島田陽子さんが亡くなった。ファンというわけではなかったが、記憶に残っているのは渡瀬恒彦主演の「十津川警部シリーズ」第3作「上野駅殺人事件」だ。初期の同シリーズは恋愛ドラマの要素もあり、十津川と島田さんが演じたソープ嬢との心の揺らぎとキスシーンが印象的だった。波瀾万丈の女優の死を悼みたい。
アパート近くで、三毛猫に数人が餌をやっている。わかっているだけで女性4人、男性は俺と若者、中年サラリーマンも興味津々だ。現れたのは2月後半。もともと飼い猫だったのか、不妊手術も施されている。俺にも「ニャー」と近づき、多少のタッチは許してくれるなど営業能力は抜群だ。俺は彼女を愛してしまったのだろうか。孤独は愛を醸成する条件の一つだし……。
カズオ・イシグロの最新作「クララとお日さま」(早川書房)を読了した。ノーベル賞受賞後、初めての小説で、俺にとって6作目の長編になる。長崎生まれで5歳時、一家でイギリスに移住したイシグロを<日本人作家>にカテゴライズしてきた。その作品には日本で死語になった美徳の数々――矜持、謙遜、自己犠牲、恥の意識――が新鮮なまま息づいているからだ。
ページを繰るうち、柔らかで儚い感覚が体の奥から滲んできて、懐かしさとともに、自分が日本人であることを再認識する。だが、「わたしを離さないで」映画版を見た時、違和感を覚えた。主人公キャシーは臓器提供のために造られたクローンで、同じ定めの子供たちと全寮制学校で育つ。非情な宿命を粛々と受け入れるキャシーら登場人物に、3・11以降の日本人の沈黙と重なったからである。
キャシーに重なったのが「クララとお日さま」の主人公クララだ。クララは人工知能を搭載したAF(人工友達)で、展示場で病弱な少女ジェシーに気に入られ、一家に迎えられる。クララは最新型の1期前のタイプ(B2型)だがプログラミングされていないはずの人間らしさを備えている。
AFの栄養源は太陽光線で、クララにとって阻害物は大気汚染をまき散らすクーティングズ・マシンだ。クララの太陽への思いは信仰に近く、展示場で目撃したホームレスと犬の甦り、数十年を経た恋人たちの再会も太陽が起こした奇跡と考えている。ジェシーが健康を取り戻すには太陽の力が必要と信じているのだ。
本作の背景は、格差と分断が深刻になった近未来の階層社会だ。子供たちは一定の年齢に達すると<向上処置>を受けるかどうかの岐路に立たされる。<向上処置>とは人間に施されるゲノム編集で、遺伝子組み換えのイメージだ。作者が想定したのはCRISPRということもあり、舞台は研究が進んだアメリカである。
この<向上処置>を受けられるのは富裕層の子供に限られる。クララたちはオブロン端末で学び、受けられなかった幼馴染みのリックは優れた能力を示しながら大学進学の道は閉ざされている。深い絆で結ばれたクララとリックが別の道を歩まざるを得なくなった経緯も後半で詳述されている。
クララの視界が時折ボックスに分割され、やがて統一されていくのは彼女の認識過程を表しているのだろう。展示場の店長も感心していたように、観察力と学習能力に優れたクララの<ジェシー化>を考えたのが母クリシーだった。前提になるのはジェシーの死で、AFのクララがジェシーとして生きることになる。
だが、クララはひとえにジェシーの回復を祈り、自己犠牲も厭わない。崇高な決意は太陽に伝わり、ジェシーは健康になる。そして、おとぎ話は終わった。ジェシーは大学に進み、新しい世界を満喫する。リックも独自のネットワークをつくって活動している。クララは夢想する。展示場で見た路上の奇跡、数十年を経た恋人たちのように、いつしかクララとリックが抱擁することを。
ラストはあまりに悲痛だ。クララは物置に廃棄される。人間以上に人間らしいクララは宿命を受け入れ、機械として終わりが見えない孤独の時間を過ごすのだ。店長と再会した時、俺は光が射すのを感じたが、暗転して閉じられる。これほどラストが悲痛な小説があっただろうか。慟哭寸前、涙を堪えた。
アパート近くで、三毛猫に数人が餌をやっている。わかっているだけで女性4人、男性は俺と若者、中年サラリーマンも興味津々だ。現れたのは2月後半。もともと飼い猫だったのか、不妊手術も施されている。俺にも「ニャー」と近づき、多少のタッチは許してくれるなど営業能力は抜群だ。俺は彼女を愛してしまったのだろうか。孤独は愛を醸成する条件の一つだし……。
カズオ・イシグロの最新作「クララとお日さま」(早川書房)を読了した。ノーベル賞受賞後、初めての小説で、俺にとって6作目の長編になる。長崎生まれで5歳時、一家でイギリスに移住したイシグロを<日本人作家>にカテゴライズしてきた。その作品には日本で死語になった美徳の数々――矜持、謙遜、自己犠牲、恥の意識――が新鮮なまま息づいているからだ。
ページを繰るうち、柔らかで儚い感覚が体の奥から滲んできて、懐かしさとともに、自分が日本人であることを再認識する。だが、「わたしを離さないで」映画版を見た時、違和感を覚えた。主人公キャシーは臓器提供のために造られたクローンで、同じ定めの子供たちと全寮制学校で育つ。非情な宿命を粛々と受け入れるキャシーら登場人物に、3・11以降の日本人の沈黙と重なったからである。
キャシーに重なったのが「クララとお日さま」の主人公クララだ。クララは人工知能を搭載したAF(人工友達)で、展示場で病弱な少女ジェシーに気に入られ、一家に迎えられる。クララは最新型の1期前のタイプ(B2型)だがプログラミングされていないはずの人間らしさを備えている。
AFの栄養源は太陽光線で、クララにとって阻害物は大気汚染をまき散らすクーティングズ・マシンだ。クララの太陽への思いは信仰に近く、展示場で目撃したホームレスと犬の甦り、数十年を経た恋人たちの再会も太陽が起こした奇跡と考えている。ジェシーが健康を取り戻すには太陽の力が必要と信じているのだ。
本作の背景は、格差と分断が深刻になった近未来の階層社会だ。子供たちは一定の年齢に達すると<向上処置>を受けるかどうかの岐路に立たされる。<向上処置>とは人間に施されるゲノム編集で、遺伝子組み換えのイメージだ。作者が想定したのはCRISPRということもあり、舞台は研究が進んだアメリカである。
この<向上処置>を受けられるのは富裕層の子供に限られる。クララたちはオブロン端末で学び、受けられなかった幼馴染みのリックは優れた能力を示しながら大学進学の道は閉ざされている。深い絆で結ばれたクララとリックが別の道を歩まざるを得なくなった経緯も後半で詳述されている。
クララの視界が時折ボックスに分割され、やがて統一されていくのは彼女の認識過程を表しているのだろう。展示場の店長も感心していたように、観察力と学習能力に優れたクララの<ジェシー化>を考えたのが母クリシーだった。前提になるのはジェシーの死で、AFのクララがジェシーとして生きることになる。
だが、クララはひとえにジェシーの回復を祈り、自己犠牲も厭わない。崇高な決意は太陽に伝わり、ジェシーは健康になる。そして、おとぎ話は終わった。ジェシーは大学に進み、新しい世界を満喫する。リックも独自のネットワークをつくって活動している。クララは夢想する。展示場で見た路上の奇跡、数十年を経た恋人たちのように、いつしかクララとリックが抱擁することを。
ラストはあまりに悲痛だ。クララは物置に廃棄される。人間以上に人間らしいクララは宿命を受け入れ、機械として終わりが見えない孤独の時間を過ごすのだ。店長と再会した時、俺は光が射すのを感じたが、暗転して閉じられる。これほどラストが悲痛な小説があっただろうか。慟哭寸前、涙を堪えた。