酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

美しく、そして逞しく~女たちの闘い

2009-03-30 00:23:58 | 戯れ言
 「女性は家庭に」と本音を洩らす自民党議員も少なくない。前稿でも少し触れたが、日本にはいまだ、フェミニズムと無縁の封建主義が跋扈している。仕事と子育ての両立が日本ほど難しい先進国はないという。

 女たちが闘うのは、人々の無理解と制度の壁だけではない。広告代理店が創出する資本主義的な<時代の美>に追いつくため、子供の頃から同性間で熾烈な競争を体験している。女の方が男より闘い慣れているかもしれない。 

 この週末は闘う女たちに注目した。まずは政界から。民主党代議士会で小宮山洋子氏が小沢代表の辞任を要求した。しがらみに縛られぬ女性の面目躍如といったところか。千葉県知事選では勝ち組の代表格、白石真澄氏が惨敗を喫した。自民・民主相乗りのはずが、新自由主義的な政権構想で民主の推薦を取り消され、森田健作氏に保守支持層を奪われる。タンカーが瞬く間に泥舟と化したのだから、今回の結果も致し方あるまい。
 
 ドバイ・デューティー・フリーに参戦したウオッカは7着に終わった。大逃げを打った勝ち馬クラディアトゥーラスをただ1頭追走したものの、残り100㍍で馬群に呑み込まれた。結果はともあれ、積極的なレースぶりに拍手を送りたい。スリープレスナイトは高松宮記念で2着に敗れる。GⅠ連覇はならなかったが、アクシデント続きを克服し実力を十分に見せ付けた。

 金妍児が世界フィギュアを制し、安藤美姫は3位、浅田真央は4位でメダルに届かなかった。病床から声援を送った真央ファンの妹によると、最近の浅田は表情が暗いという。野球を超える金との日韓ライバル関係に、心身が悲鳴を上げているのかもしれないが、バンクーバーで笑うためには、チャレンジャーの立場の方がいいと思う。

 日曜午前は女流棋士の熱闘を堪能した。NHK杯トーナメントの女流出場枠1を巡り、4人のタイトルホルダーが技術と心をぶつけ合った。将棋ファンの目は17歳の高校生、里見香奈倉敷籐花に注がれたが、惜しくも初戦で敗れてしまう。終盤に定評があるだけに、里見が出場した時は男性棋士に大きなプレッシャーを与えるはずだ。権利を獲得した矢内女王には、男性キラ-の中井広恵女流6段(NHK杯通算3勝)に続く活躍を見せてほしい。

 夜は「大食い女王決定戦」に抱腹絶倒する。辺見庸氏は「ETV特集~しのびよる破局の中で」で、<貧困と大食い番組が象徴的に共存する社会の背景にあるのは無意識の荒みであり、正気と狂気の交錯にある>(要旨)と語っていた。俺もまた無意識に荒んでいるひとりで、大食い番組は20年前から楽しんでいる。

 タレントのギャル曽根は早々に敗退したが、菅原が全ステージでトップに立つ圧倒的な強さでV2を果たした。本戦に出場した8人は全員が痩せ型だし、どこか不幸が匂う。ギャル曽根は中学時代、マラソン大会に出場して賞品の米俵を得たという。貧困と大食いはどこで繋がっているのかもしれない。

 話は元に戻るが、千葉県知事選の結果により小沢辞任を求める声が党内で高まるはずだ。西松事件で興味深いのがテレビ局の報道だ。“俗情との結託”が目立つ「報道ステーション」は小沢批判の論陣を張っているが、同じテレビ朝日の「朝まで生テレビ!」や「サンデープロジェクト」では郷原信郎氏らが出演し、<検察ファッショ>への危惧を提示している。

 職務権限のある自民党議員に捜査が及ぶのか、新事実が明らかになるのか、小沢氏はいつ辞任するのか、自民党は麻生首相で選挙に臨むのか……。一寸先は闇だが、ベターの積み重ねが政治を変える唯一の方法だ。今後の動向を注視したい。


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「めぐりあう時間たち」~21世紀にマイルドに甦ったウルフ

2009-03-27 00:45:45 | 映画、ドラマ
 WBCフィーバーが収まらない。WBCとイメージが重なるのは、仕上がりの早さとチームワークが試されるセンバツ高校野球だ。エンジンの掛かりが遅い北中米のチームのためにも、3月はベスト8決定までにとどめ、8月に10日ほどのスケジュールで世界一決定戦を行えばいい。

 25日付朝日新聞朝刊に、内閣府のアンケート結果が掲載されていた。妻の3割が夫から暴力を受けているという。精神的な圧迫を統計に加えたら、数字はさらに大きくなるはずだ。妻にやたら支配的な夫、夫への隷属を厭わない妻……。俺の周りにもこんなカップルが少なくない。日本はいまだ封建時代なのだろう。

 21世紀の日本の現状に68年前の明日(28日)、自ら生にピリオドを打ったヴァージニア・ウルフはあの世で苦笑しているかもしれない。ウルフはフェミニズムの提唱者と目されているからだ。ウルフの「ダロウェイ夫人」をモチーフにして制作されたのが「めぐりあう時間たち」(02年、スティーブン・ダルトリー監督)だ。冒頭とエンディングで、ウルフ(ニコール・キッドマン)の入水が描かれている。

 緻密なストーリー、奥深いテーマ、女優たちの名演、フィリップ・グラスの音楽……。3人の女性のある一日が時空を超えてカットバックし、一点の破綻もない作品を紡いでいく。三つの時間は以下の通りだ。

 <A>…1923年の英リッチモンド。ウルフは「ダロウェイ夫人」の構想を練っている。主人公クラリッサの命を絶つべきか悩んだ揚げ句、若い詩人に置き換える過程が描かれている。本作でオスカー(主演女優賞)を獲得したキッドマンは、ウルフの繊細と狂気を見事に表現していた。

 <B>…1951年のロサンゼルス。ローラ(ジュリアン・ムーア)はアプレゲールの頽廃に浸食されていた。日常に疎隔を覚えたローラは「ダロウェイ夫人」のページを繰るうち、死に憑かれていく。ローラは想定外の結末に踏みとどまったが、母の揺らぎは敏感な息子に消えることのない傷を残すことになる。

 <C>…2001年のニューヨーク。クラリッサ(メリル・ストリープ)、リチャード(ゲイの詩人)、サリー(クラリッサの恋人)と、「ダロウェイ夫人」の登場人物の名を冠し、同性愛、人工授精、エイズと21世紀風に設定をアレンジしている。<A>と<B>の結び目というべきパートで、ウルフの精神と感性を甦らせた。

 「めぐりあう時間たち」は孤独と死に彩られた時間のつづれ織りで、黄昏時の月のように絆と愛を仄かに照らしている。ウルフの小説は読む者の心を研ぐヤスリだが、「めぐりあう時間たち」はマイルドな味付けで、ラストに描かれた孤独と癒やしが胸に染みる。

 ダルトリー監督の次回公開作は「愛を読むひと」(08年)だ。原作の「朗読者」(ベルンハルト・シュリンク)には感銘を受けた記憶がある。6月が今から待ち遠しい。
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「少年マガジン」と過ごした日々

2009-03-24 00:09:06 | カルチャー
 本日中に秘書が起訴される民主党小沢代表の進退が耳目を集めている。汚職や癒着を根底から洗い流すためには政権交代しかない。世論の動向次第だが、小沢氏は自らが政権交代の桎梏になると判断し、選挙までに辞任すると思う。

 小林慶大教授は「ニュースの深層」で、西松事件をパチンコ献金問題(89年)に重ねていた。自民党は当時、リクルート事件でピンチだったが、社会党に疑惑が飛び火したことで、国民は<どっちもどっち>という世論操作に引っ掛かった。今回もそうならないか危惧している。

 WBC決勝は日韓対決となったが、アジアシリーズといった趣に食傷気味だ。俺の注目は、得点ラッシュでマンチェスターUに迫るリバプールだ。チャンピオンズリーグ準々決勝でチェルシーを破り、同じく大噴火中のバルセロナと壮烈な打ち合いを演じてほしい。

 前置きは長くなったが、本題に。「少年サンデー」と「少年マガジン」がともに創刊50周年を迎えた。10代を「マガジン」と過ごした俺は「サンデー」にさしたる感慨もなく、「マガジン」に絞って思い出を記すことにする。

 小学校低学年の頃なら、「黒い秘密兵器」(一峰大二)と「丸出だめ夫」(森田拳次)だ。日本中で「だめ夫」とあだ名され、いじめに遭った同世代は少なくなかったはずだ。「ハリスの旋風」(ちばてつや)の石田国松は、俺のひそかな憧れだった。国松は札付きの暴れ者だが、スポーツ万能でオチャラという可愛いガールフレンドまでいる。ラストはアメリカ留学というから羨ましい限りだ。

 怪奇派の両巨頭、水木しげると楳図かずおも「マガジン」で読むことができた。水木の「墓場の鬼太郎」と「悪魔くん」はテレビ化されても欠かさず見たし、忘れた頃に掲載される楳図作品も強烈だった。「ワタリ」も楽しみにしていたが、白土三平の熱心な読者になったのは20歳を過ぎてからである。

 66年から68年にかけて「巨人の星」(川崎のぼる)、「天才バカボン」(赤塚不二夫)、「あしたのジョー」(ちばてつや)が相次いで登場し、「マガジン」は俺にとって欠かせないアイテムになった。中学に入ると、「巨人の星」の展開をめぐって級友たちと熱い議論を闘わせるようになる。「あしたのジョー」はラディカルズのバイブルだったが、中学生の間では「巨人の星」支持者の方が多かった。

 星飛雄馬が型に殉じるインサイダーなら、矢吹ジョーは無手勝流のアウトサイダーだが、創造主はともに梶原一騎で、共通点は多かった。飛雄馬とジョーにとって義理と人情こそが最大の価値で、自らが打ちのめした敗者を気遣う優しさを持ち合わせている。女性へのストイックな態度は、「無頼シリーズ」の人斬り五郎(渡哲也)とヒロイン(松原智恵子)の関係を彷彿とさせる。

 ピーク時の「マガジン」には、「無用ノ介」(さいとうたかを)、「ワル」(影丸譲也)などキラリと光るバイプレーヤーが揃っていた。70年に「マガジン」は、衝撃的な2作品を世に問うた。環境汚染とファシズムをテーマに据えたポリティカルフィクションの「光る風」(山上たつひこ)、中世の飢饉を背景に人肉食を描いた「アシュラ」(ジョージ秋山)である。同年の「アニマル・ファーム」(石森章太郎)を合わせ、「マガジン」は少年漫画の領域を超えようとしていた。

 死地を求めて彷徨うジョーにいたたまれなさを覚え、「あしたのジョー」終了とともに「マガジン」に別れを告げた。人間の感性は10代の過ごし方で決まるという。30年以上もご無沙汰しているが、俺の土台を作ってくれた「マガジン」に、「50歳、おめでとう」と祝福の言葉を贈りたい。



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「THIS IS ENGLAND」~少年の痛み、熱狂、そして覚醒

2009-03-21 00:18:11 | 映画、ドラマ
 昨日(20日)、全国で火事のニュースが相次いだ。尼崎でシャッター商店街が全焼したと聞き、頭に浮かんだのは「幻の光」(95年)と「赤目四十八瀧心中未遂」(03年)だ。優れた原作(宮本輝、車谷長吉)を超えた世界を提示した2作品で、尼崎は高度成長に取り残され、時間が止まった街として描かれていた。難波センター市場もロケ地になったのだろうか。

 さて、本題。世界中で絶賛された「THIS IS ENGLAND」(06年、シェーン・メドウス)を渋谷で見た。幾つかのメディアで取り上げられていたが、キャパの小さい館内は意外にもガラガラだった。

 本作ではスキンヘッズのグループを軸に、83年の英国を描いている。主人公のショーンはローティーンのいじめられっ子だが、スキンヘッズと親しくなり、リーダーのウディらと交遊する。思春期特有の恋と性の目覚めもたっぷり描かれ、ショーンを演じたトーマス・ターグースの目力と表情の豊かさに感心させられた。

 ショーンも髪を剃り、最先端のファッションを纏って仲間と街を闊歩する。孤独を克服し、年長者と行動をともにすることで胆力を身に着けた。出所したばかりのウディの旧友コンボが現れたことで、楽しい日々は終わる。コンボはネオナチ団体「ナショナルフロント」(NF)の一員で、ウディらを組織に引き入れようとする。

 当時の英国に別の角度から迫ったのが「ルード・ボーイ」(80年)だ。NFら台頭する右派と対峙するクラッシュとローディーとの交流を描いたセミドキュメントで、絶頂期のライブも収録されている。亡きジョー・ストラマーのラディカルで真摯な言葉は世紀を超えても新鮮だが、NFが主張した偏狭なナショナリズムも死滅したわけではない。「THIS IS――」に描かれたパキスタン人への差別は反転して逆向きの刃になり、ロンドン同時爆破事件(05年)の背景になった。

 ネオナチと同一視されて汚名を着せられたスキンヘッズだが、スカ、ダブ、レゲエと密接に結びつき、ジャマイカ人をも巻き込んだカウンターカルチャーだった。貧困層の若者が左右いずれかに吸収されるのは、歴史の必然といえる。父をフォークランド戦争で亡くしたショーンには、コンボが説くナショナリズムに惹かれる下地があった。

 本作に重なるのが「さらば青春の光」(79年)だ。フーの「四重人格」をベースにモッズカルチャーに迫った作品で、現実と引き裂かれたジミーの熱狂と幻滅が描かれていた。併せて見た人は、ショーンとジミーの共通点に気付くだろう。「さらば青春の光」のラストで、ジミーはベスパを断崖から突き落とす。排外主義の無意味さに気付いたショーンは果たして……。

 83年といえば、パンク~ニューウェーヴとUKロックに漬かっていた時期だったが、本作は俺が見落としていた「THIS IS ENGLAND」といえる。繰り返し見れば、鏤められた仕掛けや台詞の裏側に気付くだろう。オンエアでの再会を楽しみにしている。



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心優しい家電たち~機械にだって気持ちはある?

2009-03-18 00:12:07 | 戯れ言
 16日付朝日新聞スポーツ面に違和感を覚えた。チャベス大統領支持のオルドネス(WBCベネズエラ代表)が罵声を浴びているという記事中、チャベスは「独裁者」と記されていた。

 強引さが目立つチャベスだが、<資本主義独裁国家>に対抗し、石油で得た利潤を国民に還元するために闘っている。チャベスは02年、CIAと富裕層が仕組んだクーデターで監禁されたが、国民の抗議運動で復権した経緯がある。チャベスとは、アメリカと石油メジャーが形成する<巨悪>に抵抗する<必要悪>なのだろう。

 中米エルサルバドルで、左翼ゲリラの系譜を引くFMLNが大統領選で勝利を得た。新自由主義の実験場にされて荒廃した中南米で、左翼政権が次々に誕生している。スポークスマン的な役割を演じているのは、カストロではなくチャベスだ。

 スポーツと政治は不可分だが、WBCでも恩讐に彩られた対戦が続いている。前稿のWBC予想は案の定、大外れだったが、日韓戦が大会を通して最大5試合という方式には納得できない。1次ラウンド各組1・2位を2次ラウンドでばらさないと、近隣国間で遺恨が深まるばかりだ。

 前置きは長くなったが、本題に。善根を積んでいるわけでもなく、実力もない俺が、傾いた世の中で浮かぶ瀬を得た。運だけの結果ゆえ、些少なれどお返しするつもりでいる。それはさておき、家計の安定と軌を一にして、不思議な出来事に直面する。この半月、家電が立て続けに壊れたのだ。

 「この人、また家にいるよ」「仕事ないんだな。フテ寝してる」「僕が壊れたらどうするの。こんなにテレビが好きなのに」「しょうがない。もう少し頑張るか」……。

 家電たちは持ち主の窮状を哀れみ、耐えてきたのだろう。懐が温かくなったと知り、安心して次々に役目を終えたのだ。人の世では情が薄れたらしいが、機械には優しい気持ちがあったのか。

 稼働9年のスカパーのチューナーが、最初に眠りに就いた。画面が数分で凝結し、緑や赤の毛糸のセーターのような模様になる。2日後に稼働6年のDVDレコーダーが不調になった。ディスクに録画した映画が、10分ほどしか再生できない。あれこれ試し、ダビング機能の麻痺に気付いた。

 ダブ録DVDレコーダーとスカパーのチューナーを購入し、接続に悪戦苦闘した先々週の週末、稼働7年の洗濯機が壊れた。洗濯物が水分を吸ったままタンクの底にたまっている。量を減らしても結果は同じで、すすぎが全く機能しない。月末までに買い替える予定だ。

 一昨日、コンビニ弁当を温めていたら、稼働10年の電子レンジがプシュッと音を立てて煙を噴く。突然のサヨウナラだ。さらに、稼働11年の電話が、相手番号をディスプレイしなくなる。すべての電話に出ざるをえない。

 ロクに掃除もしないし扱いも乱暴なのに、家電たちは俺が困っている時、文句ひとつ言わず頑張ってくれた。彼らの忍耐と温情に心から感謝したい。



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欧州を席巻するプレミア勢の輝き

2009-03-15 00:41:31 | スポーツ
 メディアは相変わらず検察庁広報部として官製の情報を垂れ流しているが、「ニュースの深層」(朝日ニュースター)で小林良彰慶大教授が西松問題の本質を抉っていた。

 西松からの献金は灰色ながらも適法とした上で、小林教授は自民・民主両党に自浄作用を求めていた。政党支部への企業献金を認めた政治資金規正法は、小選挙区制を前提に成立した。20年前の<改革>は腐敗を温存し、選択肢を狭めることで今日の閉塞を生んだといえる。小林教授は規正法改正と選挙制度見直しこそ民主主義確立への火急の課題と強調していた。

 さて、本題。滅入るニュースが多いが、欧州チャンピオンズリーグ(CL)が最高の気晴らしになった。プレミアのビッグ4が揃ってベスト8進出と、俺にとってこの上ない展開になる。

 マンチェスターU(プレミア1位)VSインテル(セリアA1位)が最大の注目だった。インテルを率いる闘将モウリーニョは、かつてチェルシーでプレミア連覇を達成した。「俺がプレミアを変えた」と豪語する通り、就任1年目(04~05季)のチェルシーは、ジャムやグリーンデイのライブを彷彿とさせる“躍動サッカー”を提示した。

 テンポとスピードに攻守のバランスを加味したマンUのダイナモは、縦横無尽にピッチを駆け巡るルーニーだ。抜群の運動量で“フォア・ザ・チーム”を体現し、ロナウドの引き立て役を引き受けている。この試合でも、マンU1点リードの後半4分、ルーニーからの絶妙のクロスをロナウドがヘッドで突き刺した。

 セリエAで4連覇に向け独走するインテルだが、モウリーニョ効果は現れていない。解説の川勝良一氏は「結果にこだわるセリエAと、内容まで問われるプレミアとの差」と、リーグの志向の違いを理由に挙げていた。試合後に完敗を認めたモウリーニョを、ファーガソンの後継としてマンU監督に推す声もある。

 一押しのリバプールが、2ゲーム合計5―0とリーガ王者Rマドリードを圧倒した。衝撃的な内容に、セリエAとともにリーガも沈没かと思いきや、不調を脱したバルセロナがリヨンから5点を奪って勝ち抜いた。バルサの基調は“柔”だが、3トップ(メッシ、エトー、アンリ)の鋭い牙はプレミア勢にも脅威になるはずだ。

 俺は今、終わったばかりの頂上対決、マンU―リバプール戦の余韻に浸っている。アウエーのリバプールが4―1と爆勝し、プレミア逆転制覇に望みを繋いだ。毎度のことながら、リバプールの爆発力には驚かされる。疲労を感じさせないプレーの数々に、過酷なスケジュールで選手を育むプレミアの底力が窺えた。

 来週はWBCで日本中が大騒ぎになるだろう。同組に入るキューバとメキシコの直接対決を見たが、ともに大味なチームで、日本のスモールベースボールが足をすくうチャンスも十分だ。キューバに負け、韓国とメキシコに連勝して準決勝に進出するも、ベネズエラに負けて3位というのが俺の予想だ。競馬同様、的中の可能性は極めて低い。連敗してジ・エンドとなったら、プロ野球の人気低落に歯止めが掛からなくなる。





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<壁>なんて壊してしまおう~WBCに感じたこと

2009-03-12 00:00:40 | スポーツ
 88年の<10・19>を区切りに、浮気性の俺はプロ野球と“離婚”した。90年以降はNHK衛星とWOWOWで欧州サッカー、NFL、ボクシングを楽しみ、90年代後半、WWEがメーンディッシュに加わった。

 今やプロ野球にチャンネルを合わせるのは、プレーオフ以降になってしまった。そんな俺がWBCについて語るのはおこがましいが、日韓戦2試合で感じたことを記したい。

 各メディアが繰り返す<韓国の壁>という表現に違和感を覚えた。歴史、リーグのレベルと規模、MLBで活躍する選手の数と、あらゆる点で日本が上なのに、韓国に分が悪い。この2戦で日本野球に欠けているものが透けて見えてきた。

 第1に戦略に長けた指導者、第2に頭脳でゲームをリードする捕手、第3に勝負強さとパワーを併せ持つ中軸打者だ。この3点を克服しない限り、日本は国際試合で苦戦するだろう。

 20年前にWBCが開催されていたら、どんな先発オーダーになっただろう。88年の成績を基に組むと以下のようになる。
 
 ①松永(三)②平野(右)③門田(指)④落合(一)⑤広沢(左)⑥秋山(中)⑦池山(遊)⑧伊東(捕)⑨正田(二)
 
 3~7番で178本塁打の重量打線だ。一匹狼の門田と落合は代表入りを拒む可能性大だが、その時は清原と原の出番になる。他にも田中幸、福良、篠塚、高沢、高木豊と多士済々で、打撃に関する限り、日本はこの20年で退化したのではないか。

 プロ野球史を振り返れば、一つの事実に行き当たる。金田正一、張本勲を筆頭に、朝鮮半島にルーツを持つ多くの選手たちが、日本野球の発展に寄与してきた。そのことへの感謝を忘れてはいけない。<韓国の壁>などと煽らず、<壁>なんかぶち壊してアジアリーグを結成すれば、野球熱は一気に高まると思う。日本10、韓国4、台湾2の計16チームが妥当な線ではないか。

 台湾が中国に敗れただけでなく、1次ラウンドで波乱が相次いだ。メキシコに大勝したオーストラリアはキューバをも苦しめ、イタリアはカナダを破る。最大の番狂わせを演じたのはオランダで、優勝候補のドミニカ共和国に連勝し2次ラウンドに進んだ。野球も少しずつ国際化しているようで、五輪に復帰する日が来るかもしれない。



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「刑事コロンボ」で甦る団欒の思い出

2009-03-09 00:30:53 | 映画、ドラマ
 小沢代表公設秘書の逮捕が波紋を広げている。二階経産相ら自民党議員に飛び火し、共同通信は「西松建設から与党有力議員に6000万円の裏金が渡った」と報じた。官僚機構を牛耳る漆間官房副長官(元警察庁長官)の「捜査は与党に波及しない」発言が、“国策捜査”の疑念を補強する結果になった。

 有力政治家を何人もお縄に掛けた杉下警部(水谷豊)の相棒が、及川光博に決まった。体育会系の亀山(寺脇康文)と違い、王子キャラのビジュアル系らしい。軋轢を経た後に生じる一体感を楽しみにしている。

 今回はNHKハイビジョンで再放送中の「刑事コロンボ」について記したい。上述の「相棒」にも絶大な影響を与えた刑事ドラマの金字塔だ。

 年を取ると体が乾く分、心は湿っぽくなり、30年以上も前の家族の団欒を思い出す。茶の間の中心に鎮座していたのがテレビである。「コロンボ」は我が家にとって団欒の重要なアイテムだったが、苦い思い出もある。初回放送時、ドリフの「8時だョ!全員集合」の裏番組で、妹と熾烈なチャンネル争いが生じた。俺が一度も譲らなかったことがトラウマになったのか、妹はテレビと距離を置くようになる。

 81年以降、「コロンボ」は日本テレビ系で頻繁に再放送される。帰省した際、食い入るように画面を見つめる両親が不思議でならなかった。「3年前、一緒に見たじゃない」……。俺には10歳早く症状が訪れた。「相棒」や「名探偵コナン」を再放送で楽しんでいるし、「CSI」シリーズなら5回目でも“鮮度”を保てるはずだ。両親から<健忘症>を受け継いだ俺にとり、ブログは備忘録の意味もある。

 初めて「コロンボ」を見る若者たちは、さほどインパクトを感じないはずだ。メキシコ五輪でのフォスベリの背面跳び、74年W杯におけるオランダのトータルサッカーは、世界を瞠目させ、競技の質を覆したが、当時のフィルムを見ても感慨はない。「刑事コロンボ」同様、弟子たちが本家を追い越し、さらなる高みに導いているからだ。

 旧シリーズ(~79年)はタイトルだけで内容を思い出せる。俺にとって最高傑作は「権力の墓穴」だ。犯人はコロンボの上司(警察本部次長)で、友人の妻殺し(事故)を偽装に用い、自らの妻を殺す。コロンボは妨害されながら、刑事ドラマ史に残るトリックを仕掛けた。斬新で先見性に満ちていたのは「意識の下の映像」と「攻撃命令」で、潜在意識の操作、マインドコントロールを殺人の道具に用いている。

 ドラマ、映画、小説を問わず、警察を舞台にしたアメリカの作品で、敏腕刑事はメディアに取り上げられ、雷名を轟かせる。コロンボが無名のままセレブの油断を誘うことこそ、シリーズ最大のミステリーだろう。

 この週末、ダブ録DVDの設定に悪戦苦闘し、POGの命綱であるセイウンワンダーの弥生賞大惨敗に愕然とした。距離、体調、それとも早熟? 敗因はいろいろ考えられるが、皐月賞での好走は難しいといわざるをえない。




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「将棋界の一番長い日」~谷川9段のA級残留にひと安心

2009-03-06 00:57:11 | カルチャー
 麻生玉に必至が掛かっていた。簡単な3手詰のはずが、小沢の指が震え金が滑り落ちる。いきなり空き王手となり、麻生陣の香が小沢玉を直射している……。

 現在の政局を将棋に例えてみた。“国策捜査”の可能性も否定できないが、小沢代表の進退が総選挙の結果を左右することは間違いない。

 去る3日、棋界最大のイベント「将棋界の一番長い日~A級順位戦最終局」が将棋会館で行われた。全5局が挑戦と陥落に絡むスリリングな展開を、NHK衛星2とネット中継で堪能する。

 最大の注目は谷川9段と鈴木8段の対局だった。A級(名人5期を含む)を27期守った谷川の陥落は見たくないというファンの願いが通じたのか、崖っ縁の戦いを制して残留を決めた。谷川は4月で47歳になる。頭脳と精神力だけでなく、瞬発力と体力も求められる棋士にとって、年齢は抗し難い敵である。竜王戦で羽生名人が大逆転を食らったのも、渡辺竜王との14歳差が大きかったと思う。

 好漢鈴木とともに地獄を見たのは深浦王位だ。凄まじい執念で丸山9段の玉に迫ったが、逃げ切られる。タイトル保持者の陥落は初めてらしいが、悪いことばかりではない。羽生に対するマングースとして、深浦は王将位奪取に王手を掛けている。

 郷田9段が木村8段を破り、2年ぶりに挑戦権を獲得した。郷田が19歳でプロデビューした90年の夏、俺は尿管結石で入院した。隣のベッドに寝ていたオヤジこそ、郷田に将棋の手ほどきをした先生だったのだ。郷田少年のやんちゃぶりを示すエピソードを幾つか聞き、応援することにした。内容はもちろんオフレコである。

 郷田はこの春、同学年の羽生に挑む。力を矯めた郷田とトップを走り続ける羽生、踏み込む郷田と軽やかな羽生、道理の郷田と創意の羽生……。好対照の二人が奏でる格調高い名人戦に期待したい。麻生vs小沢より遥かに魅力的な組み合わせだ。

 昨夜、ダブ録のDVDレコーダーが届いた。高機能の分、要領を得ずに時間だけが過ぎ、当稿もはしょり気味になってしまった。女性、酒に加え機械も苦手な俺のこと、週末はDVDと格闘しているうちに終わってしまいそうだ。




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「ひとりと一匹たち」~心潤むドキュメンタリー

2009-03-03 00:03:11 | 独り言
 当稿で600回目の更新となった。よくもまあ、駄文を垂れ流したものである。

 昨秋以降、訪問者数は漸増していたが、最近は緩やかな右肩下がりだ。「どうして読者が増えないのだろう」……。俺もブロガー共通の悩みを抱えているが、知人との会話で勘違いに気付く。

 <会話その1>
俺「妹の病状が良くならなくて……」
知人「妹さん、入院してるの?」
俺「ブログに何度も書いてるけど」
知人「この半年、読んでない」

 <会話その2>
俺「ブログ、読んでくれてる」
知人「週に2回ぐらい、覗いてるよ」
俺「この前の全国デビュー、恥ずかしかったな」
知人「悪いことでもしたの」
俺「……」(こいつ、読んでない)

 失った基礎票を浮動票でカバーしていたようだ。常連の足が遠のくのはブログに魅力がない証拠だから、文句を言っても仕方ない。
 
 1日夜、ETV特集「ひとりと一匹たち~多摩川河川敷の物語」(NHK教育)を見た。猫や犬と暮らすホームレスたちに迫るドキュメンタリーに、俺の心は鋭く抉られ、温かく潤んだ。

 河川敷の猫を追うカメラマンの小西修さんとの出会いがきっかけで、ディレクターはホームレスの取材を始めた。ちなみに小西さんの奥さんは、猫たちの世話を20年近く続けている。

 扶養家族(猫16匹と犬1匹)を抱えるSさんは、夜9時から明け方まで空き缶を集めているが、不況はホームレスたちをより激しく打ち、1㌔当たりの値は下がる一方だ。かつてSさんが首を吊ろうとした時、足元で猫たちがじゃれ、保護したカラスのひな鳥に体をつつかれた。Sさんはどん底で至高の愛に触れたのだ。

 Sさん、そして目を悪くしたNさんらが、取材に応じて自らの来し方を語る、悲運の連鎖と思える人生だが、彼らは一様に「自分が悪かった」と“自己責任”を肯定する。自殺を試みて死に切れず、ホームレスになった人も多いという。

 死の淵で身を寄せているのだから、ホームレスが猫や犬に注ぐ愛情は一般の飼い主より遥かに深い。「おじさんたちは優しすぎて、社会に馴染めなかったのだ。彼らと接して、効率を求めて競争する社会の息苦しさに気付いた」(要旨)……。番組を締めたディレクターのモノローグが心に響いた。

 10年以上も前のこと、哲学堂公園で猫と戯れていると、ホームレスのおっさんに親しく声を掛けられた。勤め人だった俺は間違えられた経験を“名誉”と感じたが、昨年あたりから現実味を増してきた。急転回で望外の流れに乗ったのは、ブログに記した通りである。

 東京では今日(3日)、雪が降るという。どこまでも無力で、愛を語る資格もない俺だが、河川敷のホームレスと猫に思いを馳せる。俺にだって出来ることはある。近日中に「反貧困ネットワーク」に参加して、まずは資金的な協力から始めたい。




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