酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ドロン&ベルモンド~名優たちの相棒ドラマ

2008-08-30 01:09:26 | 映画、ドラマ
 昨夜来の雨がようやく小降りになった。窓越しの閃光と轟音に、戦場にいるのではと錯覚してしまう。数年後の辞書には新語<夜立>が加えられているだろう。

 ウィリアム・ピーターセン(グリッソム主任)、第9シーズン途中で降板……。このニュースに愕然としたのは先月のこと。「CSI」に続き「相棒」にも激震が走る。寺脇康文が水谷豊とのコンビを解消し、番組を去るという。マンネリ打破の意図はわかるが、寂しさは拭えない。

 さて、本題。今回はスクリーンで2度、相棒を演じたアラン・ドロンとジャン=ポ-ル・ベルモンドについて記したい。

 中学生の時、映画観賞が習慣になった。夢の扉を叩いた頃に見た「ボルサリーノ」(70年)とNHK衛星2で再会する。ギャングが政財界を支配する30年代のマルセイユを舞台にした実録物だ。

 三角関係をきっかけに相棒となったロッコ(ドロン)とフランソワ(ベルモンド)は、アイデア、度胸、暴力を武器に頭角を現す。頂点を極めた後の悲しい結末は、続編「ボルサリーノ2」に繋がっていく。

 「ボルサリーノ」はストイシズムと情念に彩られた他のフレンチ・フィルム・ノワールとは色調が異なる。ユーモアとロマンスを織り交ぜた軽妙なタッチは「スティング」に近い。

 公開当時、人気絶頂だったドロンとベルモンドは、出演作にも恵まれていた。ドロンなら「太陽がいっぱい」、「若者のすべて」、「冒険者たち」、ベルモンドなら「勝手にしやがれ」、「気狂いピエロ」、「薔薇のスタビスキー」と、映画史に輝く傑作、問題作に主演している。

 老境に達した2人が28年ぶりに共演したのが「ハーフ・ア・チャンス」(98年、パトリス・ルコント)だ。監督も役者も楽しんで撮影に臨んだことが伝わる肩の凝らないエンターテインメントだ。

 車泥棒のアリス(ヴァネッサ・パラディ)は母の遺言テープで、2人の父親候補を知らされる。レストラン経営者のジュリアン(ドロン)と中古車販売業者のレオ(ベルモンド)だ。我こそ父親と張り合う2人は、キュートな娘アリスを守るためにロシアンマフィアとの闘う羽目になる。ご老体というなかれ、2人は雷名を轟かせた一騎当千の兵だったのだ。

 女性をめぐるジュリアンとレオの因縁、パンチの応酬からたちまち打ち解けるという設定、冒頭の出所シーンなど、ルコンドが「ボルサリーノ」を下敷きにしたことは明らかだ。ストーリーや役柄と無関係に、ドロンとベルモンドが互いを揶揄するような台詞も用意されている。

 「ボルサリーノ」と「ハーフ・ア・チャンス」を続けて見て、「男たちの挽歌」が無性に恋しくなった。幸いなことに来月末、衛星第2で放映される。<ともに体を張る相棒>こそ、男にとって生涯の憧れではないか。


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天才に至る条件とは

2008-08-27 05:09:30 | 戯れ言
 安倍前首相に続き<身内の論理>の脆さを露呈した星野氏だが、WBC監督に前向きという。敗者を鞭打つのは性分ではないが、「?」が正直な感想だ。

 北京五輪は閉幕したが、欧州サッカー、NFLと天才たちの饗宴は終わらない。今回は天才について論じたい。

 天才の誉れ高い北島康介と松坂大輔だが、中学時代は抜きん出た存在ではなかった。長嶋茂雄は線が細く、高3の春にようやく才能の一端を示す。清原と桑田のPLコンビは例外で、時間をかけて才能を開花させたスポーツ選手は多い。

 最も衝撃的だった天才降臨は、88年度のNHK杯だった。当時18歳の羽生善治現名人は、4人の名人経験者を連破して優勝する。準々決勝の加藤9段戦、羽生の▲5二銀が炸裂するや、解説の米長9段は「パウロ(加藤の洗礼名)先生、食らっちゃったな」とユーモラスに驚嘆を表現した。大逆転の瞬間、全国の将棋ファンに羽生の名が鮮烈に刻まれた。

 俺が注目している“現在進行形”の天才が3人いる。2人の英国人、ミューズのマシュー・ベラミー(30)、ジャマイカ系作家のゼイディー・スミス(32)と、ルーキー騎手の三浦皇成(18)だ。

 クラシカル、プログレ的、メタリック、エスニック、リリカル、神秘主義的、ラディカル、キュアー・チルドレン、レディオヘッドのフォロワー、クイーン的……。ミューズほど様々な形容詞で語られるバンドはない。マシューは相反する要素をオーガニックに再構築する類まれなクリエイター、パフォーマーといえるだろう。
 
 スミスはウルフ、マッカラーズの女流ツインピークスに迫りうる才能の持ち主だ。長編3作はいずれも高い評価を受けているが、必読といえるのがデビュー作「ホワイト・ティース」(上下、00年/新潮社)だ。骨太のストーリーラインに、歴史、宗教観、サブカルチャー、風刺、マジックリアリズムが織り交ぜられている。

 三浦は現在51勝で、10月中に武豊の新人記録(69勝)を更新するかもしれない。強面の近藤利一氏(アドマイヤ総帥)に言葉を返すなど肝も据わっているようだ。三浦が所属する河野厩舎の管理馬ストッププレスをPOGで指名した。三浦を背にクラシック戦線を賑わせてくれること願っている。

 人々は天才を持ち上げることで、怠け者の自分を免罪している。スポーツと芸術で輝くためには<才能の絶対値>が必要だが、それ以外のジャンル――政治、経営、営業、教育、技術系の職業――なら、誰しも天才になる可能性を秘めている。志を保って努力を続け、時間を掛けて加速力と遠心力を纏った者を、俺は何人も知っている。這いつくばる覚悟を持つ者にのみ、高く速く舞うチャンスが与えられるのだ。

 くどくど書いたが、結論は平凡だった。“怠器不成”を地で行った俺は、残り少ない人生で凡人道を極めるつもりだ。


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「あらくれ」と「行人」に描かれた強い女

2008-08-24 03:33:18 | 戯れ言
 上野投手の熱投、質の高いサッカーを披露したなでしこジャパンと、日本女性の活躍に心を揺さぶられる。今回のテーマは五輪にちなみ女の強さだ。

 女の強さって何? 男女間に関する限り黒沢年男(現年雄)の「やすらぎ」(75年、作詞/中山大三郎)がヒントになる。

 ♪あなたがその気ならしかたがないわねと おまえはうつむいて静かに背をむけた(中略)そうさおれのせいでいいさ ほんとはおまえから別れを言い出した……。この詞が提示した<男=加害者意識、自己否定、女=被害者意識、自己肯定>のパターンを、俺は恋愛以外にも拡大して<性別判定法>に用いている。

 例えば安倍前首相……。加害者であることを失念し、戦前の日本を肯定的に語る姿は勇ましくマッチョだが、俺の分類では女になる。
 
 <性別判定法>はここまでにして、映画と小説に登場した強い女について記すことにする。まずは成瀬巳喜男監督の「あらくれ」(57年)だ。

 成瀬監督の最高傑作「浮雲」(55年)は何度見ても納得がいかない。ウィキペディアでもどかしさを解消してくれる成瀬評を発見した。溝口健二は「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつもキンタマがありませんね」と語ったという。

 成瀬作品の男たちにはキンタマがないというのが溝口の真意だろうが、女たちにはキンタマならぬ肝がある。高峰秀子の魅力が爆発したのが「あらくれ」(57年)だ。お島(高峰)は激しい気性ゆえ、封建的な社会で鼻つまみになる。生々流転にダウナーな気分になるが、後半に入るや一気に弾けた。

 夫(河東大介)の尻を叩き洋服屋を開いたお島は、大正デモクラシーの象徴でもある。モダンガールの装いで街を闊歩し、道ならぬ恋を貫いた。夫の浮気に業を煮やすのは自分勝手といえるが、一計を案じたお島は快哉を叫びたくなるような結末へと突き進む。

 高峰が「あらくれ」で演じたのは目に見える女の強さだが、漱石の「行人」に描かれたのは別のタイプだ。主人公(二郎)の兄である一郎は、妻直との間に仮想のバリアの存在を覚え、常軌を逸した言動で二郎ら家族を苦しめる。俺が一郎にシンパシーを覚えたのは、直の佇まいと個性が知人の女性に重なるからだ。男たちに距離や壁を感じさせるのも、女の強さの一つの表現だと思う。

 ちなみに俺の母系は、祖母、母、2人の伯母、そして妹と、タイプは異なるが強い女が揃っている。男たちはといえば、俺を筆頭にキンタマがない。これぞバランスの妙というべきだろう。




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「こころ」に心震えず~35年ぶりの苦い再会

2008-08-21 04:43:34 | 読書
 サッカー準決勝は旬のメッシと落日のロナウジーニョを象徴する結果になった。ボルトは200㍍を真剣に走り、自身のアイドル(マイケル・ジョンソン)の世界記録を更新する。“身内内閣”の弊害で金縛り状態の星野ジャパンと対照的に、ソフトボールチームは大健闘だ。上野投手は今夜、奇跡を起こせるだろうか。

 五輪はこの辺りに本題に入る。今回のテーマは3度目になる夏目漱石だ。大判で字も大きい「ザ・漱石」(第三書館、上下)を購入以来、全作読破を目指している。先日<男の嫉妬3部作>、「彼岸過迄」、「行人」、「こころ」を読み終えた。

 俺にとって「こころ」は<文学の門>だった。35年前の感動を再度味わうつもりでいたが、肩透かしに終わる。俺は自分に問いかけた。10代の頃の繊細さと鋭敏さを失くしてしまったのだろうかと……。答えは断固、否である。

 <男の嫉妬3部作>以外、漱石が紡ぐ言葉はソーダ水のように心身に染み込んだ。「坊っちゃん」と「三四郎」の活気とユーモア、「草枕」と「虞美人草」の表現力、「それから」の緊張感、「門」における男女の機微……。ページを繰る指が痺れたこともしばしばだった。

 漱石の本質は<恋愛小説家>で、「それから」と「こころ」は雛型が相似形の恋愛小説である。「それから」の代助は狂おしい衝動を抑え切れず、友人の平岡と対決して三千代を我が手に取り戻す。<世の中が真っ赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した>……。

 代助が全存在を懸けることを決意したラストは、何度読み返しても震えるような迫力がある。一方の「こころ」では、先生は友人Kとの軋轢を回避して、三角関係に終止符を打つ。Kは死を選び、先生も後を追う。この設定は10代の俺を強く揺さぶったが、やさぐれ五十男になった今、響くものは何もなかった。

 「それから」の代助は当時の社会に抜き差しならぬ不信感を抱いていた。封建的な倫理観や煽られる愛国心を拒絶し、幸徳秋水を付け回す警察を笑いの種にしていた。「こころ」の先生は代助と同じ高等遊民でありながら、批評精神を失くしている。乃木将軍の殉死を自殺のきっかけと遺書で仄めかすなど、俗情に近づいていた。

 高踏派、近代知識人の苦悩の代弁者、則天去私の境地……。研究者は様々な表現で祭り上げたが、「それから」と「こころ」の落差を見る限り、漱石は多作による消耗で袋小路に迷い込んでいたと思う。

 「こころ」とは苦い再会だったが、「突然炎のごとく」(62年、トリフォー)も同様だった。俺にとって神話というべき作品だったが、昨年見た時は<出来のいい青春映画>にしか思えなかった。俺ぐらいの年になると、かつて愛した人と会ってはいけない。煌く面影を心の内にとどめておくべきなのだろう。


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取り留めないお盆雑感

2008-08-18 01:21:57 | 戯れ言
 ネタ切れの今回、暑さで思考停止中ゆえ、お盆の雑感をダラダラ記すことにする。

 まずは五輪から。怪物誕生を印象付けたのが100㍍のボルトだった。流しながら9秒69(世界記録)をマークしたボルトについて、「周りの俺たちの方が真剣だったはず」と4位マルティナは洒落たコメントを残していた。

 野口欠場、ラドクリフ強行出場、低温と雨、土佐の棄権、前半のスローペース、トメスクの独走……。想定外が相次いだ女子マラソンだった。集団から離れていたヌデレバはトメスクのスパートに気付かず、足を余しての銀メダルだった。

 体調に不安を抱えた室伏は5位に終わった。父重信氏は38歳でロス五輪に出場している。鉄人2世は次回ロンドンで再度メダルを目指すはずだ。

 記録的猛暑で死者が続出した30年前の8月、学生だった俺は名古屋出身の先輩と賭けに興じていた。対象は京都と名古屋の暑さで、帰省中、日々の最高気温を新聞でチェックする。結果は我が京都の勝利だった。15日には福田赳夫首相と安倍晋太郎官房長官が公人として靖国に参拝し、野党から批判を浴びている。月末に発表された「若者人格論」(総理府)は、<自立心と公徳心のない青年たち>を憂いていた。

 首相と官房長官の息子は最高権力者の地位を世襲し、中年になった<自立心と公徳心のない青年たち>は、同じ批判を現在の若者に浴びせている。この30年、社会の本質は変わっていないのではないか。

 大田誠一農水相が「消費者がやかましい」発言で物議を醸した。03年の「レイプは元気があっていい」に続く失言だが、姻戚関係にある福田首相は咎める様子もない。政治歴が浅い頃の太田氏には“清新な保守”というイメージがあったが、今じゃ時代劇の“悪代官面”だ。政治の世界でキャリアを積むと、あんな顔になってしまうのだろうか。

 16日夕刊1面、17日夜のNHKスペシャルで、日本軍と阿片の関連が取り上げられていたが、今更の感は拭えない。佐野眞一氏は「阿片王」で里見甫の闇に迫っており、当ブログ(05年10月4日)でも紹介している。

 <阿片があれば国家はいらない。阿片があれば軍隊はいらない>と語った“満州の阿片王”里見に、佐野氏はアナキズムやニヒリズムの匂いを嗅いでいる。新しい史料が発見されたのなら、佐野氏にはぜひ続編を書いてほしい。

 この夏、花火は見ていないし、かき氷もスイカも食べていない。せめてもの納涼と、時代劇専門チャンネルで「日本怪談劇場」を3本続けて見た。1970年に東京12チャンネル(現テレビ東京)で放映された13回シリーズで、コンパクトで高水準に仕上がっていた。

 大仰なホラーではないから、幽霊たちはおどろおどろしくない。本当に怖いのは生身の人間の業の深さであると実感した。煩悩多き俺だが、死ぬまでに恬淡の境地に近づき、すっきり成仏したいものである。



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ミステリアスな昭和天皇~仮面の奥の素顔とは?

2008-08-15 01:32:39 | 社会、政治
 北島の2冠を含め、日本の金メダルはすべて連覇の5個になった。星野ジャパンの心配の種は身内で固めたコーチングスタッフだったが、台湾戦の快勝で不安一掃となるだろうか。

 さて、本題。今日15日は終戦記念日だ。アジア侵略から太平洋戦争終結に至る過程で、加害と被害を問わず犠牲になった方々を追悼したい。今回は15年戦争の主役を俎上に載せる。

 佐野眞一氏は甘粕正彦を<日本近現代史上最も謎めいた男>と評していたが(前々稿)、甘粕よりミステリアスといえば、昭和天皇以外に思い浮かばない。

 <昭和天皇は軍部を抑え切れず、アジア侵略と日米開戦を許したが、自らの意思で終戦を決断した>……。「天皇と東大」(立花隆著)と「太陽」(05年、ソクーロフ監督)は、この<日本の常識>に則っていた。昭和天皇は今や、朝日新聞御用達の“平和主義者”に格付けされている。

 俺も“甘いムード”に流されていたが、「昭和天皇」(ハーバート・ビックス/講談社、上下)を読んで目からウロコが落ちた。ビックス氏(現NY州立大教授)は一橋大でも教授を務めた日本近現代史の第一人者である。

 膨大な史料を検証して書き上げられた労作は、<戦争遂行者としての昭和天皇>を抉り出している。大元帥として無謀な戦略を主張し、万余の将兵を死に至らしめた経緯も詳述されていた。01年ピューリッツァー賞に輝く同書は、<日本の常識>と真逆の<世界の常識>を提示した。

 「太陽」で昭和天皇はマッカーサーの問いを仙人のようにかわしていたが、GHQ資料(「世界」79年4月号=広瀬隆氏が講演会で紹介)では別の貌を見せている。「米国の沖縄軍事占領は、日本に主権を残存させた形で長期(50年以上)にわたり継続すべし」と売国的な提案をマッカーサーにしていた。

 昭和天皇の曖昧な言動は右派にも混乱をもたらし、皇室と愛国心の乖離が決定的になっている。排外的ナショナリズムの軸になった小泉純一郎元首相と石原慎太郎都知事の共通点は、皇室と距離を置いていることだ。小泉氏は文化勲章廃止論者だし、石原氏は野坂昭如氏との対談で「自分は皇室支持者ではない」と明言していた。

 皇室崇拝者だった三島由紀夫は、昭和天皇に厳しい目を向けていた。象徴的な作品は「剣」で、大学剣道部主将の国分は、部員が自分の指示を無視して合宿中に泳いだことを知り、自死を選ぶ。<水泳後の剣道部=象徴天皇制>で、「剣」は<遺書の序文>でもあった。1970年11月25日、三島は昭和天皇の代わりに腹を切り、美学への殉じ方と責任の取り方を示した。

 辺見庸氏ら天皇制否定派は、<昭和天皇が戦争責任を取らなかったことが、戦後の無責任の連鎖を生んだ>と説く。確かに的を射ているが、仮に昭和天皇が“責任ある行動”を取っていたら、日本はどうなっただろう。21世紀の今も、ファナティックな<神の国>のままかもしれない。



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愚連隊シリーズ~岡本喜八が描いた戦争

2008-08-12 00:38:13 | 映画、ドラマ
 新彊地区の抵抗が治まらない。北京五輪を国威発揚の好機と見ていた中国だが、ナショナリズムの基軸が<国>から<民族と宗教>に移ったことを深刻に受け止めているはずだ。

 内柴に続き、北島が連覇を果たした。毎度のことながら、北島の表現力と集中力に驚かされる。明暗を分けそうなのが肉離れを発症した野口で、棄権の可能性が高いという。

 さて、本題。<戦争を考えるシリーズ>第2弾は、岡本喜八の初期の作品、「独立愚連隊」(59年)と「独立愚連隊西へ」(60年)について記したい。日中戦線を扱った連作で、エネルギーとユーモアに溢れている。

 舞台は戦争末期の中国だ。圧倒的優位の八路軍(人民解放軍の前身)に対抗するため、問題児を集めた部隊が結成される。「独立愚連隊」では第90小哨、「独立愚連隊西へ」では左文字小隊が、ゴキブリのように戦地を這い回る。

 「独立愚連隊」で主演を務めたのは佐藤允だ。従軍記者は仮の姿で、慰安婦トミ(雪村いずみ)、石井哨長(中谷一郎)とのやりとりで、その正体が明らかになっていく。三船敏郎が気の触れた大隊長、鶴田浩二が馬賊の頭目と、トップスター2人が脇でスパイスを効かせていた。

 「独立愚連隊西へ」で初主演を果たした加山雄三(左文字少尉)を、前作に続き出演した佐藤と中谷がもり立てている。軍旗捜索で戦地を転々とする左文字小隊は、八路軍の梁隊長(フランキー堺)と不思議な友情で結ばれる。 

 両作には朝鮮人慰安婦が登場し、日本軍上層部の腐敗も描かれているが、シリアスなトーンではない。コメディー、ミステリーの味付けもあるウエスタン風戦争活劇だ。加山ら出演者の陽気な歌声が、作品のテンポとリズムを作っている。根底にあるのは厭戦と反骨で、戦争と相容れない自由を謳っている。
 
 岡本監督は実に芸域が広く、戦争を扱った作品でも主音は異なる。「血と砂」(65年)は愚連隊シリーズの続編で、「肉弾」(68年)はATGらしい風刺を込めた前衛作品だ。「日本のいちばん長い日」(68年)と「激動の昭和史 沖縄決戦」(71年)はドキュメンタリータッチで、大日本帝国の本質を抉っている。

 「大誘拐~RAINBOWKIDS」(91年)と並ぶ岡本監督のエンターテインメントの頂点は、唯一の東映配給作「ダイナマイトどんどん」(78年)だ。東宝への義理を重んじたのか、東映実録物とは縁がなかったが、同作は抱腹絶倒のヤクザ映画のパロディーに仕上がっている。

 俺にとっての最高傑作は「近頃なぜかチャールストン」(81年)だ。国家とは、天皇制とは、戦争とは? 見る者に鋭く問いかけ、岡本監督の根っ子にあるものが浮き彫りになっている。

 次回は<戦争を考えるシリーズ>の完結編だ。今や朝日新聞御用達になった昭和天皇について論じたい。


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「甘粕正彦 乱心の曠野」~佐野眞一が迫る満州の闇

2008-08-09 01:12:21 | 読書
 北京五輪は華やかに開幕したが、8月のこの時期ぐらい、戦争と平和について真摯に考えたい。63年前の今日(8月9日)、広島に次いで長崎に原爆が投下され、ソ連が対日参戦する。

 昼は関東軍が支配し、夜は甘粕が支配する……。当時の満州の権力構造を端的に示す表現だが、<昼の支配者>はソ連参戦の報に退却し、満蒙開拓民を生き地獄に置き去りにする。今回は「甘粕正彦 乱心の曠野」(佐野眞一著)を基に、<夜の支配者>について論じたい。

 ♪ここは御国を何百里 離れて遠き満州の 赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下……

 満州と聞いて最初に連想するのは、哀調を帯びた「戦友」だ。傷痍軍人がアコーディオンの伴奏でこの曲を歌う場面を何度も目撃したからである。「忘れられた皇軍」(大島渚監督)を見て、彼らの多くが軍人恩給対象外の朝鮮人と知った。

 関東大震災後の戒厳令下、アナキストの大杉栄、伊藤野枝、大杉の甥宗一(当時6歳)が惨殺された。大杉は派手な言動でセックス・ピストルズ並みの時代の寵児だった。だからこそ、殺害を認めた甘粕憲兵大尉の悪名も鳴り響くことになる。

 甘粕が命令体系を逸脱するはずはなく、無実でありながら罪を被った……。これが現在、史家の定説になっている。甘粕は沈黙と引き換えに保証を得たわけではなく、刑務所では他の囚人同様、雑役を務め、恩赦(昭和天皇の結婚)で出獄後はマスコミを逃れて潜伏する。フランスでは競馬で借金を背負うなど、失意の日々を送った。

 1929年夏、満州に姿を現した甘粕について、<満州の夜と霧の深い闇に下半身が溶け込んだ、日本近現代史上最も謎めいた男の物語の幕開けだった>と佐野氏は記している。甘粕は満州事変、溥儀の拉致などあらゆる局面で謀略をめぐらし、地歩を固めていく。

 皇室崇拝者だった甘粕だが、理事長を務めた満映に左翼青年を受け入れている。冷徹な官僚というパブリックイメージとは真逆の懐の深さ、気遣いに魅了された者も多い。莫大な金を動かしながら財産はなく、残された家族は戦後、苦しい生活を強いられた。甘粕とはミラーハウスの住人であり、様々なアンビバレンツを内包した複合ミステリーだったのだ。

 「ラストエンペラー」(87年、ベルトルッチ)では、固辞した大島渚に代わり、坂本龍一が甘粕を演じた。本書を読む限り、映画には事実誤認が幾つかある。最大の誤りは甘粕と溥儀の関係で、溥儀は一貫して甘粕を信頼していた。甘粕は思想信条、民族に関係なく満映職員を遇し、多くの映画人と交遊した。最期を看取った内田吐夢の帰国第1作は「血槍富士」(55年)だが、エンディングで流れた「海ゆかば」は、甘粕の葬儀で満人音楽家が合奏した曲である。

 甘粕は全満映職員に退職金を渡して帰国の便宜を図り、自らは理事長室で青酸カリを飲んだ。甘粕の死について佐野氏は、<深い沈黙のなかで帝国の虚妄とひとり格闘してもがき、最後に、自分を鍛え、そして苦しめたその帝国の終焉を自らの死をもって示した>と記している。

 満映人脈は戦後の東映に継承された。義理と情に身を捧げて悲劇的結末を迎える任侠映画の主人公は、大陸浪人、転向左翼、そして甘粕の生き様をミキサーで攪拌して生まれたのかもしれない。

 満州建国がアジア侵略の象徴であることは言を待たない。歴史を踏まえても満州という言葉の響きに胸騒ぎを覚えてしまうのは、俺にとって克服不能な<日本人の限界>なのだろう。




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国の尻尾を掴んだ日々~東京五輪の思い出

2008-08-06 00:56:47 | スポーツ
 愛国心を表現する日本人は少数だが、他国では事情が異なる。

 例えば、韓国……。米国産牛輸入反対の発火点になった女子高生たちは、「国を愛するからこそ大統領にノーを突き付ける」とインタビューで答えていた。彼女たちの<愛国レベル>は、授業放棄で政府に対抗するフランスの10代と変わらない。

 例えば、先日亡くなったソルジェニーツィン氏……。旧ソ連から追放された同氏は、帰国後もチェチェン独立派に影響を与えるなど、抵抗と自由のシンボルであり続けた。その半面、ロシア正教に帰依するナショナリストで、国威発揚に成功したプーチンを評価していた。

 俺が初めて国を意識したのは、小学2年時の東京五輪だった。マラソンでアベベが圧勝した翌日、家族の受け売りなのか、「イギリスは卑怯や」の声が教室で飛び交った。国立競技場でスパートしたヒートリー(英国)が、円谷幸吉を一気に抜き去ったからである。「卑怯や」は当時の日本人に共通する感想だった。 

 銅メダル獲得から4年後、円谷は重圧に耐え切れず頚動脈を切る。謙遜の最後の輝きというべき遺書は、川端康成、三島由紀夫に絶賛され、倉本聰の「前略おふくろ様」、「北の国から」のベースになる。

 柔道無差別級で神永がヘーシンクに押さえ込まれた瞬間、日本中の家庭は重い沈黙に覆われた。神永は“国技”を汚したとして、メディアから袋叩きに遭う。実に恐ろしい時代だった。鬼に思えたヘーシンクだが、プロレス転向後の体たらくに目を覆った。

 最も耳目を集めたのは、女子バレーボールの「東洋の魔女」だった。ライバルのソ連は国としても憎しみの対象で、決勝はスポーツを超えたイベントになる。ルイスカリの強打にハラハラさせられたが、3-0のストレート勝ちに日本人は留飲を下げた。

 東京五輪で掴んだ国の尻尾は、スルリと手をすり抜け、遠ざかるばかりだった。民衆が自らの手で権力を奪った経験は日本にない。そんな国で<愛国者=体制派>の図式に組み込まれることを拒否したからだろう。

 ウイグル自治区で起きたテロは、少数民族が置かれている厳しい状況を世界に知らしめることになった。中国当局が五輪開催で期待した愛国心の発露は、期待とは別の形で現れたようである。ウイグル族の抵抗の意志は理解できるが、観衆や競技者を傷つけないことを願っている。



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POGで親バカの気分になる

2008-08-03 12:36:18 | 競馬
 一昨日、突然インターネットが繋がらなくなった。先ほど届いた新品のモデムに取り替え、半日遅れで更新している。

 赤塚不二夫さんが亡くなった。俺は「おそ松くん」と「天才バカボン」で育った、お粗末でお馬鹿な中年男である。狂気と正気の狭間をスイスイ泳いだギャグの先駆者の冥福を祈りたい。

 俺にとって真夏の宴は、甲子園でも北京オリンピックでもない。12年ぶりのPOG(ペーパーオーナーゲーム)参加で、夏競馬を満喫している。POGとは仮装馬主としてサラブレッド(2歳馬)を所有し、獲得賞金をそれぞれのルールに則ってやり取りするゲームだ。

 テレビ番組、雑誌、スポーツ紙、HPが参加者を募集するなど、POGは多くの競馬ファンに親しまれている。俺は33年前にスタートした由緒ある(日本最古?)のPOGの一員になった。当然、目利きが揃っている。正攻法では太刀打ちできそうもないから、自己流の縛りを設定して22頭を選択した。

 <縛り①>=遅生まれ(5月以降)の馬はなるべく避ける
 <縛り②>=シンボリクリスエス、キングカメハメハの仔は無視する
 <縛り③>=父系、母系のいずれか、もしくは両方にサンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムの血を受け継いでいる
 <縛り④>=名牝の仔、活躍馬の弟妹はパスする
 <縛り⑤>=藤沢、松田国、松田博、角居など人気厩舎の管理馬は外す

 4頭が早々に勝ち上がるなど出足は順調だったが、ビギナーズラックは続かない。“親”の歪んだ性格と悪運が、“子供たち”に影を落とし始める。5本脚(馬っ気)で走ったり、返し馬で騎手を振り落としたり、スタート直後カニになったり……。気性難の馬が勢ぞろいしている。

 1位指名のプロスアンドコンズも流れが悪い。出遅れで新馬戦を勝てず、馬房の関係で新潟の未勝利戦を除外されてしまう。暑い時期に無理使いしない方が長い目でプラスと、自分を慰めている。

 POGの魅力の一つは、親バカの気分を味わえることだ。もちろん、他のメンバーの指名馬が走る時は「負けろ! 負けろ!」と心に念じている。終わりのない週末のハラハラドキドキに、繊細な俺は耐えられるだろうか。



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