酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「資本主義崩壊の首謀者たち」~暗闇で富を貪るマフィアを撃つ

2009-07-29 01:27:58 | 読書
 総選挙まで1カ月。戦後64年を検証しつつ、リアルタイムの日本と世界を見つめる夏になる。最適の〝参考書〟は広瀬隆氏の新刊「資本主義崩壊の首謀者たち」(集英社新書)だ。既に15万部を売り上げたというから、長年のファンとして喜ばしい限りだ。

 広瀬氏は反原発運動の闘士で、環境問題全般に理解が深い。ゴア(原発産業の代理人)が説くCO2温暖化説に疑義を唱えていることは、当ブログで記した通りだ。

 広瀬氏は理系らしく詳細なデータと数字を提示するが、本書には更なる趣向が凝らされている。現状を鋭く抉った18本のヒトコマ風刺漫画(ニューヨーク・タイムズ掲載)が広瀬氏の論旨を補強していた。

 広瀬氏の著書を読むことは、メディアの報道と180度異なる〝発見〟の連続である。経済は苦手ゆえ、本書を正確に理解したとは言い難いが、興味を覚えた点を以下に記したい。

 広瀬氏によれば、経済腐敗の起点はクリントン政権末期である。銀行と証券会社の分離を定めたグラス・スティーガル法が廃止されるや、全米に溢れる膨大な金が銀行を通してウォール街に流れた。金融工学のエリートたちは、欲望の連鎖を肯定するサブプライムローンを発見する。

 銀行から金を借りて家を買う⇒家を担保に車を買う⇒車を担保に電化製品などを買う……。住宅価格が安定しているうちは錬金術は成立するが、下落するや負の相乗効果で国中が火だるまになった。サブプライムローンを推進したファニー・メイとフレディー・マックは国営銀行だったが、民営化されて暴利を貪った。ホームレスになった人たちと対照的に、破綻後は政府が救済の手を差し伸べる。

 両行を実効支配したのは、ブッシュ父子、クリントン政権に連なる面々だった。本書には金融マフィアのメンバーが実名で記されており、以下の構図が浮き彫りになる。

 米国政府高官=排出権取引を進めるグループ=原油や穀物価格を操作する投機屋=サブプライムローンを喧伝した詐欺師=公的機関(IMF、WTO、FRB)を牛耳る利権屋=ハゲタカファンドのリーダー(〝史上最低の副大統領〟クエール氏など)……。

 金融マフィアたちは席を移動しながら、世界の富を貪り続けている。欲望と狂気を煽った金融危機の最大の責任者、ルービンとサマーズ(ともに財務長官経験者)は、何とオバマ政権の経済顧問でもある。「悪い奴ほどよく眠る」ほど本書のサブタイトルに相応しい言葉はない。

 サブプライムローンの債務は2兆円といわれているが、不動産債務の合計は1400兆円に達するという報道もある(ニューヨーカー誌)。誰が天文学的数字というべき債務を抱えているのだろう。広瀬氏の指摘に衝撃を受けた。

 例えばGM……。金融危機が表面化する直前、グループ全体の利益の64%を稼いでいたのは金融子会社GMACだった。売れない車よりGMACが抱えた債務が本体を追い詰めたのだ。日本のレイク(消費者金融)を買収したノンバンクのGEキャピタル(GEの子会社)の例もあり、アメリカの製造業はとっくに金融業に軸足を移していたのだ。

 広瀬氏を〝反ユダヤのデマゴーグ〟と批判するのは的外れだ。広瀬氏が刃を突きつけるのは一般のユダヤ人ではなく、アジアやアフリカの民衆を食い物にするユダヤ人だ。欧米で金融マフィアの圧力に屈する傾向が強まっている。とりわけ顕著なのが芸能界で、著名な俳優やロックスターで、パレスチナで進行中のジェノサイトを批判する者は皆無といっていい。

 早朝出勤なので、タイムオーバーだ。広瀬氏は日本が取るべき進路についても記しているが、選挙についての稿で紹介するつもりだ。



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映画にとって普遍性とは~「ディア・ドクター」に感じたこと

2009-07-26 04:44:11 | 映画、ドラマ
 勤め人時代のOGが取材と撮影を担当した「ファミリー・ヒストリー~宮川大助編」(NHK総合)を見た。戦前~戦中~戦後の激流を背景に明かされた家族史に感動したのは、俺の家族、いや、日本中の家族に重なる<普遍性>を覚えたからだ。

 宮川と同世代で、共に上方お笑い界を牽引する笑福亭鶴瓶が主演した「ディア・ドクター」(09年/西川美和)を見た。「おくりびと」に続くオスカー獲得を期待する声も上がるなど高評価が定着した作品だが、期待外れというのが俺の正直な感想だ。直近に見た「重力ピエロ」(7月11日の稿)と比べ、<普遍性>の欠落が否めなかったからである。

 過疎の村でただ一人の医師、伊野治(鶴瓶)が失踪する。複数の時系を行きつ戻りつする手法で、真実が少しずつ明かされていく。伊野は名医ではなく、〝医は仁術〟の実践者でもない。年収2000万を保証され、自らの過去を知る薬品メーカー社員(香川照之)と癒着している。鶴瓶のキャラに先入観を持たない外国人にとって、本作は〝21世紀のピカレスク(悪漢物語)〟かもしれない。

 西川の前作「ゆれる」は、異物を未消化のまま呑み込んだようなリアリティーがあり、今でも時折ゲップになって口元に込み上げてくる。ワンルームほどの枠組みからスケールアップした「ディア・ドクター」だが、〝成長分〟に応じた<普遍性>が備わっていない。柱は脆く、ネジは緩い。建てつけの悪い豪邸のような印象を受けた。

 映画にとって<普遍性>とは、言い換えれば整合性であり説得力である。「重力ピエロ」は原作者(伊坂幸太郎)、脚本家(相沢友子)、演出者(森淳一)の3人によって土台が築かれたからこそ、<善悪の彼我>と<罪と罰>という深遠なテーマを内包するエンターテインメントに結実しえた。

 黒沢明はトップクラスの脚本家たちを合宿に招集し、ストーリーの骨格から台詞に至るまで、激論を重ねて練り上げた。その結果、世紀を経ても色褪せない<普遍性>を獲得する。複眼的であることが、<普遍性>確立の条件といえるだろう。

 翻って「ディア・ドクター」は、まさしく〝西川美和ワールド〟だ。西川はノベライズした「ゆれる」で三島賞候補に挙がった小説家でもある。本作でも原作(直木賞候補)、脚本、監督の3役をこなしているが、このシステムに危うさを覚える。

 映画が共同作業で成り立つ以上、才能の塊であることがマイナスに作用するケースもある。小山薫堂氏(「おくりびと」の脚本担当)と組むとか、自身以外の原作を選ぶとかで、いったん〝西川美和ワールド〟を壊した後、再構築することも必要ではないか。

 俺が35歳の美女を応援しないわけがない。「蛇イチゴ」の毒にあたり、「ゆれる」では心が揺れた。今回は辛めの評価だが、西川監督の更なる飛躍を願うがゆえである。



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孤高と磁力~〝生〟ミンガスに感じたこと

2009-07-23 00:19:22 | 音楽
 赤の背景に水色のネクタイ……。そうか、この人、小泉さんに憧れてたんだ。 中川元幹事長から握手を求めさせるという〝屈服の儀式〟を経て、麻生首相が衆議院を解散した。選挙については稿を改めて記すことにする。

 元ミッシェル・ガン・エレファントのアベフトシが急死した(享年43歳)。洋楽ロック派ゆえアルバムは3枚しか聴いていないが、世界標準の邦楽バンドに敬意を払っていた。唯一のライブ体験は炎天下のフジロック'98(豊洲)で、死者が出るのでは心配しながら、後方で異様な盛り上がりを眺めていた。神話に彩られたギタリストの冥福を心から祈りたい。

 先日WOWOWで「チャールズ・ミンガス・アット・モントルー'75」を見た。その名を知ってから30年、動くミンガスを見るのは初めてだった。学生時代、フュージョン派の友人たちは、パンク派の俺を洗脳せんと次々にアルバムを貸してくれた。精神性と社会への嗅覚ゆえパンクを支持していた俺は、フュージョンに転ぶことはなかった。

 フュージョン派から崇められていたジャコパス(ジャコ・パストリアス)が参加していたジョニ・ミッチェルの「ミンガス」(79年)も推薦盤に含まれていた。「ミンガスのアルバムも貸して」と頼んだが、友人たちは無反応だった。フュージョン派にとってモダンジャズは守備範囲外で、最高のベーシストはミンガスではなくジャコパスだったからである。俺がミンガスの音楽に触れるのは10年以上も後のことだ。

 自分が幼いのは、ロックばかり聴いているからではないか……。30代半ば、こんな疑問が唐突に頭をもたげてきた。ならば、クラシックとジャズだ。ガイド本を参考にCDを買い漁ったが、熱はたちまち冷める。クラシックやジャズのファンも成熟度で俺と大差ないことに気付いたからだが、ミンガスの7枚を含め手元に残ったアルバムは貴重な財産である。

 義務教育も修了しないうちにジャズから離れたので、ライブ映像を見ても〝バンドの工学〟が理解できない。ステージ左端に立つミンガスは、アイコンタクトするわけでもなく黙々とベースを弾く。葉巻を燻らせながら、不機嫌そうにメンバーのソロを見ていた。

 ミンガスは強烈な磁力でバンドを支配しながら、隔絶した個として自らの内面と向き合っていたのだろう。ミンガス直筆の楽譜がクローズアップされたラストも印象的だった。ミンガスのバンドでは、即興とコントロールがバランス良く保たれていた。

 ミンガスは黒人差別に真っ向から挑んだ。「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」(60年)収録の「フォーバス知事の寓話」は公民権運動の先駆けといっていい作品だ。ホスト役のピーター・バラカン氏によると、ミンガスはクラシックを志向しながら、黒人ゆえ道を閉ざされたという。ほろ苦いクラシック体験を礎に、ミンガスは傑出した作曲家、バンドリーダーとしての名声を勝ち取ったのだろう。

 映像の中のミンガスは死の4年前で、俺とほぼ同年齢の53歳だった。哲学者の如き孤高と深みを滲ませるミンガスと比べ、我が身の軽さに愕然とする。年相応の成熟ぐらい身に付けたいが、即効性のある手段なんて見当たらない。

 一国の首相でさえ、孤高とも磁力とも無縁だし、下々の俺が力んだところで何の意味もないけれど……。


 
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政界、将棋、野球にゴルフ~夏に闘う者たち

2009-07-20 04:19:12 | 戯れ言
 反麻生グループの体たらくにはあきれ果てた。<竹中―小泉路線>支持の中川秀直氏、全否定の加藤紘一氏が、〝敵の敵は味方〟の論理で手を組んでいた。〝改革〟で厚化粧する小池百合子氏を〝元同志〟の石原伸晃副幹事長が締め付けるという構図に、釈然としないものを覚える。

 ビジョン、義理と人情、信念抜きに利のみで迷走する選良の姿は、夏に喘ぐ者の目にどう映るだろうか。俺は反貧困ネットワークの賛助会員として、同会主催の「選挙目前~私たちが望むこと」(31日、総評会館)に足を運ぶ。自分ができることを見つられたら幸いだ。

 羽生棋聖が1勝2敗から連勝してタイトルを防衛した。羽生自身が「不甲斐なかった」と振り返ったように、内容では木村8段が勝っていた。その木村は挑戦者として臨んだ王位戦で幸先いいスタートを切った。深浦王位と木村は粘り強さに定評がある。真夏の王位戦は〝暑苦しい納豆対決〟になりそうだ。

 甲子園地方予選も佳境に入りつつある。成長期の肉体にとって過酷なスケジュール、有力校監督のエゴ、主催紙の偽善的報道……。この数十年、矛盾は何一つ解消されていないが、人を育てるのは温室ではなく、理不尽かつ不合理な環境であることを甲子園は教えてくれる。現役メジャーリーガーも甲子園組もしくは、常連校で鍛えられた選手たちだ。

 ターフでの注目は、高額馬も多く走る3歳未勝利戦だ。サラブレッドは経済動物で、一つの勝利に多くの人の利害が絡んでいる。10月上旬まで未勝利のままだと地方転出を余儀なくされるから、投資回収に躍起になる各陣営にとって瀬戸際の闘いが続く。

 POG指名馬が3頭デビューした。エーシンリジルは7、11着と期待外れだったが、初戦3着のテラノインパルスは直線が長い新潟でチャンスがありそうだ。新馬勝ちしたシンメイフジは、武豊が祖母シンコウラブリィと比べて絶賛していた。話半分としても、次走(ダリア賞)に期待が膨らむ。今週末はアマファソンが札幌でデビューする予定だ。

 大混戦の全英オープンに、寝るタイミングを失してしまった。世界の猛者が移ろいやすい天候と難コースに挑むサバイバルマッチを制したのは、序盤テレビに映らなかったシンクだった。プレーオフで敗れた還暦間近のワトソンに拍手を送りたい。昨年のノーマンに続き、老雄が最後で力尽きる展開になったが、記憶に残るドラマだった。

 仕事の上では、7月末からハードな日々が続く。交代で夏休みを取るため、一人当たりの負担が増えるからだ。ちなみに俺は、10月末に休暇を申請した。POG指名馬が出走すれば、京都競馬場に足を運ぶつもりでいる。



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「楽園への道」~限りない自由を希求した祖母と孫の物語

2009-07-17 03:13:09 | 読書
 カズオ・イシグロと高村薫が現役日本人作家の2トップで、次代を担うのが平野啓一郎と考えている。イシグロの「夜想曲集」、平野の「ドーン」を先日購入し、高村の新作「太陽を曳く馬」が24日に発刊される。ヒートアイランドより暑い〝読書の夏〟になりそうだ。

 同条件で世界最高の作家を挙げるならバルガス・リョサだ。フロベールの全体小説のテーゼ、ドストエフスキーのスケール、フォークナーの手法を継承した上で〝マジックレアリズム〟を構築したリョサは、ガルシア・マルケスとともに南米文学の巨峰である。

 リョサの最新邦訳「楽園への道」(河出書房新社)を読了した。前衛的かつ高密度の作品群の中では最も読みやすい部類といえる。「スカートをはいた扇動者」フローラ・トリスタン、「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャン……。祖母と孫が孤独な死に至る晩年が描かれている。

 淡々とした筆致は「世界終末戦争」を想起させるが、リョサらしい工夫も凝らされている。フローラを「アンダルシア女」、ゴーギャンを「コケ」など幾つもの愛称で呼ぶ語り部(作者自身)の声を織り交ぜたことで、作品に遠近法が加わった。20㌻ごとのカットバックで稿を進めたことで、祖母と孫の人生が交錯し、複層的な構造を獲得している。

 「ゴーギャン展」(東京国立近代美術館)に展示されている代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の制作過程も丹念に綴られていた。「月と六ペンス」のモデルであり、死後1世紀を経ても評価は褪せることはない。一方の祖母フローラについては、本書で初めて知った。アンチ男性優位を声高に叫んだ最初の女性だが、フェミニズム正史からも抹殺された無名の存在といえる。

 前々稿で記した「重力ピエロ」のキーワードは、<人間の行動を決めるのはDNAか環境か>だった。絶対的自由を希求し、既成概念と闘った祖母と孫の強烈な生き様に触れる限り、本書に示された〝解答〟は明らかにDNAだ。

 祖母と孫の<第1の共通点>は性的魅力だ。フローラは死を迎える直前(享年41歳)まで男たちを惑わしたが、すべての申し出を拒否する。対照的に孫のゴーギャンは<欲望こそ制作の原点>を実践していた。

 分野を問わず革命家は、性的モラルを逸脱するケースが多い。結婚生活で経験した性的隷属への嫌悪から男性とのセックスを忌避したフローラは、自身のレズビアン的傾向に気付く。ゴーギャンが強度のロリータコンプレックスだったことは、本書につぶさに描かれていた。

 晩成型が<第2の共通点>だ。フローラは不幸な結婚と男性に有利な法制度から逃れるためにパリを離れ、英国とペルーで流浪生活を余儀なくされる。アカデミスムや諸党派と距離を置きつつ牙を磨き、女性の地位向上を唱えて論陣を張るが、男性優位に囚われた他の運動体と摩擦が生じる。激情に駆られたフローラを周囲は「怒りんぼう夫人」と呼んだ。

 本書には19世紀ヨーロッパの社会主義、共産主義の萌芽が記されている。無数のグループが覇を競ったが、フローラの死後4年、1848年に出版された「共産党宣言」(マルクス&エンゲルス)の独り勝ちになる。本書にはフローラがマルクスの拙いフランス語をやり込めるエピソ-ドが記されているが、マルクスは<女性と労働者の同時解放>というフローラの主張を高く評価していたという。

 ゴーギャンが自らの才能に気付いたのは35歳で、ブルジョワとしての生活と妻子を捨て、芸術家の道を歩み始める。画壇から手ひどい評価を受け、ゴッホとの共同生活が悲劇的結末を迎えたゴーギャンは、タヒチに生の原点と癒しを見いだした。キリスト教と西洋的倫理観を全否定したゴーギャンの精神は、作品に深く刻印されている。

 <第3の共通点>は肉体に宿痾を抱えていたことだ。フローラの体には妻を所有物とみなす夫――21世紀の日本にも散見するが――から受けた銃弾が埋まっていた。死の床に伏すフローラの最期を看取った男の正体を知り、愛の深さと救いを覚えた。

 奔放さと引き換えに梅毒に蝕まれたゴーギャンは、画家として何より大切な視力を奪われていく。朦朧とする意識の中、ゴーギャンが夢見た最後の楽園は日本だった。本書にはゴーギャンの版画に対する限りない敬意が描かれている。

 「楽園への道」のタイトルは、キリスト教圏の子供の遊びから取られている。日本でいえば鬼ごっこみたいなものだろう。楽園とはきっと、限りない自由を希求して飛翔する魂の中にのみ存在する土地なのだ。



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キュアーナイト、都議選、UFC~日曜夜の充実した過ごし方

2009-07-14 01:28:26 | 戯れ言
 一昨日の日曜日(12日)、「キュアーナイト」に参加した。外国人の姿も目立つなど昨年以上に盛況だったが、俺は今回も置物状態だった。ロバート・スミスはポール・マッカートニーに匹敵する<ポップの神>だが、そんなキュアーをもってしても、俺の体は固まって動かない。

 第4回(来年)は同行者(もちろん女性)を募集しよう。状況によっては、勢いで踊ってしまう可能性もある。もしも「クラッシュナイト」だったら、フロアに繰り出したかもしれない。俺の体にはパンクのライブで体験した縦揺れが染み付いているからだ。

 翌日の仕事の準備(データチェック)もあり、8時過ぎに引き揚げて都議選の開票速報を見た。4年前の郵政選挙の時も感じたが、いたぶる側と痛めつけられる側が浮き彫りになる政界は、SMショーの如き様相を呈している。閉塞感打破の観点から民主躍進は好ましいが、地道な活動を展開している生活者ネットワークの後退は残念だった。

 投票率10%アップにも関わらず全員(23人)が当選を果たした公明党こそ、真の勝者かもしれない。俺にとって創価学会は面妖で危険な存在だが、内側から見える景色は違うようだ。相互扶助が行き届いた温室、個々に生きがいを与えるコミュニティーという側面も否定できないが、上意下達と高温多湿が嫌いな俺には向かない組織である。

 宗教団体といえば、幸福の科学が馬脚を現した。清和会とパイプを持ち、丸川珠代参院議員や森田健作千葉県知事の当選に寄与したと広言していたが、身の丈がバレてしまう。心配なのはカルト化だ。選挙後、根拠のない〝権力の介入〟を訴えたオウムと同じ轍を踏まぬことを願いたい。

 麻生首相は<21日解散、8月30日総選挙>の意向を表明したが、自民党内に様々な動きがあり、すんなり進まない可能性もある。ともあれネタ枯れの夏、床屋政談風にあれこれ書く機会が増えそうだ。

 都議選の大勢が早々に決したので、WOWOWで「UFC100」を見る。秋山成勲のデビュー戦、ブロック・レスナー(王者)とフランコ・ミア(挑戦者)のUFCヘビー級タイトルマッチと、100回記念に相応しいラインアップを堪能した。打撃では分が悪かったが秋山だが、グラウンドでの優位が評価され2―1の判定で初戦を飾る。

 レスナーの強さは圧倒的で、クートゥアに続き強豪ミアを2RTKOで葬った。WWE時代はマイクパフォーマンスが下手だったが、オクタゴンではヒールに徹して吠えまくっていた。レッスルマニア19でカート・アングル(五輪王者)との究極のプロレスマッチを制したレスナーだが、WWEは安住の地ではなかった。NFL挑戦(ケガで挫折)など紆余曲折を経て、ガチンコ界トップに君臨するレスナーの今後に注目したい。



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「重力ピエロ」が問いかける<善悪の彼我>と<罪と罰>

2009-07-11 05:41:21 | 映画、ドラマ
 吉田拓郎が体調不良で4公演をキャンセルした。洋楽ロックに純化した80年以降は距離を置くようになったが、俺がカラオケで人並みに歌えるのは拓郎以外、甲斐バンドぐらいのもの。今回のリタイアは残念だが、静養に努めて復帰し、中高年の魂に火を灯してほしい。
 
 仕事帰りに有楽町で、ベストセラー小説(伊坂幸太郎著)の映画版「重力ピエロ」(08年、森淳一)を見た。1週間以上たったので細部の記憶は薄れたが、そのぶん輪郭がくっきり浮き上がってきた。

 良質のミステリーは<善悪の彼我>と<罪と罰>を私たちに突きつける。「重力ピエロ」は「容疑者Xの献身」で湯川(福山雅治)を苦悶させた二つの命題から逃げることなく、軽やかにクリアしていた。刑事(警察)が主役ではないからこそ可能だったと思う。

 「春が、2階から落ちてきた」……。オープニングとラストの台詞はともに、主人公である泉水(加瀬亮)のモノローグだ。本作は現在を基点に、30年の時を行き来する奥野家の物語だ。欠片になった時間が再構成されていくが、スタッフの力量の賜物か、違和感は一切覚えなかった。

 アンバランスとしか言いようのない父(小日向文世)と母(鈴木京香)との出会い、結婚、泉水の誕生……。ささやかな幸せは暗転し、春(岡田将生)が生まれた後、家族は重力に支配されるようになる。周囲の偏見や母の事故死に耐えながら、「俺たちは最強の家族だ」と繰り返す父の言葉は、異質に見える兄弟を同じ行動へと導いていく。

 仙台市内で放火事件が連続して起きる。大学院生の兄と自称〝落書き消し〟の弟は、現場近くに残された抽象画とメッセージの謎に迫っていく。角度や高度を変えて眺めていくうち、泉水はナスカの地上絵を目の当たりにしたような衝撃を覚える。科学に裏打ちされた意図に気付いたからだ。

 <人間の行動を決めるのはDNAか環境か>……。本作のキーワードは泉水が通う大学の教室のシーンで提示される。見る者は片方に傾斜していくが、ラストで〝正解〟が提示される。

 潔癖さ、天才的資質、常軌を逸する振る舞い……。春の個性を説明なく納得させてしまう岡田のルックスが、本作を秀作から傑作に引き上げた。「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンと比べるのは褒めすぎとしても、岡田もまた悪魔的青年を演じられる俳優の一人だと思う。

 本作を底支えしていたのは、20代から50代までを巧みに演じ分けた小日向の実力だ。狂言回しの役割を担う春のストーカー、ナツコ(吉高由里子)は全身に整形を施したという設定で、ロボットのような動作と台詞が笑いを誘った。

 タイトルの意味はラスト近くのサーカスのシーン(回想)で明かされる。ピエロがブランコから落ちるのではと不安を隠せない幼い兄弟を母が包み込み、「私たち、そのうち宇宙に浮かぶかもね」と勇気付ける。

 冒頭で<善悪の彼我>、<罪と罰>と大上段に構えたが、本作には家族の癒やしと絆も十分に描かれている。最近の邦画のレベルアップを実感できる作品だった。




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七夕の夜、恋愛について考えた

2009-07-08 00:44:22 | 戯れ言
 昨日は七夕だった。ロマンチックな日のはずなのに、クリスマスやバレンタインに押されている。俺が明治やロッテの社員なら、七夕を書き入れ時にするために企画を練ったかもしれない。「七夕ぼた餅」なんて、確実にボツだろうけど……。

 日本で自由恋愛が浸透したのは1960年前後といわれている。この半世紀、手紙⇒電話⇒メールとツールは進化したが、<愛の形>は不変なのではないか。俺はJ―POPに疎いが、テレビで流れる歌詞の中身は昭和の流行歌と同じに聴こえる。純愛、情、絆といった不変の価値をテーマにした邦画も多い。

 その一方で、若年層カップルにおけるDVの蔓延、〝離活〟女性の増加などが頻繁に報じられる。そのまま信じたら日本は〝愛の砂漠〟だが、すべての恋(片思いも含め)は成り立ちも景色も違う。個別の事例を語ることで、結果として普遍に近づくしかないだろう。

 07年の年頭の誓いは<恋でもしようか>だった。2年半後の今、公約達成度は0%で、充実した孤独を楽しんでいる。対象がいないわけではない。魅力的な女性――当ブログ読者のあなた――は少なからず存在するが、自らブレーキを踏んでいる。

 理由はなぜか。自分が<人を正しく愛する資質>に欠けていることに気付いたからだ。40代なら修業を積んで晩年に備えることも可能だが、思い至ったのが50代では遅きに失したとしか言いようがない。ちなみに、<人を正しく愛する資質≒寛容&覚悟>と考えている。

 俺は見た目も冴えず、心根も卑しい男だが、別稿(5月24日)に記したように女性運はいい。タナボタで舞い上がっているうち、間を置いて落下した鉄鍋で脳天をしたたかに打ちつけられるというパターン繰り返してきた。まあ、結果としては恋愛敗者だが、自らの経験に基づく繰り言を以下に。

 日常を共有しているうちに親近感が生じ、好意を経て別の次元に飛躍するのが恋の自然の過程と、大抵の男は考えている。この<情が移る>という化学反応は、実は女性には起きにくいことを少し前に知った。この辺りの男女の感覚のズレが、時に悲喜劇を生む。さらに女性は感性と知性で男性を選ばない。このブログを読んで俺に惚れてくれるなんてことは、100%起こり得ないのだ。

 俺の周りには<寺山修司ファンの女>に痛い目に遭った男が結構いる。寺山ファン同士なら人生の深淵で寄り添えるかもしれない……。男はそんな幻想を抱いてしまうが、女性にとって文化もアクセサリーの一つであることを忘れてはいけない。マトモな私だけど、寝る前の30分間ぐらい歪んだ世界を覗いてみようかしら……。この辺りが自称寺山ファンの女性の本音で、化粧を落とした彼女は寺山ワールドと無関係の夢を見ながらスヤスヤ眠る。

 恋愛についての経験は、残念ながらDNAにインプットされることはない。人類は未来永劫、ゼロから恋愛をスタートし、ほんのわずか悟った時に死を迎える。

 実は今回、3年前の7月7日に死んだシド・バレットについて書くつもりだったが、考えがまとまらず駄文を垂れ流してしまった。来年の七夕は、シドとピンク・フロイドについて記すことにする。覚えていたらの話だが……。



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意志と知性で飛翔する者たち~ソニックス&マニックス

2009-07-05 02:06:34 | 音楽
 都議選、総選挙と政治の夏だが、国民の期待は温度計ほど上がらない。理想を説く政治家の貌に欲望と打算が滲んでいるからだ。 ほとんど同じ理由で、俺は〝良心的ロックスター〟にも不信感を抱いている。とはいえ、例外も存在する。今回は当ブログ御用達のアーティストについて簡単に記したい。

 まずは、インディーズに拠点を移して新作「ジ・エターナル」を発表したソニック・ユース。〝ノイズの洪水〟を予想していたが、<エターナル=永遠>というタイトルに相応しく、25年のバンド活動を凝縮したような音になっていた。

 轟音と静謐、エキセントリックと脱力感、歪みと調和……。ソニックスの最大の魅力はアンビバレントで、本作でもカオスから清冽と恬淡が立ち昇っていた。硬軟両様のナイフで聴く者を覚醒させる同世代のバンドは、意志と知性で老いを克服している。

 ソニックスは05年、フランスのロックフェスで実験性と即興性に溢れたパフォーマンスを披露した。その模様を収めた「NOISE」が11日から吉祥寺バウスシアターで公開される。ソニックスは前衛と革新を掲げるミュージシャンの結晶軸で、ニルヴァーナなど志の高いバンドをサポートしてきた。ボアダムズや少年ナイフなど日本のバンドとも、強い絆で結ばれている。

 DVD化されたマニック・ストリート・プリーチャーズの「エヴリシング・ライブ」を早速購入した。上昇気流に乗っていた97年、マンチェスターでのライブが収録されている。

 字幕付きの本作で、マニックスの真実に触れることができた。<希望はプロレタリアの中にある>、<自由が存在する時は、国家は存在しないだろう>etc……。開演前、スクリーンに大写しになるメッセージがマニックスの本質を表している。

 鋭く深く豊かな比喩に溢れた歌詞に、英国ではロックが文化であることを再認識する。ジェームズが「アルベール・カミュに捧げる曲です」と前置きして演奏した〝Motorcycle Emptiness〟は、以下のような歌詞で始まる。

 ♪文化は言語を破壊する 君の嫌悪を具象化し頬に微笑を誘う 民族戦争を企て他人種に致命傷を与え ゲットーを奴隷化する 毎日が偽善の中で過ぎ去り 人命は永遠に安売りされていく……

 バックステージの様子やファンの声も興味深いし、失踪したリッチーへの思いも伝わってくる。意志と知性だけでなく、悲劇性とスキャンダラスな側面もマニックスの魅力といえるだろう。

 上記の2バンドと同じ地平に立つのは、一貫して反グローバリズムを主張するレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、<大量生産=大量消費>のシステムに異議を唱えたパール・ジャムだ。ともに茨の道を歩むことを余儀なくされている。

 意志と知性といえば、パティ・スミスだ。今月30日、「ドリーム・オブ・ライフ」プレミアム先行上映会に、フジロック出演後に居残ったパティ本人が登場する。もちろん、チケットを取った。映画の内容とイベントの模様は、当ブログで紹介するつもりだ。
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プロレスの殉教者~三沢、ジェフ、そしてランディ

2009-07-02 00:39:03 | 映画、ドラマ
 妹が昨日(1日)退院した。とはいえ、今後も人工透析のための通院、筋力低下を補うリハビリと、闘病の日々は続く。妹を支えてくれた親戚、友人、病院スタッフの皆さまに、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたい。

 心配な知らせもある。当ブログの読者であり、妹を気遣うコメントも寄せていただいたマイミクのかれんさんが、先日入院された。一日も早い快復を祈るばかりである。

 さて、本題。今回は「レスラー」(08年、アロノフスキー)について。いずれDVDでご覧になる方も多いと思うので、出来るだけファジーに記すことにする。

 <俺は無鉄砲だから、いつ死んでもおかしくない。後先考えず闘うことは破滅ではなく、魂の救済なんだ……>

 WWEで最も熱い声援を浴びる〝リング上のカート・コバーン〟ことジェフ・ハーディーは、マイクパフォーマンスでも観衆を痺れさせる。先日放映されたPPV「エクストリーム・ドリームス」では、緻密で危険なラダーマッチでファンの度肝を抜いた。

 WWEのファンは、ジェフが三沢とは別の形で殉死するのではないかと危惧している。「レスラー」でミッキー・ロークが演じたランディもまた、プロレスの〝冥府魔道〟に踏み入れたレスラーといえるだろう。
 
 ランディのモデルは誰か? 華麗な空中技の使い手だったリッキー・スティムボート、老いてハードコア路線に転じたテリー・ファンクのイメージを合わせた感じだ。

 マジソンスクエアガーデンで80年代、メーンを張ったランディだが、栄光は色褪せた。トレーラーハウスで暮らし、スーパーで働きながらインディー団体を転々としている。肉体は悲鳴を上げ、心は孤独……。ランディの生き様は、ロークとそのまま重なっていた。

 筋肉の鎧を纏い、壮絶な流血マッチをリアルに演じたロークに一歩も譲らないのは、熟女ストリッパーのキャシディを演じたマリサ・トメイだ。40代とは思えない引き締まった肢体と切ない表情に、追い求めてやまない〝背徳の彼方の純潔〟を見た。

 高評価が定着した本作だが、俺は納得していない。人生の底を見た中年男女の相寄る魂を軸に展開すれば、良質のラブストーリーとして記憶に残ったはずだが、ランディの娘ステファニーが登場してから、不要な枝葉が目立つチープなドラマに堕していく。だが、ロークとトメイの入魂の演技に触れるだけで、一見の価値ありといえる作品だ。

 「レスラー」を見て、プロレス界は厳しいと誤解される方もいるかもしれないが、実態とは程遠い。WWEビンス・マクマホン会長は、敵陣に寝返り自らを批判したフレアー、ホーガンを許すほど懐が深い。ビンスが実在の〝80年代の大スター〟の窮状を知れば、確実に手を差し伸べるだろう。ちなみにロークは今春、「レッスルマニア」の舞台に立ち、ジェリコにKOパンチを浴びせている。

 給湯システムが不調を来し、25年ぶりに銭湯に行った。十分快適だったが、鏡に映るわが肉体にゲンナリする。4歳上のロークは実に偉大だ。休みの日は断食でもするか。

コメント (2)
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