文在寅大統領と金正恩朝鮮労働党委員長による「板門店宣言」を世界が歓迎した。朝鮮半島の完全非核化実現を、俺のように世を斜めに見ているひねくれ者でさえ願っている。むろん、〝裏〟を勘繰りつつだが……。日韓併合以降、創氏改名、強制連行、慰安婦問題など、朝鮮半島に大きく関わってきた日本は、一連の流れの中で蚊帳の外に置かれていた。
金委員長は〝機転が利いてユーモアもある〟らしいが、俺はそんな評価に疑義を抱いている。ここ数年、北朝鮮で起きていたことを勘案すれば、金委員長は間違いなく冷酷な独裁者だ。DVで家族に塗炭の苦しみを味わわせながら、世間的にはエンターテイナー? そんな人間を信じるわけにはいかない。
先日は第16回オルタナミーティング「遠藤ミチロウ シネマナイト」(高円寺グレイン)に足を運んだ。「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」(2015年、遠藤ミチロウ監督)は2度目の観賞だったが、最初見た時と印象が大きく変わっていた。
3・11を挟んだ時期のツアーを追っている。スターリンとしてのアナーキーで暴力的なパフォーマンス、アコギ一本の叙情的なステージ……。狂気と繊細のアンビバレンツこそミチロウの魅力だが、本作のテーマは<家族、故郷との絆>であることに気付いた。
三角みづ紀(詩人)との対談で、<子供がいないから、結果として親離れ出来ない>と互いの中に自分を見ていた。ミチロウは3・11から5カ月後、実家を訪れる。母への思いは、後半に紹介する「膠原病院」にも記されていた。山形大学入学後は革命を目指し、卒業後は世界を漂浪した。〝悪名高き〟スターリンを結成したことで、母とも疎遠になる。地震と原発事故が母と息子を繋ぐきっかけとなった。
三角との交遊、ファンだった吉本隆明の著書で知った島尾敏雄と父を重ねるなど、ミチロウには文学の薫りが漂う。関連のCDは「FUKUSHIMA」一枚しか持っていないが、本作で流れた曲が収録されたアルバムも聴きたくなった。
俺がミチロウのステージに初めて接したのは、オルタナミーティングでのPANTAとの共演だった。大学時代、お世話になった先輩と同窓(福島高)で、亡き妹と同じ膠原病を発症したことを知り、親近感は増した。女性に多い病気だが、還暦を過ぎて発症したミチロウは、14年7月から8月にかけて50日間、入院する。病床で書き続けた49篇の詩を収録したのが「膠原病院」(アイノア刊)である。
闘病記でもある本書で、ミチロウは死と向き合っている。「あからさま」では「とうとう寿命が尽きたんだ 自分はここまでだったのか あからさまになる日が 耳鳴りで聴こえない」と記している。死と向き合えばおのずと来し方――嘘、失敗、愚行の数々――が「牙をむく」。「墓場で」では「墓場がどんなに放射能に汚染されても 墓場が僕のふるさとだから」と絶望を綴っていた。
「不治の病」では、「不治の病は気づかぬ内に 人間そのものが不治の病」と自分と日本社会を重ねていた。「不幸」では「ただ不幸を弄ぶことはできる 表現者ならそれぐらい開き直れ 不幸は表現の肥やしだぞ」と萎えそうな自分を叱咤する。ミチロウは退院後、病と闘いながら身を削っているのだ。
キミと猫たちへの思いが綴られる〝愛の詩集〟という側面もある。「言いたいことは」の「二人の間には川がある ずぶ濡れになっても洩れる 同じ思いの川がある 今日は氾濫しそうだ」は、そのまま歌詞になりそうなフレーズだ。むろんミチロウらしく、自虐的、偽悪的で猥雑な表現もちりばめられている。
「ヒロシマ 2014・8・6のフクシマ」では、「神様は試した どれだけ人間が愚かなのか (中略)僕らは試した 自分達の愚かさを 二度目は自爆した ヒロシマからフクシマへ 放射能の想いが通じた」と綴られている。反原子力の願いは「長崎原爆の日」にも込められていた。
15階の病室から東京の下町を俯瞰しつつ、ミチロウは隅田川花火大会にインスパイアされ、東京大空襲に思いを馳せる。「10万人の人達の魂が 赤いホタルになって 帰ってきたんだきっと」と綴られた「赤いホタル」にミチロウの才能が迸っていた。
仕事場への往復や喫茶店で読書しながら、しょぼしょぼさせた目が濡れていることがたびたびある。「膠原病院」、そして次に紹介する「苦界浄土」(石牟礼道子)が俺の心を潤してくれた。GWは京都に帰省する。妹の七回忌も営まれる。
金委員長は〝機転が利いてユーモアもある〟らしいが、俺はそんな評価に疑義を抱いている。ここ数年、北朝鮮で起きていたことを勘案すれば、金委員長は間違いなく冷酷な独裁者だ。DVで家族に塗炭の苦しみを味わわせながら、世間的にはエンターテイナー? そんな人間を信じるわけにはいかない。
先日は第16回オルタナミーティング「遠藤ミチロウ シネマナイト」(高円寺グレイン)に足を運んだ。「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」(2015年、遠藤ミチロウ監督)は2度目の観賞だったが、最初見た時と印象が大きく変わっていた。
3・11を挟んだ時期のツアーを追っている。スターリンとしてのアナーキーで暴力的なパフォーマンス、アコギ一本の叙情的なステージ……。狂気と繊細のアンビバレンツこそミチロウの魅力だが、本作のテーマは<家族、故郷との絆>であることに気付いた。
三角みづ紀(詩人)との対談で、<子供がいないから、結果として親離れ出来ない>と互いの中に自分を見ていた。ミチロウは3・11から5カ月後、実家を訪れる。母への思いは、後半に紹介する「膠原病院」にも記されていた。山形大学入学後は革命を目指し、卒業後は世界を漂浪した。〝悪名高き〟スターリンを結成したことで、母とも疎遠になる。地震と原発事故が母と息子を繋ぐきっかけとなった。
三角との交遊、ファンだった吉本隆明の著書で知った島尾敏雄と父を重ねるなど、ミチロウには文学の薫りが漂う。関連のCDは「FUKUSHIMA」一枚しか持っていないが、本作で流れた曲が収録されたアルバムも聴きたくなった。
俺がミチロウのステージに初めて接したのは、オルタナミーティングでのPANTAとの共演だった。大学時代、お世話になった先輩と同窓(福島高)で、亡き妹と同じ膠原病を発症したことを知り、親近感は増した。女性に多い病気だが、還暦を過ぎて発症したミチロウは、14年7月から8月にかけて50日間、入院する。病床で書き続けた49篇の詩を収録したのが「膠原病院」(アイノア刊)である。
闘病記でもある本書で、ミチロウは死と向き合っている。「あからさま」では「とうとう寿命が尽きたんだ 自分はここまでだったのか あからさまになる日が 耳鳴りで聴こえない」と記している。死と向き合えばおのずと来し方――嘘、失敗、愚行の数々――が「牙をむく」。「墓場で」では「墓場がどんなに放射能に汚染されても 墓場が僕のふるさとだから」と絶望を綴っていた。
「不治の病」では、「不治の病は気づかぬ内に 人間そのものが不治の病」と自分と日本社会を重ねていた。「不幸」では「ただ不幸を弄ぶことはできる 表現者ならそれぐらい開き直れ 不幸は表現の肥やしだぞ」と萎えそうな自分を叱咤する。ミチロウは退院後、病と闘いながら身を削っているのだ。
キミと猫たちへの思いが綴られる〝愛の詩集〟という側面もある。「言いたいことは」の「二人の間には川がある ずぶ濡れになっても洩れる 同じ思いの川がある 今日は氾濫しそうだ」は、そのまま歌詞になりそうなフレーズだ。むろんミチロウらしく、自虐的、偽悪的で猥雑な表現もちりばめられている。
「ヒロシマ 2014・8・6のフクシマ」では、「神様は試した どれだけ人間が愚かなのか (中略)僕らは試した 自分達の愚かさを 二度目は自爆した ヒロシマからフクシマへ 放射能の想いが通じた」と綴られている。反原子力の願いは「長崎原爆の日」にも込められていた。
15階の病室から東京の下町を俯瞰しつつ、ミチロウは隅田川花火大会にインスパイアされ、東京大空襲に思いを馳せる。「10万人の人達の魂が 赤いホタルになって 帰ってきたんだきっと」と綴られた「赤いホタル」にミチロウの才能が迸っていた。
仕事場への往復や喫茶店で読書しながら、しょぼしょぼさせた目が濡れていることがたびたびある。「膠原病院」、そして次に紹介する「苦界浄土」(石牟礼道子)が俺の心を潤してくれた。GWは京都に帰省する。妹の七回忌も営まれる。