酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

韓流ブームの彼方に見る幻

2004-11-29 16:36:57 | 社会、政治

 ヨン様に夢中なおばさんたちを、同世代の男として弁護してみよう。学生時代のマドンナが、阿鼻叫喚の渦中にいても不思議はないのだから。

 45~55歳のヨン様ファンは、カタルシスなき「祭りの後」に青春を過ごした世代だ。虚しさと閉塞感が漂っていたあの頃、彼女たちはオフコースに浸り、ユーミンにシンデレラ願望を刺激されたに違いない。優しそうに見えた男を選び今日に至るも、埋まらぬままの空白に韓流ドラマが忍び込んだ。そこに描かれる世界は、オフコースが歌う絵空事めいた愛によく似ている。

 45歳以下のヨン様ファンは、マニュアル時代の申し子だ。セックスから恋愛までマニュアルが行き渡り、テレビドラマが敷衍した。「彼が何者であるか」より「彼がどう見えるか」で結婚相手を選び今日に至るも、愛については殆ど知らない。古典的な韓流ドラマにからめとられたのは必然だったのだ。

 などど適当に書いたが、明らかに嘘っぽい。他人が何に熱狂しようが大きなお世話だが、問題なのはおばさんたちの「愛情表現の作法」ではあるまいか。

 グッズに幾ら費やしたか、「冬ソナ」ビデオを何度見たか、御神体にどこまで近づけたか,訪韓の回数は?……。おばさんたちは目に見えるものを追求する資本主義的競争原理に基づき、稚拙な言動を繰り返している。

 でも、希望はある。「量」は必ず「質」に転化する。韓流にのめり込んだおばさんは数百万単位で存在する。その中には、ヨン様を入り口に韓国の文化や歴史を学び、家族に説く人だって出てくるはずだ。

 「従軍慰安婦や強制連行という言葉が教科書から減ってよかった」など文科相が発言しようものなら、ヨン様を見送った後に抗議のデモをする……なんてことは、起こりようもないだろうな。
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JCも藤沢厩舎?

2004-11-27 06:35:28 | 競馬

 血統センターの辻氏が今週の「競馬ブック」にコスモバルクの父ザグレブについて書いている。障害馬専門の種牡馬として競馬界の一翼を担っているとのこと。これまで伝聞、推定を記したことはあったが、真実に辿り着けてよかった。

 さて、JC。④ナリタセンチュリーを軸に考えている。藤沢則厩舎は天皇賞が初の箱根越えで、田島裕騎手も関東での実績はなかった。外を回った馬が全滅した中で6着は健闘の部類だと思う。母や兄弟の成績はダート短距離に偏っているが、同馬はトニービン産駒の中距離の追い込み馬。東京の2400で好走できると思う。

 注目は②リュヌドール。フランス版ダンスインザムードって気がする。あとは⑩コスモバルク。5、6番手に付けるようルメール騎手に指示が出ているらしいが、折り合えればチャンスも。

 今のところ、上記3頭に⑨ゼンノ、⑭ホオキバを絡めるつもりだ。

 競馬と恋愛は論理じゃ手に負えない。ピンポイントではまれば番狂わせが起きることがある。今や死語になった「一点突破、全面展開」ってやつか。

 てな訳で、JCダートは前走惨敗で人気ガタ落ちの①ナイキアディライトを狙う。もちろん相手は⑩アドマイヤドンで、帝王賞と同じ組み合わせだ。ナイキが逃げられなかったら即アウトじゃ辛い。⑯ローエングリンに保険を掛ける。

 国際レースで気になるのはドーピングだ。JCで有力視されるパワーズコートは、大陸間の移動を繰り返して6カ月で7走。心身ともに疲れが出たのか、前走ブリーダーズカップではラシックスとビュートを使用した。ダートで人気を集めそうなトータルインパクトなど、全レースでドーピングを施された「常習馬」だ。

 俺も不眠に陥った時は、仕事中に「エスタロンモカ」をコーヒーと一緒に飲む。結構効くし、ドーピングできぬ不安は十分理解しているつもりだ。ラシックスもビュートも日本じゃ使えない。ならばコケる可能性大とみて、両馬とも買わないことにした。
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ナッシング・パーソナル

2004-11-25 14:45:58 | 社会、政治

 1週間前、感染症の病に侵されていることに気付いた。

 この痛痒感、もどかしさに情けなさ……と書くと性病と思われるかもしれぬが、さにあらず。かつて同じ感覚を味わったことを思い出し、「そうか」と手を打つ。「ナッシング・パーソナル」を見た時の感じに似ている。

 映画の舞台であるベルファストは、「血の日曜日」以降、カトリックとプロテスタント間のテロが激しさを増していた。愛する者を奪われ、主人公は自問する。「子供の頃は同じ学校に通い、恨みもわだかまりもなく交流できたのに、どうして憎み合うようになったのか」と。

 そう、俺が罹ったのは感染症の「憎しみ病」なのだ。初期的症状だから、治癒は可能だろうが。

 17日のW杯2次予選最終戦、7―0で勝った中国は、同じく圧勝したクウェートに最終予選進出を阻まれた。この結果に「ざまあみろ」という言葉は呑み込んだものの、俺はほくそ笑んだのである。

 「憎しみ菌」が体内に入ったのは、アジア杯の頃である。日本チームは中国各地ですさまじいブーイングを浴びたが、根幹にあるのは反日教育だと指摘されていた。

 冷静に考えれば、日本人に中国の教育を責める資格はない。明治維新以降、「中国人と韓国人は劣等民族」という福沢一万円大先生のお墨付きで、アジア蔑視が国中に広まった。行き着く先は南京大虐殺である。

 大規模な教育や宣伝があれば、たちまち憎しみは根付いてしまう。中国は嫌日、反日に傾き、日本では排外主義と憲法改正がセットで語られているのが現状だ。

 「ナッシング・パーソナル」ゆえ、俺は個人的に「憎しみ病」を克服したい。だが、国レベルで小泉首相が処方箋を用意しているのかを考えると、不安を覚えざるをえない。
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酔生夢死男の現実

2004-11-23 15:05:49 | 戯れ言

 ブログタイトルの「酔生夢死」とはどういう意味か。広辞苑には「何の為す所もなく徒に一生を終ること」と記されている。多少アレンジすれば、夢と現の区別なく、空想や妄想を糧に日々を過ごすってことか。

 まさに、俺の生き方そのものである。

 年に数回、不眠症になる。眠れぬ日が続くと、会社で眠くなる。いや、不眠でなくても眠い。退社間近なので告白するが、2時間ほど記憶が飛び、醒めると大過なく? 仕事を終えていたこともしばしばだった。それとなく周りに自分の様子を尋ねてみると、普通に席を立ったり会話したりしているようだ。夢遊病の疑いもある。

 学生時代、徹マンに興じたことが何度もあった。大概ヘコんでいたが、仮眠中に見た夢で勝ったりすると、正しい点棒状況を把握出来なくなる。ドツボにはまり込んでいくわけだ。

 夢と現実の混濁が「事件」を起こしたことがある。出身高校が共学になる夢を見た。曖昧な現実と比べ夢は詳細までクリアなので、疑いようもない現実だと確信したのだ。家族や友人に電話する。誰もが共学化に驚愕したが、十数年前のこと、インターネットで確認するわけにはいかない。それに、俺には「信頼」があった。マスコミの端くれなので、正しい情報を早めに入手出来るという買い被りである。

 結果、嘘つき男という評価が確定した。致し方あるまい。夢を信じたなんて、他人に通用する理屈ではないのだから。
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嗚呼、クラシコ

2004-11-21 15:54:02 | スポーツ

 クラシコとはすなわち、レアルマドリードとバルセロナの戦いである。この試合を前にしたら、ヤンキースとレッドソックスの遺恨など屁ほどの意味もない。クラシコほど歴史に深く刻まれた愛憎の発露が、他にあるだろうか。

 達成された革命は夥しい血で汚れ、約束された未来は言葉の遊びになる。それが革命の逃れられない性なのだ。だが、スペイン革命は成就しなかったがゆえ、その輝きは色褪せない。

 今回のクラシコは美しく負けた側のバルセロナで行われ、「カタロニアはスペインではない」という横断幕がカンプノウで掲げられた。バルセロナのイレブンは「幻想としての革命」を託された兵士なのである。

 若い頃、多くの巨人たちから感銘を受けた。オーウェル、キャパ、マルロー、ロルカ、ピカソ、ヘミングウエーといった芸術家たち……。彼らはすべて共和国=バルセロナにくみした者たちである。スポーツ選手で最も衝撃的だったクライフは、バルセロナの監督を長年務めた。ここまでくれば、バルセロナを応援せざるをえない。現役選手で一番好きなラーションまで、バルセロナの一員なのだ。

 両チームとも多国籍軍ゆえ、観客ほどホットではない。一選手としての成熟を発揮し、試合後は爽やかに交歓していた。バルセロナが3対0と完勝したが、女神の気まぐれに左右された部分もある。サンチャゴ・ベルナベウで逆の目が出ても不思議はない。一眠りした後も余韻が去らぬ、贅沢な瞬間の連続だった。

 が、いいことばかりではない。またも競馬を外してしまう。ダンスを切ったのだから女神は微笑まない。
 
 がっくりするな、俺には友がいる。貧乏神、疫病神、死神が様子見しつつ肩で戯れているではないか。
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マイルCS~狐狩りの国から来た刺客?

2004-11-20 12:19:28 | 競馬

 先月、コスモバルクの父ザグレブは「ウサギ追い」の種牡馬と書いたが、「狐狩り」の間違いだったかもしれぬ。

 というのも、英国では最近、狐狩りの是非をめぐって議論が沸騰していたからだ。労働党は人道主義と庶民感情を盾に廃止法案を提出し、下院では可決されたが、上院では条件付きで継続を認めた。ザグレブが狐狩りの種牡馬なら、何とか生き延びたことになる。

 それにしてもブレア首相、ブッシュのプードルとまで痛罵されても、イラクから撤兵する気配はない。労働党が掲げる人道主義も眉唾と思えてくる。プードルゆえ、狩られる狐の痛みは共有できても、血を流す人間の苦しみは理解の外なのかもしれない。

 さて、その英国から参戦するラクティに死角ありだ。日本の馬場に対応できるという評価だが、走ってみなければ何ともいえぬ。ずっと2000㍍戦を使われ、マイルは前走のみ。同馬に7回騎乗したデムーロで臨むなら話は別だが、騎手も日本は初めてらしい。無印だ。

 テレグノシスもどうか。天皇賞の騎乗ミスを咎められ、勝浦は降ろされた。外を回って伸びなかったのはナリタセンチュリー、バランスオブゲーム、シルクフェイマス、リンカーンも同様で、アンカツまで馬場を読めなかったことは事実だ。勝浦だけを責めるのは酷というもの。テレグノシス―勝浦。不器用な人馬で2度目のGⅠを目指すからこそドラマがある。コンビが解消された以上、買う気はしない。

 逆に、天皇賞で恵まれたのがダンスインザムード。なぜかあのレース、内が伸びた。枠順もよく、位置取りも結果的に最高だったのだ。でも、今回は外枠だし、G1連戦の疲れもあるだろうから消す。

 上位人気で残るのが、⑦デュランダルと⑤ファインモーション。女王杯では出遅れた池添だが、同じ轍を踏むまい。一方、二股男の武は、アドマイヤを女王杯で勝たせた以上、ファインを上位にもってこないと男が立たぬ。モテモテ男は義理を欠かせないものなのだ。恐らく馬連⑤⑦は1番人気。これじゃ妙味がないので、マイルG1で好走する⑨バランスと、先行すればしぶとい⑪メイショウを絡めてみよう。
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牙をなくしたWWE

2004-11-18 14:42:44 | スポーツ

 7年前のこと。ケーブルTVでWWF(現WWE)を発見するや、たちまち虜になり、録画した「RAW」のビデオを会社で数人に流すほど熱心な宣教師になった。

 当時、ビンス・マクマホン率いるWWFとテッド・ターナー率いるWCWは月曜夜,熾烈な視聴率戦争を繰り広げていた。WWFはニューヨーク、カリフォルニアなど都市圏が基盤で、WCWはジョージア、テキサスなど中西部が拠点。民主党と共和党の勢力図がそのまま重なっていたのである。

 ターナーの資金力に苦戦したWWFは、カルチャー色を前面に反撃に出る。風俗紊乱を体現するDX、聖書をでたらめに引用する無法者オースチン、多重人格者ミック・フォーリー、悪魔信仰の象徴アンダーテイカー、猥雑な言葉を速射砲で吐くロック……。崖っぷちで生じたパワーが爆発し、WCWを吸収合併するに至った。

 「ライト・トゥ・センサー」やインチキ牧師のキャラは、ブッシュを支えるキリスト教右派をこき下ろすパロディーだった。よくもあんなアングルが成立したものだと今更ながら感心するが、9・11以降、ムードは変わった。

 WCWを吸収した以上、他に選択肢はなかったといえるが、WWEは右ハンドルを切った。保守派シンボルのフレアーを復帰させるや、リベラルのミックが去っていく。X世代の旗手HBKや自称ラッパーのシナは、自らのパブリックイメージを否定してまでイラク攻撃を支持した。
 
 その結果はというと、ピーク時に両団体合わせ10%を超えた視聴率が3%台に落ち込み、PPV契約数も減少の一途だ。ライバルを潰したのに、ファン拡大に失敗したのである。革新性、荒唐無稽さを失ったWWEは、自ら育てた「アティテュード世代」から見捨てられてしまったのだろう。

 などと愚痴を並べつつ、録画した「タブー・チューズデー」を見ている。ウーンと首を傾げてしまう。最近のWWEで鼻につくのはフェアプレー、スポーツマンシップ的振る舞いだ。試合後に健闘を讃え合うなんて、真剣勝負を装う日本のプロレスだけでいい。これもまた保守層へのおもねりだとしたら最悪だ。何にもまして偽善こそ、少し前までWWEじゃ最大のブーイング対象だったのだから。
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姓名判断の信憑性

2004-11-16 00:28:22 | 戯れ言

父には生前、深く熱く信じるものがあった。

 家族でニュースを見ていた折など、「この名前見てみい。うまくいくのも当然や」「こいつは名前が悪い。こうなるように決まっとるんや」など、成功者から犯罪者まで片っ端から論評していたものである。父が信じていたのは姓名判断だ。自ら僧籍に入って戸籍名を変えるほどだから、狂信に近かったともいえる。一再ならず周りに改名を勧めては困らせていたようだ。

 占いの性格上、こじつけはあったにせよ、父の言に頷く部分もあった。小沢一郎氏など、駆け出しの頃から「この男は天下を取る」と予言していた。氏が政界で勝ち得た影響力を考えると、「的中」といって差し支えないだろう。

 死に近づくにつれ、父は名前のことを口にしなくなった。理由は簡単。「大外れ」が身近に存在したからだ。完璧な名を与えた息子、即ち俺である。総画数と全体のバランス、1字目と4文字目の合計画数、2文字目と3文字目の合計画数、そして左右対称……。仕事運、頭領運、金運、家庭運と、すべて申し分ないはずだった。

 だが、現実は……。

 数日前、調べ物があって棚の奥から一冊の本を取り出した。20年ぶりに開いたページの隙間から、紙切れがパラリと落ちてくる。「どんな人生がベストか」という新聞の特集から、自分の理想と重なった投稿を切り抜いたことを思い出した。それは以下のような内容である。

 「時代劇で高橋英樹が演じる素浪人がいい。正業に就いていないが、何となく収入を得て、肩肘張らず長屋に溶け込んでいる。事が起きると知恵を発揮し、秘めていた牙をむくが、解決すれば元の三枚目に戻る。人と人を繋ぐ結び目的存在でもある」

 ウーンと唸る。もしかして俺はいいセンいっていないだろうか。「癒し系」といわれることもあるしな。父が俺に望んだ生き方とは大違いだが、幸せの形は自ら決めるものだ。これが俺の理想の生き方に近いなら、三合目ぐらいまで登っていないだろうかと自問した。

 いつの日か、姓名判断は正しかったと父に感謝する日が来るかもしれぬ。それまでは親不孝の汚名を着ていることにする。
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エリザベス女王杯~日曜は沈黙?

2004-11-13 10:59:00 | 競馬

 10月31日の天皇賞。信用していなかった女どもが2、3着。サンデーの饗宴に沈黙した。
 
 そして先週の日曜日、将棋NHK杯で中井女流王将が佐藤棋聖を追い詰めていた。王将と棋聖……、同格と思うムキもあろうが、将棋界に真の意味で女性プロはいない。門戸は開放されているが、壁を突破できないからだ。女流棋界は普及の意味で連盟が設定した「別カテゴリー」である。仮に中井さんをプロへの最終関門、3段リーグに編入しても、勝ち抜いて4段(プロ)になるのは難しいと思う。失礼を承知で中井さんを競走馬にたとえるなら、5歳未勝利の牝馬である。一方の佐藤棋聖はG13勝の強豪古馬だ。勝負にならないはずが、中井有利に推移する。最終盤で佐藤棋聖が辛うじて逆転し、「事件未満」で終わった。

 2週続けて日曜に女の強さを見せ付けられたが、女王杯は女の戦いである。俺とは無縁のお嬢さまが名を連ねているが、スイープトウショウの取捨がポイントだ。ゲート難で全9走中、出遅れ6回。一閃の稲妻のようにゴール前に飛んでくるが、秋華賞の疲れなどで切れ味が鈍る可能性もある。

 展開面で注目するのはメイショウバトラーだ。名前が女の子らしくないせいなのか、牡馬混合戦では頑張るのに、牝馬限定だと力を発揮できない。人間でいうと、名門女子大ではわがままな同級生に委縮してしまうが、男子学生の輪に入るとシャキッと仕切るタイプかも。すんなり逃げればイジメを受けず、シンデレラになるチャンスもある。

 好きな血統でいうと、ダンシングブレーヴ×テスコボーイのエリモピクシーだ。親類の子(スイープ)がもてはやされているが、今ごろ鏡を見ながら「ウチの方が別嬪さんや。姉ちゃん(エリモシック)もダンスパートナーに勝ったんやで」など静かに闘志を燃やしていることだろう。

 アドマイヤは中1週が気になる。それなら、ダンスインザムードと好勝負しているヤマニンアラバスタを買いたい。さらに、無視できないのがペリエのエルノヴァ。この人が騎乗すると2~3馬身は馬の能力を上積みするというから恐ろしい。

今のところ、◎は⑭ピクシー、○は⑩メイショウ、▲に⑧アラバスタ、☆に⑰エルノヴァ。⑦スイープをどう絡めるか迷っている。

 どうせ馬券は外すだろう。でも、言葉を失うような衝撃、戦慄を日曜午後に味わえたらよしとしよう。
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巨人たちの崩れ方~堤氏、そして中内氏

2004-11-12 14:40:12 | 社会、政治

 人は誰も他人を写す鏡を備えている。その大きさや明るさは各の器量で決まるのだ。俺の鏡みたいに小さく、しかも歪んでいては、正しい像を結べるはずはない。まして巨人を写した時など……。

 西武の堤氏とダイエーの中内氏。
 雑誌などで晩節を汚した二大巨人と並列で論じられているが、俺の鏡に写る姿はまるで違う。堤氏は鎧に身が届かなかった巨人未満で、中内氏は成長ホルモンを抑制できず、自力で立てなくなった大巨人なのだ。

 20年前、堤待望論がマスコミを賑わせていた。与野党縦断的な政党を立ち上げ、日本のドンになるという憶測さえあった。ライオンズが常勝球団に成長するのと比例して堤神話は膨らんだが、西武線沿線の住民は首をかしげていた。電車でアクセスするしかない場所に球場を造る小知恵はある。だが、通勤時の惨状はどうだ。沿線の至る所が開かずの踏み切りになり、幹線道路まで渋滞する状況は放置されたままだ。

 「民」の側に立つ中内氏が西武グループ総帥だったら、早い段階で高架化に取り組み、多少なりとも事態を緩和させたであろう。

 中内氏の原点は戦争だ。従軍したのは、「俘虜記」や「野火」で大岡昇平が描いた地獄の南方戦線である。氏がある夜、米軍キャンプ偵察に赴くと、電気を起こしていた。何に使うのかを知り愕然とする。アイスクリームを作るためだったからである。仲間を食うか、それとも食われるか……、修羅に堕ちる刹那に追い込まれていた日本兵の前で、米兵はアイスクリームを頬張っていたのだ。
 
 「国は信用できぬ」「国には頼らぬ」……。勝ち目のない戦に「民」を駆り立てた「官」への憤怒こそ、中内ダイエーの出発点である。中内氏は価格統制を指導する「官」に一歩も引かなかった。キャッチフレーズは「価格破壊」。破壊しつつ巨人を創り上げたのだ。

 蛇口をきつく閉じ、一滴も漏らさじと頑なだった堤氏は、巨大な貯水槽で腐ってしまった。
 
 一方の中内氏は蛇口をひねり過ぎ、バルブごと壊れてしまった。だが、ダイエーが潰れたって、「民への徹底したサービス提供」という中内革命は色褪せない。コンビニ、激安店、百円ショップ、介護サービスなどに形を変え、今も進行中なのだから。
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