酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「友だちのうちはどこ?」~イラン社会を照射する寓話

2009-04-29 02:34:24 | 映画、ドラマ
 「宗教って大変だな」……。パレスチナやイラクの混乱を伝えるニュースにこんな感想を抱く日本人は多いはずだが、決して他人事ではない。誰がこの国の最高指導者なのかは、控えめな報道からも明らかなのだ。

 国家主義的言動を封印するよう首相就任時の安倍氏を導いたのは、他ならぬ池田大作氏である。創価学会との軋轢ゆえ、福田前首相は政権を放り出した。最近の動きを見る限り、解散権は信濃町周辺が握っているのではないか。

 日本が潜在的宗教国家なら、イランは顕在的宗教国家だ。当ブログではイラン映画について何度か触れてきたが、今回はシネフィル・イマジカで放映中のアッパス・キアロスタミの作品から、「友だちのうちはどこ?」(87年)を選んだ。本作は「ホームワーク」(89年、ドキュメンタリー)と対を成しており、ともにテーマは小学生の宿題である。

 小津安二郎を敬愛するキアロスタミは、長回しとロングを多用する監督だ。ゆったり淡々と流れる小学生の友情物語は検閲を楽にクリアしたはずだが、斜眼革を着けた拗ね者には別の構図が浮き上がってくる。

 冒頭の教室のシーンで、先生は膨大な量の宿題を課す理由を、<ルールを守ることを叩き込むため>と語る。先生は型通りノートをチェックするが、それがポーズに過ぎぬことがラストで明らかになる。

 主人公のアハマッドは、隣の生徒のノートを間違って持ち帰った。友達は自分のせいで退学になるかもしれない……。焦ったアハマッドの気持ちを、母は全く理解しない。子供たちは労働力であり、仕事も義務として課されている。家族も学校と同じく一種の抑圧装置で、理不尽な要求でアハマッドを困らせた祖父は、<たとえ礼儀正しい子供であっても、理由を見つけて殴るべし>と自説を披瀝していた。

 アハマッドはノートを届けに行くことを決意し、遠く離れた村を彷徨う。8歳の少年が途方に暮れていても、手を差し伸べようとする人はいない。日が沈んだ頃、アフマッドは賢者風の老人と出会う。救いの神になるはずの老人は、引き回した揚げ句、少年を冷酷に突き放した。

 無意味な因習、自由が存在しない社会、抑圧の連鎖、窒息しそうな子供たち……。キアロスタミは本作でイラン社会の矛盾を突いていたが、エンディングで見る者を安堵させる。絶体絶命の危機を自力で切り抜けたアハマッドに、イランの未来を託していた。キアロスタミは少年の自然な演技とイランの風土をマッチさせ、物語を寓話の域に昇華していた。

 俺が最も感銘を受けたイラン人監督はモフセン・アフバルバフだ。シネフィル・イマジカで再度特集が組まれることを切に願っている。
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「スラムドッグ$ミリオネア」~疾走するラブストーリー

2009-04-26 01:53:58 | 映画、ドラマ
 「始発直前まで踏み切りで寝てた」、「好きだった女性の顔にゲロを吐いた」、「電話ボックスで脱糞した」、「公園の噴水に裸で漬かってた」……。

 草事件をきっかけに、酒に纏わる失敗を楽しげに語る男性が増えている。「ついでに中川も逮捕しろ」(罪状は国辱?)なんて過激な声も……。下戸の凡人は与り知らないが、才能に恵まれた青年が“いい人”を演じ続けるのは大変なんだろう。

 さて、本題。アカデミー主要部門でオスカーを独占した「スラムドッグ$ミリオネア」を見た。ご覧になる方も多いと思うので、ネタバレは最低限にとどめたい。

 「シティ・オブ・ゴッド」が世界を震撼させたのは数年前のこと。舞台をリオデジャネイロからムンバイに置き換えたのが「スラム――」だ。貧困と暴力の背景は共通しているが、ベクトルは逆向きだった。「シティ――」は袋小路の現実を抉ったが、「スラム――」は希望を謳うファンタジーの要素も強い。

 ヒンズー教徒によるイスラム教徒への襲撃で、主人公のジャマールと兄サリーム、そして可憐な少女ラディカは孤児になる。ジャマールたち「三銃士」は孤児を束ねる組織に吸収されるが、ボスの残虐さを目の当たりにして脱走を試みる。ひとりラディカが取り残された。

 ジャマールの生々流転とクイズ問題を重ね、十数年のスパンでカットバックしながらシーンを繋ぐシナリオに感嘆させられた。ジャマールの一途な愛は、薄幸なラディカの諦念と絶望を溶かしていく。ジャマールを演じたデーヴ・パテルの目の演技、ラディカ役のフリーダ・ピントの美しさも見どころのひとつだ。

 生きるために犯す罪、愛を証明するための殺人、悔恨を示すための自己犠牲……。「三銃士」のエピソードの数々は、ヒューマニズムを超越した問いを見る者に発している。斬新でエネルギッシュな映像とラフマーンによる音楽の効果で、ムンバイの雑踏をジャマール目線で駆けているような疾走感に浸ることができた。

 社会派ドラマであり、自然に引き込まれるエンターテインメントでもある。インドの闇から一条の光を放つピュアーなラブストーリーに、心を強く揺さぶられた。俺の中でアカデミー賞は“お行儀良く保守的”というイメージがあったが、「スラム――」はハリウッドの構造を覆した起爆材として、後世語り継がれるかもしれない。

 出世作「トレインスポッティング」(96年)で才気を示したダニー・ボイルは、エンドロールでサービス精神を発揮する。「踊るマハラジャ」を彷彿とさせるダンスシーンで和ませた後、ファイナルアンサーを用意した。明かりがつくまで席を立たないように……。



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「決壊」~“三島の再来”が提示した文学の未来

2009-04-23 01:09:06 | 読書
 清水由貴子さんが自ら命を絶った。近年は母を介護しながら派遣で働いていたという。スポットライトを浴びた時期があっただけに、絶望はより深かったのだろう。アラフィフ同世代の悲劇に心が痛んだ。ご冥福を祈りたい。

 初めてのお城対局(熊本城)になった名人戦は、形勢不明のまま難解な終盤戦に突入し、挑戦者の郷田9段が羽生名人の攻めをかわして1勝1敗のタイに持ち込んだ。激闘といえば、プレミアの今季ベストバウトといえるアーセナル対リバプールだ。リーグの美学を象徴する4-4の打ち合いに痺れてしまい、ブログが進まなくなってしまった。

 前置きは長くなったが本題に。仕事先では3~4カ月に一度、書評掲載本のバーゲンセールが開催される。前回はウルフの新訳、ブッカー賞受賞作、森達也の「東京スタンピート」に加え、今回溯上に載せる平野啓一郎の「決壊」(上下/新潮社)を定価の2割以下で購入した。

 平野は10年前、“三島由紀夫の再来”と鳴り物入りで文壇にデビューした。「ホンマかいな、煽りやろ」と無視していたが、「決壊」を数ページ繰っただけで看板に偽りなしを確信した。文庫化を機に読まれる方も多いだろうし、サスペンスの要素も強いので、物語の詳細や結末は曖昧に記したいと思う。

 平野は辺見庸に匹敵する日本語の使い手で、天から降ってきたような鮮やかかつ稠密な表現に、しばしため息が出た。小泉訪朝(02年9月)とイラク侵攻(03年3月)を時系に組み込むことで、世界の変化とシンクロする意識の移ろいを浮き上がらせている。

 「決壊」は構造に対峙する高レベルの<全体小説>であり、漱石やトーマス・マンらを彷彿とさせる<教養小説>の側面もある。平野自身の知性と感性、フランス留学体験を反映させた主人公の沢野崇は、芸術や哲学を縦横無尽に語っていた。近代文学の“嫡子”たる平野は、“21世紀型純文学”を志向しているのだろう。
 
 “恋愛の匠”なのか、取材の成果なのかはともかく、女性の生理や心情への作者の理解の深さに感心させられた。家族(沢野家)の成り立ち、崇と弟良介との微妙な関係を軸に据えた押さえ気味の展開は、中盤からパラレルの二差路に分かれ、もう一つの家族(北崎家)が登場する。両家を繋ぐ<悪魔>がおぼろげな影を結び、「決壊」は闇に彩られたミステリーに転じていく。

 「決壊」で平野は、ネットという檻で増殖し爆発する匿名性の狂気を提示した。森達也は「東京スタンピート」で、メディアを介して進行する近未来の集団暴走を描いている。両者には共通する問題意識が窺える。「決壊」における<悪魔>は、残虐な行為の主体というより、悪意を効率的に伝播して蔓延させる媒体なのかもしれない。

 平野に限らず最近の作家はパソコンで小説を書いているはずだ。20世紀初頭、表現主義者が示した不変かつ普遍のテーゼ<形式が内容に先行する>に、本作もまた則っている。シーンの繋ぎ方などに作者のミスリードを感じたが、「悪童日記」3部作と同様、読み進むにつれ、迷路に取り残されたような不安な気分に陥っていく。

 崇の人物像はドストエフスキーの主人公に重なる部分がある。超人的な能力と意志に見合う評価を受けておらず、母でさえ息子の得体の知れなさに畏れを抱いている。果たして崇は<悪魔>だったのか、それとも全く無関係だったのか……。俺も随分惑わされたが、気になったのは「黒い鞄」と「黒いバッグ」の記述だ。これもまた、作者が意図的に混入した偽装の欠片かもしれないが……。

 読了してようやくタイトルの意味が理解できた。自殺願望に憑かれ夢と現の狭間で喪心する崇、良介と妻佳枝の切れかけた絆、兄弟の父が抱える心の病……。既にひび割れ傷んでいた沢野家は、洪水によって一気に決壊する。

 本作に日本文学の未来を見た。「葬送」などこれまでの平野の作品も文庫で読むつもりでいる。アンテナの感度は鈍ってきたが、分野を問わず日本の新しい才能に触れていきたい。



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レッスルマニア25~表現者たちの祭典を堪能する

2009-04-20 00:10:09 | スポーツ
 POG指名馬セイウンワンダーが皐月賞で3着と踏ん張った。次走(NHKマイル?)に繋がる内容に安堵したが、ロジユニヴァースの惨敗(14着)には驚いた。ダービーでの巻き返しはあるだろうか。

 スカパーでは先月末から、10日のタイムラグでWWEが放映されるようになった。「レスラー」で主演を務めたミッキー・ロークの登場など、見どころ満載のレッスルマニア25を堪能する。

 ブッシュ政権と寄り添ってきたWWEだが、世界不況が顕在化してからは中道にシフトチェンジする。財を失った男(ショーン・マイケルズ)が醜い金持ち(JBL)を叩きのめすというストーリーをメーンに据えたり、ジェフ・ハーディに「俺は負け犬たちの象徴」と叫ばせたりと、世相に敏感なWWEのしたたかさが窺えた。

 体操選手並みの空中技でファンを瞠目させる軽量級、ロープに飛ばした対戦相手をリング中央で楽々飛び越える190㌢級、アマレスで技術を磨いたテクニシャン、筋肉の鎧を纏った巨人……。レスラーたちは自らの個性に合った過酷なシナリオをこなしていく。

 レッスルマニアの幕開けは、タイトル挑戦権を懸けて8人が入り乱れるハシゴマッチだった。高所からのダイブなど選手生命を縮めかねないシーンの連続で、誰かがミスを犯せばフィナーレに行き着かない。トップを保つためには演技力も求められる。この数カ月、ジェリコとマイケルズは屈曲した心情を表現する性格俳優だった。

 アンダーテイカーとマイケルズの同世代対決は、互いが決め技を繰り出してもフォールに至らない掟破りの激闘だった。プロレスのあらゆる要素を織り込んだ長期戦は、両者が企図した通りベストバウトになる。マットとジェフの兄弟の戦いに複雑な思いを抱いた。当代一の人気を誇るジェフが祭典で王座戦に絡めないのは、HHHの覚えが悪いからに違いない。

 殿堂入りしたオースチンがリングに立つや、会場は狂騒状態になる。常々「あの男だけは別格」と語るビンス・マクマホン会長は前日の式典で、「史上最高のスター」とオースチンを称賛した。テッド・ターナー(WCWオーナー)の下に結集したホーガン、フレアーらスター軍団を蹴散らして業界地図を塗り替えたオースチンは、ビンスにとって最大の恩人でもある。

 レスラーとしては標準体形のシナだが、220㌔のビッグショーと110㌔のエッジをまとめて担ぎ上げるなど、超人的パワ-を見せ付けた。俊敏性や跳躍力にも優れ、王者の資質は十分だが、相変わらずブーイングを浴びている。見え見えのえこひいきがファンの反感を買っているからで、そろそろシナの売り方を再考する時期に来ていると思う。

 ビンスは“悪のオーナー”として横暴に振る舞いつつ、ここ一番で醜態をさらしてファンにカタルシスを与えてきた。娘婿のHHHはというと、現役ゆえ“記録に残るレスラー”になるという野心を捨てられない。今大会のメーンはHHHとオートンの王座戦だったが、結果は透けて見えていたし、内容もイマイチだった。駆け出し時代から政治屋レスラーだったHHHは、最高権力を手にした今こそ裏方に徹するべきではないか。

 ドリー&テリーのファンクス、リッキー・スティムボートら日本人に馴染みの深いレスラーたちも殿堂入りした。新間寿氏(元WWE会長)にもいずれ吉報が届くだろう。リング外を巻き込んだストーリー展開や軍団抗争など、猪木と新間氏が提示したエンターテインメントを継承して進化させたのがWWEなのだから……。

 あれこれ文句を書いたが、プロレスへの愛、レスラーへの敬意が感じられるレッスルマニアだった。



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スポーツあれこれ&皐月賞

2009-04-17 02:36:59 | スポーツ
 IOC評価委員会のメンバーが、査定のために来日した。ゼネコンに背中を押されたのか、石原都知事は本気のようだが、都民の多くは冷めている。削り続けた福祉予算の復活、新銀行東京関連の総括、築地市場移転の撤回など、五輪より優先すべき施策は少なくないはずだ。

 灼熱の東京で五輪なんて狂気の沙汰ではないか。温暖化が進行する現在、開催時期を再考すべきだ。“東京からの文化の発信”の謳い文句にも納得いかない。アジアへの排外主義を煽り、都教委を使って言論弾圧を継続する石原都知事に、文化を論じる資格などないからだ。

 張本勲氏が見守る中、胃潰瘍で“人間の証明”をしたイチローが、満塁本塁打で最多安打記録に並んだ。「古畑任三郎」での演技も見事だったが、イチローの表現力には毎度のように驚かされる。間もなく前記録保持者になる張本氏だが、被爆、差別、右手の火傷を乗り越えての偉業を再度称えたい。

 欧州チャンピオンズリーグで4強が決定した。応援するリバプールはチェルシーを追い詰めたが、最後に力尽きる。

 トップクラブでさえ選手のケガや疲労、ツキ、バイオリズムでパフォーマンスの質は頻繁に変わる。本命視すべきマンチェスターUはここ数戦精彩を欠いており、若さと勢いのアーセナルに食われる可能性大だ。底を打ったバルセロナは柔らかさを取り戻し、チェルシーは“ヒディンクマジック”でモウリーニョ時代の躍動感が甦った。両チームにはエキサイティングな得点量産を期待している。

 マンU、チェルシー、アーセナルはFAカップでもベスト4に残っている。間隙を縫ってリバプールがプレミア制覇……が、俺にとって最高のシナリオだ。現実になったら、火事場泥棒、漁夫の利と書き立てられるかもしれないが……。

 「週刊文春」によると、石井慧がUFCデビューに向けブラジルで修業中という。レスリング五輪金メダリストのカート・アングルがWWE入りした時、総合格闘技関係者は切歯扼腕した。ちなみに現UFCヘビー級王者は、レスリング五輪代表候補を経てWWEで大活躍したブロック・レスナーだ。柔道は競技人口でレスリングを上回っており、格闘家としての石井の資質はかなり高いとみる。いずれボビー・ラシュリー(元WWE)とともに、レスナーの牙城に迫るのではないか。WWEで空回り気味のコズロフも、UFC入りしたら即トップクラスだろう。

 最後に、枠順が確定した皐月賞の予想を。POGに参加して、競馬への愛着と理解が深まった。皐月賞には指名馬セイウンワンダーが出走する。父グラスワンダーに思い入れがあり、母父サンデーサイレンスもリストアップの理由だった。一般的な注目度は低かったが、朝日杯FSを制するなどオーナー孝行の馬である。

 多くの専門家は、弥生賞惨敗の理由に距離適性と早熟を挙げている。的を射ているかもしれないが、恩返しの気持ちを込めてセイウンワンダーに◎だ。馬券は⑮から①と⑯への馬連2点、3連単は①⑮⑯のボックスで計6点。

 はっきり言って予想ではなく願望だ。購入額は控えめに、120秒の夢に浸りたい。



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日本の現在を考える~アタリの指摘をとば口に

2009-04-14 00:48:47 | 戯れ言
 <もっとラディカルに、もっとワイルドに>が年頭の誓い(1月2日の稿)だった。同業者たちが出版不況で喘ぐ中、運だけで月20日ほどの仕事を得たが、固めた拳を開くわけにはいかない。いずれお世話になることを見越して、「反貧困ネットワーク」の賛助会員になった。

 今回は前々稿で溯上に載せた「21世紀の歴史」(ジャック・アタリ)をとば口に、現在の日本について考えてみたい。

 東京が<中心都市>の座を逃した理由として、アタリは外国人への壁、個人主義の欠落、覇権国アメリカの呪縛を挙げていた。<帝国主義の残影を引きずる日本>は、<西欧の近代性と東洋の伝統的価値を融合させた韓国>にアジアの盟主の座を奪われると予言している。

 日本に厳しいアタリの記述だが、的を射ている部分もある。例えば教育現場……。

 東京都教育委員会は06年4月、<教職員の挙手による発言や採決を職員会議で禁止する>との通達を出した。抗議の声を上げた土肥信雄三鷹高校校長(当時)は定年後、非常勤で現場に残ることを希望したが、当然のように拒否された。このような言論弾圧がパリやソウルで起きたら、中高生と教員がタッグを組んだデモで街は騒然とするだろう。自由を社会の軸に据えない限り、日本に未来はないというアタリの指摘に耳を傾けるべきだ。

 精神的な在り様だけでなく、繁栄の質を問い直す時機に来ている。世界同時不況で甚大な打撃を受けた日本経済について、多くの専門家は<輸出依存の脆弱な構造>と分析した。誰が一体、不安定な土壌に高層ビルを建て続けたのだろう。

 日本の食料自給率は1960年前後、80%に近かったが、政府は農村を工場労働者の供給源と考え、若者を都市へと駆り立てた。日本人は馬車馬にように働き、最近の調査でも年間労働時間はフランス人やドイツ人より350~400時間も長い。製造業が突如危機に陥り、気が付けば食料自給率40%以下……。ちなみにフランスとドイツの食料自給率は、それぞれ120%超と80%超を維持している。

 著しい環境破壊、揺らぎつつある医療と保険制度、相も変わらぬ政官財の癒着……。人生幸朗ならずとも「責任者出て来い!」と怒鳴りたくなるが、対症療法を提示できないから、何を書いてもダラダラしたボヤキになる。

 清涼剤になったのが「爆問学問」だった。爆問の2人が歴史人口学の権威、鬼頭宏教授を上智大に訪ねる。深刻な話に終始すると思いきや、巨視的かつ柔軟に人口と文明を捉える教授は、飄々とした語り口で高齢化社会や家族の新しい可能性を示していた。

 鬼頭教授は、奈良時代の人口の7~9割が渡来人もしくはその子孫との“史実”を提示する。移民の末裔が日本の風土で熟成したのが<無常観>や<もののあはれ>と知っただけでも番組を見たかいがあった。



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「アメイジング・ジャーニー」~ピートとロジャーの旅路の果て

2009-04-11 12:24:20 | 音楽
 “スポーツの春”到来だ。CL準々決勝第1レグ、一押しのリバプールはチェルシーに1―3と敗れ、崖っ縁でのアウエー戦となる。柔らかく点を取るバルセロナが、現状ではV候補筆頭か。

 非体育会“自由人”上原が遅すぎたメジャーデビューを勝利で飾ったが、悲しいニュースもある。アデンハート(エンゼルス)は好投直後に交通事故で、人生のゲームセットを迎えた。芽吹き始めた才能の夭折には心が痛む。

 今回は発売されたばかりのザ・フー「アメイジング・ジャーニー」(DVD)について記したい。昨年11月の圧倒的なライブの記憶が甦るドキュメンタリーで、デラックス・エディション(4枚組)にはお宝ライブの映像も収録されている。

 今年1月に放映された「みんなロックで大人になった」(NHK衛星1、BBC制作)が提示した、<ビートルズでもストーンズでもなく、モッズの反逆精神とアートを融合させたフーがロックの扉を開けた>という斬新なテーゼの正しさを、本作で再確認できた。

 生き残ったピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーが、4人の出会い、デビューまでの“勝ち抜き戦”、成功後の軋轢とプレッシャー、キース・ムーンとジョン・エントウィッスルの死について語る。関係者だけでなく、スティング、エッジ(U2)、エディ・ヴェダー(パール・ジャム)、ノエル・ギャラガー(オアシス)の熱いコメントも織り込まれていた。

 ディトワーズ(フーの前身)は50年代から60年代にかけ、ジャズ、スキッフル、R&Bから養分を吸収する。とりわけ影響が大きかったのがR&Bだった。英労働者階級の若者は自らの閉塞感を差別に苦しむアメリカの黒人に重ね、紐帯としてR&Bに魅かれていたことを本作で知る。

 ディトワーズ時代からデビューに至るまで、ロジャーがバンドの鋳型を作り上げた。ジョンをスカウトとした時、その友人として加入したのがピートだった。キースが名乗りを上げ、バンドに欠けていたピース(ドラマー)が埋まり、爆発するパズルが完成した。

 ピートはフィードバックの創始者で、エリオットの影響を受けた詩、前衛芸術家ネツガーにヒントを得たギター破壊で注目を浴びる。「常識を覆した」とスティングが敬意を語るジョンのリードベ-スを、ピートは「バッハのオルガンのよう」と表現していた。心の叫びを四肢で吐き出すキースのドラミングは、音楽に関心のない人でさえ一目で理解できる“革命”だった。

 リーダー格だったロジャーは、日本でいえばジュリー(沢田研二)のようなルックスで少女の嬌声を浴びていたが、やがて受け入れ難い現実に直面する。ピートいわく「フーとは3人の天才と1人のシンガーの組み合わせ」……。薬物に逃避して追放されたロジャーは復帰後、<フーの声>になるため全身全霊を傾け、努力で天才たちと伍していく。

 フーはモンタレー・ポップ、ウッドストック、ワイト島でのパフォーマンスで度肝を抜く。バンド史に残るモンタレーでの「マイ・ジェネレーション」を、エディ・ヴェターは「絶対的な放棄」、エッジは「悪魔払いの儀式」とそれぞれの言葉で衝撃を表現していた。

 比類なき知性を誇るバンドであることを証明した預言的作品「トミー」は、「ゲルニカ」らと並ぶ20世紀の文化遺産の一つだ。疎外からの解放、トラウマ、DV、自閉症、バーチャルリアリティーへの逃避、薬物依存、暴力への志向、マインドコントロール……。40年前に提示された内容はまさに21世紀の課題であり、バンドの先見性には驚くしかない。
 
 「フーズ・ネクスト」、「四重人格」と質の高いアルバムを発表したフーだが70年代後半、死に彩られたバンドになる。心に闇を抱えたキースは演奏中に昏倒するなど、アルコールと薬物に蝕まれていた。精彩を欠いたことで「捨てられる」との不安もあったのか、薬物依存を強めたキースは78年、この世から去った。キースを救えなかった悔恨を、ロジャーは沈痛な表情で語っていた。

 更なる死がフーを襲う。79年のシンシナティ公演で2階席から1階席に殺到した若者が将棋倒しになり、11人が犠牲になった。ロック史上、最悪の悲劇で、トロント公演(DVDあり)を最後に83年、バンドも棺に納まったはずだった……。

 活動再開の理由は、ジョンの経済問題という。フーのステージは3人の暴れ者と1人の“クワイエットマン”で構成されていたが、地味に見えるジョンは買い物中毒で、散財を重ね破産状態に陥った。ジョンは01年、ツアーの最中にホテルの一室で召された。ヘロイン過剰摂取で、ベッドに女性……。ノエル・ギャラガーはユーモアを交え、ジョンの見事な死に様を称えていた。

 ロックファンはジョンの浪費癖に感謝しなければならない。ザック・スターキー(リンゴ・スターの息子)を加えたフーを、世紀を超えて堪能できるからだ。本作で最大の驚きは、フーのベストライブについてだ。マネジャーだけでなくエッジやエディ・ヴェダーが、「コンサート・フォー・ニューヨーク」(01年10月、ジョンのラストステージ)でのパフォーマンスをバンド史上最高と絶賛していた。

 「40年を経ても色褪せないマジック」(ノエル・ギャラガー)、「最後まで続けること」(スティング)……。草創期からロックに接してきた俺は、実働7年ほどで解散したビートルズの潔さに美学を感じていたが、五十路を超えてようやく、老いてもロックと対峙する意味がわかるようになってきた。

 フーの険悪な人間関係に目を付けたジミー・ペイジがジョン、キースとセッションを重ねてバンド結成を準備したのは有名な話だ。「レッド・ツェッペリン」の命名者だったジョンは、引き抜き工作に気付いてキースとともにUターンする。フーが不和だった最大の原因は、克服不能に思えたピートとロジャーの葛藤だった。

 人間は齢を重ねるごとに孤独になる。かつての仲間や友人とも自然に遠ざかるが、ピートとロジャーは逆コースを辿る。両者はキースとジョンの死を経て、恩讐を超えた友情で結ばれるようになる。俺は素直に、“男たちの絆”に感動した。本作のタイトル通り、2人は死ぬまで“驚くべき旅”を続けていくだろう。
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「21世紀の歴史」~画期的名著が一転……

2009-04-08 00:06:26 | 読書
 ベネズエラのチャベス大統領が投資を求めて来日し、WBCネタで麻生首相の笑いを誘っていた。<チャベスは石油利潤のばらまきで貧困層の支持を得ている>と、アメリカスタンダードに則るメディアは批判的に報じていたが、石油メジャーに収奪されるはずの富を自国民に還元して何が悪いのだろう。

 今回はジャック・アタリの「21世紀の歴史」(作品社)を溯上に載せる。ミッテラン大統領のブレーンとして補佐官、欧州復興開発銀行総裁を歴任したアタリは、哲学、歴史、芸術全般に造詣が深い知の巨人である。本国で06年に刊行された本書に感銘を受けたサルコジ大統領は、「アタリ政策委員会」を設置してフランスの長期展望を託した。

 アタリは本書を準備する過程で、「文明の衝突」(93年、ハンティントン)を意識したに違いない。<西洋文明は長期的に衰退する>と説くハンティントンと対照的に、アタリは<21世紀も西洋的価値観が支配する>と展望している。

 本書は以下の四つのパートに分けられる。
<A>…人類発祥から現在までを独自の視点で分析し、併せて2025年までの近未来を予測する
<B>…21世紀末中に起こりうる変化を、科学の進歩を前提に予測する
<C>…21世紀末までの人類の精神史を提示する
<D>…フランスが進むべき道を提言する

 感銘を受けたのは<A>の部分で、示唆に富む記述にページを繰る指が止まらなかった。中でも興味深かったのが東洋と西洋の対比だった。アタリによると、東洋思想は欲望から自由になり、世界を幻想と考え輪廻転生を志向する。一方の西洋は、幸福を実現する場と世界をとらえ、魂の救済を志向する。アタリが支持するのはもちろん後者だ。

 アタリは民主主義と資本主義を軸に人類史を俯瞰する。進歩を推進する<中心都市>成立の必要条件として、農業後背地の存在、整備された港、外国人の受け入れ、市場の管理を挙げる。<中心都市>は過剰と傲慢の産物であり、求められるのは創造力ではなくコピー能力(大量生産)だ。アタリによる<中心都市>の変遷は以下の通りだ。

 ①ブリュージュ⇒②ベネチア⇒③アントワープ⇒④ジェノヴァ⇒⑤アムステルダム⇒⑥ロンドン⇒⑦ボストン⇒⑧ニューヨーク⇒⑨ロサンゼルス(現在)……。

 アタリはアメリカの凋落を2025~30年と想定した。理由の一つに挙げたのが勤労者世帯の貯蓄率で、1980年前後の10%から06年には0・2%と大幅にダウンしている。ローンとカードに依存した過剰消費と住宅の資産価値を基盤にしたアメリカの金融信用構造は、発刊後2年で崩壊の危機に瀕した。

 想定外の事態で、本書は画期的名著の座からいったん下り、著者自身のアキレス腱をさらすことになる。アタリは反ケインズ論者で、<活力と将来性に満ちあふれた資本主義がより支配的となるのは当然だ。資本主義の終焉を告げる者は、またしても骨折り損をするだろう>と記していた。現在の状況をアタリはどう見ているのだろう。

 アタリは進歩をもたらす継続連合体の企業を<サーカス型>とカテゴライズした。不幸にしてアタリが最も推奨したのは、AIGとシティー・グループである。アタリは反グローバリズムにも冷ややかで、ロスに続く10番目の<中心都市>候補にエルサレムを挙げている。ピエ・ノワール(ユダヤ系アルジェリア人)としてのえこひいきだとしても、イスラエルの狂気を危惧する者には甚だしい見当違いと映るはずだ。

 <A>の素晴らしさから一転、<B>の空虚さは否定できないが、世界トップクラスの知性でさえ近未来を透視することは不可能なのだろう。予測に関して現状では「文明の衝突」に軍配を上げたくなるが、1年後に世界がどうなっているかさえわからない。勝負付けが済んだと考えるのは早計だろう。

 <C>の人類の未来の精神史については<A>同様、強い共感を覚えた。トーマス・モアの「ユートピア」、カール・マルクスの「資本論」の方法論を評価し、先見性と愛他主義を体現するトランスヒューマンと調和重視企業が<超民主主義>を確立し、人類を破滅から救うと希望を込めて記している。

 アタリは母国フランスだけでなく、日本にも厳しい目を向けていた。いずれ本書を基に、日本の来し方と未来について記すことにする。



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桜並木で感じたこと~日本人と無常観

2009-04-05 03:00:00 | 戯れ言
 テポドン2号打ち上げに、国民は不気味なほど冷静に対応している。他の先進国ならナショナリスト、軍縮を唱える平和主義者、人権を訴えるグループが、それぞれの立場で抗議行動を展開したはずだ。

 当ブログでは日本人が牙を失くしたことを嘆いているが、リベラルや左派だけでなく、右派もまた推進力を持たぬことを今回の経緯で実感した。年齢、性別、階級、思想信条を問わぬ“総沈黙”は危険な兆候ではないか。

 俺の思考は最近、<知・理>より<感・情>を軸に回転している。「土着的左翼」と自称した荒畑寒村の心情が、50を超えて理解できるようになった。戦後の日本では一貫して、欧米的発想を英語で語る者が国際人と評価されてきたが、アメリカ発の経済危機で流れが変わった。自らの伝統に立脚することが真の国際化に繋がるという“逆説”を見事に証明したのが、「おくりびと」のオスカー獲得だった。

 日本人が古来から親しんできたのが桜で、「私が棄てた女」など麗しく描かれた映画や小説を挙げたらきりがない。俺もこの2、3年、ようやくこの時季を楽しめるようになった。

 <来年はどんな状況で、この季節を迎えるのだろうか……>。

 昨年の花見の稿は、イエローモンキーの自殺ソング(「天国旅行」)の歌詞とともに、上記のように締めくくった。今年は2日と4日、黄昏時の中野通りを、前稿に記した甲斐バンドの曲を口ずさみながら散策する。

 この一年、俺の状況は劇的に変化した。仕事が減った昨年の今頃、Uターンへの思いが募り始めた。親戚に仕事の斡旋を頼み、帰郷へのカウントダウンに入った秋、母と妹が同時に入院する。母の方は20日ほどで退院したが、妹はまだ病床に伏している。

 年が明け、沈みゆく世と逆の流れで浮き上がった俺だが、浮草であることに変わりはない。倒産や失業を伝えるニュースに、我が身の安逸を罪と感じる。何らかの形で返さないと罰が当たると考えるのは、俺が日本人である証拠だ。

 今回の花見ウオーキングで遅まきながら、それぞれの木に個性があることに気付いた。高さ150㌢ほどの太い幹の部分から芽を出し、ポツンと孤独に咲く花弁もある。同じ種類で隣に根を生やしながら、風に強い木もあれば弱い木もある。樹齢50年ほどで寿命を終える木も多いというから、名所を管理する関係者の苦労は大きい。

 日本人は桜が好きというのが定説だが、桜並木に酔っているのは俺のような単独ウオーカーだ。名所や公園で席取りをし、酒の勢いで高歌放吟する集団に桜を愛でる気持ちがあるのか疑わしい。坂口安吾らが表現した桜が象徴するもの――無常観、もののあはれ、儚さ、死生観――と感応する力を、日本人は失くしつつあるのかもしれない。

 妹の病室からも桜が見えるという。来年の今頃、快復した喜びを噛み締めつつ、彼女は桜を眺めているはずだ。
コメント (5)
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甲斐バンドが示した邦楽ロックの精華と悲劇

2009-04-02 01:11:06 | 音楽
 G20開催地ロンドンは、先月末から反グローバリズムを訴えるデモで騒然としている。先進国ではお約束の光景だが、我が日本は絶望的な状況だ。明日を変えるべき若者は牙を完全に抜かれている。

 <新左翼>の末流たる俺だが、総選挙では民主党に一票を投じる。政権交代が若者を覆う閉塞感を払拭するきっかけになることに願っているからだ。残念ながら世論は、西松問題で<五十歩百歩>の論理に囚われつつある。腐敗・汚職に関する限り、五十歩(民主党)と百歩(自民党)は大きく違うことを認識すべきだ。

 さて、本題。今回は甲斐バンドについて記したい。先日WOWOWで放映された武道館でのライブに、青春の甘酸っぱい記憶が甦った。フロアは中高年層でぎっしり埋まっていたが、甲斐よしひろのしゃがれ声は健在で、身のこなしも思いのほか若々しかった。

 70年後半から80年代前半に掛け、パンク~UKニューウェーヴに浸っていたが、「ザ・ベストテン」は欠かさず見ていたし、ニューミュージックにもアンテナを張っていた。次第に洋楽ロックに純化していったが、カラオケの十八番は甲斐バンドである。

 甲斐バンドを生んだ“邦楽ロックの聖地”博多には、情念に裏打ちされた<和の風味>とビートに支えられた<洋のテイスト>という2大潮流がある。デビュー時の資質で<和>から<洋>に並べると、甲斐バンド⇒ARB⇒モッズ⇒ルースターズ⇒バッヂといった感じか。ちなみに甲斐はARBから田中一郎を引き抜き、ソロアルバム「翼あるもの」(78年)には森山達也(モッズ)の曲が収録されている。

 デビュー曲「バス通り」(74年)には思い出が詰まっている。俺がいつも口ずさんでいることを知った女の子は、顔を合わすたび♪バス通り……の部分だけを悪戯っぽい笑みを浮かべて歌った。俺はドギマギするだけで、歌詞にあるように♪学生だった僕にうまく愛は語れなかった……のだけど。

 甲斐バンドを熱心に聴いていたのは、「ヒーロー」(78年)でブレークするまでだ。GSっぽくフォークの薫りがする初期から中期で、WOWOW放映分でいえば、「きんぽうげ」、「裏切りの街角」、「かりそめのスイング」、「氷のくちびる」、「ポップコーンをほおばって」の、色に例えるなら蒼かえんじの名曲群だ。

 曲名や歌詞に映画ファンである甲斐の趣味が反映している。甲斐バンドは俺にとって、青春映画3本立ての名画座のイメージだ。ロックバンドらしくなったのは5thアルバム「誘惑」からで、その後はサウンド面で厚みを増すのと反比例するように、秘密めいた匂いや弾ける感じが失われていった。

 <ロックであること>、<変化すること>を自らに課したことが甲斐の原動力であり、蹉跌にもなった。甲斐の試みは大規模な屋外ライブの成功で結実したが、変化に必然の模倣が洋楽ファンから批判を浴びた。「魔女の季節」はイーグルス、「東京の冷たい壁にもたれて」はルー・リード、「ヒーロー」はブルース・スプリングスティーン、「アウトロー」はクラッシュの影響が強い。後期にはロキシー・ミュージックの「アヴァロン」に近いアルバムもあった。

 試行錯誤を繰り返し、常に別の貌をファンに見せていた甲斐バンドだが、肝というべきは甲斐の言葉だ。日本語をロックに乗せるという難作業に挑み、後世に精華を伝えた。俺にとっての甲斐バンド極私的ベスト5は「かりそめのスイング」、「ダニーボーイに耳をふさいで」、「ポップコーンをほおばって」、「氷のくちびる」、「そばかすの天使」と77年までの曲に集中している。

 甲斐バンドと俺の人生は10年前、再び交錯した。勤め人だった俺は女子社員を連れて頻繁にカラオケに興じていたが、ある夜のこと、「100万$ナイト」を歌っている途中、不覚にも涙がこぼれそうになる。歌詞と当時の俺の状況が重なっていたからだ。

 WOWOW放映のライブで、甲斐が傑出したソングライターだったことを再認識し、久しぶりに歌いたくなった。が、しかし、今の俺にはカラオケに誘う人がいない。寂しい話だが、孤独もまた楽しである。決して負け惜しみではなく……。




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