酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

人生最高の年は暮れ~自分探しの旅路の果ては?

2005-12-31 02:18:33 | 戯れ言

 俺は死ぬ時、しみじみと思い出すはずだ。05年という人生最高の時のことを……。
 
 確かに、会社という鎖は切れた。かといって、重要な絆が断たれることはなかった。勤め人時代、相対的な物差しで測ってきた自分を、絶対評価という座標軸に置き換えて見極めることができた。多くの本や映画と出会い、あるいは再会し、己の無知を思い知らされた。その経験は、ブログに記した通りである。この日記は俺にとり、知識の断片や感覚の欠片を整理する収納ケースであり、自分探しのツールといえた。一年間、コンスタントに更新できてよかったと思う。

 以下に極私的05年ベストワンを、分野ごとに手短に記したい。

 書物なら死後の世界をテーマに据えた「タナトノート」(ベルナール・ヴェルベール)だ。名だたる思想家、哲学者の死についての箴言がちりばめられており、奥深く風刺の効いたSFだった。映画なら「奇跡の丘」か。パゾリーニは無神論者かつマルキストで、同性愛者としてスキャンダラスな死を遂げたが、そんな「悪魔」が描いたキリストは、清貧と犠牲的精神を清々しく説き、心洗われる思いがした。

 愛聴盤NO・1は今年もポーティスヘッドのライブである。時空を歪ませ、聴く者を異次元に誘うベスの歌声には、何度聴いても陶然とさせられる。スポーツでは、エディ・ゲレロの死が最大の衝撃だった。俺みたいに猪木・新間時代の新日からWWEに移行したエンタメ王道派にとって、エディは理想のレスラーだった。ちなみに、力道山が駆逐したはずのガチンコ路線には全く興味がない。

 年末年始はサラッと流す。最後に、ここを訪れてくれた人たちに感謝の気持ちを表したい。この一年、戯言に付き合ってくれてありがとう。良いお年をお迎えください。3日に年頭の誓いをアップする予定です。

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弾け続けたエネルギー~「永遠の未完」としての石川淳

2005-12-29 04:12:13 | 読書

 今日(12月29日)は石川淳の命日だ。18年前のこの日、88歳でこの世を去った。俺の能力では全体像を把握することは不可能で、曖昧なイメージを描いているに過ぎないが、好きな作家を一人選ぶなら、迷うことなく石川を挙げる。

 石川は苛烈な批評家でもあった。<老境に達して目も当てられぬほど堕落した。その怠慢が残念でならない>という内容の永井荷風追悼文は世を驚かせ、<一貫して傍観者であり、民衆のエネルギーを作品に内包する営為を回避した>という論旨で森鴎外を批判している。大家への手厳しい言葉は自らへの戒めで、石川自身、荷風や鴎外と同じ轍を踏むことはなかった。

 デビューは30代後半と遅く、還暦前後から本領を発揮し始め、81歳で最高傑作の「狂風記」を完成させる。立石伯氏は「石川淳論」で、<壮年期に於て老年を、老年に於て青春を考えた>作家であり、<以前に達成した仕事を否定するような新たな作品を創りあげることによって、たえず生成するものとしての作家になること>を課したと分析している。石川は脱皮と止揚を繰り返した作家であり、試行錯誤によって生じる破綻が、作品に顔を覗かせることもあった。

 古典に通底する饒舌な文体は、三島由紀夫、開高健と並ぶ日本文学の精華である。三島がモーツァルト、開高がベートーベンなら、石川の文体はロマ楽団が奏でる始原のリズムとカオスを秘めている。自らの10代から逃れ切れなかった三島、小説以外へと軸足を移していった開高と対照的に、石川は齢とともに質量をため、スケールとバイタリティーを拡充していった。日本人独特の情念や感性に根差していたからこそ、旺盛な創作意欲を保持できたのだろう。

 青年期の蒼さと苦悩を克服し、社会構造を熟知した段階でデビューしたことが、梁の太さになって表れている。自らを「人外」の存在と規定し、孤独を友に文学と格闘した石川だが、登場人物も作者を投影していた。疎外された者、排除された者たちが融通無碍に動き回り、倫理を紊乱させ、価値観を顛倒していく。青年期、アナキズムに傾倒したとされるが、限りない自由を希求し、形や制度に懐疑的だった。フランス語教師時代、左翼運動に関与して職を失い、「マルスの歌」が反軍的として発禁処分を食らった経験からか、腐敗する権力と空洞化する思想には与しないという姿勢が読み取れる。

 石川淳とは<永遠の未完>かもしれない。「きもちといふ不潔なもの」と表現しているように、個々の内面や葛藤を超越した虚構を設定し、宿命の糸に操られる独楽としての人間を描いた。<聖と俗>、<神話とご都合主義>の境界線上に成立したのが、「狂風日記」や「荒魂」といった傑作群である。どこか妖しく呪術的で、マジックリアリズムに近い部分もある。人生の最晩年を迎えたら、未読再読を問わず、石川淳の全作品を紐解いてみたい。冥途の土産として最高級の部類に属することは言うまでもない。
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「SUPER8」~クストリッツァが志向するもの

2005-12-27 03:09:41 | 映画、ドラマ

 この数年、エミール・クストリッツァと頻繁に出くわしていた。政治に弄ばれた家族の哀歓を描いた「パパは出張中」(84年)に感嘆し、カンヌグランプリ受賞作「アンダーグラウンド」(95年)の寓意とスケールに圧倒された。「SUPER8」(01年)で音楽の楽しみ方を再認識させられたが、この3本が同じ監督と気付いたのは、「きょうの世界」(BS1)がきっかけだった。番組内でクストリッツァ監督と紹介された中年男が、「野蛮な政治家や金に目がくらんだ資本家たちが、人々を憎悪に駆り立てた」とボスニア内戦についてコメントしていた。

 その個性的な顔にピンと来た。「SUPER8」の主役、ノー・スモーキング・オーケストラのギタリストだったからである。同作は欧州ツアー中のバンドに迫ったドキュメンタリーだが、内戦の癒えぬ傷が窺えた。クストリッツァ自身、「アンダーグラウンド」をセルビア寄りと非難され、苦悩した時期があったという。95年7月、スレブレニッツァの国連保護軍は「民族浄化」を掲げるセルビア軍に蹂躙され、数千人にも上るイスラム系住民の虐殺を防げなかった。地上軍派遣を渋ったクリントン大統領だが、軍需産業と連動してコソボを空爆し、多くの民間人の命を奪う。ステージから「ブラザー、シスターよ、美しい友情の始まりだ」と語りかけるクストリッツァの言葉に、民族が共存していた旧ユーゴスラビアへの郷愁がこもっていた。

 パリやベルリンでのライブは圧巻で、著名ミュージシャンとの共演シーンも見どころだ。その中の一人、故ジョー・ストラマーは「過去と未来を繋ぐ音楽だ。あいつらには敵わない」と絶賛し、クストリッツァのギリシャとユダヤの血に言及している。ノー・スモーキング・オーケストラはロマを含めた周辺地域のトラッド、パンク、ジャズ、クラシックなど、あらゆるジャンルの音楽の精神と形式を吸収し、坩堝で煮立てた。ストラマーがクラッシュ以降に関わったポーグスと同じ匂いがするバンドである。

 クストリッツァらしい醒めた目、ユーモア、風刺精神が隅々まで行き渡っていた。モノクロで紹介されるメンバーの素顔も微笑ましいが、さすがに自身は控えめに描いていた。ドラマーでもある巨漢の息子と力比べをして周囲を和ませるなど、どこにでもいそうな小汚いオッサンである。地下室でのセッション中、公安担当者が現れ身分証の提示を求めるシーンが印象的だ。決して自由といえない当地の政治風土の反映だろう。彼らの音楽が民衆の中で育まれたことは、葬式での演奏で日銭を稼いだというエピソードからも明らかだ。

 映画にせよ、音楽にせよ、クストリッツァは異質な要素を融合して昇華する当代一の才人だ。東欧の苦難の歴史を教訓に、<排除と差別>を超えた<共生>を志向しているのだろう。

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「壁」に潜む悪魔たち~クリスマスに感じたこと

2005-12-25 13:51:39 | 戯れ言

 俺のような外れ者は、クリスマスだからといって浮かれもせず、集いもせず、気に留められることもない。渇いた小石のように道の端、喧騒が去るのを待ちながら、来し方を振り返っている。

 JR西日本の事故、耐震データ偽装、アスベスト禍の表面化、アジアとの関係悪化、米国産牛肉輸入再開……。悪魔たちが目覚めた気配がする。悪魔といっても特定の個人や思想ではない。排除と差別に繋がる<壁と境界の思考>なのだ。「ご臨終メディア」で森達也氏が論じていたが、日本は無数の<世間>に分裂したようだ。<世間>の「壁」の内側で奨励される自己肯定ともたれ合いが、理念と節度に基づく<社会>を崩壊させる。耐震データ偽装の関係者が責め立てられているが、献金疑惑の森派、与党道路族、国交省、自治体、大手ゼネコンも悪魔の仲間と知れば、<メディア村>という<世間>は、ツルんで口をつぐむに違いない。

 アスベスト禍の放置は、<業界=学界=行政>が形成する<世間>のもたれ合いの結果だし、<世間のルール=効率至上主義>を<社会的役割=公共性>より上位に据えたことが、JR西日本の事故の遠因になった。<食物メジャー=ブッシュ=小泉>の利害が「壁」の外の安全性より優先され、米国産牛肉の輸入再開が決断された。

 深刻なのはアジア諸国との「壁」だ。<小泉=安倍>路線で外交の主導権を中国に奪われ、前原民主党代表まで「中国脅威論」を主張している。「壁」の内側で変化が起きつつある。日本人の中韓への親近感が急降下したという調査結果が、本日付朝日新聞1面に掲載されていた。排外主義という悪魔が闊歩しているが、米次期大統領に親中派ヒラリー・クリントンが就任すれば、状況は一変する。日本は自ら築いた「壁」に閉じ込められ、アジアの孤児になるからだ。

 偉そうなことをあれこれ書いたが、俺の中にも悪魔がトグロを巻いている。自分の資質に合わぬことに手を染めず、辛うじて飼い慣らしてきただけだ。裃(かみしも)を羽織って教員や公務員になっていたら、「壁」の向こうの住人になっていたと思う。プレッシャーやフラストレーションに追い詰められ、数百万程度の収賄、電車内の痴漢行為などで社会面を賑わせたことだろう。

 クリスマスに悪魔を論じるなんて、ひねくれ者にピッタリだが、俺だって悪魔より天使について語りたい。残念ながら天使の姿が見つからないだけである。

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有馬記念は大団円?~ディープは壁を突破できるか

2005-12-23 13:58:39 | 競馬

 今年の総決算、有馬記念が2日後に迫った。ディープインパクトへの注目度は半端ではない。競馬狂騒曲が鳴り響くクリスマスになりそうだ。

 ディープと古馬の比較なら、アドマイヤジャパンのJC10着、シックスセンスの香港ヴァーズ2着(ウィジャボードに0秒4差)が物差しになる。ディープは両馬に、一レース平均0秒8差をつけていた。三段論法になるが、JCに出走していれば勝った可能性が高い。だが、有馬の舞台はコーナーが六つある中山2500㍍で、ロスなく内々を回る馬が有利だ。ホームストレッチの大歓声で、菊花賞で見せた掛かり癖が誘発される心配もある。

 コスモバルクが玉砕的に引っ張り、タップダンスシチーがにじり寄る展開が予想される。「キーホース」を挙げればコイントスか。ゼンノロブロイ援護でタップ潰しに早めに動けば、デルタブルースも呼応し、流れはさらに厳しくなる。佐藤哲の迷いのなさ、外国人ジョッキーの嗅覚、武豊の細心、横山典の度胸……。騎手の読みと個性も見どころの一つだ。

 俺の本命はデルタブルースだ。昨年の菊花賞ではステイヤーとしての資質を見せつけ、掟破りの坂上からのスパートで押し切った。疲労残り(年間11戦目)で迎えた有馬は完敗したが、今年は3戦目と鮮度を保っている。⑮番枠が気になるが、ペリエの腕に期待したい。リンカーンを対抗に推す。大一番で真骨頂を発揮する横山典だが、ロブロイを天皇賞(2着)だけで下ろされ、お手馬ハーツクライまで奪われた。ここは意地の見せどころだろう。幸いなことに、逃げ、先行馬が近くの枠に揃った。経済コースに潜り込めれば、好勝負必至とみる。

 消すつもりでいたロブロイに、思いがけぬクリスマスプレゼントが届いた。栗東の雪である。追い切り翌日(22日)に馬場入りできなかった馬も多く、輸送にも普段より時間を要するだろう。関西馬の不利は、同馬にとってのアドバンテージだ。焦点になるディープだが、コース適性に加え、菊花賞の疲れが残った感もあり、評価を下げた。ハーツクライは府中向きと考え、見送った。

 結論。◎⑮デルタブルース、○⑭リンカーン、▲⑥ディープインパクト、△③ゼンノロブロイ、注⑨タップダンスシチー。3連単は⑮1頭軸で<⑮・⑭・⑥><⑮・⑭・⑥・③><⑮・⑭・⑥・③>の14点。⑨は単勝だけを買うつもりだ。

 天邪鬼ゆえ、ひねた予想になったが、ディープが勝てば素直に拍手を送る。古馬の壁を越えるのは容易ではないと考えるからだ。<大団円=ハッピーエンド>とばかり思っていたが、広辞苑を引いたら破局という意もある。ディープの勝利を願うファンの気持ちは届くのだろうか、明後日の3時半に答えが出る。

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「非国民」~心洗われるピカレスク

2005-12-21 02:53:06 | 読書

 別稿(12月7日)に記した「ご臨終メディア」を読むや、本屋に走り、森巣博著「非国民」(幻冬舎)を購入した。頁を繰り終えた今、胸を打つ清々しさで茫然自失状態にある。本作は心洗われるピカレスクであり、日本の荒廃を直視した社会派小説だった。

 バルガス・リョサは、構造への理解が作品の質を規定するという「全体小説論」を打ち出した。南米文学の巨人ゆえ、説得力は十分だったが、「基準」を満たす作家は日本にだってゴロゴロいた。80年代以降の「合格者」を挙げるなら、船戸与一、高村薫あたりか。森巣氏の方法論も瞠目に値する。「非国民」ゆえ、高い志を獲得しうるという逆説は、価値観が崩壊した国でこそ成立するからだ。

 東京・中野の薬物依存者更生施設「ハーフウエイ・ハウス・希望」が主要な舞台だ。証券会社で巨額の富を生んだ鯨、武闘派ヤクザとして鳴らしたスワード、暗い過去を持つ少女バイク、冤罪で少年院生活を経験した亮太の<悔悛を志す者>たちと、彼らをフィールドワークの対象にする豪州からの留学生メグの5人が、施設で共同生活を送っている。作者自身、ジャンキーの時期を経ており、依存者の描写は生々しい。<すべてが許される明日を夢見て、今日を耐える。忍ぶ。我慢する。凌ぐ。辛抱する。そして、打たれ越す>……。プロローグの一節は、言い回しを変えながら繰り返し現れる。心身を濾過し、純水の如き再生を目指す者と対照的に描かれるのが、二人の悪徳警官だ。芳賀と山折はギャンブルの魔力に魅入られ、役得で溜め込んだ黒い金を吐き出していく。

 本作には、警察官、国会議員、官僚、財界人、大学教授といった「健常国民」の実態が、時に詳細に、時に暗示的に記されている。「噂の真相」や「日本のタブーシリーズ」(宝島社)でさえひれ伏すしかない迫力だ。作者は駆け引きを熟知したワ-ルドクラスのギャンブラーで、フィクションであることの強みを最大限に活用している。都知事と暴力団の癒着とか、護憲派大物と警察腐敗との因果関係を仄めかせたところで、実在する人物とは無関係と逃げられる。豪州移住も、ギャンブラーの嗅覚を生かした「保険の一手」かもしれない。

 バブル処理が遅れた理由を鯨が語る場面が印象的だ。政官財トップクラスから逮捕者を出さないため、刑事責任の時効を待って着手したと指摘し、<今頃(03年4月初版)になって、「聖域なき構造改革」なんてほざいても遅すぎるな。おまけに、それを主張している連中こそが、本来今頃は塀の内側でしゃがんでなければならなかった奴らなのだから>と言葉を繋いでいる。フィクションであるゆえ、割引は必要だろうが、構造腐敗の実態に呆れ果ててしまった。

 絶望の淵にあるバイクにメグが語り掛ける。<穢れきっているのは、この社会なんだ。(中略)どんなに社会が汚そうとしても、決して汚れないほど、バイクは奇麗なんだ>と。森巣氏は世の穢れを穿つ激しさと、身を震わせて喘ぐ者への優しい眼差しを併せ持っている。それこそが、「非国民」であることの証明なのかもしれない。鯨は亮太にエスポア(希望)という名を与える。差別と排除を否定し、共生する世界を構築していく世代への願いが込められていた。

 日本再生の可能性について、森巣氏は一つの答えを提示している。即ち<底を打つこと>。浄化への道はどん底まで落ちてから開けるということか。底を突き抜ければ、破滅と地獄が待ち受けている。

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「アララトの聖母」~リリカルな叙事詩もしくは……

2005-12-19 03:13:59 | 映画、ドラマ

 シネフィル・イマジカで「アララトの聖母」(02年、アトム・エゴヤン)を見た。本作の背景はトルコによるアルメニア人虐殺(1915年)で、犠牲になった母を偲んで描かれたゴーキーの絵がモチーフになっている。エゴヤンが自らと同じくアルメニア系のシャルル・アズナブールを映画監督役に据えたことも、鎮魂歌としての色合いを濃くしている。

 本作は複層的なタピストリーで、映画が完成に至る過程と懊悩する二つの家族が、シンクロして描かれている。ラフィは美術史家の母アニと映画制作に協力する。義妹シリアは自らの父の自殺をめぐり、アニを心底憎み、突発的な行動に出た。シリアは血の繋がらないラフィの義妹で、恋人でもある。厳格な税関吏デヴィッドは定年を控え、心中穏やかでなかった。息子のフィリップがアリと同性婚状態にあるからだ。アリはトルコ人の俳優で、劇中劇で虐殺を指令する総督を演じている。

 映画のシーンとして織り込まれた痛ましい史実、ラフィとデヴィッドのやりとり、自らのルーツを求めトルコで撮影を敢行するラフィ、アトリエで制作中のゴーキー……。時系を行き来する構成だが、繊細かつ格調高い映像で物語が紡がれていく。ゴーキーをインスパイアしたもの、塗り潰された「母の手」の謎が明かされるなど、ミステリー的要素もある。試写会でアニが見た幻の男は、ゴーキーでもあり、自由に身を捧げたラフィの父でもある。真実を求める意志と、現実を受け入れる寛容さにより、崩壊寸前の二つの家族が再生への道筋を見いだした。邦題に付いた「聖母」には、普遍的な母性への敬意が込められているのだろう。リリカルな叙事詩もしくは、エピカルな抒情詩というべき作品だった。

 アルメニアにはフーの「アルメニアの空」しか思い浮かばなかった。観賞後に復習し、幾つかの事実に行き当たる。アララト山はノアの方舟が辿り着いた場所と、旧約聖書に記されている。アルメニア人は最初にキリスト教を受け入れた民族で、アララト山麓で独自の文化を育んできた。キリスト教の聖地と呼びうる地が、150万人もの血で汚されたのだ。

 数日前、BS第1「きょうの世界」で、本作の台詞と同じ趣旨のコメントを耳にした。ヒトラーは「アルメニア人虐殺を、一体誰が覚えているだろう」と切り出し、ユダヤ人抹殺の方針を伝えたという。トルコ⇒ドイツ⇒セルビアと、「民族浄化」という悪魔の思想が引き継がれていく。別稿(9月24日)に記したが、チョムスキーは「90年代最大の殺戮は、トルコ政府がクルド人に対して行ったものである」と述べている。「世界トップの弾圧国家トルコ」を支援してきたのが、「自由押し売り国家アメリカ」という事実も興味深い。




 
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ダンディズムの最後の輝き~仰木さんの死を悼む

2005-12-17 04:21:25 | スポーツ

 仰木彬さんが15日、肺がんで亡くなった。享年70歳である。昨年の殿堂入りパーティーを生前葬と位置付け、「俺に関わった連中をみんな集めろ」と金村氏に指示したという。「葬式は済んでいるから密葬に」というのが遺言だった。痺れるほど格好いい死に様ではないか。闘病の苦しみはおくびにも出さない。水面下で足を掻きながら湖を滑るハクチョウのように、グラウンドでの仰木さんは、飄々と涼しげだった。

 大半のプロ野球の監督は、中間管理職になぞらえるのが相応しい俗物である。管理職とは即ち、部下の手柄を我がものにして恥じぬ者のことだ。ここ20年の「名将」を思い浮かべてみよう。「外部の人間(星野氏)が監督になったらOBを辞める」と発言して狭量さを示した広岡氏は、外部(ロッテ)でふんぞり返っていた頃、バレンタインをクビにして、眼力のなさを露呈していた。野村氏も老いて頑迷さばかりが目立つようになり、選手のやる気を削いでいる。彼らと比べたら、仰木さんはスケールが三桁ぐらい違う。スケベで酒飲みと裃は着ないが、「たかが野球、されど野球」のサジ加減が抜群なのだ。個性を見極め、キンタマを上手に磨く。その元から、吉井、野茂、イチロー、田口がメジャーに羽ばたいていった。

 仰木さんといえば、監督ルーキーイヤー(88年)の<10・19>抜きに語れない。ロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば近鉄Vという大勝負を、俺は川崎球場の三塁側スタンドで見守っていた。ウイークデーの午後3時に野球観戦なんてマトモじゃない。普段なら近くのバクチ場でくすぶっているようなオッサンも、野次馬気分で詰め掛けていた。第1試合に引き分けてもジ・エンドだから、感激に与れる確率は25%以下だが、負け慣れた者には小さくない希望である。外れ者のシニシズムや疚しさは、神が宿った19イニングの一投一打に濾し取られ、純粋な感動に形を変えていく。

 <10・19>は役者が勢ぞろいした舞台だった。第1試合の先発はロッテ小川、近鉄吉井である。人生のマウンドでは世紀を超え明暗が浮き彫りになる。小川は転落し、吉井は仰木さんと再会して死に場所を見つけた。引退を決意した梨田が牛島を痛打する。逆転のホームを踏んだ鈴木は昨年、不帰の人になった。第2試合も息詰まる展開だったが、有藤監督の執拗な抗議が、血のように貴重な時を近鉄から奪っていく。10回裏、勝利を逃した近鉄ナインが守備に就くと、切なさでいっぱいになった。球史に残る8時間足らずの「フィールド・オブ・ドリームス」を締めくくったのは、仰木さんの演出だった。ビジターであるにもかかわらず、ナインとグラウンドに並び、スタンドに頭を下げたのだ。空気を読めぬ敵将と大きな違いである。中西コーチは精根尽き果ててうずくまり、多くのファンが泣いた。仰木さんはいつものように、笑みを口元に湛えていた。

 仰木さんは監督就任まで20年の月日を要した。有体にいえば干されていたのだ。西鉄時代、三原脩監督に可愛がられた仰木さんは、西本氏にとって胸に刺さった棘ではなかったか。大毎を率いて日本シリーズに登場した西本氏だが、三原大洋に4連敗と苦汁を呑まされた。阪急時代、三原近鉄を破って留飲を下げたが、移った先の近鉄に仰木さんがいた。西本退任後、近鉄は関口、岡本両氏に監督を託したが、芳しい成績は収められない。何年かは覚えていないが、西本氏は「プロ野球ニュース」で近鉄不振の理由を聞かれ、「ベンチ内で監督と逆のことを話しとる奴がおる」と激高した。怒りの対象は仰木さんだが、西本氏は自らの不明を恥ずべきだった。近鉄監督時代、仰木さんの才覚を認めて参謀に据えていたら、日本シリーズを制し、「非運の名将」の冠を返上していたと思う。

 矜持、恬淡、豪放、遊び心、色気、情熱……。仰木さんを形容する言葉は尽きることがない。一方で仰木さんの投手酷使を、三原野球の負の遺産と指摘する声もある。標準語だと迫力はないが、「骨は俺が拾うから、一緒に死んでくれるか」という川筋者の侠気が、仰木さんを支えていたのだろう。知将、マジックのイメージが浸透しているが、采配と生き様の根底にあるのは、今や死語になった「義」「信」「情」だ。仰木さんの死でダンディズムの輝きが日本から消えた。ご冥福をお祈りしたい。


<追記>友人からのメールで知りましたが、豊田泰光さんの追悼文に、日本シリーズでの出来事が記されていたようです。西本監督の作戦(代打起用)に三塁コーチスボックスから駆け出して異を唱えたものの、聞き入れられず、試合も落としたとのこと。俺が推論した感情的なもつれはあったのでしょうか(午後0時15分記)。
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没後32年~力道山というブラックホール

2005-12-15 02:47:25 | スポーツ

 今日(15日)は力道山の命日である。42年前のこの日、入院先で腸閉塞症を併発し、39年の人生を終えた。1週間前に刺された傷は深くなかったが、術後の不摂生で死に至った。東声会(山口組系)と住吉会の利権をめぐる争いに巻き込まれたというのが「公式見解」だったが、CIAをはじめ多くの組織が、謀殺説の主役に奉られた。

 1970年代後半、第2次プロレスブームが起きた。火付け役は「プロレス=プロセス」の視点を示した村松友視氏である。プロレスとは虚実ないまぜの境界で、演者(選手)の表現力が試される舞台であると力説していた。村松氏の著作に劣らず刺激的だったのは力道山を戦後史に組み込んだノンフィクションで、牛島秀彦氏らが健筆を振るっていた。

 力道山ほど数奇な運命に彩られたスターは稀である。朝鮮半島出身で、日本人の戸籍を与えられて二所ノ関部屋に入門する。差別を跳ね返して関脇まで番付を上げたが、唐突にマゲを切った。朝鮮人ゆえ横綱になれないと悲観した上での廃業というのが通説だが、旧態依然の相撲界に見切りを付けたのかもしれない。プロレス転向1年、年収は関取時代の20倍以上になったという。

 力道山の評価はデビュー時から高く、アメリカの専門誌でも上位にランクされていた。大関目前だったことを考えると、今でいえば琴欧州に相当する。ソップ型(筋肉質)でスピード、スタミナとも十分だった。強さなら引けを取らなかったのに、ショーに徹し切れず失速したのが、プロ柔道からの転向者たちである。そのうちの一人が大同山で、帰国事業で祖国に戻った後、金王朝入りした娘は後継者有力候補の金正哲氏を産んだ。

 「昭和史全記録」には60年12月の視聴率表が掲載されている。国民的番組の「ジェスチャー」、「お笑い三人組」、「私の秘密」が20~25%で上位を占める中、プロレス中継は40%弱でトップを独走していた。正力松太郎が発案した街頭テレビにより、力道山の知名度は飛躍的に高まった。汚い手でいたぶられた日本人(力道山)は堪えに堪え、我慢の限界に達する。空手チョップが爆発するや、悪い奴(アメリカ人レスラー)が白目を剥いてマットに沈む……。繰り返されるパターンは、自信を失くした日本人にとって無上のカタルシスだった。力道山は朝鮮人でありながら、屈折したナショナリズムの核に据えられたのである。

 力道山を支えた両輪は、児玉誉士夫と田岡一雄山口組組長だった。大野伴睦ら児玉の影響下にある大物政治家は、日韓条約批准の地均しに力道山を利用する。山口組傘下のプロダクションは美空ひばりらトップスターを押さえていたが、最大のドル箱はプロレス興行だった。マスコミとの癒着も甚だしかった。力道山は韓国で国賓級の歓迎を受けたが、AP打電の記事は三大紙に掲載されなかった。力道山に近い読売、毎日は当然のように黙殺し、朝日までも自粛する。背後にいる大物政治家を恐れたのが実情だろう。闇世界の結び目だった力道山が死ぬと、軌を一にして党人派の力が衰え、彼らと気脈を通じた暴力団への締め付けが強まった。死を悼む鐘は、新時代の訪れをも告げていたのだ。

 力道山は日本人になり切ろうとしたが、その一方で、金日成首相(当時)の親書を渡され感動したというエピソードもある。「金のなる木」に群がる有象無象に囲まれ、誰にも本音を明かすことなく、絶対的な孤独のうちにあの世に旅立った。力道山は個人的な思い出とも繋がっている。父は力道山の大ファンで、場外乱闘中に肩を叩いたことを自慢していた。父はお堅い公務員で、警察関係者からプロレスの内幕を聞かされていたが、目くじらを立てることなく、筋書きのあるドラマを楽しんでいた。

 力道山亡き後、プロレス人気は後退したが、質的には進歩を遂げた。オフステージの見せ方、軍団抗争、巧みなストーリーラインと、「猪木=新間コンビ」が確立したエンターテインメント路線は逆輸出され、アメリカのプロレスに多大な影響を与えた。ビンス・マクマホンは新間氏の貢献に感謝し、短期間ながらWWF(現WWE)会長に据えたほどである。力道山が蒔いたプロレスの種は、日本で大輪の花を咲かせた。最近しおれ気味だが、関係者が土壌改良に努めれば、瑞々しさを取り戻すことも可能だと思う。


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「夫婦善哉」~森繁久弥の色気と哀愁

2005-12-13 02:57:34 | 映画、ドラマ

 先日、衛星第2で放映された「立川談志~日本の笑芸百選」を見た。談志が幅広い分野から100人の芸をピックアップし、あれこれ論じるという趣旨である。極論の人ゆえ尊重されるというポジションを確立した談志だが、理屈っぽく見え、その実、情の人というのが遠目からの俺の分析だ。それはさておき、談志は番組をこう締めくくった。「伝統芸能を含め、自分が見た日本の芸人や役者で一番うまいのは森繁久弥である」と……。

 その名を知った頃、森繁は雲上人として丁重に扱われていた。尊大で嫌みなおじさんというイメージは、学生時代に見た映画で払拭される。ペーソスたっぷりに弱い男を演じるのが真骨頂と気付いたのである。中でも記憶に残ったのは「夫婦善哉」(豊田四郎監督)だ。この秋、スカパーで久しぶりに見る機会があり、森繁の器の大きさに改めて触れることが出来た。

 原作は織田作之助で、昭和初期の大阪を舞台にしている。若旦那の柳吉(森繁)は妻子ある身ながら、芸者の蝶子(淡島千景)と駆け落ちして勘当される。病身の妻が亡くなっても、蝶子を娶ることは許されない。このパターンは落語や舞台で頻繁に現れる。藤山寛美の松竹新喜劇では、心溶け合う大団円が用意されていたが、本作では情を跳ね返す封建制の壁が描かれていた。紆余曲折を経て、家の呪縛から解放された二人は、雪がちらつく中、肩を寄せ合い歩いていく。「夫婦善哉」とは「夫婦万歳」、「おもろい夫婦」といった意味だが、ほのぼの、しみじみ胸に染みるラストで、食べ物絡みのオチが示されるのも楽しい。

 本作は「浮雲」との2本立てで見た。「浮雲」にイマイチ感を覚えたことは別稿(5月10日)にも記した。いろいろ理屈をこねたが、「夫婦善哉」と比べ影が薄かったというのが本当のところだ。高峰秀子と淡島のヒロインは、美しさといい存在感といい互角である。富岡と柳吉のだらしなさ、いい加減さ、情けなさも五分の勝負だ。ともに55年公開で、当時も今も「浮雲」の方が高評価だが、俺の中のランクは違う。裃を着た感じの「浮雲」より、身も蓋もなくあけすけな「夫婦善哉」に断然惹かれているからだ。気性の勝った蝶子と「堪忍してえな」が口癖の柳吉が醸す空気は、俺にとって理想の「愛の形」でもある。談志の威を借るのは気が引けるが、森雅之をもってしても、「日本一」の森繁の前では霞んで見えた。
 
 同じく豊田作品の「猫と庄造と二人のをんな」(56年)でも、森繁は屈折したダメ男を演じていた。前妻、現妻、母親のエゴ丸出し女たちの板挟みになり、庄造は行き場を失くしていく。心を癒してくれるのは愛猫のリリーだけだった。庄造は静かな狂気に追いやられ、リリーを抱いて雨の中、裸で海辺を歩いていく。フランス映画のような暗示的なラストが印象的だった。「品格と色気と哀愁と」は森繁の随筆集のタイトルだが、「 」内に当人の魅力が凝縮されていると思う。

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