酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「希望のかなた」~多様性と寛容の精神に溢れた傑作

2017-12-31 15:39:17 | 映画、ドラマ
 このブログは俺にとって遺書代わり、ボケ防止の備忘録だ。付き合ってくださった忍耐強い読者の皆さまに、心から感謝したい。来年も社会の隅っこでブツブツ呟いているだろう。

 沖縄への振興費がカットされ、柏崎刈羽原発6・7号機の安全性に規制委がお墨付きを与えた。この流れと軌を一にして、埼玉県議会は原発再稼働を求める意見書を可決した。生活保護は削減され、ユニセフのレーク事務局長は日本の子供が貧困状態に懸念を表明したが、16%という数字はこの国の貧困率をそのまま反映している。

 「板子一枚下は地獄」がこの国の現実だ。かく言う俺も下流老人予備軍で、10年後を想像すると暗い気分になる。だが、軍事費を削減して割高の米国製武器輸入を中止するだけで事態は好転する。問題なのは、お上に唯々諾々と従う奴隷根性が染みついていることだ。

 世界の趨勢に異を唱える映画を先日、ユーロスペースで見た。アキ・カウリスマキ監督の新作「希望のかなた」(2017年)である。<カウリスマキのトランプへの返答>という予告編のキャッチそのままで、多様性の尊重と寛容の精神に溢れた、映画納めに相応しい作品だった。

 主人公のカーリドはシリアを脱出し、放浪の旅を経て、石炭まみれでフィンランドに流れ着いた。演じたシェルワン・ハジもシリア出身である。助演のサカリ・クオスマネンはカウリスマキ組で、謎めいた実業家ヴィクストロムを演じている。

 「それでも僕は帰る 若者たちが求め続けたふるさと」で描かれていたように、シリアは地獄の様相を呈している。一方で、世界で最も住みやすい国のひとつに挙げられているフィンランドでさえ難民に厳しく、カーリドは強制帰国を余儀なくされる。街中では人種差別主義者に付きまとわれた。

 謎めいたと評したヴィクストロムは、経営する服飾会社を畳んでレストランのオーナーになる。ポーカーでプロたちを打ちのめし、裏街道にも顔が利く。「ディーバ」のゴロディッシュを彷彿させる怪しいオーラを放つヴィクストロムは、カーリドに救いの手を差し伸べた。
 
 カウリスマキの作品に共通するのは、登場人物の目力だ。ヴィクストロムだけでなく、3人の従業員も拗ね者、アウトサイダーの目の奥に、反骨精神と義侠心を秘めていた。チームの一員になったカーリドの心残りは、生き別れになった妹の安否だった。さらなる共通点を挙げれば音楽で、カーリドもアラブ圏の伝統楽器サズの演奏を披露していた。

 本作のラスト、穏やかな表情のカーリドに<チーム・ヴィクストロム>の一員、犬のコイスティネンが近づく。ハッピーエンドとはいえない苦い後味だが、個としてのささやかな優しさ、逆説的な希望の意味をカウリスマキが示してくれた。ヴィクストロムたちが寿司屋に転じるシーン、BGMで流れる歌謡曲も違和感は覚えなかった。

 最後に、映画館で今年見た作品からベストテンを以下に。
①「The NET 網に囚われた男」
②「アイ・イン・ザ・スカイ」
③「わたしは、ダニエル・ブレイク」
④「沈黙~サイレンス」
⑤「はじまりへの旅」
⑥「パターソン」
⑦「希望のかなた」
⑧「女神の見えざる手」
⑨「十年」
⑩「マンチェスター・バイ・ザ・シー」

 「ありふれた悪夢」、「幸せなひとりぼっち」、「人生タクシー」、「永遠のジャンゴ」、「太陽の下で」と続く。「相棒劇場版Ⅳ」も見応えがあった。来年の映画初めは「キングスマン:ゴールデン・サークル」の予定だ。「花筐 HANAGATAMI」も楽しみにしている。

 それでは皆さま、いい年をお迎えください。

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「ささやかな英雄」に感じたリョサとペルーの和解

2017-12-27 17:58:35 | 読書
 人権侵害などで禁固25年の刑に服していたアルベルト・フジモリ元ペルー大統領が恩赦された。娘のケイコ・フジモリ氏は次期大統領候補で、政治的取引と見做す声もある。1990年の大統領選でフジモリに敗れたのが、俺がこの半世紀、世界最高の作家と考えるマリオ・バルガス・リョサだ。

 リョサは俯瞰の目で世界を描き、スケールの大きさと奥深いテーマに加え、エンターテインメント性でドストエフスキーに匹敵する。驚嘆すべきは老いても衰えぬ創作への情熱だ。ノーベル賞受賞後、リョサが77歳で発表した「つつましい英雄」(2013年、田村さと子訳/河出書房新社)を読了した。

 老眼の進行で前に進まず、この半月余り、風邪とケガに苦しんだ。友人は少ない俺だが時節柄、宴席に連なる機会もある。読書に向かない条件が重なったが、本作は楽に読み進めることが出来た。インタバルがあっても、ページを開くや体ごと行間に入り込み、光景の中を歩いているような感覚を味わう。俺の想像力というより、リョサの筆力の成せる業だ。

 物語は二つの街で同時進行する。奇数章の舞台は北西部ピウラで、フェリシト・ヤナケ(運送会社経営者)はスキャンダルの渦中にある。偶数章の舞台はリマで、イスマエル・カレーラ(保険会社オーナー)から、重役で友人であるリゴベルトが主人公を引き継ぐ形になる。窮地に陥る主人公たちの日々がカットバックし、ラストで交わって奔流となる。

 「緑の家」には色濃かったが、俺はリョサを<マジックリアリズム>の文脈で捉え過ぎていた。意識の流れを重視する点で、リョサはヴァージニア・ウルフやフォークナーの系譜にも連なっている。ちなみにマジックリアリズムの世界最高の使い手のひとりは、〝霊地〟熊野で感性を育まれた辻原登だ。

 初期ほど顕著ではないが、複数の会話が入り混じるなど実験的手法がちりばめられている。だが、ベースになっているのは、あらゆる角度から社会を照射する<全体小説>のテーゼだ。ストーリーから離れていても、ペルーの現実や空気が背景に描かれている。

 80歳になって若いメイドと結婚し、急死したイスマエルは、色好みという点でも英雄に近いが、フェリシトはタイトル通り、つまらないが〝つつましい英雄〟だ。リゴベルトは堅実な実務家で、英雄というイメージからは遠い。

 訳者あとがきによれば、リョサは生活の拠点をスペインに移し、ペルーで過ごすのは年に3~4カ月という。本作はペルー型スペイン語で書かれた。このことが何を意味するのか、仮説を立ててみた。  

 フェリシトは勤勉なチョロ(先住民)で最下層から這い上がってきた。ちなみに、大統領選でチョロの支持を得たのがフジモリである。抵抗、暴力、セックスを織り込んできたリョサだが、政治的には中道で、軍部にも左翼にも距離を置いてきた。大統領選でも<知と裡>を説いたが、マジックリアリズムに重なる祝祭的パワーを秘めたフジモリに勝てなかった。

 政治的敗北の影響は作品に散見される。本作にも警察官として登場するリトゥーマ軍曹は、「アンデスのリトゥーマ」の主人公で、「山棲みの連中(インディオ)を理解できない」と繰り返し述懐していた。これは作者の本音だろう。だが、本作のフェリシトは、滑稽なほど武骨で不器用ながら、矜持と威厳を失わない。

 シャーマン的女性を信頼するフェリシト、欧州文化に憧れるリゴベルド……。価値観と生活習慣で対極にある両者は偶然出会い、互いに敬意を抱く。凡庸な一読者に過ぎない俺が何を言っても説得力はないが、80歳を前に、リョサは故郷と和解したのではないか。貧困層や左派にとってよそ者であったことを自覚しているリョサは、二つの家族の関係に、ペルーの未来を託したのかもしれない。

 リトゥーマのみならず、リゴベルドとその妻ルクレシアは「継母礼賛」にも登場するなど、リピーターが多いのがリョサ作品の特徴だ。「つつましい英雄」には未解決の部分がある。リゴベルドの息子フォンチートの前に頻繁に姿を現す初老の男、エディベルト・トーレスとは何者か。リゴベルトは、トーレスを「ヴェニスに死す」(トーマス・マン)の主人公アッシェンバッハに重ね、同性愛者、変質者と決めつける。

 トーレスは実在するのか、フォンチートの空想の産物なのか判然としないが、息子は奥深い会話の中身を父に報告する。リョサは「ペルーの異端審問」(フェルナンド・イワサキ)の序文を書いていた。リョサに望むのは酷かもしれないが、リゴベルトとルクレシア、フォンチート、トーレスのそれぞれの主観を組み立て、神と悪魔に迫ったリョサ版「異端審問」を期待している。
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イブの雑感~将棋、老い、世の荒み、ベイスターズ、クラシコ、有馬記念

2017-12-24 11:28:50 | 独り言
 一年を振り返る時節になった。藤井聡大四段の衝撃的デビュー、AIと佐藤天彦名人との対局、羽生善治竜王の全7冠永世位獲得と将棋への注目度が大きくアップしたことは、長年のファンにとって喜ばしい限りである。

 将棋界には、時に一般社会では生き辛そうな者を含め、個性的な面々が揃っている。ヒフミンこと加藤一二三九段は30年以上も前からキャラが立っていた。将棋の枠を超えるのに時間がかかり過ぎのではないか。来年は十指に余る美人女流棋士たちがブレークするだろう。

 3月に続き、先日も階段から落ちた。風邪は治らず、咳をすると横隔膜がチクチクする。口内の傷もまだ癒えない。老いを実感する一年だったが、老眼の進行が甚だしく、仕事にも読書にも影響大だ。来年早々、眼鏡を作るつもりでいる。

 老いとは付き合っていくしかないが、淀んだ空気は看過出来ない。「悪い奴ほどよく眠る」(黒澤明)公開から60年弱、この国が依然、非民主国家であることは、安倍首相の国家私物化、政官財の腐蝕の構造が物語っている。最近は〝文化的政治活動〟にとどめていたが、老い先短い今、〝現場復帰〟しないと心が腐りそうだ。

 安倍政権に批判的な識者やメディアは現状をあれこれ分析しているが、殆どポイントを外している。この国を根底から変えるためには何が必要か。俺が用意した〝リトマス紙〟は、死刑、選挙制度、集団化の3枚だ。

 死刑囚2人の死刑が先日、執行された。死刑廃止はEU加盟の条件で、人権を考える上で大きなテーマだ。「世界侵略のススメ」(15年)では、ポルトガルの警官3人がマイケル・ムーア監督に「死刑廃止こそ民主主義の条件」と話しかける印象的なシーンがあった。国民の8割が死刑賛成の日本では、護憲派、戦争反対を唱える人の大半も、「死刑は当然」と受け止めている。

 選挙制度については繰り返し記してきた。貧困層の政治参加に道を開く供託金違憲訴訟(原告弁護団長は宇都宮健児氏)への協力は現場復帰のスケジュールに組み込まれているので、ここでは割愛する。最も深刻なのは3枚目の集団化だ。自身の職場やコミュニティーで起きている理不尽や不条理に沈黙している者に、社会を変えることは不可能だ。とはいえ、〝自由の気風〟を社会に根付かせる方法を思いつかない。

 自身の衰えと社会の荒みに暗澹となった気分を晴らしてくれたのが、今季の横浜ベイスターズの軌跡を追った「FOR REAL」である。東京公開初日の昨日、熱烈な横浜ファンの知人に誘われ、フルハウスのバルト9で観賞する。野球とは何か、チームとは、ライバルとの友情は、青春とは……。見る側に様々なことを問い掛けるドキュメンタリーだった。
 
 紹介は最小限にとどめたいが、主将である筒香のスケールの大きさと人間性に感嘆させられた。<気が狂いそうな時もある>と語る筒香は、ユーモア、そしてこまやかな気遣いでチームを引っ張っている。むろん、〝奇麗事〟もあるだろうが、ベイスターズは魅力的なチームだ。ラミレス監督-筒香主将でさらなる高みを目指してほしい。

 欧州サッカーへの関心は失せているが、クラシコだけは別だ。スペイン市民戦争にインスパイアされた俺は、〝神様クライフ〟との縁もありバルセロナを応援してきた。カタロニア独立を巡る動きに、ピケ(バルサ)の政治的発言が重なって、レアル・マドリードの本拠サンチャゴ・ベルナベウで開催された今回のクラシコはスポーツを超えたイベントになる。

 バルサは勝ち点差11で独走態勢を築きつつあったが、クラシコは想定外の展開になるケースが多い。前半はレアルがバルサのゴールを脅かしたが、決定機を逃したことで流れは変わった。レフェリーの笛に恵まれたこともあったが、バルサがブーイングを嘲笑うように3-0と圧勝する。後半のメッシは神懸かっていた。

 最後に、発走が4時間後に迫った有馬記念の予想を……。◎⑭スワーヴリチャード、○②キタサンブラック、▲⑬ミッキークイーン、注⑩シュヴァルグランの極めて平凡な印で、◎○を1着に固定した3連単を買うつもりだ。きっと外れるだろう。想定外の穴馬が突っ込んできて呆然とするのが有馬なのだ。

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静謐と狂気、繊細と野性~アンビバレンツな友川ワールドに浸る

2017-12-20 21:44:26 | 音楽
 齢を重ねるとは、消しゴムのカスだらけになることだろう。アンテナは錆び付き、好奇心は後退する。素晴らしいシーンに出合っても、既視感を覚えるだけだ。ここ数年、俺のノートから多くのものが消えた。NFL、欧州サッカー、WWEに関心がなくなり、スポーツといえば競馬、そして横浜ベイスターズだ。

 61歳にもなれば、最先端(とされる)のロックを追いかける気にもならない。今年購入したCDは20枚前後だが、フリート・フォクシーズ「クラック・アップ」、グリズリー・ベア「ペインテッド・レインズ」、モグワイ「エブリ・カントリーズ・サン」、ステレオフォニックス「スクリーム・アバヴ・ザ・サウンズ」に加え、The1975の2ndアルバム(昨年発売)が愛聴盤だった。

 ライブに足を運んだのはPJハーヴェイ、遠藤ミチロウ×PANTA、シガー・ロス、PANTA「クリスタルナハト30周年記念ライブ」、ミューズ、そして先日の友川カズキの6回だ。5組のアーティストの共通点は、表現方法は異なるが世界観を確立していることである。

 〝チーム・ミューズ〟の壮大かつ精緻なライブから1カ月、「友川カズキ阿佐ヶ谷ライブ」(阿佐ヶ谷ロフト)はアコギ一本の手作りだった。形式は対極だが、スケール感は引けを取らない。オルタナプロジェクト(大場亮代表)の端くれである俺にとって、友川で一年を締めるのは3年連続になる。

 オープニングアクトの火取ゆきは友川のカバー「サーカス」などを、ギターをかき鳴らして熱演する。火取は来年早々、心臓の手術を受け、しばし休養するとのこと。恒例の友川の年末ライブには元気な姿を見せてほしい。続いて登場した友川は、遠藤賢司への弔意を込めて、「ギターのチューニングしてくれた4人のうち、清志郎と遠藤が亡くなった。三上寛もそのうち……」と語り、笑いを誘っていた。

 順不同にセットリストを挙げると、「生きてるって言ってみろ」、「椿説丹下左膳」、「彼が居た-そうだ!たこ八郎がいた」、「グッドフェローズ」、「夜へ急ぐ人」(ちあきなおみへの提供曲)、「ワルツ」、「エリセの目」、「一人ぼっちは絵描きになる」、「青いアイスピック」、「家出青年」、「三鬼の喉笛」etc……。勘違いで演奏していない曲もあるはずだ。

 それぞれの曲に静謐と狂気、繊細と野性のアンビバレンツがちりばめられ、冷徹、諦念、絶望、孤独を表現しながら叙情に包まれている。友川の創造性と独自性、そして哲学的な詩は、晩年の大岡昇平を感嘆させた。

 頭脳警察のメンバー、遠藤ミチロウと共演することも多く、前衛的なミュージシャンとアルバムを作ってきた。その活動はフォークシンガーにとどまらない。今稿を書くに当たって知ったのは福島泰樹(歌人)との交流だ。情念を身体性で表現するという点で両者には共通点がある。

 友川は先月、アメリカに渡った。ニューヨークでは狂気を秘めた若者が200人集まり、友川の歌に感応する。画家でもある友川はニューヨークとロサンゼルスでは美術館を訪れ、たっぷり時間を費やす。「当然のことだけど、絵は現物を見るに限る」と強調していた。訪米が新曲への刺激になったはずだ。

 友川はモノローグと叫びで表現する。合間のMCもラディカルで魅力的だ。反原発、ホームレスの痛み、政治の腐敗を訴え、自虐的、自嘲的に語る。「射殺してやる」が乱暴な口癖だが、優しさを隠すための〝偽悪〟かもしれない。当夜が仕事納めで、原稿(平松洋子との往復書簡)を書き上げた後、競輪グランプリに向けて深い思索にこもるはずだ。

 友川について一層、興味が湧き、来年1月13日のワンマンライブに申し込もうとしたが、既に落語会の予定が入っていた。いずれにせよ、〝年相応〟のイベントである。友川は33枚のアルバムを発表しているが、俺が持っているのは3枚きりだ。旧作を集めて少しでも理解を深めたい。
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「ありふれた悪事」~国家の犯罪に対峙する勇気と覚悟

2017-12-16 13:12:49 | 映画、ドラマ
 前々稿で記した徐京植氏(東経大教授)は俺と同郷だ。2人の兄、勝、俊植氏は京都の高校を卒業後、東京の大学に進学し、韓国に渡った1971年、北朝鮮のスパイとして逮捕される。70年代から80年代にかけ、徐兄弟ら在日韓国人の救援、光州事件への抗議を軸にした日韓連帯運動に、俺も隅っこで参加していた。

 戦前の大日本帝国並みのヒールになった北朝鮮だが、俺が学生だった頃、軍事独裁政権下の韓国が悪名を轟かせていた。白竜は1stアルバム「光州City」(81年)収録曲で、♪楽しそうに街を歩く君たちは、笑いながら誰かを殺していると歌い、隣国で流された夥しい血を一顧だにしない日本の若者の想像力の欠落を抉っていた。

 <韓国民主化闘争を支援する>が当時のスローガンだが三十数年後、日韓の民主度は逆転する。身を賭して民主化を勝ち取った韓国では、権力への抗議と若者の政治参加が常態化する。文在寅大統領は学生の支持を受けて当選したが、政治を私物化する安倍首相は権力の座を維持している。

 シネマート新宿で韓国映画を見た。モスクワ国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞した「ありふれた悪夢」(16年、キム・ホンバン監督)は民主化直前のソウルを舞台に、コメディー、アクション、友情、サスペンスの要素を織り交ぜつつ、国家の犯罪を追及していた。

 主人公のカン・ソンジン刑事(キム・ヒョンジュ)は言葉を話せない妻、足に障害を持つ息子と暮らしている。ベトナム従軍経験、共産主義者だった父、刑事としてのキャリアを調べ尽くした国家安全企画部のギョナム室長(チャン・ヒョク)は、カンを利用して冤罪を仕立て上げようと試みる。国民の関心を政治から逸らすための策謀に歯向かったのはカンの親友、ジェジン記者(キム・サンホ)だ。

 韓国映画「殺人の追憶」、「殺人の告白」は、1980年代に世間を震撼させ迷宮入りした連続事件をテーマに据えていた。殺人鬼は軍事独裁の暗喩ともいえたが、容疑者は気弱で体も弱い。反独裁の意識が強い全羅南道出身というのも、犯人として〝最適〟だったのだろう。ジェシシに真相を突き付けられたカンだが、息子の足の手術費用など便宜を図られており、底なし沼から抜け出せなくなっていた。

 韓国映画を見る楽しみのひとつは、出演者に日本の俳優の面影を重ねることだ。荒っぽさと人情を併せ持つカンを演じたキム・ヒョンジュン、茫洋としながら記者魂を貫くジェシシ役のキム・サンに既視感を覚える。蒼い冷酷さを滲ませるギョナムを日本人が演じるなら、〝ヒール色〟が濃くなった木村拓哉がぴったりだ。カンの下に配属された新米刑事は太田光に似ていた。

 権力に絡め取らされたカンだが、ジェシシの説く〝普通人の正義〟に初心に返っていく。微妙な表情で心の揺れを表現するキム・ヒョンジュンの演技力に感嘆させられた。カンの変化に気付いたギョナムは、冷酷な手段を講じる。大阪の在日社会との連なりを感じる場面もあった。カンとジェシシの罪名は、徐兄弟と同じく北朝鮮のスパイである。

 独裁維持を企む政府に国民の怒りは爆発する。大学から大挙して街頭に向かった若者たちの勇気と覚悟が、自由の気風を醸成したのだろう。デモの先頭で機動隊に対峙したのは、拷問死したジェシシの遺影を抱く後輩の女性記者だ。彼女は遺影から一輪の花を抜き、機動隊員の胸に挿す。「あなたたちは敵ではない」と心で訴える感動的なシーンだった。

 最後に、競馬の予想を。POGに参加していると〝愛〟が馬券の邪魔をする。「朝日杯FS」は人気でも指名馬の①ダノンプレミアムと③タワーオブロンドンを3連単の軸に据えるが、怖いのは⑤ケイアイノーテックだ。中山メーンの「ディセンバーS」には22カ月ぶりに出走するハートレーを応援する。無事に回ってきてほしい。
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「レッツ・プレイ・トゥー」&「永遠のジャンゴ」~新宿で2本の音楽映画を観賞した

2017-12-12 22:37:37 | 映画、ドラマ
 先週末から風邪をひき、今日は自宅アパートの階段から落ちて口唇部を切って血がドバドバ……。流れは最悪でブログも捗らない。今稿のネタはタイムラグが相当あるので、中身はフレッシュさを失ってしまった。

 「柳家三三・春風亭一之輔二人会(6日、よみうりホール)は、睨み合うポスター通りの展開だった。一之輔がスピード感と絶妙な間で「富久」を披露し、仲入り、遠峰あこ(アコーディオン芸人)を経て三三が高座に上がる。演目の「嶋鵆沖白浪」は幕末から明治期にかけ圓朝と並び称された燕枝の長編噺で、当夜演じたのは触りの部分である。枕一切なしに、三三の気合が表れていた。

 先週は、新宿ピカデリーでパール・ジャムのドキュメンタリー「レッツ・プレイ・トゥー」(17年、ダニー・クリンチ監督)、新宿武蔵野館で「永遠のジャンゴ」(16年、エチエンヌ・コマール監督)の2本の音楽映画を観賞しだ。まずはパール・ジャムから……。

 1990年以降、最もオーソドックスなロックバンドを挙げると、アメリカならパール・ジャム、イギリスならステレオフォニックスだ。それぞれのフロントマン、エディ・ヴェダー、ケリー・ジョーンズはザ・フーの影響を受け、普遍性を追求している。

 <悲しい時、幸せな時、打ちひしがれた時、希望を抱いた時……。どんな時にもパール・ジャムはそばにいる>というファンの声に納得した。パール・ジャムはレーベルの制止を振り切ってライブ音源をブートレッグとして発売し、チケットマスターに抗して独自でツアーを敢行した。ブッシュ大統領をステージで揶揄し、著名ロッカーとしてエディは唯一、イスラエルのガザ無差別空爆に抗議した。

 反骨のバンドというイメージがあるが、「レッツ・プレイ・トゥー」のテーマは愛と絆だ。シカゴ出身のエディは少年時代から弱小球団カブスの熱烈なファンで、野球を題材にした曲も作っている。「レッツ・プレイ・トゥー」は「さあ、もう2試合やるぜ」の意味で、本作でも効果的に使われている。

 全米屈指のロックスターになってからも、エディは旧友たちとカブス戦を観戦してきた。本作はリグレーフィールドでのライブ映像とカブス108年ぶりのワールドシリーズ制覇をカットバックして、ドラマチックに描いている。世界一に輝き歓喜するナインの輪の中に、もちろんエディの姿があった。

 メンバーと交流のあるデニス・ロッドマン、ALSを発症したスティーヴ・グリーソン(元NFLセインツ)がステージに上がる。何より感銘を覚えたのはバンドとファンの絆の深さだ。この四半世紀、彼らは自分の思いの丈を正直に表明してきた。観衆に「あなたは何回目」と尋ねると「65回目」といった数字が正確に返ってくる。パール・ジャムはファンの心に刻印を押しているのだ。

 「永遠のジャンゴ」は後生のギタリストに絶大な影響を与えたジャンゴ・ラインハルトの戦時中の行動に照準を定めている。冒頭、ナチスが支配するパリ郊外で、ジプシー(ロマ)たちが惨殺された。その中にジャンゴが尊敬する老ミュージシャンもいた。ベルギー出身のジプシーであるジャンゴは怒りを覚える。

 一方でジャンゴは、ドイツでナチス幹部の前で演奏するよう持ち掛けられる。タイトルに〝永遠〟がついている以上、ジャンゴが承諾するはずはない。かといって、面と向かって拒絶すれば、家族や仲間に累が及ぶ。

 本作の魅力のひとつは、ジプシージャズ最高のギタリスト、ストローケロ・ローゼンバーグが音楽を担当していることだ。ジャンゴ役のレダ・カテブは地味な演技派で〝華〟はないが、ささやかな表情と目の動きで追い詰められた主人公の心中を表現していた。

 ジャンゴを見いだしたルイーズ(セシル・ドゥ・フランス)は、敵なのか、味方なのか、保身に走っているのか、俯瞰の目で善を導いているのか……。二人の愛と絆が物語の回転軸になっていた。ジャンゴはナチス有力者が集う宴で、指示通り控えめに演奏するが、音楽の魔力に誰も逆らえない。抑制の衣は脱ぎ捨てられ、異変は起きる。

 別稿で記した「本を読む人」を重ねていた。ジプシーの家族を描いた作品で、ジャンゴ一家に通底する部分がある。虐殺されたジプシーに捧げた「レクイエム」を演奏するラストに感銘を覚えた。
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「すべての政府はウソをつく」&「紛争の地から声を届けて」~<沈黙のクーデター>から世界を取り戻せるか

2017-12-08 13:16:36 | 社会、政治
 羽生善治棋聖が渡辺明竜王を破り、全7冠永世位を獲得した。右脳と左脳をフル稼働し、直感と論理で研ぎ澄まされた手を指す羽生は、トップクラスのAI研究家(著書2冊)でもある。夭折した村山聖9段の鮮烈な生き様を描いた映画「聖の青春」(大崎善生原作)で印象に残ったのは、二人が打ち上げを抜け出して酌み交わすシーンだ。

村山「羽生さんが見ている海は他の人と違う」
羽生「深く沈み過ぎて、戻れないと思うこともあります。でも、村山さんとなら一緒に行ける。行きましょう」
 人跡未踏の高みを見据える羽生の旅はまだ終わらない。

 カナダ映画「すべての政府はウソをつく」(BS1/オリバー・ストーン製作総指揮)と「紛争の地から声を届けて」(ETV)は、数回分のブログが必要なほど濃密な内容だった。「すべての――」は3度目のオンエアで、「紛争の地から――」はあす9日午後1時に再放送される。機会があればご覧になってほしい。

 〝すべての政府はウソをつく〟を端的に示すのは森友・加計問題だ。「報道の自由度」72位の日本はともかく、アメリカでは多くのフリージャーナリストが奮闘している。I・F・ストーン(1989年没)は赤狩りを主導したマッカーシー上院議員や歴代大統領に牙を剥いてきた。ジョンソン大統領がベトナム介入の目的でデッチ上げた「トンキン湾事件」の真実を暴いている。

 本作では、ストーンの衣鉢を継ぐマット・タイビ(「ローリングストーン」誌寄稿者)、エイミー・グッドマン(「デモクラシー・ナウ!」設立者)ら反骨のジャーナリストの活動を描き、ノーム・チョムスキー、マイケル・ムーア、ウィキリークス、エドワード・スノーデンも同志として登場する。

 ジョン・カルロス・フレイの報告は衝撃的だった。トランプが「メキシコとの国境に壁を」と訴える前から、悲惨な出来事が起きていたのだ。国境沿いのテキサス州の町で不法移民200人が集団埋葬されていた。経緯は不問とされ、検視報告はずさんだが、メディアは一切伝えない。行方不明の入国者は1万人を超えるという。

 「デモクラシー・ナウ!」のボランティアからキャリアをスタートしたジェレミー・スケイヒルのコメントが、アメリカの真実を抉っている。<誰が大統領になろうが帝国はビクともしない。国家中枢を動かす暴力的軍隊が取り澄ました自由市場を守っている。かつて沈黙のクーデターが起き、企業が政治をコントロールする仕組みが完成した>(論旨)……。トランプの陰に隠れているが、オバマやヒラリー・クリントンもまた、暴力装置の操り人形として描かれていた。

 「紛争の地から声を届けて」はイスラエルの「ハアレツ紙」女性記者、アミラ・ハスの来日に合わせて制作された。聞き手を務めた徐京植氏(東経大教授)に、40年前の記憶が甦る。徐氏の2人の兄については別稿の枕で記したい。

 オンエア(早朝5時)を知ったのは、武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)杉原浩司代表が緑の党のMLで告知してくれたからだ。講演会(東大)で杉原さんが大写しになっていたのは、ガザ無差別空爆への抗議集会で主要な役割を担っていたことから当然といえる。

 在日朝鮮人の徐氏は、自身を<ディアスポラ=離散者>と規定し、<パレスチナに存在する分離壁は20世紀以降、世界で進行した不正義の象徴>とハス記者に問い掛ける。<現在のイスラエルはアパルトヘイトと同じ構図>と主張するツツ大主教らと認識を共有しているのだ。

 ハス記者の原点は、ホロコーストを生き抜いた母、ゲットーで3年半暮らした父の体験にある。アイデンティティーを求めてイスラエルに移住した両親はディアスポラのままだった。ユダヤ人が国家として被害者意識を反転し、パレスチナを弾圧する矛盾に、ハス記者、そして両親は苛まれた。

 徐氏はハス記者の両親にフリーモ・レーヴィを重ねる。アウシュビッツを生き延び、ホロコーストの記憶を綴る作家だったレーヴィは1987年、自殺に追い込まれる。レバノンに侵攻したイスラエル軍が難民キャンプに暮らすパレスチナ人を虐殺した暴挙に、レーヴィはナチスの影を見て抗議した。ユダヤ人コミュニティーで孤立し、脅迫を受けた結果、自殺に至ったと徐氏は考えている。

 ガザ空爆の際、多くのイスラエル人は着弾する度に歓声を上げ、乾杯した。収容所で音楽を楽しんだナチス将校と変わらぬ精神的頽廃だが、その光景を報じたCNN記者は翌日、解雇された。スケイヒルが示した<沈黙のクーデター>には、もちろんメディアも加担している。

 ハス記者は来日した際、福島、広島、そして沖縄を訪れた。いずれもパレスチナと深く繋がっている場所である。<連帯>は死語かもしれないが、<沈黙のクーデター>から世界を取り戻す唯一の手段に思えてくる。

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 「ことり」~心を濾し取る小川洋子の筆致

2017-12-04 23:20:44 | 読書
 先週末は神宮外苑のいちょう並木に足を運び、夕暮れ時とライトアップ時の紅葉、いや黄葉の二つの貌に親しんだ。空を見上げれば十三夜の月、足元には黄色い絨毯……。工芸品や装飾品、ご当地フードの露店が並び、ジャパネスクに浸る至福のひとときだった。

 翌朝、はしだのりひこさんの訃報に触れる。音楽業界に革命をもたらしたザ・フォーク・クルセダースの一員で、解散後はシューベルツ、クライマックスのリーダーとして「風」、「花嫁」の大ヒットを飛ばす。ともに作詞作曲は北山修とのフォークルコンビだった。あの世でもうひとりのフォークル、加藤和彦さんと語り合っているだろう。同郷人の死を心から悼みたい。

 小川洋子の「ことり」(12年、朝日新聞出版)を読了した。♪ちょっぴりさみしくて 振りかえっても そこにはただ風が吹いているだけ……の「風」の歌詞と重なるノスタルジックで切ない読後感を覚えた。

 この間、俺は「洋子」(小川)から「葉子」(多和田)に浮気していた。4年ぶりに小川ワールドに触れ、錯覚かもしれないが、両者の共通点に思い至る。多和田はロング、小川は自撮りに近いズームとカメラアングルに差はあるが、ともに小説を寓話の域に飛翔させる魔法を秘めている。

 小川は死と孤独を基調に、ささやかな人生に温かい視線を注ぐ。「ことり」は主人公である小鳥の小父さんの孤独死の場面から始まった。幼稚園の鳥小屋で小鳥たちを育み、清掃や補修など一切合切、ボランティアとして担当していたことから、そう呼ばれるようになった。本業は金属加工会社のゲストハウス管理人である。

 小鳥の小父さんは社会との繋がりを最小限にとどめ、兄さんを守っていた。兄さんは人間の言葉を話せない。兄さんが大好きだったキャンディーの名前にちなんで命名されたボーボー語が通じるのは、小鳥の小父さんと鳥だけだ。兄弟の暮らす家はまさに鳥籠で、小父さんは兄さんの介護士ともいえた。

 小川は欠落の哀しみと喪失の痛みを表現する。その象徴といえるのが兄さんだ。兄さんは他者と交流できないが、繊細な感受性と洞察力を秘めていた。綿密な計画を立て、荷造りを完了させたところで〝架空旅行〟は終わる。兄さんが足を運ぶのは幼稚園の鳥小屋前と、ボーボーを買う青空薬局だけだった。淡色に日々は流れ、秘めた思いは相手にも弟にも伝わらず、兄さんは召された。

 兄さんほど濃くはないが、小鳥の小父さんの心にも孤独が棲んでいた。兄の死で半開きになった鳥籠から、小父さんは羽ばたこうとする。小川の小説に繰り返し現れる職業は司書だが、小父さんは若い女性司書に心を奪われ、鳥に関する本を借りるのが習慣になった。

 小鳥の小父さんの揺らぎは少年の初恋に似て、仄かであると同時に絶望が主音になっていた。川面に落ちた雨粒は、交わらぬ弧を描いた刹那、沈んでいく。しめやかで狂おしく、弧絶した愛の形が描かれていた。園長先生、鈴虫を入れた箱を持ち歩く老人、文鳥の耳飾りをした少女に続き、小父さんは最後の友と出会う。自宅庭に迷い込んだ傷ついたメジロの幼鳥だった。

 小川の丹念な筆致により、言葉は映像になって脳裏のスクリーンに浮かんでくる。極めてリアルだからこそ、<どこにも存在しない幻の細密画>に迷い込んだ気分になる。小川は優しい感性と、宿命を見据える冷徹さを併せ持つ語り部なのだろう。普通に生きられない者、弱者への世間の冷たい視線も描かれていた。

 後半に出てくる「メジロ鳴き合わせ会」は創作ではなかった。野鳥保護に違反した参加者が書類送検されていたことをネットで知る。息を潜め影のように生きてきた小父さんは、最後に籠を飛び出す行動に出る。その先に待ち受けていたものが死だったのか……。

 読了後も余韻は去らず、優しくなった気分になる。心を濾し取る卓越した小川の筆致に感銘を覚えた。今回は4年のブランクがあったが、渇きを覚えた時はすぐに読むことにする。

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