酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「自由を我等に」~創業者としての使命感

2005-08-31 00:42:58 | 映画、ドラマ

 食わず嫌いは誰にでもある。俺ぐらいの年になると、進取の気性は衰えている。たまさか尋ねられても、知ったかぶりで逃げるのがオチだ。その点でいうと、8カ月の浪人生活は有意義だった。成瀬巳喜男、パゾリーニ、ルノワールら、手付かずだった作品に触れることができたからである。

 ルネ・クレールも俺と縁薄い監督だった。いや、意識的に避けてきたと言っていい。20年以上も前、ルネ・クレール著「映画をわれらに」を購入した。自らの半生と映画論が綴られていたが、理屈っぽさに辟易し、30㌻足らずで放棄してしまった。クレールは映画界の「創業者」の一人であり、強い使命感に駆られていた。技法と精神を早急に確立し、他の分野(文学、美術、写真)に並ぶレベルに押し上げねばならぬという……。

 先日、シネフィル・イマジカで放映された「自由を我等に」(31年)が見て、小難しい、堅苦しいという先入観はたちまち霧消した。ユーモアに溢れ、風刺の利いたコメディーだったのである。<滑稽でありながら人生の真理を穿つ>、<娯楽でありながら芸術でもある>……。映画の二律背反的なレーゾンデートル(存在理由)は、31年の段階で確立されていた。

 物語は刑務所から始まる。ルイとエミールの仲良しコンビが脱走を試みるも、ルイだけが成功する。機転が利き世渡り上手のルイ、不器用で貧乏クジを引くエミール……。正反対の二人が再会した時、その立場は<囚人同士>から<資本家と労働者>に様変わりしていた。脱獄したルイが大富豪になるまで、エミールが工場に紛れ込むまで、それぞれ短いカットを積み重ね、テンポ良く描かれていた。今では当たり前の<定跡>は、先駆者の手によって編み出されたものである。最大の見どころは、ラスト近くの新工場落成式のシーンだ。隠されていた札束が強風で舞う。金に群がる人々、逃亡を図るルイとエミール、二人を追う警官たち……。CGなどなかった時代、ドタバタの群像劇を撮影するには、想像を絶する困難が伴ったに違いない。

 本作は「モダン・タイムズ」(38年)に共通するテーマを内包している。チャップリンの方がインスパイアされた可能性もあると思う。機械に支配された労働者の描写は、人間の疎外を告発している。求職者に指紋押捺を要求する場面は、管理社会への警鐘と捉えるべきか。ルイが考案した<人間不在>の生産方式にも、クレールの鋭い考察が窺えた。これらの非人間性と対照的に描かれるのが、エミールのジャンヌへの純粋な思いである。音楽の使い方も出色だった。トーキー移行期の作品だが、サイレント時代のプラス面の名残が感じられた。登場人物の感情を、セリフではなく音楽で表現する場面も多く、ミュージカル仕立ての部分もある。

 富を失くしたルイ、失恋したエミールは元の木阿弥、無一文に逆戻りし、楽しそうに放浪する。金より、愛より、仕事より、家族より、大切なものは自由……。何も持たぬわが身に重ね、エンディングには「ブラボー」と拍手してしまった。フランス人が最も尊重するのは自由だ。我々も多少は見習うべきだろう。日本人は<小泉教>のお題目に浮かされ、自由を放棄する危険性が高いからだ。そういや、仏紙「ル・モンド」は小泉首相に手厳しい。なるほどと思わせる論調である。

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「ゾルゲ追跡」を読む

2005-08-29 00:22:31 | 読書

 無職ゆえ、テレビ桟敷で「政治ショー」に齧りついている。危惧しているのは別項(23日)でも記した通り、<小泉改革>程度のものを<絶対真理>と崇める傾向だ。高負担、低福祉時代は目前に迫っている。<改革>とか<官から民>のお題目に浮かれていると、ポッカリ開いた穴に足を取られてしまうだろう。

 さて、本題に。「ゾルゲ追跡」(67年、岩波現代文庫)を読んだ。F・W・ディーキン、G・R・ストーリィの共著で、丹念な取材に基づきゾルゲの実像に迫っている。ドイツ人のリヒャルト・ゾルゲは第1次大戦で鉄十字勲章を授与された。戦後は一転して共産党に入党し、ドイツ革命を目指した。その才能をコミンテルンに認められ、情報将校として経験を積んだ後、上海に派遣される。ゾルゲはたちまち中国問題の専門家として頭角を現した。

 ゾルゲグループは5人から成る。尾崎秀実は中国通として知られた朝日新聞記者(摘発時は満鉄嘱託)で、上海でゾルゲと接点があった。沖縄出身の宮城与徳はアメリカで画家として生計を立てていたが、当地の共産党にスカウトされ、「逆輸入」で日本に戻った。あとの2人は、クロアチア人のヴーケリッチとドイツ人のクラウゼンである。ゾルゲはドイツ大使館、尾崎は近衛グループ、宮城は軍関係と、主要3メンバーは情報収集の対象を分担していた。

 ゾルゲはナチスに入党を申請し、多くの有力者から推薦状を得るなど、33年に来日するまで完璧な偽装を整えていた。ジャーナリストとしての名声に、軍功と人間的魅力が加わり、外交アドバイザーとして大使館に出入り自由となる。2・26事件のゾルゲによる分析は、コミンテルンからもドイツ外交筋からも高い評価を得た。独ソ戦が始まるや、ドイツは同盟国として日本の参戦を要求した。日本政府は様子見に徹し、ドイツが早期にモスクワを占領したケースのみ、シベリアに侵攻するつもりでいた。枢軸派の松岡外相が更迭され、日本は対米戦争に傾いていく。ゾルゲグループはその経緯を逐一モスクワに報告していた。その結果、スターリンはシベリアの部隊を対独戦に編入し、ヒトラーの野望を挫くことになる。

 悪名高き伊藤律が洩らした情報で、ゾルゲグループは摘発された。日本の上層部の関与にどこまでメスを入れるか、ドイツ、ソ連との関係を壊さないことは可能か……。捜査当局は難題を抱えていた。情報漏洩で告発された西園寺公一(公望の孫)、犬養健(毅の息子)は尾崎と親交が厚く、近衛首相グループの一員だった。ドイツ大使館はゾルゲに丸裸にされていたが、同盟国の面子を潰すわけにいかない。さらに日本政府は、当事国ソ連を表立って非難できなかった。戦況は日々傾いていたが、ソ連はアメリカとの間に入る調停国と想定されていたからである。捜査と取り調べは隠密裏に進められた。

 ゾルゲは早い段階で告発内容を認めている。罪を被って他の者を救う意図があったようだ。ゾルゲは日本文化に造詣が深く、検察官や公安担当者は「あれほど優れた人間に会ったことは後にも先にもない」とゾルゲを絶賛している。武士(もののふ)として認められていたのである。44年11月7日、ロシア革命記念日の朝、ゾルゲは尾崎とともに絞首刑に処せられた。享年49歳だった。革命の母国ではスターリンによる粛清の嵐が吹き荒れ、自ら殉じた<世界革命>の理念は、<恐怖のヒエラルヒー>の下で死に絶えていた。ゾルゲも事態を把握していたことだろう。死を前にいかなるな思いが去来しのたか知る由もない。


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「リヴ・フォーエヴァー」~ブリットポップの真実

2005-08-27 01:25:33 | 音楽

 ブリットポップの真実に迫った「リヴ・フォーエヴァー」(03年)がWOWOWで放映された。ノエル&リアムのギャラガー兄弟(オアシス)、デーモン・アルバーン(ブラー、ゴリラズ)、ジャーヴィス・コッカー(パルプ)、3D(マッシヴ・アタック)らトップアーティストの証言で構成されている。中でも麗しきルイーズ嬢(元スリーパー)の明晰なコメントに感心しきりだった。

 ブリットポップの曙光は、スパイクアイランドで行われたストーン・ローゼズのギグ(90年5月)という。「化学物質が宙に満ち、日差しまで蛍光色に見えた。(中略)あれほど多くの若者がドラッグに耽る光景は初めてだった」との証言通り、単独でウッドストックを甦らせたローゼズだが、輝きは瞬時で失せた。「エース不在」の英国を席巻したのは、ニルヴァーナ、パール・ジャムら米国グランジ勢である。ブリットポップとはUKロック再興の旗印であった。

 <サッチャー治下は暗黒時代>……。これがすべての発言の根っ子にある認識だった。サッチャー退陣で生じた解放感を追い風にしたのが、中産階級出身のブラーである。ブレア政権誕生(95年)の流れに乗ったのが、労働者階級出身のオアシスだった。頽廃と風刺に満ちたブラーが技巧派なら、骨太な剛球派がオアシス……。2大バンドの同日シングル盤リリースは、音楽を超えた騒動になる。大一番で圧勝したオアシスだが、3作目「ビー・ヒア・ナウ」のズッコケで、「国民的バンド」から「並みの一流バンド」に後退した。ルイーズは「労働党(ブレア)への過重なコミットが、ノエルとオアシスにとって躓きの石になった」(概要)と分析している。ブリットポップ退潮期、オアシス、ブラー、パルプらはドラッグ漬けになっていた。

 ブリットポップには軽いというイメージがあったが、アーティストの発言は知性に満ち、明確な政治意識(階級意識)が窺えるものだった。本作では、90年以降のUK4大バンドのうち、レディオヘッドとマニック・ストリート・プリーチャーズには言及していない。レディオヘッドはデビュー時からアメリカを射程に入れて活動していたし、マニックスはロックを超えたラディカルさを標榜している。ともにブリットポップの範疇には含まれないようだ。

 嵐の後の05年。オアシスは新作で、<ノエル独裁>から<ソングライター集合体>という方向性を提示し、復調の兆しを感じさせた。ザックをドラムに据えたサマソニでは、2年前のレディオヘッドを超える高揚感を生み出したという。一方、大一番で深手を負ったデーモンだが、ゴリラズの新作はビルボードでロングセラーになっている。ブリットポップの代表選手、いまだ死なずといったところだ。

 WOWOWで同日放映された「hype!」(96年)は、シアトルのグランジシーンを追ったドキュメンタリーだった。後日、感想を記すことにする。

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「サマー・オブ・サム」~NYの狂おしい夏

2005-08-25 02:02:39 | 映画、ドラマ

 シネフィル・イマジカでスパイク・リー監督の「サマー・オブ・サム」(99年)を見た。アフリカ系アメリカ人(黒人)として社会を告発してきたスパイクだが、本作の舞台はイタリア系コミュニティーだ。記録的熱波に襲われるわ、殺人鬼「サムの息子」が人々を不安に陥れるわ、大停電が起きるわ、77年夏のニューヨークにはある種の狂気が渦巻いていた。

 主人公のヴィニーは浮気癖が直らない美容師だ。週末に妻ディオーナと踊るのが気晴らしだが、「サムの息子」の徘徊でディスコには閑古鳥が鳴いていた。苛立った仲間は自警団を結成したが、目の敵にされたのがリッチーだった。ロンドンでパンクの洗礼を受け、あばずれのルビーと恋仲になるなど、外見も言動も異質の存在だった。<ディスコ>と<パンク>が対立する価値観の象徴として据えられている点も、当時を思い出して頷ける部分があった。「サムの息子」騒動が疑心暗鬼を生み、友情や仲間意識を壊していく過程を、スパイクは冷徹に描いていた。

 停電によって生じた暴動の場面に、スパイクらしさが窺えた。64年7月(NYなど)、65年8月(LAワッツ地区)、66年7月(NY)、67年7月(デトロイトなど)と、60年代のアメリカでは毎夏のように黒人暴動が起き、多くの死者を出していた。70年代には鎮静化していたが、鬱積した不満が停電によって爆発し、黒人、プエルトリコ系など3000人以上が逮捕された。手錠が足りなくなって多く者が拘束を免れたという逸話が残っている。

 <マイノリティーの象徴>だけでなく、スパイクには<ニューヨーカーの代表>としての顔がある。MSGの最前列に陣取ってレジー・ミラーと舌戦を展開する場面は、NBAファンならずともおなじみの光景だった。ヤンキースの快進撃を伝えるテレビ画面やラジオの放送が、作品中で頻繁にインサートされていた。

 フーの「ババ・オライリィ」と「無法の世界」が効果的に用いられていた。この2曲がヤンキースの「テーマ曲」であることはMLB中継を見ての通り。フーはニューヨーカー御用達のバンドだが、時代考証に疑問がある。リッチーは「フーはパンクのゴッドファーザーだ」と話していたが、ジョン・ライドン(ピストルズ)やポール・ウェラー(ジャム)が同様の趣旨で発言したのは77年以降である。リッチーとルビーのバンドがピストルズ風なのも「?」だ。あのスタイルはNYではなく、ウエストコーストだと思うのだが……。

 まあ、細かいことはいい。性的倒錯、クスリ、社会に根付くマフィア、乱交パーティー、男性ストリップ、ポルノ映画……。NYというより、アメリカ社会の裏側が、スパイクらしくスパイスたっぷりに抉り出されていた。配役の妙もある。リッチーを演じたエイドリアン・ブロディは、「戦場のピアニスト」(02年)では180度異なる役どころでアカデミーを獲得した。「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」(76年)で落ち目の殺し屋を演じたベン・ギャザラが、マフィアのボスを演じているのも面白い。スパイク自身がリポーター役で登場するのはお約束だが……。

 77年の夏といえば、俺は大学生だった。記憶と記録を辿ってみる。英国で吹き荒れた反人種差別のムーブメントは、「クラッシュ・イン・ルードボーイ」で克明に描かれている。ロンドンは燃えていたのだ。そういや、エルヴィスが急死したのもあの夏である。日本では参院選が行われ、ロッキード事件の逆風も屁のカッパ、自民党は現有議席を維持した。ちなみに、社市連から出馬(東京地方区)した菅直人氏は落選の憂き目を見ている。だが、国民の目を釘付けにしたのは王のバットだった。9月3日(756本塁打達成)まで、国中は異様な熱気に包まれていたのである。

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神の世紀を生きて~宗教は阿片ではなくアミノ酸?

2005-08-23 02:07:42 | 社会、政治

 無職になって発見した番組がある。BS-1の「きょうの世界」で、世界の最新の動きはもちろん、名前しか知らなかった国の情報に触れることができた。積み上げた感想をまとめると、我々は<神の世紀>を生きているということだ。

 マルクスが<宗教は阿片である>と断じたのは150年以上も前だが、世紀を二つ超えた今、宗教は阿片どころか必須アミノ酸になっている。後進国で成立した革命は、マルクスにとって「想定外」だったし、自らの名を冠した思想が物神化したことは、大いなる歴史の皮肉といえるだろう。だが、壁崩壊で顕教(共産主義)が地に堕ちた東欧諸国で表面化したのは宗教対立だった。スレブレニツァで起きたセルビア人によるイスラム教徒虐殺(95年7月)など、悲しい事例は数え切れない。

 イギリスとIRAはようやく手打ちしたようだが、宗教を巡る紛争が世界を覆っている。パレスチナ、9・11、アフガン―イラク戦争を経て、宗教が対立項の軸に据えられた。キリスト教は<資本主義―グローバリズム―アメリカ>ブロックのシンボルになり、「NO」の側に鎮座するのがイスラム教だ。インドでは、イスラム教改宗者に対するヒンズー教徒のリンチが頻発している。アフリカ各国では、民族間の軋轢に宗教(イスラム教とキリスト教)がリンクして、抗争は泥沼化している。米ブッシュ政権は基盤固めに、キリスト教原理主義団体に補助金を出すなど、政教分離の建国精神は損なわれつつある。金正日体制を支えているのは、理念より強制された信仰であることは言うまでもない。

 それでは、わが日本はどうだろう。<天皇教>から解放された日本人は、<拝金教>と<何も信じない教>を曖昧に掲げ、熱狂と無縁に過ごしてきた。ところが戦後60年を迎えた今年、選挙を巡る動きを眺めているうち、ある考えが脳裏をよぎった。日本も宗教国家の道を歩んでいるのではなかろうか……。「ニュース23」での菅直人氏の発言に思わず手を打ってしまった。「小泉首相について話す女性刺客たちの目が尋常ではない」という菅氏の言葉は正鵠を射ている。猪口邦子氏など、トローンとした目付きで立候補の弁を述べていた。

 小泉改革については賛否両論だ。<絶対的真理>と崇めるむきもあるが、金子勝慶大教授や「ミスター円」こと榊原英資氏は辛辣な評価を下し、郵政民営化法案にも反対の立場だ。小泉政権の4年間で国の借金は170兆円増えた。大号令で推進した道路公団民営化だが、談合が継続されたという事実だけでも効果は疑わしい。「小泉教徒」猪瀬直樹氏がいくら弁護しても、大失敗と評価する桜井よしこ氏の舌鋒に敵うものではない。自民党のマニフェストでは年金改革について触れていないようだし、アジア諸国との関係を停滞させた責任も重い。誇れる実態のない改革だったことは明らかだと思う。

 首相が小泉氏以外だったらもっとひどいことになっていたという意見も、的外れと言い切れないが、「この程度の改革」を、<尊師>の言葉のように奉る傾向に危険な匂いを感じてしまう。<小泉教+池田教>……。下馬評通り自公が総選挙で勝てば、日本も堂々と宗教国家の仲間入りを果たすことになるのだろう。

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飛翔の夢、もしくは~「とべない沈黙」が描くもの

2005-08-21 01:14:13 | 映画、ドラマ

 俺は虫が大の苦手だ。飛ぶゴキブリを見て、心臓が止まりかけたことさえある。蝶やセミに至るまで、嫌いというより怖い。連中は暗い場所で長く息を潜めた後、成虫として刹那を生きる。その佇まいに、怨念や情念を感じてしまうのだ。

 虫といえば、ナガサキアゲハが狂言回しを務める映画がある。黒木和雄監督の劇映画デビュー作「とべない沈黙」(66年)だ。気になっていたが、日本映画専門チャンネルでようやく視聴する機会を得た。

 物議を醸した作品というが、斬新な映像と効果的な音楽に、緊張感が途切れることはなかった。導入部はミステリー仕立てになっている。北海道で少年がナガサキアゲハを捕獲したが、亜熱帯に分布する蝶ゆえ、周囲は疑いの目で見る。物語の進行により、その謎は解き明かされていく。長崎を起点に、東に向けて幼虫の旅が始まった。夏みかん、人の背中、土産物の中と、付着するものを変え、幾つものドラマを紡ぎながら、幼虫が運ばれていく。特別な暗号と勘違いされ、犯罪組織に狙われる羽目になるが、背景には政治的陰謀が絡んでいた。

 黒木監督のドキュメンタリーの分野における蓄積が生かされた作品だった。蝶や幼虫の撮り方がリアルだし、原爆慰霊祭、反核デモ、広島や大阪のスラム、街を闊歩するヤクザ者など、実写部分がストーリーと溶け合っていた。原爆症を発症した少女が彷徨するシーンでは、インタビューの録音が被さるなど、総体として広島を捉えようとする姿勢が窺えた。大阪編ではセリフがなく、あるサラリーマンへの女たちの批評、飲み屋での会話のみで音声を構成するという手法で、「曲がり角なき人生」に埋没する男の姿を浮き彫りにしていた。

 広島編以外にも、監督自身の反戦意識がちりばめられていた。京都編では、戦争中の自らの蛮行に苛まれている男が登場する。甦った記憶に墓場で半狂乱になり、仮初の愛もその手からこぼれていく。また、公開前年(65年)に発覚した「三矢研究」(有事体制への準備)も、作品に暗い影を落としていた。

 ナガサキアゲハの幼虫は、タイトルの「とべない沈黙」の喩えのように思える。飛翔出来ぬ者の哀しみ、夢を失くした者の絶望のメタファーかもしれない。羽化して舞う蝶の息を呑む美しさ、這いつくばる幼虫のグロテスクさ……。この際立ったコントラストが、作品の下敷きになっていることは間違いないだろう。

 主演の加賀まりこは、原爆症の女性、蝶の化身など6役を演じ切っている。今じゃおばさんの代表格だが、20代前半の頃、アンニュイ、小悪魔、虚無、無垢と、様々な貌を地で表現出来る得がたい女優だった。本作以外にその魅力が弾ける作品を挙げれば、「乾いた花」(64年、篠田正浩)、「悦楽」(65年、大島渚)あたりか。

 黒木監督の代表作は、「祭りの準備」(75年)だと思う。オーソドックスな青春映画に仕上がっているのは、中島丈博氏の脚本に拠るところが大きい。ちなみにこの作品では、無名時の竹下景子がおっぱいを曝して濡れ場を演じている。NHK衛星は「問題部分」をカットして放映したらしいが、本人からクレームがあったのだろうか。

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銃殺から68年~北一輝という鬼っ子

2005-08-19 00:57:50 | 社会、政治

 小泉首相の手法が世間の耳目を集めているが、バカにされた側(国民)が、ふまじめな本質に気付かぬはずはない(と願いたい)。<日本版9・11>については、床屋政談に堕さぬよう、考えをまとめておくことにする。ちなみに、俺の中の選挙の対立項は、今のところ<アメリカ対日本>と<宗教対理性>である。

 さて、本題。今回は松本健一著「北一輝論」を下敷きに記したい。北一輝は68年前のこの日(19日)、2・26事件に連座して銃殺された。享年54歳である。

 興味深いのは、北が生まれ育った佐渡の風土だ。流刑地、辺境の地という先入観と裏腹に、文化的に成熟した土地柄で、佐渡新聞と佐渡毎日新聞が論戦を繰り広げていた。北の思想的血肉は自由民権やキリスト教であり、自由主義的な佐渡新聞の側に立ったことは当然の成り行きだった。

 10代のうちに言論人として名を馳せた北にとり、転機になったのが悲恋だった。北は与謝野晶子の激烈な恋歌に感化され、自己完結の志向を育んでいた。<人間は恋と革命のために生まれてきたのだ>とは太宰治が「斜陽」に残した一節だが、北の<革命への飛躍>の原点は、引き裂かれた恋だった。

 <ユートピア実現を権力掌握だと思い切れる人間を革命家という。(当人の)夢想に過ぎず、痴人の夢、幻想を現実にするゆえ、革命家は人間の実生活をかき乱す。革命家は使命感に駆られた自己絶対主義者、すなわち唯一者として振る舞う>……。松本氏が同書に示した革命家の規定を抜粋してみた。改革を掲げる者は、北のような一級の革命家にせよ、めくらましの詐欺師にせよ、このような外貌で社会に登場する。世間を賑わせている誰かさんたちのように……。

 松本氏によれば、北は<天皇制国家の支配原理を超克するものを目指した>。その真情は22歳の時の「佐渡中学生諸君に与ふ」に示されている。<良心の頭上何者をも頂かず、資本家も、地主も、ツアールもカイゼルも、而(しか)して……(言うべからず)>と記されている。「……」が天皇であることは言うまでもない。弾圧されたが、自ら「神隠しのように外に置かれた」と述懐したように、大逆事件での連座を免れた。

 北は国民主権を確立した後、<自立した民族連合体が世界連邦に至る>というビジョンを描く。トロツキーの<世界革命>にも、<大東亜共栄圏>にも連なる志向を内包していた。中国革命が日本革命の誘因になると考え、中国に渡っているが、挫折して戻った日本で、本人の意図を超える状況が待ち受けていた。青年将校の中に北の思想が浸透していたのだ。

 北と青年将校は一括りにされて断罪されたが、両者には大きな隔たりがあった。<天皇機関説>に則る北にとって、天皇は木偶(飾り物)に過ぎず、権力を国民に帰すことが理想だった。一方の青年将校にとって天皇は絶対的で、そのカリスマ性を支えて腐敗を浄化することを目指していた。

 天皇本人はどうだったが。昭和天皇の資質、思想性については諸説あるが、リアリストであったことは間違いない。2・26事件の一報を聞き、<ロシアのようなことが日本で起きたのか。自らの手で弾圧する>と述べたという。北もまた、その時を待っていた。鎮圧に乗り出した天皇に幻滅し、<決起軍>が<革命軍>に転じる瞬間を……。だが、現実はご存じの通りである。個人主義や民主主義とは無縁の青年将校が、天皇に牙をむくことはありえなかった。

 北一輝は刑場の露になり、その思想は封印された。左派から見れば扇情的なファシスト、右派から見れば天皇を利用した社会主義者……。いずれの見方にも真実の一片はある。北一輝とは複層的で捉えどころがない存在なのだ。

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ロック初体験~「ウッドストック」を見た夏

2005-08-17 00:21:54 | 音楽

 スカパーで「ウッドストック」(70年)を見た。最初に映画館で見たのは35年前、中学2年の夏であり、俺にとって「ロック初体験」だった。

 あの頃、海外アーティストのライブ映像をオンエアする番組は限られていた。楽しみにしていたのは、土曜深夜の奇妙な番組(タイトルは忘れた)である。音楽に合わせて若い女性(外人)がクネクネ踊る映像が40%、プロモが40%。使い回しのライブ映像は20%だったが、頻繁に流されたグランド・ファンク・レイルロードの「孤独の叫び」、マウンテンの「暗黒への旅路」に見入っていた記憶がある。

 「ウッドストック」には音楽映画とドキュメンタリーの二つの要素がある。前者のみを期待していたが、20分たってもライブ映像が始まらず、肩透かしを食らったことを覚えている。反戦、ヒッピームーブメント、麻薬、フリーセックスといった当時の世相を反映し、会場の雰囲気も解放区だったが、高らかに謳われる自由と連帯は、ガキだった俺にとって絵空事だった。惜しげもなく曝される若い女性の裸体にはドギマギしたのだが……。

 ライブシーンに当時の感慨が甦った。魂の浄化というべきジョー・コッカーの熱唱は、時を経ても色褪せていない。テン・イヤーズ・アフターも輝いていたが、10年後にはシーンから消えていた。レコードデビュー前だったサンタナは、ウッドストックで伝説を作り、瞬く間にスターダムにのし上がった。黒人音楽に疎い俺でも、スライ&ファミリー・ストーンが後世に与えた影響の大きさを再認識することが出来た。大トリのジミ・ヘンドリックスがステージに現れたのは最終日、夜を徹した朝で、いわば「祭りの後」。後片付けも始まっており、残っていた観衆が少なかったことは映像からも窺える。

 ウッドストックと並ぶ歴史的イベントは、67年のモンタレーポップ、70年のワイト島だろう。すべてに出演しているのがジミヘンとフーだ。フーはNO・1パフォーマーを自任していたが、ジミヘンが目の上のタンコブだった。モンタレーではセットを滅茶苦茶にぶっ壊して度肝を抜いたが、直後にジミヘンがギターを燃やして上を行く。ウッドストックでは、オフステージでゴタゴタするわ、演奏中にアビー・ホフマン(ラディカルの象徴的存在)が乱入するわで、演奏の質は高くなかった。ワイト島で名演を披露してフーの1勝2敗になったが、ジミヘンはドラッグでボロボロになっており、ピートに言わせれば「不戦勝」ということになる。

 30周年を記念して開催された「ウッドストック99」にはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、レッド・ホット・チリ・ペパーズ、ナイン・インチ・ネイルズら錚々たる面々が参加したが、そのドキュメンタリーを見て腹立たしさを覚えた。制作者の歪んだ意図が見え隠れしていたからだ。いわく、<69年には多くの問題があったが、99年の平和なアメリカで暴れている不逞の輩がいる>……。他の選択肢を暴力的に抑圧した結果、欺瞞の2大政党制を築いた資本主義独裁国家には、解決しようのない矛盾が渦巻いている。その辺りに頬かむりするのが、民主主義を押し売りするアメリカの実態なのだ。

 ここ数年、日本でも夏フェスが定着した。とりわけフジロックは、アメリカの“Coachella”、イギリスの“Glastonbury”と並ぶフェスとして認められている。俺自身、フジロックには天神山と東京の最初の2回、サマソニは一昨年と、合わせて3回参加したが、打ち止めである。50近くになって心身のタフさや好奇心は著しく低下しており、数万の群衆に身を投じる気にはならないからだ。

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8月15日~岡本喜八がこだわり続けたもの

2005-08-15 00:18:13 | 映画、ドラマ

 岡本喜八監督は<8月15日>にこだわり続けた映像作家だ。ドキュメンタリータッチの「日本のいちばん長い日」は芸域の広さを証明する作品だったが、同監督の本領は別のところにあると思う。

 今回紹介する「血と砂」(65年)は、終戦直前の北支戦線を舞台にした活劇だ。未見だったが、日本映画専門チャンネルの「喜八特集」で放映された。小杉曹長役の三船敏郎の生き生きとした演技、隊長役の仲代達矢との掛け合い、小杉が実戦経験のない少年軍楽隊を率いる展開など、黒沢明監督の「椿三十郎」を彷彿とさせる作品だった。

 後に「ジャズ大名」(86年)という怪作を発表する岡本監督だが、下敷きになったのは本作ではなかったか。「ジャズ大名」は幕末の日本に黒人ミュ-ジシャンが流れ着くという設定だが、「血と砂」では13人の軍楽隊が「聖者が街にやってくる」を奏でながら、最前線に合流する。場面に応じて演奏される曲の数々も、本作の見どころ(聴きどころ)の一つになっている。

 ヤキバ砦をめぐる攻防を軸に物語は展開する。日本軍は直近の戦闘で砦を放棄していたが、部下を見殺しにした咎で見習士官が処刑されていた。その間の経緯を探ることが、小杉にとって大きな関心事であった。小杉は少しずつ真実に近づき、自身の秘密も詳らかになる。一人また一人と命を散らしていく軍楽隊を演じているのは無名俳優たちだが、そのことがヒロイズムと無縁な戦争の実相を暴き出していく。小杉が担当楽器で少年たちを呼ぶあたりも、独特のユーモアがあって面白い。

 葬儀屋の持田一等兵は伊藤雄之助、短気な料理人の犬山一等兵は佐藤允、反戦を貫き万年営倉入りの志賀一等兵は天本英世と、岡本作品にお馴染みの面々が脇を固めていたが、強く印象に残ったのは、朝鮮人慰安婦のお春を演じた団令子である。お春は慰安婦ゆえ、多くの兵隊と契るのが定めだが、心は小杉に捧げ、激戦地を追いかけていく。着物の裾を上げ、伸びやかな太ももをあらわに駆け回る天真爛漫なお春に、軍楽隊は気もそぞろになる。小杉はお春の気持ちを知りつつ、少年兵の筆下ろしを頼む。岡本監督らしく、性がおおらかに描かれていた。

 汚名を着せられた見習士官を埋葬しながら、持田一等兵が「靖国神社だけには行くなよ。他の神様たちにいじめられるから。なくなっちまうことだよ、魂も何もかも」と語りかけるシーンは印象的だ。「あいつを見損なっていた。職業軍人としては出来が悪い方だ」と小杉が隊長を逆説的に褒める場面にも、反戦、反軍意識が反映している。岡本監督の戦記物では「独立愚連隊」シリーズが一番と思い込んでいたが、「血と砂」はその上を行く作品だった。

 話は変わる。小泉首相は公約を破り、15日の靖国参拝を避けるようだ。選挙はそれほど大切らしい。「小泉=改革者」の公式そのまま信じ(ているフリをし)、応援団に回っている評論家たちには辟易する。この国では既に「自由からの逃走」が始まり、心身とも「アメリカ化」が進行しているようだ。

 杉並区の扶桑社版教科書採択には驚いたが、副教材には岡本監督の映画をお薦めしたい。バランス感覚を養うことが、教育者の最大の役目だからである。「血と砂」には朝鮮人の慰安婦も登場するし、靖国についての台詞もある。極上のエンターテインメントでありながら、戦争の無意味さ、虚しさを訴えかける作品といえる。

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真夏の風物詩~高校野球の思い出

2005-08-12 01:59:47 | スポーツ

 今夏、高校野球の問題点が明らかになった。暴力と喫煙を理由に、明徳義塾が甲子園出場を辞退したのである。高校野球は<本音と建前>の日本的二重構造の上に成立するイベントだ。甲子園常連校のかなりの選手は、<高校生らしさ>と対極にある。NHKのアナウンサーが垂れ流す歯の浮くようなお世辞、実態に目を背けた戯言を、視聴者は軽く受け流しているのだ。

 代役の高知の選手にとって、10日間のブランクは大きかったという。野球部とは軍隊か刑務所のように、外に出た瞬間、人間の在り様が変わる組織らしい。ちなみに、軍隊や刑務所ほど序列が厳しく、いじめがはびこる場所はない。とまれ、<高校生らしさ>という虚構は世紀を超えても生き残り、高校野球は夏の風物詩としての地位を保っている。

 なーんてジャブをカマしてみたが、記憶に残る試合やチームは幾つもある。以下に挙げてみよう。

 まずは78年のPL学園。準決勝の中京戦では9回裏に4点差を追いつき、決勝の高知戦では2点ビハインド、9回裏2死ランナーなしから逆転サヨナラ……。無神論者の俺でさえ一瞬、神の存在を信じたほどである。79年の箕島対星稜戦は、人生について考えさせられるような試合だった。延長16回表、星稜が1点のリードを奪う。その裏も2死ランナーなし。邪飛が上がってゲームセットと思った瞬間、一塁手が転倒し、直後に同点ホームランが出た。痛恨のエラー、隠し球など伏線たっぷりの試合は延長18回、箕島のサヨナラ勝ちで決着した。

 京都人ゆえ、81年の京都商・井口の力投も忘れられない。小さな大投手と評判は高かったが、京都予選では不調だった。初戦の前橋工戦もアップアップだったが、その後、本調子を取り戻すや、三振の山を築き、貧打のチームを決勝まで導いた。82年の池田は衝撃的なチームだった。準々決勝で早実のアイドル、荒木大輔を打ち砕き、決勝で広島商と対戦する。精神野球を謳い、堅実な攻守で高校球界のお手本だった広島商を12対2で粉砕したことで、パワー重視の流れを先導した。

 よくよく考えてみたら、すべて78~82年のである。学生時代からプー太郎の時期で、暇だったためか、朝から高校野球を見ていたに違いない、だが、ベストワンは69年決勝の松山商対三沢だ。身を挺した守備が相次ぎ、鋭い当たりが野手の正面を突くなど、延長18回を0対0で終える。攻守とも三沢が押し気味だったが、松山商の伝統に食い止められた。三沢の太田は三振が一試合6~7個で、速球というより重い球質が武器だった。再試合の1回に先制2ランを浴び、太田は微笑んだ。<美しい敗者>を演じているようで、12歳のガキにも勝負の行方が予測出来た。あす(13日)夜、衛星第1で松山商対三沢を扱ったドキュメンタリーが放映される。野球を超えた宿命的なドラマに、36年ぶりに浸ってみたい。

 失業中ゆえ、高校野球を見る機会が増えている。試合の面白さは変わっていないはずだが、見る側の感性が鈍ってしまったせいか、いまひとつ入り込めない。大会前のV予想は◎大阪桐蔭、○済美、▲姫路工、△銚子商だったが、姫路工は初戦大敗で姿を消した。郷里の京都外大西も応援したいが、あと一つ勝てれば御の字ってとこか。

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