酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

PANTAさん追悼~流転し続けた自由な魂

2023-07-17 18:55:33 | 音楽
 PANTAさんが亡くなって10日経った。遅きに失した感はあるが、思い出を記すことにする。初めて会ったのは11年前。仕事先の整理記者Yさんに誘われ「PANTA隊」の一員として反原発集会に参加する。PANTAさんに驚かされたのは優しさと気配りだ。カリスマ然とは無縁で、様々な問いをぶつけた俺に丁寧に返してくれた。

 「『裸にされた街』が一番好きです」と伝えたが、思わぬアンサーがあった。10日ほど後、「アコースティックライブ」に足を運ぶ。アンコールが終わった時、PANTAさんと目が合った(気がした)。すると、「裸にされた街」のイントロが流れたではないか。俺は痛く感動した。代表作を尋ねると、答えは「クリスタルナハト(水晶の夜)」だった。同曲収録曲を演奏する際、「俺はもちろんイスラエル支持ではない。今のイスラエルはパレスチナに対するジェノサイド国家」と前置きしていたのを思い出す。

 クリスタルナハトとは、ユダヤ人が経営する商店やシナゴークをナチスが襲撃し、900人以上が殺された夜を指す。「30周年ライブ」に足を運んだが、記憶に残っているのは「メール・ド゙・グラス」を歌うシーンだ。♪ヤバーナ(日本人)のニュースは聞いたかい シノワ(中国)で途絶えたままでいるが……という歌詞がある。水晶の夜の前年、南京大虐殺が始まった。PANTAさんはMCで、「日本人が誰も歌っていない南京、重慶、関東大震災(における朝鮮人虐殺)について、いつか曲にしたい」と話していた。

 菊池琢己とのプロジェクト「響」による「オリーブの樹の下で」(2007年)も傑作だった。重信房子さんの裁判を傍聴し、往復書簡で交流を深めたPANTAさんは、彼女の詩に曲を付けたアルバムを発表する。女性革命家ライラ・ハリッド(パレスチナ評議会議員)を歌った「ライラのバラード」や「七月のムスターファ」などライブのハイライトになった曲も多い。ライラは来日した際、重信さんの支持者に寄せたメッセージで、<彼女を裁くことは、抑圧された人々の連帯行為を裁くことであり、更に正義を、解放闘争の戦士を裁くこと>(概略)と記していた。

 PANTAさんは数々の名盤を発表している。頭脳警察を<パンクの魁>と捉えることも出来るが、アシッドフォークに分類する論者もいる。ギターとパーカッションの編成はT・レックスそのもので、PANTA&HALの「マラッカ」にマーク・ボラン追悼の「極楽鳥」が収録されている。グラムロックへのオマージュが強い。

 1980年3月に発表された「1980X」をニューウェーヴ的と評するのは事実誤認だ。キュアーの2ndアルバム「セブンティーン・セコンズ」は80年8月、エコー&ザ・バニーメンの1st「クロコダイルズ」は同年7月、ニュー・オーダーの1st「ムーヴメント」は81年11月……。ニューウェーヴの主要バンドが形を整える前に、UK勢に先行してニューウェーヴ的な音を奏でていた。

 PANTAさんの創造性は世紀が変わっても衰えることはなかった。上記した「オリーブの樹の下で」は2007年で、12年には頭脳警察名義で画期的なアルバム「狂った一頁」を発表する。同名の映画(1926年、衣笠貞之助監督/川端康成原作)に感銘を受け、ライブ形式でサントラを制作した。日本的な情念に根差した詩を、変調を繰り返す分厚いサウンドに塗り込めている。闇を舞う言霊と音霊を捉えたようなアルバムだった。

 「乱破」(19年)はPANTAさんが楽曲を提供した芝居「揺れる大地」と連動した濃密なアルバムだった。反骨精神と知性に和のテイスト、自嘲とユーモアが織り込まれ、50年来の盟友TOSHIとのコンビネーションも完璧だった。芝居も見たが、終演後、出口近くで歓談していたPANTAさんに挨拶すると、「フェイスブック、やってる? 繋がろうよ」と言われ、帰宅して友達申請する。俺のことを覚えてくれていたのだ。

 PANTAさんは時代を牽引した同志たちへの思いをMCで語っていた。遠藤ミチロウもそのひとりで、2度のジョイントライブが記憶に残っている。ともに1950年生まれで、山形大学園祭実行委員会のメンバーだったミチロウが頭脳警察を呼んだことが出会いのきっかけだった。ミチロウも4年前に召されている。

 PANTAさんは一部で〝裏ジュリー〟と呼ばれていたらしい(自称?)。沢田研二に提供した「月の刃」を歌う際、「反原発や護憲を訴えるジュリーにお株を奪われ、裏PANTAになった気分」と笑いを誘っていた。40年以上前、帰省した俺は伯母宅を訪れた。伯母は当時60歳前後で、〝元祖イケメン好き〟だった。俺が「ニューイヤーロックフェス」にチャンネルを合わせると、偶然にもPANTA&HALが演奏していた。伯母の第一声、「この人、鼻筋通ってえらい二枚目やな」には正直驚いた。

 PANTAさんについて、多く語り継がれていくことだろう。幸運にも素顔に接することが出来た俺にとって、PANTAさんは角張ったパブリックイメージではなく、しなやかで優しい人だった。50周年ライブの際、HPでリクエストを募ったところ、1位に輝いたのは「万物流転」である。ファンはPANTAさんの自由な魂を知っていたのだ。
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