酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

小沢、サルコジ、天皇賞etc~春の雑感あれこれ

2012-04-28 20:12:42 | 戯れ言
 1980年代半ば、帰省した俺に、父は「この男はいずれ天下を取る」と予言した。この男とは当時、〝竹下派七奉行〟のひとりとして表舞台に登場したばかりの小沢一郎氏である。父は政治通ではなかった。根拠は姓名判断で、父は鑑定家レベルといえるほどその方面に明るかった。予言はほぼ的中したが、決定的な反証が身近にいた。パーフェクトな名を授けながら、期待にそぐわぬ息子である。

 姓名判断などハナから信じていなかった俺だが、齢を重ねるうちに感じ方が変わってきた。俺には能力がなく、善根を積んでいるわけでもない。遊びには精力を注ぐが、世を渡る努力とは無縁だ。そんな老いたキリギリスが不景気のさなか、〝素浪人ライフ〟を満喫している。命名による開運だとしたら、父に感謝するしかない。

 強制起訴されていた小沢氏に無罪判決が下った。<小沢=絶対悪>の世論誘導には違和感を覚えていたが、いまだ〝小沢幻想〟に憑かれている信者には首をかしげざるをえない。3・11以降、小沢氏が原発の是非を含むエネルギー問題で提言したことはあっただろうか。東北選出議員として被災地で汗水流したという報道もなかった。小沢氏は政治家としての肝というべき<発信力>が欠落している。TPPについても、小沢氏は沈黙を守った。消費税増税反対は正しいが、内実より<マニフェストを裏切った>という筋論に終始している。

 3・11以降、政治の世界に地殻変動の兆しが見える。小野寺五典衆院議員(自民党、宮城6区)は震災後、選挙区(気仙沼など)を回って特定郵便局の役割を実感し、「郵政民営化に賛成してよかったのか自問自答した」(論旨)と語っていた。小泉政権時に席巻した従米と排外主義に則った<居丈高なショナリズム>は収まり、経済発展より環境を重視し、絆や子供たちの未来を最優先に考える<柔らかなナショナリズム>が浸透しつつある。

 TPP反対や脱原発はその流れを示す例で、民族派、保守、中道、リベラル、左派が恩讐を超えて共闘するケースが頻繁に見られる。永田町の政局に拘泥する小沢氏とその周辺が新たな動きをキャッチし、潮流の軸になるとは到底思えない。

 来月6日の決選投票に世界の耳目が集まるが、サルコジ仏大統領は虚偽の演説でピンチに立たされている。昨年春の来日時、東京止まりだったのに、「福島に行った」と事実と異なる内容を語ったことが問題になっている。

 サルコジ大統領の顧問といえばジャック・アタリだ。その著作「21世紀の歴史」(06年)は示唆に富む内容だったが、リーマン・ショックと世界同時不況という現実が、同書を名著の座から引きずり下ろす。アタリはAIGとシティ・グループを絶賛し、多くのフランス人が信じる公平、平等といった価値に冷淡だった。サルコジ≒アタリは明らかで、サルコジが新自由主義をフランスに導入した結果、軋轢が生じる。フランスの伝統に立脚する<柔らかなナショナリズム>と、移民排斥やEU脱退を主張する<居丈高なナショナリズム>が、反サルコジの機運を形成しているようだ。

 役所広司、萩尾望都、辻原登が紫綬褒章を受章する。〝発見〟したばかりの辻原の名に複雑な思いがするが、日本の作家や映画監督は、作品と勲章は別物と考えているらしい。「苦界浄土」などで水俣病を告発した石牟礼道子さんにまで叙勲の内示があったというから驚きだが、当然のように断った。ちなみに、〝本籍アメリカ〟の小泉元首相は、叙勲制度そのものに疑義を呈していた。

 昨日(27日)の朝日1面に興味深い記事が掲載された。天皇、皇后の意思を受けた宮内庁は、<葬送の簡略化>を検討しているという。俺は当ブログで、昭和天皇や皇室の構造的な在り方を批判してきたが、現在の天皇には親近感を抱くことさえある。中道からリベラル、左派は好意的で、保守派は距離感を覚える……。現在の天皇は歴史上、例を見ない奇妙な座標に位置している。

 04年秋の園遊会で、「日の丸掲揚、君が代斉唱が日本中の学校で行われるように尽力しています」と得意げに語りかけた米長邦雄9段(現将棋連盟会長、当時東京都教育委員)を、天皇は「強制にならないことが望ましい」と諌めた。天皇と皇后は3・11後、高濃度の放射能が計測された福島県内にも足を運び、被災者を慰問した。天皇は左翼色の濃い沖縄の地方紙を購読しており、「選挙権があったら護憲派の社会党に投票するのでは」なんてジョークがかつて語られたこともあった。<葬送の簡略化>指示は、天皇の民主主義への理解の深さゆえと考える。

 最後に天皇賞予想、いや、その前に青葉賞の結果について。POG指名馬フェノーメノ(怪物の意味)が快勝し、ダービーで皐月賞上位馬に挑む。これまでディープブリランテに頼っていたPOGで、フェノーメノが新エースになった。ダービーは夢の2頭出しになる。継続騎乗の可能性が高い蛯名を勝利騎手インタビューで見て驚いた。43歳とは思えないギラギラしたオーラが溢れていたからだ。

 初騎乗で結果を出した蛯名と対照的に、フェノーメノで2度へぐった岩田が男を下げた形になる。乗りに乗っている蛯名、自分の腕を証明したい岩田は今頃、打倒オルフェーヴルの秘策を練っているに違いない。前走で狂気の血を覗かせたオルフェが大外18番枠に入り、俄然面白くなった。

 今年7勝と絶不調の藤田の奮起にも期待し、馬券は⑧ギュスターヴクライ(蛯名)、⑮ヒルノダムール(藤田)、⑯トーセンジョーダン(岩田)、⑱オルフェーヴル(池添)の3連単ボックス24点で。あしたは久しぶりにWIN5を買う予定だ。


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涙にかすんだモリッシー~ロックイコンの褪せぬ煌めき

2012-04-25 23:35:26 | 音楽
 実家のある亀岡で悲劇が起きた。亡くなった2人(胎児を含めれば3人)の冥福を祈るとともに、重傷を負った児童たちの快復を心から願っている。

 バルセロナのCL準決勝敗北、ダルビッシュと黒田の日本人対決、名人戦第2局(羽生が勝ち1勝1敗)と気になる闘いが続いたが、目が点になったのはNHK杯将棋トーナメント(22日放映)である。茶髪にノーネクタイのホスト風いでたちで登場した佐藤紳哉6段が、対局前のインタビューでプロレスラーばりのマイクパフォーマンスを披露する。豊島7段の若さに似合わぬ落ち着いた指し回しに闘志は空回りしたが、慣習を破る勇気に感心した。

 昨24日、ZEPP東京でモリッシーを見た。サマーソニック'02を急な肉離れで断念して以来の来日公演は、俺にとってモリッシー初体験でもあった。オープニングは「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」でハイライトは「ミート・イズ・マーダー」、締めは「スティル・イル」と、スミス色の濃いショーだった。大抵のライブと異なり、予習なしで臨む。その声と出会って28年、心に沈潜していたモリッシーが像を結ぶや、涙腺が緩んでしまった。

 ♪十五、十六、十七と 私の人生暗かった 過去はどんなに暗くても 夢は夜ひらく……。「圭子の夢は夜ひらく」を自身になぞれば、<二十五、二十六、二十七と 俺の人生暗かった>となる。大学卒業後、定職も夢も愛もなく東京砂漠で息を潜めていた俺は、スミスの1stアルバム発売と軌を一にして、勤め人になった。

 帯に書かれた<20年ぶりの衝撃>とは、ビートルズ以来の大物という意味である。誇大に思えたキャッチフレーズだが、的を射ていた。NME誌の読者は<最も影響力のある20世紀のバンド>にスミスを選んだ。解散のショックで、多くのファンが後追い自殺したことも知られている。スミス、そしてモリッシーは、最もロックを必要とする者――引きこもり、同性愛者、弱者、繊細で生きづらい少年少女、社会的不適応者――にとり、唯一無比の存在である。

 ライブでは多くの若者がステージに上がってモリッシーに触れ、救われたような表情でフロアに戻る。英国では節度が保たれていたが、アメリカではそうはいかない。突進した若者で大混乱に陥り、公演が中止に至る経緯を収めたのが「ライブ・イン・ダラス」(92年)だ。

 モリッシーのピークは90年代前半までで、52歳の現在、博物館入り寸前と決めつけていたが、声も肉体もフレッシュなライブに触れ、勘違いに気付く。才能枯渇どころか、現在がキャリアのピークなのだ。最新作のチャートアクションをレディオヘッドと比べてみる。レディオヘッドはUK7位、US6位。モリッシーはUK3位、US11位と全く遜色ない。ジャパンツアーではすべての会場で、曲目や曲順を大きく変えていた。日本嫌いと噂されたモリッシーだが、全身全霊を込めてファンに接している。

 モリッシーが二つのアンビバレンツに支えられるロックイコンであることを、生で接して再認識した。一つはチープさと聖性で、映画監督に例えればタランティーノに近いイメージだ。オープニングは画期的で、ニューヨーク・ドールズやサンディー・ショウらお気に入りのアーティストの映像がスクリーンに流された後、幕が上がってモリッシーとバンドが登場する。「ロックなんてチープなもんさ」と言いたげなモリッシーだが、神の如き聖性を纏っている。触れるだけで自分の内側が浄化される……。そんな錯覚に浸れるロッカーは、モリッシー以外に存在しない。

 第二のアンビバレンツは内向性と肉体性だ。オスカー・ワイルドに影響を受けたモリッシーの詩は文学的、耽美的と評される。ライブを支えているのは、ソプラノの声と鍛え抜かれた肉体による不格好なアクションだ。昨日もお約束で上半身裸になっていた。スミス時代から一貫しているのは、政府や王室に刃を突き付ける姿勢だ。昨年のロンドン蜂起を明確に支持した数少ないロッカーのひとりがモリッシーである。

 24日夜はソロ初期の代表作「エヴリデイ・イズ・ライク・サンデー」、「ザ・ラスト・オブ・ザ・フェイマス・インターナショナル・プレイボーイズ」、「モンスターが生まれる11月」がセットリストになかった。その代わりにスミス時代の曲が演奏されたのは、上述した通りである。俺と同世代の人も多く、その目が潤んで見えたのは気のせいか。生まれる前の曲に盛り上がる若者の学習能力の高さも驚きだった。

 引きこもりのモリッシーはジョニー・マーが差し出した手に導かれて世界の扉を開けた。だが、商業的成功を志向するマーに、純粋なモリッシーは耐えられなくなった……。これがスミス誕生と崩壊の神話である。

 俺は今回のライブで確信した。フェス仕様かもしれないが、モリッシーとマーは同じステージに立つと……。リバティーンズやストーン・ロ-ゼスの復活が話題になったが、スミスとなると衝撃度は比較にならない。来年以降のグラストンベリーが、その舞台かもしれない。
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「アーティスト」~愛に支えられたモノクロームのマジック

2012-04-22 23:34:22 | 映画、ドラマ
 「レッスルマニア28」にはイマイチ感が否めなかったが、翌日のRAWは一転して胸躍る展開になった。アルベルト・デル・リオが復帰し、世界王者シェイマスと対峙する。俺がデル・リオを〝現在最高のレスラー〟に挙げるのは引き出しの多さゆえだ。ルチャ、レスリング(五輪代表)、そして総合格闘技での実績と、ミル・マスカラスを伯父に持つデル・リオは、複数の華麗な仮面を纏っている。

 エンディングに更なる衝撃が走った。エンターテインメント(WWE)と総合格闘技(UFC)の対極の舞台で頂点を極めたブロック・レスナーが登場する。とはいえ、強さは必ずしもプロレスには求められない。史上最強レスラーの復帰は、WWEにとって両刃の剣になる可能性大だ。

 バルセロナを2対1で破ったレアル・マドリードが、リーガ優勝を事実上決めた。両チームには羽を休める間もなく、チャンピオンリーグ準決勝第2レグが待ち受けている。初戦の負けを跳ね返し、決勝(ミュンヘン)でリマッチ……。織り込み済みのシナリオ通りに運ぶだろうか。

 新宿で先日、「アーティスト」(11年、ミシェル・アザナヴィシウス監督)を見た。アカデミー賞、セザール賞など様々な栄誉に浴したサイレント映画である。テンポの良さ、ダンスシーンなど印象的な場面の数々、俳優たちの見事な表現力と個性、効果的な音楽に魅せられ、稠密に、鮮やかに時は流れた。

 本作は公開されてから2週間で、いずれ多くの方がご覧になるはずだ。ストーリーの紹介は最低限に、以下に感想を記したい。

 サイレントの代表作として頭に浮かぶのは、「戦艦ポチョムキン」、「カリガリ博士」、「街の灯」、「メトロポリス」だ。表現主義、ダダイズム、シュルレアリズムなど様々な芸術運動が世界を席巻した1920年代、映画もまた、最先端の文化だった。政治とも無縁ではなく、フリッツ・ラングやチャプリンの作品には、共産主義への憧憬が投影されていた。

 映画は自分の外か内か……。抽象的な分類になるが、大抵の映画は自分の外にあり、包み込まれるような感覚、映像が描く世界のひとりになったかのような錯覚に浸ることもある。モノクロームのサイレントは、心的風景と重なる映像が心の内に沈んでいく。「アーティスト」も同様の作品だった。

 サイレント映画の大スター、ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)に憧れるペピー(ペレニス・ペジョ)は、端役から人気者へと上り詰めていく。トーキーの移行によって映画は娯楽の要素が強くなり、ペピーの声は大衆を魅了する。時代に合わせることを拒否したヴァレンティンの転落に拍車を掛けたのが大恐慌だった。本作には傑作群へのオマージュがちりばめられており、パンフレットにはいくつもの作品が紹介されていたが、黒沢について言及されていなかった。

 ペピが衣紋掛けのヴァレンティンの衣装を抱きしめる場面、音がヴァレンティンを苦しめる場面と並んで印象的だったのが階段のシーンだ。過去の栄光にしがみつくヴァレンティンが下りる階段を、スターの座が約束されたペピが上っていく。明暗くっきりの場面に思い出したのが「生きる」だ。がんを宣告された主人公(志村喬)が暗い顔で下る階段を、華やいだ若者たちが上っていく。早坂文雄によるシーンとズレた音楽も効果的だった。

 恋愛映画として見れば、感触は「浮雲」(成瀬巳喜男)に近い。荒波にもがき主体性を持てない男、自らの意志を前面に健気に生きる女という構図である。ペレニス・ペジョが監督夫人と知り、妙に納得した。「アーティスト」は愛する人の魅力を全世界に伝えたいという思いが詰まった、監督からのラブレターでもある。節目節目で大活躍する主人公の愛犬マギーの名演技も、見どころのひとつだった。

 「アーティスト」は俺のようなひねくれ者さえ丸め込んでしまうほど、奥行きを感じさせる作品だった。世代が異なる〝父娘的〟関係にも見えたヴァレンティンとペピだが、演じた両人の実年齢は4歳しか違わない。これもまた、モノクロームのマジックだろうか。



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「紀伊國屋寄席」で達人たちの話芸に痺れる

2012-04-19 23:20:52 | カルチャー
 今月10日の稿で、辻原登の発見を<魔物との邂逅>と表現した。「枯葉の中の青い炎」に続いて「円朝芝居噺 夫婦幽霊」を読み、その思いを強くする。作品のテーマだった三遊亭円朝は歴代の名人の中で別格とされ、言文一致体を確立させた<近代日本語の祖>とも称される。

 円朝の未発表作が速記の形で発見された経緯、5回に分けて演じられた噺の中身、詳細な脚注、肝といっていい「円朝倅 朝太郎小伝」……。ノンフィクションタッチだが、後景に退いた史実、事実、真実は蜃気楼のように揺らぎ始め、読者は辻原がこしらえた精緻な迷宮で彷徨うことになる。<物理世界と精神世界のシンクロニシティ>(「枯葉の中の青い炎」から)を追求する辻原は、マジックリアリズムの域に到達している。

 辻原はデビューして20年以上経つ。遅きに失した感は強いが、俺はようやく異次元に潜む魔物を発見できた。少しずつ作品に触れ、広大で深遠な全体像に迫っていきたい。

 落語つながりではないが、先日「紀伊國屋寄席」に足を運んだ。落語に直に触れたのは、知人に誘われた「大銀座落語祭」(08年7月)以来のこと。ちなみに当時、俺は公私とも底に落ちていた。出版不況のあおりと自らの実力不足で仕事は減り、「このままいけば、俺はホームレスかな。まあ、いいか」と落語の登場人物のように鷹揚に構えていた。

 その「大銀座落語祭」で発見したのが柳家権太楼で、「幕末太陽傳」(57年、川島雄三)のベースになった「居残り佐平次」に聞き惚れた。TBSチャンネルの「落語研究会」で権太楼の話芸に触れるうち、ライブで再会したくなる。「紀伊國屋寄席」がその機会になった。

 ラインアップは、柳家小蝠「人形買い」、桃月庵白酒「お見立て」、林家木久扇「松竹梅」で、仲入を挟んで桂小文治「蛙茶番」、柳家権太楼「子別れ 浮名お勝」と続く。初心者の俺がもっともらしく解説できるはずもない。この顔ぶれが現在の落語界でどのような位置を占めているのかもわからないが、キャッチーでないことは、客の年齢の高さからも窺える。

 周りのお馴染みさんたちの目に、一見の俺は異物に映ったはずだ。俺は耳を傾けながら考えている。だから、笑うタイミングを外してしまうのだ。日常で凡ミスを繰り返し、失笑を買うのは得意の俺だが、笑うことに慣れていない。前寄りの真ん中という特等席で、<落語は聞くだけでなく見るもの>であることに気付く。

 落語との出合いは10代前半だった。深夜放送の時間帯に落語を流すラジオ局があり、チューニングして時に導眠剤に使っていた。その習慣が抜けず、古今亭志ん生のCDを買い集めたりしたが、「落語研究会」で三遊亭圓生の高座を見て、眼光の鋭さに圧倒される。噺家はきっと、客と真剣勝負しているのだ。馴染みさんが多いのか、年齢層は、男女比は、反応は……。噺家は座った瞬間から客たちを観察し、当日の進行を決めるのだろう。

 今回、興味深かったのが枕の部分だ。小蝠は談志の思い出を軽妙に語り、白酒は北朝鮮のミサイル不発を盛り込んでいた。ビジュアル系カバーアルバムのジャケットが話題になった木久扇など、延々と続く枕と演目の境界がわからなかった。権太楼と白酒の噺で登場人物の名がダブっていた。「お見立て」で客を手玉に取る花魁、「子別れ 浮名お勝」で男が吉原で再会したお勝の旧名がともに喜瀬川だった。もともとそうだったのか、権太楼が白酒の高座を聞いて拝借したのかわからない。最も印象的だったのは小文治の「蛙茶番」で、オチも面白かった。艶笑噺の側面もあり、取り締まりの対象になったこともあったという。

 お目当てだった権太楼だけでなく、5人の話芸に芯から痺れた。機会があれば、再度寄席を訪ねたい。不断の修練と切磋琢磨で身に着けた目の凄み、豊かな表情、声色の使い分け、瞬時のアドリブを堪能しつつ、対照的な顔が浮かぶ。仙谷政調会長代行をボスに戴き、原発再稼働を強行する野田首相、枝野経産相、前原政調会長、細野原発担当相の狼5人衆だ。無表情な能面で髑髏の心を隠す輩が闊歩している。心から笑える日が、この国に来るだろうか。


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闘いを演じるアメリカ人~「スーパー・チューズデー」&「レッスルマニア」

2012-04-16 23:36:18 | カルチャー
 POG指名馬ディープブリランテは皐月賞で3着に終わった。「競馬予想TV!」でお馴染みの水上学氏は<欧州の重厚な血を受け継いでおり、スタミナは十分>とブリランテを評しているが、行きたがる気性が治まらない限り、ダービー制覇は難しそうだ。

 俺はこの間、原発再稼働に躍起の野田政権中枢を<国民の血を啜る狼>と断じてきたが、「集団自殺」発言から群れのボスが見えてきた。若かりし頃、法律家の卵として全共闘活動家の救援を担当していた仙谷政調会長代行である。初心や志は時とともに褪せるものだが、仙谷氏ほど腐らせた例は稀なはずだ。

 ファッショ的手法が目に余る橋下大阪市長だが、大飯再稼働を進める民主党を批判し、反・脱原発を総選挙の争点に据えると宣言した。再生可能エネルギーを志向する飯田哲也氏、「原発こそ公務員改革の本丸」と主張する古賀茂明氏をブレーンに迎えるなど態勢を固めている。原発コングロマリットに喧嘩を売るなら命懸けだ。橋下氏は覚悟を決めたのだろうか。

 ファジーを好む日本人と対照的に、闘いをエンターテインメントの域に引き上げたのがアメリカ人だ。新宿で先日、「スーパー・チューズデー~正義を売った日」(11年)を見た。アメリカ民主主義の虚妄、そして、平等、公正、公平といった理念が捻じ曲げられていく過程を、本作はリアルに描いている。真正リベラルのジョージ・クルーニーが監督だけでなく民主党大統領候補を目指すモリス知事を、ライアン・ゴズリングが辣腕の選挙参謀スティーヴンを、それぞれ演じている。

 海外派兵中止、格差是正、企業への増税、環境重視、同性婚の公認と、モリスのメッセージはクルーニー自身と重なる。スーパー・チューズデーを控え、モリス陣営の勢いに陰りが見え始めた。海千山千が蠢く世界でスティーヴンは致命的な失策を犯すが、鋭い刃で反転攻勢に出る。きっかけはモリスのスキャンダルだった。「ブルーバレンタイン」と「ドライヴ」で絶望、孤独、狂気を表現したゴズリングは、本作で冷酷さとしたたかさを併せ持つ青年を好演していた。

 続いて第28回「レッスルマニア」の感想を記したい。流れを毎週追っている俺にとって、釈然としない内容だった。

 90年代後半、映画「ウォリアーズ」を模した不良軍団、有色人種連合、風紀紊乱のDXといったユニットを送り出したWWEは、反体制的ムードとサブカルチャーの匂いを醸し出していた。RTCなど宗教保守を笑いものにするギミックだったが、ある時期から右に舵を切る。リンダ・マクマホン(元CEO)は一昨年秋、ティーパーティーの支持を得て、コネチカット州の上院議員選に共和党から出馬する(結果は落選)。

 上層部の覚えがいいベビーフェースのシナに異変が起きた。ファンなんて簡単にコントロールできると高を括っていたのだろうが、手を尽くしてもシナへのブーイングが収まらない。そのシナはメーンでロックと対戦し、ありえない、いや、あってはならない役割を演じさせられた。現役トップレスラーが8年も試合から遠ざかっていた俳優に負けるという結末は、プロレスの否定であり冒瀆と映る。

 茶番としか言いようのない世界王座戦に目を覆ったし、ファンから最も高い支持を得ているランディ・オートンの扱いも酷いの一語だ。〝世界最高のレスラー〟の資質を誇るアルベルト・デル・リオはストーリーラインから外され、試合巧者のクリスチャンも不可解な形で直前にリタイアする。CMパンクとジェリコのWWE王座戦がまずまずの内容だったことが救いだった。

 アンダーテイカーとトリプルHによるヘル・イン・セル戦は、壮大な叙事詩だった。特別レフェリーを務めたショーン・マイケルズを含め、入場から退場までレジェンド3人が葛藤と敬意を完璧に表現する。この<旧世代の最後の闘い>こそ、メーンに据えるべきだった。

 政治家もプロレスラーも、見えざる巨大な掌で踊っている。オバマも反抗できなかったし、日本の民主党も同様だ。勇気を持ってシナリオを逸脱すれば、どのような未来が待ち受けているのだろう。


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突然の訃報と皐月賞~岩田&ブリランテを粛々と応援する

2012-04-13 14:41:39 | 競馬
 名人戦第1局は森内俊之名人が羽生善治2冠を下し、幸先いいスタートを切った。NHKの中継で新たなキャラを発見する。知と理を前面に出す他の若手棋士と対照的に、門倉啓太4段は天然ボケで、大盤解説場に詰めかけたファンの笑いを誘っていた。師匠の石田和雄9段から自虐的な語り口を受け継いでいるのだろう。

 北朝鮮のミサイル発射は失敗に終わった。この間の経緯に、各国の打算が透けて見える。露・中・韓は<金王朝崩壊⇒移民流入>を恐れ、アメリカは〝ならず者国家カード〟を保持したい。国際社会は北朝鮮をサンクチュアリにとどめておきたいのだ。

 一連の騒動に、松本清張の「神と野獣の日」(1963年)を思い出す。友好国の誤発射により、核爆弾が1時間以内に東京に到達するというSFだ。我執、怨嗟、煩悩が行間に滲む清張作品らしく、街は野獣と化した男たちに蹂躙される。不発弾と知って安堵したのも束の間、新たな核爆弾が接近する。蛮行に怒った神が下した罰の如く……。

 ミサイル以上に危険なのが原発だ。広瀬隆氏は講演で、<次なる地震が原発事故を誘発したら、日本中で「タイタニック」級の混乱が起きる。幼い順から子供、そして女性と、避難のルールを準備しておくべき>と説いている。野田政権が原発再稼働を推進すれば、「神と野獣の日」が現実になる日が来る。

 訃報に愕然とする。POGのメンバーであるKさんが先月末に召された。ご冥福を心から祈りたい。前回ドラフト会議の稿(11年6月12日)で、<テキヤの大将風のKさんは、包容力、気概、ユーモアが滲み出る全共闘世代>とその魅力的な人物像を紹介した。入院されたことは風の便りに聞いていたが、快復を信じ、再会を心待ちしていた。当ブログの読者でもあったKさんは、拙い言葉に苦笑いを浮かべていたに違いない。

 皐月賞の枠順が確定した。予想も何も、俺はPOG指名馬ディープブリランテを応援するだけである。<俺には贔屓はない>と前稿に記したが、競馬は例外だ。POGに参加してから、指名馬に愛おしさを覚えることさえある。古馬になってからも、出馬表に名を見つければ馬券の軸に据えることが多い。

 ブリランテは周りが手を焼くやんちゃ坊主だ。レース前にいれ込んで汗ぐっしょり、ゲートが開けば引っ掛かってガーッと行きたがる。そんな気性が災いし、共同通信杯とスプリングSでは直線でマークする勝ち馬に差された。指名馬でなければカモとみて切るだろうが、愛がそれを許さない。矢作調教師と厩舎スタッフの努力に賭けることにする。

 3枠⑥番は理想的だ。メイショウカドマツが内から先行し、外からゼロスが絡む。気負わずに3~4番手を進めれば、ブリランテにチャンスが生まれる。⑨ワールドエース、⑭ゴールドシップ、⑱グランデッツァが中団以降で牽制し合うのも勝利の条件だが、敵は他馬ではない。自分との闘いに負けたらジ・エンドで、ダービーなんて覚束ない。路線を変更し、NHKマイルに進むのも一つの手だ。

 ブリランテとコンビを組む岩田は、POGで最も世話になっている騎手だ。プレッシャーには弱いが、断然の1番人気から解放されるのもプラスに働くだろう。願望馬券で⑥ディープブリランテ1・2着付けの3連単を買う。⑨⑭⑱の人気馬と、抽選を突破した⑧サトノギャラントを絡めるつもりだ。

 POGに参加して5年目を迎え、競馬界の景色が少しずつ見えてきた。<この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば>と詠んだ藤原道長以上に栄華を極めるのが社台グループだ。権門から〝破門状〟を突き付けられたのが武豊で、良好な関係を築いてきた有力厩舎も、社台を恐れて右に倣えだ。

 勝ち組だった武豊も都落ちした義経さながらだが、今は非社台馬主の義理と人情に支えられている。非社台のディープインパクト産駒で武豊がGⅠを勝つ……。そんなシーンを期待させるのがモハメド殿下所有馬ディサイファで、侠気のある小島太師も武豊支援を公言している。俺の指名馬でもあるディサイファは新馬戦で3着に終わったが、夏に才能を開花させ、菊花賞に駒を進めてほしい。

 二本柳俊夫、戸山為夫、鶴留明雄ら恩情ある調教師が、馬主から騎手を守っていたのは昔の話。社台との距離の近さが死命を制する競馬サークルでは、格差拡大が夥しい。気分は〝アンチ社台〟でも、POGで指名するのは社台系……。これがPOGで勝つための鉄則だ。

 お会いするのはドラフト会議の一日だけだったが、Kさんの競馬への情熱と知識、そして恬淡とした佇まいに感銘を受けてきた。来季以降もPOGに参加し、Kさんの域に少しでも近づきたい。


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「枯葉の中の青い炎」~辻原登という魔物との邂逅

2012-04-10 23:26:16 | 読書
 7日夕、六義園に足を運んだ。ライトアップされたしだれ桜が永遠と一瞬を綾なす様を、心と瞳に焼き付ける。桜は見る者を狂気に誘うというが、この国は果たして、正気を保っているのだろうか。

 10日付朝日朝刊1面に「大飯 おおむね適合」の見出しが躍っていた。福島原発も3・11以前、〝おおむね安全〟だったはずが、地震でひとたまりもなかった。「おおむね」で再起動に邁進する野田政権、それを狂気の沙汰と思う俺……。いずれかが確実に狂っている。

 ダルビッシュは5点取られて初勝利、イチローは3安打と痛み分けに終わった。球春が到来したが、気持ちはいまひとつ盛り上がらない。最大の理由は贔屓がないことだが、俺は逆に、特定チームを応援し続ける気持ちが理解できない。恋愛だって、対象が変質すれば気持ちが冷める。「形より本質を追求する」といえば聞こえがいいが、俺は単に浮気性なのだろう。

 試合は見ないだろうが、野球小説を読もうと思い立ち、辻原登の「枯葉の中の青い炎」(新潮文庫)を購入した。全6編のうち、表題作を含め2作が野球をテーマに綴られている。想像していた作風とはまるで違い、〝魔物との邂逅〟が正直な感想である。

 共通しているのが複層的な構造だ。寓話が織り交ぜられて虚実の境界線が曖昧になったり、人間の二面性を鮮やかに描いたり、史実と幻想が擦れ合って炎が立ち込めたりと、ボルヘスやエンデが構築した迷宮に立ち尽くしているような感覚だ。紛れもない事実を下敷きにした作品もあるが、それが動かし難いものなのかあやふやになってくる。

 当ブログでマジックリアリズムに則った小説を多く紹介してきた。南米からインド系、英語圏の作家たちに受け継がれた手法だが、辻原もまた、日本の風土で醸成されたマジックリアリズムを確立している。全編を貫く崩壊感に、阪神淡路大震災の影響が窺える。

 ここでは「野球王」と「枯葉の中の青い炎」の野球小説に絞りたい。「野球王」は奇妙な構成の作品だ。ナボコフの短編「マドモアゼルO」について記し、O・ヘンリーの「桃源境の短期滞在客」やエレベーターの歴史へと飛び火する。10㌻以上も脱線しておいて、「さて、野球王である」と本題に入る。それから12㌻ほどで物語は終わるのだ。長編がどのような構成なのか確認したくなった。

 本題では車谷長吉を彷彿させる私小説の色調が濃くなる。野球王は作者の小学校の同級生で、手に負えない悪ガキだった。作者はその暴力を恐れ、遠く離れた中学に入学する。野球王は次第に頭角を現し、1番打者の捕手として南部高を甲子園に導く。角が取れた野球王は社会人で技量を磨くが、運命は暗転する。

 同窓会の経緯はフィクションで、野球王の半生はノンフィクションだ。「私は、この文章の上にいる。それとも、内にいる。この一筋の文章の上を、あるいは内を歩いてゆく」と自身の方法論を披歴した後、辻原は野球王の最期の様子と秘めた思いを想像する。ちなみに、エレベーターの話は、後段と密接にリンクしていた。

 「枯葉の中の青い炎」を読んで、巨人ファンだった10代の頃の野球への情熱、そして10・19の光芒が甦ってくる。テーマは最晩年、史上最弱のトンボ・ユニオンズに所属していたスタルヒンの300勝達成だ。選手名や試合展開は事実に即しており、作者はチームメートのアイザワにスポットライトを当てる。

 スタルヒンが日本に流れ着いた白系ロシア人なら、アイザワは日本が進駐したミクロネシアの血を引いている。戦争の影を背負った2人のドラマを、辻原は見事に創り上げた。スタルヒンの勝利が風前の灯になった時、アイザワは祖父に教わった呪術の封印を解く。「願いは叶うが、災いが降りかかる」という祖父の警告は、思わぬ形で現れた。ちなみに、スタルヒンはその後、3勝を積み重ね、通算303勝で現役を終えた。

 「物理世界と精神世界を秘かに結ぶシンクロニシティは、日常世界にいくらでも起きていることではないか」とラスト近くに記した作者は、<意識の複合体が世界を形成する>と確信しているのだろう。辻原ワールドに触れたくなったので、続けて「円朝芝居噺 夫婦幽霊」を読み始める。来週は「紀伊國屋寄席」に行くが、予習にはなりそうもない。


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健全なナショナリズムの可能性は?~桜の時季に思うこと

2012-04-07 15:09:49 | 社会、政治
 1年前、俺は独り、中野通りでウオーキング花見に興じた。夕陽に白く煌めく花に死の影を重ねたが、宴に連なる人々に怒りや不安の色は滲んでいなかった。「右大臣実朝」(太宰治)の有名な一節、<アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ>が俺の脳裏をかすめる。

 諸外国は当時、日本在住の自国民に、<女性と子供を関東以西、可能なら国外に退避させるべし>と通達していた。片や日本政府は、福島第1原発から20~30㌔圏内の住民を自主避難にとどめ、海外メディアや反原発側の批判を風評と断じていた。

 <秘密主義、棄民、言論弾圧を前提に成立する暴力装置というべき原発を守るためなら、狼はいかなる手段も厭わないからだ>(11年4月9日)……。

 花見の稿を上記のように結んで1年、狼は獰猛さを増し、<野田―枝野―前原―仙谷―細野>の5人組は、大飯原発再稼働を拙速に進めている。理念や良心と無縁の獣の目に、放射能に蝕まれる可能性が高い若者の未来は映っていないのだろう。この国は今、存亡の秋(とき)を迎えている……と書くと、「おまえはナショナリストに転向したのか」と訝る知人もいるだろう。俺の中で情念と感性の和製化は3・11以降に拍車が掛かった。

 三島由紀夫の自決で、その首と胴のように、ナショナリズムは左翼やリベラルから切り離された。衣鉢を継いだはずの右派だが、一水会ら少数の例外を除き、三島の遺志を捻じ曲げる。アメリカに隷従し、アジア各国には強面に出る排外主義にナショナリズムは堕してしまう。〝本籍ワシントン〟の体育会的ナショナリストの代表は小泉純一郎元首相や前原誠司政調会長だ。

 風土や環境を守りたい、子供たちを放射能に晒したくない。だから、原発は止めよう……。政治信条にかかわらず共有できる思いを顧みず、政官財とメディアは再稼働を既成事実した。醜い構図が透けた結果、日本人の心情の底にさざ波が生じ、うねりになって広がりつつある。

 「もう一度、脱亜入欧を」と説いていた西尾幹二氏を、俺は〝本籍ワシントン〟に分類していた。ところが3・11以降、西尾氏は杉並の反原発デモに参加し、ラディカルや共産党とも共闘している。TPPも政治地図を塗り替えつつある。国会では再右派に位置する稲田朋美衆院議員は、相容れないはずの福島瑞穂社民党党首とともに、反TPPデモの先頭に立っていた。

 〝右派と左派の野合〟と冷ややかに見る向きもあるが、日本の近現代史をひもとけば、ナショナリズムが軽やかにハーフラインを行き来していたことがわかる。2・26事件のイデオローグとされる北一輝は10代の頃から反皇室主義者で、大逆事件に連座する可能性もあった。戦前の右翼は中国革命に身を投じたり、インド独立運動を支援したりと、左翼以上にインターナショナリズムを理解していた。

 血盟団ら右翼テロリストが弾圧に屈しないマルキストにシンパシーを抱いていたことが、「天皇と東大」(立花隆著)に記されていた。<反米愛国>はラディカルな政治闘争を支えた心情のひとつで、全共闘の若者は日本的情念が迸る任侠映画に熱狂した。敗北して行き場を失くした学生が、任侠団体に草鞋を脱ぐケースもあったという。

 WOWOWは先日、任侠映画の白眉とされる鶴田浩二主演の「博奕打ち 総長賭博」(68年)を放映した。久しぶりに見て、様式美に男女の機微を織り込んだ完璧な作りに改めて感嘆する。

 人々の記憶から消えつつあった本作にスポットライトが当たったのは、公開1年後のこと。死を射程に入れていた三島は本作を「ギリシャ悲劇に通じる構成を持つ傑作」と激賞した。滅びること、縛られること、殉じることをテーマに小説を書いた三島は、本作に強く心を揺さぶられたのだ。一方で全共闘の学生は、中井(鶴田)の「任侠道、そんなものは俺にはねえ。おれはただのケチな人殺しだ」という台詞、松田(若山富三郎)の壊れっぷりにシンパシーを抱いたはずだ。

 ナショナリズムは時に強さを志向するが、3・11以降、柔らかで優しい日本独自の<健全なナショナリズム>の醸成、いや、復活の気配を感じる。やがて強い風になり、<石原―橋下>が唱える居丈高な強者の論理を吹き飛ばしてくれることを願っている。

 取りとめなく書き散らかしてしまった。俺は今から六義園に向かい、ライトアップされた桜を堪能する。そして明日は桜花賞……。◎⑦メイショウスザンナ、○⑫プレノタート、▲⑩ジェンティルドンナ、注⑧マイネエポナの4頭を組み合わせて買うつもりだ。真面目に書いていても、俺を動かしているには常に煩悩だ。


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「ウルフ・ホール」~時空を超えた歴史小説

2012-04-04 23:20:53 | 読書
 3日の「報道ステーション」に出演した元東電社員の木村俊雄氏は、「地震学の定説に沿えば日本に原発は造れない」と断言していた。福島原発で原子炉の運転と制御棒の管理に携わっていた山本氏は、「原子力安全委員会でさえ駄目と言っている」と政府の姿勢に批判的だった。巧みに役割を分担しつつ再稼働を主導しているのは、野田首相、枝野経産相、前原政調会長、仙谷同代行、細野特命相の5人組である。

 上下巻で900㌻超の「ウルフ・ホール」(早川書房)を読了した。政治、信仰、人間の本質を追究した歴史小説で、ヒラリー・マンテルはノーベル賞へのステップといえるブッカー賞、全米批評家協会賞を同時に受賞した。タイトルは英国の諺「人間は人間にとって狼である」から採られた。上記の5人組も羊(国民)の血を啜る狼の類といえるだろう。

 舞台は16世紀のイングランドで、トマス・クロムウェル、トマス・モア、クロムウェルを育てたトマス・ウルジーの<3人のトマス>が核になって物語は進行する。クロムウェルが主人公でモアが敵役という設定が斬新だ。「わが命つきるとも」などモアを高潔な殉教者として描いた作品は多いが、一方のクロムウェルは成り上がりの謀略家というイメージが強い。本作には列聖したモアの残虐さも記されていた。

 ピカレスクを読むつもりだったが、時空を超えた壮大な構図に魅せられていく。現在に至る課題を内包しているからこそ、本作は多くのメディアからベストワンに選出されたのだろう。細かい点を挙げてもきりがないので、俺が気付いた骨組みを大雑把に記したい。

 クロムウェルとモアの邂逅と別れが象徴的だ。鍛冶屋の息子クロムウェルは幼い頃、モアと出会う。名家出身で将来を嘱望されていた7歳上のモアと、明日をも知れぬクロムウェルとは別世界の住人だった。クロムウェル少年のことなど歯牙にもかけていなかったモアは、期待通り名声を得て大法官に上り詰める。

 父の暴力から逃れるため、クロムウェルは故郷を離れて欧州を放浪する。傭兵として、商人として、法律家として、キャリアを積んだクロムウェルは、数カ国語を操るバイリンガル、各都市にコネクションを持つ実業家、敏腕法律家として帰国する。身に付けたもので最も価値が高いのが、日本風でいえば侠気だ。自らを重用したウルジー枢機卿がヘンリー8世の勘気に触れ失脚した後も、最後まで忠誠を尽くした。その信義の厚さゆえ、ヘンリーはクロムウェルを腹心に据える。

 イングランドは当時、ヘンリーの離婚問題で大きく揺れていた。ヘンリーは愛人アンとの結婚を望むが、ローマ教皇、王妃の母国スペイン、フランスとの外交問題が横たわる。オスマントルコの伸張でヘンリー包囲網が形成されなかったことに加え、クロムウェルの決断と交渉力によってイングランド国教会が成立し、アンは正式に王妃として認められた。

 クロムウェルとモアは新旧の価値観を代表する存在になる。カトリックに忠誠を誓うモアはイングランドでは反逆者と見做され、クロムウェルに裁かれることになる。ちなみにクロムウェルは、禁書だった英訳聖書を読み、ルター派にもシンパシーを抱いていた。異端と正統は1530年代のイングランドで、劇的に倒立する。クロムウェルの変革者のDNAは、清教徒革命の指導者になる一族のオリバー・クロムウェルに継承された。

 2人のトマスは信仰だけでなく、世界の二大潮流の起点になる。クロムウェルは新興ブルジョワジーの象徴で、資本主義的な思考を欧州遍歴で身に付けていた。一方のモアは、南米を訪れた知人にインスパイアされ「ユートピア」を著わした。階級のない平等な社会のイメージは、カール・マルクスに大きな影響を与える。

 大枠だけ記したが、当時のイングランドの習慣、風潮、疫病の恐怖、残酷な刑罰、外交を巡る諜報戦も織り込まれていた。本作はクロムウェルが栄華を極めた時点で終了しているが、5年後にモアと同じく断頭台で最期を迎える。絶望と暗転が文学の最高の題材である以上、続編を心待ちしている。


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孤独が駆る「ドライヴ」~クールな余韻のクライムムービー

2012-04-01 23:28:19 | 映画、ドラマ
 週末、日本人アスリートが海外で健闘した。世界フィギュアで高橋が銀、羽生が銅と結果を残したが、審美眼に欠ける俺は同競技に無関心である。男女が明暗を分けた卓球の世界選手権は、映像をニュースで見た程度だった。土壇場で苦汁を呑んだ石川佳純の今後の飛躍に期待している。

 欧州サッカーでは、レアル独走で帰趨が決したリーガから、日本人選手が活躍するブンデスやプレミアに関心がシフトしている。香川は優勝争い、宮市は降格圏脱出と、所属チームがともに正念場を迎えている。直近の試合では、ともに目標に向け貢献していた。

 何より注目したドバイワールドカップデーでは、メーンを含め日本馬が轡を並べて惨敗した。衰えが見えてきたスマートファルコンとトランセンド、ダービー(09年)から勝利に遠ざかっているエイシンフラッシュのラインアップでは、ヴィクトワールピサの再現は難しかった。世界と勝負といえば、凱旋門賞に挑戦するオルフェーヴルなら見せ場をつくれそうだ。

 俺は密かに、来年に期待を寄せている。POG指名馬ディープブリランテを管理する矢作調教師は、今年も2頭をドバイに送り込んだ。選択肢は三つと考えるが、いずれかのレースにブリランテを登録するのではないか。オーナーがモハメド殿下の未勝利馬ディサイファ(小島太厩舎)も、成長いかんで挑戦する可能性がある。来年はワクワクしながらドバイミーティングを迎えたいものだ。

 前置きは長くなったが、池袋で昨日(31日)、「ドライヴ」(11年、アメリカ)を見た。メガホンを執ったニコラス・ウィンディング・レフンが本作でカンヌ映画祭監督賞、気鋭のライアン・ゴズリングとキャリー・マリガンの共演となれば超満員のはずが、客席はガラガラだった。

 今年ブログで紹介した「永遠の僕たち」、「哀しき獣」、「預言者」、「おとなのけんか」も閑古鳥が鳴いていたが、「ドライヴ」は公開初日の土曜日夜7時の回である。俺が好むタイプは、映画だけでなく、音楽、書物も流行らない傾向が強い。自分の疫病神ぶりを再確認した。

 「ブルー・バレンタイン」で絶望の淵に沈んでいくディーンを好演したゴズリングだが、本作には役名がなく、「ドライバー」とクレジットされるのみだ。家族や経歴という属性と切れた漂白者という設定である。「わたしを離さないで」で語り部キャシーを演じたマリガンに、俺はミア・ファローを重ねている。孤独なドライバーと可憐な人妻アイリーンの交流がガソリンになり、物語はひめやかに、ひそやかに街を疾走する。切迫感あるカーチェースも見どころのひとつだ。

 腕のいい車の修理工、ハリウッドのスタントマン、そして強盗の逃がし屋……。車に関わる三つの仕事を掛け持ちするドライバーは、はにかんだ表情や優しい目とアンビバレントな顔を持つ。スイッチが入れば狂気を剥き出しにする〝獣〟が殻を食い破るのだ。

 ドライバーの個性だけでなく、鮮やかなコントラストで彩られた作品だった。記憶に残るのが、ストリップ劇場とエレベーターでのバイオレンスシーンだ。凄まじい暴力をマネキンのように無表情で眺める楽屋のストリッパーたち、そして、キスの直後に横たわる血まみれの死体……。家庭や生活は、穏やかな日常の上に成立している。ドライバーが境界線を超えた刹那、アイリーンとのラブストーリーは現実世界で幕を下ろした。

 「ドライヴ」は虚飾と無駄を省いたクールなクライムノベルといえる。善意が暗転し、マフィアまで闘いの構図に加わる中、ドライバーの暗い情念が点火した。彼の心の闇を遡らないのも、ストイックなトーンゆえだろう。ギャング映画さながらの悪の匂いを放つ個性派が脇を固めていた。前々稿で記した「青い塩」のソフトランディングとは対照的に、哀切なラストが純粋な愛の形を浮き彫りにする。ドライバーの駆る車の行き先は、さらなる孤独、もしくは死による孤独からの解放なのだろうか。

 俺は饒舌に愛を語るタイプだが、それがたびたび失敗の原因になってきた。そうはいっても、言葉抜きなら無視され、気付かれないまま終わるのがオチだったろう。寡黙な愛はライアン・ゴズリングのようなイケメンだけの特権に相違ない。


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