酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「C.R.A.Z.Y」~温かな余韻に浸れるホームドラマ

2022-08-28 21:25:18 | 映画、ドラマ
 8月が終わろうとしているが、将棋界では熱い闘いが続いている。竜王戦挑戦者決定戦では広瀬章人八段が山崎隆之八段に連勝し、藤井聡太5冠に挑む。その藤井は王位戦で豊島将之九段を下し、3勝1敗と防衛に王手をかけた。豊島の封じ手8六銀などプロも驚く指し手の連続だったが、藤井の91手目4一銀はまさにAI超えで、4手後に豊島は投了を告げた。敗れた豊島は来週、復冠に向け、永瀬拓矢王座との第1局が待っている。

 今夕、武器取引反対ネットワーク(NAJAT)主催した「プーチンはウクライナ侵略をやめろ! 新宿南口スタンディング」に、「グリーンズカフェ」(21日)での杉原浩司代表の呼び掛けに応えて足を運んだ。35人が参加し、俺はパンフレット配りを担当する。近くのスペースでは在日ウクライナ人と連携したグループが街宣を行っていた。ウクライナへの思いが凝縮された新宿南口だった。

 新宿シネマカリテで「C.R.A.Z.Y」(2005年)を見た。「ダラス・バイヤーズ」などで知られるジャン=マルク・ヴァレ監督は昨年急逝し、製作後17年を経て日本で公開される。タイトルからしてアウトローが闊歩する作品かと思ったが、家族の絆を描くエンターテインメントだった。

 エイズ治療薬をテーマに据えた「ダラス・バイヤーズ」の主人公ロンはゲイではなかったが、周囲の偏見と闘うことになる。「C.R.A.Z.Y」の主人公ザック(マルク=アンドレ・グロンダン)は、自分の気持ちが男性に向かっていることを隠し切れなくなる。舞台はフランス語圏のカナダだ。

 保守的な父ジェルヴェ(ミシェル・コテ)、過保護な母ロリアンヌ(ダニエル・ブルール)、読書家のクリスチャン、不良でザックの天敵といえるレイモン、スポーツマンのアントワーヌ、主人公のザック、年の離れたイヴァンの5人兄弟のボーリュー家の物語だ。四男のザックは1960年12月25日、キリストと同じ日に生まれた。初めて抱き上げたジェルヴェが手を滑らせて床に落ちる。その後を暗示するシーンだった。

 ロリアンヌは知人の言葉を真に受け、ザックが他者の痛みを和らげる能力を持っていると信じていたが、実際のところ定かではない。ジェルヴェは自身同様、音楽の才能があると感じたザックを寵愛していたが、やがて厳しく当たるようになる。〝男らしく〟に価値を持つ父は、兄たちからホモ呼ばわりされるザックに違和感を覚えるようになる。

 部屋でデヴィッド・ボウイの「スペース・オディティ」を大音量で流すザックは、父や兄にとって〝異星人〟の如く思えた。ザックは「アラジン・セイン」のボウイのメイクを施している。メイクはしていなかったが、俺にも似たような記憶がある。大学1年の頃、部屋にボウイや南米のプロボクサーの写真を貼っていたが、ある時、訪ねてきたサークルの先輩が開口一番、「おまえ、ホモか」……。1970年代後半とはそういう空気だった。

 本作の魅力は音楽で、作品の中身とリンクしている。上記した「スペース・オディティ」に加え、「世界の果てに」(シャルル・アズナヴール)、「ホワイト・ラビット」(ジェファーソン・エアプレイン)、「クレイジー・ダイヤモンド」「虚空のスキャット」(ピンク・フロイド)、「10:15サタデー・ナイト」(キュアー)、「永遠の願い」(ジョルジオ・モロダー)ら名曲群がザックの心情を反映していた。

 ボーリュー家の両親は敬虔なクリスチャンで、ザックもある時期まで教会に通っていた。コーラス隊が「悪魔を憐れむ歌」(ローリング・ストーンズ)を合唱する幻想のシーンは、家族の伝統と自身の志向とのギャップに苦しむザックの葛藤が生み出したものだ。

 本作のテーマ曲は父の愛聴盤「CRAZY」(バッツィ・クライン)だ。アルバムの破損と再発見も物語の軸で、タイトルのアルファベットが5人兄弟の名前の頭文字になっていることが示される。母が巡礼に訪れたいと願っていたイスラエルは、ゲイに寛容な国という。自分探しで訪れた土地で、ザックは母と交信する。

 様々な課題を抱える家族に、ジャン=マルク・ヴァレ監督は優しい眼差しを注いでいる。頑固な父だがラストでザックを認め、和解する。温かなカタルシスに、俺は今、亡き父、そしてケアハウスで暮らす母との絆を思い返している。
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友川カズキとウクライナ~社会復帰への第一歩?

2022-08-24 15:36:49 | カルチャー
 仕事から離れて半年、宙ぶらりん状態が続くが、先週末はささやかな社会復帰を果たす。土曜は第30回オルタナミーティング「友川カズキ阿佐ヶ谷ライブ」(阿佐ヶ谷ロフト)、日曜はグリーンズカフェ「杉原浩司さんと話そう プーチンのウクライナ侵攻、そして日本の軍事化」(永福和泉地域区民センター)に足を運んだ。ともに緑の党(グリーンズジャパン)会員発のイベントだ。

 まずは友川カズキのライブから。阿佐ヶ谷ロフトでのライブは俺にとって冬の風物詩だが、最近はコロナ禍で中止になっていた。今回は季節を変え、入場を制限して換気休憩を挟んだ4部構成で開催される。ギター一本でアンコールを含め計17曲が演奏された。病気から回復し、減量もしたという友川の、72歳とは思えないアグレッシブなステージに聴き入った。

 俺は友川の偽悪的、自嘲的なMCに共感しているが、実は雲泥の差がある。俺は東京砂漠を這うゴキブリで、友川は晩年の大岡昇平をも含め多くの文化人を魅了した偉才なのだ。静謐と狂気、曲には繊細と野性のアンビバレンツがちりばめられ、諦念、絶望、孤独を叙情で包んでいる。詩は絵画的で、目をつぶると情景が脳裏に浮かんでくる。

 セットリストには「殺されたくないなら殺せ」、「一人ぼっちは絵描きになる」、「三鬼の喉笛」、「桜の国の散る中を」といった馴染みの曲だけでなく、初めて聴く「桑名の駅」や友川が故郷を歌った「三種川」も含まれていた。三種川の氾濫が大きく報じられたことに、友川はショックを覚えたという。

 日曜の杉原浩司氏の講演会も示唆に富む内容だった。散会後、気の置けない人たちとの飲み会に参加するなど、楽しく充実した夜を過ごした。杉原氏は武器取引反対ネットワーク(NAJAT)代表で、グリーンズジャパン東京共同代表でもある。NAJATはウクライナ侵攻のみならず、ミャンマーの軍事クーデターへの抗議活動を展開している。杉原氏の論考は「世界」などメディアに掲載されることも増えた。

 杉原氏はチェチェンとシリアでの大虐殺の延長線上にウクライナ侵攻を捉えている。飲み会で「赤い闇 スターリンの冷たい大地」で描かれたホロモドールについて話すと、杉原氏も見ていたようで、ロシアとウクライナの根深い<支配-被支配>の関係が背景にあるようだ。

 侵攻から半年、クリミア半島でのロシア側施設への攻撃が報じられるように、ウクライナが持ち直したという見方もあり、中国製ドローンをウクライナが導入しているとの分析がある。深刻なのは戦争がもたらした食料危機で、中東やアフリカでは多くの人が飢餓状態に陥りつつある。遠く離れた〝外野〟日本では左派・リベラルの論調が変わってきた。<米国・NATO=正義、ロシア=悪>は誤りで、責任は両方にあるという相対論だ。

 ロシアのプロパガンダ(フェイクニュースを含む)が功を奏した点もあるが、相対論は的外れと杉原氏は断言する。SNSで現場から世界に発信された無加工の映像は、ロシア軍の戦争犯罪を伝えているからだ。<女性や子供たちの命を守るためにも、ウクライナは停戦交渉すべき>という意見に説得力がないわけではないが、歴史的経緯やプライドを踏まえると、外野で相対論を吐くことに、俺自身も疑念を覚える。

 さらに、左派・リベラルには<アメリカや日本政府と同じ判断をしたくない>との共通認識がある。バイデン大統領や岸田首相が説くウクライナ支援に同調することは出来ないと考える識者もいるだろう。朝日や毎日など多くのメディアに掲載されている非戦論の根底にあるのは、全ての戦争は悪と見做し、武装抵抗を否定する論理と杉原氏は指摘する。

 アウエー(武器輸出展示会や防衛装備庁)に単身乗り込み、抗議の声を上げてきた杉原氏を任侠映画のヒーローを重ねたこともある。数を頼まず言葉を行動に移す杉原氏が警鐘を鳴らしているのは軍事予算の巨額化だ。ロシアのウクライナ侵攻の悪しき副産物は、上記の食料危機に加え、世界各国で軍備増強が進んでいる。

 日本でも21日付朝日新聞朝刊が<防衛予算 事項要求100超>と報じた。長射程「スタンド・オブ・ミサイル」の運用も含まれている。軍事費増額、憲法改正と戦前回帰の動きを推進してきたのが、統一教会、日本会議、神政連といった〝カルト〟だ。暗澹たる思いに沈んでしまう。
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「この国の戦争」~物語と空気が社会を動かす

2022-08-19 16:24:29 | 読書
 ロシアのウクライナ侵攻で感じたのは、技術の進化だけでなく、人間同士が向き合う従来の〝戦争の形〟が維持されていることだ。今回の戦争は世界で軍事増強の世論を惹起し、敗戦から77年経った日本でも、平和憲法の評価が下がりつつある。背後で蠢くのは統一教会のみならず、日本会議、神政連といった時計の針を戦前に巻き戻そうとする〝カルト組織〟だ。

 この時期、戦争関連のドキュメンタリーが放送されているが、日本にとって戦争とは、軍隊とは何だったのかを考えるテキストを読了した。奧泉光と加藤陽子東大大学院教授の対談を収めた「この国の戦争~太平洋戦争をどう読むか」(2022年、河出新書)である。

 「石の来歴」、「浪漫的な行軍の記録」など、戦争を背景に多くの作品を発表してきた奧泉を〝遅れてきた戦争文学者〟とブログで評した。一方の加藤は専門が近現代史で軍事、戦争についての研究で知られている。日本を代表する作家と歴史学者が提示する考察は俺にはハードルが高かったが、<物語>をキーワードに内容を紹介したい。

 明治以降、<国家の成長物語に沿った歴史物語を提供したのは軍隊>と加藤は分析する。前提は徴兵制で、いきなり世界と伍する必要に迫られた政府は、<国民=軍隊>の一体感に意識的に醸成し、メディアも空気に迎合した。朝日新聞は満州事変(1931年)以降、軍の報道機関に化していたと自己検証している。

 日露戦争は遼東半島だけでなく、朝鮮半島の権益を巡る戦いで、5年後の日韓迎合に繋がっている。<ロシアがシベリア鉄道を南下させ、朝鮮半島に海軍根拠地をつくることが脅威>と説くシュタインに日本政府の要人は影響を受けた。別稿で紹介した「スノードロップ」で、島田雅彦は<日露戦争時の膨大な借金が日本の死命を制した>との仮説を展開していた。日本は100年以上前、アメリカに首根っ子を掴まれていたということか。

 合理、非合理を超越し、抑圧された中間層の<物語>とメディアが煽る好戦記事が反響板になって戦争に突き進む。多大な犠牲を払ってロシアに勝ったことが記憶の中に組み込まれ、満蒙開拓を農民に説いた<満州は日本の生命線>というスローガンはその実、<物語>レベルにも達しない妄想だった。

 俺も満州は資源が豊かと思い込んでいたが、勘違いだった。資源供給地として価値は低かったにもかかわらず、精密な調査をしないでスローガンが先行した。後に首相になった石橋湛山は東洋新報で〝満州放棄論〟を訴えていたが、冷静な分析が掻き消されたのは周知の通りだ。小林秀雄や橋川文三は、宣戦布告もなしに延々と続いた日中戦争についても疑義を呈していた。その日中戦争は2国間にとどまらず、蒋介石の戦略で国際化し、収拾が難しくなる。

 アメリカへの開戦も想定外の積み重ねだった。南部仏印進駐(41年)直後の禁輸もそのひとつだし、経済力の差が決定的な国に戦いを挑むなど狂気の沙汰だ。だが、根拠はゼロではなかった。アメリカ側の資料には<自国民の忍耐を考えると戦争は2年が限界>との分析もあった。それをうのみにしたわけだが、〝米国民の忍耐〟は非合理な<物語>に過ぎない。

 本書では俎上に載せられなかったが、国民と軍隊の一体感と同調圧力への忌避を記して発禁になったのは石川淳の「マルスの歌」だ。「マルスの歌」は好戦気分を高揚させる流行歌で、石川は発表前年に発表された「露営の歌」に重ねている。街角で唱和される同曲に耳を覆う主人公は、<私が狂っているのか、それとも社会が狂っているのか>と自問していた。

 本書で奧泉は<軍隊もまた物語>と述べ、小説での記述が抽象化した<物語>に埋没していくことを逃れるべきと主張していた。これは戦争だけにとどまらず、災害やコロナ禍でも同様だ。加藤も多様な語り手による史料をチェックし、安易な<物語化>を克服していきたいと語っている。

 両者が後半に言及した小説のうち、「ポロポロ」(田中小実昌)を購入した。感想は近日中、本書の論旨とともに紹介する。
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「モガディシュ」~同胞との友情をエンジンに街を激走する

2022-08-15 07:43:13 | 映画、ドラマ
 統一教会関連について、北朝鮮と岸一族の〝ねじれ〟を俎上に載せる報道が興味深い。勝共連合をバックアップした岸信介元首相、安倍晋太郎元官房長官、そして安倍晋三元首相と、一族と良好な関係を築いてきた統一教会は、莫大な資金を提供するなど金王朝ともパイプが太い。自民党関係者はこの辺りの闇をどのように総括しているのだろう。

 だが、問題は統一教会にとどまらない。戦前回帰と改憲を目指し、夫婦別姓否定、ジェンダー問題軽視を主張する日本会議懇談会、神道政治連盟に岸田首相自ら加盟している。この国の政治が先進国ではあり得ないカルトに主導されていることは、狂気の自民党改憲案からも明らかだ。

 前稿で紹介した「ブラック・チェンバー・ミュージック」の背景には朝鮮半島の緊張があり、東京での韓国と北朝鮮の女性情報担当者の交流がストーリーに組み込まれていた。「義兄弟~SECRET REUNION」(2010年)や「ベルリンファイル」(13年)など、両国の諜報部員が登場する韓国映画も多い。先日、新宿ピカデリーで「モガディシュ~脱出までの14日間」(2021年、リュ・スンワン監督)も両国の軋轢と友情を描いた作品だった。

 リュ監督は上記した「ベルリンファイル」の監督で、当時のスタッフとともに撮影に臨んだ。現在〝世界一危険な国〟と評されるソマリアの首都モガディシュで、バーレ政権打倒を叫ぶ反乱軍が1991年末に侵攻し、政府軍と内戦を繰り広げる。当時、国連加盟を目指していた韓国はハン大使(キム・ヨンソク)と安全企画部直属のカン参事官(チョ・インソン)のタッグで外交戦を展開していた。

 ライバルは当時、アフリカで韓国を上回る国々と国交を結んでいた北朝鮮で、リム大使(ホ・ジュノ)はテ参事官(ク・ギョファン)を中心に韓国に対抗している。テは当地の若者と連携し、妨害活動でも成果を上げていた。メインキャラの4人に加え、ハン夫人役のキム・ソジンが緩衝材として柔らかい空気を醸し出していた。

 ソマリアは渡航禁止地域で、撮影は風景が似たモロッコのエッサウィラで敢行された。当時の状況をリアルに再現するため、資料を集め分析したという。反乱軍の実相に衝撃を覚えた。10歳前後の少年たちが銃をぶっ放して威嚇する。「シティ・オブ・ゴッド」を彷彿させる映像に、革命を志向するというより、怒りの爆発といった感じを受けた。

 反乱軍に急襲された北朝鮮大使館員と家族はモガディシュを放浪する。中国大使館に入れず、韓国大使館に救いを求める。ストーリーに韓国と北朝鮮の当時の外交が反映していた。エジプトは北朝鮮と友好国で、韓国とケニアは国交がある。ソマリアの宗主国はイタリアで、政府軍、反乱軍双方に一定の影響力があった。ハン、リム両大使は生存と脱出に向けて策を練るが、大韓航空機事件から8年で、両国の確執は消えていない。カンは北朝鮮一行の〝転向〟を画策するが、粛清に繋がりかねないからのめるはずもない。

 両国大使館員と家族、政府軍、反乱軍によるカーチェースが凄まじい迫力で展開する。ハン、リム両大使の複雑な表情と目力が、同胞との友情を表現していた。東京での封切りは終了したが、DVDやテレビでぜひ堪能してほしい。

 きょうで敗戦から77年。次稿では戦争について記す予定だ。

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「ブラック・チェンバー・ミュージック」~不器用に疾走する純愛

2022-08-10 08:55:55 | 読書
 ドラマ「空白を満たしなさい」(全5回)を見た。原作は平野啓一郎が2012年に発表した同名の小説である。徹生(柄本佑)は復生者のひとりとして、自殺の3年後に生き返った。企画した商品がヒットしたが、妻の千佳(鈴木杏)と1歳の璃久を残して会社のビルから飛び降りたのだ。誰かに突き落とされたのかもしれない……。徹生が〝犯人〟に想定したのが、人生を否定的に捉える警備員の佐伯(阿部サダヲ)だった。

 社会復帰の道筋は定まらないが、徹生は他の復生者との交流で生きる意味を見つけた。平野が作品で掲げるキーワードの<分人>を、原作ではゴッホの自画像を題材に説明していた。復生者が相次いで消滅する中、徹生は家族の絆を紡いでいく。ラストシーンには自分がいなくなった世界への希望に溢れていた。

 新しい世代の作家に注目するきっかけは平野の「決壊」で、星野智幸や中村文則らを次々に〝発見〟する。阿部和重の作品も、評論を含め当ブログで10作近く紹介してきた。先日、最新作「ブラック・チェンバー・ミュージック」(21年、毎日新聞出版)を読了する。

 評論集「幼少の帝国」からも明らかだが、阿部は日本社会の本質を理解した上で小説を書いている。もともと映画監督を目指していたこともあり、映像が浮かぶような丹念な筆致だ。俺は勝手にロバート・アルトマンを重ねている。人物造形も巧みで、キャラが立った個性が織り成すストーリーに引き寄せられる。「ブラック――」の主人公で、溝口健二を連想させる横口健二も冴えない人生を送っている。

 映画監督だった横口だが、大麻取締法違反で起訴され、デビュー作はお蔵入りになる。執行猶予期間中で40歳を前に結婚式の撮影で糊口をしのいでいる。そんな横口に旧知の組長、沢田龍介から仕事の依頼が飛び込んだ。映画雑誌を見つけるという内容で、沢田は北朝鮮から不法入国した若い女性を連れていた。横口と沢田は便宜上、彼女をハナコと呼ぶ。糸口はヒッチコック関連の評論の一部分だけだ。

 シンガポールで開催されたトランプと金正恩の会談が物語の基点だ。日本でも韓国と北朝鮮の在日大使館の諜報担当者が極秘にミーティングを重ねる。ともに女性で、チョコレート好きというサイドストーリーも微笑ましい。韓国側の韓二等書記官は後半で水際立った救世主になる。自称トランプの隠し子の怪しい動き、ヒッチコック論の書き手(金正日?)を巡る微妙な展開、沢田と対立組織との暗闘、映画関係者の蠢き、協力的な古書店女性経営者……。横口とハナコは運命に翻弄されつつ、東京、そして新潟を疾走する。ヤクザ、ヘイトスピーチ集団と三すくみになる浅草での大活劇がクライマックスだ。

 何が真実で、何が虚構か……。トランプやプーチンが主導したポスト・トゥルースの時代が前提になっている。伏線が張り巡らされた本作も、設定は大がかりだが、小さなフェイクが束ねられ、奔流になって横田とハナコを襲いかかる。回転軸になっているのは横口と沢田のコミカルな会話だ。

 だが、主音は<分断された世界に抗う男女の 怒濤のラブストーリー>の帯そのまま、横口とハナコの純愛だ。人生どん詰まりの横口、そして処刑の危険も顧みず帰国を目指すハナコに、ハッピーエンドはあり得ない。欲望を超越し、互いを思いやる痛切な思いに心を打たれた。ラストに示されるヒントは、渋谷の落書きだった。裏社会の冷酷な処刑人の音楽の趣味など、ユーモアもちりばめられ、480㌻2段組みの長編も一気に読み切った。

 代表作「シンセミア」について、<聖と俗、寓話とご都合主義の境界から神話の領域へと飛翔している>と評した。「ブラック――」にもアンビバレンツに引き裂かれそうになり、そよぎながら重心を保つ阿部の本領が発揮されている。エンターテインメントという点では伊坂幸太郎との合作「キャプテンサンダーボルト」に匹敵する。暑気払いに恰好の一冊だった。
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炎暑下の雑感あれこれ~この30年、「相棒」、高校野球、統一教会etc

2022-08-06 20:43:54 | 独り言
 睡眠障害(不眠症)で生活のリズムが狂ってしまった。映画について記すはずが、二度寝して覚めたら、予約時間が過ぎていた。予定変更で、炎暑の日々の雑感を綴りたい。

 <コロナは熱に弱い>なんて昔の話。新規感染者数が世界最多になった日本だが、行動制限の声は上がらない。オミクロン株は重症化しづらいことが理由らしいが、深刻な医療崩壊が起きている。最近、俺は考える。自分だけでなくこの30年、この国は著しく劣化したのではないかと……。社会は膠着し、閉塞感に覆われている。自由は窒息し、格差は拡大している。

 年金生活者の俺も、息をひそめ怯えている。気力も体力も底を打った今、現実逃避はテレビ観賞で、刑事ドラマ(主に再放送)にチャンネルを合わせている。思い至ったのは原作の重要性だ。ともに内藤剛志主演の「捜査一課長」(テレ朝系)はコメディーと化しているが、「強行犯 樋口顕」(テレ東系)は見応えがある。差の理由は原作の有無で、「――樋口顕」の原作は今野敏だ。

 小説家は犯罪者の心理を考え抜いてストーリーを練るから、ラストに納得出来る。「棟居刑事シリーズ」(佐藤浩市主演)など森村誠一原作、長坂秀佳脚本の豪華コンビだ。原作のない「相棒」だが、ある時期まで輿水泰弘、櫻井武晴、戸田山雅司ら実力者が脚本を担当して一定のレベルを保っていた。

 その「相棒」に亀山薫が復帰する。水谷豊70歳、寺脇康文60歳の高齢コンビを、65歳の俺も応援したい。〝最後の相棒〟と公言されているから、次回「シーズン21」がラストになりそうだ。亀山復帰の設定は輿水が考案中という。櫻井、戸田山も脚本陣に加わって大団円になることを願っている。

 高校野球が始まった。今夏はたっぷり時間があるので、例年以上に観戦するかもしれない。下馬評通り、大阪桐蔭の実力は圧倒的だが、コロナとの戦いも大変で、既に6校の出場が危ぶまれている。ベスト以上は狙えると思っていた京都国際は初戦で敗れ、ハングルの校歌は流れなかった。高校野球はお盆の風物詩だが、コロナによって生者と死者、家族の距離が遠くなった今、お盆自体の位置付けも変わっている。大がかりな大会の在り方を再考すべき時機かもしれない。

 安倍元首相襲撃後、統一教会との関係を理由に挙げたY容疑者の言動に違和感を覚えた。統一教会の力を軽視していたからだが、それは俺の勘違いだった。日本会議、神道政治連盟のみならず、統一教会もまさに〝身内〟として安倍氏ならびに自民党を現在も支えていることが報道で明らかになった。

 俺が統一教会の存在を知ったのは高校2年の時だった。1年先輩から集会参加を熱く勧められたが、それが統一教会(原理研)主催だったのだ。興味がなかったからパスしたが、多くの若者が参加して新聞にも載った。オウムの時もそう言われたが、論理的に物事を考える秀才に支持されたという。

 アバウトな俺には無縁だったが、入学した東京の大学でも原理研が堂々と活動していた。大学当局に取り入り、セミナーハウスを私物化していたことが明らかになる。当時、社会と真摯に向き合っていた俺は、抗議活動に加わった。統一教会の文鮮明教祖が創設したのが勝共連合で、安倍元首相の祖父、岸信介元総理もバックアップしている。

 平野啓一郎は9年前、<自民党の憲法改正案にクラクラする>と発言したことがある。その後も自民党の方向性は変わらず、ジェンダーには無配慮、夫婦別姓反対など、時計の針を戦前に逆戻りさせる動きを進めている。その中心には常に安倍氏が鎮座し、統一教会の支援を巡っても教団に直接働きかけていた。安倍側近の中でも下村博文元文科相は関係が深いようだ。

 統一教会の集票力は最大に見積もっても15万前後といわれる。どうしてここまで自民党に影響力を維持出来るのか不思議だが、ボランティアとして選挙運動に協力することで〝貸し〟をつくっているとジャーナリストは分析している。この20年、あらゆる点で日本は<世界標準>から遠ざかっているが、その流れにカルトが関わっていたことは明白だ。

 安倍氏とその周辺は〝嫌韓派〟にカテゴライズされてきたが、韓国発祥の団体に首根っ子を押さえられているとしたら、見える光景も変わってくる。統一教会はKCIAや北朝鮮と一心同体だ。政権支持派が多い20代も、ジェンダーや環境問題には敏感だ。彼らを自民党から引き離す勢力が現れるだろうか。
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「戦争と女の顔」~絶望の果てに光は射すか

2022-08-02 17:01:36 | 映画、ドラマ
 先週、「春風亭一之輔 古今亭文菊二人会」(かめありリリオホール)に足を運んだ。文菊「紙入れ」→一之輔「鰻の幇間」→一之輔「蝦蟇の油」→文菊「青菜」の進行で、革新的でエネルギッシュな一之輔、伝統に忠実で所作が柔らかい文菊の好対照の芸に時が経つのを忘れる。互いを揶揄する枕が客席の笑いを誘っていた。

 ノーベル賞作家で母がウクライナ人のスベトラーナ・アレクシエービッチ著「戦争は女の顔をしていない」を原案にした映画を見た。「戦争と女の顔」(2019年、カンテミール・バラーゴフ監督)である。ロシア製作とくればウクライナ侵攻が重なるが、公開は3年前だ。舞台は独ソ戦で壮絶な市街戦が展開したレニングラードで、プーチンの出身地でもある。

 日本公開後、2週間足らずなのでストーリーの紹介は最小限に、感想と背景を記したい。國分功一郎(哲学者)らが違和感を示していたが、ウイズコロナで<疫学的に人口を捉え、人間を一つの駒として見るような見方>が定着した。震災関連、戦争についての記述も同様で、死者の数や被害の規模が語られるばかりで、個々の生き様、死に様が埋もれてしまう。「戦争と女の顔」は2人の女性に照準を定め、絶望の果ての希望を描いている。

 終戦後もレニングラード市民は、生きるために過酷な日々を送っていた。主人公はマーシャ(ヴァシリサ・ペレリギナ)とイーヤ(ヴィクトリア・ミロシニチェンコ)である。傷病軍人を収容する病院で働く看護師のイーヤは幼いパーシュカを育てていたが、PTSDの発作のために失ってしまう。イーヤを訪ねたのが、パーシュカを託した戦友で実の母親のマーシャである。

 バラーゴフ監督は原作に強く感銘を覚えたという。本作にもスベトラーナ・アレクシエービッチの温かい視点と女性の生理が息づいている。マーシャとイーヤが入る共同浴場(恐らく病院内)で多くの女性とともに晒す裸身もひたすら美しい。深夜にナンパされ、初心なサーシャ(イーゴリ・シローコフ)と交わったマーシャは「体の中に何かがないと寂しい」と語る。

 パーシュカの父親は戦死しており、マーシャは復讐のために戦った。戦地で受けた傷のために妊娠出来なくなったマーシャは欠落の思いに苛まれていた。。子供を持ちたいという願望は反転し、イーヤに刃を向ける。贖罪のために代わりに妊娠し、自分に預けるよう伝えるのだ。選んだ〝父〟はイワノヴィッチ院長(アンドレイ・ヴァイコフ)である。

 サーシャはマーシャとイーヤの部屋に入り浸るようになり、結婚を前提に両親に会ってくれるようマーシャに頼む。訪れたサーシャの実家は、当時のソ連の状況はわからないが、驚くような豪邸だった。両親の趣味もブルジョアそのもので、党の高級幹部と想像するしかない。

 アレクシエービッチの原作は、帰還した女性兵士500人の聞き取りを集めたものだ。男性兵士は英雄として迎えられたが、女性兵士の功績は認められなかった。ジェンダーギャップは厳然としており、サーシャの母に〝戦地妻〟と決めつけられたマーシャは否定しなかった。ラストでマーシャとイーヤに希望の光が射したように感じる。すべての人々を苦しめる戦争の意味を問う傑作だった。

 敗戦の日が迫っている。戦闘と飢餓で斃れた兵士たち、棄民となった開拓団、日本軍によって殺されたアジアの人々、被爆者、沖縄戦の犠牲者……。死の数と同じだけ物語があるのに、その殆どは語られることなく葬られた。そして今、時計の針を逆戻りさせ、物語を塗り潰そうとする輩が闊歩している。
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