酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「パンとサーカス」~愛と革命がフレッシュに甦る

2022-12-31 00:34:31 | 読書
 今年の世相を表す漢字は<戦>だった。ロシアのウクライナ侵攻は世界に様々な負の影響を与える。軍事力増強、原発再稼働に加え、日本でも物価上昇は目を覆うばかりだ。<ロシア=悪、ウクライナ=善>の構図に異議を唱え、一日も早い停戦を訴える声も広がっているが、見通しは立たない。

 この一年、年金生活者になって懐が寒くなった俺だが、心身の衰えを実感している。目が悪くなって暗さに弱くなった。肩、腰、膝も痛く、歩くスピードが格段に遅くなった。母の要介護度も上がり、ケアハウスから養護老人ホームへと入居施設が変わる。冴えない日常で唯一の救いは野良猫ミーコで、出会ってから10カ月、尻尾を立てて近づいてくる彼女に心を癒やされている。

 鬱々引きこもっていると世の中がくすんで見えるが、読書納めになった「パンとサーカス」(2022年、島田雅彦/講談社)は日本の現状に一石を投じる壮大なポリティカルフィクションだった。これまで15作近くブログで紹介してきたが、550㌻を超える長編に、島田の趣向がちりばめられていた。

 時代閉塞の日本の現状に絶望を覚えている島田は、その根底にあるものを対米従属と見做している。<コントラ・ムンディ>と名付けたチームを結成した火箱空也と御影寵児の2人の若者が世直しのために手を携えるというのがおおまかな粗筋である。ちなみに<コントラ・ムンディ>とは<世界を普遍的、相対的に改革する>と宣言した17世紀の「薔薇十字団」がモデルかもしれない。

 「カタストロフ・マニア」の主人公はスパルタカスの如く現代に甦ったが、空也と寵児も幼い頃の友情を紆余曲折がありながら継続していく。キーワードは革命と独立だ。空也は広域暴力団の跡取りだが家業を離れ、人材派遣会社「フルハウス」を経営する松風の下、時に右翼マフィア政権に手を貸しながら、闇社会の仕組みを学んでいく。一方の寵児はCIAのエージェントになり、帰国して政権中枢に食い込んだ。

 空也と寵児を繋いでいるのは、空也の異母妹と桜田マリアだ。困っている人に寄り添い救う善きサマリア人、あるいはマグダラのマリアを連想させる彼女は友人の借金の保証人になりソープランドで働いたことがある。彼女の造形には「カオスの娘」と「英雄はそこにいる」の主人公、シャーマン探偵ナルヒコだ。ナルコレプシー状態に陥るナルヒコに似て、てんかんの発作に襲われ意識が朦朧とする中、マリアに天啓が訪れる。現状への警鐘、近未来への預言は聞く者の心を震わせる。

 マリアに救われた元警官でホームレス詩人の黄昏太郞、ワルキューレ・カルテットの女性たち、電脳空間の創始者、沖縄にルーツを持つCIAエージェント……。<コントラ・ムンディ>に与する者たちを作り上げた島田の手腕に感嘆させられた。背後に蠢く陰謀を超えていく展開に胸が熱くなったが、現実は違う。内閣の支持率がいくら下がろうとも、政権交代の見通しは立たない。

 「彗星の佳人」、「美しい魂」、「エトロフの恋」から成る〝無限カノン三部作が島田の、いや、21世紀の日本文学の最高傑作と考えている。テロリズム、革命、そして愛をフレッシュに甦らせた「パンとサーカス」に胸が躍り、涙腺が緩んだ。切り口は様々で感想はそれぞれだろうが、とにかく本作を手に取ってほしいと心から願っている。

 この一年、何とか生き延びることが出来た。俺を支えてくれたのは、数々の映画であり書物である。来年も細々とブログを続けていくつもりだ。立ち寄ってくださった皆さんに感謝の思いを伝えたい。良い年をお迎えください。
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「そばかす」~アセクシュアルの未来に猛ダッシュ

2022-12-27 17:49:57 | 映画、ドラマ
 渡辺京二さんが亡くなった。享年92である。「逝きし世の面影」の著者である渡辺さんは石牟礼道子の共助者で、<近代と遭遇することによって生じる魂の流浪こそ、彼女(道子)の深層のテーマをなしている>と記していた。「北一輝」をブログに紹介したこともある。近現代の底に流れる未知の領域に迫った研究者の死を悼みたい。

 この時期には映画ベストテンを記しているが、あることに気付いた。見たのは今年でも、公開は以前というケースが多かったのだ。「ラストナイト・イン・ソーホー」と「ドライブ・マイ・カー」はともに昨年公開だった。「灼熱の魂」は11年公開で、俺が見たのはデジタルリマスター版である。

 この3作はいずれもベストワンクラスだが、感性が鈍った今の俺には、仰々しくベストテンを記すのはおこがましい気がする。だから、今年公開作で記憶に残った作品を順不同に10本挙げておきたい。触れていない映画を含め、佳作揃いというのが全体の印象だ。

 邦画なら「流浪の月」、「川っぺりムコリッタ」、「ある男」に、ヒロインの可憐さに魅せられた「マイスモールランド」が心に響いた。エンターテインメントの極致というべき「犯罪都市 THE ROUNDUP」に胸が躍った。是枝監督の「ベイビー・ブローカー」も韓国映画の範疇に含まれるだろう。洋画なら「靴ひものロンド」、「パラレル・マザーズ」、「英雄の証明」、「乾きと偽り」か。

 年金生活ゆえBSやスカパーで見ることも増えたが、スクリーンでの映画納めは「そばかす」(22年、玉田真也監督)だった。主演は「ドライブ・マイ・カー」でも存在感を示していた三浦透子で初主演作になる。タイトルは役名の蘇畑佳純(そばた・かすみ)にちなんでいる。三浦は26歳だが、佳純は30歳という設定で、主題歌も担当していた。

 舞台は静岡県の海辺の街だ。チェリストを目指していたが挫折した佳純は、地元のコールセンターで働いている。繰り返される喫煙シーンに、世間と距離を置き、斜に構えた佳純の有り様が表れている。バツ3の祖母(田島令子)、鬱で救急救命士を休業中の父(三宅弘城)、佳純に結婚を勧める母(坂井真紀)、夫が単身赴任で妊娠中の妹(伊藤万理華)と暮らしている。チェロの手ほどきをしてくれた父は佳純を温かく見守っている。
 
 公開後10日ほどなのでストーリーの紹介は最小限にとどめたい。本作では<結婚こそ女性のゴール>という同調圧力に佳純は抗っている。自らのアイデンティティーを守りたい佳純に、「お姉ちゃんはレズビアン」と妹は指摘するが、佳純は<アセクシュアル、Aセクシュアル>と定義されているセクシュアリティーに該当する。他者に性的欲求、恋愛感情を全く抱かないのが特徴だ。

 合コンで知り合った男性も見合い相手も、佳純がその旨説明しても聞く耳を持たない。俺もかつて同様の話を女性から聞かされたことはあるが、〝俺は恋愛対象ではない〟と勝手に判断していた。男は大抵、幼稚なものだ。佳純を最初に理解してくれたのは、保育園に紹介してくれた小学校時代の同級生である八代(前原滉)である。八代はゲイであることを公表し、教職を追われていた。

 ストーリーが進むにつれ、本作のテーマが多様性であることがわかってくる。佳純は海辺で中学時代の同級生と再会する。髪形を巡って佳純を注意していた先生に抗議した真帆(前田敦子)はAV女優をしていたが地元に戻っていた。仲良くなった2人はルームシェアを計画する。保育園でのデジタル紙芝居に真帆がナレーションで協力する。男目線の「シンデレラ」を多様性に基づいて改変した内容は物議を醸した。

 キーになったのは映画「宇宙戦争」だ。佳純は同作のトム・クルーズが好きだと繰り返す。普段なら颯爽と敵を追うクルーズが、「宇宙戦争」では逃げている。その姿を自分に重ねていたのだ。職場の新人である天藤(北村匠海)が自分と同じ感覚の持ち主であると知った佳純は吹っ切れたように走り出す。普段のトム・クルーズのように……。多様性とアイデンティティーについて考えるきっかけになる作品だった。

 最後に、ホープフルステークスの予想を。有馬記念は前稿末に記したように馬連を的中出来たが、今回は難しい。勝機ありとみている馬が7頭ほどいるからだ。有馬に引き続き送別の意味を込めて福永騎乗の①ファントムシープ、近藤英子オーナーと和解した武豊騎乗の④セレンディビティ、三浦の初G1勝利が懸かる⑩ガストリック、大外でも怪物かもしれない⑱ミッキーカプチーノと多士済々だが、俺の本命は人気急落の②ハーツコンチェルトだ。いつも通り少額投資で楽しみたい。
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岸本聡子×斎藤幸平トークイベント~杉並から地殻変動の予感

2022-12-23 21:44:49 | 社会、政治
 「パンとサーカス」(島田雅彦著)が面白い。550㌻超の長編で半分ほど読み終えたが、<対米従属の日本を変えるにはテロしかない>という流れで進んでいる。日本では民衆が権力を奪った例は皆無ゆえ「パンとサーカス」には説得力はあるが、他の方法もあるのではないかと考えてしまう。

 地殻変動を起こして表層を変える……。そんな正攻法に期待したくなるイベントに足を運んだ。<気候変動待ったなし! ミュニシパリズムと持続可能な未来>と題された岸本聡子(杉並区長)と斎藤幸平(経済思想家)とのトークイベント(阿佐ヶ谷地域区民センター)である。

 岸本はアムステルダムのNPOに所属し、欧州でミュニシパリズムを掲げる市民運動に関わってきた。〝世界標準の民主主義〟を知る岸本が今年6月、杉並区長選挙で当選したことは大きく報道された。一方の斎藤は当ブログで繰り返し紹介してきた気鋭のマルクス研究者で、大阪市立大から東大に移っている。

 主催者(西荻大作戦&ゼロカーボンシティ杉並の会)が提示したテーマ、①ミュニシパリズム、②脱成長とグリーンニューディール、③恐れぬ自治体、④気候会議に沿いつつ、クロスオーバーして進行する。互いの著書に推薦コメントを送っているように、<コモン>(全ての人にとっての共用財、公共財)をベースに据えるという共通点がある両者のトークは和やかな空気が流れていた。

 ミュニシパリズムとは住民自治、草の根政治改革運動で、2015年のバルセロナが起点になった。両者のトークで、水道再公営化、公共交通機関の充足、行政の透明化と汚職防止、エコロジー、ジェンダー平等、移民や難民の人権保護など、多岐にわたる課題がミュニシパリズムに含まれていることが理解出来た。

 <脱成長コミュニズム>は斎藤が後期マルクスに依拠し、脱成長とコモンをリンクさせた指標だ。②脱成長とグリーンニューディールに進むと、斎藤が苦笑いする場面もあった。俺はこの10年、「脱成長ミーティング」に繰り返し参加してきたから、本質は掴んでいる。脱成長は〝成長を止め、昔に戻る〟と誤解されているが全く異なる。斎藤が冒頭で漏らしていたが、脱成長はミュニシパリズムと重なる部分が大きい。

 脱成長とはGDPに囚われず、市場原理主義から市民へコモンを奪還することを目指す。手段はミュニシパリズム同様、住民自治だ。斎藤は住居の問題を取り上げ、格差と貧困で社会からはじかれた人々のために公営住宅を拡充することの必要性を説いていた。ワークシェアを含め、共有する精神が求められる。ミュニシパリズムと脱成長の共通の目的は、利益を追求し弱者を切り捨てる新自由主義から行政を奪還することなのだ。

 グリーンニューディールにも様々な捉え方がある。アメリカでバーニー・サンダースやオカシオコルテス下院議員が提唱したグリーンニューディールは環境問題だけでなく、格差と貧困の解消、国民皆保険、福祉と医療の充実、公共事業の必要性を訴えたポスト資本主義に向けた出発点だった。

 ところがEU圈では色合いが異なる。ロシアのウクライナ侵攻で明らかになったエネルギー危機もあり、環境問題を成長戦略に取り入れる議論が進んでいる。斎藤は先進国の二酸化炭素排出量を低減すると喧伝されている電気自動車を例に挙げて、欧州の動きを批判する。電池の材料になるリチウムを採掘するため、途上国は夥しい環境破壊に晒されている。収奪と簒奪で世界を貪り尽くす資本主義を否定しない限り、地球規模での環境破壊は止まらないのだ。

 ③恐れぬ自治体の出現は、岸本の手腕にかかっている。自治体が国の方針に縛られず市民のための行政を推進する道がある。杉並に隣接する世田谷、中野、武蔵野では、自治を求める息吹がふいている。直接民主主義を志向する気候会議、くじ引き民主主義の導入も岸本の視野に入っており、斎藤の協力も要請していた。地殻変動の兆しを予感させるイベントで、岸本サポーターの中で、区議選に立候補する予定の女性もいる。

 斎藤はまさに〝反体制アイドル〟といった感じで、著書へのサインに記念撮影を求める人が途絶えなかった。東大で若い世代に影響を与えることを期待している。高円寺のハードコアパンクの聖地といえるライブハウスに通ったことなどをざっくばらんに語っていた。

 最後に、本題とそぐわない有馬記念の予想を……。成長度を鑑みて③ポルドグフーシュを本命に推したい。馬券的に相性が最悪だった福永の調教師転身は決まっている。最後の有馬での初勝利と、地味ながら味のある宮本博調教師の初G1にも期待したい。相手は⑨イクイノックス、⑩ジャスティンパレスの3歳馬を考えている。
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「殺しを呼ぶ卵」~映画のパルチザンが見据えた21世紀

2022-12-20 17:38:08 | 映画、ドラマ
 サッカーWカップが閉幕した。3位決定戦も素晴らしかったが、アルゼンチンとフランスの決勝戦は歴史に残る激闘だった。メッシがジュール・リメ杯を掲げるシーンに素直に感動する。メッシはバルセロナ時代、自由と想像力を追求し、スポーツを超えたアートにサッカーを飛翔させた。

 初戦でサウジアラビアに敗れ時、誰もが〝アルゼンチンは終わった〟と感じた。どん底から這い上がった最大の理由はメッシの求心力かもしれない。初代〝神の子〟マラドーナはスキャンダラスな悪童というイメージばかり強調されるが、カストロと交流し、反米集会では万余の聴衆を高揚させるアジテーターでもあった。寡黙な人格者と評されるメッシは祭りの後、いかなる素顔を見せてくれるのだろう。

 さて、本題……。54年ぶりに公開された「殺しを呼ぶ卵」(1968年、ジュリオ・クエスティ監督/伊仏製作)を新宿シネマカリテで見た。最長版と銘打たれているのは公開当時、カットされていた残酷なシーンが復活しているからだ。ドキュメンタリー畑で活動していたクエスティは、マカロニウエスタン「情無用のジャンゴ」でコンビを組んだフランコ・アルカッリ(脚本・編集)とともに「殺しを呼ぶ卵」に臨んだ。

 大規模で最新技術を導入した養鶏場の社長マルコ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、養鶏協会でも期待されているが、婿養子ゆえ経営権は妻アンナ(ジーナ・ロロブリジーダ)が握っている。イタリアトップ俳優の向こうを張って煌めいていたのは、アンナの姪で夫妻宅に同居しているガブリを演じたエヴァ・オーリンだった。

 カメラを手に舌を出すオーリンのキュートさ、ロロブリジーダの妖艶さのコントラストに、66歳の俺でさえ胸がザワザワする。アンナに隠れてガブリと不倫していたマルコだが、アンナへの鬱屈した思いを鎮めるため殺人を繰り返していた。娼婦をナイフで切り裂くマルコの様子を窺っていたのは、協会から広報として派遣されることになるモンダイーニ(ジャン・ソビエスキー)だった。

 モンタージュを多用した実験的な映像に加え、マルーナ・マデルナが担当した音楽が刺激的だ。心に針を刺すような弦楽器が奏でる不協和音が不穏なムードを煽る。本作が公開された1968年は激動の年で、ルイ・マル、トリフォー、ゴダールらが労働者、市民との連帯を訴え、カンヌ映画祭を中止に追い込んでいる。本作にも熱いパトスが波及しているが、クエスティ、アルカッリ、マデルナには、パルチザンとしてファシズムと闘ったという共通点があった。

 愛欲が渦巻く展開で、カブリとの関係が仄めかされるモンダイーニはスワップィングパーティーを企画した。マルコはブロイラーの給餌機に愛犬が落ちた光景をヒントに、アンナの殺害を計画する。そのアンナはマルコとの距離に悩み、ガブリの協力で娼婦の装いに身をやつす。面白いのはマルコとガブリの会話だ。「全てを失っても君と生きたい」と性急に迫る40代のマルコを、10代のガブリは一蹴する。純情と成熟が入れ替わり、年齢が逆になったみたいだ。

 製作陣が50年前、どこまで意識していたかは別にして、「殺しを呼ぶ卵」は資本主義に刃を向けていた。徹底した機械化でリストラを図り、失業した労働者たちは養鶏場の周りで「人間は平等だ」と抗議の声を上げ、投石する。遺伝子組み換えの導入が計画され、実験段階で頭のない不気味な鶏が生まれても、アンナは意に介さない。当時は俎上に載せられていなかった遺伝子組み換えが、当然のように受け止められていた。

 資本主義は人間の倫理観を麻痺させ、愛を汚していく。映画のパルチザンの魂が込められた本作は、半世紀後の今、フレッシュに血を滴らせている。
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「風媒花」~坩堝のように熱く、恋と革命にひた走る

2022-12-16 21:11:07 | 読書
 ワールドカップ決勝でアルゼンチンとフランスが相まみえる。憧れの街バルセロナで夢とイリュージョンを演出してくれたメッシに肩入れしている。戦力的にはフランスに分がありそうだが、インタバルが1日少ない点が不安材料か。3位決定戦のモロッコ対クロアチアはPK戦にまでいってほしい。ボノ、リバコビッチの〝ゲームの達人〟同士の読み比べは、想像するだけで胸が高鳴る。

 武田泰淳の「風媒花」(講談社文芸文庫)を読了した。武田にとって初めての長編で、70年前(1952年)に発表された同作には小説のあらゆる要素が坩堝の中でごった煮され、戦後の混乱と当時の世相が反映されている。<人間は恋と革命のために生まれて来たのだ>は太宰治の「斜陽」(47年)の有名な一節だが、「風媒花」の登場人物も恋と革命にひた走っている。

 「風媒花」の主人公は作家の峯三郎で、武田をそのまま反映しており、〝エロ作家〟という表現には自嘲が込められている。峯が所属する「中国文化研究会」のメンバーはリーダーの軍地だけでなく、峯を含めて〝日中の架け橋〟になることを志している。峯はラストで<「中国-」と、気恥ずかしい片思いで立ちすくんだ>。

 本作の登場人物は、立ち位置や方向性は異なるが、中国への思いは強い。反共や右翼の活動家たちも同様だ。峯の子を身ごもっている蜜枝と弟の〝マルクスボーイ〟守、峯に思いを寄せながら守の恋人である桃代、蜜枝と桃代の両者と因縁浅からぬ関係にある日中ハーフの三田村……。谷崎潤一郎の「卍」を彷彿させる5人の男女が相関図を形成するが、外枠にあるのは中国だ。

 峯の中国との距離感は作者の武田そのままだ。中国関連の評論で知られる武田は応召して中国戦線で戦い、戦争体験を小説で書き残している。「汝の母を!」は、日本軍の兵士たちが中国人の母と息子に性行為を強要し、見物後に焼き殺すという衝撃的な内容だ。「風媒花」の冒頭で、危篤の一報が届いた義弟の文雄は、文雄は「F町の捕虜虐殺事件」(≒南京大虐殺)に関与したという設定だ。

 武田が中国の小説を参考にしたのが<合伝>という方法論だ。複数の物語を紡ぎ合わせ、同時進行で展開させる。「風媒花」は1951年の秋の2日間に起きた出来事を描き、登場人物の心情を織り込んだ。同時代の石川淳にも共通したものを覚えるが、収束に向かう石川の作品と比べ、「風媒花」はラストまで混沌の色を深めている。

 「風媒花」は私小説の要素も濃い。峯が参加している中国文化研究会は武田が竹内好と立ち上げた「中国文学研究会」そのもので、本作で軍地として描かれた竹内は、多少の不満を漏らしていたらしい。ちなみに竹内は魯迅と毛沢東の理解者として注目度を高めていた。文雄も実在の義弟である藤田寛雅、蜜枝に至っては妻である武田百合子がモデルである。

 本作のハイライトは蜜枝が売春に至る場面で、相手は蒋介石支持で渡航を決めた男たちだ。蜜枝は峯に教わった魯迅の詩をうろ覚えながら揮毫して男たちを驚かす。インテリの桃代とは対照的に情に脆い女として描かれている蜜枝のモデルは、後に作家として高い評価を受ける武田百合子だ。夫妻と交流のあった作家たちは、<百合子が泰淳に与えた影響は絶大>と語っている。

 「風媒花」には中国をドラスチックな変化だけでなく、朝鮮戦争、サンフランシスコ講和条約、日米安保などによってもたらされた緊張感のさなかに起きた出来事について言及されている。武田は帝銀事件に関心が強く、桃代が働くPD工場(朝鮮戦争への武器を調達)での毒薬事件を盛り込んだ。

 文庫版解説の山城むつみ東海大教授は、本作のキーに<雑種>(ツァチュン)を挙げている。中国人のしたたかさは複数の価値観を同時に纏って生き延びていくことにある。ハーフという点で当てはまる三田村は、PD工場の労働者への毒薬投与を計画するだけでなく、反共勢力への武器密輸にも加わっている。知識人も教育者も、生きるためにツァチュンであることを避けられない。

 武田は敗戦直後、中国に取り残され、滅亡、破滅という感覚に取り憑かれた。拳銃を入手しようとする。文雄の死に自分と重なるものを感じていたのだろうか。最近の小説を読む機会が多い俺だが、濃密な戦後文学に触れることが出来たのは幸いだった。
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「ザリガニの鳴くところ」~真実の陰に潜むもうひとつの……

2022-12-12 18:12:30 | 映画、ドラマ
 ワールドカップのベスト4が出揃った。熱心に見ているわけではないが、ゴールキーパーの動きに注目している。〝PK戦は運が左右する〟は俗説に過ぎないことに気付いた。サッカー観戦の楽しみを広げてくれたのは、モロッコのボノ、クロアチアのリバコビッチだ。2人のキーパーが決勝で対決してほしいという願いは叶わないだろう。

 ドイツで政府転覆を企てたとして、極右組織メンバーら25人が拘束された。元連邦下院議員も含まれており、トランプ支持者を模倣し、ドイツ連邦議会襲撃を計画していたとされる。トランプ旋風を支えた米国の陰謀論勢力「Qアノン」の影響も大きいという。世界は危うい方向に進んでいる。

 アメリカが実にミステリアスな国であることを再認識させてくれる映画を新宿で見た。「ザリガニの鳴くところ」(2022年、アラン・エドワード・ビル監督)である。原作は全米で大ベストセラーになった小説(ティーリア・オーウェンズ著)で、映画化に際して割愛された部分もあったと思う。

 主人公のカイア(本名キャサリン)を演じたのはデイジー・エドガー=ジョーンズ(少女時代はジョジョ・レジーナ)だ。1969年のノースカロライナが舞台で、街の有力者の息子チェイス(ハリス・ティキソン)の死体が発見される。場所はチェイスが隠れ家的に使っていた森のやぐらだった。容疑者として浮上したのは、チェイスの元恋人で、森の中の湿地帯で一人暮らしをしているカイアである。

 街の人々は世間と切り離されたカイアを「湿地の女」と呼び、類人猿の如き野生児と嘲笑っていた。カイアがやぐら上部からチェイスを突き落としたという容疑だったが、殺人の確たる証拠はない。偏見は陪審員裁判では不利になる。カイアに助け舟を出したのは、その存在を気にかけてきたミルトン弁護士(デヴィッド・ストラザーン)だった。

 アメリカでは少女が社会と接触せずに生きていくなんて可能なのかと、疑問を抱いた観客もいたはずだ。カイアの父エリックは自身の世界観に基づきコミューンをつくり、自然の中での生活を選んだ。このようなケースは多くの映画で描かれている。「モスキート・コースト」ではハリソン・フォード演じる父アリーが狂気の〝森の王〟と化してしまった。本作でも母ジュリアンヌはエリックの暴力に耐えられず湿地帯から逃げ出している。

 「はじまりへの旅」も消費社会から距離を置いた家族を描いていた、アメリカには定住せず漂浪するボヘミアン階級(≒ヒッピー)が存在する。「イン・トゥ・ザ・ワイルド」には自然回帰を実践したヘンリー・ソローの影響が窺えた。本作のカイアは家族が去っても湿地帯から離れなかった。

 ミルトンがカイアの来し方を尋ねる形で遡行し、少女時代、60年代半ばと現在(69年)がカットバックして進行する。カイアにとって忘れ難い存在は初恋の相手だった。思春期に再会したテイト(テイラー・ジョン・スミス)は不登校のカイアに文字を教えた恩人でもあったが、諸々の事情で音信不通になってしまう。カイアを20年以上、支え続けたのは雑貨店を営むジャンピン&メイベル夫妻である。

 湿地帯で動植物を観察してきたカイアにチャンスが訪れる。デッサン集が編集者の目に留まり、出版の機会を得た。動物学者としてのスタートを切ったのだ。編集者とカイアとの会話に、本作の肝が表れている。動植物の生態について言葉を交わしたが、編集者は「動物には道徳がない」と話していた。エンドロールで流れる主題歌に<捕食者>という歌詞がある。チェイスこそがカイアにとって<捕食者>だったのは明らかだ。

 上記したボヘミアン階級は法律、制度、慣習に囚われない。麻薬には寛容だし、全米を転々する政治犯もいる。社会の規範、法律を学んでいないカイアにとって、<湿地帯のルール>こそ大切だった。<捕食者の排除>を<自然の摂理>と捉えることも可能だったはずだ。

 意外なハッピーエンドで、カイアとテイトは結婚した。近くの研究所に就職して湿地帯の生態を調査しているテイトとカイアは同志といっていい。数十年後、亡くなったカイアの遺した資料を手に取ったテイトは事件の真実を知った。だが俺は、もうひとつの事件に思いを馳せた。カイアがチェイスに重ねていた<捕食者>の父の、沼地を去った後の消息はわからない。「ザリガニの鳴くところ」で眠っているのではと勘繰ってしまう。ちなみにザリガニは鳴かないという。
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「パラレル・マザーズ」~母たちの鎮魂と再生

2022-12-07 18:25:15 | 映画、ドラマ
 藤井聡太竜王が広瀬章人八段を4勝2敗で退け、竜王戦防衛を果たした。〝レジェンド〟羽生善治九段を迎え撃つ来年早々開幕の王将戦が待ち遠しい。将棋ファンの耳目を集めている奨励会未経験の小山怜央アマは、プロ編入試験で徳田拳士四段を下し、幸先良いスタートを切った。徳田はプロ入り後、27勝5敗の好成績で、同じく編入試験で里見香奈女流5冠を破っている。第2局の相手はくしくも名前が同じ岡部怜央四段だ。

 W杯サッカーはベスト8が出揃った。交代枠5のレギュレーションを生かすことが、上位進出の鍵になる。スペインとのPK戦を制したモロッコのGKボノに瞠目させられた。PK戦はポーカーゲームのようで、ボノは相手の心理を読む達人といえるだろう。応援しているオランダだが、準々決勝でアルゼンチン、準決勝でブラジル(恐らく)を連破するのは難しいだろう。

 新宿シネマカリテで「パラレル・マザーズ」(2021年)を観賞した。ペドロ・アルモドバル監督作品にはブログを始める2004年以前に親しんでいたが、「ボルベール」(06年)は見逃したので、映画館で接するのは20年ぶりになる。アルモドバルは見る側に、<あなたたちが価値を置く愛は、そんなに素敵ですか>と問いかける映像作家だと思い込んでいた。

 倫理観や常識を超越しているアルモドバルが描く<愛の形>は、「狂気」と「兇器」の刃でありながら、「許容」と「救済」の鞘をも用意し、通り一遍の愛が到達しづらい神話を刻印する……。久しぶりのアルモドバルに身構えていたのだが、映画が始まると固定観念は覆された。

 「オール・アバウト・マザー」だけでなく、アルモドバルは<母と娘>をテーマに据えてきたが、本作も同様だ。写真家のジャニスを演じるのはアルモドバル組の常連というべきペネロペ・クルスだ。ジャニスは産院で10代のアナ(ミレナ・スミット)と同室になる。シングルマザーになるとを決めた2人は同じ日に娘を産み、再会を約束して退院する。

 この20年、アルモドバルはスペイン戦争にこだわってきた。ジャニスは娘セシリアの父親であるアルトゥロ(イスラエル・エレハルデ)は、スペイン戦争でフランコ率いる反乱軍に殺された共和国支持者の遺骨を発掘する責任者だった。アルトゥロがセシリアを見て「わが子とは思えない」と言ったことで、ジャニスは暗い淵に沈むことになる。

 DNA検査でジャニスとの繋がりが否定されたジャニスはカフェで偶然、アナと再会した。溌剌としていたアナは娘の死を告げる。ジャニスは産院での取り違えとわが子の死を直感した。同性愛者であることを公言するアルモドバルらしい設定もあるが、母テレサ(アイタナ・サンチェス=ギヨン)との確執を抱えるアナはジャニスへの愛(依存)がエスカレートする。2人が初めて愛し合う場面で、ジャニス・ジョプリンの「サマータイム」が流れていた。ジャニスと命名したのはジョップリンンのファンだった母だった。

 ラストでジャニスの親族が一堂に会し、亡き者たちを弔う。輪の中にアナとセシリア、ジャニスを支え続けてきたエレナ(ロッシ・デ・パルマ)、アルトゥロたち発掘チームの姿もあった。血縁を超えた家族の再生の再生に感銘を覚えた。

 繰り返すが、本作のセカンドストーリーはスペイン戦争だ。ロシアのウクライナ侵攻で、世界は今、戦争の時代だ。あす8日、日本が米英に宣戦布告して81年になる。自公政権は敵基地攻撃能力保持など軍事増強にひた走っている。
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「韃靼の馬」~スケールの大きい歴史小説を堪能した

2022-12-02 20:41:26 | 読書
 Wカップの喧噪から距離を置いて日々を過ごしている。先日は西荻窪、荻窪の駅頭で杉並区議選(来年4月)に緑の党公認で立候補するブランシャー明日香さんの街宣デビューに足を運んだ。原発再稼働に反対し、気候危機解決に取り組むブランシャーさんは「ゼロカーボンシティ杉並」共同代表で、カフェを経営している。

 東京新聞HPでは敵基地攻撃能力保持に反対し、陸上自衛隊の長射程化に反対する「武器取引反対ネットワーク(NAJAT)」による抗議運動(製造元の三菱重工前)が動画付きで紹介されていた。参加できなかったが、NAJAT代表で緑の党東京本部共同代表でもある杉原浩司氏が鋭いアピールを送っていた。

 緑の党に入会して世界は一気に広がったが、寄る年波にコロナ禍、脳梗塞での入院で活動は最近、停滞気味だった。視野が狭まりつつある俺だが、辻原登著「韃靼の馬」(上下巻/2011年発表、集英社文庫)に刺激を受ける。朝鮮半島、中国、ロシア、モンゴルを俯瞰で眺めたスケールの大きい小説で、極東地区で暮らす人々の息遣いが行間に滲んでいた。

 辻原の作品は10作以上、紹介してきた。〝読者を蜃気楼に誘う魔物〟、〝当代一のメタフィクションの使い手〟などと絶賛し、想像力の地下茎を紡いで伽藍を築く力業に感嘆してきた。今回紹介する「韃靼の馬」で、辻原の新たな貌を見せつけられる。ページを繰る指が止まらない壮大なエンターテインメントだった。

 物語の起点は江戸幕府が29年ぶりに朝鮮通信使を迎える運びになった1711年(正徳元年)。朝鮮と江戸幕府の仲介役として介在したのが対馬藩で、本作の主人公、阿比留克人は交渉の矢面に立つだけでなく、極秘の任務を負っていた。名分変更や供応簡素化を図る新井白石の意図が混乱の元だったが、バイリンガルの克人の丁寧な対応で事態は辛うじて収拾される。

 克人以外に監察御史の柳成一、克人の親友で表向きは陶工だが諜報活動に従事する李順之、女芸人リョンハンの3人の朝鮮人が重要な登場人物だった。秀吉の朝鮮出兵の影響で、両国はわだかまりを抱えていた。〝こっちの方が上〟というプライドと面子が根底にあったが、本作には両国の文化、風習が互いの敬意を生むものとして詳述されている。辻原が膨大な量の史料をチェックしたことが窺われる。

 克人は李順之を守るため、因縁のある柳成一と剣を交え、殺害後は日朝の交易を支配する唐金屋の助力で朝鮮に渡る。金次東と名前を変え、李順之とともに陶工として平凡に暮らしていた克人の元に、日本から密命がもたらされる。負債を抱えた対馬藩の救済が目的でタイトルの「韃靼の馬」を将軍家に献上することだ。韃靼すなわちタタールの馬は天馬の呼び声高く、入手は不可能とみられていた。

 前稿の「ある男」では谷口大祐と原誠の戸籍交換が起点になっていたが、「韃靼の馬」の主人公は対馬藩士の阿比留克人、朝鮮人の金次東の<一人二生>の人生を送ることになる。柳成一の息子である徐青と克人の恩讐を超えた絆など、圧倒的なスケールと稠密な人間関係に、〝日本文学を代表するストーリーテラー〟であることを再認識させられた。

 克人の妹利根の主観によるプロローグとエピローグが第1部、第2部を包んでいる。兄妹は神代から伝わる阿比留文字の継承者で、交わす文書には重要な意味もあった。辻原の小説の根底に流れているのは切なさと哀しさだ。「韃靼の馬」にも幾つもの愛がシンクロし、柔らかな意識の複合体を形成していた。

 66歳にもなって、10代の頃のようにエキサイティングに読書を楽しむことが出来た。同じく歴史小説である「飛べ麒麟」も機会があれば読んでみたい。
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