まずは前稿の流れから……。竜王戦第4局は豊島竜王が制し、防衛に王手をかけた。中継を見ていた知人によると、羽生の表情に生気を感じなかったという。タイトル通算100期に向け第5局以降(来月5日)、反撃の狼煙を上げることが出来るだろうか。
ジャパンカップでPOG指名馬アーモンドアイが有終の美を飾った。3年前の8月、旅行先の函館競馬場で彼女の新潟デビュー戦(2着)を見た。POG的に人気があったわけではなかったが、史上最強牝馬に上り詰めたことはご存じの通りだ。〝愛〟で馬券を買い続けた3年余……。引退に寂しさを覚えている。
ディエゴ・マラドーナが亡くなった。エミール・クストリッツアが素顔に迫った「マラドーナ」(2008年、)のテーマは<野性を保つために知性は不可欠>。脚にカストロ、腕にゲバラのタトゥーを入れたマラドーナは、北米自由貿易協定(NAFTA)がメキシコに及ぼした深刻な影響を語る反グローバリズムの旗手で、〝新自由主義の実験場〟として南米を蹂躙したアメリカへの怒りを隠さなかった。波瀾万丈の人生を駆け抜けた天才の死を悼みたい。
シネマート新宿で韓国映画「私と猫のサランヘヨ」(2019年、ボク・ウンソク監督)を見た。猫にまつわる4編から成るオムニバスで、猫ファンに堪らない作品だ。猫との思い出をメインに据え、感想は後半、簡潔に記すことにする。
子供の頃、我が家は〝由緒ある〟2匹の猫を飼っていた。1匹は国会議員宅から譲り受けたキジトラの日本猫(エル)で、娘さんが妹の同級生だったという縁があった。もう1匹はどんなつてがあったのか、名優の金田龍之介家から貰い受けた金目銀目の白猫(シロ)である。
当時の飼い猫は塩分過剰の〝猫まんま〟――ご飯に味噌汁をかけ鰹節を振ったもの――を食べていたから、平均寿命は短かった。日本でキャットフードが普及したのは1980年前後。その頃から人間にとって、猫は愛玩動物から癒やしを与えてくれる存在に変化した。
大卒後、引きこもっていた俺は、部屋にすみ着いたシャムと三毛のハーフのために、自分の食費を削っていた。40代になってウオーキングを始めたが、折り返し地点の哲学堂公園で、ホームレスのおじさんたちに交じって野良猫に餌をやっていた。帰省時に交流していた従兄宅のミーコの死にショックを受けた。
「猫はこうして地球を征服した」(アビゲイル・タッカー著)には、猫が人間馴致の技術を身につけた経緯が分析されている。猫は世界の人口の3分の1が感染しているトキソプラズマ症の感染源のひとつだという。著者は<トキソプラズマは猫から人間の脳に感染し、愛をプログラミングされている>と仄めかしていた。そして今、インターネットが感染拡大のツールになり、猫愛が猛スピードで蔓延している。
「私と猫のサランヘヨ」にも俺と同じ症状の人たちが登場する。別れた恋人と飼っていた猫に慰められて立ち直った20代の女性、野良猫との触れ合いで再スタートを切る失業した40代の男。猫を飼いたいがためバレエコンクール優勝を目指す少女……。猫によって紡がれた絆と癒やしに、心がホカホカ温かくなった。
最も印象に残ったのは最後のエピソードだ。70代の独居老人は、海辺で見つけた亡き妻の思い出と重なる猫を飼うようになる。老人にはトラウマがあった。猫を飼うことを何度も懇願した妻をはねつけていたのだ。認知症で意識が混濁した老人は猫の仲介で、疎遠になっていた娘一家との絆を取り戻す。年齢が近く、物忘れも夥しい俺が主人公に親近感を覚えたのは当然の成り行きだ。
知り合いの老夫婦は老い先を考えると、以前のように猫を飼うことが難しくなった。今は「岩合光昭の世界ネコ歩き」(NHK・BSプレミアム)を全て録画し、夕食の供として団欒を楽しんでいる。飼っている猫に過剰な愛を注ぐ人もいれば、野良猫に去勢と避妊手術を施し、里親探しに努めるNGOの一員もいる。猫愛の表現は様々だが、数年経ったら猫を飼いたいと思う。だが、猫を一人で飼うのは面倒だ。その前に……。それは更に難しい。
ジャパンカップでPOG指名馬アーモンドアイが有終の美を飾った。3年前の8月、旅行先の函館競馬場で彼女の新潟デビュー戦(2着)を見た。POG的に人気があったわけではなかったが、史上最強牝馬に上り詰めたことはご存じの通りだ。〝愛〟で馬券を買い続けた3年余……。引退に寂しさを覚えている。
ディエゴ・マラドーナが亡くなった。エミール・クストリッツアが素顔に迫った「マラドーナ」(2008年、)のテーマは<野性を保つために知性は不可欠>。脚にカストロ、腕にゲバラのタトゥーを入れたマラドーナは、北米自由貿易協定(NAFTA)がメキシコに及ぼした深刻な影響を語る反グローバリズムの旗手で、〝新自由主義の実験場〟として南米を蹂躙したアメリカへの怒りを隠さなかった。波瀾万丈の人生を駆け抜けた天才の死を悼みたい。
シネマート新宿で韓国映画「私と猫のサランヘヨ」(2019年、ボク・ウンソク監督)を見た。猫にまつわる4編から成るオムニバスで、猫ファンに堪らない作品だ。猫との思い出をメインに据え、感想は後半、簡潔に記すことにする。
子供の頃、我が家は〝由緒ある〟2匹の猫を飼っていた。1匹は国会議員宅から譲り受けたキジトラの日本猫(エル)で、娘さんが妹の同級生だったという縁があった。もう1匹はどんなつてがあったのか、名優の金田龍之介家から貰い受けた金目銀目の白猫(シロ)である。
当時の飼い猫は塩分過剰の〝猫まんま〟――ご飯に味噌汁をかけ鰹節を振ったもの――を食べていたから、平均寿命は短かった。日本でキャットフードが普及したのは1980年前後。その頃から人間にとって、猫は愛玩動物から癒やしを与えてくれる存在に変化した。
大卒後、引きこもっていた俺は、部屋にすみ着いたシャムと三毛のハーフのために、自分の食費を削っていた。40代になってウオーキングを始めたが、折り返し地点の哲学堂公園で、ホームレスのおじさんたちに交じって野良猫に餌をやっていた。帰省時に交流していた従兄宅のミーコの死にショックを受けた。
「猫はこうして地球を征服した」(アビゲイル・タッカー著)には、猫が人間馴致の技術を身につけた経緯が分析されている。猫は世界の人口の3分の1が感染しているトキソプラズマ症の感染源のひとつだという。著者は<トキソプラズマは猫から人間の脳に感染し、愛をプログラミングされている>と仄めかしていた。そして今、インターネットが感染拡大のツールになり、猫愛が猛スピードで蔓延している。
「私と猫のサランヘヨ」にも俺と同じ症状の人たちが登場する。別れた恋人と飼っていた猫に慰められて立ち直った20代の女性、野良猫との触れ合いで再スタートを切る失業した40代の男。猫を飼いたいがためバレエコンクール優勝を目指す少女……。猫によって紡がれた絆と癒やしに、心がホカホカ温かくなった。
最も印象に残ったのは最後のエピソードだ。70代の独居老人は、海辺で見つけた亡き妻の思い出と重なる猫を飼うようになる。老人にはトラウマがあった。猫を飼うことを何度も懇願した妻をはねつけていたのだ。認知症で意識が混濁した老人は猫の仲介で、疎遠になっていた娘一家との絆を取り戻す。年齢が近く、物忘れも夥しい俺が主人公に親近感を覚えたのは当然の成り行きだ。
知り合いの老夫婦は老い先を考えると、以前のように猫を飼うことが難しくなった。今は「岩合光昭の世界ネコ歩き」(NHK・BSプレミアム)を全て録画し、夕食の供として団欒を楽しんでいる。飼っている猫に過剰な愛を注ぐ人もいれば、野良猫に去勢と避妊手術を施し、里親探しに努めるNGOの一員もいる。猫愛の表現は様々だが、数年経ったら猫を飼いたいと思う。だが、猫を一人で飼うのは面倒だ。その前に……。それは更に難しい。