不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

おちゃめで豊穣な「エロイカ」の世界

2005-01-31 04:49:43 | 読書

 NHK衛星第2で「作者が語る少女漫画」が3回シリーズで放映された。青池保子作の「エロイカより愛をこめて」が最終日で、懐かしさもあり番組を見た。

 ある女性に薦められたのがきっかけで、本作の存在を知った。簡単にいうと、NATO情報部のエーベルバッハ少佐と、彼に懸想する泥棒伯爵(男!)を軸に展開する群像コメディーである。読み始めると止まらなかった。

 「エロイカ」の魅力は何か。その第一は、ハリウッド大作に引けを取らぬ構想力だ。高村薫作品に匹敵するスケールの大きさを感じる。少佐と伯爵の2人、冷徹なKGB、ピンボケの英諜報部員、無能な部下たちがヨーロッパを駆け巡る。膨らみもつれたストーリーは、見事な手捌きでピンポイントに収束していく。

 第二は、軍事専門家や美術史研究者がうなるほどの説得力。地理、政治情勢は当然として、各組織の現状、文化、食べ物に至るまで緻密な調査と考証に基づき描かれている。

 第三はキャラ設定の確かだ。練り上げられた個性がストーリーの中で光を放つことにおいて、WWEを遥かに上回っている。少佐にしても女嫌いかと思いきや、一目でスリーザイズを言い当てたりする。イモ好きとか奇妙なこだわりとか、堅物に見えてその実、巧まざるユーモアを発散させるキャラクターなのである。

 第四は、ギャグだけでなく、ちりばめられた作者の遊び心。青池さんはツェッペリンのファンなのか、伯爵はロバート・プラント、その手下である守銭奴ジェームズ君はジミー・ペイジのイメージそのものだ。「第七の封印」や「皇帝円舞曲」をタイトルに用いたり、「第三の男」のラストシーンをコマに使ったりと、映画好きが至るところに表れている。

 番組で見た青池さんは、もちろんおばさんである。でも、表情やしぐさに少女の面影が残っていた。自由闊達な精神といたずらっ子の好奇心……これこそが「エロイカ」を生んだ原動力だと思った。

 俺は決して漫画ファンではない。読んだ作品数は明らかに人並み以下だ。選択肢が少ないゆえ説得力はないが、「エロイカより愛をこめて」は俺にとって文句なしに「NO・1漫画」である。本作以外に記憶に残る漫画を挙げれば、「子連れ狼」「自虐の詩」「光る風」「マカロニほうれん荘」あたりか。
 
 そういや「エロイカ」にはここ数年ご無沙汰している。俺が読んだのは冷戦終結以前の第1シリーズ(19巻)まで。読むたびに新しい発見がある。第2シリーズと併せて読んでみようかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閉じられた国~日本の未来は?

2005-01-29 06:34:37 | 社会、政治

 最高裁は26日、在日韓国人女性の管理職試験受験を拒否した東京都の判断を合憲とする判決を下した。高裁の違憲判断を破棄した逆転判決である。原告の鄭さんは「世界中に言いたい。『日本に来るな』と。外国人が日本で働くことはロボットになること」と話し、日本の閉鎖性を批判した。

 政治難民と国際的に認定されたクルド族父子をトルコに送還した日本政府に対し、アムネスティは重大な懸念を表明した。また、現在入管に留め置かれているジュマ民族活動家も、難民認定が下りなければバングラデシュに送還され、現地で厳しい拷問が待ち受けている。

 「もっとひどい国はいくらでもある」という声もあろう。だが、人道的配慮、人権擁護について日本が求められているのは先進国レベルである。地方自治法や入管法を字義通り解釈したら上記の判断に至るのなら、法改正も視野に入れるべきではなかろうか。まあ、俺が期待しているように進みそうもない。日本政府の長期ビジョンは「閉じる」方向だからである。

 ちなみにアメリカは、将来の労働力確保のため、年間100万人以上の移民受け入れを目標に掲げている。アメリカが奸智に長けているのは、移民増加を想定して最低賃金を引き上げず、国民統合の手段として短期間に官製のキリスト教を作り上げたことだ。

 日本の保守層は、「開ける」と外国人が大挙押し寄せ、国家としてのアイデンティティー保持が難しくなると考えている。ならば、現状はどうか。世界中から文化が流入し、インターネットの影響もあって意識のボーダレス化が進行している。英語を話すことが国際化の第一歩と教えられ、国語教育は退行するばかりだ。既に確固たる価値観が失われ、「雑食デラシネ文化国」になっているのなら、「閉じる」ことに固執する意味はないと思う。

 このまま開かなければ、遠からず労働力不足が深刻化する。70歳まで働いても、消費税アップ、福祉切り捨て、年金支給年齢の引き上げで、いいことなど何もない。

 いっそのこと、海外で生活しよう……。こう考える若者が増えてきたら、「点滴国家」どころか、空洞化して流浪する「ひょうたん島国家」になる。「開ける」「閉じる」の選択は人道、人権にとどまらず、国の将来に関わる大きな問題ではなかろうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「死ぬまでにしたい10のこと」~心温まる寓話

2005-01-27 08:18:49 | 映画、ドラマ

 WOWOWで録画した「死ぬまでにしたい10のこと」をようやく見た。制作担当は、「オール・アバウト・マイ・マザー」のアルモドバル監督である。

 映画は「死」を取り込むことで成立する表現だと思う。陰影が織り成す映画の「生」は、長くても3時間余の儚さだ。明かりが灯り、「死」を迎えた瞬間、幾つかのシーンは心のスクリーンに焼きつけられている。

 死に深く根差していれば、映画に描かれる愛は研ぎ澄まされている。悪と闘うヒーローだって、爪先は死の縁に掛かっている。戦後の邦画黄金時代も、戦争で失われた無数の死の上に築かれたものなのだ。

 さて、本題……。23歳のアンは、癌で余命僅かと宣告された。失業中の夫と2児を抱え、トレーラーハウスで暮らしている。夫との出会いがニルヴァーナのラストライブという設定に、俺なんかホロリとしてしまう。アンは自分の人生を否定的に捉えていたが、死と直面して前向きに変化する。したいことを10項目書き出し、実行に移すのである。

 本作は家族の絆、切ない恋、女性の強さと優しさを淡々と描いている。主演のサラ・ポーリーは、成熟と青さを同時に表現出来る素晴らしい女優で、ファーストシーンなどモノローグが印象的だ。設定は悲劇的だが、心温まる寓話であり、かつ人生賛歌でもある。原題の「マイ・ライフ・ウイズアウト・ミー」がいかに的を射ているか、見た方は理解されたと思う。

 映画とは不思議なもので、体内の温度や湿度によって感じ方が違ってくる。俺は最近、死の匂いに敏感になった。人生の折り返し点を過ぎると、「いかに生きるべきか」から「いかに死ぬべきか」へと命題が変わる。だからこそ、本作や「天国の口、終りの楽園」、是枝裕和監督の作品に感銘を受けるのだろう。

 俺なら死ぬ前に何をするか考えてみた。小説を書いて生きた証を残すこと、函館に旅すること、家族を含め迷惑を掛けた人たち、助けてくれた人たちにさりげなく感謝と別れを告げること……。

 百万単位の贅沢なら、映画館を借り切って自分のために上映会を開くこと。死に彩られた作品を大スクリーンで満喫する。「惑星ソラリス」「赤い靴」「誓いの休暇」「灰とダイヤモンド」、そして「ディア・ハンター」と再会出来たら悔いはない。

 邦画なら「台風クラブ」が候補だ。結末の少年の台詞が、20年経っても記憶に残っているからだ。「厳粛な生のためには、厳粛な死が必要なのだ」といった内容である。今の俺には逆かもしれぬ。「厳粛な死のためには、厳粛な生が必要なのだ」……。

 最後にお薦め。是枝監督の最新ドキュメンタリーが近日中にフジテレビの「NONFIX」枠で放送される。別項でも触れたが、同監督は尖鋭なノンフィクション作家でもある。今回のテーマは憲法で、「加害の意識」から戦争放棄を捉えるという。2月8日深夜の予定だったが、延期されているようだ。NHKじゃないけれど、政治家の介入とかテレビ局の自粛がないか、多少心配ではある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハローワークとNFL~ジョブレスの日常

2005-01-25 15:55:25 | 戯れ言

 昨日(24日)、午後からハローワークの説明会に参加した。ビデオを見て雇用手当受給の流れを知る。「きちんと就職活動しないとお金は出しませんよ」が趣旨である。「20年も頑張ってきたんだし、少しぐらい休ませてくれよ」と言いたくもなる。

 「頼ってくれたら再就職間違いなし」と講師は自信満々だが、俺はホントに大丈夫? 年は食ってるし、資格や免許は何もない。多少なりとも自信があるのは、愛嬌、チームスピリット、打たれ強さ、それに空想力……。これじゃ厳しいよな。不安になってビルを出た。

 しかし、ハローワークとはうまく言ったもんだ。ついでに「失業者」も「ジョブレス」にすればいい。何でもかんでもカタカナやアルファベットにして、アメリカの51番目の州になっちまえ! 

 日本語至上主義者たる俺が、何はさておき提案したいのは、「ホームレス」→「無宿」の言い換えだ。「無宿」……、いい響きではないか。映画で無宿人を演じていたのは健さんに渡哲也、イーストウッドにゲイリー・クーパーといった錚々たる顔ぶれである。「狂風紀」の世界さながら、有象無象が地の底から這い上がり、汚れた世の中に一撃を食らわすようなワクワク感を覚えるではないか。

 そういや、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンのトム・モレロのギターには、「無宿たちよ、武装せよ」と書いてあった。公園にたむろするおやじたちに、心の中でゲキを飛ばす。いや、俺だって遠からず……。知的かつ過激だったから、レイジのライブには2万人のオーディエンスに1000人近いFBIが紛れていたといわれている。正面切ってアメリカと対峙し、自爆したバンドだったのだ。

 徒歩30分、帰宅するや、録画しておいたNFLチャンピオンシップを2試合続けて見る。日本語至上主義やレイジはどこへやら、アメリカ的世界にどっぷり浸る。スーパーボウルはペイトリオッツ対イーグルスという豪華な組み合わせになった。

 ペイトリオッツが勝てば、ブレイディは神になる。先代の神モンタナは、名だたる攻撃陣に支えられていたが、現在は当時と事情が異なる。サラリーキャップとFA制度でメンバーが毎年入れ替わり、チーム力は均衡している。そんな厳しい状況下、「ノーネーム・オフェンス」を率いて3度目の戴冠となれば、ブレイディを史上最高のQBと認めざるをえない。もちろん、イーグルスにも勝機は十分だ。オーエンスが復帰すれば、彼をイコン(おとり)にして、ペイトリオッツ唯一の死角、パスディフェンスの弱さを突けるだろう。

 とまれ、待ち遠しい2週間だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インディーズ・ブロガーの憂い~4カ月を経て

2005-01-23 17:39:54 | 社会、政治

 ブログ生活4カ月。当初は自己満足に浸るつもりだったが、すぐさま方向転換する。日ごと知らされるアクセス数に刺激され、営業に走ったのだ。後輩社員(特に女子)にURLを教えて回る。アクセスは一時増えたが、「どうせこの人、辞めるんだし」って心の内も透けて見え、数字は元に戻った。

 それではと「テーマサロン」に投稿したが変化なし。となればトラックバック作戦だ。音楽、映画といった専門店ブログなら、一度アクセスした人は日を置かず立ち寄ってくれるだろう。だが、俺のブログはドンキー的雑貨店で期待を外すせいか、思ったほどの効果はなかった。例外は競馬である。GⅠ予想に人気の「SEABLOG」からトラックバックを頂いた。お返しに送ったら効果てきめん、土日限定にせよアクセスは増えた。

 年明け以降は迷いを捨て、インディーズを貫く決意でいる。無職で暇ゆえ、さまざまな人のブログに目を通す機会も増えたが、気になったことがある。左右の激突だ。靖国、対中国、北朝鮮ときて、NHK問題で爆発した感がある。

 意見を闘わせるのは素晴らしいが、中身やコメントが決め付け調、罵倒になり、明らかに礼を失しているものが多い。匿名性の下、責任を取らずに済むブログの限界を露呈している。頻繁に訪れる「CLIMAX CAFFEE」というブログの題字下に、「世界についての意見は同時に自らの人格の告白であることを人々は理解しようとしない」というエマーソンの一文が抜粋されている。深く刺さる言葉であり、肝に銘じたいと思う。

 さて、NHK問題。中川氏―安倍氏―NHKの攻勢に具体的な反論(取材テープなど)を提示出来ない以上、事実認定の側面では朝日の完敗だ。だが、本質は別のところにある。今回の件でNHKは、上記の2氏以外にも平沢氏など自民党議員にお伺いを立てている。政権党と公共放送の癒着こそ大問題で、明確な基準を設けないと、かつての東欧諸国、現在の中国やイランと変わらぬ状況に陥る危険を秘めている。

 BBCは03年、イラクの大量破壊兵器に関する報告を捏造して世論を参戦に導いたとして、ブレア政権を告発した。情報提供者の国防省職員が自殺(疑問もあるらしい)に追い込まれる事態に至ったが、BBCは政府に屈してなかった。「権力にチェックされる公共放送」のNHKは、「権力をチェックする公共放送」を体現するBBCの姿勢に学ぶべきではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の片思い?~日米関係を底支えするもの

2005-01-21 16:18:13 | 社会、政治

 日本時間21日未明、ブッシュ大統領の就任式が行われた。米軍と自衛隊の一体化が進み、対中、対北朝鮮戦略、常任理事国入りもアメリカの意向次第である以上、同大統領が日本のボスでもあることは言を待たない。

 小泉首相は「ブッシュのポチ」と揶揄され対米従属を非難されている。衛星国化は主権に関わる問題だが、前提として、両国間に横たわる「ある種の感情」を踏まえる必要があると思う。一笑に付されること覚悟で述べると、「日本人はアメリカが好き」なのだ。

 表現を変えると、「日本人はアメリカ人と感覚やツボが似ているから、親近感を覚えている」。依然として苦しい。両国は人種構成も異なるし、遠く離れている。何より歴史の長さが違う。

 似てるんじゃない。首根っこを押さえられ、洗脳されてるだけだ。自分のアメリカ好きを国レベルに敷衍するんじゃない……、こんなお叱りを受けたらグウの音も出ぬ。全くの空論と思われるのも癪だから、多少なりとも根拠を提示してみよう。

 1920年代、フランスの詩人ポール・クローデルは駐日大使としてわが国に滞在し、貴重な外交書簡を残している。関東大震災時(1923年)の救援活動は、物心両面においてアメリカの圧勝に終わり、別れを惜しむ群衆に見送られ、米軍は颯爽と東京港から出航した。その際のクローデルの記述に、「日本人はどうしてアメリカばかり愛するのか」という嫉妬を読み取ることが出来る。

 11年後、ルースの全米野球チームが来日し、国中が熱狂に包まれた。更に11年後、日本人は「鬼畜米英」を捨て進駐軍を受け入れる。原爆投下と無差別攻撃で数十万の非戦闘員が亡くなったにもかかわらずだ。

 アメリカは戦後、国として巨大なエンタテインメント装置になった。黒人差別が顕在化して深刻な対立が生じると、黒人を模倣したプレスリーが大スターになる。ベトナム戦争が泥沼化すると、ボブ・ディラン、キング牧師、カシアス・クレイといった人権と反戦の旗手が次々に登場した。いずれも日本人が愛したヒーローたちである。

 現在もそうだ。俺みたいにブッシュ政権に否定的な日本人は、リベラルなアメリカを支持する。別のコインではなく裏を選ぶのだ。それが幻想だとしても、あえて騙される。「惚れた弱み」と言うしかない。

 保守―革新、親米―反米、愛国―嫌日、改憲―護憲、親アジア―非アジア……。こういった対立項を整理しないと、トータルに日米問題を語れない。俺には無理だし、明快に説明する識者も少ない。考え方は全く違うが、鈴木邦男氏、小林よしのり氏らが唱える「反米愛国」はある意味、筋が通っている。俺みたいなアメリカ好きなぞ、絶対に愛国者になれぬという論であるが……。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

携帯世代へのエール~アナログ星人の繰言

2005-01-19 12:41:03 | 戯れ言

 先日早朝、何となくつけたテレビに仁鶴が映っていた。「恋煩いなんて、今じゃ死語かもしれませんな」と枕で振り、お題の「祟徳院」に流れていく。片思いに悩む若旦那を描いた噺である。「恋煩いねえ」と独りごちた。俺が何度もかかった病気である。もともと妄想体質の上、生身の女性を知る前にヘッセや福永武彦を読んだのがいけなかった。

 今の若者はどうだろう? ある調査によると、10代後半男子の携帯所持率は97%、アドレス登録数は70人強、メール送受信数は一日30通という。女の子とのやりとりも多いはずで、異性を知る機会が増えれば、余分な幻想を抱かなくても済む。恋煩いが死語になっていても不思議はない。

 さて、屈折したアナログ中年が反省を込め、デジタル少年にエールを送ってみよう。

 その一。「メールの時間があったら本でも読め」とか「真の絆は携帯では得られない」とか、もっともらしいことを言う大人は無視すべし。親であれ教師であれ、40歳以上の人間には国を傾けた責任がある。失敗者に説教する資格はない。

 その二。知識は、それを生活の糧にしない限り屁の役にも立たぬ。それに、女は大抵、知性で男を選ばない。だから、机上の知識は身に付けるな。真の知識は行動によってのみ獲得される。部屋で読書するなんぞ、化粧するのと同じ次元である。

 その三。生きていく上で最も肝心なことは、自己表現力と他人との正しい距離感。メールこそ両方を学べるツールなのだから、もっともっと励むべし。

 彼らは上の世代のツケを払う損な役回りである。今世紀半ば、日本は3分の1以上が老人という人口構成になるという。予測通りなら点滴国家だ。労働力確保のため移民国家に転じるべきという意見もあるが、いずれにせよ舵取り役は携帯世代。新たな知恵と奮闘に期待したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「キル・ビル」を夜見る~タランティーノの世界

2005-01-17 05:24:01 | 映画、ドラマ


 16日夜、WOWOWで「キル・ビル1」を見た。

 ずばりチープなB級カルトで、映画版「パルプ・フィクション」(低俗小説)といえるだろう。アメコミ風と思いきや、いきなりアニメが挿入され、首は飛ぶわ手足は飛ぶわの血まみれスプラッタに転じる。ラストは「修羅雪姫」、エンディングテーマは「怨み節」ときた。タランティーノにとってこの作品は、梶芽衣子へのラブレターであり、オマージュの表現なのかもしれない。

 ニヤリとしたのは、ヒロインが千葉真一演ずる刀工を訪ねる場面。俺のブログタイトル、「酔生夢死」の書が掛かっているではないか。「ほう」と感心したが、全体として日本の描き方はひどいもの。料理屋でバンドが演奏し、踊っている若者は60年代のゴーゴーである。親日家タランティーノはすべてを承知の上で遊んでいるのだろう。そもそもアウトサイダー志向だし、巨匠という冠が邪魔になったのかもしれない。

 そういや、師匠の深作監督も意識的に外したと思える作品がある。「仁義なき戦い」で評価を確立した後に撮った「資金源強奪」や「暴走パニック 大激突」は、成熟とは無縁で、ひたすら突っ走るアナーキーな作品だった。

 タランティーノは仁侠映画やマカロニウエスタンから影響を受けているが、あくまで表現に限った話。広く深く「映画の文法」を学んでいることは、「パルプ・フィクション」や「ジャッキー・ブラウン」を見ても明らかだ。

 時間や空間を切り取り再構築する手法はデュヴィヴィエやアルトマンから、ドキュメンタリータッチの描写は初期キューブリックから。まあ、俺の勝手な思い込みかもしれないが……。

 B級タッチは嫌いじゃないから、「キル・ビル2」の放映が楽しみである。また、この作品を気に入った方には、「地獄甲子園」(02年)と「ダイナマイトどんどん」(78年)を薦めたい。前者は荒唐無稽な和製スプラッタ、後者は実によく出来たヤクザ映画のパロディーである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミックとボウイ~失業認定記念日に

2005-01-15 00:54:55 | 音楽

 午後、初めてハローワークに。何を着よう? しばし悩み、マンカインド(ミック・フォーリー)のTシャツを身に纏った。

 ミックは凄い奴。最も尊敬するスポーツヒーローだ。ベイダーに耳を削がれても試合をやめなかった。全米中の視聴者が見守る中、アンダーテイカーに金網から突き落とされ5㍍下で失神する。歯が上唇に刺さる無残な姿だったが、意識が戻ると試合を続けた。

 徒歩25分、副都心のビルに着く。地下から一人、エレベーターに。次に止まると大勢乗り込んできた。こいつら、ここでお仕事か。小ざっぱりしてるし、女性や若者も多い。引け目と敵意を覚え、捨てちまったプチブルの特権が惜しくなる。23階。どけどけ、失業者のお通りだい。ドアが開く。あれれ、全員降りる。皆さん、お仲間とは知らなかった。

 フロアじゃ数十台のパソコンに人が群がり、求人情報を検索中。所定の用紙にあれこれ書き込み、窓口近くで順番を待つ。暇とはいえ「競馬ブック」を読むのは気が引けるから、窓口でのやりとりに耳を澄ます。大変なんだなと人ごとみたいに聞いていたとは、能天気も甚だしい。ようやく回ってきた俺の番はあっさり終わる。説明会だの何だのと日を指定され、黄昏れた街を家路に向かった。

 夜はスカパーでデヴィッド・ボウイのライブ。会場のリクエストに応えるという趣向ゆえ、70~80年代の名曲が中心になる。だからといって、ボウイは過去の人じゃない。最近の数枚はクオリティーが極めて高く、21世紀にピークを迎えたという声もあるほどだ。

 ロッカーは死ねば神になる。でも、生きたまま神になるのは奇跡に近い。音楽的に前衛で、どこか異質で狂気を秘め、自分と重なりそうで実は遠い……。70年代のボウイは「ロック生き神」の条件をすべて満たしていた。迎合と堕落の80年代は、聖衣を脱ぐための時間だったのかもしれない。今のボウイは神かって? 偶像とはいえないが、崇高な意志を持つ人間って感じだ。

 俺の中で消えない疑問あり。「戦場のメリークリスマス」の後半、ボウイ演じるセリアズ少佐の回想シーンについてである。後に伝記を読んで驚いたが、贖罪を込めたセリアズのモノローグはボウイ自身の過去に近い。ボウイはあのシーンの挿入を出演の条件に挙げたとしか思えないのだが……。

 まあ、世界で俺だけ悩む謎はたくさんある。これも妄想の類なのだろう。

 録画でもう一度、ボウイを見る。何と美しい五十男であることか。俺は絶対、こうはなれない。でも、ミックはそんなに遠くないぞ。「打たれ強く苦痛を友とする」がミックのウリなのだから……。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「旅する巨人」~確かな遠近法と構想力

2005-01-13 15:50:02 | 読書


 「旅する巨人」を読了した。佐野眞一氏による宮本常一と渋沢敬三の評伝である。ここでは宮本にスポットを当てて論を進めたい。

 宮本の三男光さんが中心となり、山古志村に義援金を贈ったという記事が、7日付朝日新聞夕刊に載っていた。宮本が村を何度も訪ねたことが縁だった。

 山古志村だけでなく、宮本は日本中を旅した民俗学者である。物心両面で支えたのが渋沢だった。獣道を何十㌔も歩いて対象と会い、十数時間かけて聞き取りをする。宿に帰ると、何百枚もの原稿を一気に書き上げた。すさまじい量のアウトプットである。

 宮本は民、病者、漂泊する人々とも積極的に接した。歴史の陰に隠れた人々に光を当てるという方法論は、歴史学者に大きな影響を与えた。民衆史という概念を生み、中世史、近現代史の研究に大きな飛躍をもたらしたのである。

 渋沢の影響もあるが、交遊範囲の広さにも驚かされる。右翼大立者の安岡正篤(細木数子の旦那)からアナキストに至るまで左右180度だ。司馬遼太郎、水上勉も宮本を尊敬してやまなかったという。

 「知識は汗を流して得るもの」。これが読後に痛感したことだ。宮本は農業、林業、漁業に精通した技術者でもある。歩く姿を見ただけで、その人間の生活実態を言い当てたという。体に染み込み、本能と化したものこそ知識と呼ぶに値するのだろう。

 宮本が何より優れていたのは、コミュニケーションの力だ。ネット時代の今日とは全く異なり、まずは対面する。そして歩み寄り、胸襟を開いて共感する。信頼関係が成立したら、村人たちに自立を求めて一席ぶつ。鼓舞する力はヒトラー並みというから驚きだ。

 さて、山古志村に戻る。

 かつて村が集中豪雨の被害に遭った時、訪れた宮本が佇むだけの村民を叱咤すると、「家財道具を運んだら補助金が出なくなる」という答えが返ってきた。本書には「済民家」宮本が、地方の活力を奪う角栄型行政に怒りを覚える様子が記されている。ちなみに、目白の角栄邸で泳いでいた錦鯉の何匹かは、山古志村から「献上」されたものらしい。

 半世紀以上も前、村民たちが長い月日を掛けて掘ったトンネルは、今回の地震では無事だったという。だが、ニュースを見る限り、角栄が莫大な金を投下してその横に造ったトンネルは崩壊したようだ。示唆するものは大きいと思う。

 佐野氏は宮本と渋沢の実像に迫りつつ、背景として、明治維新から今日に至るまでの日本社会の変化を描いている。他の作品同様、遠近法の確かさに感嘆せざるをえない。宮本と渋沢が「旅する巨人」なら、佐野氏はまさに「構想の巨人」といえるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする