「宗教って大変だな」……。パレスチナやイラクの混乱を伝えるニュースにこんな感想を抱く日本人は多いはずだが、決して他人事ではない。誰がこの国の最高指導者なのかは、控えめな報道からも明らかなのだ。
国家主義的言動を封印するよう首相就任時の安倍氏を導いたのは、他ならぬ池田大作氏である。創価学会との軋轢ゆえ、福田前首相は政権を放り出した。最近の動きを見る限り、解散権は信濃町周辺が握っているのではないか。
日本が潜在的宗教国家なら、イランは顕在的宗教国家だ。当ブログではイラン映画について何度か触れてきたが、今回はシネフィル・イマジカで放映中のアッパス・キアロスタミの作品から、「友だちのうちはどこ?」(87年)を選んだ。本作は「ホームワーク」(89年、ドキュメンタリー)と対を成しており、ともにテーマは小学生の宿題である。
小津安二郎を敬愛するキアロスタミは、長回しとロングを多用する監督だ。ゆったり淡々と流れる小学生の友情物語は検閲を楽にクリアしたはずだが、斜眼革を着けた拗ね者には別の構図が浮き上がってくる。
冒頭の教室のシーンで、先生は膨大な量の宿題を課す理由を、<ルールを守ることを叩き込むため>と語る。先生は型通りノートをチェックするが、それがポーズに過ぎぬことがラストで明らかになる。
主人公のアハマッドは、隣の生徒のノートを間違って持ち帰った。友達は自分のせいで退学になるかもしれない……。焦ったアハマッドの気持ちを、母は全く理解しない。子供たちは労働力であり、仕事も義務として課されている。家族も学校と同じく一種の抑圧装置で、理不尽な要求でアハマッドを困らせた祖父は、<たとえ礼儀正しい子供であっても、理由を見つけて殴るべし>と自説を披瀝していた。
アハマッドはノートを届けに行くことを決意し、遠く離れた村を彷徨う。8歳の少年が途方に暮れていても、手を差し伸べようとする人はいない。日が沈んだ頃、アフマッドは賢者風の老人と出会う。救いの神になるはずの老人は、引き回した揚げ句、少年を冷酷に突き放した。
無意味な因習、自由が存在しない社会、抑圧の連鎖、窒息しそうな子供たち……。キアロスタミは本作でイラン社会の矛盾を突いていたが、エンディングで見る者を安堵させる。絶体絶命の危機を自力で切り抜けたアハマッドに、イランの未来を託していた。キアロスタミは少年の自然な演技とイランの風土をマッチさせ、物語を寓話の域に昇華していた。
俺が最も感銘を受けたイラン人監督はモフセン・アフバルバフだ。シネフィル・イマジカで再度特集が組まれることを切に願っている。
国家主義的言動を封印するよう首相就任時の安倍氏を導いたのは、他ならぬ池田大作氏である。創価学会との軋轢ゆえ、福田前首相は政権を放り出した。最近の動きを見る限り、解散権は信濃町周辺が握っているのではないか。
日本が潜在的宗教国家なら、イランは顕在的宗教国家だ。当ブログではイラン映画について何度か触れてきたが、今回はシネフィル・イマジカで放映中のアッパス・キアロスタミの作品から、「友だちのうちはどこ?」(87年)を選んだ。本作は「ホームワーク」(89年、ドキュメンタリー)と対を成しており、ともにテーマは小学生の宿題である。
小津安二郎を敬愛するキアロスタミは、長回しとロングを多用する監督だ。ゆったり淡々と流れる小学生の友情物語は検閲を楽にクリアしたはずだが、斜眼革を着けた拗ね者には別の構図が浮き上がってくる。
冒頭の教室のシーンで、先生は膨大な量の宿題を課す理由を、<ルールを守ることを叩き込むため>と語る。先生は型通りノートをチェックするが、それがポーズに過ぎぬことがラストで明らかになる。
主人公のアハマッドは、隣の生徒のノートを間違って持ち帰った。友達は自分のせいで退学になるかもしれない……。焦ったアハマッドの気持ちを、母は全く理解しない。子供たちは労働力であり、仕事も義務として課されている。家族も学校と同じく一種の抑圧装置で、理不尽な要求でアハマッドを困らせた祖父は、<たとえ礼儀正しい子供であっても、理由を見つけて殴るべし>と自説を披瀝していた。
アハマッドはノートを届けに行くことを決意し、遠く離れた村を彷徨う。8歳の少年が途方に暮れていても、手を差し伸べようとする人はいない。日が沈んだ頃、アフマッドは賢者風の老人と出会う。救いの神になるはずの老人は、引き回した揚げ句、少年を冷酷に突き放した。
無意味な因習、自由が存在しない社会、抑圧の連鎖、窒息しそうな子供たち……。キアロスタミは本作でイラン社会の矛盾を突いていたが、エンディングで見る者を安堵させる。絶体絶命の危機を自力で切り抜けたアハマッドに、イランの未来を託していた。キアロスタミは少年の自然な演技とイランの風土をマッチさせ、物語を寓話の域に昇華していた。
俺が最も感銘を受けたイラン人監督はモフセン・アフバルバフだ。シネフィル・イマジカで再度特集が組まれることを切に願っている。