚悟で「2月に緑と党に入会した」と報告した。意外なことに、彼女は乗ってきた。

 芸能部門から配属が変わったのか、彼女は柏崎原発周辺の取材を踏まえて見解を語る。立ち位置は極めて近く、<格差と貧困こそ日本の最大の課題>という俺の持論にも頷いていた。彼女のような<共産党嫌いのリベラル&左派>の目に選択肢と映ることが、緑の党の最大の課題だと思う。

 カジノ法案は臨時国会の目玉のひとつだが、通過は間違いないだろう。安倍首相を筆頭に、石原慎太郎(次世代の党最高顧問)、小沢一郎(生活の党代表)、前原誠司(元民主党代表)の各氏が名を連ねる賛成派は、規制緩和を主張する保守オールスターだ。となれば反対を表明すべきだが、俺は毎週末、競馬に興じるプチギャンブラーだから葛藤もある。

 父は後年、司法書士という仕事柄、家族崩壊を目の当たりにした。バブル崩壊で、土地持ちの知人の多くが絆までも失ったのだ。土地が売れた農家に証券会社の営業マンが足繁く通い、「この株は鉄板です」と推奨する。まさに悪魔の囁きだった。専門家によれば、株で儲けるのは3~5%。庶民は機関投資家、インサイダー情報を仕入れた政治家や暴力団に毟られているのだ。父の〝遺言〟は<株には絶対手を出すな>である。

 株でも競馬でもルーレットでも、ギャンブルで破滅するのは確率の高い目に多額を注ぎ込む本命党だ。裏目に出た時、理不尽に身を焦がし、ドツボにはまる。俺のように些額を中穴に賭けるタイプは、外れても〝やっぱり〟で済むから精神衛生上いい。

 森巣博がカジノ法案の賛否を問う「津田大介 日本にプラス」(テレ朝チャンネル)に出演していた。プロのギャンブラー兼作家――「非国民」と「蜂起」は必読!――の森巣は、「資本主義はギャンブル」と自説を繰り返し語る。自称〝ギャンブル中毒〟の森巣は、条件付きでカジノ賛成派だ。ギャンブルが劣悪な環境下(莫大な控除など)で行われている日本でカジノが世界標準で実施されるなら、認めざるを得ないというのが森巣の本音だろう。

 森巣の懸念は恐らく現実になる。パチンコ業界は警察の重要な天下り先だし、手入れ情報は違法の〝地下カジノ〟にダダ漏れになっている。賛成派の顔ぶれを見ると、利権をめぐる暗闘は既にスタートしているはずだ。カジノの正しい運営など、日本では望むべくもない。

 ギャンブル依存症の膨大な数(536万人、厚労省調べ)を危惧する声もあるが、カジノに足を運ぶのは国内外のセレブで、格差と貧困に喘ぐ者は無縁のはずだ。熾烈な闘いに身ぐるみはがされてカジノを放り出される<1%>に同情する気はサラサラない。

 下手くそなギャンブル依存症の代表格は安倍首相ではないか。御嶽山の悲劇は、日本が世界に冠たる地震国、火山国であることを再認識させたが、そのことを百も承知で原発再稼働に邁進している。加えて、ゼネコンを潤すだけのリニア、庶民を苦しめる消費増税……。安倍政権は冷静な判断を忘れ、亡国のギャンブルに興じている。

 冒頭のOGに「なぜ緑の党に入ったの」と聞かれ、現状打破の唯一の可能性を緑の党に見いだした俺は「ギャンブル」と答えた。超万馬券の大穴といわれても返す言葉はないが、政治だけでなく、人生はギャンブルの連続だ。結婚と就職が最たる例だが、人は賭け続けて世を渡っている。
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「ファストフードは世界を食いつくす」が映し出す日本の未来

2014-10-01 23:50:51 | 読書
 ファストフードを利用する回数が年々減っている。マクドナルドは5~6回、ケンタッキーとドミノピザは2~3回で年に10回前後だが、57歳のおっさんにしては多い部類かもしれない。

 先月4日、米各地でファストフードチェーンの従業員が時給引き上げを求めてデモを行った。彼らの平均時給は約9㌦、年収は1万9000㌦前後……。同じく低賃金に喘ぐ介護職員らも参加した。彼らの抗議に、共和党と結びついた企業側はタカを括っている。

 安倍首相が推進するアメリカ化(格差拡大)の本質を知り、日本の未来図を見据えるための格好の教科書が「ファストフードが世界を食いつくす」(エリック・シュローサー著、草思社文庫)だ。ファストフードの席巻がアメリカ社会の成り立ちと精神を大きく変えた。マクドナルドは自由の女神に代わって、今や<アメリカの象徴>になった。

 発刊時(01年)に購入したハードカバーは、幼い子供がいる知人に進呈した。読了後、米政官財への憤りと同時に、「日本の方が遥かにまし」と安心感を覚えた俺は、情けないくらいの甘ちゃんだった。3・11後にこの国で起きた忌むべき出来事とピッタリ重なってくる。

 前半は創業者たちの立志伝だ。クローズアップされていたのはマクドナルドのレイ・クロックで、年齢の近いウォルト・ディズニーとの交流も記されていた。2人が志向したのは<清潔・管理・オートメ化=分業化>だった。効率的な日本の自動車工場が米ファストフード業界に大きな影響を与えている。

 ファストフードの成長の礎というべきは共和党とのパートナーシップで、キーパーソンはドナルド・レーガンだ。共和党は最低賃金の留め置きで貧困を拡大し、農務省など食の安全に留意すべき各官庁に圧力を掛け、多くの子供たちの命を奪ってきた。共和党への莫大な献金は、公的機関による補助金としてファストフード業界に還流する。

 低賃金、技術不要、短期間の仕事を貧しい人(移民や低学歴)に供する仕組みが、ファストフードの興隆とともに形成される。徹底した組合潰しなど、米マクドナルドは行政に守られたブラック企業で、悪行の数々は幾つも記されている。

 レーガノミックスが起点になった新自由主義は、食にまつわる景色を変えた。あらゆる工程で寡占化が進行し、カウボーイたちは牧場を奪われる。ジャガイモ農家や養鶏場は大手企業の傘下に入るか、廃業するかの選択を迫られた。良心と矜持は文字通り死に繋がり、屈辱に甘んじることが生きる術となった。

 食肉処理工場の実態は、まさにホラー映画だ。危険な仕事に携わるのはメキシコからの移民や低所得層で、大ケガをしても十分な治療や補償を受けられない。〝メキシントン〟と揶揄されるようになったネブラスカ州レキシントンが典型だが、処理工場周辺は麻薬が蔓延するスラムになる。

 いずれが正義で、いずれが悪かなんて議論の余地はない。弱者は徹底的に収奪され、政官財は富を蓄積する。神が存在するのなら、<1%>はこぞって地獄の業火に焼かれるだろう。奴隷制はアベノミクスにより、日本でも進行している。

 アメリカではファストフードのターゲットが低年齢化した。前世紀末のデータだが、全米の公立ハイスクルールの30%で特定のファストフードが販売されているという。清涼飲料水は校内で牛乳の2倍以上も売れている。

 日本でも食にまつわる問題が次々に起き、潰れた会社もある。ところがアメリカでは、食中毒を起こしても制裁を受けない。それどころか、危機に瀕した企業の肉を農務省が買い取り、学校給食に供給するケースがある。多くの州で可決された「農産物名誉毀損法」は、<科学的根拠なしに農産物を批判してはいけない>という大企業を守る奇妙な法律だ、その結果、サルモネラ菌によって年に50万人以上が食中毒を発症し、300人以上が死ぬ。

 上述した通り、アメリカの食汚染は、3・11後の放射能汚染、体内被曝と同じ構図だ。東電、原発関連企業、保守政党、官庁、メディアが一体となり、罪の意識もなく人々の健康を蝕んでいる。だからこそ、福島県知事選は重要な意味を持つ。放射能汚染と体内被曝を率先して隠蔽した内堀前副知事を、保守3党(自民、公明、民主)と、連合に引きずられた社民が推す。

 〝オール福島〟の熊坂元宮古市長に期待したいが、井戸川元双葉町長も立候補を表明した。都知事選の轍を踏まぬためにも一本化を望む声が多い。反原発を訴える人たちは様々な課題――反戦、護憲、反貧困、反差別etc――に関わっており、立ち位置が異なる小泉―細川の元首相コンビが運動の軸になることはありえないが、緩衝材として役割を果たせるはずだ。

 熊坂陣営の中心は都知事選で細川氏を支持した河合弁護士で、井戸川氏は細川氏の応援演説に駆け付けた。両氏と近い元首相コンビが、分裂を傍観することはないだろう。告示まで1週間、熊坂一本化に動くはずだ。

 ファストフードについて否定的に書いたが、マックの月見バーガーを急に食べたくなった。世紀を挟んでクローズアップされているのが、人工香料をフルに用いてつくられる風味で、マックのフライドポテトは最たる例と本書に記されていた。俺はかつて女性の香水に弱かったが、ポテトの風味にも幻惑されているのだろうか。
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