酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

晩冬の雑感~「たまTSUKI」でカサカサ気分がホットに潤う

2016-02-28 08:35:22 | 独り言
 これというテーマがないので、あれこれ感じたことを適当に綴っていきたい。

 先日の地下鉄での出来事……。いったん降りた高齢者が間違いに気付き、ドアに挟まれるように戻った。彼が次の駅で降りた後、近くに立っていた若いカップルの会話に、暗い気持ちになる。女が「何、あの人」とボロクソ言う。たしなめることを期待した男も、言葉を接ぐように罵った。荒みがこの国を覆っている。

 ブログに記した通り、先月末、よみうりホールで開催された落語会に足を運んだが、脱力、自虐がウリの春風亭百栄の枕に我が身が重なった。いわく<暇な時はボケーッと「相棒」なんかの再放送を楽しんでいる。半分あたりで見たことに気付くけど、結末が思い出せない>……。

 俺より六つ下(53歳)の百栄は日々、アンテナを張り巡らせ、脳を鍛えているはずだ。多少の誇張があるだろうが、物忘れがあると知り安心する。そうはいっても俺の場合、<病>の域に迫っている。そこに肩と肘の痛みが加わり、いつも眠い。老いは確実に進行している。

 視力の衰えで小さな字が読めない。読書も捗らないが、困ったことにBGMなしになってしまう。昨年秋、DVDがディスクを感知できなくなったが、同じことがCDにも起きた。センサーの短命ぶりは、買い替えを促す電機メーカーの策略なのか、俺の老いが伝染なのか……。ガラゲーまで不調になって、バッテリーがすぐ落ちる。

 「柳家喬太のようこそ芸賓館」の先週放送分のゲストは、日大落語研究会の同期生、立川志らくだった。談志に弟子入りした志らくは若くして頭角を現し、周りが羨むほど師匠に可愛がられた。一方の喬太は入門が遅く、下積みが長かった。道のりは対照的でも今や落語界のベストナイン級だが、落研時代、あるコンクールに応募し、ともに予選で落ちたという。このエピソードを披露しながら、両者は「見る目がないなあ」と笑っていたが、いわゆる業界人には節穴の目の持ち主は極めて多い。

 お笑いにしても、綾小路きみまろを筆頭に長い潜伏期間を経て、独力でブレークした芸人を挙げたらきりがない。是枝裕和監督は「この企画がボツになったら足を洗おう」と決意して撮ったドキュメンタリーでようやく認められ、映像の世界に踏みとどまった。ビートルズ、モンロー、スタローンなど、この手の話はジャンルを超えて転がっている。

 最近、痛いほど感じているのは政治業界人――国会議員から市民活動家まで――のセンスのなさだ。永田町の地図を少し塗り替えるだけの民維合併に、どれほどの意味があるのだろう。自公に橋下(大阪維新)がくっつけば、政権はさらに頑強になる。圧倒的な力の差をひっくり返したのが、1988年のチリだった。世界からのプレッシャーを受け、ピノチェット大統領は国民投票を実施する。15年にわたる独裁政権を支持する人は「YES」、反対する人は「NO」を投票用紙に書き込むシステムだが、ハナから勝負にならないはずだった。

 選挙戦を題材に製作された映画が「NO」(12年、パブロ・ラライン監督)だ。敏腕広告マンのレネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は「NO」の側に立ち、頑迷な左派の介入をはねのけ、映像の力で空気を変えた。翻って現在の日本はというと、センスのなさを自覚する自民党は広告代理店を味方に、人々の意識を誘導している。そこに介在するのは莫大な金だ。反安倍側が繰り返すステレオタイプの決まり文句は、鮮度をなくしつつある。

 ヒトラーユーゲントならぬ安倍ユーゲントが準備されている。バックについているのは恐らく広告代理店だ。シールズやティーンズソウルを換骨奪胎した政権応援団が街頭を練り歩く日はいつか。官製ムーブメントだから、公安がチェックすることも警察が規制することもない。笑顔で安倍支持のプラカードを掲げる若者たちに、俺は寒気を覚えるだろう。

 気分がカサカサしたので、高坂勝さん(緑の党前代表)が経営するバー「たまTSUKI」を訪ねた。週3日は千葉で農業に従事し、週4日はバーのマスターという半農半Xを実践している高坂さんは最近、様々なイベントに招かれ、メディアへの露出が目立ってきた。本日(28日)の日経朝刊にも「SOSAプロジェクト」が紹介されたらしい。

 脱成長を主張する高坂さんの店には、環境保護や食の問題に取り組んでいる人だけでなく、立場が真逆の広告マンや保守系シンクタンク社員も訪れ、カウンター越しの議論になる。まさに〝人間交差点〟だが、その日は開店から2時間半、客は俺一人で、高坂さんを〝独占〟できた。格差と貧困やモラルハザードなど、政治の話になると<憂い>と<閉塞感>がキーワードになる。<絆を紡ぎ、空気を変える>のに大きな困難が伴うことを、高坂さんは身をもって知っているからだ。

 高坂さんが昨秋、「未来へつなぐ」(BS・TBS)に出演した際の裏話も面白かった。「(仕事で)構造的暴力に加担したくない」など刃をキラリと煌めかせていた高坂さんを抑える役として、製作サイドは大宅映子さんをキャスティングしたという。ところが波長が合ってトークが弾んだことは、番組からも明らかだった。

 硬い話だけではなく、音楽から恋愛論までざっくばらんに語り合い、話が菅原文太に及ぶ。死ぬ直前の沖縄でのスピーチに、高坂さんは涙を流したという。ブルース好きの高坂さんは、きっと熱い人なのだろう。思いをぶちまけ、高坂さんの共感を得たことで、心がホットに潤い、帰途に就いた。

 NAJAT(武器輸出反対ネットワーク)代表の杉原さん、空気を変えようと奮闘している大場プロデューサー、そして高坂さん……。緑の党に入会して2年、アラカンになって信念と包容力を併せ持つ人たちに出会えたことに感謝している。
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「ディーパンの闘い」~スリランカ風味の甘辛ピカレスク

2016-02-25 00:26:44 | 映画、ドラマ
 日本の現実さえ把握していないのだから。海外の動きについて語るのは僭越というべきか。それでも、アメリカ大統領選の行方は興味深い。丸山和也参院議員は日本がアメリカ51番目の州になることを仮定してあれこれ語り、顰蹙を買ったが、的を射た部分もある。<右傾化>、<集団化>以上に、安倍首相は<アメリカ化>と推進しているように思えるからだ。

 かねてTPPに否定的だったヒラリー・クリントンは、通貨安を誘導する日中両国に対抗措置を取ると発言した。ドナルド・トランプも同様の方針で、日米同盟なんて一笑に付すかもしれない。バーニー・サンダースが大統領になったら、辺野古移設強行は差し戻されるだろう。「参院選よりアメリカ大統領選の結果の方が、日本の変化に繋がる」と語った三宅洋平に説得力を感じた。

 <格差是正>を掲げるサンダースだが、報道によれば「貧困率の高い黒人やヒスパニックはクリントンの票田」という。サンダースのキャンペーンに協力しているヴァンパイア・ウィークエンドやフォスター・ザ・ピープルは、いかにも都会育ちのお坊ちゃんという雰囲気だ。<社会の底で貧困に喘いでいる実感派>と<民主主義維持のために富の公平な分配が必要と考える知性派>……。後者の支持を集めるサンダースだが、前者への食い込みは足らないのかもしれない。

 ヨーロッパでここ数年、格差とともに大きな問題になっているのが難民だ。ベルリン映画祭で先日、金熊賞を獲得したのはアフリカや中東からの難民たちを追ったドキュメンタリー「火の海」(ジャン・フランコロージ監督)だった。ちなみに同監督の前作「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」(ベネチア映画祭金獅子賞)は上映後、想田和弘監督の解説を聞かなければ、既に記憶から消えていただろう。

 「火の海」同様、難民を扱った作品を日比谷シャンテで見た。「ディーパンの闘い」(15年、ジャック・オディアール監督)で、こちらはカンヌ映画祭パルムドールに輝いている。主人公ディーパンはスリランカ出身で、タミル・イーラム解放のために闘い、政府軍に妻子を殺される。ディーパンは難民キャンプで、30歳前後の女性ヤリニ、少女イラヤルと便宜上の家族になって出国した。

 大義に身を捧げてきたディーパンは、血と暴力に満ちた修羅場を生き延びてきた。行き着いたパリ郊外のアパートで管理人の職を得たディーパンは、偽装から真の家族になるための闘いを始める。憎悪から愛に軸足を移したが、血が繋がっていようがいまいが、絆を紡ぐことには困難が付き纏う。ヤリニは常に揺れているし、イラヤルも学校に馴染めずにいた。

 年金生活者、高齢者、移民、低所得者が暮らすアパートでも、戦場に似たルールが支配していた。ある棟の最上階を占めるのは麻薬密売組織で、家政婦として派遣されたヤリニは、意外なほど優しい幹部ブラヒムと、料理を通じて打ち解けていく。一方で、ブラヒムたちと敵対するグループと抗争に毅然とした態度を取ったディーパンは、微妙な状況に追い込まれる。

 フィルムノワールの色合いが濃い本作はダウナーでサスペンスタッチだが、俺は待ち受けるカタルシスを確信していた。12年のベストワンに挙げたオディアールの前々作「預言者」も移民(イスラム系)が主人公だったが、長い闇から一転、ラストで光に包まれる。重いテーマを後景に据えながら予定調和のピカレスクを創り上げる手腕に感嘆するしかない。オディアールは〝辛口だけどマイルドな隠し味を合わせ持つカレー〟を作る一流シェフといえるだろう。

 アジア系は内向的で表情に乏しいといわれるが、本作ではディーパンの秘めた激情、ヤリニの心情の変化か巧みに表現していた。ちなみに、ディーパンを演じたアントニーターサン・ジェスターサンは実際にスリランカ出身で、亡命後は小説や評論で評価される文化人でもある。いかなる〝具材〟を見つけてくるのか、オディアールの次作が楽しみだ。
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「田中正造~未来を紡ぐ思想人」~100年後を照射する崇高な魂

2016-02-21 23:19:28 | 読書
 あす(2月22日)は猫の日だ。楽な仕事を見つけて早めにリタイアし、のんびり猫と日向ぼっこという若い頃の夢は、とっくに潰えた。俺のような怠け者は自業自得だが、日本人を待ち受けているのは年金給付70歳以上という奴隷制である。いっそ猫になりたいと思っても、恵まれているのは一部で、野良猫の寿命は2~5年といわれている。

 先日、緑の党の総会に参加した。昨年7月の臨時大会で<人と人を紡ぐ>という目標を発見したが、この半年、明らかに停滞していた。今回の総会は心にフィットしなかったが、目標実現に向けて具体的手段を見つける。Oプロデューサーに〝弟子入り〟し、音楽、映画、文学をリンクさせたイベントを企画することである。

 <格差と貧困の克服>を訴える共産党だが、党勢が飛躍的に拡大したのは、富が庶民に正しくトリクルダウンした60年代後半からの10年だった。都市圏では選挙になると、共産党支持の松本清張や手塚治虫、俳優らが演壇に立ち、大学生や高校生がビラをまく。文化の薫りと瑞々しさに溢れる光景だった。

 共産党はその後、地金を出したが、「他に選択肢がないから投票した」というスタンスの有権者は多い。緑の党の課題のひとつはイメージ戦略が足らないことだ。支援してくれている著名人をさらに引き寄せ、感性が近い作家やミュージシャンが〝気付いてくれる〟状況をつくっていきたい。

 「未来を紡ぐ思想人~田中正造」(小松裕著、岩波書店)を読了した。かねて足尾鉱毒事件に関心を抱いていたが、田中正造の壮大かつ深遠な思想に触れ、没後100年が経った今こそ光を当てるべき巨人であることを再認識した。歴史学者(熊本大教授)の著者は、史料とともに生涯を丹念に追っている。アカデミックと対極の俺は著者の論考に沿いながら、2016年の日本と重ねて論じたい。

 正造が提示した<官と民>、<環境と人間の調和>は反公害闘争、住民運動、そして今日の秘密保護法、辺野古基地移設、原発再稼働、戦争法案に抗議する人々に受け継がれている。<明治政府-古河-谷中村>の構図はそのまま、福島原発事故後の<日本政府-東電-福島>に置き換えることができる。

 本書には、操業停止後の足尾銅山跡から許容量を超える鉱毒が流出している事実が紹介されている(91年、東京新聞の記事)。福島も同様だが、<低年齢層における甲状腺がん発症例の増加>は大きく取り上げられない。広告費が欲しいメディアは、税金を納めない大企業を叩けないが、正造は<足尾銅山(古河)より被害農民の納税額の方が圧倒的に多い>事実を告発している。

 日本は明治以降、何も変わっていないのではないか……。ページを繰りながら、そんな思いが頭をもたげてくる。正造は県会議員、言論人として活躍し、第1回衆院選で当選する。ユーモアのセンスが抜群で絶大な人気を誇った正造は、鉱毒問題に直面してから<国の形>に本質的な異議を唱えるようになる。

 選挙制度について正造は、<寄生地主や名望家層による有産者自治の真の目的は細民排除>と看破していた。ちなみに帝国憲法下の選挙制度は普選法、そして現憲法下にも引き継がれている。先進国ではあり得ない莫大な供託金制度こそ、日本が民主国家に至らぬ最大の理由といっていい。

 正造が重視したことを以下に……。まずは<自由の気象>で、子供たちを型に嵌め個性を殺す教育を<ねり殺し>と批判していた。さらに挙げれば<水平思考>で、正造は運動を続ける過程で、リーダー意識を克服し、農民たちと仲間として接するようになる。その延長線上にあるのが<学歴や知識人への忌避感>で、「学んだことを(官僚や企業人として)農民を虐げるために用いている」と記している。運動の高揚期に接近し、退潮期には引いていくという、いつの世も変わらぬ知識人の習性にも違和感を覚えていたようだ。

 特筆すべきは正造の平和観、そして憲法観だ。日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)と、好戦ムードが国中を覆う中、正造は<永遠の平和こそ小国日本の礎>と主張する。〝小国〟という認識は、当時、そして着膨れした安倍内閣と対極といっていい。<軍備を撤廃し、軍事費を庶民の生活費に充て、世界平和の唱道者になるべき>と論じていた正造こそ、憲法9条の先駆者である。

 <権力の非道によって所有権を奪われ、生存権すら脅かされつつ、谷中の地に踏みとどまって自治と人権のために闘い続けている残留民たちは、まさに「人道の見本、憲法擁護の手本」であり、「憲法の番人」>……。正造の立憲主義への思いをこのように記していた。世の流れが自身の理想と乖離していき、正造の言葉に亡国の思いが滲むようになる。

 田中正造といえば、誰しも天皇への直訴を思い出す。<天皇に頼ったことが正造の限界>とする論考も少なくないが、直訴は木下尚江や幸徳秋水に相談した上での計算ずくのアピールだったようだ。正造は<谷中残留民のような弱者の人権を保障していくには、普遍的真理である「人権」に立脚した「広き憲法」を作るしかない>と考えていた。正造は晩年、天皇を主権者にすることで成立する「国体」を否定していたと、小松氏は分析している。
 
 鉱毒被害地が洪水に襲われた時、70歳を超えた正造は襤褸を纏って各地を回った。治水行脚は半年弱で2000㌔に及んだという。野垂れ死にこそ自分に相応しいと語った正造を、花崎皋平は遊行聖と表現している。正造は洗礼を受けなかったがキリスト教に強い影響を受けていた。真理を説いて彷徨う正造に、「奇跡の丘」(64年、パゾリーニ)が重なる。崇高な魂に感銘を覚えた。

 <真の文明とは、山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし>……。これが正造の行き着いた境地で、富も名声も全てを捨て、苦しんでいる人たちに寄り添った。小松氏は<田中正造は、3・11をへた今こそ、私たち一人ひとりの心の中によみがえらねばならない>と結んでいる。
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絆をリアルに追求した「恋人たち」に覚えたカタルシス

2016-02-18 23:28:07 | 映画、ドラマ
 井出康平が麻雀プロリーグ「モンド杯15/16」を制した。ホスト風のいでたちと生意気な物言いに、〝チャラい奴〟と決めつけていたが、優勝した瞬間、そして勝者インタビューで泣いていた。「自分を支えてくれた家族、番組スタッフに感謝したい」と声を詰まらせ、「雀士って辛い職業でしょう。息詰まるオーラス、いろいろなことが走馬灯のように脳裏を駆け抜けた」と続けた。

 囲碁や将棋の棋士とステータスの差はあるが、感性と理性で勝負する雀士に羨ましさを覚えていたので、<辛い職業>は意外だった。井出に限らず雀士は「修業」を頻繁に用いる。運をも引き寄せるため麻雀に打ち込んでいるのだ。対照的なのは政治家で、丸川、丸山両議員に真摯さ、情熱、誠意の欠片も感じない。彼らにとって<政治家はお気軽な職業>なのだろう。

 前稿の枕で、重力波について「サッパリわからない」と記したが、簡単なはずのこともサッパリわからない。株価の乱高下もそのひとつで、解説を聞けばわかった気はするが、誰かに説明するのは難しい。識者の多くは、市場が機関投資家による博奕場になっていると説明している。

 いしいひさいちは30年以上前、日本の現在を見据えていた。<何事も正確に処理する勤勉な日本人は数十年後、行き当たりばったりのギャンブラーになっている>……。言葉にするとつまらないが、4コマで鮮やかに予言した通り、政治も経済も投機的に運営されている。

 サッパリわからないことは身近にだってある。家族、恋人、仲間と疎遠になり、気持ちが通じなくなるほど哀しいことはない。他者と繋がりたい、互いを理解したいと喘ぎながら叶わず、孤独に苛まれた経験は誰にだってあるだろう。普遍的な絶望と、そこに射し込んだ一条の光を描いた映画「恋人たち」(15年、橋口亮輔監督)を先日見た。

 人と人の心の狭間、微妙な距離を浮き彫りにした作品で、ダウナーなムードで始まりながら、ラストにカタルシスが訪れる。不朽の名作「心は孤独な狩人」(1940年、マッカラーズ)を彷彿させるフーガ形式で、心の鎖を繋ごうと喘ぐ3人が軸になっている。主人公といっていいのがアツシ(篠原篤)で、冒頭とエンドタイトルで映し出される部屋の変化が、アツシの心象風景を表している。

 妻を通り魔に殺されたアツシは負け組の象徴で、狂った歯車を止められず沈んでいく。アツシが経験したのは誰にも起こり得る普遍的な出来事で、生活苦で健康保険を滞納し、区役所で軽くあしらわれる。アツシの心の窓は亡き妻だけに開かれており、通り魔に対してだけでなく、全身に憤怒が漲っている。不発弾を抱えたまま、時に刃を自身に向けるのだ。

 アツシの絶望を増幅させたのが弁護士の四ノ宮(池田良)だ。勝ち組っぽい四ノ宮はアツシの苦悩に向き合おうとしないが、自身もまた蹉跌を抱えている。ゲイをカミングアウトしたことで、世間という壁にぶち当たる。切られた携帯を握り締め、心情を吐露するシーンが胸に迫った。真実に近づいた四ノ宮なら、エンドタイトルの先、アツシに救いを差し伸べるだろう。

 瞳子(成嶋瞳子)は弁当屋で働く中年の主婦だ。愛情が冷めた夫、姑との暮らしに倦んでいる瞳子にとって、皇室(とりわけ雅子妃)追っかけ時代のビデオと、乙女チックな小説を書くことが救いになっていた。小説を読んでくれた鶏肉業者の藤田(光石研)と親しくなったが、夢は潰える。藤田の真の姿を目の当たりにした瞳子の一人語りが印象的だ。

 リアリティーをどう捕らえるかは個人差があるが、本作は現在の日本を切り取るリアルな作品だった。格差と貧困、LGBT、東京五輪、皇室、不倫、覚醒剤といった様々なテーマでスパイスしながら、<人と人とのささやかな絆>を追求している。迷路を設定しつつ、出口をきちんと用意していた。本作のリアルは、橋口監督のキャスティングの妙にもある。光石研とリリー・フランキー以外は知らない役者ばかりで、先入観と予定調和を抜きに、物語に浸ることが出来た

 アツシは建築物の補修点検に従事しており、会社では機械を超える天才と評価されている。コンクリートの亀裂をたちどころに指摘するのだ。心にひびが入ったアツシに向いた仕事ともいえるが、ラストに向かうにつれ癒えていく。心身に大きな傷を負ったがゆえ、優しさと包容力を併せ持つ黒田先輩の言葉、「世の中には、いい馬鹿と悪い馬鹿と、質の悪い馬鹿がいる」が、アツシの頑なな心を開いた。

 仕事がオフだった月曜夕方、雨宿りしていた新宿ピカデリーで、10分後に開映する「恋人たち」を発見した。偶然見た映画が傑作で、帰宅後に復習し、昨年度キネマ旬報1位と知る。幸いなことに、俺には映画の女神がついているようだ。
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「海を照らす光」~生きる意味を詩情豊かに問う灯

2016-02-15 01:06:47 | 読書
 <重力波を初観測>の大見出しが各紙1面に躍っていた。アインシュタインの予言を証明した歴史的成果で、ノーベル賞は確定という。ニュース番組で解説を見たが、サッパリわからない。でも、全く興味がないわけでもない。超文系の俺だが、量子力学と宇宙物理学を禅や道教と重ね、物質と意識の不可分な連なりを説くニューサイエンスにハマった時期がある。1990年前後のことだ。

 壮大な宇宙と微少な量子の仕組みの驚くべき調和に、人類の未来に向けた指標を見いだすこともできる。ちなみに、ニューサイエンスにインスパイアされた作家を挙げれば、「蟻」3部作、「タナトノート」、「われらの父の父」などを著したベルナール・ウェルベルだ。人間社会は世紀を超え、調和ではなく対立を志向するようになった。人を繋ぐはずだったネットではタコツボが日々増殖し、憎悪を吐き出している。

 最近のネットのトレンドは「ゲス」と「不倫」らしい。ベッキー騒動を引き継いだ宮崎謙介議員については語るに落ちるが、甘利前経済再生相こそ議員辞職すべきだ。URを巡る一件は政財界の腐敗構造の象徴で、億単位の汚れた金が環流している。三権分立が有名無実になった今、司法のメスが闇を抉ることは期待薄だ。

 心がギザギザになる日々、魂が洗われる小説を読んだ。「海を照らす光」(M・L・ステッドマン、早川書房)である。小説について記す時のスタンスは、<素晴らしい作品だけど、俺の感想が読むきっかけになる人はいないだろう>というもの。でも、本作は違う。ぜひ読んでほしい……というより、ぜひご覧になってほしい。というのも映画化が決定しており、原作の肝を損なわず、キャスティング(とりわけルーシー役)の失敗がなければ、オスカーの可能性も十分だ。

 通勤の行き帰りに読書しているが、本作のラストは電車で読まなかった。アラカンになって涙腺が一層もろくなったから号泣は間違いなく、部屋で想定通りになった。いずれ映画館で、多くの方がハンカチで目を覆うことになるだろう。興趣を削がぬため、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。

 舞台は第1次大戦直後のオーストラリアだ。戦争の傷痕は生々しく、人々の心にドイツへの憎悪が渦巻いている。オーストラリア軍はドイツ軍と闘い、幸運にも復員できた兵士も毒ガスに心身を冒され、普通の生活を送れなかった。主人公のトム・シェアボーンは軍功により勲章を授与されたが、戦争の傷に苛まれている。生き残ったこと、自ら手を染めた殺戮への罪障から逃れられず、世間と隔絶した灯台守の仕事を選ぶ。ヤヌスの灯台に赴く直前、2人の女性と運命的な出会いがあった。そのうちの一人、瑞々しく伸びやかなイザベルと結婚した。イザベルもまた、2人の兄を戦争で亡くしていた。

 もう一人の女性は地元有力者の娘ハナで、父の反対を押し切りドイツ系のフランクと結婚した。バルダジョウズの空気はあたかも「ミシシッピー・バーニング」で描かれたフィラデルフィアの如くで、ドイツへの憎悪は狂気に近く、警官でさえ見て見ぬふりをする。ターゲットにされたのはフランクで、ハナのささやかな幸せはたちまち潰えた。

 トムとイザベルは灯台での暮らしに馴染み、大自然の中で愛を育む。だが、3度の流産でハナは子を産むことが出来なくなった。女性にとって子供とは特別な存在で、イザベルもまた、絶望の淵に突き落とされた。そこに、男の死体と女の赤ん坊が漂着した。トム、そしてイザベルが下した決断が波紋を呼ぶ。

 前半は繊細な筆致で自然を描き、後半ではトム、イザベル、ハナの心象風景が浮き彫りになる。全編を通して詩情豊かな筆致で、ページを繰りながら映画を見ているような錯覚に陥った。倫理と良心、罪と罰、愛と家族の意味を読む者に問い掛ける。物語から寓話の域に達した本作ほどではなくても、人は誰しも宿命の欠片を抱えて生きている。小説であれ映画であれ、本作に接した方は、そのことに行き当たるはずだ。

 トムほどではないが、俺も今、二つのベクトルに引き裂かれている。俺はしばしば、政治的や社会について語る。だが、三十数年前に気付いたこと、即ち自分は政治に向いていないという確信に再度、直面しているのだ。小説に読み、心を旅するたび、そんな思いは強くなる。
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NAJAT、そして参院選~閉塞の時代に風穴はあくか

2016-02-11 23:25:09 | 社会、政治
 スーパーボウルでデンバー・ブロンコスが下馬評を覆し、24対10でカロライナ・パンサーズを下した。世代交代を期待する声も高かったが、旧世代の実直なペイトン・マニング(39歳)が、新世代の奔放なキャム・ニュートン(26歳)を制する。試合の中身はQB対決と真逆の凄まじいディフェンスマッチで、マニングの勝利への執念、ゲームマネジメント、エゴを抑えた忍耐力が光った試合だった。

 マニングはオーディブルをフル活用し、プレーヤーコーチ的な役割を果たしてきた。特筆すべきは創造性に溢れた多彩な攻撃で、戦争に喩えられるアメフトをアートの領域に高めたことである。美学を追求するタイプゆえ勝負弱さが付きまとったが、苦汁をのまされてきたペイトリオッツを破り、スーパーボウルに歩を進める。引退も囁かれる満身創痍のマニング、トム・ブレイディ(ペイトリオッツ)、弟イーライ(ジャイアンツ)らとともに創り上げた壮大なページェントの幕は下りた。一つの時代の終焉を実感した今季のNFLだった。

 NFLがエンターターテインメントに満ちていることは記してきた通りだが、上を行くのは大統領選の道程だ。ニューハンプシャー州の予備選については、最後に記すことにする。

 遠藤ミチロウをテーマにした前稿の長い枕で、生き方を<清原的=群れる>と<松井的=一匹狼>に分類した。俺はここ十数年、<松井的>だったと記したが、2年前に緑の党に入会し、新たな志向が加わった。<ミチロウ的>といってよく、他者との絆を地道に紡ぐ生き方だ。心から尊敬できる仲間と知り合えたが、その中のひとり、優しさと激しさを併せ持つ杉原浩司さんが代表を務める武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)発足集会(7日、北とぴあ)に参加した。

 山本太郎参院議員が<霞が関が最も恐れる男>と評する杉原さんは、原発再稼働、秘密保護法、戦争法案、イスラエルのガザ空爆などに対する様々な抗議運動で軸として闘ってきたことが、今回の代表就任に繋がった。戦争法案反対→武器輸出反対は必然の道筋だが、その声はまだ低いのではないか……。そんな懸念を抱いていたが、会場は超満員(定員オーバーの220人)で熱気に溢れていた。

 日本とパレスチナを結ぶ活動に携わってきた奈良本英佑氏の主催者挨拶、杉原さんの基調報告、池内了氏(宇宙物理学者)と古賀茂明氏(元経産官僚)の問題提起、休憩を挟んで望月衣塑子氏(東京新聞記者)を交えたパネルディスカッションと続く。政治課題を語る場合には希だが、各氏は倫理と良心、拝金主義からの脱却を語る。防衛装備庁や武器展示会に単身乗り込む杉原さんは官僚たちのモラルハザードを例示し、池内氏は軍需産業に傾斜しがちな研究者の姿勢を詳らかにする。フランスのメディアや労働者が同国製軍用機の輸出が急増していることを歓迎する風潮に、古賀氏が警鐘を鳴らしていた。

 古賀氏が「モラルを語っても限界がある。選挙で政権を変えなければならない」と切り出すと、杉原さんは即、「ご自身はどうですか」と返した。シールズを含め協力団体からのアピールと行動提起で、盛況のうちに閉会した。ロゴを含めNAJATはポップなムードで、賛同者の中に高坂勝さん(緑の党前代表)の名もある。俺もささやかながら力を貸したい。

 翌日8日、参院東京選挙区の無党派統一候補擁立に向けた準備会に参加した。昨秋以降、著名人数人に打診したが承諾を得られず、残ったカードは限られてきた。当日はそのうちの一枚である三宅洋平氏が招かれ、質疑応答が行われた。三宅氏は〝感性の人〟というイメージがあるが、憲法、戦争法案、環境問題、格差と貧困など、広範な問いに論理的に答えていた。三宅氏に違和感を覚えていた参加者が「あなたのことが少し好きになった」と発言するなど、距離は少し縮まった気がする。

 立場が異なっていても、膝を詰めて語り合えば相互理解に至る……。これが三宅氏の発想の根底にあるアイヌの「チャランケ」だ。残念ながら参院選の見通しは甘くない。安倍政権の支持率は50%を超え、そこに橋下氏が加わる可能性が高いからだ。俺を含めた参加者の多くは、現状に風穴をあける役割を三宅氏に期待している。

 「出馬しないなら何をしますか」という問いの答えが興味深かった。アメリカに行って英語を勉強しながら、自己流でサンダースを応援したい」と夢を語る。「万々が一、日本で政権が交代しても、アメリカ大統領がヒラリーやトランプだったら何も変わらない」と話し、「スペインのポデモスなんかも加わったらいい」と続けた。三宅氏は世界の反グローバリズム、反資本主義の流れを見据えている。

 三宅氏が言うように、2019年の参院選の頃には、身動き出来ない閉塞状態になっているかもしれない。だから今回というのが推す側の理屈だが、チャランケ精神に根差した表現力をアメリカで発揮し、一皮剝けて帰国した三宅氏も見てみたい。

 サンダースはニューハンプシャー州予備選でヒラリーに圧勝した。アメリカの革命は、日本に確実に波及する。サンダース大統領なら辺野古移設反対の声に耳を傾けるだろう……。こんな風に考える俺もまた、アメリカ頼みの奴隷根性に冒されている。
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「お母さん--」~ミチロウがさらけ出した素顔

2016-02-07 02:40:20 | 映画、ドラマ
 桜島の昭和火口で爆発的噴火が起きた。誰しも川内原発の安全性に疑念を抱く。地震大国で、倫理的にも科学的にもあり得ない原発再稼働が進行する現実に、絶望しているわけにはいかない。ストップを掛けるべく奮闘している仲間の力になりたい。

 清原逮捕に、「実はあの時」なんて証言があちこちから漏れてくる。俺は1990年以降、プロ野球への関心が薄れていたから、〝選手清原〟には疎いが、巨人在籍時には〝人間清原〟を興味深く眺めていた。仲間(≒子分)と日々大騒ぎしていた清原、輪に加わらず一匹狼を貫いた松井……。好対照の両者だが、俺の中には<清原的>と<松井的>が棲み分けている。

 勤め人の頃、後輩たちを引き連れ、夜遊びしていた時期があった。退社3年前から<清原的>な自分が嫌になり、この15年ほどは<松井的>が基調になっている。清原本人は身に染みているはずだが、群れる、つるむは孤独を深め、心の空洞を逆に広げていく。自業自得とはいえ。清原と最近まで連絡を取り合っていた野球関係者は3人だけという。

 米大統領選の民主党予備選で、バーニー・サンダースがヒラリー・クリントンに肉薄している。端緒は3・11前後に全米で広がった「反組合法」への抗議運動で、10代、20代が中心を担い、各地で10万人規模のデモが開催された。あれから5年、反グローバリズム、反資本主義が浸透したから、社会主義者のサンダースが支持されるのだろう。

 サンダース陣営にはヴァンパイア・ウィークエンド、フォスター・ザ・ピープルら旬のバンドから、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、サーストン・ムーア(元ソニック・ユース)といった大御所、ラディカルなシステム・オブ・ダウンが加わり、ムーブメントになる可能性が高い。デヴィッド・ボウイの「スターマン」を演説の途中に流すなど、サンダースとロックは蜜月関係にある。

 反原発、戦争法案反対の高揚期、<日本では政治とカルチャーが切り離されている>と記してきた。例外といっていいのが3・11後、出身地でもある福島に軸足を置き、復興支援プロジェクト「FUKUSHIMA」を立ち上げた遠藤ミチロウだ。同名のアルバム(15年)、「オルタナミーティングVol.7~ハダカノオウサマヲワラヘ」(阿佐ヶ谷ロフト)におけるPANTAとのジョイントライブに感銘を覚えた。

 ミチロウがメガホンを執った「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」(15年)を見た。還暦を迎えた2011年の活動に迫ったドキュメンタリーで、演奏シーンのハイライトは、あづま球場で開催されたフリーフェスティバルでのスターリンのパフォーマンスだ。初めて接したスターリンだったが、還暦とは思えない研ぎ澄まされた肉体に圧倒された。

 三角みづ紀(詩人)が対談で、ミチロウの本音を引き出していた。世に出た息子の言動を紹介するメディアにショックを受けた母に、「俺と雑誌と、どっちを信じる?」と尋ねると「雑誌」と答えた。そんなエピソードを、母と息子が実家で笑いながら話していた。ミチロウが50歳の時に作ったタイトル曲に、家族をテーマに詩を書くことをためらっていた三角は、大きな影響を受けたという。〝故郷喪失者〟だったミチロウだが、3・11が家族と福島を再発見するきっかけになった。

 PANTAは上記のライブで、ミチロウのセルフマネジメント能力を絶賛していた。行く先々で関係を紡いだ結果が年間200本のライブで、時に居酒屋で歌う姿は吟遊詩人の趣がある。ミチロウは吉本隆明のファンで、自宅に押しかけ歌ったことがあるという。吉本の評論で島尾敏雄を知り、特攻隊の基地があった奄美大島と福島を重ねるようになった。夏には手作りフェスに参加し、島の人たちと交流している。

 自身を浄化するかのような叫びとメイクは、ミチロウにとって繊細と狂気を表現する異界への旅立ちの儀式かもしれない。だが、本作で知った素顔に、柔らかさと温かさを感じた。俺がミチロウに親近感を抱いた最大の理由は、妹の命を奪った膠原病を発症し、生死の境を彷徨ったことだ。闘病のベッドで書いた詩集「膠原病院」については改めて記すことにする。



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笑われ男が語る笑い~ツボは風刺と毒?

2016-02-03 22:54:55 | 戯れ言
 米大統領選挙予備選でのバーニー・サンダース大健闘、そして清原逮捕……。思うところは山ほどあるが、次稿以降に回したい。

 前稿で辺見庸著「1★9★3★7」について記したが、書き漏らしたことがある。現在の日本を最も深く洞察している識者は辺見と星野智幸だが、両者の見解が奇しくも一致した。星野は「戦争を必要とする私たち」(01年)で、<国旗国歌法が誕生し、通信傍受法が成立し、日米防衛のためのガイドラインが改訂された1999年を右傾化元年と捉えている>と記した。一方の辺見は先月21日付朝日新聞のインタビューで、<安保法制なんて、周辺事態法が成立した1999年から決まりきったこと>と述べている。

 戦争法案の起点は1999年で、小泉首相の解釈改憲による自衛隊イラク派遣が流れを決定づけた。内閣支持率が上昇しつつある今、反安倍に立つ側はこれ以上、攻撃を待ってカウンターパンチを振り回すわけにいかない。歴史とシンクロニシティーが形成する座標軸を踏みしめ、ボディーブローを繰り出すべきだ。

 先週末、「よってたかって新春らくご’16」(よみうりホール)に足を運んだ。春風亭一之輔「新聞記事」→柳家喬太「そば清」→春風亭百栄「船越くん」→三遊亭白鳥「落語の仮面~嵐の初天神」のラインアップで、2時間強はあっという間に過ぎた。自虐的で包容力のある喬太、パワー全開の白鳥と聴きどころ十分だったが、俺の最近の一押しは一之輔だ。スピード感といい、間の取り方といい、ポップ感覚に溢れている。

 だが、ポップとは自家中毒を起こしかねない危険物だ。音楽の世界でも、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)、シド・バレット(ピンク・フロイド)とポップ菌に苛まれたアーティストは数え切れない。又吉直樹が「火花」で描いた神谷も、畏るべき才能に恵まれながら狂気の世界に誘われた。お笑い界では失速する芸人が多いらしいが、一之輔には伝統というベースがある。今後の進化が楽しみだ。

 ホール落語は精鋭が集うから、火花がバチバチ散っている。〝ゆるキャラ〟の百栄でさえ気合十分だった。今回のメンバーに加え、桃月庵白酒、柳家三三あたりが中堅の売れっ子だが、気になることがある。鼻につくとまではいかないが、楽屋話というか、互いに言及するケースが多過ぎる。仲間意識の強さの表れといえるし、客の笑いは取れる。落語初級者の俺が言うことではないが、筋を外しているように感じる。

 年末年始は京都に帰り、親類宅(寺)に泊まったが、従兄弟一家は揃ってお笑い好きだ。従兄弟は吉本新喜劇、奥さんはお笑い全般、息子2人は多くの漫才コンビの特徴を把握している。俺は江戸前落語だから、少しずつジャンルが違う。

 理屈っぽい俺は、かつてWOWOWでオンエアされた「コメディUK」シリーズに瞠目させられた。首相や王室まで俎上に載せ、性的趣向、差別意識、上流階級の欺瞞、大衆の偏見を、風刺と毒をたっぷり効かせて調理している。甘利明前経済再生相の奥深い疑惑を先頭に立って追及しているのは、福島原発事故後、「(放射能は)直ちに影響はない」を繰り返して失笑を買った枝野民主党幹事長(当時、官房長官)だ。これって、噴飯物のお笑いではないか。

 「コメディUK」を放映しているのはBBCだが、日本の放送局で枝野氏をネタにしたという話は聞かない。甘利氏についても同様だろう。この国のお笑い芸人が牙を抜かれているのは、原発事故や戦争法案に対する発言からも明らかだ。ビートたけし、松本人志、そして密かに期待していた爆笑問題も腰が引けている。独演会でファシズムに警鐘を鳴らし、原発再稼働を人倫にもとる行いとぶち上げた柳家小三治を見習ってほしい。ちなみに小三治は昨年のインタビューで、「人間国宝って取り消されるのですよ」と煙に巻いていた。

 30年以上も前のこと。ビートたけしをはじめ錚々たる芸人が正月番組に出演していた。それぞれに話が振られたが、異彩を放っていたのがたこ八郎だった。たこは旧ソ連の書記長に就任したばかりの元KGB議長アンドロポフを揶揄したが、スタジオの誰もが理解出来なかった。「この人は凄い」と感嘆したが、間もなく帰らぬ人になる。現在の日本に、たこのレベルに達したお笑い芸人はどれほどいるのだろう。

 大学時代、「おまえには巧まざるユーモアがある」と友人に言われた。ドジなおまえは見ていておかしいということで、現在に至るまで恥や失敗の連続だ。人間には得手不得手があるから、俺は笑いの本質に気付かぬまま、死ぬまで笑われ続けるだろう。
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