酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「解放区」~フェンスの先は楽園か

2019-10-28 23:21:19 | 映画、ドラマ
 帰省を挟んでこの10日余り、内外のニュースをチェックする機会が減っていた。気になっていたことを枕で記す。

 知人の杉原浩司氏が代表を務める武器取引反対ネットワーク(NAJAT)は先日、日本とイスラエルの軍事連携を掲げるイベントを主催した日経新聞前で抗議活動を行った。背後に控えるソフトバンクの孫正義氏は、武器、セキュリティー面で最先端を行くイスラエルに接近している。就任直後にトランプ大統領と面会するなど、孫氏は悪の枢軸<米-イ-日>のキーパーソンだ。

 健康に不安を抱えるバーニー・サンダースを心配していたが、ニューヨークで先日開催された集会に2万6000人が参加し、復活を印象付けた。民主党プログレッシブを代表するオカシオコルテス下院議員もバーニー支持を表明している。中間選挙で投票率が10%上昇した若年層には社会主義が浸透し、気候危機、銃規制に関心が高まっている。大企業、民主党幹部、自称リベラルのメディアは、地殻変動を恐れているはずだ。

 テアトル新宿で釜ケ崎を舞台にした「解放区」(2014年、太田信吾監督)を見た。上映会で高評価だった本作は完成後5年、ようやく日の目を見た〝幻の映画〟だ。様々な切り口から抉っているうち、返り血を浴びたような感覚に浸った。ちなみに、サブタイトル“Fragile”は壊れやすいという意味だ。人とは脆いもので、道を踏み外せば這い上がるのは難しい。釜ケ崎は敗者を引き寄せるブラックホールだと仄めかしているのだろうか。

 ドキュメンタリーを手掛けていた太田は13年、釜ケ崎で出会った若者2人の消息を追った劇場映画を企画した。<貧困や犯罪に目を据えるだけでなく、抑圧的なシステムを許容する市民一人一人に問い掛ける>ことを目指したが、大阪市に助成金返還を求められ、映倫からはR18+指定を受ける。太田は「あいりん地区をにおわすシーンをカットせよ」との指示に屈せず、お蔵入りになった。この間の経緯はメディアで報じられている。

 太田は企画、監督、脚本だけでなく主役のスヤマを演じている。くしくも今年、「あいりん労働福祉センター」が閉鎖され、「表現の不自由展」に圧力が加わった。言論封殺だけでなく、同調圧力に屈し自己規制してしまう空気が相俟って、日本社会には閉塞感が漂っている。そんな空気に風穴を開けるパワーを秘めているのが「解放区」だ。

 大阪市はあいりん地区が存在することを隠蔽したかった。釜ケ崎は山谷と並び、社会から弾かれたものが辿り着く貧民窟というイメージがあるが、大阪に馴染みのある人の目には、異なる貌が映っているはずだ。<そのフェンスの向こうには〝楽園〟があった>のキャッチ通り、釜ケ崎は一種の駆け込み寺で、相互扶助の精神に溢れている。通天閣と新世界に近い釜ケ崎は名作「じゃりん子チエ」の舞台でもある。

 <若者のリアリティー>というテーマで、ADとしてドキュメンタリー製作に携わっていたスヤマ(=太田)は、40歳間近になっても引きこもりを続ける本山に取材する。音楽をきっかけに心を通わせるが、その手法をディレクターに咎められ、チームを離れる。スヤマは協力を要請した本山と大阪で合流する。

 俺にとって肝に思えたのは、本山がスタッフと闘わせるドキュメンタリー論だ。本山は<おまえたちに底辺で喘いでいる者の気持ちがわかるはずがない>と詰め寄る。森達也、想田和弘、鎌仲ひとみ、土井敏邦とこの国にも優秀なドキュメンタリー監督がいるが、被写体との距離感で、太田は森に近いという評もある。

 無名のキャストを集めたことでリアルさを増し、<セミドキュメンタリー>感を呈している。歌われるラディカルなメッセージともマッチしており、リアルなアジテーションは日本の未来を先取りしている。スヤマもまた撮る側から〝釜ケ崎に漂着した若者〟になる。衝撃のラストは夢を諦め、苦界に身を沈める覚悟の行為の表れともとれる。そこは<楽園>だと信じながら……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都で<正しい老い方>を考えた

2019-10-24 14:31:23 | 独り言
 従兄宅から東京に戻って本稿を綴っている。今回のテーマは<正しい老い方>だ。還暦を過ぎて感性が変化してきた。〝土に還る日〟が近づいているためか、四季折々の移ろいに敏感になっている。マンネリやお約束が心地良く、独り言でツッコミながら、再放送を含め刑事ドラマを見る機会が多い。

 警察庁はテレ朝など各局に感謝しているに相違ない。歌舞伎町に監視カメラが設置された時、人権蹂躙を非難する声が上がったが、今ではドラマの効果で、市民が警察に映像を提供するのが当たり前になっている。先週の「相棒」ではサイドストーリーに武器輸出が織り込まれ、「科捜研の女」ではドローンを使った捜査が描かれていた。

 メディアは「即位礼正殿」を競って報じていた、皇室に尊崇の念がない俺は、島田雅彦著「無限カノン三部作」、三遊亭白鳥の「隅田川母娘」を重ねていた。知人によれば東京中、警官が溢れていたという。<愛される天皇一家を伝える映像>と<厳戒体制>のギャップに、皇室の現在地が透けて見えてくる。

 京都で残念だったのは、再会を楽しみにしていた猫のミーコが夏に死んでいたことだ。推定20歳だから大往生といえるだろう。今回の帰省中、俺は母の終活プランをパソコンに入力した。少し前まで読書や塗り絵を日課にしていた母だが、90歳を越えて好奇心を失い、思い出の世界に生きている。

 老いの道筋を普通に辿る母と対照的なのが、同い年の叔母(従兄の母)だ。ラグビーをW杯で〝発見〟し、新作ドラマのチェックに余念がない。村上春樹を読み、投稿した短歌が頻繁に地方紙に掲載されている。健康の秘訣は家庭菜園で、足腰もしっかりしている。

 叔母は例外として、人は確実に衰える。それでは、国は? 俺は〝気分は反体制〟で過ごしてきたが、それでも学生時代、日本が道を大きく外すことはないと考えていた。日本人は和と公平を重んじ、勤勉で物事を正確かつ迅速に処理出来る。目に見えないものに価値を置くことが謙虚さに表れている……。ステレオタイプのパブリックイメージを信じていたのだ。

 当ブログで何度か紹介したが、いしいひさいちは日本の現在を予言していた。<日本は行き当たりばったりのギャンブル大国になっている>との4コマ漫画通り、日本は40年後、政治も経済も投機的に運営されている。

 最初に綻びを覚えたのは1990年に開催された札幌アジア冬季大会で、韓国国歌をモンゴル国歌、北朝鮮国歌と2度にわたって取り違えた。霞が関は〝A型資質〟を失い、年金記録問題は政権交代の最大の要因になる。その後、各省で文書偽造、捏造、隠蔽が相次ぐ。曺国前法相の辞任を嘲笑う〝反韓派〟も多いが、権力に忖度した日本の司法は、国家の基盤を揺るがせた安倍首相夫妻を裁けない。

 日本らしさも壊れている。台湾からの訪日客は電車内の光景に驚くという。台湾では空いている電車でさえ、座る若者は少ない。日本統治下の道徳教育の効果というが、本家本元では見る影もない。課外活動や遠足でホームにたむろする小中学生は、ドアが開くや猛ダッシュし座席に腰を下ろす。結果として年長者は座れない。注意しない引率教師に苛立つが、東須磨小の事件が端的に示すように、教育の場も腐っているのだろう。

 クチクラ化した日本を救うべき若者に元気がない。もちろん、悪いのは上の世代だ。星野智幸は「クエルボ」(「「焰」収録)で、定年後の男が元同僚に頼まれた機密保護法(≒秘密保護法)反対の署名を拒否する場面を描いていた。身近の不条理、不平等を看過しているのに、時に正義を仰々しく語る大人たちに呆れた若者が、声を上げなくなるのは当然だ。

 日本が目指すべき道は何か。少子高齢化が進む国が軍事大国なんて笑止千万だし、成長や繁栄なんて今更あり得ない。北欧のような福祉重視、あるいはオーストリアのような成熟……。気候危機をきっかけに、自然と人間、そして人間同士の調和を志向するためには、日本の伝統的な美徳と価値観の再発見が必要ではないか。俺自身? 煩悩と欲望を滅却することが<正しく老いる>ためのスタートラインだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都から秋の雑感~ラグビーとボクシングの隆盛はファシズムの端緒?

2019-10-20 22:10:42 | スポーツ
 キネ旬1位に輝いた「恋人たち」(15年、橋口亮輔監督)の主人公アツシは、コンクリートの亀裂をたちどころに指摘する天才だった。地震と台風に相次いで襲われる日本には耐用期限切れが迫った物件が多い。無数のアツシと莫大な資金が必要だが、正しく注力されているのだろうか。

 「汚染水はアンダーコントロール」……。安倍首相の大嘘が招致の決め手になった東京五輪だが、気候もまた制御不能だった。マラソンと競歩が炎暑を避け北海道で分離開催されることに、「北方領土でやったら」と小池都知事は発言した。アツシの先輩は「世の中には、いい馬鹿と悪い馬鹿と、質の悪い馬鹿がいる」と話す。内外の失笑を買った小池知事は〝質の悪い馬鹿〟なのだろう。

 10月恒例の帰省で、親類宅(寺)に泊まって母が暮らすケアハウスを訪ねる日々だ。今回のテーマは政治とスポーツだが、まずは軽い話題から。菊花賞はPOG指名馬であるサトノルークスが②着と好走した。望外の結果である。MLBプレーオフをチラ見していて、スケールに圧倒された。「何を今更」と嗤われそうだが、1㍄前後の剛球を弾き返す光景は、CSと別世界である。

 四半世紀ぶりにマトモに見たラグビーにも瞠目させられた。勤め人時代の同僚は、同じチームがほぼ無敗で王座に就くこの国のラグビーなど歯牙にも掛けていなかった。交代要員をフルに活用し、彼が理想とした<戦略と戦術>がゲームの肝になっている。NFL並みのエンターテインメントといっていい。

 かつてこの国で、ラグビー人気が沸騰した時期があったことをご存じだろうか。教科書的には現在と似ているといわれる、治安維持法施行直後の1920年代後半から30年代半ばにかけて、農民や労働者の決起が燎原の火のように広がる。小学生は同盟休校に立ち上がり、マネキンガールやショーガールもストライキを打った。生活実感と表現主義やシュレアリズムが結びつき、カラフルな抵抗運動が展開した。川柳歌人の鶴彬も潮流を支えた一人である。熱いファシズム前夜だった。

 その頃、都市圏の青年層を最も惹きつけたスポーツは、ラグビーとボクシングだった。〝不世出の天才監督〟山中貞雄は<万歳を叫ぶ人の悲劇 叫ばれる奴の悲劇 喜劇かもしれない>と書き残して応召し、南京で戦病死した。山中は出征後、花園ラグビー場で開催された旧制中学の対抗戦の結果を気にしていた。

 肉弾相打つ戦いが好まれたのかもしれないが、W杯の日本代表チームは異なる。俺が政治や社会を語る時、最も価値を置いている<多様性・調和・オルタナティブ>を日本人特有の粘着力に接ぎ木している。準々決勝で完敗した相手のスプリングボクスもまた、アパルトヘイト廃止後、<多様性・調和・オルタナティブ>をベースにチームづくりを進めてきた。マンデラの思いは「虹色国歌」に込められている。

 突貫精神を体現した〝拳聖〟ピストン堀口の知名度は1930年代、首相に引けを取らなかった。拳闘報国の一念で慰問ツアーを続けた堀口は戦後、「戦争協力者」「金の亡者」と罵られながらマットに這い続ける。ファイトマネーを引き揚げ者や戦災孤児への基金に充て、自身は困窮の極みにあった。堀口にとって、死は自責の念からの解放だった。

 日本のボクシングはこの40年余り、長足の進歩を遂げた。理詰めでスマートな世界標準をクリアしたボクサーの中でも群を抜いているのが井上尚弥だ。11月9日、WBSS決勝でノニト・ドネアに完勝し、パウンド・フォー・パウンド(階級を超えた世界最強ランク)の頂点に上り詰めるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分への誕生プレゼントは「さらば青春の光」

2019-10-16 21:59:11 | 独り言
 昨日(15日)は63回目の誕生日だった。寺山修司風にいえば「墓場まで何マイル?」。人生の第4コーナーを回った今、直線の長さは新潟(659㍍)、それとも函館(262㍍)? 日々とにかく眠く〝永眠へのリハーサル状態〟である。ちなみに父は60代前半、バリバリ頑張っていたのに、心身共に突然壊れ、69歳で亡くなった。

 ブログで劣化をぼやいているが、そもそも若い頃から優れた点は皆無だった。志が低く、「ヒモになりたい」と広言していたが、そのために必要な条件(ルックス、気配りなど)は一切持ち合せていない。反体制を自任していたこともあり、<社会の構造から出来るだけ遠い場所で仕事をしたい>と感じていた。フリーターとして数年を過ごした後、校閲と偶然出合った。

 〝天職〟に感謝すべきだが、生来の集中力不足で適性はない。とはいえ、社会的不適応者ゆえ他の仕事がこなせるはずもない。現在もフリーとして夕刊紙で校閲を担当している。もともと低レベルなので、仕事に関してはこれ以上、劣化しようはないのだ。

 同世代の人は、自分の来し方をどう捉えるだろう。会社員、組織人という物差しで測れば、複雑な思いが込み上げてくるはずだ。そもそも評価なんていい加減なもので、情実を補強する便法でしかない。俺は48歳で退社し、〝相対的縛り〟から自由になれた。引き換えの孤独を癒やすツールとして選んだブログは、今や遺書代わり、備忘録、そして〝生命維持装置〟になっている。

 63歳なんてめでたくもないが、自分にプレゼントした。シネマート新宿で公開中の「さらば青春の光デジタルリマスター版」のチケットである。フランク・ロッダム監督による英映画は1979年に公開された。映画館で見るのは3度目で、ビデオや録画を合わせれば10回近くになる。俺の部屋には本作のポスターが飾られている。

 ビートルズの初期の楽曲でポップに目覚めた俺だが、ロックに引き込まれたのは映画「ウッドストック」(70年)におけるザ・フーのパフォーマンスだ。<孤独と疎外からの解放>をテーマに掲げるピート・タウンゼントの元には、「あなたがいなかったら自殺していたかもしれない」といった手紙が世界中から舞い込んだ。俺もまた、救われたひとりだ。

 「トミー」、「フーズ・ネクスト」と並ぶ必聴盤「四重人格」(73年)の膨大なブックレットに綴られていたストーリーを映像化したのが「さらば青春の光」で、モッズムーブメントを背景に描かれた青春群像劇である。内容については何度も記したが、底に流れるのは<ハレとケ>だ。1964年のロンドン、代理店での郵便係(ケ)に飽き飽きしていたジミー(フィル・ダニエルズ)はモッズになり、週末はブライトンで大暴れ(ハレ)する。

 定職を持ちケを大切にしている仲間にとって、ハレに憑かれたジミーはクレージーに映る。職を失い、勘当され、ベスパも壊れたジミーが目にしたのは、ブライトンでベルボーイとして働くエース(スティング)の姿だった。ハレとケの狭間で苦悩したジミーの結論は? オープニングとラストは繋がっている。

 本作の構図は、現在の日本とも無縁ではない。俺の知人は周囲の制止を振り切り、ゲームに専念するため会社を辞めた。リアルとフィクションの境界に身を置き、後者により価値を覚えることも理解出来る。俺は若い頃、引きこもりのはしりだった。フーの名曲「ババ・オライリー」の歌詞にある「10代の曠野」を、俺は今も彷徨っている。

 フーは今年7月、ウェンブリースタジアムで9万人を熱狂させた。「四重人格」を「自分を救ってくれたアルバム」と語るエディ・ヴェダー(パール・ジャム)もサポートアクトに加わった。集まった中高年の多くはベスパに乗って訪れ、モッズファッションを纏っていたはずだ。「さらば青春の光」で存在感が際立っていたスティングは来日公演を終えたばかり。老雄たちは頑張っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日日是好日」に来し方を重ねた

2019-10-12 23:50:22 | 映画、ドラマ
 樹木希林追悼企画の一環で、日本映画専門チャンネルで「日日是好日」(18年、大森立嗣監督)を見た。昨年の私的映画ベストテンは①「判決」②「カメラを止めるな!」③「万引き家族」だったが、「日日是好日」を映画館で観賞していたらベスト3に入ったはずだ。

 大学4年の典子(黒木華)はいとこの美智子(多部未華子)とともに、武田先生(樹木希林)にお茶を習うことになる。起点は1990年代前半で、黒木は22~46歳、樹木は64~88歳の24年間を演じる。違和感を覚えなかったのは両者の演技力とスタッフの尽力のたまものだろう。

 本作の感想を、俺自身の来し方と重ねて記したい。テロップで示される二十四節気で物語が進行する。俺が自然と親しむようになったのは50歳を過ぎてからだ。退職して引きこもっていた3年余の孤独、東日本大震災と福島原発事故、そして翌年の妹の死が相俟って、俺は和の感性に彩られる。

 移ろいの舞台になっていたのは武田家の庭だ。季節によってお茶の作法、装いも変わる。典子は稽古の中でお湯と水、梅雨と秋雨の微かな差を聞き分けられるようになる。水がスクリーンに迸り、海辺のシーンが多い。流れる滝は典子の心象風景と重なっていた。

 典子に俺との共通点を感じた。俺は大卒後、フリーターとして東京砂漠を漂っていたが、典子もやりたいことが見つからず出版社でアルバイトをしている。不器用で要領が悪いのも似ていて、登山でいえば三合目まで辿り着くのに時間がかかるタイプだが、美智子は対照的だ。

 <形>がキーワードになっていた。武田先生の「お茶はまず形なのよ。初めに形をつくっておいて、その入れ物に、後から心が入るものなのね」との言葉に、「それって形式主義」と反発した美智子だが、<形>に入り込んでいく。商社に就職し、3年後に地元で見合い結婚をする。対照的に浮草のままの典子だが、茶道では武田先生の言葉通り<形>を纏い、体が自然に動くようになった。

 話は逸れるが、暴風のさなかに行われた棋界の頂上決戦、竜王戦の第1局で挑戦者の豊島名人が広瀬竜王を下した。木村新王位との〝炎暑の十番勝負〟で疲弊している豊島が不利と予測していたが、2戦目以降も楽しみにしている。将棋では自身を<形>に填め込んだ後、<自由>へのスタートラインに着く。落語も一緒で、喬太郞、白酒、三三、一之輔ら俊英は、古典を叩き込んだ後、<自由>を獲得し奔放に進化する。ともに茶道と共通しているのだろう。

 肝といっていいのは人生の岐路を控えた典子と美智子が冬の海を訪ねるシーンだ。典子は10歳の頃、両親に連れられフェリーニの「道」を見た。当時は理解出来なかったが、今では素直に感動出来る作品になっている。典子はジェルソミーナを真似て踊り、「サンパーノ」と叫びながら美智子に近づく。「道」の印象的な場面を思い出した。

 直感が鋭い美智子は、茶道と「道」の共通点、そして典子の茶道への思いを指摘する。ラストで典子は「『道』を見て号泣するようになった。世の中にはすぐわかるものと、すぐわからないものの2種類がある」と独白する。わからないものとは即ち、茶道であり「道」なのだ。この構図は映画全般にも当てはまる。「日日是好日」は若い世代にとって退屈かもしれない。

 典子は<形>を覚えたのに<自由>への手掛かりを見いだせず、武田先生かに「少し工夫したら」と注意される。就職に失敗し、挙式前に相手の不実を許せず破談になる。最悪の状況に陥った典子を温かく見守ったのが武田先生だ。一年で一番寒い頃に咲くマンサクの花について典子に語り、その日に供したお菓子の銘「下萌え」は、冬枯れの地面から芽吹くことを意味していると説明した。

 武田先生に癒やされた典子は春を迎えたが、父(鶴見辰吾)を桜の季節に亡くした。俺の父も同じ時候で、何となく来し方を重ねてしまう。悲しむ典子を慰めたのは武田先生だった。巧まざるユーモア、観察眼、優しさを併せ持つ武田先生はまさに〝人生の達人〟だが、主音になっていたのは孤独だった。

 日々を自然体で受け入れることの大切さを教えてくれた。二進法が蔓延り、<形>が壊れた日本に新しい可能性を提示した作品だった。典子はラストで武田先先生に教える側に回ることを勧められる。アップになった典子の顔に包容力と円味が備わっていた。エンドマークの後にも物語は続く。映像とマッチした音楽も素晴らしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国緑の党スピーキングツアーに参加して、日韓友好の道筋を考えた

2019-10-09 22:47:52 | 社会、政治
 今稿のテーマは日韓だ。まずは「あいちトリエンナーレ」について。中止された際、ニューヨーク・タイムズが<表現の自由を謳う展示が潰された>と報じるなど、海外の識者は圧力に疑義を呈している。大村知事はかつて盟友、河村市長の言動を、「常軌を逸している」と斬り捨てた。

 同展には従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」が掲示されている。慰安婦問題をテーマにした「主戦場」(18年、ミキ・デザキ監督)をブログで絶賛して以来、訪問者が増えた。まさに〝主戦場バブル〟だが、コメントを見る限り、歴史修正主義派の訪問の方が多そうだ。

 金田正一さんが亡くなった。享年86である。戦後の球界を牽引した巨星の死を悼みたい。張本勲氏とともに在日2世の憧れの存在で、勇気を得た同胞たちがプロの門を次々にくぐった。スポーツのみならず、芸能界や政財界でも、日韓両国は太いパイプを築いてきた。

 韓国映画を多く紹介してきたが、ハリウッドを凌駕するエンターテインメント「ザ・ネゴシエーション」(18年、イ・ジョンソク監督)を封切り終了直前、新宿で見た。国際的犯罪組織リーダーのミン・テグ(ヒョンビン)とハ・チェウン警部補(ソン・イェジン)の息詰まる交渉を描いたサスペンスだ。

 興趣を削がぬようストーリーは記さないが、映画館で今年見た作品では、上記の「主戦場」、「グリーンブック」、「金子文子と朴烈」などと並ぶベストワン候補だ。「ザ――」の主演2人と脇役陣にデジャヴを覚えた。静岡県立大の鬼頭宏学長(歴史人口学)は「爆笑問題のニッポンの教養」(09年)に出演した際、「奈良時代の人口の70~80%は朝鮮半島からの渡来者」と語っていた。〝同根の兄弟〟なら容姿が似るのも当然だ。

 日韓関係が最悪の今、市民レベルで修復する可能性はあるのか……。そんな希望を抱いて先日、<GREEN WAVE~台湾&韓国緑の党スピーキングツアー>(YMCAアジア青少年センター)に参加した。台湾緑の党は先月にスケジュールを終えており、今回は韓国編である。

 金基成氏(ヤング・グリーンズ前共同代表)が韓国緑の党の活動を報告した後、雨宮処凜氏が加わり、<女性と若者が政治を動かす>をテーマに対談する。20代半ばの金氏は滞日経験もあり、日本語も堪能だった。進行役は同じく20代で緑の党会員の山本ようすけ立川市議だ。

 両氏のトークで日韓が近い状況にあることを知る。「共犯者たち」(17年)では李、朴の保守政権下の10年、メディアへの凄まじい弾圧が描かれていた。進学、就職、結婚の機会を得られないロストジェネレーションは日本同様、苦境に喘いでいる。セウォル号事件では、朴支持派が被害者家族に暴言を浴びせるなど、ヘイト事件も後を絶たない。

 江南通り魔女性殺人事件を契機に広がったフェミニズム運動との連携で、韓国緑の党の認知度が上昇した。儒教精神が根強い韓国では、社会の隅々で女性差別が残っている。声を上げた韓国の女性たちの象徴というべきが、ソウル市長選で健闘した緑の党の女性候補シン・ジエ氏だ。

 先月、世界中で開催された気候危機への抗議デモが行われたが、韓国緑の党主催の集会の模様を金氏が会場に流した。若者の数の多さに感嘆し、音楽やダンスで盛り上げていた。プロデューサーのひとりである金氏は、「楽しいから運動に携わっている」と言う。〝楽しい〟と〝政治〟を繋ぐ回路が日本で見つかるだろうか。

 日韓友好を<企業の利益と経済成長>の文脈で掲げる声もあるが、金氏は否定的だ。資本主義や成長ではなく、脱成長、環境、文化をベースにした交流が正しい道筋だ。東アジアで日韓台3カ国の緑の党が連携することで、地殻変動の兆しが生まれるかもしれない。

 キルト姿のスコットランド人が〝飛び入り〟で参加していた。W杯観戦が主目的かもしれないが、彼は来年、国政選挙に立候補するらしい。供託金はなきに等しいし、緑の党は欧州各国で大躍進している。名前を売った後の自治体選挙が真の狙いというが、夢の実現は確実だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復興への険しい道~北東北センチメンタルジャ-ニーで感じたこと

2019-10-06 19:52:55 | 独り言
 前稿末に記した通り、2泊3日で北東北に赴いた。3・11以降、東北を訪ねるのは3年ぶり4度目となる。東北新幹線→山田線→三陸鉄道→青い森鉄道を乗り継ぎ、宮古と三沢に宿を取った。浄土ケ浜と龍泉洞は紅葉まで間があり、予想に反し、暑いぐらいの好天だった。

 今回のメインは電車の旅で、再放送(スカパー!)で見た「駅弁刑事・神保徳之助」(小林稔侍主演)よろしく駅弁を楽しむつもりだったが、残念ながら機会に恵まれなかった。車窓からの光景に、復興への道半ばが窺えた。東北を旅するたび、オリンピック狂騒曲が空しく響く。

 ホテルの部屋で見たニュースは香港、目黒女児虐待死、そして関電金品授受問題を大きく報じていた。原発という国策の下、自治体への補助など莫大な金が動く。高浜町元助役の言動からも与党、裏社会、そして関電本体との癒着が透けて見えた。〝原子力村〟の腐敗は、事故の後遺症に苦しむ東北と繋がっている。良心、矜持、倫理を失った日本はいずこへ漂流していくのだろう。

 浄土ケ浜でも津波の高さがレストハウスに記されていた。3年半前に新装されたパークホテルと浜を行き来するため200段弱の階段の上り下りする。エメラルドグリーンに煌めく海と、尖った流紋岩の対照が美しかった。ある高僧が300年前に当地を訪れ、「さながら極楽浄土の如し」と感嘆したことが名前の由来という。遊覧船の周りには餌付けされたウミネコが飛び交っていた。

 暗くて寒い龍泉洞でもアップダウンを繰り返し、旅の前提が体力であることを思い知らされた。日本三大鍾乳洞にひとつで、5種のコウモリが棲息しているが、訪ねた時間は睡眠中で身を潜めていた。俺は〝無神論者〟だが、浄土ケ浜と龍泉洞に<神の摂理>を感じた。

 電車の本数が少ないため、結果的に〝同行者〟が増える。いわくありげなカップルも気になったし、70歳前後と思しき男女3人ずつのグループの会話を盗み聞きし、「婚活ツアー」と勘繰ってしまった。靑森屋(三沢のホテル)にはアジア系の姿が目立ち、星野リゾートの店舗らしく若い従業員が多い。アミューズメントがふんだんに用意されていた。驚いたのは敷地内にある庭園で、四季折々の移ろいも人気の理由だろう。

 晴山縄文遺跡(二戸市)など、機会があれば訪れたい名所・旧跡も多い。寺山修司記念館に行けなかったのも残念だった。寺山の絶筆は「墓場まで何マイル?」だが、俺はあと何マイル(年)だろう。今回の旅行中、亡き人、連絡が途絶えた人の思い出が甦ったり、夢の中に現れたりした。震災で亡くなった方々の霊と感応したのか、今回はタナトスに導かれたセンチメンタルジャーニーだった。  

 旅疲れに加え、帰京後もあれこれ所用が立て込んだ。今回は短めに締めることにする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「雲をつかむ話」~雲の彼方に多和田葉子の幻を見た

2019-10-02 00:09:17 | 読書
 永瀬拓矢叡王(27)が奨励会同期の斎藤慎太郎王座を3連勝で下し、2冠を達成した。叡王位も4連勝で奪取したから、タイトル戦7連勝と破竹の勢いだ。キャッチフレーズは根性と努力。〝昭和の薫り〟が漂う若手棋士が棋界をもり立てていくはずだ。

 この2年(一昨年10月以降)、ブログで紹介した日本人の女性作家を以下に挙げる。石牟礼道子(「苦海浄土」)、多和田葉子(「尼僧とキュービッドの弓」)、高村薫(「空海」)、桐野夏生(「ナニカアル」、「柔らかな頬」)、川上弘美(「夜の公園」、「大きな鳥にさらわれないよう」)、川上未映子(「ウィステリアと三人の女たち」)、小川洋子(「ことり」、「琥珀のまたたき」)、そして村田沙耶香(「地球星人」)だ。

 作品を通して魅力的な彼女たちと語らうことが出来るのは幸いだ。今回紹介するのは、ノーベル文学賞候補と目される多和田の「雲をつかむ話」(12年、講談社)だ。「容疑者の夜行列車」(2002年)では、主人公の<あなた>がコンパートメントで怪しい人、犯罪者と思しき人たちと交流する。ともに<旅と罪>がキーワードだ。

 <人は一生のうち何度くらい犯人と出逢うのだろう。犯罪人と言えば、罪という字が入ってしまうが、わたしの言うのは、ある事件の犯人だと決まった人間のことで、本当に罪があるのかそれともないのかは最終的にはわたしには分からないわけだからそれは保留ということにしておく>……

 主人公のわたしは冒頭でこう述懐する。わたしはベルリン在住の日本人作家で、1987年に遡行し、殺人、傷害、政治犯、窃盗常習犯、文書偽造、無賃乗車……と、様々な犯罪人との出会いを回想する。現実と混濁する形で織り込まれるのはわたしの夢だ。

 多和田の魅力は二重性だ。物語を書き進めつつ、俯瞰で眺めている。ドイツ語と日本語で小説を著す多和田は、二つの目線で言葉を紡いでいる。多和田の作品に精通した与那嶺恵子氏は、<多和田の小説では、言語は伝達の手段であるだけではなく、ものの本質として屹立する空間を形成している>と評している。奇跡の多和田ワールドはいかに醸成されたのか。

 ドイツに渡った多和田の葛藤は初期の「ペルソナ」に描かれている。主人公の道子(≒多和田)は<東アジア人は表情がないから何を考えているかわからない>という偏見に追い詰められ、被るべきペルソナを探し続けた。ドイツと日本の境界に佇み、アイデンティティーを追求した経験は、「雲をつかむ話」の後半に生かされている。

 「雲をつかむ話」も他の作品同様、全体像に近づくための糸くずがちりばめられている。遊び心も満載で、わたしが関わった芝居のタイトルは「雲と蜘蛛」で、「容疑者との夜行列車」のタイトルに込められた作者の遊び心の一端かと勘繰ったが、<ドイツ語の芝居なので、「雲」と「蜘蛛」は洒落になっていない>とあえて記していた。

 何の脈絡もなく進展していくかに思われた本作の様相が一変するのが11章だ。飛行機の中(恐らくわたしの夢)で、東ドイツ生まれの双子、刃傷沙汰を起こした二人の女性、政治犯、牧師夫妻ら登場する。犯罪人が一堂に会し、私の周りに座っているのだ。最初に出会った犯罪人であるフライムートは、わたしと小道具を交換する形で隣に座っている。

 所作が怪しくなったわたしは、ついに自分の番が来て、犯罪人の側になったことを直感する。乗務員に呼び止められたわたしは、身分詐称の容疑で連行されるのだ。そして、わたしは無実ではない。<他人の経験や記憶を盗む泥棒>は、作家として当然の罪状だ。ベルリンで知り合った女医の最後の言葉に、読了の満足を吹っ飛ぶ衝撃を受けた。

 <作品を通して魅力的な彼女たちと語らうことが出来る>と上記したが、俺と多和田が席を同じくしても、通じる言葉はない。住む次元が違うからだ。今後も遥か彼方を眺めるように、多和田の作品を読んでいきたい。

 これから5時間ほど眠って、起きたら岩手、青森に向かう。次回のアップは週末になりそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする