酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

マニックス at スタジオコースト~カタルシスに濡れた夜

2010-11-29 00:38:06 | 音楽
女「ミューズで明けてマニックスで締めくくるなんて、最高の一年だったね」
男「フジにも行ったし。来年もいろいろ見よう」

 スタジオ・コーストで26日、マニック・ストリート・プリーチャーズを見た。余韻に浸りつつ新木場駅へ向かう道すがら、カタルシスに濡れたオヤジが真後ろで頷いていたなんて、若いカップルが知る由もない。

 オープニングアクトはレディング'10で再結成したリバティーンズのカール・バラーだ。仲直りした相棒ビート・ドハーティは素行不良(薬物など)だから、バンドとしての来日公演は難しいはず。バラーは25分ほどで引き揚げ、20分弱の短いセッティングを経てマニックスが登場する。

 失踪したリッチー(法律上は死亡確定)のために空けていたスペース(ステージに向かって左)を占めたサポートメンバー(ギター、キーホート)が、不惑を越えたバンドに相応しい厚みと柔らかみを添えていた。

 1曲目の“You Love Us”から涙腺が緩んでくる。帰宅してネットをチェックし、マニックスで潤むのは俺だけではないことを知った。<3曲目の“Motorcycle Emptiness”から涙で視界が霞んでいた>、<終わった後、友人の顔を見たら、頬が濡れていた>……。こんな書き込みで溢れている。

 ジェームズの豊かな高音、親しみやすいメロディーラインだけでなく、悲劇を乗り越えたマニックスの絆が聴く者の情感を揺さぶるのだろう。日本で初めて演奏するという“This Is Yesterday”はリッチーに捧げた曲のひとつだ。リッチーの攻撃性とナイーブさは現在もバンドに受け継がれている。

 新作「ポストカーズ・フロム・ア・ヤングマン」からの曲も反応が良く、イアン・マカロックが(エコー&ザ・バニーメン)がレコーディングに参加した“Some Kind of Nothingness”もセットリストに入っていた。メンバーが去って照明が灯った時、場内に流れていたのは、エコバニの不朽の名曲「キリング・ムーン」である。

 出だしは不調だったジェームズの声も次第に張りを増し、名曲のオンパレードになる。 “Roses In The Hospital”、“Everything Must Go”、“La Tristesse Durera”、“Faster”、“Motown Junk”、“If You Tolerate This Your Children Will Be Next”、“Tsunami”ときて、“A Design For Life”で締めくくった。

 ニッキーは普通のいでたちだったが、ステージにひとり残ったジェームズがアコギで“Stay Beautiful”を演奏した後、お色直しして再登場する。中国か北朝鮮の軍服?の下はスカートで、ジャンプしながら〝世界で一番美しい男のふくらはぎ〟を披露していた。

 知的、ラディカル、反骨精神、誠実が現在のマニックスを表現する形容詞だが、デビュー時から数年は風紀紊乱、アナーキー、頽廃的、暴力的、性的倒錯といったイメージを纏っていた。〝UK国宝バンド〟の称号を得た90年代後半以降も姿勢は変わらない、数万人を集め全欧に中継されたミレニアムギグで新左翼政党のメッセージを流したり、キューバで演奏したりと、信条を曲げることはなかった。

 <レコード会社=プロモーター=広告代理店=メディア>の連携によって成立する音楽産業で、多くのビッグネームは権力者の掌で踊り、若者の反逆を食い止める役割を担っている。だが、マニックスは不毛なシステムを拒絶し、〝等身大のアニキ〟としてステージに立つことを選んだ。俺もまた、彼らの潔さと気概に感銘を受けるひとりだ。

 動員力は前回(05年)より上がっている気もする。単独公演であれフェスであれ、マニックスが来日する機会があれば、最年長ファンとして足を運びたい。

 最後に競馬について。前稿に記したPOG指名馬7頭中、勝ったのはガムランのみで2着、3着が2頭ずつだった。欲を言えばきりがなく、結果には納得している。

 JCのブエナビスタ降着について、当事者ではないムーアが異議を唱えている。パトロールフィルムを見る限り、ブエナは確かに内に切り込んでいるが、ヴィクトワールピサも外によれている。国際化を目指すJRAは、アウトとセーフの基準を明確にする必要があると思う。


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1年遅れの「イングロリアス・バスターズ」

2010-11-27 02:10:16 | 映画、ドラマ
 昨夜(26日)、マニック・ストリート・プリーチャーズのライブに感銘を受けた。詳しい感想は次稿で。

 挑戦者の羽生名人が竜王戦第4局を制し、2勝2敗のタイになった。最終盤で渡辺竜王に誤算があったようだが、羽生の執念の攻めがボディーブローになって効いていたに違いない。第5局以降、指運がいずれの側に傾くか注目している。

 封切りから1年、見逃していた「イングロリアス・バスターズ」(09年)をWOWOWで見た。さすがクエンティン・タランティーノ、暴力、軽妙なセリフ、ズレの美学に則った音楽を織り込んで〝毒の大輪〟を咲かせていた。スパイが落ち合う酒場のシーンに、本作の魅力が凝縮されていた。

 <伝統や常識を逸脱するパンク>、<時間と空間を再構成する匠>……。「イングロリアス――」はタランティーノのアンビバレントな資質が程よく混ざったエンターテインメントといえる。

 舞台はナチス支配下のフランスだ。レイン中尉(ブラッド・ピット)率いるバスターズ(ユダヤ人によるゲリラ部隊)の復讐譚といった趣だが、イタリア系のタランティーノがハリウッドを牛耳るユダヤ系におもねるはずもなく、<ナチス=悪、ユダヤ人=善>という図式から程遠い。

 SSのランダ大佐を演じたクリストフ・ヴォルツは主要な助演男優賞を総なめにした最高のヒールだが、レイン大尉も負けていない。ナチスの頭の皮を剥ぐなど残酷な場面もあるが、個性的なバスターズによる殺戮はどこかユーモラスで乾いている。日本映画通のタランティーノのこと、マカロニウエスタン風の「独立愚連隊」、「独立愚連隊西へ」(岡本喜八)を参考にした可能性も少なくない。

 群像劇はタランティーノの真骨頂で、思惑を秘めた連中を配置してさばいていた。実在のナチスの宣伝映画を劇中劇に用いるなど、オタクぶりも十分発揮している。ショシャナ役のメラニー・ロランは、「キル・ビルⅠ&Ⅱ」に主演したユマ・サーマンとイメージが重なる。タランティーノの好みのタイプなのだろう。

 最近のハリウッドには、<仏作って魂入れず>の作品が多い。現状打破のためにも、ロバート・アルトマンの映画の文法を継承した〝正統派〟タランティーノの奮闘に期待している。

 30周年を迎えたジャパンカップは、◎⑦ペルーサ、○⑯ブエナビスタ、▲⑰マリヌス、注⑱シリュスデゼーグル。ひねくれ者ゆえ、史上最低レベルといわれる外国馬を買うことにする。

 正直な話、JCはどうだっていい。今週末にPOG指名馬が大挙出走するからだ。新馬にシルヴァースプーンとインナージョイ、未勝利にクローバーリーフとステラビスティー、500万下にガムラン、500万下特別にコティリオンとショウナンバーズ……。何と7頭にも上る。

 デムーロ3頭、内田、武豊、蛯名、田中勝が1頭ずつと鞍上はトップジョッキー揃いだ。最低でも1勝、うまくいけば3勝というのが皮算用だが、果たして……。パンチを次々食らい、日曜夜には寝込んでいるかもしれない。
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再会で甦る青春の日々~品川の夜に心和んで

2010-11-24 00:11:51 | 戯れ言
 品川で先週末、学生時代のサークル仲間3人と再会した。メンバーを簡単に紹介する。

□Kさん…2年先輩。反骨精神と包容力を併せ持つ。某出版社労組委員長
□U君…同期。哲学にも精通するクールな知性派。某国立大司書(課長職)
□F君…2年後輩。直感鋭く行動力がある。某出版社役員
□俺…しがないフリーの夕刊紙校閲者

 U君の英国からの出張帰りを機に、Kさんが企画した宴である。当日未明、父を亡くしたKさんだが、実家で弔いの日取りを整えた後、Uターンして顔を出してくれた。

 浮草稼業は俺だけだが、引け目を感じることはなかった。大志と無縁の俺は、学生時代から<素浪人>になりたいと広言していた。俺は夢を実現した〝勝ち組〟なのである。最大の目標はヒモだったが……。

 KさんとU君の老化は想定内だったが、F君の変化には驚いた。心配していた髪はフサフサしていたが、ミック・ジャガー似の容貌は20㌔増で往時の面影はない。「さすが重役の貫禄」と3人から茶々を入れられ、F君は苦笑しきりだった。

 線路沿いのKさんのアパートが、学生時代のたまり場だった。繊細なU君、過剰さを持て余していた俺にとって、懐の深いKさんはまさに精神安定剤だった。F君が入学した時、Kさんは5年生だったが、俺を仲介に両者も交遊するようになる。

 映画、文学、音楽、美術とアート全般に造詣が深いKさんは、俺にとって最良の教師だった。競馬を始めたのも近鉄をひいきにしたのもKさんの影響で、ともに足を運んだ10・19も思い出の一つだ。

 別稿(今年1月8日)にもサラリと触れたが、記憶に鮮明なのは昭和天皇が死んだ日だ。風邪の兆候で病欠の電話を入れたが、薬を余分に飲んで2時間ほど眠ると汗ぐっしょりで平熱に下がっている。始業は夕方なので、出勤も可能な時間だった。迷いながらテレビをつけ、世の中の異変に気付く。

 土曜日だったのでF君に電話する。「天皇が死んだ」と告げると、寝ぼけ声で「ホント」と返してきた。その夜は当然のようにKさん宅に集合する。当時Kさん、U君、俺は江古田在住、F君も近くに住んでいたので頻繁に行き来していた。

 KさんとF君が結婚して遠くに引っ越しし、俺もまあ、いろいろとあった。U君も転勤などで江古田を離れ、次第に疎遠になる。十数年ぶりの再会だったが、ブランクは全く感じなかった。俺が話題を振ると、F君が瞬時に返し、U君がシニカルに突っ込んで、Kさんがユーモアでまとめる……。この絶妙の間合いで、時は和やかに流れた。

 携帯番号を交換し、このブログも教えた。読者は3人増えたが、レベルの低さに失笑されることは覚悟している。

 ♪もしもあの日 あなたに逢わなければ この私はどんな女の子になっていたでしょう……。散会後、代々木で降りて自宅まで歩きながら、麻丘めぐみの「芽ばえ」を口ずさんでいた。

 俺の場合、<あなた>は人ではなく、〝場所〟だった。入学した春、俺は華やいだキャンパスを鬱な気分で歩いていた。自分に適した温度、湿度、光度を求め、怪しげな○号館地下の奥まった場所に辿り着く。

 <ここが俺の場所>と閃き、黒いドアを開けると、壁に張られたマルクスとレーニンの写真が飛び込んできた。そこがある時期、<ノンセクトラディカルの巣窟>として名を馳せたサークルであったことを知ったのは、少したってからである。

 別のドアを叩いていたら、俺は転落したに違いない。裃を纏う仕事に就いて心は歪み、痴漢か何かで前科者になっていただろう。あの黒いドアこそ、俺に相応しい人生のスタートラインだったのだ。

 Kさんはロックファンで、借りたレコードは100枚を下らない。U君は今年のフジロック2日目(俺は初日)に参戦し、F君は息子と毎年、パンクスプリングを楽しんでいるという。彼らの趣味に合わせ、いずれライブに誘ってみたい。〝第二の青春〟を楽しもうではないか。



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フレーミング・リップスat ZEPP東京~祝祭的でマジカルな世界

2010-11-21 02:38:27 | 音楽
 早大が18日、豪華リレーで明治神宮大会を制した。最後を締めたのは斎藤佑樹である。野球との〝倦怠期〟が続く俺だが、ドラフトで騒がれた〝実力の沢村、人気の斎藤〟両投手には注目している。

 神宮にも頻繁に足を運ぶ野球通の知人は、ケガが多い沢村の行く末が心配だという。一方で、地肩と運が強い斎藤は、フォーム改善を条件に、北別府、長谷川タイプに成長する可能性ありと期待している。

 同じ18日、ZEPP東京でフレーミング・リップスとMEWのジョイントライブに参戦した。結成30年になるリップスだが、初めて聴いたアルバムは“Soft Bulletin”(99年)だった。ファンというわけではなかったが、グラストンベリー'10総集編のパフォーマンスを見て衝動的にチケットを購入する。

 まずはデンマークからやって来たMEWから。3rd“Frengers”と4th“And The Glass Handed Kites”は北欧のイメージそのもののアルバムで、暑苦しい今夏の愛聴盤だった。ヨーナス・ビエーレの澄んだボーカルを軸に、神秘的かつ抒情的な世界が再現され、逆に破綻のなさが気になるほど完成度の高いステージだった。

 インターバルを経て、フレーミング・リップスが型破りのステージを展開する。この2週間、“Soft Bulletin”に加えて最近の3作、“Yoshimi Battles the Pink Robots”、“At War with the Mystics”、“Embryonic”を繰り返し聴いたが、音楽を超えたパフォーマンスに予習が無意味だったと悟る。

 冒頭でいきなり度肝を抜かれる。正面スクリーンのサイケデリックな映像を背景に、透明のバルーンに入ったウェイン・コインが客席に舞い降り、ファンに次々タッチされる。ウェインがステージに戻ると、カラフルな風船が約20分間、フロアを行き来した。

 〝同期生〟ソニック・ユースはインディーズに移って原点回帰の旅を続けているが、リップスの方法論は対照的といえる。シアトリカル、祝祭的、マジカルなパフォーマンスで、ファンに対する愛に溢れている。優しく潤んだウェインの表情が印象的だった。

 ラスト近くで演奏された“Yoshimi Battles the Pink Robots”のタイトルは、交流のあるボアダムズのメンバー、ヨシミから取られたという。ウェインは日本に憧れと愛着を抱いているのだろう。

 不勉強で臨んだライブゆえ、通り一遍の感想しか書けないが、リップスが真価を発揮するのは夏フェスだと確信した。俺にとって今回のリップス体験は、その時のための格好の予習になった。

 最後に、マイルチャンピオンシップの予想を。女王杯の余韻で外国人ジョッキー騎乗馬が人気を集めている。逆の買い方がしたくなるのは、ひねくれ者ゆえだろう。

 日本にもリップス、ソニックスの米オルタナ界2大巨頭を感嘆させたボアダムズのようなバンドも存在する。競馬だって同じはずだ。日本人騎手=日本馬のコンビに期待し、⑤テイエムオーロラ、⑩マイネルファルケの先行勢から、⑭ガルボ、⑮ゴールスキーあたりに流してみる。

 ガルボの母の名ヤマトダマシイには驚いた。盛岡と水沢で63戦6勝という戦績は、地味ながら耐えるひと昔前の日本の女性像を彷彿させるではないか。



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Wドラマ「マークスの山」~壮大で奥深い高村ワールド

2010-11-18 01:17:49 | 映画、ドラマ
 仙谷バッシングが甚だしい。官房長官は学生時代、極左だった? まさか! 安東仁兵衛や江田三郎が提唱した構造改革論の支持者だから、社民主義に近く極左とは遠い。また、〝最高権力者〟というのもありえない。<アメリカ―警察―官僚機構>連合体の壁にぶち当たり、屈服に舵を切ったというのが実情ではなかろうか。

 シカゴの40年前のヒット曲ではないが、「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」と問いかけたくなる。数少ない候補に挙がるのが高村薫だ。彼女の作品で最も人気がある「マークスの山」がWOWOWで甦った。構成もキャスティングも完璧な全5話(5時間弱)は、高村ワールドの壮大さと奥深さを余すところなく伝えていた。

 デビュー以来、ほぼリアルタイムで高村と接してきたが、ある時期まで一つの欠点があった。顕著なのは「リヴィエラを撃て」だが、K点を優に越える美しいジャンプを見せながら、テレマークがうまく取れなかったのだ。当人がその点を意識しているかはともかく、文庫化に際し、大幅な改稿が施されるケースが多い。「わが手に拳銃を」(92年)など、濃密な男同士の愛の物語「李歐」(99年)に生まれ変わっていた。

 Wドラマ「マークスの山」の原作は講談社文庫版(03年)で、ハードカバー(93年)しか読んでいない俺には新鮮だった。高村作品に繰り返し登場する合田雄一郎刑事を演じたのは上川隆也だ。合田は作品によって崩壊寸前のやさぐれ男だったりするが、今回は正義感の強い真っ当な刑事である。

 進行中の殺人、検察が追う汚職、隠蔽された20年前の事件……。無関係に思える、いや無関係にしておきたいという検察上層部の意図もあり、込み入った展開になるが、合田と加納特捜部検事(合田の元妻の兄、石黒賢)との軋轢と友情を軸に解きほぐされ、一本の奔流に転じていく。

 犯罪がテーマになると、<警察=善、犯罪者=悪>の構図に陥りがちだが、高村作品が勧善懲悪に堕すはずもない。善悪の彼我を超え、法や権力が設定する罪と罰とは別次元の枠組みが常に準備されている。

 対立項としてストーリーを動かす水沢裕之(高良健吾)と林原弁護士(小日向文世)は、自己防御本能が強いがゆえ攻撃的になるという共通点がある。裕之が地を這うパニック状態のハリネズミなら、林原は中空で薄ら笑みを浮かべるハゲタカだ。狂気を滲ませる高良と小日向の名演が本作を支えていた。

 看護士の真知子(戸田菜穂)は悲劇を共有したことで裕之と強い絆で結ばれている。真知子に大トロとマスクメロンをご馳走し、いつか一緒に北岳に登って富士山を仰ぎたい……。それが裕之のささやかな願いだった。疑似の母子関係ともいえる裕之と真知子の愛が浮き彫りになるのと軌を一にし、<政―官―財―法曹界―教育界―裏社会―メディア>が織り成すどす黒いネットワークがあぶり出されていく。

 角突き合わせていた刑事たちも、捜査に圧力を掛ける巨悪を暴くため、心を一つにしていく。名優揃いの捜査陣だが、吾妻警部補を演じた甲本雅裕(甲本ヒロトの弟)の存在感が光っていた。合田ら捜査陣、そして加納にとって、裕之の身柄確保は浄化のため不可欠になる。それぞれのテレマークが際立つエンディングだった。

 差別を切り口に戦後日本を総括した「レディ・ジョーカー」、福澤家の100年を描き人間の業に迫った「晴子情歌」、「新リア王」、「太陽を曳く馬」の3部作など傑作は数多あれど、俺の一押しは高村作品でマイナーに属する「神の火」(新潮文庫版)だ。

 北朝鮮による拉致がなぜ、公安関係者が張り付いていた日本海側の原発地帯で起きたのか……。オウム真理教とは一体何だったのか……。「神の火」は俺の疑問を巨大な妄想に膨らませた、ラディカルで破壊願望に満ちた爆弾である。

 「サンデー毎日」に連載中の「新・冷血」では、個性を変えた合田が捜査の指揮を執っているという。単行本化が今から待ち遠しい。
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ビタミンI(愛)欠乏を癒やす「無限カノン三部作」

2010-11-15 01:15:53 | 読書
 尖閣諸島問題を契機に、反中国デモの参加者が増えている。APECに合わせて13日、横浜で数千人規模の反中国デモが開催されたが、メディアはなぜか黙殺した。思想信条に身体性が伴えば、有形無形のプレッシャーが個々に及ぶ。立場は俺と異なるが、彼らの熱が反貧困など他の闘いに伝播することを願っている。

 天皇制には否定的な俺だが、皇室関連の記事にホロッとしたことが一度だけある。皇太子との結婚を控えた小和田雅子さんはインタビューで、最も感動した小説に「ドクトル・ジバゴ」を挙げていた。ロシア革命に翻弄された医師ジバゴとララの物語だが、作者パステルナークはソ連政府の圧力でノーベル文学賞辞退を余儀なくされた。

 <日本のドクトル・ジバゴ>と評するに相応しい小説を雅子さんはご存じだろうか。ヒロインのモデルが、他ならぬご自身であることも……。

 「彗星の住人」、「美しい魂」、「エトロフの恋」(いずれも新潮文庫)からなる「無限カノン三部作」を先日読了した。島田雅彦は開国から21世紀に至る日本の近現代を背景に、漂流する一族の悲恋の歴史を紡いでいる。

 <恋とは、恋人たちが想像しえなかった未来に向けられた終りなき願望なのだ。恋は現世では決して満たされることがない彼岸の欲望なのだ>(「彗星の住人」から)

 三部作のテーマは上記に凝縮されている。ビタミンI(愛)欠乏症で乾いた人は、言葉の純水に潤され、癒やしと温もりに満たされるだろう。

 主人公の野田カヲルは、息子を奪われ10代で自ら命を絶った〝マダム・バタフライ〟の曽孫に当たる。恋と音楽に生きた一族の祈りによって育まれた声で、カヲルは名声を博す。類まれな容姿もあって女性たちを魅了するが、〝宿命の人〟麻川不二子とは悲恋に終わる。

 物語の冒頭、カリフォルニアで暮らすカヲルの娘文緒が、父の消息を追って伯母アンジュを訪ねる。生存しているはずの父には墓があり、赤いスプレーで「ケガレモノ」、「ヒコクミン」と落書きされていた。愛ゆえ汚名を着せられた父と野田家の数奇な運命が、視力をなくしたアンジュによって語られる。

 カヲルと不二子の出会い、数少ない逢瀬とすれ違いは、蝶々夫人とピンカートン、カヲルの父蔵人と松原妙子(モデルは原節子)の悲恋の写し絵だ。一族の歴史が哀調のカノンになって、究極の愛のメロディーが奏でられる。

 白眉というべきは「美しい魂」のエンディングだ。国家に引き裂かれたカヲルと不二子は、警備関係者とマスコミの目を欺いてドライブする。瑞々しい言葉と封印された思いが驟雨のように降り注ぎ、クチクラ化した俺の心もしとど濡れ、ページを繰る指が震えた。

 壮大なラブストーリーの土台は<天皇制>で、島田の問題意識が轍として刻まれている。カオルの祖母と母は南朝の流れを汲む吉野出身者という設定だ。三部作に描かれる三角関係は、見方を変えれば南北朝時代に遡る寓話といえぬこともない。

 〝暴力装置としての天皇制〟の逆鱗に触れたカヲルは、放浪と転落を経て、死者の魂が彷徨う〝黄泉の国〟エトロフに漂着する。縄文人と繋がりが深いアイヌの文化に触れたカヲルは絶望と孤独の淵から甦り、不二子への変わらぬ思いを確認する。

 読了後、自らの人生を振り返ると、〝宿命未満の恋〟に出合ったような気がしてきたから不思議である。俺がもうひと押ししたら、何とかなったはず……ってことにしておこう。 

 最後に、スポーツの感想を。エリザベス女王杯で英愛オークス馬のスノーフェアリーがインを突き抜けた。日本の硬い馬場にも適応できそうで、中1週のJCに出走してもチャンスはあるかもしれない。

 マニー・パッキャオ(フィリピン)が13日(日本時間14日)、WBCスーパーウエルター級(69・86㌔)王座を獲得し、6階級制覇を達成した。無類のタフネスを誇るマルガリートとの体格差に苦しむ場面もあったが、終盤はKO寸前に追い込む圧勝だった。最初の世界王座はフライ級(50・8㌔)だから、人知を超えた偉業といえる。

 パッキャオの名声は天井知らずで、今回の試合もカウボーイスタジアムに6万人を集め、137カ国に放映された。不世出のアスリートによる奇跡の旅はいつまで続くのだろうか。

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「義兄弟」が示すもの~<人間的>こそ体制を超える

2010-11-12 05:23:11 | 映画、ドラマ
 竜王戦第3局で羽生名人が初勝利を挙げ、混戦ムードになってきた。前2局同様、積極的な羽生に渡辺竜王が慎重に応じる展開。2日目午後6時の時点で広瀬王位(NHK解説者)らは明らかに渡辺乗りだった。

 素人目に逆転不可能に思えたから、羽生勝利を知ってかなり驚いた。何が起きたのか、あす午後の「囲碁将棋ジャーナル」で確認したい。島9段(初代竜王)の的を射た解説が楽しみだ。

 新宿で先日、「義兄弟~SECRET REUNION」(チャン・フン監督、10年)を見た。韓国映画躍進の立役者で<第2代亜州影帝>のソン・ガンホ、鋭さと繊細さを巧みに表現するカン・ドンウォンがW主演だ。

 映画館を出た後、もどかしさでモヤモヤした。本作と間を置かず「ナイト&デイ」を見た知人は、落差に愕然としたというが、出来栄えとは反比例するかのように「義兄弟」は東京で1館のみ(しかもガラガラ)で、「ナイト&デイ」は大々的に公開されている。

 船越英一郎と外見のイメージが近いソン・ガンホはともかく、イケメンのカン・ドンウォンはアイドルとして騒がれた時期もあったというから、うまく宣伝すれば韓流大好きの女性たちを動員できたはずだ。興行関係者はまだ、<ハリウッドが一番>という幻想に憑かれたままなのだろうか。

 脇道に逸れたが、本題に戻る。2000年のソウル、敏腕の韓国情報部員イ・ハンギュ(ソン・ガンホ)は北朝鮮の暗殺者〝影〟を追っている。一方のソン・ジウォン(カン・ドンウォン)は韓国に潜入した〝影〟の協力者だが、仲間の裏切りで窮地に立たされる。冒頭とラストで凄絶なアクションが展開する本作に、<初代亜州影帝>チョウ・ユンファが大暴れした後期香港ノワールの影響が窺えた。

 功名心に走ったハンギュはリストラされるが、金大中大統領の太陽政策が背景にあった。6年後、探偵事務所を営むハンギュは、ベトナム系組織を牛耳る男(表情が朝青龍そっくり)の下で働くジウォンを報奨金目当てでスカウトし、自らの部屋に同居させる。

 だらしなくおちゃめなハンギュ、「名探偵コナン」の赤井秀一(FBI捜査官)を想起させるストイックなジウォン……。対照的な2人は短期間で名コンビになる。ハンバンガーが南北の違いの象徴として描かれ、光が射すラストの台詞へと繋がっていく。

 ハンギュとジウォンは相手の過去を知り、現在を偽装と見做している。果たして相手は、自分の正体を知っているのだろうか……。見る側にとっては〝ネタバレ〟の展開で、2人は疑心暗鬼に陥る。

 本作のキーワードはジウォンが繰り返す<人間的>だ。職業柄、利で動かざるをえないハンギュは、ジウォンにたびたび戒められる。「北の冷酷な工作員のくせして、何が人間的だ」と言いたげなハンギュだが、ジウォンの言葉に偽りがないことに気付き、タイトルそのままの心に染みる絆を紡いでいく。

 北朝鮮の核実験で緊迫し、穏やかに流れた時間は逆回転の早回しになる。デラシネ状態だったハンギュとジウォンも過去のしがらみに引き寄せられた。ジウォンは家族への思い、任務への忠実さ、ハンギュとの友情を貫き、<人間的>であることを証明できるのか……。奇跡の筋書きが用意されている。

 「義兄弟」はシリアスかつユーモラスで、ヒューマニズムに溢れる奥深いエンターテインメントだ。ベトナム系コミュニティーや人身売買など、韓国社会の裏面も興味深かった。

 本作を支えているのは、ソン・ガンホとカン・ドンウォンが醸し出す空気だ。瞬間の緊張感、和み、言葉にならない思いを切り取ったチャン・フン監督の力量も称賛に値する。邦画の質も上がっているが、個々の俳優のパワーと表現力では、まだ韓国映画に敵わないのではないか。
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晩秋のスポーツ雑感~日本シリーズ、NFL、競馬、WWE

2010-11-09 00:30:00 | スポーツ
 10代の頃、熱烈な巨人ファンだった。〝アキレスと亀〟のパラドックスを応用し、「巨人は永遠に優勝する」と阪神ファンの同級生を刺激していた。

 あれから三十余年……。贔屓チームもなく、プロ野球自体に興味を失くした俺だが、ドラマチックな戦いを勝ち抜いたロッテには心が躍った。6チームがポストシーズンに進出できる制度はぬるいが、システムに則って〝ラストマン・スタンディング戦〟を制したロッテは称賛に値する。

 NFLでも同様のケースは多い。07~08シーズン、10勝6敗でプレーオフに進出したNYジャイアンツはカウボーイズ(13勝3敗)、パッカーズ(同)、ペイトリオッツ(16勝無敗)を連破してスーパーボウルを制した。

 当時のジャイアンツこそ〝史上最大の下剋上〟に相応しいが、今季のロッテと共通点がある。それは監督(ヘッドコーチ)の体質だ。放任のバレンタイン前監督から一転、<西村監督―西本投手コーチ>は明らかに体育会系だ。一部メディアはシーズン前、選手の萎縮を懸念したが、杞憂に終わる。西村監督は選手に理不尽さを感じさせない〝懐が深い体育会系〟だったようだ。

 ジャイアンツのコフリンHCは規律重視の鬼コーチだったが、選手の反抗で不協和音が広がったこともあり、手綱を緩めた。優しくなった頑固オヤジと悪童たちが歩み寄るや、ケミストリーが起きる。洋の東西、種目を問わず、体育会の生地に<情>と<信>をいい案配で織り交ぜることが、モメンタムを掴む条件かもしれない。

 NFLは史上空前の混沌状態だ。ドアマットのはずだったチーフス、レイダ-ス、バッカニアーズ、シーホークス、ラムズらが5割をキープする一方、スーパーボウル進出が有力視されたカウボーイズ、バイキングス、チャージャーズが低迷している。アナリスト総懺悔の前半戦だ。

 解説者が心配するほど仏になったコフリン率いるジャイアンツは、6勝2敗とスーパーボウルに向け順調だ。別稿(9月13日)で注目チームに挙げたドルフィンズ、テキサンズ、ファルコンズは好位置をキープしているが、地区優勝を確信していた49ersは意外な不振で、NFC西の最下位に沈んでいる。

 ブリーダーズCでゼニヤッタが2着に敗れ、20連勝を逃した。昨年の同レースを含めGⅠで13勝を挙げた6歳牝馬だが、今回は頭差届かなかった。中継を見るまで前知識はなかったが、レースぶりに絶句した。日本のような軽い芝ならともかく、オールウェザーとダートのレースで、ゼニヤッタは常に最後方から追い込んでくる。

 極端な戦術ゆえ僅差勝ちも多いが、陣営は安全策を取らず、ドラマチックな勝利の連続がファンの熱狂を生んだ。無敗でキャリアを終えるより、敗北の余韻をターフに置いて去ることでゼニヤッタ神話は深みを増したと思う。
 
 新人軍団ネクサスの登用、アンダーテイカーVSケインの骨肉ドラマの焼き直しで、WWEは少し面白くなってきた。だが、この間、最も注目を浴びたのは、ティーパーティーの支持でコネティカット州の上院議員選に打って出た元CEOのリンダ・マクマホンだ。知名度と莫大な資金投入もかなわず、民主党候補に10%の差をつけられ敗北する。

 かつてWWEは、ヘルズエンジェルス風、ウォリアーズ風、有色人種連合(デビュー時のロックも一員)、DXと反抗的キャラを揃え、宗教保守派を嘲笑うストーリー展開もあった。ところがここ数年、リンダの政界入りへの布石もあったのか、急激に保守化する。特定の政治勢力に与することは、エンターテインメントにとってタブーだ。ルビコン川を渡ったことでWWEが失うものは、意外に大きいような気がする。

 サッカーやPOGなどまだまだ書きたいこともあるが、稿を改めることにする。




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オバマ敗北とティーパーティー~米中間選挙に感じたこと

2010-11-06 02:01:52 | 社会、政治
 騒ぎが起きると、俺の中の〝一言居士〟が頭をもたげてくる。今回は禁を破ってアメリカ中間選挙について記したい。

 ある時期から、政治をテーマに据えるのを控えるようになった。匿名性に守られ、身体性抜きの言葉を吐くことに虚しさを覚えたからである。政治は目に見えない力に動かされているから、表層に踊って感情で論じても自己嫌悪に陥ることが多い。

 俺はノーマ・チョムスキー、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、マイケル・ムーア、グレッグ・バラストら独立系ジャーナリスト、「デモクラシーNOW!」を支持し、<アメリカ=資本主義独裁国家、情報管理社会>と規定してきた。正しさはそれなりに自負しているが、常識から逸脱した偏見に不快になった読者も少なくないだろう。

 アメリカの2大政党制なんて虚妄と斜に構えつつ、報道番組をハシゴしながら、中間選挙での民主党敗北について考えた。

 インフルエンザで毎冬3万人以上が死に、年収1000万円超の家族でも夫婦そろって病気になれば破産する……。アメリカの現状は「シッコ」(マイケル・ムーア監督)に描かれているが、企業が医療保険を運営する体制を変えない以上、矛盾は解決できない。

 医療保険改革法を民主党敗北の一因に挙げる報道が多数を占めたが、独立系メディアのトーンは異なる。成立した法案は製薬会社、保険会社との妥協の産物で、憤って棄権した支持者も多かったという。オバマは自らの裏切りによって今回の結果を招いたという分析に説得力を覚えた。

 最大の敗因は、10%弱(実質17%超)の高失業率だ。選挙戦のリポートで興味深かったのは、民主、共和両党が中国と同じ手法を用いていたことだ。貧困と格差が拡大する中国では、政府によって日本が怨嗟のはけ口にされた。今回の中間選挙では人民元や貿易摩擦を取り上げ、「中国が不況の元凶」とキャンペーンを張る候補者が続出する。

 数十兆円を投入しても景気が浮遊しなければ、「いくらつぎ込んでも企業を太らすだけ」という不満が庶民の間に蓄積するのは当然だろう。そこで勢いを増したのが〝保守派の草の根運動〟ティーパーティーで、多くの推薦候補をワシントンに送り込んだ。

 ティーパーティーについては当初、諜報機関、軍関係、大企業、人種差別主義者、反共主義者の連合体との偏見を抱いたが、現地からのリポートに見方を修正した。怪しい輩も蠢いているだろうが、集会参加者の多くは痛みに軋む中間層の白人だった。

 中山俊宏青学大教授は「プライムニュース」でアメリカの保守派を宗教保守、対外強硬論者、小さな政府志向に分類し、ティーパーティーは明らかに三つ目に属すると述べていた。GM救済や医療改革法に反対するだけでなく、海外派兵に異議を唱える者もいる。イスラム教でいえば原理主義で、共和党指導部はティ-パーティーが鬼っ子的存在になることを懸念しているという。

 中山教授はキーパーソンとして、サラ・ペイリン(アラスカ州知事、前副大統領候補)を挙げていた。前回の大統領選ではマケイン氏の足を引っ張った感もあるペイリンだが、今ではティ-パーティーのシンボルだ。次期大統領選では台風の目になるだろう。

 テレビやネットで様々な報道に触れたが、<立ち位置が変われば全く景色は違ってくる>が今回の感想だ。俺はかなり柔軟な人間だが、左翼ファウルライン上(外?)という立ち位置は20歳の頃から変わらない。外れ者にとって居心地のいいスペースである。
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「あなたが、いなかった、あなた」~異次元の才能との格闘

2010-11-03 01:47:03 | 読書
 <「衝突」「追突」「接触」の何れと捉えるか、批判を恐れず申し上げれば主観の問題ではないか、と思われる程度の「衝撃」なのです。出席した複数の議員も、同様の見解を僕に呟きました>(日刊ゲンダイから抜粋)

 尖閣諸島沖でのダイジェスト映像が衆参予算委員会で公開された。怒りの声ばかり報道されているが、田中康夫氏の見解は上記の通りである。

 <笑顔で握手しながら机の下では〝急所〟を握る大人の外交戦略>を確立しないと、米、中、露といった海千山千の連中にしてやられると田中氏は警告する。今こそ必要な〝毒々しい寝業師〟は、清潔好きな日本人にはそぐわないようだが……。

 田中氏は「なんとなく、クリスタル」で颯爽と文壇に登場したが、それはともかく、今回は一押しの作家、平野啓一郎について記したい。〝帰省の友〟として短編集「あなたが、いなかった、あなた」(新潮文庫)を持ち帰ったが、〝読書を愉しむ〟どころか、脳を格闘モードでフル回転させても届かない異次元の才能に、ため息をつくばかりだった。

 平野は〝三島の再来〟の評価に相応しい詩的で稠密な表現力を誇り、死に彩られた日本文学の伝統を継承している。同時にIT時代における関係性の変容を取り込み、前衛として試行錯誤を試みている。「あなたが――」もまた、平野の才能と指向性を伝える作品が収録されていた。

 冒頭の「やがて光源のない澄んだ乱反射の表で……/『TSUNAMI』のための32点の絵のない挿絵」は2本立ての作品だ。「やがて――」は「砂の女」(安部公房)の東京版と思える短編で、取りとめない日常と回想の奥に潜むのがアイデンティティー喪失と崩壊感覚だ。活字が妙に小さいと思ったら、ページ下に32の断章が印字されていた。

 大胆な手法を用いたのが1行の「鏡」と、小説という形式を破壊した「女の部屋」だ。「クロニクル」ではP(ギタリスト)とJ(キックボクサー)が対に描かれ、「母と子」では四つの相似のシチュエーションが繰り返されている。「一枚上手」と「慈善」は夫婦に生じた亀裂がテーマだった。平野の短編で興味深いのは、実験が後の長編(「決壊」と「ドーン」)で成果として表れていることだ。

 平野は文化庁の文化大使として1年間、フランスに滞在した。「異邦人♯7―9」や「モノクロウムの街と四人の女」には滞仏経験が色濃く反映しているが、「あなたが――」の白眉というべき作品は「フェガンにて」だ。タイトルは志賀直哉の「城の崎にて」に倣ったという。34歳で「城の崎にて」を著した志賀はあの世で、31歳で「フェガンにて」を発表した平野に感心しているに違いない。

 「フェガンにて」はある種の紀行文学で、平野の死生観や奥深い思索が披歴されている。「葬送」の解題とともに、架空の新作?――自殺を志向する青年Kが主人公――についての着想が提示されている。自虐的な語り口とユーモアを織り込み、私小説の伝統に則りつつ、実験的な仕掛けも施されていた。

 発見が遅かったため遡行して読んでいるが、次は初期の代表作「葬送」(新潮文庫、全4巻)にチャレンジするつもりだ。平野だけでなく文学について記す機会が増えると思うが、小説をテーマにするとアクセス数は確実に減る。俺のような弱小ブロガーもまた、活字文化衰退の影響を受けているようだ。


コメント (2)
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