酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「満月の泥枕」~失った者たちの癒やしへの旅

2018-02-26 22:34:11 | 読書
 年度末に向け、将棋界がヒートアップしている。藤井聡太六段は昇段後の初戦(王座戦2次予選)で畠山鎮七段を激戦の末に下した。〝藤井マジック〟に惑わされた感もある畠山だが今期、B1復帰を決めている。畠山は関西奨励会幹事として〝悪童〟糸谷哲郎八段ら若手を育成した。糸谷は来期、A級に昇級するが、弟子の斎藤慎太郎七段とはB1で相まみえる。

 永瀬拓矢七段が渡辺明棋王に挑戦中(1勝1敗)で、NHK杯ではベスト4のうち3人を占めるなど西風が吹いている。関東の孤塁を守った郷田昌隆九段は、糸谷、増田康宏五段、菅井竜也王位とホープを連破してベスト4に進出した。NHK杯MVPというべき活躍である。

 最近の日本、とりわけ政治に欠けている矜持と人情がぎっしり詰まった小説を読了した。道尾俊介の「満月の泥枕」(17年、毎日新聞社刊)である。初めて読む直木賞作家で、〝大ドンデン返し〟が真骨頂という。本作も二転三転、ストーリーは猛スピードで駆け抜ける。映像化される可能性もあり、文庫化されればさらに多くの読者を獲得するだろう。ストーリーの紹介は最小限にとどめたい。

 本作の舞台は東京の下町だ。主人公の凸貝二美男は塗装業に携わっていたが、不注意により、娘りくが4歳を死なせてしまう。人生は暗転し、酒浸りになって妻に逃げられた。借金を返せなくなり、夜逃げしてボロアパートに流れ着いた。兄が死んで引き取った4歳の姪・汐子と暮らすこと4年、アパートには訳あり、いや負け組が雁首を揃えていた。落語でいえば人情長屋の趣だ

 認知症気味の老原のじいさんと奥さんの香苗さん、モノマネ芸人のRYU、理屈っぽい絵描きの能垣、寛大な大家さんのドラ息子である壺ちゃんといった面々だ。俺がシンパシーを覚えたのはもちろん、罪の意識と楽観主義を併せ持つダメ男の二美男だ。

 そこに、二美男が夜逃げした際の運送業者で、浅草(恐らく)で人力車夫の経験もある菜々子が加わり、奇想天外の大作戦が実行に移される。本作の切り口は多々あるが、二美男と汐子の父娘未満、二美男と菜々子の恋未満、菜々子と汐子の母娘未満がキーになっている。登場人物の程良い距離感が心地良い。

 事の発端は酔っぱらった二美男が聞いた〝事件〟の気配だ。三国公園での喧嘩、そして王守池に落ちる音……。友人である剛ノ宮巡査に相談したが、マトモに取り合ってくれない。忘れかけていた頃、汐子の同級生、嶺岡猛流が訪ねてくる。剣道師範で祖父の道陣こそ池に落ちた当人で、行方不明になっているというのだ。

 8歳の猛流と二美男が作戦参謀で、上記の面々が特技を生かして協力する。実行の場は三社祭をモデルにした三国祭りだ。練り歩く龍神の背に乗る飛猿が投げる宝珠をゲットすれば運を掴めるとされ、群衆が殺到する。前回の祭りで〝玉女〟になった菜々子もNHKのニュースで紹介された。

 本作のヤマ場は二つある。中盤の三国祭りでの大作戦は、荒唐無稽なのにリアリティーを損なわない。騒動のさなか驚愕の事実が明らかになり、後半に繋がる。廃坑になった鉱山、正体不明の敵との追跡劇は濃密かつエキサイティングで、アメリカのエンターテインメントを彷彿させる。ホラー、ミステリー、サスペンスで評価を得てきた道尾の筆力に感嘆した。

 子供の描き方が秀逸で、冴子と猛流は時に直感で、大人たちの先を行くケースもある。昭和の薫りが色濃いが、スマホが大活躍する。アナログ(人情)とデジタル(情報)が両軸になって物語は進む。最大のテーマは、大切な人や夢を失った者たちの癒やしへの旅だ。

 俺にとって大ドンデン返しは事件解決後にあった。二美男が誰かに会うという。俺は二人の顔を思い浮かべたが、別の人間だった。そこで語られる真実に、織り込まれた伏線がクリアになり、タイトル「満月の泥枕」の意味も明らかになる。空に輝く満月と、それを写す泥池……。作者の人間への深い洞察に感銘を覚えるラストだった。
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「殺人者の記憶法:新しい記憶」~サイコパスたちの息詰まる死闘

2018-02-23 12:22:08 | 映画、ドラマ
 大杉漣さんが亡くなった。出会ったのは一般映画初出演の「ガキ帝国」(81年、井筒和幸監督)である。その件について、俺の記憶は二転三転した。車掌役は紳助・竜介と友人である明石家さんまが、クレジット抜きで友情出演したと確信していた。

 大杉さんとさんまは雰囲気が似ていると感じていた。10年ほど前、大杉さんが「ガキ帝国」に出演していたと知り、あの車掌は大杉さんだと納得したのだが、本稿を書くためチェックすると、大杉さんには別の役柄を振られている。ということは、車掌はやはりさんまだったのか。自分の記憶の曖昧さに愕然とする。

 大杉さんは「相棒」で衣笠副総監を演じ、甲斐官房長付(石坂浩二)と暗闘を繰り返していた。今後の展開を楽しみにしていただけに残念だ。齢を重ねるごとに存在感を増したバイプレーヤーの急逝を心から悼みたい。

 物忘れは認知症やアルツハイマーの初期段階で、睡眠障害や解離性障害とも繋がっている。俺もかなりヤバい状態だが、記憶に関わる韓国映画をシネマート新宿で見た。「殺人者の記憶法」(17年、ウォン・シニョン監督)の特別版「殺人者の記憶法:新しい記憶」である。原作(キム・ヨンハ著)も韓国でベストセラーという。

 17年前まで連続殺人を犯し続けた獣医のキム・ビョンスは現在、一人娘ウンヒ(キム・ソリョン)と暮らしている。交通事故の後遺症で認知症とアルツハイマーを発症したビョンスにとって、記憶をとどめるツールは、パソコンに書き込む日記と自身の声を録音したスマホである。記憶の消失は近い時期から10代の頃まで溯り、ビョンスの脳裏で再構成されていく。

 ビョンスは演じるのが極めて難しいキャラだが、そこは役作りに定評ある名優ソル・ギョング、微妙な目の動きや顔のひきつりで、怒り、恐怖、憎悪、不安を表現する。その面差しはどこか鳥越俊太郎氏に似ていた。

 ビョンスはサイコパスの典型で、罪悪感のなさと良心の欠如は、モノローグが示している。犯した数々の殺人を〝これは掃除で、死んで当然の人間を片付けただけ〟と振り返るビョンスは、自分と同じオーラを放つ男と遭遇する。若き警察官のミン・デジュ(キム・ナムギル)だ。

 ビョンスは最近の連続殺人がデジュによるものと直感し、友人の警察署長に伝えた。先回りして証拠に細工したデジュは、迷宮入りした連続殺人事件の犯人がビョンスだと確信する。両者は父親の暴力によって〝資質〟を開花させた。

 イケメンで冷酷なデジュは「殺人の告白」(12年)のイ・ドゥスク(パク・シフ)と重なる。同作は17年前の連続殺人を告白するという設定だったが、「17年」とは韓国では時効なのだろう。「殺人者――」では「殺人の追憶」(03年)が台詞で言及されていた。実話をベースにした作品を含め、韓国映画には多くの悪魔が登場する。悪魔は時に、独裁政権、腐敗した司法や警察のメタファーなのだ。

 「メメント」や「エターナル・サンシャイン」にも共通するが、記憶を扱った映画は時系列が錯綜し、幻想と現実が混濁する。デジュの娘への接近で、二人のサイコパスによる死闘の幕が上がる。ビョンスの主観で進行するため肩入れしたくなるが、その主観とやらが怪しくなり、譫妄なのかパラレルワールドなのか、判然としなくなる。見る者は闇の迷路を彷徨うだけだ。

 トンネルの先に真実があることを暗示しているのかもしれないが、ビョンスが雪道で立ち尽くす冒頭とラストは謎のままだ。殺人鬼にはそぐわないが、雪道、そして左右逆に履くスニーカーと、白がビョンスのイメージカラーになっていた。

 大杉漣さんは韓国映画にも縁があり、「純楽譜」(00年、イ・ジェヨン監督)、「隻眼の虎」(15年、パク・フンジョン監督)に出演している。追悼企画でオンエアされば見てみたい。
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「朝日杯」と「最強戦」~至高のエンターテインメントを堪能した

2018-02-19 22:24:16 | カルチャー
 羽生と宇野のワンツー、小平の金で平昌フィーバーは最高潮に達した。テレビ朝日のアナがW杯予選時に絶叫する「絶対に負けられない戦い」に違和感を覚えたのがきっかけかもしれないが、〝国を挙げたスポーツイベント〟に関心はない。〝日本人なら応援するのは当然〟という同調圧力に辟易している。

 公民館や学校に集まった老若男女は「羽生選手、ありがとう」と涙ぐむ。出征兵士を送り出し、銃後を守るかのような光景に戦前の悪夢が甦る。安倍政権は日本人の不変のメンタリティーを的確に掴んでいるようだ。

 先週末、「朝日杯将棋トーナメント」準決勝&決勝と「麻雀最強戦2017ファイナル」(ともにテレ朝チャンネル)を観賞する。ともに至高のエンターテインメントだった。まずは世紀の一戦となった将棋から。

 「アナザーストーリーズ~羽生善治 史上初の七冠制覇」(BSプレミアム)は興味深いエピソードを紹介していた。「将棋はゲーム」と広言し、勝負師的振る舞いを隠さなかった羽生は10代の頃、凄まじいバッシングを受けた。ある日、公園のベンチでひとり黄昏れていた羽生を通りかかった知人の母親が見つけ、自宅に招いたという。

 羽生が苦境を乗り越えられたのは、島朗九段らのサポートも大きかった違いない。羽生が切り開いた道を今、藤井聡太が驀進している。世代を超えた天才が朝日杯準決勝で相まみえた。

 藤井は昨夏以降、菅井竜也王位(当時七段)、A級在籍の豊島将之八段、稲葉陽八段、深浦康市九段に敗れている。トップ棋士とは差があると考えていたが、朝日杯では屋敷伸之九段、佐藤天彦名人を破ってベスト4入りした。準決勝の羽生戦、決勝の広瀬章人八段)戦では攻めの姿勢を貫き、中盤から優位を築いて押し切った。

 熱戦に花を添えたのが、佐藤名人と山口恵梨子女流二段の解説陣だった。ポナンザの形勢判断に異を唱えていた佐藤の正しさが、結果で証明される。一方の山口は美貌と才能を併せ持つ人気女流のひとりで、得意の〝毒舌〟で多彩なゲストをタジタジさせていた。

 加藤一二三九段の耳障りなトークが水を差す。準決勝では藤井の1七角で局面が緊迫したが、「私も羽生さんに匹敵する天才」と自画自賛をやめず、山口にたしなめられる始末。戦後の将棋界で加藤をランク付けすればベスト10が精いっぱいで、羽生と比べるなんておこがましい。

 藤井は決勝で衝撃を与えた。優勢から勝勢に導く4四桂に、1989年2月、羽生がNHK杯4回戦で加藤九段相手に差した5二銀を重ねた方も多かったはず。新時代の扉を開く一手だった。閃きと燦めき、大局観を併せ持つ〝神の子〟の今後を見守りたい。

 約2カ月のタイムラグを経て、「麻雀最強戦2017ファイナル」がオンエアされた。8人で戦う予選→勝ち進んだ16人による4局→1位抜けした4人によるファイナルの順で進行する。麻雀界最高のタイトルを懸けた一発勝負ゆえ、雀士の気迫が伝わってくる。

 将棋の好勝負を幾つも見てきたが、感動して泣いた記憶はない。ところが最強戦は、勝者と敗者が涙を流す。2016ファイナルでは南4局のドラ北切りで最強位を逃した多井隆晴、逆転Vの近藤千雄が人目を憚らず泣き、解説の魚谷侑未に至っては号泣である。俺も涙を堪えきれなかった。

 命懸けの闘いというのは、決してオーバーではない。生活が保証されている棋士に比べ、麻雀プロは殆どが兼業で安定とは無縁だ。ここで勝てば道が開ける……、ハングリー精神剥き出しで一か八かの勝負に出る。勝負の女神もしばし残酷だ。劇的なドラマを演じてファイナルの卓を囲んだのは馬場裕一、金太賢、猿川真寿、そして前回の雪辱を期す多井だ。

 〝最強最速〟のキャッチフレーズ通りファンから絶大の支持を集める多井に期待したが、4人の中で一番地味だった金が最強位に就く。「雀王位」だが、雀荘で働いているという。苦渋の表情が何度も大写しになったが、腹を括った打牌で勝利をもぎ取った。チャンスを生かし切れず4位に終わった多井は、前回と比べサバサバしていた。

 将棋界と麻雀界は認知度も収入も歴然とした差があるが、AIに対抗出来るのは麻雀の方だ。別稿(2月9日)で羽生の著書「人工知能の核心」を紹介した。羽生は<AIは美意識を持たない>と分析していたが、雀士は美意識に殉じるタイプが多い。ファイナルに残った馬場が典型で、利や理を超越した見事な打牌を見せてくれた。

 今年もプレーヤーではなく、将棋と麻雀の対局番組を、NFLやボクシングを観戦する感覚で楽しむことになりそうだ。大混戦のA級順位戦最終局(3月2日)の結果やいかに……。
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中国の闇を照らす「苦い銭」

2018-02-16 12:04:38 | 映画、ドラマ
 今日(16日)はケアハウスで暮らす母の91歳の誕生日で、ドラ息子の電話に申し訳ないくらい喜んでくれた。〝母より先に死なないこと〟が唯一の親孝行だが、あまり自信はない。

 先週末はイメージフォーラムで中国映画「苦い銭」(16年)を観賞し、今週は紀伊國屋寄席で落語を楽しんだ。時系は逆になるが、まずは落語から。

 紀伊國屋寄席は由緒ある会で、今回のように全員50歳以下の若手(?)というのは画期的らしい。林家木りん「時そば」→柳家三語楼「軒付け」→柳家三三「二番煎じ」→仲入→三遊亭王楽「三方一両損」→桃月庵白酒「幾代餅」の順で高座は進む。

 脱力系の春風亭百栄が枕で「名人の噺は気持ち良くて寝てしまう」と話していた。三三と白酒は名人の域に達する可能性大だが、それはともかく、年齢層が高いせいか船を漕いでいる客が目立った。睡眠不足の俺も覚悟していたが、勢いのある流れに最後まで冴え冴えとしていた。

 「時そば」は二八そば、「軒付け」はうなぎの茶漬けと味噌、「二番煎じ」はしし鍋と酒、「三方一両損」は奉行が供する御膳、吉原の太夫と純情な青年の恋を描いた「幾代餅」は演目通りで、いずれも<食>が道具立てになっている。その辺りに主宰者の意図が窺えた。

 ヴェネチア映画祭で脚本賞とヒューマンライツ賞に輝いた「苦い銭」は161分の長編ドキュメンタリーだ。ワン・ビン監督作を見るのは初めてだったが、長回しのカット割り、独特のフレーム感覚が登場人物の個性を引き出していた。淡々とした展開に意識が飛んだこともあったが、トークゲストの山田泰司氏が〝空白〟をカバーしてくれた。

 「3億人の農民工 食いつめものブルース」(日経BP社刊)の著書がある山田氏は、中華人民共和国建国後の大躍進、文革、改革開放、天安門事件と中国現代史を俯瞰しながら解読する。当初は食糧確保のため移動が制限されていた農民は、経済成長を支えるための労働力として都市に流入する。その数3億というからスケールが大きい。

 一帯一路、アジアインフラ投資銀行(AIIB)、英国との連携、アメリカと対峙する軍事力、そして旅行者の爆買いが大きく取り上げられているが、「苦い銭」に登場する農民工の時給は17元(300円弱)だ。本作の舞台である浙江省湖州には1万8000の縫製工場がひしめき、30万人の農民工が働いている、いや、搾取されている。

 冒頭、年齢を詐称して湖州に向かう少女をカメラが追う。長旅でようやく着いた頃には、表情から瑞々しさが消えていた。たった数日で故郷に帰る少年、喧嘩が絶えない夫婦と仲裁役の男、仕事に積極的な女、男たちの誘いにためらう少女たち、マルチ商法に関心を抱く者、自信を喪失した男……。彼らはリンクし、別のシーンにフレームインしていた。

 1980年代半ば、鄧小平が「先富論」を唱えた。<先に豊かになれる者たちを富ませ、次に落伍した者たちを助ける。富裕層が貧困層を援助することを義務にする>という内容は、安倍政権の「トリクルダウン」とどこか似ている。現実は真逆で、農民工には寮の周りに林立する億ションまで上昇する手段がない。日本も既に階級社会だが、中国の格差は絶望的だ。

 希望はなく、プライドは日々摩耗していく。中国は個々の闇を吸収したブラックホールだ。「牡蠣工場」(15年、想田和弘監督)では、ブローカーの仲介で中国人が出稼ぎで来日する仕組みが描かれていた。背景は「苦い銭」と共通している。

 山田氏によれば、農民工は現在、不合理と不平等を甘受しているという。政府は将来の治安悪化を見据え、農民工を故郷に帰すことも考えている。慎ましく実直な「苦い銭」の登場人物たちは、スマホを手に情報を収集しているが、<連帯>や<抗議>には至っていない。

資本主義の矛盾が今、世界を覆い尽くしている。マルクスが想定した<資本主義を経過した後の革命>が中国で起こるのでは……。そんな予感を覚えている。

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独自性と普遍性~緑の党が目指すものは

2018-02-12 18:49:05 | 社会、政治
 石牟礼道子さんが亡くなった。享年90、詩人としても文学史にその名を刻んだ作家の冥福を祈りたい。「苦海浄土 わが水俣病」(1969年)は政官財に破壊され尽くされた人間と自然を捉えた傑作だ。石牟礼さんが提示した課題は、3・11を経た今、重要性をさらに増している。

 4年前に入会した緑の党グリーンズジャパンも、石牟礼さんの遺志を継承している。〝世の中は悪い方向に進んでいる。老い先短い今、悔いを残して死にたくはないから何とかしよう〟と決意したのは2012年の秋だったが、具体的な方法が見つからなかった。

 視界に突然入ってきたのが緑の党だった。「反貧困ネットワーク」のシンポジウムで、壇上に並んだ著名議員たちを軽くいなす高坂勝さん(緑の党共同代表=当時)に瞠目させられた。高坂さんがその後、メディアに頻繁に露出するようになったのは当然といえるだろう。

 都議選補選で杉原浩司さん(現武器輸出反対ネットワーク代表)、参院選比例区で三宅洋平氏と、ともに緑の党公認候補に一票を投じる。都知事選で正しい選択(細川元首相ではなく宇都宮健児氏を支持)したこともあって入会を決意したなんて書くと、真面目に聞こえるが、理由はもう一つあった。

 ブログで記してきたように、俺は「現在が日本文学の黄金期」と考えている。とりわけ社会と歴史を冷徹に見据え、アイデンティティーの浸潤と多様性の重視をテーマに据える池澤夏樹と星野智幸に共感を覚えている。彼らが追求する世界観に共通していたから、緑の党を選んだ。

 緑の党には、オルタナプロジェクト代表として音楽や映画イベントを企画している大場亮さん、「獄友」(3月公開)など多くのドキュメンタリーをプロデュースしてきた陣内直行さん、元ライブハウス経営者の市議など、文化活動に関わってきた会員も多い。でも、この4年間の感想をいえば、〝カルチャーが足らない〟。

 先週末、緑の党総会に参加した。会員の関心の一つは、来年の統一地方選→参院選に向けた他の野党との関係である。オーストリアの大統領は元代表、アイスランドの首相は現党首、ドイツでは自治体首長を輩出するなど、欧州では緑の党は広く浸透している。緩衝材、接着材として長年機能してきたことが大きい。

 結党5年強のグリーンズジャパン最大の〝成功体験〟は、新潟で野党協力の軸になり、参院選と知事選を勝利に導いたことだ。総会では新潟の成果を踏まえ、立憲民主党とのスタンスで議論百出となる。いかに独自性を保ちつつ、普遍性を獲得するか、会員は思い悩んでいるのだ。

 一言居士ゆえ俺も発言する。<脱成長と反グローバリズム>、<格差と貧困の是正>、<供託金違憲訴訟>が緑の党の重要な課題だが、立憲民主党はこの3点をどう考えているのか問うべき、共闘はそこをクリアしてから始まるというのが俺の主張だった。

 <ローカルから希望をつくる 緑の自治体議員の役割と存在意義>と題されたパネルディスカッションが開催された。会員、サポーターの自治体議員6人が壇上に顔を揃えたが、インパクトを覚えたのは、森友問題追及の先鋒になった豊中市議の木村真氏だ。一躍時の人になったが、「自分は常に石を投げ続けてきた。森友はたまたま」と謙遜気味に話していた。

 左翼を自任し、マルクスを引用して議会で質問する木村氏の<僕が緑に期待するのは脱成長=反資本主義。(格差と貧困が拡大した今)リベラルなんてなんぼのもの>という言葉に俺は納得した。今回は木村氏だったが、総会に参加するたび強烈な個性を発見する。〝梁山泊〟っぽい緑の党だが、いずれケミストリーが生じ、ブレークする時が来ると信じている。
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「人工知能の核心」~羽生が見据えるAIの未来

2018-02-09 12:46:07 | カルチャー
 スポーツ観戦と同じ感覚で将棋や麻雀の対局番組を楽しんでいる。将棋といえば、藤井聡大がC級2組で9連勝し五段に昇段した。杉本昌隆七段との師弟対決(王将戦1次予選)も楽しみだが、何といっても注目は、羽生善治竜王との朝日杯準決勝(⒘日)だ。羽生を破り決勝も制したら、六段に昇段する。

 その羽生はA級順位戦を6勝4敗で終えた。現状3位で、久保利明王将と豊島将之八段がともに最終戦で負けない限り、挑戦の目はない。最終戦で耳目を集めるのは、渡辺明棋王と三浦弘行九段の対決だ。羽生全冠永世位獲得の伏線になった竜王戦を巡る因縁を、両者は超えることが出来るだろうか。

 羽生は若かりし頃、「将棋はゲーム」と広言した。猛反発し羽生バッシングに走ったのは「将棋は人生」と主張した先輩棋士たちだが、その実態は……。10年以上も前のこと、NHK杯で解説を担当した山崎隆之八役は、青野照市九段を「将棋界にまれな人格者」と紹介し、聞き手の〝暴言女王〟千葉涼子女流四段に悲鳴を上げる。

 47歳になった羽生が人格者かはともかく、謙虚な〝孤高の求道者〟であることは言うまでもない。羽生の奥深い思索が行間から滲み出た「人工知能の核心」(HNK出版新書)を読んだ。羽生は2016、⒘年に放送された「人工知能 天使か悪魔か」シリーズでホストを務めた。世界を飛び回った羽生のリポートを、NHK取材班が補強する形になっている。

 右脳と左脳をフル稼働させる羽生は、これまで詩人、哲学者、科学者らを言葉で唸らせてきたが、知性と感性の燦めきで人工知能(AI)の最先端の研究者たちに感銘を与えたエピソードが、本書で紹介されている。帯に記されているように、<人間にしかできないことは何か>が羽生のモチーフで、取材を進めるうちに、<AIを知ることは、人間の脳の働きに迫るため>というテーマを研究者と共有するに至った。 

 囲碁や将棋のトップ棋士を破ったAIの能力の背景は、<ブラックボックスス化したディープラーニング>だが、経験に基づく汎用性には欠けている。知らない家でコーヒーを淹れることは人間にとって簡単だが、AIは戸惑う。坂の上から転がり落ちたボールが、止まっているボールと同一であるという判断を下すのに難渋するのは、時間を正しく把握出来ないAIの問題点を示している。

 羽生が繰り返し言及しているのが、AIが持たない<美意識>だ。かつて羽生世代は〝実利を重視する新人類〟とベテラン棋士に揶揄されたが、羽生は「優れた手でも、美意識に欠けると感じたら指せない」と記している。映画に関して、「AIをフルに活用しても、人を感動させる傑作は生まれない」という羽生の指摘は的を射ていると思う。

 医療において、AIは既に成果を挙げている。蓄積されたデータを分析し応用するのは得意分野だからだ。一方で、介護の現場はどうか。厳しい現場ゆえ、介護ロボット導入を求める声は強いが、汎用性と時間認識に欠ける点が実現への壁になるかもしれない。

 本書に重なったのは、今世紀末の超知能社会を舞台に描いた奥泉光著「ビビビ・ビ・バップ」(16年、講談社)だ。格差と貧困は絶望的に拡大し、1960年代新宿の混沌そのままの蜘蛛巣地区の住民は、AIやロボットとは無縁だ。AIの御利益は一部の特権階級のみに限られるのではないか。

 見逃してしまったが本日未明、「プリ・クライム~総監視社会への警告」(BS1)がオンエアされた。恐らくAIも監視のツールとして悪者になっているはずだ。羽生は取材の過程でソフトバンクの開発室に赴き、AIと花札に興じた。負け続けたAIは、羽生に驚嘆する〝仲間〟の笑顔に感応し、喜びを表現するようになる。

 この親和力をとばぐちに、AIが良心や倫理観を備えることが出来たら、人類の未来はバラ色になるかもしれない。それは羽生の、そしてAIに関わるすべての人たちの希望でもある。

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「操作された都市」~斬新なアイデアと友情で紡がれた韓流エンターテインメント

2018-02-05 21:09:00 | 映画、ドラマ
 我が家では俺が中学生の頃(1970年前後)、母特製の恵方巻を食べていた。ポークソーセージ、卵焼き、胡瓜を具材にした巻き寿司は、俺にとってのソウルフードで、節分以外でも折に触れ食卓に上った。引き継いでくれた妹が死に、食べる機会がなくなったことが寂しくてならない。

 名護市長選挙で、辺野古移設反対を訴えてきた現職が敗れた。自公と建設業界がタッグを組んで争点を隠した結果といえるだろう。同一の視座で沖縄と繋がるのがパレスチナだ。NGOの一員として当地で様々な活動に関わっていた知人によれば、欧米メディアがテロリスト扱いしているファタハやハマスは、相互扶助組織として機能している。リベラルや左派には「組織力に負けた」が口癖の人がいるが、組織を作れなかった者の遠吠えに過ぎない。

 シネマート新宿で先日、韓国映画「操作された都市」(2017年、パク・クァンヒョン監督)を見た。ソールドアウトのスクリーン2(定員60)は女性サービ
デーでもあり、男性は1割ほど。20~60代の韓流ファンの女性が詰めかけていた。主役のクォン・ユを演じたチ・チャンウクはドラマで活躍してきたイケメンで現在、入隊中という。

 韓流エンターテインメントは欧米作品を上回る質を誇っている。今年の映画初め「キングスマン: ゴールデン・サークル」は想定内の完成度だがプラスαはなく、「操作された都市」と比べてインパクトは感じなかった。

 主人公のクォンはテコンドー韓国代表チームから追放され、現在はネット喫茶に入り浸るフリーターだが、母はまだ息子の再起に期待を掛けている。クォンは〝神〟と崇められるゲーマーで、一度も会ったことがない仲間の信頼を勝ち得ている。技術に加え、チームを助ける犠牲的精神が理由だ。

 社会の片隅で生きるクォンが窮地に陥る。身に覚えのない少女暴行致死事件の犯人として終身刑の判決を言い渡され、凄まじい暴力が支配する刑務所に収監される。前半はクォンの絶望的な状況に暗澹たる気分になるが、むろん、後半に鮮やかでエキサイティングな展開が用意されている。

 絶体絶命のクォンに手を差し伸べたのはゲーム仲間だ。ヴァーチャルの世界における格好いいキャラと現実の姿に落差はあるが、隊長クォンへの友情は揺るがない。とりわけ魅力的なのはヨウル(シム・ウンギョン)だ。対人恐怖症で身近な仲間にも携帯で話すヨウルは卓越したハッカーで、事件の真相に迫っていく。

 冒頭とラストのクォンのモノローグで、チョン・サンビョンの詩の一節が語られる。自分たちフリーター、アウトサイダーは<腐った木>なのかと自問自答し、<腐った木ではなく、青い空に枝を展開して伸びていく木>と結ぶ。本作では他の韓国映画同様、<腐った木>の実態が描かれている。

 韓流エンターテインメントのベースになっているのは、政官財に司法が加わった複合汚染への憤りだ。クォンだけでなく複数の若者を冤罪に陥れたのは有力政治家、財閥トップ、そして彼らの意のままに動く検察と警察だ。彼らを操る黒幕は闇勢力とも繋がり、クォンを追い詰めていく。

 カーアクションを含め、息をのむシーンの連続で、痛快なラストにカタルシスを覚える。各キャラの説明不足は否めないが、続編を準備しているのかもしれない。<青い空に友情という枝を展開して伸びていく木>……。感想を述べるとこんな感じになる。

 平昌五輪が始まる。夏季大会には興味はないが、ジャンプやスケートは機会があれば見るつもりだ。
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「無間道」~循環する闇の彼方に射す仄かな光

2018-02-01 23:13:30 | 読書
 前稿で紹介した「花筐/HANAGATAMI」の大林宣彦監督をはじめ、安倍政権に危惧を抱いている高齢者は多い。デモや集会に参加すると、平均年齢は確実に俺(61歳)より上だ。戦前回帰に警鐘を鳴らす声も掻き消され、日本は戦争が出来る国に突き進んでいる。

 この20年、日本社会の本質を最も鋭く抉ってきたのは星野智幸だ。デビュー以来、アイデンティティーの浸潤、多様性の尊重をベースにして小説を書いてきた。「ロンリー・ハーツ・キラー」(2004年)は<内向きのアイデンティティー>の危険性を提示した近未来小説といえる。「在日ヲロシヤ人の悲劇」(05年)は家族の崩壊と社会の閉塞を合わせ鏡にし、死の薫りが濃い〝21世紀の黙示録〟だ。

 両作の延長線上にある「無間道」(07年)を読了した。本作は星野の作品で最も重厚かつ陰鬱で、俺は出口のない迷路であがいていた。自選コレクションⅢ「リンク」に収録された本作は「切腹」→「無間道」→「煉獄ロック」の3章立てだったが、読了後、ある事実に気付く。単行本は「無間道」→「煉獄ロック」→「切腹」の順だったのだ。

 星野は「リンク」発刊に際し章立てを入れ替えた。そこに、本作を読み解くキーワード<循環>が隠されているのだろう。本稿ではあくまで「リンク」収録作をについて記したい。「切腹」では竹光と朝海、「無間道」では竹三と彩海、「煉獄ロック」では竹志と彩乃……。名前の近い男女がストーリーの軸になっている。ちなみに俺は、現代社会とズレが小さい「切腹」が導入部に相応しいと感じた。

 本作の舞台は神州で、日本と近似的なパラレルワールドの趣だ。星野は「ロンリー・ハーツ・キラー」の作意を、<先鋭化と純化に歯止めを掛けるため、「男たちの絆」を放棄すべき>と述べていた。竹光、竹三、竹志の3人は時に神意に衝き動かされていると錯覚するが、ヒロインたちは周囲に流されやすい男たちと対照的に、自立への思いが強い。

 日本社会の最大の病根を<集団化>と見做す森達也と星野は、同一の視座に立っている。世界の最近の動きを俯瞰した時、<熱狂>が主音になっていることに気付く。トランプ大統領誕生の経緯、スコットランド独立やイギリスのEU離脱、欧州各国の移民排斥と反レイシズム、文大統領を生んだ韓国の若者たち、香港やロシアで巨大な敵――中国とプーチン――に身を賭して抗う者……。

 日本はどうだったか。民主党が政権の座に就いた09年、自公が奪い返した12年は、ともに熱狂と程遠く、いわば〝沈黙と暗黙のうちに起きた革命〟だった。星野は「切腹」で、日本(神州)に蔓延する冷めた空気を描いている。州知事選は得票数で決まらず、「×印」の少なさが決め手になる。自己主張せず目立たないことが勝利の条件なのだ。

 「無間道」の背景に控えるのは自殺が称揚される社会だ。死体が街に積み重なる状況は、「煉獄ロック」で「紛争地域」として現れる。ちなみに「無間道」とは煩悩を昇華し悟りに導く道だが、本作では輪廻転生の手段であることが仄めかされている。

 全編を貫くのは、自殺、いじめ、貧困といった闇だが、星野はマイナスの側面こそ標準になりつつあると考えている。「煉獄ロック」では社会を固定的かつ円滑に支配する仕組みが描かれていた。生殖さえコントロールされ、素直に従う者はお目こぼしされるが、愛と死を自ら決定しようと試みる者には〝煉獄〟が待ち受けている。

 自身の意思を表明し、支配する側に「NO」を突き付けることが転落に繋がる……。本作に描かれた状況こそ、現在日本の、とりわけ若い世代が取り憑かれている強迫観念そのものだ。救いのないデストピアだが、「切腹」→「無間道」→「煉獄ロック」→「切腹」→「無間道」→「煉獄ロック」の果てしない循環に、微かな希望の灯を見た。

 星野は最新刊「のこった」で、国技館の偏った空気への疑義を表明しているという。相撲には関心のない俺だが、遠からず読むことになるだろう。

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