これというテーマがないので、あれこれ感じたことを適当に綴っていきたい。
先日の地下鉄での出来事……。いったん降りた高齢者が間違いに気付き、ドアに挟まれるように戻った。彼が次の駅で降りた後、近くに立っていた若いカップルの会話に、暗い気持ちになる。女が「何、あの人」とボロクソ言う。たしなめることを期待した男も、言葉を接ぐように罵った。荒みがこの国を覆っている。
ブログに記した通り、先月末、よみうりホールで開催された落語会に足を運んだが、脱力、自虐がウリの春風亭百栄の枕に我が身が重なった。いわく<暇な時はボケーッと「相棒」なんかの再放送を楽しんでいる。半分あたりで見たことに気付くけど、結末が思い出せない>……。
俺より六つ下(53歳)の百栄は日々、アンテナを張り巡らせ、脳を鍛えているはずだ。多少の誇張があるだろうが、物忘れがあると知り安心する。そうはいっても俺の場合、<病>の域に迫っている。そこに肩と肘の痛みが加わり、いつも眠い。老いは確実に進行している。
視力の衰えで小さな字が読めない。読書も捗らないが、困ったことにBGMなしになってしまう。昨年秋、DVDがディスクを感知できなくなったが、同じことがCDにも起きた。センサーの短命ぶりは、買い替えを促す電機メーカーの策略なのか、俺の老いが伝染なのか……。ガラゲーまで不調になって、バッテリーがすぐ落ちる。
「柳家喬太のようこそ芸賓館」の先週放送分のゲストは、日大落語研究会の同期生、立川志らくだった。談志に弟子入りした志らくは若くして頭角を現し、周りが羨むほど師匠に可愛がられた。一方の喬太は入門が遅く、下積みが長かった。道のりは対照的でも今や落語界のベストナイン級だが、落研時代、あるコンクールに応募し、ともに予選で落ちたという。このエピソードを披露しながら、両者は「見る目がないなあ」と笑っていたが、いわゆる業界人には節穴の目の持ち主は極めて多い。
お笑いにしても、綾小路きみまろを筆頭に長い潜伏期間を経て、独力でブレークした芸人を挙げたらきりがない。是枝裕和監督は「この企画がボツになったら足を洗おう」と決意して撮ったドキュメンタリーでようやく認められ、映像の世界に踏みとどまった。ビートルズ、モンロー、スタローンなど、この手の話はジャンルを超えて転がっている。
最近、痛いほど感じているのは政治業界人――国会議員から市民活動家まで――のセンスのなさだ。永田町の地図を少し塗り替えるだけの民維合併に、どれほどの意味があるのだろう。自公に橋下(大阪維新)がくっつけば、政権はさらに頑強になる。圧倒的な力の差をひっくり返したのが、1988年のチリだった。世界からのプレッシャーを受け、ピノチェット大統領は国民投票を実施する。15年にわたる独裁政権を支持する人は「YES」、反対する人は「NO」を投票用紙に書き込むシステムだが、ハナから勝負にならないはずだった。
選挙戦を題材に製作された映画が「NO」(12年、パブロ・ラライン監督)だ。敏腕広告マンのレネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は「NO」の側に立ち、頑迷な左派の介入をはねのけ、映像の力で空気を変えた。翻って現在の日本はというと、センスのなさを自覚する自民党は広告代理店を味方に、人々の意識を誘導している。そこに介在するのは莫大な金だ。反安倍側が繰り返すステレオタイプの決まり文句は、鮮度をなくしつつある。
ヒトラーユーゲントならぬ安倍ユーゲントが準備されている。バックについているのは恐らく広告代理店だ。シールズやティーンズソウルを換骨奪胎した政権応援団が街頭を練り歩く日はいつか。官製ムーブメントだから、公安がチェックすることも警察が規制することもない。笑顔で安倍支持のプラカードを掲げる若者たちに、俺は寒気を覚えるだろう。
気分がカサカサしたので、高坂勝さん(緑の党前代表)が経営するバー「たまTSUKI」を訪ねた。週3日は千葉で農業に従事し、週4日はバーのマスターという半農半Xを実践している高坂さんは最近、様々なイベントに招かれ、メディアへの露出が目立ってきた。本日(28日)の日経朝刊にも「SOSAプロジェクト」が紹介されたらしい。
脱成長を主張する高坂さんの店には、環境保護や食の問題に取り組んでいる人だけでなく、立場が真逆の広告マンや保守系シンクタンク社員も訪れ、カウンター越しの議論になる。まさに〝人間交差点〟だが、その日は開店から2時間半、客は俺一人で、高坂さんを〝独占〟できた。格差と貧困やモラルハザードなど、政治の話になると<憂い>と<閉塞感>がキーワードになる。<絆を紡ぎ、空気を変える>のに大きな困難が伴うことを、高坂さんは身をもって知っているからだ。
高坂さんが昨秋、「未来へつなぐ」(BS・TBS)に出演した際の裏話も面白かった。「(仕事で)構造的暴力に加担したくない」など刃をキラリと煌めかせていた高坂さんを抑える役として、製作サイドは大宅映子さんをキャスティングしたという。ところが波長が合ってトークが弾んだことは、番組からも明らかだった。
硬い話だけではなく、音楽から恋愛論までざっくばらんに語り合い、話が菅原文太に及ぶ。死ぬ直前の沖縄でのスピーチに、高坂さんは涙を流したという。ブルース好きの高坂さんは、きっと熱い人なのだろう。思いをぶちまけ、高坂さんの共感を得たことで、心がホットに潤い、帰途に就いた。
NAJAT(武器輸出反対ネットワーク)代表の杉原さん、空気を変えようと奮闘している大場プロデューサー、そして高坂さん……。緑の党に入会して2年、アラカンになって信念と包容力を併せ持つ人たちに出会えたことに感謝している。
先日の地下鉄での出来事……。いったん降りた高齢者が間違いに気付き、ドアに挟まれるように戻った。彼が次の駅で降りた後、近くに立っていた若いカップルの会話に、暗い気持ちになる。女が「何、あの人」とボロクソ言う。たしなめることを期待した男も、言葉を接ぐように罵った。荒みがこの国を覆っている。
ブログに記した通り、先月末、よみうりホールで開催された落語会に足を運んだが、脱力、自虐がウリの春風亭百栄の枕に我が身が重なった。いわく<暇な時はボケーッと「相棒」なんかの再放送を楽しんでいる。半分あたりで見たことに気付くけど、結末が思い出せない>……。
俺より六つ下(53歳)の百栄は日々、アンテナを張り巡らせ、脳を鍛えているはずだ。多少の誇張があるだろうが、物忘れがあると知り安心する。そうはいっても俺の場合、<病>の域に迫っている。そこに肩と肘の痛みが加わり、いつも眠い。老いは確実に進行している。
視力の衰えで小さな字が読めない。読書も捗らないが、困ったことにBGMなしになってしまう。昨年秋、DVDがディスクを感知できなくなったが、同じことがCDにも起きた。センサーの短命ぶりは、買い替えを促す電機メーカーの策略なのか、俺の老いが伝染なのか……。ガラゲーまで不調になって、バッテリーがすぐ落ちる。
「柳家喬太のようこそ芸賓館」の先週放送分のゲストは、日大落語研究会の同期生、立川志らくだった。談志に弟子入りした志らくは若くして頭角を現し、周りが羨むほど師匠に可愛がられた。一方の喬太は入門が遅く、下積みが長かった。道のりは対照的でも今や落語界のベストナイン級だが、落研時代、あるコンクールに応募し、ともに予選で落ちたという。このエピソードを披露しながら、両者は「見る目がないなあ」と笑っていたが、いわゆる業界人には節穴の目の持ち主は極めて多い。
お笑いにしても、綾小路きみまろを筆頭に長い潜伏期間を経て、独力でブレークした芸人を挙げたらきりがない。是枝裕和監督は「この企画がボツになったら足を洗おう」と決意して撮ったドキュメンタリーでようやく認められ、映像の世界に踏みとどまった。ビートルズ、モンロー、スタローンなど、この手の話はジャンルを超えて転がっている。
最近、痛いほど感じているのは政治業界人――国会議員から市民活動家まで――のセンスのなさだ。永田町の地図を少し塗り替えるだけの民維合併に、どれほどの意味があるのだろう。自公に橋下(大阪維新)がくっつけば、政権はさらに頑強になる。圧倒的な力の差をひっくり返したのが、1988年のチリだった。世界からのプレッシャーを受け、ピノチェット大統領は国民投票を実施する。15年にわたる独裁政権を支持する人は「YES」、反対する人は「NO」を投票用紙に書き込むシステムだが、ハナから勝負にならないはずだった。
選挙戦を題材に製作された映画が「NO」(12年、パブロ・ラライン監督)だ。敏腕広告マンのレネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は「NO」の側に立ち、頑迷な左派の介入をはねのけ、映像の力で空気を変えた。翻って現在の日本はというと、センスのなさを自覚する自民党は広告代理店を味方に、人々の意識を誘導している。そこに介在するのは莫大な金だ。反安倍側が繰り返すステレオタイプの決まり文句は、鮮度をなくしつつある。
ヒトラーユーゲントならぬ安倍ユーゲントが準備されている。バックについているのは恐らく広告代理店だ。シールズやティーンズソウルを換骨奪胎した政権応援団が街頭を練り歩く日はいつか。官製ムーブメントだから、公安がチェックすることも警察が規制することもない。笑顔で安倍支持のプラカードを掲げる若者たちに、俺は寒気を覚えるだろう。
気分がカサカサしたので、高坂勝さん(緑の党前代表)が経営するバー「たまTSUKI」を訪ねた。週3日は千葉で農業に従事し、週4日はバーのマスターという半農半Xを実践している高坂さんは最近、様々なイベントに招かれ、メディアへの露出が目立ってきた。本日(28日)の日経朝刊にも「SOSAプロジェクト」が紹介されたらしい。
脱成長を主張する高坂さんの店には、環境保護や食の問題に取り組んでいる人だけでなく、立場が真逆の広告マンや保守系シンクタンク社員も訪れ、カウンター越しの議論になる。まさに〝人間交差点〟だが、その日は開店から2時間半、客は俺一人で、高坂さんを〝独占〟できた。格差と貧困やモラルハザードなど、政治の話になると<憂い>と<閉塞感>がキーワードになる。<絆を紡ぎ、空気を変える>のに大きな困難が伴うことを、高坂さんは身をもって知っているからだ。
高坂さんが昨秋、「未来へつなぐ」(BS・TBS)に出演した際の裏話も面白かった。「(仕事で)構造的暴力に加担したくない」など刃をキラリと煌めかせていた高坂さんを抑える役として、製作サイドは大宅映子さんをキャスティングしたという。ところが波長が合ってトークが弾んだことは、番組からも明らかだった。
硬い話だけではなく、音楽から恋愛論までざっくばらんに語り合い、話が菅原文太に及ぶ。死ぬ直前の沖縄でのスピーチに、高坂さんは涙を流したという。ブルース好きの高坂さんは、きっと熱い人なのだろう。思いをぶちまけ、高坂さんの共感を得たことで、心がホットに潤い、帰途に就いた。
NAJAT(武器輸出反対ネットワーク)代表の杉原さん、空気を変えようと奮闘している大場プロデューサー、そして高坂さん……。緑の党に入会して2年、アラカンになって信念と包容力を併せ持つ人たちに出会えたことに感謝している。