酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「灰とダイヤモンド」~永遠に褪せぬ輝き

2008-09-14 00:38:06 | 映画、ドラマ
 小泉元首相のお墨付きに、小池百合子氏は大はしゃぎしていた。新自由主義導入を改革と言い換え、格差拡大を招いた小泉氏こそ、傾城のリーダーではなかったか。

 羽生善治名人が渡辺明竜王への挑戦権を得た。全7冠永世位獲得が懸かる羽生と、若手のオピニオンリーダーである渡辺との頂上決戦は来月18日、パリで開幕する。

 さて、本題。今回は「灰とダイヤモンド」(58年)について記したい。NHK衛星第2は「映画監督アンジェイ・ワイダ~祖国ポーランドを撮り続けた男」に続き、「灰と――」ら3作を放映した。久しぶりに見たが、鮮烈な輝きはいささかも褪せていなかった。

 ドイツ降伏の日(1945年5月8日)、ワルシャワ近郊のある町の出来事を追った群像劇で、主人公マチェク(スビグニエフ・チブルスキー)はワルシャワ蜂起の生き残りという設定だ。

 本作の底流にあるのは反ソ感情だ。ワルシャワ蜂起では20万人以上の市民が犠牲になったが、真の敵はナチスの蹂躙を座視したソ連軍である。戦後の傀儡政権樹立を画策していたスターリンは、“抵抗勢力”になりそうな自由主義者を見殺しにする。

 マチェクに与えられた使命は労働者党書記シチューカの暗殺だった。誤爆で工場労働者たちを殺したにもかかわらず気が咎める様子もなく、ホテルのバーでウエートレスのクリーシャ(エヴァ・クジジェフスカ)をナンパする。孤独と絶望を共有した2人の逢瀬は、陰影に富みロマンチックだ。白眉というべきは雨の中、荒れ果てた教会を訪ねるシーンである。

 たいまつの如く火花を散らし 我が身を焦がす時 自由となれるを汝は知るや 持てるもの全て失われ 残るのは灰と混沌 嵐の如き深淵の底深く 永遠の勝利の暁に 燦然と輝くダイヤモンド……。

 クリーシャが墓碑に刻まれたノルヴィトの詩を読み、マチェクが諳んじた部分を続ける。「私たちは何」と問うクリーシャに、マチェクは照れながら「君こそダイヤモンドだ」と答える。初めての恋は濾紙になってマチェクの魂を浄化するが、永遠と刹那に彩られたラブシーンはたちまち暗転し、過酷な現実に席を譲る。

 検閲を意識したのか、シチューカは葛藤を抱えた人格者として、自由主義者たちは冷徹な官僚として描かれている。シチューカが自らを撃ったマチェクに体を預けた時、祝勝の花火が打ち上がった。

 カラスの群れが舞う空の下、マチェクはゴミ捨て場で苦悶しながら息絶える。本作が検閲をクリアしたのは、党幹部の目にラストシーンが勧善懲悪と映ったからだが、世界中の映画ファンは異なる思いを抱いた。ある者は美しく散ったテロリストに共感し、ある者は儚い恋の余韻に浸り、ある者は非人間的な管理体制への怒りに身を震わせた。

 <「灰と――」で描きたかったのは善と悪の対立ではない。本当の悲劇は善と善が闘った時に起こる>とワイダは上述のドキュメンタリーで語っていた。9・11以降の世界は、ワイダが示唆した通りに動いている。○○主義、××イズムが人間を不幸に、不自由にすることを、「灰と――」は教えてくれた。

 あれこれ理屈をこねたが、エヴァ・クジジェフスカの美しさに触れるだけでも、本作を見る価値がある。彼女ほど<灰の底深く輝くダイヤモンド>の表現に相応しい女優が、この世に存在しただろうか。





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