酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「バジュランギおじさんと、小さな迷子」~カラフルな玉手箱に込められた祈り

2019-03-30 12:43:32 | 映画、ドラマ
 ショーケンこと萩原健一さんが亡くなった。享年68、ここ数年は難病との闘いだったという。テンプターズ→PYGを経てソロになってからも、ライブアルバム(レイニーウッドとの共演)など名盤を発表する。「約束」、「青春の蹉跌」など記憶に残る映画も多い。

 世紀が変わった頃から、ショーケンは様々な理由で失速した。「傷だらけの天使」で弟分を演じた水谷豊とは好対照といえる。自業自得の側面も否定出来ないが、アウトローのイメージが時代にそぐわなくなったのだろう。奔放な革命児の死を心から悼みたい。

 エルサレムの首都承認に続きゴラン高原の主権容認と、トランプ大統領のイスラエル援護が波紋を広げている。汚職で追い詰められているネタニヤフ首相は総選挙に向けガザ空爆を再開した。国連や欧州各国は悪の枢軸<アメリカ-イスラエル>に批判を強め、反ユダヤ主義の蔓延も囁かれている。排外主義者のターゲットになることを危惧するユダヤ人も多い。

 憎悪の連鎖を断つためにも、米イの自重を願っているが、世界は火薬庫に事欠かない。最たるものはインドとパキスタンの核保有国で、カシミールの領有権を巡って対立している。両国を舞台にしたインド映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」(2015年、カビール・カーン監督)を見た。ボリウッド(インド映画の俗称)らしく、歌あり踊りありの2時間半を越えるエンターテインメントだった。

 6歳の少女シャヒーダー(ハルシャーリー・マルホートラ)と、通称バジュランギことパワン(サミール・カーン)がW主人公で、パワンの婚約者ラスィカー(カリーナ・カプール)の知性と覚悟が彩りを添えていた。パキスタン山岳地帯に暮らすシャヒーダーは言葉が話せない。母に連れられインドに治療に赴くが、アクシデントが重なり迷子になってしまう。

 偶然出会うのが、ハヌマーン神(ヒンズー教)を信仰するパワンだ。落第を繰り返した後、何とか卒業し、亡き父の知人ダヤーナンド宅に居候するうち、娘ラスィカーと恋仲になる。連れてきたシャヒーダーも家族の一員として迎えられた。インド社会の仕組み、宗教について知識はないが、ハヌマーン神の由来らしく、猿が何度か画面に登場していた。

 「バルカン超特急」(1938年、ヒチコック監督)にも描かれていたが、英連邦諸国でクリケットは絶大な人気を誇り、印パの試合は戦争並みの熱気に包まれる。村人たちとテレビ観戦していた時、母が産気づく。決勝打を放った選手にちなんでシャヒーダーと命名された。ダヤーナンド家で観戦していた時、パキスタンの勝利に歓喜を爆発させる姿に、シャヒーダーがムスリムであることが露見した。

 信仰の篤さと勇気が取り柄のパワンは、シャヒーダーをパキスタンに連れ帰ることを決意する。パワンは一転〝出来る奴〟になり、サミール・カーンが得意のアクションを披露していた。ハルシャーリーの可憐さに目が釘付けになる。悲しみ、不安、喜びを台詞抜きで表現する希有な天才少女の登場だ。

 印パの埋め難い軋轢、「スラムドッグ$ミリオネア」にも描かれていた人身売買の実態、公的機関とメディアの頑迷さ……。「走れメロス」のように正直さを武器に数々の壁を越えていく。後半はフリージャーナリストを同行者にしたロードムービーの趣だ。両国の人々を支えるのは敬虔な信仰だった。

 グローバル企業と結び着いたアメリカの福音派、イスラム教やユダヤ教の原理主義者が憎しみを増幅させているが、本作は空気が柔らかい。パワンはシャヒーダーを家族に送り届けるため、モスクの指導者と手を携える。祈りとは本来、寛容の精神と近いのでは……。そんな希望を覚えたが、同作公開後3年余、印パ両国の関係は悪化している。 

 本作を大団円に導いたのはスマホだった。俗っぽさと神聖さのコントラストが鮮やかな本作は恋あり、アクションありのカラフルな玉手箱だ。憎しみを昇華したいとの製作サイドの祈り、SNSの影響力も織り込まれ、世界を席巻するインド映画の到達点を実感させられた。
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「天皇組合」~敗戦直後の世相を写す滑稽譚

2019-03-27 21:44:41 | 読書
 オレオレ詐欺をテーマに据えた「詐欺の子」(NHK)は、ドキュメンタリーとフィクションを織り交ぜた秀逸なドラマだった。詐欺グループを演じた中村蒼や長村航希らを支えていたのは、桃井かおり、イッセー尾形、坂井真紀らベテラン陣だ。加害者がつけ込むのは高齢者の孤独である。

 オレオレ詐欺が後を絶たない理由の第一は絶望的な格差で、中村演じる嘉川が「真面目に生きよ」と説く裁判長に、「(俺みたいに)どうしようもない奴はごまんといる」と叫ぶシーンが印象的だった。学校でいじめを受けている少年少女が詐欺予備軍になっている。

 反原発集会の2日後、23日付朝日新聞1面に<原発支援へ補助制度案 売電価格上乗せ>の見出しが躍っていた。「原発は安い」がまやかしであることが明らかになった今、支援抜き原発が成り立たないことを経産省(政府)が自ら認めたのだ。危険な原発を維持するため費用を国民に負担させる……。これが3・11から8年経ったこの国の形なのだ。

 3・11は第二の敗戦で、日本が変わるきっかけになると考えたが、以前より、状況は悪化した。前回の敗戦を国民がどう受け止めたのかに興味があり、復刊された火野葦平の「天皇組合」(1950年、河出書房新社)を手にする。

 敗戦後、天皇僭称者が続々現れたが、中でも世間を騒がせたのは熊沢寛道だ。南朝の正統な継承者であると主張し、昭和天皇の退位を求めたが、第一報はなぜか米軍の機関紙「星条旗」だった。その熊沢事件を題材にしたのが本作である。

 熊沢の名に着想を得て皇位継承を訴えるのは「虎沼」天通。名乗りを上げた天皇だけでなく、大半の登場人物に「猫」や「馬」といった動物の名が付いている。虎沼も熊沢に倣い「南朝奉戴期成同盟」を立ち上げ、天皇組合を結成すべく、息子の通軒とともに全国に飛ぶ。天皇たちが手を携えて世直しするのが目的だった。

 火野の経歴が興味深い。所持品にレーニンの著書があったため除隊させられた後、港湾労働者の組織化に取り組む。その過程でヤクザと接点があったことは、佐渡在住の鯨岡天皇のキャラからも窺える。検挙されて転向し、「糞尿譚」で芥川賞を受賞した後、従軍作家としてパール・バックに激賞された「麦と兵隊」を著した。

 流行作家になったが、戦犯として公職追放中に「天皇組合」を発表する。「私は責任を問われた。あなた(天皇)は?」が作意だったのかもしれない。安保闘争のさなか、1960年に自殺した火野は敬愛する芥川龍之介に倣い、「或る漠然とした不安のために。すみません」と遺書に記した。

 波瀾万丈の生き様が「天皇組合」に反映されている。火野自身によって封印された本作は、敗戦直後の世相と価値観顛倒を写した酷刑譚で、登場人物のキャラが揃って立っている。一級のエンターテインメントを支えているのは巧みな台詞回しだ。

 隠忍自重を強いられた国民は敗戦で一転、拝金主義に取り憑かれる。闇市がその象徴で、虎沼父子の周辺にも欲にまみれた有象無象が闊歩していた。〝皇太子〟通軒と〝行幸〟するウメには婚約者がいる。通軒から毟り取るのが目的だった。通軒の許嫁である亀子は、容姿から性格までウメと真逆で、一途に通軒を追いかける。本作で特徴的なのは、通軒を筆頭に男たちは腑抜け、女たちに芯が入っていることだ。フェロモンを発散する女帝までいる。

 転向を繰り返してきた火野は、共産党の本質も見抜いていた。通軒の上官だった蜂田は暴力的な軍国少尉だったが、敗戦後すぐ共産党に入党し、通軒の妹鶴子を弄ぶ。選挙に落選するや党に見切りをつける変節漢だ。本作のハイライトは1946年、皇居前の米よこせ集会だ。天皇への厳しい言葉がプラカードに掲げられていたが、「君が代」がさざ波のように広がり、やがて大合唱になる。むろんフィクションだが、左右の壁をすり抜けた火野らしい預言といえる。

 天皇組合は不発に終わるが、ラストで虎沼ファミリーの未来に日が差し、再生が兆してくる。大団円ではないが、ささやかで手触りのする日常に戻ることが暗示されている。

 4月1日に発表される新元号について、安倍首相の「安」が含まれているのではないかと噂が飛び交っている。祖父の岸信介が師事したのは、10代の頃から反皇室を明言し、大逆事件に連座する可能性もあった北一輝だ。護憲を滲ませる皇室の発言と真逆な姿勢を貫く安倍首相に忖度し、「光安」とか「康安」が選ばれても不思議はない。
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「金子文子と朴烈」~激しくピュアーな恋と革命

2019-03-23 10:56:05 | 映画、ドラマ
 反原発集会(21日、代々木公園)にオルタナプロジェクト(AP)のブーススタッフとして参加した。年に2回開催されるこの集会は台風直下、季節外れの雪、AP大場代表の緊急入院とハプニング続きだったが、今回は強風に悩まされる。パネルが倒れたり配布物が飛んだりとてんてこ舞いだった。

 今回は「最後の一滴まで」上映&トークイベント、「冤罪3部作」上映会、「獄友イノセンスバンドライブ」の告知が主な目的で、高江村ヘリパッド反対運動への連帯を込めた手ぬぐい、グリーンズジャパン会員が作った有機野菜も併せて販売する。福島瑞穂議員、狭山事件で不当逮捕された石川一雄さんの妻早智子さん、反原発を訴える漫才コンビおしどりなど、ブースを畳むまで多くの方が訪れてくれた。

 帰宅してイチローの引退を知る。俺にとってイチローは、美学を貫いた秀逸な表現者だった。プレーの数々だけでなく、「古畑任三郎~正月スペシャル」(06年)で演じた犯人役にも感嘆させられた。俳優としても才能を発揮出来るのではないか。

 イメージフォーラム(渋谷)で韓国映画「金子文子と朴烈」(17年、イ・ジュンイク監督)を観賞した。主人公は不逞社リーダーの朴烈(パク・ヨル)と、10代を朝鮮で過ごした金子文子で、ともにアナキストだ。本作のキーになる朴烈の詩「犬ころ」は冒頭、文子のモノローグで流れる。

 <私は犬ころである 空を見て吠える 月を見て吠える しがない私は犬ころである 位の高い両班の股から 熱いものがこぼれ落ちて 私の体を濡らせば 私は彼の足に 勢いよく熱い小便を垂れる 私は犬ころである>……

 この詩に感動した文子は押しかけ同棲する。〝不逞鮮人〟と呼ばれていたことを逆手に取り不逞社を結成した辺り、朴烈の反骨精神が窺える。大日本帝国と天皇制に、〝勢いよく熱い小便を垂れた〟朴烈に重なったのは、別稿(3月8日)に紹介した目取真俊の「平和通りと名付けられた街を歩いて」(1987年)だ。老女ウタは警備をくぐり抜け、皇太子夫妻(当時)の乗る車のフロントガラスに自身の糞を塗りたくった。

 出会った時、朴烈は21歳。映画「高地戦」や「建築学概論」でキャリアを積んだイ・ジェフンは実年齢より10歳以上若い朴烈の情熱と衒いを表現していた。同年齢の文子を演じたチェ・ヒソに圧倒される。「太陽の墓場」(60年、大島渚監督)の炎加世子を彷彿させる熱がスクリーンを焦がしていた。

 三・一運動への苛烈な弾圧への憤怒が燻る関東大震災(1923年)前後という時代設定、朝鮮人虐殺、アナキスト群像、天皇制を抉った点で、本作と「菊とギロチン」(18年、瀬々敬久監督)は写し絵になっていた。夢想家的な朴烈は、ピュアーな文子によって芯を注入される。

「菊とギロチン」の<菊>とは皇室だが、朴烈と文子は当時の摂政(昭和天皇)を暗殺対象にしたとのフレームアップで大逆罪に問われ、死刑判決を受けた。二人は死を恐れず、法廷を自らの思想を知らしめる勝負の場所に決める。植民地支配の象徴としての皇室を否定し、〝社会の寄生虫〟と断じた。

 関東大震災直後、正力松太郞(警察官僚、後の読売新聞社主)が流した「朝鮮人が井戸に毒を混入した」との偽情報に扇動され、軍、警察、自警団が6000人以上の朝鮮人を虐殺する。正力の上司である水野錬太郎内相(キム・インウ)は国際社会の批判を逸らすため、次々に策を講じた。

 大逆罪適用を迫る水野の圧力と闘いながら、立松判事(キム・ジュンファン)は法の独立を守ろうと苦闘する。予備尋問で朴烈と文子の真っすぐな志と愛に感銘を覚えた立松は、二人の記念写真を認めた。高圧的だった刑務官も家族に捨てられた文子の境遇に心を動かされ、書き残した自伝を保管する。韓国映画に特徴的な<対立する者たちに芽生える友情>が本作にも描かれていた。周到に準備したのか、俳優たちの日本語に違和感は覚えなかった。

 太宰治が「斜陽」で登場人物に語らせた<人間は恋と革命のために生れて来た>を、朴烈と文子は鮮やかに実践した。メッセージ性が前面に出ているが、互いへの優しい視線に紡がれた清冽なラブストーリーに魂を揺さぶられる。絶賛コメントにPANTAと福島泰樹の名を見つけて嬉しくなった。
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「グリーンブック」~予定調和のカタルシスに癒やされるロードムービー

2019-03-19 22:22:54 | 映画、ドラマ
 クライストチャーチ(NZ)のモスクで銃乱射事件が起き、50人が亡くなった。逮捕された白人至上主義者は「刷新された白人アイデンティティーと共通目的の象徴」とトランプを称賛していた。メキシコ国境の壁、エルサレム首都認定、INF破棄など、トランプが体現する非寛容が世界を狂わせている。

 アメリカの虚妄の2大政党制は、極右とラディカルを排除する仕組みとして巧みに機能してきたが、前回の大統領選で〝安全弁〟は壊れ、ティーパーティーや福音派の流れを酌むトランプが勝利を収める。一方で民主党は、反組合法→ウォール街を占拠せよ→サンダース旋風→中間選挙のプログレッシブ躍進と左派転回が顕著になっている。

 次期大統領選に向け、サンダースだけでなく。プログレッシブに近い女性たち、アマゾン解体を掲げる上院議員らが立候補を表明した。多様性と共生を主張に取り込みミレリアル世代の支持を受けた〝社会主義者〟が、トランプと逆の側から安全弁を壊すかもしれない。

 トランプが醸成する刺々しい空気を和らげる映画を新宿で見た。作品賞、脚本賞、助演男優賞でオスカーを獲得した「グリーンブック」(18年、ピーター・ファレリー監督)である。ソールドアウト状態で上映中の作品ゆえ、ストーリーの紹介は最小限にとどめ、感想と背景を記したい。

 本作は実話に基づいている。1962年、アフリカ系ピアニストのドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)がディープサウスをツアーすることになり、運転手を募集する。採用されたのは、黒人への偏見を隠さないイタリア系の通称トニー・リップことトニー・ヴァレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)だった。トニーは名門クラブ「コパカバーナ」の改築で失業中だった。

 前年に大統領に就任したジョン・F・ケネディが弟の司法長官ロバートとともに黒人差別撤廃を掲げていたことが、本作の後景になっている。ドンがなぜ、厳しい差別が残る地域へのツアーを敢行したのかは後半に明かされる。ちなみにタイトルの「グリーンブック」とは、黒人が宿泊出来るホテルを掲載した旅行ガイドだ。

 違和感を覚えたのはドン音楽性だった。装いは成功したミュージシャンのステレオタイプだが、ピアノのタッチはブルース、ジャズ、ソウルとは無縁で、アレサ・フランクリン、リトル・リチャードも知らない。黒人がクラシック界で階段を上るのは困難な時代、ドンは原曲をアレンジすることで人気を博していた。

 ドンは複数の博士号を持つバイリンガルで、礼節を弁えるインテリだ。トニーは無学で暴力的傾向が強い。水と油の両者だが、トニーはドンの演奏に触れて敬意を抱く。本作がコメディーに分類されるのも、両者の〝間〟が面白く、見る側を惹きつけるからだ。ドンは人種差別、そしてセクシャリティーと二重の蹉跌を抱えているが、裃を少しずつ脱いでいく。

 両者の立ち位置は、当初の上下から、喘ぐドンをトニーが受け止める関係に変化していく。ドンは世間知らずの〝孤独な箱入り〟。トニーは従軍経験もあり、欲望渦巻くクラブで魑魅魍魎を相手に成り上がったつわもので、家族やコミュニティーに恵まれている。攻撃力だけでなく、「人生は簡単ではない」ことを骨の髄から知り、対応力と包容力を併せ持っているのだ。

 ドンにとってトニーとの旅は、アイデンティティーを探す道程だった。故障した高級車に主人然として乗るドンに、農場の黒人労働者たちが鋭い視線を送る。黒人からは孤立し、上流階級に〝黒い白人〟と迎えられても、トイレは別という事態に直面する。「俺は何者なのだ」という叫びが、両者の絆を深める決定打になった。ラスト近く、ドンが黒人専用のバーで楽しそうにセッションするシーンが、本作のハイライトだった。

 細部に至るまで工夫が凝らされた心和むロードムービーだが、欠点があるとしたら、予定調和に過ぎる点かもしれない。「きっとこうなる」と予感した通り、物語は進む。妻ドロレスへのトニーの手紙を巡るエピソードも楽しめた。ラストのカタルシスも想定内だが、それでも癒やされた。

 モーテンセンはアメリカ文化の奥深さを描いた「はじまりへの旅」(16年)が印象に残っている。エキセントリックなボヘミアンを演じていたが、「グリーンブック」のトニーは大食いという設定で20㌔増量したという。詩人、写真家、ミュージシャンとしても活躍する才人が、オスカーを手にする日は来るだろうか。
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川上弘美「大きな鳥にさらわれないよう」~時空を超えたパズルに惑う

2019-03-15 11:36:32 | 読書
 映画「凶悪」、TVドラマ「64」(NHK)、「きんぴか」(WOWOW)など、個性と表現力に瞠目していたピエール瀧が逮捕された。新井浩文に続き、道を踏み外したことになる。二人は映画「ゆれる」と「64」で共演していた。今後の邦画界を背負って立つ存在だっただけに、頓挫が残念でならない。

 沖縄、福島と重いテーマが続き、胃に鈍いしこりが残っていた。すっきりさせようと「大きな鳥にさらわれないよう」(2016年、講談社)を読んだが、逆効果だった。川上弘美の作品を読むのは、四季折々の移ろいを織り込んだ「センセイの鞄」(01年)、現実と仮想の混濁と生死の淡い境界を描いた「真鶴」(06年)、孤独の影に紡がれた「夜の公園」(同)に次いて4作目だった。

 「大きな鳥に――」は泉鏡花文学賞受賞作で、SF大賞にもノミネートされていた。帯に記された筒井康隆の評<僅かな継承によって精緻に描かれてゆく人類未来史。ファンタジイでありながらシリアスで懐かしい物語たち。これは作者の壮大な核である。うちのめされました>が本作のポイントを突いている。

 想像力が疾走する作品に巨匠は〝うちのめされた〟が、俺は呆然と指を止め、反芻した。繊細な筆致で読む者の記憶の扉をこじ開け、孤独や愛の意味を問い掛ける川上は、本作でスケールアップし、俯瞰の視線で人類を見据えていた。お茶の水大理学部卒生物学科卒で、生態系への理解が深いことが窺える。

 時空をドラスチックに行き来する14の短編が収録されている。縦軸は数千年以上、横軸は地球全体に延びている。リエンは♯2「緑の庭」、♯4「踊る子供」、♯10「奇跡」に登場し、♯5「大きな鳥にさらわれないよう」のエマと♯「Remember」のノアは、♯11「愛」と♯12「変化」で走査と同調能力を共有するカップルになる。♯1「形見」と♯14「なぜなの、あたしのかみさま」は<クローン>がキーワードで、♯14→♯1の循環を暗示していた。構成の妙に感嘆するしかない。

 全章が一本のビーズで結ばれた創世記、黙示録といえるだろう。主観の大半は女性で、一人称の「わたし」、「私」、「あたし」は無限に存在する。子供の多くは生殖行為ではなく、クローン組成で生まれた。コントロールされているがゆえ感性が近い「わたし」は年の離れた「わたし」と何度も出会い、一定の時間をともに過ごした後、別れていく。複数の「わたし」は「母たち」と結ばれていた。

 集中力、注意力、記憶力が試されるから、全てに劣る俺にはハードルが高い作品だった。迷路を彷徨う感覚で読み進めていたが、♯13「運命」で全体像が明らかにされる。イアンとヤコブは数千年以上前、人類を滅亡の危機から守るため集団の分断、隔離を実行する。協力したのは人工知能を活用した「母」で、各集団に「見守り」を配置した。

 機を見て壁を壊し、集団間の交配を奨励する。結果として生まれた変異個体――リエン、エマ、ノアたち――が進化の端緒になることを期待したのだ。「母」は総じて無個性だが、時に個性豊かな「大きな母」が登場し、子供たちの愛を呼び覚ます。「クローン人間」は「人間」特有の愛、愛を育む憎しみ、競争心、希望を持たないから自足していて穏やかだが、それが進化を閉ざす理由にもなる。

 集団への帰属意識に縛られることで〝異物〟を排除する傾向、他の種に対する鈍感さなど、人間に対する川上の考察がちりばめられている。3・11が本作に大きな影を落としていた。原発は「バベルの塔」と「イカロス失墜」の神話に重なる。自然との調和に反し、崩壊間近まで過ちに気付かぬ愚かさを象徴するのが3・11なのだ。

 <あなたたち、いつかこの世界にいたあなたたち人間よ。どうかあなたたちが、みずからを救うことができますように>……。ラストの記述は人類へのレクイエムなのか。「気配」(異界の住人?)など填め込めないピースが散乱したままだが、最大の謎はタイトルだ。大きな鳥はきっと、何かのメタファーなのだろう。答えに辿り着いた時、脳内のジグソーパズルは完成する。
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「福島は語る」が写すこの国の歪みと荒み

2019-03-11 21:28:14 | 映画、ドラマ
 前稿に記した沖縄、福島、広島、そしてパレスチナは闘いの拠点として、想像力を軸に繋がっている。体現しているのはイスラエル「ハアレツ紙」のアミラ・ハス記者だ。ホロコーストを生き抜いた両親に持ち、「アンナ・リンド人権賞」など数々の栄誉に浴した同記者は、<パレスチナに存在する分離壁は20世紀以降、世界で進行した不正義の象徴>と語っている。

 2017年秋に来日したハス記者は、沖縄、福島、広島を訪れる。講演の際、司会を担当した土井敏邦は、パレスチナ関連の取材で知られている。12年前、ガザ報告会で「絶望を覚えるたび、パレスチナの民衆に励まされた。極限の現場で自らを〝ハゲタカ〟と感じることがある」と語った土井は覚悟と恥の意識を併せ持つジャーナリストだ。

 その土井が大震災後の福島にカメラを据えた「福島を語る」(2018年)を新宿で見た。3時間近い長編で、被災者14人に寄り添う土井の優しさに涙を堪え切れなくなる人も複数いた。政治やメディアの言葉は空虚だが、一人一人が語る喪失感、悲しみ、孤独、諦念、自責の念は重く、美しい。俺の錆び付いた心も感応した。

 俺というバイアスを無視してほしいから、皆さんがご覧になることを願うしかない。14人の語りに日本社会の歪みと荒みが浮き彫りになる。

 我が子の健康を第一に考えるのが母として自然だが、新潟に避難した女性は今後について悩んでいた。チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシやウクライナは体内被曝についての情報を公開し、広大な土地を立ち入り禁止地域に指定した。翻って日本では自己責任論に則り、避難者がコミュニティーから疎外される状況を行政がつくった。

 水俣病を取材した元記者は、「当時(1960年代)から何も変わっていない」と日本政府の棄民政策と情報統制を指摘していた。証言によって、周りの人たちがつくる壁も明らかになる。県内に転校した生徒でさえ、両親の言葉を受け売りした子供たちによるいじめを受けているのだ。

 安倍首相は東京五輪を誘致する際、「放射能はアンダーコントロール」と大嘘をついたが、国民は政府にアンダーコントロールされ、〝お上〟の論理に縛られ集団化している。「国から10万円もらっているんでしょ。税金から出てるのよ」と言われた移住者は悔しさを滲ませる。生活保護バッシングと同じで、弱者を穿つ者は、権力者に拳を向けない。排除の論理と卑屈さも社会の通音だ。

 土井が最も多くの時間を割いたのは、放射能汚染で生業(石工業)を奪われた杉下さんだ。震災で家族は無事だったが、歯車が狂い、家業を継いだ次男を亡くす。土井と打ち解け、家族の歴史を語っていた。有機農業で販路を拡大していたものの、あえて汚染を告白した途端、売れ行きが激減した夫婦の思いにも胸を打たれた。

 第5回「オルタナミーティング」でステージに立った李政美の「ああ、福島」が本作のテーマ曲だった。作詞者の武藤類子さんは証言者のひとりで、反原発を発信し続けている。福島も沖縄に学び、<オール沖縄>をつくるべきと主張していた。

 子供を放射能から守りたいと願う自主避難者への住宅支援は次々に打ち切られたが、アメリカから深刻なニュースが飛び込んできた。トモダチ作戦に参加した米兵数百人が被曝を訴えたが、米連邦地裁に却下された。日本の子供たちに兆候が表れた時、「直ちに影響はない」を繰り返した枝野幸男元官房長官(現立憲民主党代表)はどう対応するのだろうか。

 俺は3・11直後、ある決意をした。<石を投げることは出来ないが、投げている人の行動と決意を伝えたい>と……。本作を見て、死す者、そして残された一人一人の思いに耳をそばだて、思いをすくい取ることが<福島内在化>のスタートラインだと確信した。死ぬまで想像力を羽ばたかせていたい。
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目取真俊「魚群記」~沖縄を内在化するための神話

2019-03-08 10:25:39 | 読書
 2015年夏、国会前で毎週のように戦争法反対集会が開かれていた。何度か参加した俺だが、識者たちの空虚なアピールに憤りさえ覚えたことは当ブログで記した通りである。戦争法や憲法9条を語る時、不可分というべき日米安保と沖縄が捨象されていたからである。

 別稿(昨年3月20日)で紹介した「沖縄と国家」(角川新書)を読んで、自分の直観が正しかったことを確信した。同書は辺見庸と目取真俊(芥川賞作家)のラディアルな対談集で、<国家という暴力装置に対峙する側は、表現はともかく、暴力の内在化が必要>と感想を記した。

 読書案内人である辺見の導きで、大道寺将司の俳句、堀田善衛の「時間」ら多くの本を手に取った。辺見の同伴者というべき目取真の短編集「魚群記」(影書房)を読了した。表題作はデビュー作(1983年)で、89年までに発表した8編が収録されている。

 目取真は現在、ペンを措き、カヌーチームの一員として辺野古移設反対運動に関わっている。闘いの経緯や熾烈な弾圧はブログ「海鳴りの島から~沖縄・ヤンパルより」で知ることが出来る。メッセージが前面に出た〝政治小説〟との先入観は的外れだった。沖縄の言葉がちりばめられた作品の感想を記したい。

 ♯1「魚群記」の背景は、度重なる米軍関係者の犯罪や毒ガス漏洩に抗議し、沖縄県民が立ち上がったゴザ暴動(70年)だ。主人公の僕は騒然とした時代の熱気と距離を取り、仲間たちとテラビア釣りに興じている。テラビアは戦後の食糧難の時期、日本に持ち込まれた外来種。アメリカのメタファーと読み取ることも可能だ。

 僕の兄は釣り場の対岸にあるパイン缶詰工場で働いている。アメリカに牙を剥く集団のリーダーだが、出稼ぎの台湾人の女工を見下しているあたり、差別の歪んだ構造が窺えた。僕は女工のひとり(K)に心をときめかせ、ロマンチックな夢に耽る。沖縄の土壌に根付いた豊饒で濃密な空気を描いた祝祭的な作品だった。

 ♯2「マーの見た空」は、「魚群記」の後日譚の趣もある。帰省した大学生のマサシは、不思議な力を秘め、エロチックな精霊の如きマーの消息を辿る。仲間たちの誰も思い出せなかったが、恋人Mの記憶により、リアルと幻想を繋ぐ合歓木と再会する。マサシも異界の入り口に佇んだ。

 マジックリアリズムに彩られた小説を紹介してきた。日本では熊野の風土に育まれた辻原登を挙げてきたが、目取真にも同じ薫りがする。♯3「雛」、♯6「蜘蛛」、♯7「発芽」はボルヘスの怪奇譚を彷彿させる掌編だった。♯8「一月七日」については稿を改めて記したい。

 ♯4「風音」は85年に発表された。風葬場に残された特攻隊員と思しき遺体を巡り、テレビ局ディレクターの藤井、最初に遺体を発見した清吉、その息子アキラの主観を交え、40年の時空をカットバックしながら物語は進行し、泣き声のように聞こえた風音の正体が明らかになる。戦争がもたらす悲劇を浮き彫りにし、記憶の風化に警鐘を鳴らす作品だった。

 ♯5「平和通りと名付けられた街を歩いて」は沖縄国体(87年)の前年に発表されたメタフィクションで、皇太子夫妻訪沖と、ある家族の日常がシンクロする。「ひめゆりの塔事件」の再発を防ぐべく、警察は厳戒態勢を敷き、露店は休業を余儀なくされた。最重要の監視対象になったのは、痴呆症で徘徊するカジュの祖母ウタだ。反権力、反皇室を公言するウタは、周りから一目置かれていた。

 カジュの協力もあり、厳重な警備を突破したウタは、皇太子夫妻の乗る車のフロントガラスに自身の糞を塗りたくる。痛快な不敬小説は新沖縄文学賞を受賞した。ウタの思いは30年後の今も受け継がれ、辺野古移設を強行する安倍政権に怒りは沸騰している。

 想像力も衰えた今、沖縄を内在化する道程は険しい。神話の領域に達した目取真の小説、そして活動報告に接することが、俺の限られた手段だ。
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「ちいさな独裁者」をヒントに、妖怪封じを考えた

2019-03-05 19:51:30 | 映画、ドラマ
 前稿で記した供託金違憲訴訟原告側弁護団長の宇都宮健児氏は、世界の選挙制度に精通している。閉廷後の報告会で、スウェーデンの現状を語っていた。同国では18歳で参政権と被選挙権が与えられ、中高では自治会主導で各政党との公開討論会が開催される。10代のうちに政治意識が熟成され、20代前半の大臣も登場した。

 生徒たちが昨秋、〝ネオナチ〟スウェーデン民主党の来訪をバリケードで拒絶した。国会に20%弱の議席を占める同党は、<高福祉の恩恵を移民に与えてはいけない>と主張し支持を伸ばしている。ネオナチあるいはヘイトスピーチへの対応は、<言論の自由は彼らにもある>、<人道に反し、人権を否定する言動は許されない>に大別される。件の生徒たちと俺は後者に与している

 ナチズムを構成する2大要素<排外主義と差別>、<上意下達の独裁的体質>のうち、後者に焦点を当てたドイツ映画「ちいさな独裁者」(17年、ロヴェルト・シュヴェンケ監督)を見た。舞台は厭戦気分が充満した1945年4月のドイツ後方戦線だ。脱走兵のひとり、ヘロルト上等兵(マックス・フーバッヒャー)も憲兵隊に追い詰められたが、大尉の制服を拾ったことで運命は一変した。

 着替えた直後に出会ったフライターク上等兵(ミラン・ペシェル)はヘロルト〝大尉〟にすっかり騙され、従者として同行する。ヘロルトはヒトラーから綱紀粛正の密命を受けていると語るヘロルトは、強硬な姿勢を貫きつつ信奉者を増やし、アンタッチャブルな存在になった。ヘロルトは脱走者収容所で法規違反の虐殺を命じ、遂行後に尊敬を勝ち取る。空爆で収容所が壊滅した後も、「ヘロルト戦闘団」の暴走は止まらない。

 本作に「怪物が目覚める夜」(小林信彦)、「虚人の星」(島田雅彦)が重なったが、この〝なりすまし物語〟は史実に則っている。本物のヘロルトは戦後、英国軍に逮捕され、死刑に処せられた。ナチズムを体現したヘロルトは、特別な存在だろうか。否、〝ヘロルトもどき〟が世界を闊歩している。

 アメリカの歴代大統領を見てみよう。レーガンは俳優として大統領を演じた。魑魅魍魎のオハイオ民主党で頭角を現したオバマは、武器商人でありながら平和主義者を装う。トランプもWWEで鍛えた表現力で大統領の座を射止める。保守派の仮面を被った安倍首相だが、実体は矜持なき隷米主義者だ。冷酷な金正恩も機転の利く好漢を演じてみせた。

 軍事法廷でヘロルトを前線送りにした裁判官の「この異様な状況で常軌を逸する者が出てくるのは仕方ない」の言葉からも窺えるが、ナチズムには狂気、憑依、風俗紊乱、性的倒錯、カルト、神秘主義が滲んでいる。

 ヘロルト戦闘団が現在のドイツに甦り、街行く人に声を掛けるエンドロールが興味深かった。ナチズムという妖怪は、いつ封印を解かれても不思議ではない……。監督は観客にこう伝えたかったのだろう。ドイツでも排外主義が勃興している。ナチズムを食い止めるには、多様性と共生に価値観を置き、寛容の精神を軸に物事を考えることが第一だ。

 ユダヤ人がナチズム最大の犠牲者であることは言を俟たない。だが、イスラエルは今、アメリカを後ろ盾にパレスチナに対してジェノサイトを行っている。先月末に提出された国連人権委員会のリポートが恐るべき事実を明らかにした。イスラエル軍が、ガザで武器を持たない子供、ジャーナリスト、障害者を標的に実弾を浴びせていた。人類に対する戦争犯罪としか言いようがない。

 欧州で胎動しつつある反ユダヤ主義を鎮め、憎悪の連鎖を断ち切るためにも、イスラエルの方針転換を願っている。
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<自己責任論>克服が民主主義への道

2019-03-02 21:49:14 | 社会、政治
 将棋のA級順位戦最終局が昨日、一斉に行われ、久保利明九段を破って8勝1敗でトップをキープした豊島将之2冠(王位・棋聖)が佐藤天彦名人への挑戦権を得た。世代交代を決定付けるフレッシュな名人戦になりそうだ。先日放映された「われポン」で個性的な打牌を見せた藤田伸二が、吉田豊にエールを送っていた。1年3カ月ぶりに復帰した今日の初戦は⑬着だったが、今後の健闘に期待している。

 トランプ大統領が追い詰められている。大統領選(2016年)でロシアとの共謀を捜査しているモラー特別検察官は、近日中に司法長官に報告書を提出する。側近6人が訴追されたが、マイケル・コーエン顧問弁護士の証言は、トランプにとって致命傷になりかねない。

 安倍首相は差別と対立を煽る〝危険因子〟をノーベル平和賞に推薦したが、文在寅韓国大統領までエールを送るとは思わなかった。世界は狂い、軋み、歪みつつある。翻って日本も十分危うい。この国が民主国家になるプロセスを、<自己責任論>をキーワードに考えてみた。

 まずは先月末、第12回裁判を傍聴した供託金違憲訴訟から。選挙区で300万円の供託金は民主国家の常識を逸脱している。繰り返し記しているが、OECD加盟35カ国中、23カ国で供託金はゼロ、残りの国も韓国を除き10万円以下だ。貧困や障害に苦しみ、公正と平等を訴えたい者がパージされている以上、国会が貴族院の如き様相を呈するのは当然だ。

 これまでの司法の判断をぶっちゃけて言えば、〝間違っているのは制度ではなく、お金を用意出来ないおまえの方〟……。根底にあるのは自己責任論だ。主要メディアはこの裁判の本質を理解せず、永田町の腐った地図を眺めている。判決は5月24日だが、原告が勝ったとしても被告(国)が控訴するので、参院選に適用されることはない。ちなみに被告の弁護人は公務員(検事)である。

 武器取引(輸出改め)反対ネットワーク(NAJAT)の3周年記念集会における高端正幸埼玉大准教授の講演で、自己責任論が日本の民主化の最大の阻害要因であることに思い至った。<分かち合う社会へ~財政を「共同の財布」とするために>というタイトル通り、高端氏は格差と貧困の実態を緻密なデータで提示し、消費税にも言及する。

 北欧で高い消費税率への批判の声が小さいのは、使途が高福祉社会の礎になっていることが認知されているからだ。高端氏は民主主義の成立条件に情報公開を挙げ、森友・加計、統計不正と公文書改竄、データ隠蔽が相次ぐ日本の現状を憂えていた。

 さらに深刻な問題と高端氏が指摘したのは自己責任論だ。中間層から脱落しているのに、自らを下層と認める人は5%以下という調査結果もある。生活保護受給者への不当なバッシングを含め、国民は自己責任論に毒されている。欧米では、〝生活が苦しいから抗議する〟という自然の流れで抵抗が広がっているが、日本人は悪政を批判せず、自分が悪い(自己責任)と思い込む傾向にある。
 
 日本政府が自信をもって世界の権力者に〝輸出〟出来るのが自己責任論だ。小泉純一郎元首相の十八番で、現政権にも受け継がれているが、長い歴史を誇る〝悪しき日本の伝統〟だ。最たる例を以下に挙げる。

 第2次世界大戦末期、ソ連参戦を知った関東軍は日本に向けて遁走する。満州に残された居留民の途端の苦しみはご存じの通りだ。国家的<棄民>だが、〝勝手に残った〟といわんばかりに<残留>に言い換えられた。敗戦時、人々が皇居前で跪く光景が歴史教科書に載っていたが、星新一らも証言しているように、玉音放送前に撮影されたものである。<悪いのは陛下ではなく、力及ばなかった私たち国民の責任>……。このトリックが戦後の空気を変わった。

 東日本大震災直後の東北を取材して「春を恨んだりしない」を著した池澤夏樹は<どうして自分がこんな目に」という恨み言と一切出合わなかった>と綴っていた。石牟礼道子の「苦海浄土」にも、冷酷な行政やチッソを責めず、病を業のように受け止める患者の心に迫っていた。

 自己責任論と集団化……。この国最大の病理が克服されない限り、民主主義の道は遠いだろう。テーマがなかったので、今稿は普段以上に書き殴ってしまった。
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