酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ランバート・アンド・スタンプ」~半世紀を経て恩讐の彼方に

2016-05-29 12:10:44 | 映画、ドラマ
 寝ぼけ眼でチャンネルを回していると、ダルビッシュが映っていた。1年9カ月ぶりのマウンドだったが、力みのない自然体の投球に器の大きさを感じた。好内容での復活勝利は、今後に大きな期待を抱かせる。

 数万のデモ隊が反グローバリズム、反資本主義を訴えて会場に接近する……、そんなお約束と無縁のまま、伊勢志摩サミットは幕を閉じた。そこにこそ、日本の深刻な病根(集団化と馴致)が表れている。広島での演説、手作りの折り鶴寄贈など、安倍首相との〝役者の違い〟が浮き彫りになったオバマ大統領だが、前稿で記した通り〝死の商人〟の代表格だ。裏と表の乖離を、当人はどこまで自覚しているのだろう。

 羽生善治名人(4冠)が佐藤天彦八段に敗れて1勝3敗と、名人失冠の危機に追い込まれた。佐藤は趣味(クラシック音楽、ファッションetc)や盤上に滲み出る美学から、仲間内で〝貴族〟と評されている。感想戦で淡々と振り返る羽生は、名人に相応しい棋士と佐藤を認めているのかもしれない。その羽生は若かりし頃、盤外でも勝負師ぶりを発揮していた。中原、谷川両永世名人に対する「3連続上座奪取事件」は、常識破りの禁じ手として語り継がれている。

 齢を重ねるごとにイメージは変化し、今では〝孤高の求道者〟といった趣だ。右脳(直感)と左脳(論理)のアンサンブルでファンを魅了してきた羽生は、最強コンピューターとの対局者を決める第2期叡王戦トーナメントにエントリーした。勝ち上がれば耳目を集めることは確実だが、癪なことにコンピューターは、これからの1年で更なる進歩を遂げるはずだ。

 新宿ケイズシネマで「ランバート・アンド・スタンプ」(15年、ジェームス・D・クーパー監督)を見た。ザ・フーを見いだしたキット・ランバートとクリス・スタンプをメーンに据えたドキュメンタリーで、生き残ったピート・タウンゼント、ロジャー・ダルトリーの証言を軸に、貴重な映像を織り交ぜて構成されている。キットは1981年、失意のうちに亡くなり、数々のコメントを寄せたクリスも公開前に召されている。

 映画「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」(70年)でフーのパフォーマンスに痺れ、ロックの扉を叩いた。バンドの元には、「あなたたちに救われた」「フーを聴いて自殺を思いとどまった」という内容のファンレターが殺到したという。引きこもりの走りだった俺も、「トミー」、「フーズ・ネクスト」、「四重人格」を擦り切れるまで聴いていた。フーが表現した<疎外からの解放>は、不変かつ普遍のテーマである。

 バンドを成功に導くことはマネジャーにとって無上の喜びのはずだが、キットとクリスは違っていた。助監督だった2人は撮影所で出会い、意気投合する。バンドの成長過程をフィルムに収めてデビューすることを夢見て、フーに白羽の矢を立てた。

 高名な音楽家を父に持つキットは、オックスフォードで学んだ。ゲイは当時、処罰の対象だったが、キットはオープンにしていた。兄が名優テレンス・スタンプというクリスもアート一家の生まれで、時代の空気にも敏感だった。2人には誤算があった。表現欲求を満たす手段だったバンドは蛹にとどまらず、猛スピードで脱皮を繰り返し、殻を破っていく。マネジャーとバンドに亀裂が生じた過程は、父と息子の相克に当てはめてもいい。

 「トミー」以降、ピートはインド思想に傾倒していく。西欧の知的エリートを自任するキットは、ピートのスピリチュアル志向を無視して「トミー」の映画化を進めたことで、メンバーとの溝が深まる。皮肉なことに、キットとクリスの映画への執着はバンドに受け継がれた。「トミー」と「四重人格」(邦題「さらば青春の光」)のみならず、頓挫したプロジェクトを含め、フーは映像へのこだわりが強かった。

 俺にとって唯一無二のバンドなのに、キットとクリスは名前しか知らなかった。追放されて〝正史〟から削除されたことが、多く語られなかった最大の理由だろう。映画「ジャージー・ボーイズ」(14年、クリント・イーストウッド監督)にも描かれていたが、齢を重ねることが人を恩讐の彼方に導くケースもある。本作はピート、ロジャー、キット、クリスの半世紀にわたる和解のドラマだった。

 最後に、3時間半後に迫ったダービーの予想を。冒頭で<裏と表の乖離を、当人はどこまで自覚しているのだろう>とオバマ大統領を指弾したが、その言葉は俺自身に返ってくる。競馬は夥しい格差社会で、<血統>という物差しは、俺が価値を置く<公正・平等>と対極だ。でも、自身の矛盾に言い訳はしない。

 応援する馬は買わず、勝ってほしくない馬を馬券の軸に据える……。今回のダービーは少額投資の屈折馬券で楽しむことにする。ベテラン蛯名の感涙を見たいし、小牧場生産馬が勝てば快挙だが、ディーマジェスティは買わない。俺が買えば、来るものも来なくなるからだ。政官財だけでなく警察関係にも人脈を誇る里見オーナーの所有馬サトノダイアモンドは、俺が買えば負ける可能性が高まるので軸に据える。

 ルメールと内田がそれぞれ工夫しそうなサトノとヴァンキッシュラン、皐月賞でデムーロが乗りへぐった感のあるリオンディーズ、人気薄ゆえ四位の思い切った騎乗が期待出来るレッドエルディストの4頭を馬連、3連複で買うつもりだ。当たる気は全くしない。
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国の仕組みを根底から変えるために~沖縄、広島、NAJAT、そして参院選

2016-05-25 23:55:09 | 社会、政治
 この間、社会、政治関連で様々な出来事があった。まとめて記すことにする。

 沖縄で起きたことは許し難い。怒りは収まらないが、肝に銘じるべきは、人を狂気に駆り立て、獣の本性を呼び覚ます<戦争という兇器>だ。かつてアジアを蹂躙した日本兵の多くは、普通の家庭人で、復員後は黙々と経済復興に貢献した。憲法9条の崇高な精神を体現するためには、沖縄だけでなく全ての米軍基地を撤退させる方向に進まねばならない。

 舛添都知事の度量の小ささにはあきれるばかりだが、甘利前経済再相は忘れ去られてしまった。甘利氏が結び目になった政官財の汚れた構造には恐怖さえ覚える。黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」のタイトルそのまま、〝睡眠障害〟の甘利氏は今頃、高いびきをかいている。

 ノーマ・チョムスキー、オリバー・ストーンらアメリカのリベラルな識者74人が、被爆者との会話、平和記念資料館来館を求める書簡をオバマ大統領に送った。沖縄での忌むべき事件と重なり、〝うわべの政治ショー〟に終わるはずだった広島訪問は、オバマ大統領の実体を測るイベントになった。
 
 「ヒバクシャ~HIBAKUSHA~世界の終わりに」(03年、鎌仲ひとみ監督)は、核兵器と原発に反対する方に必見のドキュメンタリーだ。被爆者として原爆症患者と向き合ってきた肥田医師、核実験で被曝した米兵を診察したボードマン医師……。両者の邂逅と交流が、結論即ち<被爆=被曝>に至る扉を開いた。日米両トップの脳内に、<核廃絶=原発廃炉>の高邁な理想は欠片ほどもないだろう。

 広告代理店が日本を牛耳っていると指摘する声がある。汚れた五輪関連の報道が控えめなのも、背後に控える電通への配慮があるのだろう。広告を差配する代理店に、メディアは逆らえない。最たる例が3・11直後の朝日新聞だ。傘下の朝日ニュースターを改編し、「ニュースの深層」から上杉隆自由報道協会代表(当時)を追放した。

 メルトダウンと汚染水流出をいち早く伝えた上杉氏は、記者クラブ所属メディアから「デマ報道」と袋叩きに遭う。真実が日の目を見た今、「上杉氏の名誉回復を祝う会」が都内で開催された。発起人には鳩山由起夫、小沢一郎、田原総一朗氏ら100人が名を連ねている。俺が知りたいのは、5年前に起きたことだ。朝日上層部には〝圧力〟の実態を詳らかにしてほしい。

 まあ、これは無理な注文で、日本にも「デモクラシーNOW!」のような影響力のある独立系メディアが誕生することを待つしかない。既に兆候はある。ネット番組に頻繁に登場しているのは、武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)の杉原浩司代表だ。杉原さんは緑の党で出会った知人のひとりで、「世界」(岩波書店)の常連でもある。たんぽぽ舎で開催された講演会に参加した。

 山本太郎参院議員が<霞が関が最も恐れる男>と評する通り、杉原さんはアウエー(武器輸出展示会や防衛装備庁)にも単身乗り込み、鋭い問いを発する。膨大なデータの上に論理を構築する杉原さんにはいつも感嘆するばかりだが、とりわけ興味深かった点を挙げておく。まずはオバマ大統領の、ノーベル平和賞に値しない素顔だ。オバマはどの大統領より武器輸出に熱心で、死の商人ぶりを欧米では〝オバマバザール〟と揶揄されているという。

 平和憲法の影響力の大きさを今回の講演で実感できた。フランスのニュース番組では、キャスターが企業の武器売り込み成功を笑顔で報告するが、日本ではNHKが、オーストラリア潜水艦開発に落選したことを少し残念そうに伝えた。〝政官財の黒い癒着〟といった決まり文句で何でも済ませてしまうが、武器輸出については少し違う。安倍政権は前のめりだが,企業の方は戸惑い気味という。

 軍需に傾斜すれば批判を浴び、民需品が売れなくなるという危惧が企業にある。その結果、2年ごとに開かれる世界最大の兵器見本市「ユーロサトリ」に出展する企業が大幅に減った。抗議の声を上げ、さらに安倍首相が政権の座から降りれば、企業の武器輸出への熱は冷めるだろう。立ち話をしただけだったが、武器と人工知能の関係についての杉原さんの見解も聞いてみたい。

 政治についてあれこれ書いても、井戸端会議風の空虚な言葉になってしまうが、俺には幸いなことに現場がある。緑の党は他の市民団体とともに参院東京地方区で佐藤かおりさん(女性と人権全国ネットワーク共同代表)を推す。秋葉原での街宣に協力したが、街頭デビューとは思えない熱のこもった弁舌に驚いた。俺も出来る限りの協力を惜しまないつもりでいる。

 俺が密かに設定する目標は12万票獲得(供託金クリア)だ。鼻で嗤う人は、この国の矛盾を理解していない。1925年の普選法施行以来、日本は財力、知名度、地盤がない者を政治から排除してきた〝自称先進国〟である。自由、民主主義、立憲主義の前提になるのはオープンな選挙制度だ。佐藤さんが善戦すれば、高邁な志を持つ者が仲間と声を上げるだろう。永田町の地図を塗り替えるのではなく、日本を本質的に変えるための第一歩を踏み出したい。
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「相棒」、MUSE、「殿、利息でござる!」、電王戦etc~新緑の候、雑感あれこれ

2016-05-22 19:53:36 | カルチャー
 舛添、沖縄、オバマ広島訪問、参院選……。書きたいことは山々だが、政治関連は次稿に回し、新緑の候、心に染みたあれこれを<カルチャー>を軸に記したい。

 まずは訃報から。柳家喜多八さんが大腸がんとの闘いの末、66歳で召された。俺が最後に喜多八さんの芸に触れたのは昨年12月、師匠である柳家小三治の独演会(銀座ブロッサム)である。幕が上がると喜多八さんが座っていて、足を怪我した旨を説明し、「長短」を演じて師匠に繋いだ。

 小三治は弟子を枕に取り上げた。若かりし頃の喜多八を自宅に呼び、「陽気になれ」と諭していたら、奥さんが茶々を入れた。小三治も修業時代、三遊亭円生に「おまえは暗い」と楽屋でイジられていたという。自身の病をネタにしながら飄々と語り口で聴く者を和ませた噺家の死を、心から悼みたい。

 「相棒シーズン15」と「劇場版Ⅳ」の製作が発表された。視聴率低下の〝戦犯〟扱いされている反町隆史(冠城亘)が続投する。最近の「相棒」はテレビ朝日系で水、木に放映される警察ドラマと質が変わらず、渡瀬恒彦と内藤剛志の存在感は水谷豊に引けを取らない。「相棒」は〝ワン&オンリー〟ではないのだ。

 権力や警察をアプリオリに悪として描く伊坂幸太郎がベストセラー作家になり、憲法違反の安保法案が国会を通る今、杉下警部が身を震わせて主張する<法の下の正義>に説得力はない。「シーズン13」のラストで<法の下の正義>に<人間としての正義>を対置させた甲斐享(成宮寛貴)の再登場を期待している。

 MUSEと鉄拳によるコラボ第3弾に感銘を覚えた。「アフターマス」の公式PVに、反戦と絆への思いが込められている。アメリカではアリーナクラス(1~2万人)、欧州ではスタジアムクラス(数万人)のツアーを敢行するMUSEは、ハイパー資本主義のシステムを活用しながら、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの薫陶を受け、ラディカルな主張を掲げてきた。

 MUSEは数年前、イスラエルのフェスに出演するとアナウンスされたが、〝不穏さ〟を察知した当局が、企画そのものをボツにした。そして7月、MUSEはイスタンブールのフェスでヘッドライナーを務める。反グローバリズムを主張し、1%を攻撃するMUSEだが、ISなどイスラム原理主義集団からすれば〝唾棄すべき資本主義のゴミ〟だ。テロの対象にならぬことを願いたい。

 昨日は知人と旧古河庭園の「春のバラフェスティバル」を愉しんだ。ライトアップされた花を愛でながら、俺の思いは空の彼方に飛んでいく。同庭園はかつて、足尾銅山から鉱毒を垂れ流した古河財閥が所有していた。農民の塗炭の苦しみを肥やしに咲いた花弁といえぬこともない。文化は大抵、汚れた金を貯め込んだパトロンたちのチャリティーに育まれてきた。

 公園から新宿ピカデリーに向かい、「殿、利息でござる!」(16年、中村義洋監督)を見た。Yahoo!のレビューをチェックでは、「世界から猫が消えたなら」や是枝裕和監督の新作「海よりもまだ深く」より評価が高い。館内は満員で、若年層が大勢を占めていた。封切り直後で、映画館やレンタルDVDでご覧になる方も多いだろう。興趣を削がぬようストーリーは記さないことにする。

 ユーモアがちりばめられた上質のエンターテインメントでありながら、貧困が蔓延する現在の日本に重なっている。いかなる価値観でこの世を生きるべきかを問い掛ける作品だった。阿部サダヲ、瑛太、妻夫木聡、寺脇康文、きたろう、西村雅彦、千葉雄太らがスクリーンに躍り、竹内結子が花を添える。山崎努と草笛光子の両ベテランが脇を締めていたが、怜悧なヒールの松田龍平の存在感が際立っていた。さすがというべきか、羽生結弦は気圧されることなく殿様を演じていた。

 山崎隆之叡王と最強ソフト「Ponanza」による将棋電王戦(比叡山延暦寺)は、人間の2連敗で幕を閉じた。名人戦を超えるファンがニコニコ動画の中継サイトを訪れたという。山崎は趣向を凝らして挑んだが、不利に陥るや差は開く一方だった。癪なことにコンピューターはマイナス1000とか2000とか形勢を数字に表す。その評価は極めて的確で、〝人間的〟なミスはあり得ない。〝人としての責務を果たしたいと思いつつ、普段の欠点が出てしまった〟と悔しさを滲ませつつ、山崎は完敗を認めていた。

 人工知能は競馬や麻雀を攻略出来るのかという興味もある。オークスではPOG指名馬ジェラシーが④着に入った。10番人気を考えると健闘だろうが、最後方待機という作戦にもどかしさが残る。秋以降の飛躍に期待したい。
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「自由死刑」~飛翔に向けた島田雅彦のジャンプ台

2016-05-19 22:24:27 | 読書
 「生誕300年記念 若沖展」(東京美術館)に足を運ぶつもりだったが、平日でも4時間待ちと知って諦めた。次の機会を待ちたい。

 羽生善治名人が進行役を務めたNHKスペシャル「天使か悪魔か~羽生善治 人工知能を探る」は刺激的な内容だった。羽生は得意の英語を駆使し、英米で研究の最前線を取材している。

 人工知能は3月、囲碁史上最強と評されるイ・セドル九段を4勝1敗と退けた。その映像も番組で取り上げられていたが、人工知能の唯一の負けは自滅、暴走によるものである。人工知能の勝利は、過去の棋譜を学習したからではない。人工知能同士の数千万回に及ぶ対局で習得した直感と創造性を発揮し、定石を超える新手を提示したのだ。

 人工知能の限りない可能性を語る識者は多い。人類が直面する諸問題――医療、戦争、環境、格差、食糧と飢餓etc――を解決に導いたら神になるが、悪魔になる可能性も否定できない。人工知能は情報収集、管理と統制のツールとして最適で、既にCIAは一歩を踏み出している。

 倫理や良心と無縁とされる人工知能だが、親和力に希望を抱いた。羽生はソフトバンクの開発室に赴き、人工知能と花札に興じる。負け続けた人工知能は落ち込んでいたが、次第に様子が変化していった。羽生に驚嘆し拍手を送る〝仲間〟の笑顔に感応し、喜びを表現するようになったのだ。人間がかつて信じていた公正、自由。共生といった価値観を内包した人工知能がパートナーになれば、人類の未来はバラ色になるだろう。

 島田雅彦の「自由死刑」(99年、集英社文庫)を読了した。別稿(16年1月31日)で紹介した三島由紀夫の「命売ります」(68年)にインスパイアされた小説である。「命売ります」の羽仁男は死を恐れなかったが、心中願望の女性、秘密結社の影によって生に執着するようになる。「自由死刑」の喜多善男は自殺までの時間を1週間と区切る。決意した当日、「タナトス映像」代表の八代と同じタクシーに乗り合わせた。

 羽仁男はスパイ映画の主人公の如き腕利きの色事師だったが、善男はありきたりの営業マンである。三島が感じていた〝選ばれし者の虚無と頽廃〟は羽仁男に投影されていたが、善男はなぜ自殺を志向したのか判然としなかった。「翻意もあるな」と疑い始めた頃、島田は決意の〝芯〟を提示した。

 控えめの酒池肉林を楽しんだ善男は、過去との決着を試みる、かつての恋人みずほは、手を差し伸べたくなるほどの苦境に陥り、心を病んでいた。認知症になった母は、善男を亡き父を混同している。善男、八代の仲介で知り合えた元アイドルのしのぶ、自称殺し屋の外科医の奇妙な逃避行が物語の軸になっていく。

 第1章「FRIDAY」から第8章「FRIDAY」まで、死への希求(タナトス)に根差した虚無、憂愁、ユーモアがちりばめられている。社会を抉る慧眼も窺え、極上のエンターテインメントに仕上がっていた。

 書き足されたかのような最終章「SOMEDAY」で、島田は観念としての死を弄んだ善男、そして恐らく自身にも罰を下している。大岡昇平の戦争文学を彷彿させる、死にゆく者の肉体的苦痛を描いているのだ。「自由死刑」の肝のひとつは、聖書を諳んじるしのぶと善男の会話だった。イエスは死の苦痛から復活したが、本作の結末で甦ったのは作者の文学への情熱かもしれない。

 本作発表後、島田は傑作群を世に問う。至上の恋愛を描いた「無限カノン三部作」、スピリチュアルな「カオスの娘」と「英雄はそこにいる」に、本作のDNAを見ることが出来る。「自由死刑」は島田にとって、飛翔に向けたジャンプ台だったのか。

 オークスの枠順が確定した。人工知能とは程遠い欲望と妄想が導き出した予想を以下に。馬券の軸はPOG指名馬である⑯ジェラシーだ。6戦2勝の成績は見劣りするが、新馬戦、未勝利戦で敗れたゲッカコウ、フロンテアクイーンはオークスに出走する。ミモザ賞で先着を許したパールコードはフローラS②着馬だ。強豪相手に揉まれてきたことは明らかで、調教の軽さも牝馬ならマイナス材料にならない。

 横山典を巡る愛憎にも注目だ。2番人気が予想されるチェッキーノはコディーノ(ともに藤沢和厩舎)の3歳下の妹だ。ダービーでコディーノから降ろされた横山典は、今も藤沢和師と絶縁状態にある。一方でジェラシーの菊沢師は騎手時代から交遊が深い。侠気溢れる横山典は、親友に初GⅠをプレゼントする……。そんなドラマを空想して悦に入っている。
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「孤独のススメ」~高らかに奏でる人間賛歌

2016-05-15 23:14:05 | 映画、ドラマ
 五輪の利権が絡んだ揺さぶりとみる向きもあるが、舛添都知事が非難を浴びている。自民党都議団は舛添知事を守らない可能性も高い。ならば、またも都知事選となるが、五輪中止もしくは規模縮小を主張する候補が現れるだろうか。

 「朝まで生テレビ!」の常連だった舛添氏は、サディスティックな表情で「社会主義は終わった」と語り、司会の田原氏も同意していた。だが、見当違いは甚だしく、<公正、公平な仕組み≒社会主義>を求めるピケティ、サンダース、コービン、ポデモスらが世界を領導している。勝利したはずの資本主義は、パナマ文書が象徴するように腐敗した。舛添氏もまた、資本主義ならぬ拝金主義の下僕になっている。

 パナマ文書の影響なのか、メッシの調子が落ちた。バルセロナにも急ブレーキがかかったが、15日未明(日本時間)、辛うじてリーガ優勝を果たす。俺はへそ曲がりだが、スペイン戦争について学んだこともあり、一貫してバルサファンだ。クライフ監督以降、独創性、芸術性でバルサが世界のサッカーを牽引してきたことは明白な事実である。

 新宿で先日、オランダ映画「孤独のススメ」(13年、ディーデリク・エビンゲ監督)を見た。公開最終日でもあり、ネタバレありで感想を記したい。

 舞台はオランダの田園都市。主人公のフレッド(トン・カス)は初老の敬虔なクリスチャンで、分刻みで窮屈な生活ぶりは、「おみおくりの作法」の主人公、ジョン・メイと共通している。のどかな街に闖入者が現れる。フレッドは心は幼児のままの中年男テオ(ルネ・フォント・ホフ)を家に招き入れ、奇妙な共同生活が始まった。

 同性婚公認、麻薬と売春の合法化、ワークシェアリング推進、環境問題への積極的な取り組みで知られるオランダだが、因習から全く自由であるわけではない。フレッドとテオも好奇の目に晒され、露骨に攻撃してくる少年もいる。大人でフレッド批判の先頭に立つのは、教会で副牧師的役割を担う幼なじみのカンプスだ。

 オランダの1人当たりのGDPは日本の1・3倍(世界16位)で、福祉も充実している。フレッドは恐らく年金生活者だが、日本の同世代と比べて余裕があり、家屋も立派だ。だが、会話から判断する限り、各自の貯金額は多くない。本作は彼我のライフスタイルの違いを多少なりとも教えてくれた。

 見る者が感じる幾つもの「?」の答えが丁寧に用意されている。フレッドのかつての生業は謎のままで、堅い仕事(事務職)に就いていたのかと思いきや、意外に柔軟で、羊の鳴き真似でブレークしたテオと即席芸人コンビを結成し、子供たちの前でおどけている。部屋に置かれたスリーショットの意味、移動手段は必ずバスである理由も明らかになっていく。

 名前が判明するのは中盤以降だが、知的障害、失語症、記憶喪失の症状が窺えるテオに、フレッドは父親のように接する。テオは亡き妻トゥルーディーの服を着たまま外に出たりするから、周囲の驚きはやがて拒絶に転じる。だが、フレッドはテオを追い出すことはない。

 本作はLGBT関連の映画祭でも高い評価を得た。フレッドはゲイを告白した息子と絶縁した。トゥルーディーの死も、息子の家出と無関係ではないだろう。フレッドが偏見を受け入れたのも、贖罪の思いからだ。邦題を深読みすれば、孤独になると狭い常識から自由になり、物事の真実が見えてくる……ということか。フレッドの決意は、カンプスの硬く乾いた心をも溶かした。

 テオもトゥルーディーと同様、交通事故に遭っていた。その影響で障害を負ったテオは幼児に返り、天使のような妻サスキアの元を離れて放浪する。テオにとってフレッドとサスキアは理解のある両親といっていい。家族の貌も問い掛ける作品だった。

 ゲイクラブとマッターホルンが、ラストでカットバックする。フレッドはサスキアをゲイクラブに誘う。ステージでは息子がシャーリー・バッシーの名曲「ディス・イズ・マイ・ライフ」を熱唱していた。歌詞の内容が来し方と現在にクロスし、感極まったフレッドは歌い終えた息子に「ヨハン」と叫んだ。

 サッカー好きのフレッドが、クライフにちなんで名付けたと勘違いしていたが、ストーリーを冷静に振り返ると、ヨハン・セバスチャン・バッハの「ヨハン」だ。「然るべき時に、然るべき鍵盤を叩けばいい」というバッハの言葉がベースになっていて、全編にバッハの名曲がちりばめられている。

 フレッドはテオを伴い、トゥルーディーにプロポーズしたマッターホルンを訪ねる。旅費を工面したのはサスキアだ。淡色で始まった本作は、心揺さぶる人間賛歌として終わる。フレッドの心で壁は壊れ、清澄な空気が流れていた。俺もそうだが、人はルール、慣習、世間体、掟に縛られ不自由に生きている。だが、齢を重ねても自由の扉がいつでも開くことを、本作は教えてくれた。


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「CAT ART」&「山河ノスタルジア」~渋谷でアートに親しむ

2016-05-11 23:05:17 | カルチャー
 国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が、パナマ文書にリストアップされた企業や個人の情報を公開した。<格差と貧困は民主主義を阻害する最大の要因>と見做すトマ・ピケティやバーニー・サンダースの主張を裏付ける一級の資料になりそうだ。法人減税と消費増税でさらに格差が拡大する日本でも、先進国のように怒りの声は上がるだろうか。

 小林節慶大名誉教授が「国民怒りの声」を立ち上げ、自身も参院選比例区に出馬する。数年前まで保守派の論客だった小林氏だが、戦争法廃案、脱原発、辺野古移設反対、反TPP、軍事費の福祉への転用etcとラディカルな政策を掲げている。怒りの矛先はもちろん安倍政権だが、民進党に痺れを切らしたという側面も強い。〝永田町の地図〟で世を測っている人は、コップの中の嵐と冷ややかだが、手を組む仲間によっては、小林氏の怒りがコップを破裂させる可能性もある。

 週末は渋谷でアートに愉しんだ。まずは、「CAT ART美術館~名画になった猫たち」(西武A館7F特設会場)から。

 横浜出身でソルトレークシティー在住のイラストレーター、Shu Yamamoto(シュー・ヤマモト)の作品が展示されていた。ヤマモトは2007年から名画の猫バージョンを描き始め、13年以降、日本全国で展示会が開催されている。59歳(俺の現年齢)で新境地を開拓したヤマモトに敬意を表したい。

 パロディーとはいえ精緻な筆致に感嘆させられた。「猫ビーナスの誕生」(ニャッティチェリ)、「モニャ・リザ」(レオニャルド・ニャ・ヴィンチ)、「またたび拾い」(ファミー)、「耳に包帯をした自画像」(ニャッホ)、「叫び」(ニャンク)など、猫にちなんだ名と画家の名を冠された作品の数々に見入ってしまう。当日、「赤黄青のコンポジション」のプリントTシャツを着ていたが、構成を少し変えた抽象画(ニャンドリアン)が展示されていたのに驚いた。

 ヤマモトが敬意を抱いているのはフェルメールで、「真珠のイヤリングをした少女猫」を筆頭に、フェルネーコ名義が9作展示されていた。ユーモアとアイロニーが溢れるキャプションに何度も噴き出したが、何より心に響いたのは猫への限りない愛だ。犬嫌いの俺は、嘲りの対象として描かれるワンコロたちに留飲を下げていた。

 想定外の感銘を受け、猫絵の余韻を引きずりながらBunkamuraル・シネマに向かい、「山河ノスタルジア」(15年、ジャ・ジャンクー監督)を観賞する。中国映画といえば、愛の深淵に迫った昨年のベストワン「妻への家路」(14年、チャン・イーモウ監督)だ。「山河ノスタルジア」もメディアや文化人に絶賛されている。大いに期待しているが、肩透かしだった。

 冒頭とラストに流れる「ゴー・ウエスト」(ペット・ショップ・ボーイズ)、そしてテーマ曲というべき「珍重」(サリー・イップ)と、音楽の使い方は秀逸だ。火と光を巧みに用いて登場人物の心象風景に迫る映像も印象的だ。ピースは魅力的でも、完成しないジクソーパズル……。こんな感じで心でショートせず、体の外で放電しているだけであった。

 物語は1999年にスタートする。舞台は山西省のフェンヤンだ。小学校教師のタオ(チャオ・タオ)に、実業家のジンチェンと炭鉱労働者のリャンズーが思いを寄せている。ジンチェンは軽薄な自信家、リャンズーは不器用とキャラは真逆だ。三角関係にときめきがなく、俺はATG作品を重ねていた。タオはジンチェンを選び、長男ダオラーをもうける。失意のリャンズーは街を去った。

 15年後の2014年、そしてさらに10年の月日が流れ、ダオラーがジンチェンと暮らすオーストラリアとフェンヤンがカットバックする。母と息子の絆とか望郷の思いとかが謳われているが、寸止め感が強くフィットしなかった。不要と思えるダオラーと語学教師とのエピソードにも感興を削がれた。俺の心は次第に作品から離れ、背景へと移っていく。ジンチェンは中国の拝金主義、リャンズーは貧困をそれぞれ象徴しているように感じた。

 感性の鈍った俺の評ゆえ、参考にしないように。でも、「妻への家路」より本作の方が優れているなんて映画ファンは、いないはずだけど……。
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「憲法の無意識」~タイムラグで憲法について考えた

2016-05-08 23:11:31 | 読書
 トランプの「費用を全額負担しなければ日本から基地撤退」発言は、憲法ともリンクしている。旧聞に属するが、憲法記念日には東京臨界防災公園(5万人が参加)をはじめ、護憲派が各地で集会を開催した。帰省中だった俺は、京都(円山公園)に行こうかと考えたが、親孝行を優先する。

 三十数年ぶりに政治活動に復帰してから2年余、多くの集会に足を運んだが、自分が政治に不向きであることを痛感している。回りくどい俺は、シュプレヒコールを唱和できないのだ。戦争法にはもちろん反対だが、<憲法が維持されていたから、日本人の手は血で汚れていない>という論理に違和感を覚えている。

 小泉元首相が憲法前文を引用してイラク派兵を強行したように、日本は常にアメリカの戦争に関わってきた。繰り返し記したが、<アメリカ=主犯、日本=従犯>の構図は朝鮮戦争勃発から変わらない。<日米≒共犯>体制こそ戦争法の実質で、基地撤退が実現しない限り、憲法の精神は全うできない。

 「世界」最新号に知人である武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)代表の杉原浩司さんの対談が掲載されている。兵器産業の中軸である日立、三菱、東芝は原発御三家でもあるが、連合傘下の組合に支持されている民進党は、武器輸出にも原発再稼働にも反対できない。そもそも自民党より先んじて武器輸出に動いたのは民主党(当時)の議員たちだった。岡田代表が戦争法廃案や護憲を主張しても信用できない。

 憲法についてモヤモヤ考えていた折、本屋で偶然、「憲法の無意識」(柄谷行人著、岩波新書)を見つける。冒頭で以下のように記されていた。

 <憲法9条には幾つもの謎がある。第一に、世界史的に異例の条項(戦争放棄)が日本の憲法にあるのはなぜか。第二に、自衛隊、多数の米軍基地が存在しており、その精神が実行されていないのはなぜか。第三に、実行されていないにもかかわらず、なぜ9条は残されているのか>(要旨)

 日頃の疑問が読了後、クリアになった気がした。日本史を俯瞰するだけでなく、カントら哲学者の考察をベースに、憲法9条の意味を提示している。さらに、<護憲派が憲法を守っているのではなく、9条によって護憲派が守られている>という指摘も刺激的だった。

 3日には改正派も集会を開いた。安倍首相がメッセージを寄せ、「日の丸」が掲揚された会場に「君が代」が流れていたが、俺はミスマッチと感じた。天皇(皇室)は現在、護憲のメッセージを事あるごとに発信しているからだ。改正派のシンボルだった昭和天皇は、朝日新聞主導の歴史の書き換えで〝平和主義者〟にすり替えられた。柄谷は昭和天皇の政治への関与(沖縄関連など)を挙げ、その死をもって1989年、象徴天皇制が実質的にスタートしたと記している。

 改正派は現憲法を押し付けと決めつけるが、GHQが自由と人権を尊重する民間の草案を参考にしたことは、証言によって明らかになっている。この間、クローズアップされているのは幣原喜重郎元首相である。幣原は皇室崇拝者で天皇制維持に腐心した。平和裡に日本占領を遂行したいというマッカーサーとの利害が一致したのだ。

 幣原はパリ不戦条約に外交官として関わった。その起点とされているのが、上記したカント著「永遠平和のために」だった。憲法1条<象徴天皇制>と憲法9条<戦争放棄>をマッカーサーに併せて進言したのは幣原だが、両者は当時、1条に比重を置いていた。

 柄谷は<憲法の無意識>を江戸時代に溯って分析している。イラクとアフガニスタンに派遣された自衛隊員のうち54人が自殺したが、彼らが苦しんだジレンマを、闘うことを許されていなかった江戸時代の武士に重ねていた。秀吉の対外侵略政策の反省の上に江戸幕府が成立したと柄谷は論じる。安倍首相が参院選で憲法改正をテーマに据えたら、江戸時代以降、日本人の心情に組み込まれた闘いを忌避する無意識を呼び覚まし、結果として敗北すると予測している。

 憲法にとっての脅威は何かを、本書を離れて考えてみた。結論は<資本の論理>である。戦争や武器製造は儲かるという錯覚が財界にある。政官財が推し進めた格差と貧困は排外主義を育み、若者は人的供給源になりつつある。条文だけでなく9条の精神を維持するためには、<資本の論理>から自由になることが出発点ではないか。
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レスター、新宿写真展、そしてモリッシーが暴くメディアの本質~京都であれこれ感じたこと

2016-05-05 16:00:36 | 独り言
 ゴールデンウイークは京都に帰り、従兄弟宅(寺)に泊まって、母が暮らすケアハウスを日参している。立派な造りで、サービスも行き届いている施設だが、ITに馴染んだ60代以下の入居には対応できていない。

 老人の貧困が深刻になっているが、母の世代(80代)は年金面において恵まれている……。いや、当然の処遇を受けているというべきか。適当に世を渡っている俺など、老後破産しても文句はいえない。でも、地道に生きている人でさえ下流老人予備軍というのはおかしい。この国はいつからか社会の設計を誤った。

 岡崎慎司が所属するレスターがプレミアリーグで優勝した。英ブックメーカーがシーズン前につけたオッズは5000倍。<エルビス・プレスリーが生きている>が2000倍、<ローマ法王がグラスゴー・レンジャーズでプレーする>が4000倍というから、衝撃の度合いが理解できる。

 格差と貧困の是正が世界共通の課題になり、パナマ文書が怒りを増幅させている折、貧乏チーム(年俸総額リーグ17番目)が金満チームをやっつけた。快哉を叫びたいところだが、レスターの総年俸が80億円前後と聞いて複雑な気持ちになった。ちなみに日本球界トップのソフトバンクは53億円である。

 帰省直前、「戦後昭和の新宿風景」(新宿歴史博物館)に足を運んだ。1945年から89年までの新宿を収めた100点ほどが展示されている。観賞しながら、先日紹介した「東京自叙伝」(奥泉光)を思い出し、曽根大吾が闊歩した新宿が甦る。俺が東京で暮らし始めた76年、新宿の高層ビル群を巨大な墓標に重ねた。天辺から監視されているように感じたが、40年経った今も見下ろされて帰途に就いている。

 トランプが共和党の大統領候補になった。トランプとマフィアの関係に言及している「デモクラシーNOW!」でインタビューに答えたノーム・チョムスキーは、<サンダース支持の若者は米国をいずれ変える力を秘めた集団」>と語っていた。現地でも日本でも、サンダースの主張は取り上げられない。アメリカの支配層にとって、格差是正を唱えるサンダースの方がトランプより厄介なのだ。  

 「ロッキング・オン」HPでは、エリザベス女王生誕90年とプリンスの死について、モリッシーの毒舌が爆発していた(ファンサイトからの転載)。タイトルは「プリンスはエリザベス2世よりよっぽど高貴」で、メディアを斬りまくる。<(バッキンガム宮殿からの指示に従い)かの陰険陛下が自身の90歳を祝っていることを伝え、さらに60年にわたって王位に「仕えてきた(あくまでも自分に仕えただけで国民に仕えたわけではない)国家元首を、連合王国全体が祝っていると報道された。しかし、実際に祝福された証拠などない>(要旨)……。

 遠く離れた日本でも、<日本人も含め全世界が祝福している>という論調だった。集団化を好むのは日英で変わらないが、2010年2月を思い出してほしい、チャールズ皇太子が乗るロールスロイスが、学費値上げ反対を訴えるデモ隊に遭遇した。車は学生たちに包囲され、皇太子は「おまえの母ちゃん(エリザベス女王)が法案にサインしたから、こんな事態を招いた」と罵られた。この事実が、〝みんなが祝福〟の嘘を暴いている。

 プリンスの死を報じるメディアにも、モリッシーは違和感を隠さない。<純菜食主義を長く貫き、畜殺制度の廃絶を長く主張してきたにもかかわらず、プリンスの輝かしい人生と悲しむべき死を報じたリポートでは、2つの点について触れられなかった。どちらも体制の利益を批判するものと見做されるからで、ガレー船の漕ぎ手の奴隷のような存在である僕たちは、そうした事実を知ることは許されていない>(要旨)……。

 モリッシーが指摘するように、メディアは何より〝体制の利益〟を最優先し、見えることのみ拘泥する。俺は緑の党会員として空気を変えたいと考え、行動しているが、好意的なメディアは東京新聞と週刊金曜日だけだ。メディアの実態を、不謹慎ながら地震に喩えると、起きてから騒ぐ野次馬だ。変革を志す者は、胎動を先取りしようとする鼠といっていい。俺もかつて野次馬だったが、今では一流の鼠になりたいと考えている。

 親類宅のミーコ(猫)と仲良くなった。従兄弟が驚くほどで、向こうから近づき甘えてくる。猫好きゆえ癒やしと安らぎを覚えているが、ミーコは俺の理想像、即ち鼠に気付いているのかもしれない。
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正義と悪、愛と憎しみの狭間に聳える「オマールの壁」

2016-05-02 02:42:33 | 映画、ドラマ
 キタサンブラックが天皇賞を制した。武豊の戦略と技術によるところは大きいが、持っている人たちのパワーを改めて思い知らされた。不断の努力に下支えされていることは言うまでもないが、北島三郎オーナーと武豊はまさに〝最強運コンビ〟である。日本人騎手が掲示板独占と、京都競馬場は20世紀にタイムスリップしたかのようだった。

 尊敬する知人である杉原浩司さんは武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)代表として奮闘している。NAJATは先日、豪州潜水艦商戦における日本敗北について声明を発表したが、興味深い視点も示されている。

 <中国の影>を強調し、<オールジャパンで武器輸出を推進すべき>と安倍政権を叱咤する報道もあったが、NAJATは豪州のNGO(戦争防止医療従事者協会)の声を紹介していた。<日本から潜水艦を調達することは、日本が長年守ってきた武器輸出禁止の原則を破り、新たな軍産複合体の台頭を助長しかねません>との危惧である。NAJATは日本以上に武器輸出に前のめりのフランスの市民に対しても、連帯を呼び掛けるという。反戦、反武器輸出を掲げるグローバルな潮流が生まれることを期待している。

 杉原さんは時に、ワンマンアーミーとして敵地に乗り込む。当人に「任侠映画の鶴田浩二や高倉健みたいですね」と言ったら苦笑していたが、都内で先日開催された「防衛装備シンポジウム」にも単身赴き、鋭く切り込んだ。標的は武器輸出のキーマン、防衛装備庁装備政策部長のH氏で、世界最先端の情報収集力を誇るイスラエルとの連携を推進している。

 内外のリベラル、左派にとり、イスラエルはアメリカを後ろ盾にした〝絶対的ヒール〟といえる。H氏はガザ無差別空爆を〝精華〟と称えているが、その前年(2013年)に公開された「オマールの壁」(ハニ・アブ・サハド監督、パレスチナ)を角川シネマ新宿で見た。キャパは小さいがソールドアウトの盛況である。日本公開までの3年のタイムラグは気になるが、世界の映画祭で幾つもの栄誉に輝いた作品である。

 主人公のオマール(アダム・バクリ)は、ヨルダン川西岸にイスラエルが建設した壁を越える。オマール、タレク、アムジャドの3人は幼なじみで、イスラエルへの抵抗に向けた作戦会議に参加するためだが、頻繁にタレク宅を訪ねるオマールにはもう一つの目的があった。魅力的なタレクの妹ナディア(リーム・リューバニ)に会うことである。

 多くの男性諸氏には、思い当たる節があるだろう。青春期、友人宅を訪れるうち、姉や妹にときめきを覚える。そして、友人を利用しているかような罪悪感に苛まれるのだ。しかも、恋敵はアムジャドだから、恋と友情の狭間で悩むことになる。太宰治風にいえば、オマールは<恋と革命に生きる男>だ。ナディアと結婚を誓ったオマールだが、愛が足枷になり、人生は暗転していく。

 友情に楔を打ったのは秘密警察のラミで、検問所襲撃で懲役90年を言い渡されたオマールの心に忍び寄っていく。ラミの毒はオマールだけではなく、他の同志にも回っていた。ハイテクの諜報活動で世界をリードするイスラエルだが、互いを疑心暗鬼に陥れ、敵対組織を自滅させていくという古典的な手段にも長けている。

 冒頭で軽々と壁をよじ登ったオマールだったが、2年の月日で<恋と革命への夢>は潰えた。ラスト近くでは、他人の協力がないと越えられなくなっていた。本作には肝ゼリフがある。タレクはオマールとアムジャドに「猿を捕まえるためには」と問う。答えは「砂糖による餌付け」だったが、この謎かけは物語の背景に通じていた。イスラエル人、とりわけラミにとってパレスチナ人は猿であり、砂糖を与えたらたやすく操れる存在と映っている。衝撃のラストで、オマールの心の中の壁は崩れた。

 友情と裏切り、煌めく恋と惑い、大義に生き、そして死ぬこと……。日常的にイスラエルの暴力に晒されるパレスチナの若者の日常が伝わってくる本作は、普遍かつ不変のテーマを追求し、神話の領域に到達している。<パレスチナ=正義、イスラエル=巨悪>という図式に縛られず観賞すべき作品だ。
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