酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

貧困解決に向けどう関わるべきか

2009-06-29 00:27:34 | 社会、政治
 マイケル・ジャクソンの死が波紋を広げている。彼の音楽に関心を抱いたことはなかったが、同世代の天才の死を心から悼みたい。

 <黒人って格好いい>がロック誕生の原動力で、エルビス、ストーンズ、フーはモータウンを教科書に基礎を築いた。そのモータウンからデビューしたマイケルだが、真逆の道を歩み、<白人になりたい>という実現不可能の夢にとり憑かれる。マイケルは死によって孤独、苦悩、絶望から解き放たれたのではないか。

 橋下、東国原両知事の背後に潜むシナリオライターに警戒が必要だ。両者が真っ当なら、片山善博、田中康夫、橋本大二郎、浅野史郎、北川正恭といった知事経験者の各氏と連携しているはずだが、そんな様子はない。地方分権は確かに一つの争点だが、腐敗と堕落がメディアで報じられる自治体(特に関西)に財源が移譲されたら、利権集団との夥しい癒着が横行するはずだ。

 現在日本の最大の課題といえる貧困をテーマに据えた「朝まで生テレビ!」(26日深夜)で、湯浅誠氏(反貧困ネットワーク事務局長)、雨宮処凛氏(同副代表)から、貧困と自殺の連鎖などシビアな現実が提示される。〝東京ウオーカー〟たる俺もホームレスの低年齢化をこの目で確認しているが、自助努力を強調するパネリストもいた。

 事態が深刻であることは理解できても、有効な処方箋が提示されない。福祉と社会保障の拡充は必要だが、企業への増税に財源を求める意見に対し、国際競争力の低下を招くとの理由で反論が出るなど、堂々巡りのうちにジ・エンドとなった。

 視聴者は貧困解決の方法として、政権交代をトップに挙げていた。違和感を覚えたが、政権交代が閉塞感を打破することは言うまでもない。<選挙≒革命>の構図が、この国で出来上がりつつあるようだ。

 俺が学生だった頃も、日本は多くの矛盾を抱えていた。抗議の声を上げたこともあったが、経済に関しては楽観論に捉われていた。中庸を好む日本人はいずれ〝エコノミックアニマル〟から脱却し、身丈に合った繁栄を求めるのではないかという……。

 あれから30年、膨張した身丈は破裂して、今じゃ裸体を覆うことさえ難しくなっている。欧州各国の手厚い社会保障と医療制度、食料自給率と環境保護を目の当たりにして、〝世界2位の経済大国〟が幻想に過ぎなかったことに思い至る。

 今年最初のブログでは、ミューズの「ナイツ・オブ・サイドニア」の歌詞に乗って<決起宣言>したものの、1カ月足らずで個人的な状況に変化が起きた。好条件の仕事を得たとはいえ、拳を下ろすわけにもいかないから、反貧困ネットワークの賛助会員になった。それぞれが出来る範囲で関われる緩やかな形態であることも、入会理由の一つである。

 仕事とブログの両立で精いっぱいだから、元日時点で決意していた実践には至らず、少額寄付者にとどまっている。現状ままでは申し訳ないので、会が主催するシンポジウムに参加してブログで紹介するなど、活動の幅を広げていきたい。

 再読した「ペスト」で<自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです>というランベールの言葉に感銘を受けた。ペストの主要人物のように高尚には生きられないが、「俺は人間だ」と誇りうる理由を見つけられたら幸いだ。

 最後に、ミューズの5thアルバムのタイトルが“Resistance”(抵抗)に決まった。彼らが果たして<スペースミュージックとラディカリズムの融合>という奇跡を成しえたのか、今から発売日(9月)が待ち遠しい。




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真摯で清々しい名人戦~郷田に〝三度目〟はあるか

2009-06-26 02:41:59 | カルチャー
 橋下大阪府知事、中田横浜市長らによる〝反霞が関〟の狼煙に、永田町が動揺している。政策だけなら民主党支持を打ち出すはずだが、一寸先は闇の政界ゆえ、何が起きても不思議はない。

 自民党の悪あがきが目立っている。大山鳴動で這い出てきた鼠男(東国原宮崎県知事)は町村派に加わるらしいが、マスコミへの露出を控えた方がいい。高尚とは言い難い政治屋の品性が、映像に滲んでいるからだ。

 自己顕示欲と保身に彩られた泥仕合も面白いが、胸を揺さぶられるのは真摯で清々しい闘いだ。フルセットの名人戦は、羽生が連勝で逆転防衛を果たした。2年前に続き、ほんの数㌢の差で夢を掴み損ねた郷田9段だが、将棋の格は名人に相応しいことを証明した。〝三度目の正直〟での戴冠を願ってやまない。

 郷田が3勝目を挙げた第5局は、俺の目に大差と映った。序盤でダウンした羽生が終始ロープを背負い、戦意喪失に至ったと理解していたが、実際は逆転の目もあったという。羽生が一方的に攻めていたはずの最終局だが、2日目夕方時点で渡辺竜王と先崎8段は、郷田のカウンターパンチが炸裂する可能性をも示唆していた。

 同世代のライバルが紡んだ将棋は俺の理解を超えていたが、文系人間としては両者の表情や指し手から、気概、美学、覚悟、忍耐、決意、矜持といった抽象的な感覚を楽しむしかない。頭脳と精神を総動員し、最後は指運に身を預ける将棋の深さを堪能したシリーズだった。

 名人戦の激闘の陰で、地殻変動が起きている。東高西低が定着して20年、ニーチェを読む〝怪物〟糸谷5段を筆頭に、関西で若手四天王がブレーク中だ。棋聖挑戦者決定戦で敗れた稲葉4段も四天王の一人だが、その俊英に公式戦で苦杯をなめさせた女子高生の里見倉敷藤花も関西所属だ。久保が念願のタイトル(棋王)を獲得し、〝棋界の暴言王〟山崎7段がA級入りに向け2連勝(B級1組)と好スタートを切るなど、兄貴分も頑張っている。

 残念ながら将棋は、若年層に浸透していない。同じく日本文化の象徴といえる落語がファン層を広げていることは、大銀座落語祭の稿(08年7月22日)に記した通りだ。キャラが濃い関西若手棋士の台頭で東西対決、世代対決の機運が盛り上がれば、将棋も落語同様、斜陽産業から脱却する可能性がある。

 昨日(25日)、宝塚記念の枠順が確定したが、気合はゼロだ。俺にとって今週のGⅠは、POG指名馬エーシンリジルが強敵に交じって出走する土曜阪神の新馬戦なのだ。素質馬がズラリと並ぶだけに、多くは望めない。今後に繋がる内容なら良しとしよう。

 POGといえば、産駒を5頭指名したアグネスタキオンが急死した。儲けたい人間たちに過度の負荷を掛けられていたことは想像に難くなく、死は〝お務め〟からの解放だったのだろう。死んだ種牡馬の仔は走るとの格言があり、俺が選んだ馬の活躍を期待している。


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CSI、モンク、臨場~テレビ大好き中年の独り言

2009-06-23 00:41:01 | 映画、ドラマ
 不況の折、花火大会の中止が相次いでいるという。日本人が花火に惹かれるのは、それぞれのささやかな夢が光の輪に重なり、生の輝きと儚さを一瞬で体感できるからだ。資金難なら派手な仕掛けはやめ、昭和の薫りがするレトロな花火大会を演出すればいいと思うのだが……。
 
 さて、本題。今回のテーマはテレビドラマだ。

 吉本隆明氏は40年以上前、<私ほどテレビを見ている男はいない>と記していた。聖徳太子クラスの氏のこと、テレビで大衆の意識の在り処を探りつつ、ペンをサラサラ走らせていたのだろう。

 大凡才の俺もまた、テレビ視聴時間は男性トップクラスだ。02年にはドラマもラインアップに加わり、同年スタートの「CSI科学捜査班」(WOWOW)と「相棒」(テレビ朝日)、04年スタートの「名探偵モンク」(衛星2)は現在も欠かせぬアイテムになっている。

 俺の中の<アメリカ人=能天気>という偏見を壊してくれたのが「CSI科学捜査班」だ。アメリカの闇と病理を抉り、胸に染みる人間ドラマは全米NO・1の視聴率を誇る。生々しい解剖シーン、ミイラ化した遺体、腐乱した内臓に巣食うウジ……。日本なら抗議殺到で放送中止に追い込まれる番組を、アメリカ人は家族揃ってピザを頬張りながら見ている。

 アメリカの若者は、人間が肉塊に変わる場面を戦場で目撃する可能性がある。いや、自らが物言わぬ骸になっても不思議ではない。戦時の国(アメリカ)と銃後の国(日本)では、〝残酷さ〟〝清潔さ〟〝人間らしさ〟の捉え方が根本的に違っているのだろう。

 放映中の「CSI――」第8シーズンは噂されるメンバー交代に向け、ダウナーなトーンが濃くなる一方だが、スピンオフ「NY」はシーズン3後半からの高揚感を維持したままシーズン4を終えた。鑑識官としての本分に忠実なグリッソム(本家)と対照的に、「NY」ではテイラーを筆頭に積極的に捜査に加わっている。アクティブを前面に、本家との差別化を図ったことが吉と出ているようだ。

 直感と観察力で勝負するのが「名探偵モンク6」で、アナログ中年男の推理は冴え渡っている。今シーズンも「100回目の罠」など秀逸なエピソードは多いが、俺は邪まな角度から番組を楽しみにしている。モンクの2代目アシスタント、ナタリーにぞっこんなのだ。〝清楚なアラフォー〟なんて存在するはずがないとお考えの方は、ぜひ現物を見てほしい。ちなみに、ナタリーの娘ジュリーを演じるのは。往時のブルック・シールズを彷彿させる麗しきティーンエイジャーだ。
 
 「相棒」以降、テレビ朝日の<水9>を惰性で見るようになった。出色だったのは昨年7~9月に放映された「ゴンゾウ」(全10話)で、雨の夜の銃撃事件の真相が、過去と現在をカットバックしながら明かされていく。緊迫感は「相棒」以上で、野性と情を表現する内野聖陽の熱演も見事だった。

 今年4月に始まった内野主演の「臨場」は「CSI」同様、鑑識と検視を扱うドラマだが、上述したような目を背けたくなるシーンはない。横山秀夫原作のテレビドラマはTBSの専売特許だったが、コンパクトな「臨場」も見応え十分で、あす(24日)の最終回が楽しみだ。

 「俺のとは違うな」「根こそぎ拾ってやれ」など印象的な台詞を吐く倉石は、一個の死体を通し、悲しき性、愛憎、葛藤を摘出していく。解決後に現場を訪れ、死者の無念に向き合うラストが印象的だ。孤独な変わり者を演じればピカイチの内野とは、来年「ゴンゾウ2」で再会することを期待している。


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「ハゲタカ」が奏でる資本主義へのレクイエム

2009-06-20 09:09:46 | 映画、ドラマ
 今年になって足繁く映画館に通うようになった。金曜は始業時間が遅いので、木曜が俺にとっての〝映画の日〟に定着しつつある。今回は「ハゲタカ」(09年、大友啓史監督)について記したい。

 史上最高のドラマに推す声も強い「ハゲタカ」(07年、NHK/6回)を再放送で見て、強い感銘を受けた。〝ハゲタカ〟ファンドを率いる鷲津(大森南朋)、鷲津のかつての上司でバンカーから企業再生家に転じる芝野(柴田恭兵)……。両者の葛藤と友情を推進力にしたドラマ版をスケールアップしたのが、映画版「ハゲタカ」だ。

 苛烈なエンターテインメントであると同時に、宿命と業に根差した寓話である本作は、遠からずNHKで放映されるはずだ。興趣を削がぬよう、内容の紹介は最低限にとどめたい。

 無名の中国系ファンド(ブルーウォーターズ)を率いる劉(玉山鉄二)が時の人となる。モノ作りの精神と伝統を象徴するアカマ自動車に敵対的買収を仕掛けたからだ。残留孤児3世を自称する劉の正体は? グループの実体は? 潤沢な資金(数十兆円)の背後で蠢く意志は? ストーリーが進むにつれ、謎と闇が曝されていく。

 アカマに転じ役員を務める芝野は、「あの人は死んだ」と囁かれていた鷲津を見つけ出す。恩讐と超え強い絆で結ばれた由香(栗山千明)、西野(松田龍平)、飯島(中尾彬)、鷲津にとって〝助さん格さん〟というべき中延(志賀廣太郎)と村田(嶋田久作)もドラマ版同様、存在感は十分だった。

 豊富な資金を誇る側が勝利に近く、敗北は文字通り死に繋がる……。本作を見る限り、マネーゲームの本質は丁半博打と変わらないが、度胸と知恵で〝桶狭間〟を実現することも可能なのだろう。鷲津が仕込んだ毒は、敵のみならず<狂気のシステム=金融資本主義>まで痺れさせていく。

 ドラマ版で<知・理・利>を規範とする新自由主義者として登場した鷲津だが、回を重ねるごとに仮面は溶けていく。映画版で鷲津を追い詰めた劉はアメリカ時代、鷲津の部下だった。<芝野―鷲津>を置き換えた関係だが、劉の心身に流れていたのもまた、煮えたぎる真っ赤な血だった。

 身を焦がす憧れと希望に衝き動かされ、<情・義・信>に生きるからこそ、死の淵に身を置くことが出来るのだ。闘いの後、鷲津は芝野に「劉はあなたと同じ人間です」と語り、劉の生まれ故郷に向かう。ストイックで孤独な3人の生き様が胸に迫った。

 「21世紀の歴史」(ジャック・アタリ著)が歴史的名著の座から転落した経緯は別稿(09年4月8日)に記した通りだが、「ハゲタカ」も同じ轍を踏む可能性があった。サブプライムローン破綻⇒世界同時不況、そして自動車メーカーによる派遣切り……。制作サイド、スタッフ、キャストはクランクイン前後のドラスティックな変化に対応し、本作の価値を高みに押し上げた。追加キャラに違いない派遣工の守山(高良健吾)も重要な役割を果たしている。

 「日本は生ぬるい地獄」(劉)、「資本主義では、自分が強くないと人を殺してしまう」(鷲津)……。記憶に残る台詞がちりばめられていたが、肝というべきはラストに用意されていた。「これからどうする」と芝野に問われた鷲津は、「資本主義の焼け野原を見てきます」と答える。

 資本主義という過酷な戦場で、ハゲタカは傷ついた獲物に近づき、内臓を食い荒らしたが、ゼネラルモーターズが実質国営化の道を歩むなど、この半年で景色は様変わりした。焼け野原と化した戦場では、資本主義の死を悼む弔鐘が打ち鳴らされている。

 エンディングで鷲津は、寒々とした荒野にひとり佇む。心優しきハゲタカに、舞う機会は再び訪れるだろうか。


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夢を紡ぐ日々の始まり~POGドラフトを終えて

2009-06-17 00:48:43 | 競馬
 大統領選の結果にイランが大揺れだ。敗北したムサビ候補(元首相)を支持する民衆が、アフマディネジャド大統領側による不正があったとして抗議行動を展開している。

 メディアが伝える<アフマディネジャド(反米派)=悪、ムサビ(改革派)=善>の構図に乗せられていたが、重信メイさんが「ニュースの深層」で〝別の側面〟を伝えていた。世論調査を実施した米リサーチ機関によると、選挙結果は民意の正しい反映だという。アメリカの利害に左右される〝ニュースの表層〟に踊ることなく、イランの今後を見守りたい。

 さて、本題。先日(14日)、ペーパーオーナーゲーム(POG)のドラフト会議に参加した。4時間弱の緊張をお好み焼き屋でほぐし、二次会では数年ぶりにカラオケを楽しんだ。俺はざっくばらんでスケベな暴言男だが、人見知りゆえ打ち解けるのに時間がかかる。魅力的な熟女たちの前で本性を曝け出さずに済んだのは幸いだった。

 前回はセイウンワンダーのおかげで4角までトップをキープしたが、直線で力尽き4位(12人中)に落ちた。セイウンを指名していなかったら確実にビリだったわけで、今回は気合が入っていた。とはいえ、受験勉強のように努力が報われるとは限らない。

 自称POG名人は数多いが、A=馬体チェックに優れた相馬眼、B=血統研究家、C=取材で情報を得るライターの3タイプに分類できる。それぞれの評価が正反対のケースも多く、馬を褒めるしかない関係者(牧場、共同馬主クラブ、調教師)の発言も信憑性に欠ける。結果として、自分の好みと勘で指名するしかなく、勝敗を決する最大の要素は運である。

 週5日働き、金にならないサイドビジネス(ブログ)もかなりの負担だ。省力化と効率を第一に準備を進めたが、ネックになったのは貧弱な記憶力だ。ある馬をなぜリストから外したのか数日後、すっかり失念している。今後は取捨の理由をパソコンに書き留めておくつもりだが、この〝決意〟も来年5月には忘れ去っているだろう。

 関東馬≧関西馬のルールに則り、東西11頭ずつ計22頭を指名した。牡牝は同数(追記=牡10、牝12でした)、距離適性、21厩舎(ダブリは国枝厩舎2頭のみ)、デビュー時期とバランスが取れており、自己採点は85点のドラフトだった。種牡馬別ではアグネスタキオン(5頭)、フジキセキ(3頭)などSS系(計13頭)に偏ってしまったが、トレンドを考えれば仕方ないと思う。

 コアな競馬ファン以外には記号でしかないが、10位までの指名馬を以下に。

①カドデュソレイユ(古賀慎=牡/アグネスタキオン)
②ヴィクトリーマーチ(大久保龍=牝/同)
③スペースアーク(堀=牡/スペシャルウィーク)
④クリスマスキャロル(石坂=牝/アグネスタキオン)
⑤メインカレント(粕谷=牡/フジキセキ)
⑥クラウドバスター(大根田=牡/タニノギムレット)
⑦グロッタアズーラ(二ノ宮=牝/フジキセキ)
⑧ネヴァーフェイド(藤岡=牝/ステイゴールド)
⑨オブザモーメント(国枝=牝/ネオユニヴァース)
⑩ニシノブーケトス(浅見=牝/スペシャルウィーク)

 グリーンチャンネルと過ごす週末がいよいよ始まる。今回の戦略は好位差しで、オークスとダービーに1頭ずつでいいから出走してほしい。年明けには夢が砕け、妄想に化している可能性も高いけど……。



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狂気を育む純粋さ~「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」に感じたこと

2009-06-14 04:23:14 | 映画、ドラマ
 辞任した鳩山前総務相が、国士気取りで発言を繰り返している。世論は鳩山寄りだが、法相時代、多くの死刑を執行した<死に神>を支持する気は毛頭ない。

 三沢光晴さんが試合中に倒れて亡くなった。プロレスラーは不断の鍛錬によって、巡業に耐える肉体をつくり、シナリオに対応する技術を磨く。年に2、3回しか試合をしない総合格闘技の選手と比べ、心身にかかる負荷が違うのだ。プロレスに殉じた三沢さんの冥福を心から祈りたい。

 明日は戦後史のメルクマールとされる6月15日(1960年)だ。その後、20年足らずで反体制運動は失速するが、最大の要因に挙げられるのが連合赤軍事件である。12人の同志を殺害し、自爆に至る経緯に迫った「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(08年、若松孝二)をWOWOWで録画して見た。ドキュメンタリータッチの長尺(3時間10分)である。

 若松は足立正生(日本赤軍)の盟友だが、70年前後の学生運動を〝お遊び〟と辛辣に評していた。思い入れがなかったからこそ、連合赤軍事件を冷徹に抉ることができたのだろう。

 赤軍から派生した連合赤軍と日本赤軍は、異なる道筋を辿り、後に再び交錯する。本作で対照的に描かれているのが、親友だった遠山美枝子(坂井真紀)と重信房子(伴杏里)だ。連合赤軍に加わった遠山は無残な死に至り、パレスチナで日本赤軍を結成した重信は世界にその名を轟かせた。

 よど号事件(70年3月)以降、赤軍の中軸メンバーの居場所は獄中もしくは海外だった。人材が払底する中、赤軍は京浜安保共闘と連合赤軍を結成する。赤軍側でイニシアチブを握ったのは、脱落した経験を持つ森恒夫(地曳豪)だった。

 京浜安保共闘のリーダーは、他者への憎悪に満ちた永田洋子(並木愛枝)だ。若松の演出プラン――幼児性剥き出しの精神が、血肉化されてない革命と共産主義を語る――を実現した地曳と並木の演技力に感嘆せざるをえない。

 「実録――」は革命とは無縁の、集団が内包する悲劇を描いた作品だ。本作の構図は、旧日本軍、カルト、〝社畜〟であることを求める企業にそのまま置き換えられる。若松は連合赤軍を題材に、組織や思想を物神化する愚を提示した。

 森―永田の恐怖政治の下、友情や自省といった人間の貌を覗かせた者は次の瞬間、<反革命>のレッテルを貼られ総括(殺害)されていく。機動隊突入寸前のあさま山荘で、「あなたたちには勇気がなかった」と年長の同志に叫ぶ最年少メンバー(16歳)の言葉が印象的だった。

 10年前に生まれていたら、俺はどのような青春を送っただろう。へそ曲がりかつ煩悩の塊である俺は、クラスの半数が参加する集会に背を向け、映画館をハシゴしていたかもしれない。不真面目な俺とは違い、「最後の最後まで権力と対峙するぞ」といったアジテーションに揺さぶられ、<幻想の革命>に駆り立てられた若者も少なからずいた、連合赤軍も真摯な若者の結集体の一つだったが、純粋は重なることなく狂気に変質し、内側に鋭い刃を向ける。

 あさま山荘から37年……。この国でもようやく変革の前提条件が整いつつあるが、抵抗の手段を失くした日本人は羊のように囲い込まれている。だが、希望は捨てていない。生活実感に根差した本質的な闘いが、既にどこかで始まっているはずだから……。
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草食系男子はロックを滅ぼす?

2009-06-11 01:41:38 | 音楽
 6月9日はいつの間にか「ロックの日」に制定されていた。この日、ミューズのマット・ベラミーは31歳、渋谷陽一氏は58歳になった。

 <ロックは今や死の床に臥している>……。俺は当ブログで繰り返しケチをつけてきた。最先端の音をキャッチできなくなった五十路男の負け惜しみにせよ、多少の論拠はある。

 最近の「ロッキンオン」と「クロスビート」を見よ! <名盤100選>、<○年代のロック>といった後ろ向きの企画がやたら目立つ。新しいムーヴメントがとんと生まれず、業界全体がクチクラ化した結果だと思う。

 そして、主要フェスのラインアップ……。米国最大規模のCoachella(4月)のヘッドライナーと準メーンのカップリングは、初日=ポ-ル・マッカートニー&モリッシー、最終日=キュアー&マイ・ブラッディ・バレンタインだった。

 タイムスリップは〝世界最高フェス〟Glastonbury(英、6月末)でも続く。初日~最終日のヘッドライナーは、ニール・ヤング⇒ブルース・スプリングスティーン⇒ブラー(復活?)ときた。今や夏フェスは、〝顔〟が幅を利かす紅白歌合戦と構図は変わらない。

 ロックは20世紀、世代間闘争を繰り返してきた。ジョン・レノンは〝ジャズの死〟を喧伝することでロックの正統性を主張し、パンクスはピンク・フロイドやツェッペリンに罵詈雑言を浴びせた。ムーヴメントの担い手にとって先達への攻撃は〝通過儀礼〟だったが、ムーヴメントなき21世紀のロッカーは総じて草食系で、資本主義に囲い込まれた羊と化している。

 俺はオプティミストゆえ、希望を捨てちゃいない。レーガノミックスの破綻がグランジを育んだように、貧困と格差はロックにとって最高の環境なのだ。銃の代わりにマイクを握り、ナイフの代わりにピックを尖らせた肉食系の若者が、血と涙で魂を磨いているはずだ。

 先月タワレコで、マニックスの新譜とともにCD数枚を購入した。その中からスノウ・パトロール、キングス・オブ・レオン、ブロック・パーティーの最新作について簡単に記したい。いずれも夏フェスでは準メーンクラスで、顔ぶれによってはヘッドライナーも務めるバンドたちだ。

 スノウ・パトロールの「ア・ハンドレッド・ミリオン・サンズ」は、ゴールドプレイを〝素〟にした感じで、癒やしと和みに溢れている。俺にとって最高の睡眠導入剤だが、ゴールドプレイの新作が期待ほど売れなかったように、ザラザラざわめく世界にそぐわない草食系の音かもしれない。

 キングス・オブ・レオンは米テネシー州出身だ。ルーツミュージックの薫りをベースに、荒々しさと倦怠感を程よく絡めてきたが、英国でブレークしたせいか、アルバムを出すごとに洗練されてきた。「オンリー・バイ・ザ・ナイト」で初めて彼らに触れた人は、UKバンドと勘違いするかもしれない。ボーカルの声質が似ているせいか、〝ニルヴァーナチルドレン〟ブッシュを連想してしまった。

 ブロック・パーティーの3rd「インティマシー」は俺好みのダウナーなアルバムだ。2nd「ア・ウィークエンド・イン・ザ・シティ」について、<袋小路からの脱出を図るべき>(要旨)と評した記憶があるが、新作に感じるのは、変化ではなく深化だった。暴力的な衝動と内に向かう刃のアンビバレンツが切迫感を生み、刹那の美学と憂いに満ちている。

 俺にとっての吉報は、ミューズの新作発売のニュースだ。「クラシカル」とか「スペースミュージック」とかサウンド面が注目されており、ライブでは大掛かりなセット(ピンク・フロイド並み?)になることは間違いないが、俺の最大の関心は歌詞にある。レイジへの共感を公言するマシューは、前作でラディカルの領域に踏み込んだ。囲い込まれて羊になったか、牙を剥いたままか……。答えは3カ月後に出る。

 ツアーの合間を縫い、ミューズはヘッドライナーとして停滞気味の夏フェスに活を入れるだろう。親日家ゆえ来日も決定的だ。チケットを入手できたら最年長ファンとして足を運び、唯一無比のパフォーマンスを体感するつもりでいる。
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スポーツ紙の未来~アナログ回帰が生き残る道?

2009-06-08 03:11:55 | 戯れ言
 月刊誌が相次いで廃刊になるなど、出版界も不況に喘いでいる。朝日新聞社は先月、夏のボーナス40%減を組合側に提示した。背景にあるのは広告収入の大幅減である。

 一般紙以上に厳しいのがスポーツ紙で、広告減と部数減のダブルパンチを食らっている。W杯南ア大会は各紙にとってV字回復に向けた戦場だが、時差がネックになるかもしれない。欧州のゴールデンタイムに試合が開始されたら日本では早朝になり、結果として夕刊紙を利することになるからだ。

 俺の10代はプロ野球とともにあった。通っていた男子校では阪神ファンと巨人ファンが拮抗していて、教室での話題の中心は野球だった。俺は当時、熱烈な巨人ファンで、〝バイブル〟報知新聞で感動を追体験していた。

 スポーツ紙は現在、感動伝達より情報提供に重きを置いている。メルクマールになったのは、俺が現地で体験した<10・19>だった。川崎球場を舞台に展開した痺れるドラマを等身大で伝えたのはテレビで、翌日のスポーツ紙は阪急身売り、西武優勝に大きなページを割いていた。

 スポーツ紙に悪材料は事欠かない。欧州サッカーやMLBの結果は夕方から夜にかけてのニュースで繰り返し報じられ、翌朝には賞味期限が切れている。一般紙はここ数年、スポーツ欄を質量ともに充実させており、コンパクトながら的を射た分析に触れることも少なくない。

 スカパーの普及により、特定の分野に関心を持つスポーツファンが増えている。海外サッカー&ラグビー、NFL、NBA、各種格闘技のファンは、百貨店的なスポーツ紙に期待しない。彼らの主要な情報源はインターネットで、速報性と読み応えを重視し、内外のHPにサーフィンしている。

 春秋のG1シリーズはスポーツ紙にとって書き入れ時だが、肝心の競馬ファンが高齢化している。新機軸を打ち出したのが東スポだ。POG参加者を意識した作りで特集号まで発刊し、週末版ではほぼ全レース、馬柱を掲載している。朝刊各紙の読者をかなり奪ったのではないか。

 「おくりびと」の大ヒットや「相棒」人気を考えると、日本人の感性は変わっていない。感動をアナログに伝える方向にシフトチェンジするのも一つの手だと思う。題材として最適なのは、地上波から追われたものの、スポーツとしての面白さに変わりはないプロ野球だ。ウインウインどころか心中の危険性もあるが、ピンチの時こそ原点に回帰するべきだろう。

 スポーツ紙は夕刊紙に比べ、大衆迎合的でおとなし過ぎる。読者を刺激し苛立たせる毒、<流行は俺たちがつくる>という気概や傲慢さも必要だ。大胆な手を打ち、内容充実と部数アップに繋げてほしい。






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パンデミックに備え「ペスト」再読

2009-06-05 02:10:02 | 読書
 金正日総書記が三男正雲氏を後継者に指名した。一族による国家私物化だが、我々に隣国を嗤う資格はない。宮沢氏以降の首相11人で世襲(祖父を含む)は9人に上り、首相経験者の息子と孫が2人ずつ……。祖父と父が出身地の町長を務めた森氏を含めれば、保守系の首相は全員が世襲となる。

 政権奪取にリーチを掛けた民主党の鳩山代表も首相経験者の孫で、キャスティングボートを握る綿貫、平沼、渡辺の3氏も世襲議員だ。次期総選挙が“集団による国家私物化”と封建制からの脱却への突破口になることを期待しているが、果たして……。

 前置きは長くなったが、本題に。東京で新型インフルエンザの感染者が確認された日(先月20日)、「ペスト」(カミュ)再読を決めた。パンデミックに備え、先賢の知恵に触れるつもりだったが、幸いなことに感染は広がりを見せていない。

 初めて読んだのは30年前で、記憶の隅に残っていたのは<面白くない>という感想だ。ページを繰る指が止まらないという類の小説ではなく、蔓延するウイルスに決死の闘いを挑むといったハリウッド映画に親しんだ人は、50㌻ほどで投げ出すに違いない。

 迷宮を彷徨するカフカの小説、「密告」(クルーゾー)のような答えが出ないフランス映画、「地下水道」(ワイダ)に描かれた閉塞感と絶望……。読後に頭に浮かんだのはこれらの作品だった。 
  
 終戦直後の1947年に発表された本作は、まさにペストのように伝播する。無慈悲で生々しい死を世界が共有していていたことが背景にあった。ツールとして用いられたペストはファシズムの、蹂躙されつつ立ち上がった人々はレジスタンスのメタファーといえるだろう。

 本作の舞台はフランス領だったアルジェリアのオランで、鼠の死骸を前触れに、ペスト蔓延⇒街閉鎖⇒解放に至る過程が描かれている。四季折々の描写は精緻を極め、登場人物の心境の変化もつぶさに記されているが、志向するのはリアリズムの対極だ。細密画が時に宇宙的広がりを獲得するように、本作は小説から寓話に飛翔している。

 正義感と倫理観に支えられた主人公のリウー医師の元、志の高い者たちが引き寄せられてくる。タルーやランベールは自己犠牲と友愛に目覚め、神と民衆の仲介者だったバヌルー神父は生き方を変える。「自分一人が幸福になるということは、恥ずべきことかもしれないんです」というランベールの言葉は、現在の日本を鋭く穿つ。

 本作のハイライトは病室の場面だ。少年を施療するリウーをバヌルーたちが見守る。原罪とは何か、神は存在するのか、勇気ある者が斃れる現実に神はどう応えるのか……。深遠なテーマと不条理をカミュは提示している。旧に復した時、虚脱感と喪失感に苛まれた語り手は、本作を以下のように締めくくる。作者自身の解説に勝るものはない。

 <ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、(中略)そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうことを>……。

 アルジェリアの国民は99%がイスラム教徒だが、「ペスト」で描かれるオランはフランスの一都市の如くである。ちなみにカミュの「異邦人」に触発されたのがキュアーで、小説で起きたことをタイトルにした“Killing an Arab ”でデビューする。イスラム教徒はカミュの作品にどのような感想を抱くのか興味深い。



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俺は日本の“スター隣”?

2009-06-02 00:25:41 | 戯れ言
 ロジユニヴァースが不良馬場をスイスイ駆け抜けダービーを制した。昨年7月の新馬戦、そのロジに半馬身差と迫って“ダービー候補”と騒がれたのが、セイウンワンダーとともにPOGの2枚看板だったプロスアンドコンズである。

 高評価を裏切ったプロスの主戦が福永だった。POG初年度の夢が交錯した<福永=セイウン>コンビだったが、虹を掴むどころか泥にまみれる。結果はともあれ、この一年、一喜一憂させてくれた馬や騎手たちに感謝したい。

 今回は「二酸化炭素温暖化説はなぜ崩壊したのか」と題された広瀬隆氏の講演会(30日午後)について記すはずだった。未明まで仕事をし、帰宅してブログを更新したのが7時前。アラームのセットを間違えて寝坊し、参加はかなわなかった。テーマが消えたので、穴埋めに俺自身の“スター隣”体験を記すことにする。
 
 まずは幸福の科学を率いる大川隆法氏から。大川氏とは予備校時代、親しく交遊した。書きようによってはブログが炎上するかもしれないが、当時の大川氏は清々しい青年で、周囲を明るくするオーラがあった。悪い材料は皆無なのである。宗教家としての登場は意外だったが、どの道に進んでも成功するタイプとみていた。本格的な政界進出は確実に頓挫するだろうが……。

 学生時代、求人誌でバイトしていた友人からショートショート執筆を依頼される。最低ラインとして提示された彼自身の作品を読み、「この程度なら」と原稿用紙に向かう。幸運にも採用されたが、俺の前週に掲載されたのが「風の歌を聴け」でデビューしたばかりの村上春樹氏の作品だった。落差が激しかったのは言うまでもない。

 フリーターだった80年代前半、銀行で現金を下ろしていると、「何時に終わるの」という声が聞こえてきた。派手ないでたちの青年が、窓口で女子行員をナンパ中である。銀行前で俺を待っていた映画通の友人は、「あの人、滝田洋二郎だよ」と件の青年の背中を指す。もちろん、人違いの可能性もあるけれど……。

 02年3月、熱狂に包まれたWWE横浜アリーナ公演を特等席で見た。一つ前の関係者席で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていたのは石井和義正道会館館長だが、オープニングでエッジのテーマが流れるや、弾けるように花道へ駆け出し、照れ笑いを浮かべて席に戻ってきた。強面のイメージと真逆のミーハーおじさんで、最後の試合までパターンは変わらなかった。観客だけでなく自身も楽しむという姿勢が、K1成功の原点だったのだろう。

 “スター隣”体験など誰しもあるが、俺の場合、親しい友人が2大写真誌で大きく取り上げられたり、高校時代の同級生が社会面で断罪されたりと、“悪名”との付き合いも数多い。超凡人の俺が有名になる手立ては、いまや悪行しかないというのも残念な話である。

 ネタ切れ状態に加えPOGドラフトの準備もあり、ブログの質が明らかに落ちている。もう少しまじめに書かなければ……。



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