酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「嘆きのピエタ」~悪魔が聖者に至る神話

2013-06-30 22:49:16 | 映画、ドラマ
 ここ数日、メディアは福島原発事故による汚染水流出を報道している。広瀬隆、小出裕章、上杉隆氏らジャーナリストや科学者が警鐘を鳴らしてきた<事実>を、2年のタイムラグで追認したことになる。

 〝世界トップクラスの知性〟と謳われたジャック・アタリだが、「21世紀の歴史」で絶賛したAIG、シティグループが正体を曝し、肩入れしたサルコジは落選と、失墜した感は否めない。とはいえ、同書には示唆に富む指摘も多く含まれていた。<2025年時のアジアの盟主>にアタリが指名したのは、中国でも日本でもなく韓国だった。物差しは<自由度>である。

 夥しい血が流れた民主化闘争を経て、韓国民衆は軍政を倒した。自由の横溢は10代にも及び、BSE反対など幾つかの運動の起点になる。<自由≒善悪、正邪を見極める想像力>が俺のイメージだが、日本では制度という箱で、自由は腐りつつある。

 国としてはともかく、映画では既に韓国はアジアの盟主である。週末に新宿武蔵野館(シネマ3)で「嘆きのピエタ」(12年、キム・ギドク監督)を見た。開映2時間半前に整理券を取りにいったら60番台(キャパ84席)で、立ち見も出る盛況だった。

 公開直後の作品は、ストーリーの紹介を最低限にとどめているが、今回はその禁を破ることにする。全体像をいまだ掴めていないことは承知の上で、'13ベストワンの最有力候補に挙げたい。

 本作のモチーフはミケランジェロの「ピエタ」(慈悲、哀れみ)だ。マリアが十字架から降ろされたイエス・キリストを抱く構図で、ポスターではマリア=ミソン、イエス=ガントに置き換えられている。ベネチア映画祭金獅子賞受賞作だが、海外で高評価の韓国映画の例に洩れず、キリスト教の影響が窺われる。

 本作のガント(イ・ジョンジン)は債務者の体の一部を奪い、障害者保険での支払いを求める冷酷非情な取立人だ。ガントが担当する地区は繁栄から取り残されたソウルの下町で、工場経営者たちは自らの生活を支えてきた機械で体を傷つける。

 「地獄に堕ちろ」と罵声を浴びる悪魔の前に、母を名乗る妖艶なミソン(チョ・ミンス)が現れた。ガントは付き纏うミソンをレイプし、切り取った体の一部を食べさせる。ミソンは夢精するガントに触れ、体液で汚れた手を洗う。手を繋いで街を歩く様子は、チャーミングな熟女と青年のカップルといった雰囲気だ。

 ガントは母を知らず、恋愛とも無縁だ。疑似母子を続けるうち、性的な匂いは遠ざかり、ガントの中でミソンが掛け替えのない存在になる。その過程で悪魔は孤独な獣になり、他者を慮る人の気持ちを知った時、ミソンが消えた。居場所に導かれたガントは、ミソンの背後に潜む架空の人間にひれ伏し、「母ではなく俺を殺して」と哀願する。「ガントも可哀想」と呟いたミソンだが、用意したシナリオを貫徹する。

人間の深淵を抉ることで、ベクトルは向きを転じる。ラストでガントを引きずった車が山頂へ向かう。贖罪の意識と犠牲的精神に目覚めたガントの聖化の象徴するシーンといえるだろう。物語を神話に到達させるキム・ギドクの力業に圧倒された。日本人監督で対抗できるのは園子温だけかもしれない。

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「グランド・フィナーレ」~阿部和重のもう一つの方法論

2013-06-27 23:49:48 | 読書
 市民社会への介入を厭わず、情報を収集するオバマ大統領の素顔を暴いたスノーデン氏(元CIA職員)の行き先が、世界中の耳目を集めている。オバマは奇麗事を言う分、ブッシュより質が悪い。再選に歓喜したボブ・ディランには、訣別の歌を作ってほしい。

 貧困と格差、戦争を必要とする国家の仕組み、劣悪な医療福祉制度……。そこに、<21世紀型1984>が加わったのだから、オバマが掲げる<自由と民主主義>は虚しく響く。文字通り消される可能性も高いスノーデン氏に、心強い味方が現れた。米軍の不当な暴力を文書と動画で告発したウィキリークスのアサンジ編集長である。俺は<反管理連合>を応援するが、秩序を好む日本社会では少数派に違いない。

 川上未映子の「ヘヴン」を前々稿で取り上げた。安直としか言いようがないが、今回は夫の作品を紹介する。阿部和重の「グランド・フィナーレ」(講談社文庫、全4編)だ。阿部の小説について記すのは、「ピストルズ」、「シンセミア」に次いで3度目になる。小説のあらゆる要素が織り込まれた「シンセミア」(1600枚)を、<聖と俗、寓話とご都合主義の境界から神話の領域へと飛翔している>と別稿で絶賛した。

 「シンセミア」に登場するのは俗っぽく、歪んだ数十人だが、物語に配置され、ひしめき合ううちに、錆と穢れがとれて聖なる輝きを放ち始める。そこが神話と評した由縁だ。<俯瞰の目で創り上げた壮大なジグソーパズル>から零れ落ちたピースの数々が、「グランド・フィナーレ」収録作の登場人物といえるだろう。

 「グランド・フィナーレ」の沢見は、ロリコンを妻に知られ、三行半を突き付けられた中年男だ。ビジネスとして、趣味として、自分の娘だけでなく、幼い女の子のヌード写真をデジカメで撮っていたのだから仕方がない。仕事関係の人脈も絡んでいたから職も失い、故郷の神町(阿部の出身地)に帰る。

 倫理や良識と無縁の俺は、それがアブノーマルであっても、個の性癖に寛容だが、沢見には忌避感を拭えなかった。その分、読みも浅くなってしまう。性的な趣向が、魂を結びつけるための手段になるのなら、何の問題はない。ところが、沢見は逸脱している。小説の主人公に怒りを覚えること自体、理不尽といわれたら返す言葉はないが、沢見が女性の友人に語った内容が真実なら、欲望に衝き動かされただけと断じるしかない。人としてしての重い罪に、対置するべき償いは何か。フィナーレに物足りなさを感じたのは、阿部への期待が大き過ぎるからだろう。

 「シンセミア」は俺の中で「狂風記」(石川淳)、一般的には「万延元年のフットボール」(大江健三郎)と並び称される現代文学の金字塔だ。文壇で地位を確立した後、本作で芥川賞受賞というのも奇異な感じがする。ちなみに、阿部の主な作品は神町が舞台になっている。「シンセミア」、「ピストルズ」に次ぐ「神町サーガ」を構想中というから楽しみだ。

 以下に、収録作について簡単に記したい。「馬小屋の乙女」では、性具収集のために神町に降り立った主人公が、ある嗜好の扉へと誘われる。善と悪が拮抗する街のムードに気付いた主人公の直感は正しかったわけだ。地方自治体は出身者が名を上げると<名誉市民賞>などを贈るのが常だが、神町(東根市)が阿部を顕彰することはありえない。

 「20世紀」は神町の歴史に魅せられた男と、町に住む女性が結ばれる経緯を淡々と綴っている。この平凡なピースも、いずれ「神町サーガ」に組み込まれ、別の貌を曝け出すかもしれない。「新宿 ヨドバシカメラ」では、400年にわたる新宿の歴史が、年の差カップルのエロチックな逢瀬と重ねて描かれている。

 阿部と川上は、家庭でどんな会話を交わしているのだろう。神町にこだわっている阿部のこと、川上に「ヘヴン」の続編を書くよう勧めているに違いないと、勝手に想像している。
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頭脳警察&騒音寺~世代を超えたコラボに心沸き立つ

2013-06-24 23:50:21 | 音楽
 自公は擁立候補が全員当選と、都議選は想定通りの結果に終わる。俺が一票を投じた候補(緑の党)は、在特会シンパの維新候補に勝ってほしいという願いもむなしく、ドンジリだった。出口調査(NHK)に協力したが、<投票する参院選立候補者>のリストに山本太郎氏の名がなかったので、クレームをつけておいた。

 先の衆院選(東京7区)で7万票を獲得した山本氏は落選後、広瀬隆氏とドイツを訪れ脱原発への道筋を学ぶなど、芯が入ってきた。都知事選で100万票弱を獲得した宇都宮健児氏(反貧困ネットワーク代表)も支持に回るはずで、当選の可能性は十分にある。脱原発と護憲を歌う沢田研二は、今回も応援に駆け付けるだろうが、坂本龍一や斎藤和義は果たして……。

 欧米のロックスターは、日本より遥かに胡散臭い。アフリカ救済を掲げるライブ8(05年)終了後、デモが開催された。反グローバリズムを訴える参加者のラディカルな姿勢に焦ったのが、ライブ8の中心メンバーである。ブレア首相らの機嫌を損ねては大変と抑えにかかり、失笑を買った。反グローバリズム派が主張するように世界の構造が覆されたら、誰より困るのは自分たちであることを、ロックスターたちは重々承知している。

 ライブ8のオープニングで共演したU2とポール・マッカートニーはその後、険悪になる。ボノ(U2)とポールの家族がそれぞれ経営する化粧品会社が、商標をめぐって訴訟合戦を演じたからだ。<あんたたちにとって、アフリカは原材料の供給場所?>との厳しい声が上がったのは当然といえる。

 喜ばしいことに、日本には気骨と知性に満ちたPANTAがいる。先日(21日)、頭脳警察と騒音寺のジョイントライブを初台ドアーズで見た。PANTAのライブに触れるのは、30年以上前のPANTA&HAL、昨年のアコースティックツアー、昨暮れのPANTA復活祭に続き4度目になる。頭脳警察としては初めてで、TOSHI(パーカショニスト)の野性とユーモアを併せ持つ存在感に圧倒された。PANTAにとってここ数年の盟友である菊池琢己が、要所を押さえていた。

 「頭脳警察7」(90年)、「俺たちに明日はない」(09年)から計4曲、重信房子さんが詩を担当した響名義の「オリーブの樹の下で」(07年)からライブの定番になっている「七月のムスターファ」と、新しい曲も演奏されたが、後半は70年代の名曲のオンパレードだった。「あばよ東京」からアンコールの「銃をとれ」、「ふざけるんじゃねえよ」、「悪たれ小僧」、「歴史から飛び出せ」、そして再アンコールの「さようなら世界夫人よ」に、クチクラ化した魂を鷲掴みされる。

 オープニングアクトは初めて見る騒音寺で、演奏が始まると女の子たちが前で踊り始める。頭脳警察がお目当ての中高年は椅子に腰かけ、首を振る程度のつれない反応だ。なべ(ボーカル)のいでたちは、PANTAと交流が深いグラムロック勢に通じるものがあるが、バンド全体はソリッドだ。なべはMCで、頭脳警察への敬意を繰り返し語っていた。京都を拠点に20年近く活動し、メンバーチェンジも何度かあったという。ロックの様々な要素が坩堝で煮えているような音で、単体でいえば、頭脳警察より動員力は上だろう。

 騒音寺が引き揚げた後、20分ほどして頭脳警察が登場する。上記のPANTA、TOSHI、菊池の3人で2曲演奏した後、なべ以外の騒音寺が加わり、重厚でダイナミックなパフォーマンスが展開する。騒音寺の若いファンのボルテージが一気に上がり、客席の熱気がステージに跳ね返った。骨組みががっしりした楽曲は、2世代のコラボで鮮度を高め、<ロックの奇跡>が現出した。

 後半にはなべが白ヘルにタオル、サングラスという過激派ファッションで登場し、さらにヒートアップする。ヘルメットの文字と色が合っていないのもご愛嬌で、ステージ狭しと動き回ってアジテーションする姿に、PANTAもタジタジだった。

 ロック魂炸裂も最高だが、俺は抒情性を好む。この夜のハイライトは「あばよ東京」と「さようなら世界夫人」だった。「あばよ東京」は、♪君が砂漠になるなら 俺は希望になろう 君が海になるなら 俺は嵐になろう(中略)君が自由になるなら 俺は鎖になろう……と言葉の対比で紡がれた「悪たれ小僧」(74年)の掉尾を飾る曲だ。

 邦楽ロックの極致というべき「さようなら世界夫人」は、政治性で発禁処分になった1stアルバム(72年)収録曲で、ヘルマン・ヘッセの原詩にPANTAなりの解釈が加えられている。♪世界はがらくたの中に横たわり かつてはとても愛していたのに 今 僕らにとって死神はもはや それほど恐ろしくはないさ……。この冒頭からイメージが連なり、ラストの♪さようなら世界夫人よ さあまた 若くつやつやと身を飾れ 僕らは君の泣き声と君の笑い声にはもう飽きた……に繋がる。

 抽象的な表現だが、<世界>をどう捉えるかで印象は変わってくる。<世界=体制、世界夫人=体制に寄り添う者>が俺の堅苦しい解釈だが、ご本人に再度会う機会があれば作意を尋ねてみたい。

 昨年7月、PANTAグループとして反原発集会に参加し、その人柄に感銘を受けたことは別稿に記した通りだ。「PANTAさんは俺にとって、パティ・スミスと並ぶロックイコンです」と話すと、当人は照れていたが、先鋭性、前衛性を今も失わない姿勢は、パティ以上といってもいい。今回のライブもパティの来日公演(今年1月)に匹敵する質を誇っていた。

 前稿で記した「ヘヴン」(川上未映子)には言葉で、そして今回は音と詩で心を濾し取られた。これからもスケジュールをチェックして、PANTAもしくは頭脳警察のライブに足を運びたい。
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「ヘヴン」に感じた川上未映子の崇高な意志

2013-06-21 23:22:33 | 読書
 ブラジルで反政府デモが拡大している。<W杯より生活>がスローガンで、参加者は開催に必要な巨費を、医療・福祉の充実、教育制度の整備等に充てるべきと主張している。翻って、日本はどうか。五輪が政治家とゼネコンのみを潤すことは明白なのに、ツケを払わされる国民は「絆」とか「元気」といった空虚な言葉に取り込まれている。ブラジルと日本のいずれが先進国なのか、答えは明白だ。

 未解決事件シリーズ第3弾「尼崎殺人死体遺棄事件」(NHK)を録画で見た。角田美代子元被告の死で真相は闇に葬られたが、番組は〝共犯〟を名指ししていた。民事不介入を盾に、30件以上のSOSを門前払いした警察である。日本は世界に冠たる管理国家で、警察は既に市民生活の内側に入り込んでいる。二枚舌としか言いようがない。

 <(この事件は)自分と無関係の別世界の話ではない。私たちの社会が、そういう残酷な犯罪を内包しながら回っているという認識を持つべきだ>……。高村薫(コメンテーター)の結びの言葉が印象的だった。大企業の「追い出し部屋」も〝残酷な犯罪〟の一例といえるだろう。

 今回はいじめをテーマに据えた川上未映子の「ヘヴン」(09年、講談社)の感想を記したい。タイトルと真逆に、中学2年の僕は二ノ宮グループによるいじめによって、地獄の日々を過ごしていた。斜視が理由と僕は考えている。僕と同じ境遇に置かれているのが、女子のコジマだ。

 コジマとの文通で光が射してきた。彼女の屈託のなさと高潔さに、僕は勇気づけられる。「ヘヴン」はコジマにとって重要な絵で、展示している美術館にふたりで足を運んだが、見ることなく引き返した。彼女の感情が大きく揺れたからである。

 暴行によるケガの治療のために病院を訪れた僕は、二ノ宮グループのひとりである百瀬と出くわした。病気を抱えている百瀬は、明晰さとニヒリズムを併せ持っている。僕をいじめるのは単に面白いからで、他者の心情を慮るなど無意味と語る。僕が自殺しても罪の意識は一切感じないと断言し、「君が凶器を手にすれば、状況が変わるよ」と唆した。

 僕と百瀬の会話のあたりから、「ヘヴン」は倒立し、巨大化していく。シガー・ロスの新作「クウェイカー」をBGMに選んだことも影響したのだろう。性同一性障害であることを公言するヨンシーのファルセットボイスには、救済への祈りが込められている。シガー・ロスが奏でる限りなく美しい音と感応し、「ヘヴン」は俺の中で浮遊する。コジマの言う<標準>を超越し、天上(ヘヴン)まで飛翔していくのだ。

 ページを繰っているうち、「EUREKA」(青山真治)、「リリイ・シュシュのすべて」(岩井俊二)など、いくつもの映画のカットが浮かんでくる。行き着いたのはパゾリーニの処女作「アッカトーネ」で、気が付けばバッハの「マタイ受難曲」がシガー・ロスとデュエットしていた。バゾリーニと川上がともに志向するのは限りない純粋さと絶対的な真理で、コジマの言動にも投影されている。

 コジマは父への思いから、装いを意識的に拒んでいる。悪臭と汚れはいじめを招くが、コジマにとって不潔とは意志の表現で、真理に向かうための<徴>だった。「君の目は美しい」と繰り返すコジマにとって、僕の斜視は共に生きるための<徴>だった。コジマの殉教者の哀しみは、アッカトーネ、そして「カリビアの夜」(フェリーニ)のジュリエッタと均質だ。ちなみにパゾリーニは「カリビアの夜」の脚本に参加している。

 僕、コジマ、いじめグループがくじら公園に宿命的に引き寄せられ、劇的なカタルシスが現出する。コジマは雨の中、拒食によって痩せこけた裸を晒し、崇高な魂を二ノ宮たちにぶつける。その目に、僕はもう映っていない。斜視の手術を彼女に伝えた時、ふたりを結ぶ糸は切れていたからだ。

 手術を終え、僕は涙を流しながら、<はじめて世界が像をむすび、(中略)世界には向こう側があった>と慨嘆する。僕はコジマを失い、世界を獲得した。でも、ピリオドは打たれていない。コジマは何処へ? 「ヘヴン」の本当の意味は? 僕とコジマは7年後(1999年7月)の再会を約束している。続編には恐らく百瀬も登場し、神話に達した物語はさらなる高みを目指すはずだ。

 邪念と煩悩の塊である俺にとり、「ヘヴン」は最高の濾紙だった。純水が心身の隅々に行き渡る瑞々しさに浸っている。
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競馬は世相を映す~POGドラフトを終えて

2013-06-18 23:21:49 | 競馬
 競馬が文化だった頃、作家たちの予想や観戦記がメディアを賑わせていた。<競馬に市民権>なんて低いレベルではなく、ギャンブルに付きものの狂おしさや魔性も行間に滲んでいる。代表格は寺山修司だが、前々稿で紹介した古井由吉も「優駿」などに寄稿していた。

 競馬サークルはある時期まで職人社会だった。馬主から騎手変更を求められてもはねつけ、愛弟子を守る調教師も多かった。だが、<社台にあらずんば人にあらず>という現状で、競馬界の構造は大きく変化した。世間よりずっと前に、<勝ち組>と<負け組>の差が鮮明になっていた。

 <1%>のど真ん中にいた武豊に異変が生じる。ケガもあったが、社台との絶縁によって<99%>の側に落ちてきた。WOWOW製作のドキュメンタリーでは、苦悩する武の姿を追っていた。武は言葉を選びつつ、以下のように語っていた。

 <離れていく人が悪いのではない。そういう状況をつくった自分が悪いのであって、取り返していけばいい。一番つらいのは、離れずに見守ってくれる人たちの馬で結果を出せないこと……>

 その馬とはキズナだった。弥生賞で結果を出せず(5着)、「再スタートのためには負け慣れることも必要」と悄然とした面持ちで語っていた武だが、2カ月後に喝采を浴びる。「武で駄目だったら諦める」と語る前田晋三オーナー、「いつも通りの戦法(後方待機)で差し切れなかったら仕方ない」とコメントする佐々木調教師……。武=キズナのダービー制覇を支えたのは、一昔前の義理と人情だった。

 競馬界で侠気といえば、まず思い浮かぶのが藤田伸二騎手だ。最新刊「騎手の一分 競馬界の真実」は、岩田と福永に対する批判が注目されるなど暴露本との評判だったが、競馬界の現状を憂う藤田の思いが込められていた。大金が動くビジネスである以上、関係者は利潤を追求する。そこで生じる歪みの是正を怠るJRAに、藤田は警鐘を鳴らしていた。

 こわもてで知られる藤田だが、安全な騎乗に定評があり、フェアプレー賞を15度も受賞している。本書は引退を決意した上での〝遺言〟で、とりわけ各騎手の技術分析には説得力があった。藤田が<柔らかく先を見据えた騎乗>と絶賛する横山典はダービー直前、コディーノから降ろされた。藤沢和調教師は自身の決断と公言したが、事情通によれば社台サイドの指令という。発刊が1カ月後だったら、藤田は怒りの一文を書き加えたに相違ない。

 角居調教師が来年、2歳馬を預からない旨を発表した。JRAによる馬房制限により、委託馬の管理が限界にきたというのが理由である。角居厩舎は社台の信頼が厚く、勝利の積み重ねで馬房数を増やしてきた。JRAに対する抗議といえるが、経営が立ち行かなくなっている中小の調教師たちは、決定を了承しているはずだ。推定でしか語れないが、現在の日本が抱える格差問題とリンクしている。競馬界は世相を映す鏡なのだ。

 先週末、POGのドラフト会議が開催された。今年は改修のため夏の札幌開催が行われないため、入厩馬、馬名決定馬が例年より少なかった。会議は手詰まりになり、予想以上に時間がかかった。俺の指名上位10頭を以下に記す。

①ステファノス(ディープインパクト/牡・藤原英)
②シュタインベルガー(ディープインパクト/牡・国枝)
③Ice Mintの2011(シーザスターズ/牡・西園)
④トップオブスターズ(シーザスターズ/牡・戸田)
⑤エルノルテ(ディープインパクト/牝・音無)
⑥スウィートレイラニ(ディープインパクト/牝・二ノ宮)
⑦ライザン(ネオユニヴァース/牡・矢作)
⑧テスタメント(ディープインパクト/牡・小島茂)
⑨レッドラヴィータ(スペシャルウィーク/牝・音無)
⑩ディスキーダンス(ステイゴールド/牡・手塚)

 供用3年で死んだチチカステナンゴの1年目は失敗だった。社台は来年以降、ハービンジャーとワークホースで勝負するが、ともに欧州の重厚な血統で、日本の軽い馬場に向かない可能性もある。産駒が振るわなかった時、競馬ファンは「驕る社台は久しからず」と呟くだろう。一方のマイネル軍団(ビッグレッドファーム)はアメリカの2冠馬アイルハヴアナザーで対抗する。岡田繁幸氏の勝算やいかに……。
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安保の精神は何処へ~起点は1930年?

2013-06-15 23:19:08 | 社会、政治
 北アイルランドで来週、G8サミットが開催される。汚れた手で富を分配するイベントに抗議し、数万単位のデモ隊が包囲するのが10年来の決まり事になっていた。だが、今回は様子が異なる。ニュース映像から、警察が反グローバリズム側を抑えている構図が窺えるのだ。インターネットを管理する支配層が、抵抗する者を炙り出して封じ込める<21世紀型1984>は、世界中で公平と自由を殺している。

 あす16日は父の日だ。〝不肖の息子〟である俺は、生前の父と良好な関係ではなかったが、五十の坂を越えてから、〝スケールの大きい変人〟に敬意を覚えるようになった。長門勇さんの訃報に思い出したのが、「三匹の侍」を楽しそうに見る父の顔である。齢を重ねるとは時に、帰ることと同義であると実感している。

 きょう15日は53年前、60年安保がフィナーレを迎えた日である。メディアが取り上げることも減り、忘却の箱に仕舞われてしまったようだ。他にネタもないので、安保を含め、政治について雑感風に記すことにする。

 大学に入学した70年代後半、キャンパスで闘いの痕跡を見つけるのは難しかったが。俺は導かれるように、あらゆる党派と無縁のグループに加わった。「おまえはアホか。こんな時代、何をやっても無駄だよ」と友人に忠告され、「10年前に生まれてたら、俺はノンポリで、おまえがデモに参加していたはずだ」と言葉を返した。<思想より資質が行動を決める>が当時からの確信で、大学紛争が盛り上がりを見せた頃に入学していたら、俺は間違いなくノンポリだった。一方でその友人は、渡った赤信号をみんなと戻り、何事もなかったように就職しただろう。

 多くの人が集まることに不信を抱く俺は、大規模な反原発集会やロックフェスに参加しても、高揚感を覚えない。「ここはおまえの居場所ではない」という囁きに不安になって、落ち着かなくなってしまうのだ。<一体化>や<みんな>は、深海魚の俺には敵性語なのである。

 反原発運動の盛り上がりに、「安保に匹敵する規模」と漏らしたオールドリベラリストがいた。だが、両者の繋がりが、俺には見えてこない。60年安保は起点ではなく、終着点でのフェスタではなかったのか……。定説と異なる仮説が、俺の中で頭をもたげている。

 1930年前後のパンク精神に溢れた闘いから、戦後の三池闘争に至るまで、格差と貧困を背景にした<反資本主義>が根底にあった。現在の反グローバリズムの先駆けといえるだろう。鶴彬(反戦川柳作家)を紹介した稿(11年6月24日)で、俺は以下のように記した。

 <震災と原発事故は貧困と格差の拡大に確実に繋がるだろう。生活実感を軸にしたムーブメントが広がった時、我々は鶴彬の魂が受け継がれていることに気付くはずだ>……。

 世論調査では「憲法9条、96条は現状のまま」、「原発再稼働に反対」、「アベノミクスの恩恵は受けていない」の声が過半数を占めている。普通ならピンチのはずの自民党だが、参院選では圧勝の見込みというから摩訶不思議だ。

 異常事態の理由は、反自民の受け皿が存在しないことに尽きる。直近なら、自民党の路線にシフトした野田政権の罪は大きい。少し前なら、村山政権だ。この国で今、最も求められている<公平と公正>の旗を、社会党は自らの手で畳んでしまった。

 断崖絶壁から希望の灯が射すこともある。昨暮れの都知事選で、宇都宮健児氏(反貧困ネットワーク代表)は100万票弱を獲得した。参院選では難しいが、次回総選挙では生活実感に根差し、<憲法・格差・原発>を軸にした広範な勢力が結集することを願っている。

 60年安保の直後、変化の兆しがあった。ユーロコミュニズムの影響を受け、構造改革論が社共両党に浸透していたのである。提唱者は社会党の江田三郎氏(委員長代行)で、共産党でも不破兄弟(前委員長の哲三氏と上田耕一郎氏)らがシンパシーを抱いていたとされる。

 社共幹部はそれぞれ中国とソ連に詣で、<構改論は反革命>のお墨付きを得て帰国する。保守層のアメリカ従属以上に、社共両党はソ連と中国に依存していた。当時、左翼陣営に属していた人は、<穏健>や<反革命>のレッテルを貼られることを極度に恐れていた。因襲を打破した精鋭たちが離党して合流していたら、その後の日本はどうなっていただろう。

 歴史に〝もしも〟は禁物で、起こらなかった以上、そこに必然の理由を見いだすべきだろう。俺の愚かしい夢想を破ったのは、都議選の宣伝カーだった。中野区の立候補者を早速チェックし、反原発を前面に掲げる候補者への投票を決めた。不毛な選択を回避できたのは幸いである。
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古井由吉の世界に惑う~「槿」という朦朧とした迷路

2013-06-12 23:51:30 | 読書
 大相撲、柔道に続き、プロ野球も揺れている。統一球問題関連の加藤コミッショナーの会見には愕然とした。国技というべき3競技だが、共通するのは無責任だ。これがこの国の体質なら、日本人として悲しくなる。

 オバマ政権による情報収集が市民の権利を侵犯していると、エドワード・スノーデン氏(元CIA職員)が告発した。米政府は同氏の身柄を確保して厳罰に処す方向だが、同氏を<自由の旗手>と支持する声が世界で広まっている。グーグルなどの関与も指摘されているように、自由を実現するはずだったインターネットが、いまや管理のツールになっている。

 アナログからデジタルへと時代は流れ、インターネットと携帯の普及で、電車の中の景色も一変している。端末でニュースをチェックしたり、ゲームに興じたりする乗客が目立つ一方、新聞や週刊誌に目を通す人は激減した。俺が関わってきたスポーツ紙と夕刊紙も、売り上げ減に喘いでいる。

 活字文化は絶滅の危機に瀕しているが、とりわけ文学の不人気は深刻だ。当ブログで小説をテーマに取り上げたら、アクセス数は確実に減る。今回など、ガタ落ちになるだろう。感想を記すのは古井由吉の「槿」だ。悪戦苦闘した末、作品の肝を理解できなかったのだから、いつも以上に不出来な文章になった。

 最後のページで深い溜息をつき、「著者から読者へ~朝顔に導かれて」へと惰性で流れた。「皆さん、大変でしたね」なんて書いていないが、古井自身が立ち行かなくなり、半年ほど中断した経緯が述べられていた。著者が往生したほどだから、読み手が立ち竦んだのも当然と安堵する。ちなみに「槿」はアサガオと読むが、タイトルを清々しいイメージの「朝顔」にするのは、中身と全くそぐわないのでやめたという。自虐的でユーモアのある語り口に、「小説もこう書けばいいのに」と独りごちた。

 古井由吉という名前は一昔前の文士を連想させるが、確固たる地位を築いたのは80年代に入ってからだ。本作(83年発表)で谷崎潤一郎賞を受賞するなど多くの栄誉に輝いているが、<社会と無縁>、<退屈な私小説>といった批判を名だたる批評家から浴びせられている。

 主人公の杉尾は40代半ばの作家で、作者自身を等身大に反映している。肉体と精神の衰えを自覚しつつ、性への執着は維持している。性的場面の描写は淡々と冷めているが、その分、想像を掻き立て、官能的といえぬこともない。杉尾は愛に悩まず、不倫による罪の意識と無縁だから、恋愛小説の要素は全くない。主題というべき杉尾と他者の疎隔は、ストーリーではなく文体に凝縮され、一つ一つの言葉の重さが読む者にズシリと響いてくる。

 杉尾は自らの感覚を<離人>と表現していた。肉体の外から自分を眺めているような感じ、現実と妄想の混濁、周囲への距離ということになるが、現実に<解離性障害>と診断されるケースは、若い女性に多いらしい。杉尾と不即不離の関係にある5歳ほど年下の萱島國子、30代の井出伊子は、次第に<離人>の症状を呈してくる。この2人が名前ではなく、主に名字で記されていることも、杉尾の距離感をを端的に示している。

 杉尾と萱島は、萱島の兄の葬儀で20年ぶりに再会する。両者の間にかつて何があったのか、自らの肉体がかつて汚されたという萱島の記憶は妄想に彩られているのか、そして〝犯人〟は杉尾なのか……。普通に生きていれば虚実の烙印がとっくに押され、記憶の箱に仕舞い込まれているはずなのに、萱島の惑いは杉尾との再会で封印を解かれ、周囲に浸潤していく。まずは井出に伝播し、兄の知人と狂いを共有した。

 井出を苦しめるストーカーたちの幻影、〝第三の女〟というべき女将を怯えさせる殺人犯、杉尾と交錯する放火犯……。主人公の周りに蔓延する狂いと罪は、主人公の意識を写す鏡かもしれない。

 本作を放り出さなかったのは、学生時代から<読書=内面を磨くための修行>と位置付け、読了することを自らに課してきたからだ。他の人より修行を積んだはずだが、サッパリ磨かれず、心も脳も年相応の錆びと汚れでコーティングされている。
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映画「俺俺」~浸潤するアイデンティティーの行方

2013-06-09 19:36:28 | 映画、ドラマ
 野次馬として、AKB総選挙に参加しようと思った。いざという段階で、ネット投票ではなく、自分が無資格であることを悟る。お気に入りを上位に押し上げるため、CDを何十枚も買うファンはザラというから涙ぐましい。教祖の本をまとめて購入する幸福の科学の信者と同じ心境なのだろう。

 株価下落と円高が顕著になってきた。安倍内閣はカンフル剤を用意しているだろうが、<99%>に無関係なアベノミクスに批判の声は根強い。首相夫人まで「ノー」を突き付ける原発推進などと合わせ、参院選で自民党が苦戦する可能性もわずかながらある。最近の選挙は〝オセロゲーム〟と化しているからだ。

 株や選挙が典型だが、誰しも数字に縛られている。賃金カットや年金給付年齢付引き上げなど、多くの国民は将来に不安を抱いている。弱小ブロガーの俺もアクセスP数を気にしているが、数字の根拠が全く掴めない。人は死ぬまで〝数という悪魔〟に翻弄され続けるのか。

 ショービジネスの世界も数字に一喜一憂しているが、想定外の連続らしい。新宿で見た「俺俺」(13年、三木聡監督)は予想以上の出足で、関係者は胸を撫で下ろしている。韓流ファンの中年女性が押し掛けた「殺人の告白」とは対照的に、「俺俺」はジャニーズ効果で20代の女性の姿が目立った。公開直後なので、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。

 亀梨和也(KAT-TUN)が30人以上の<俺>を巧みに演じ分けていた。ストーリーに重要な<俺>は、家電量販店に勤める主人公の均、サラリーマンの大樹、そして学生のナオだ。オレオレ詐欺めいた均の行為をきっかけに、シュールな展開へと突き進んでいく。

 均は内気、大樹は冷静、ナオはお調子者と個性は異なるが、好み、感性、所作は似ている。<俺山>と名付けた溜まり場で、3人は経験したことのない癒やしを覚えるが、<俺>の増殖で安寧は脅かされていく……。

 原作は当ブログで頻繁に取り上げる星野智幸だ。<浸潤するアイデンティティー>が一貫した作品のテーマで、社会を切り取る鋭い目にも敬意を表している。世間的に無名な星野とメジャーなジャニーズは明らかにミスマッチだが、ぎりぎりのところで両立、調和させていたのは三木監督の腕だろう。

 <俺>の増殖と削除が個のレベルにとどまらず、カタストロフィーに至る原作と比べたら、映画は小ぢんまりしている。だが、俺はその点をマイナスと考えない。映画は資金や時間に限界があり、見る側を意識して制作される以上、ブレーキを掛ける必要があるからだ。制限を前提にした上での秀作というのが俺の印象だが、星野ワールドと無縁の人の感想をブログ等で拾うと、〝難解でつまらない〟が大勢を占めている。

 原作になかったキャラとして、艶めかしい人妻サヤカ(内田有紀)が登場する。均を他の<俺>と峻別するサヤカは、現実と虚構の狭間に惑う均を覚醒させる役割を担っていた。均と大樹のそれぞれの母親役を演じたキムラ緑子、高橋恵子の可愛い熟女ぶりも光っていた。量販店の主任を演じた加瀬亮を筆頭に、個性的な脇役陣が隠し味になっている。

 均の名は<無名性への埋没=平均的>、大樹の名は<寄らば大樹の陰>の象徴……。原作を紹介した稿で俺はこう記した。他者に依存しているのに心は繋がらず、心の底に叫びと憤懣が宿っている。本作に描かれる<俺>の増殖や血みどろの削除は、閉塞した格差社会を見据え、星野が創り出したリアルな虚構といえるだろう。

 原作⇒映画が普通だが、「俺俺」に限っては映画⇒原作が正解だ。映画で打たれたピリオドの先、原作ではドラスティックでアナーキーな星野ワールドが広がっている。
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自由に生きる男たちの絆~テレビ桟敷でシティボーイズを堪能する

2013-06-06 22:02:20 | カルチャー
 日本がWカップ出場を当たり前のように決めた。この20年、サッカーは強くなったが、経済、内政全般、外交、科学技術といった〝絶対に負けられない戦い〟では後塵を拝するようになった。国力はサッカーに反比例するのだろうか。

 見渡すと暗くなることばかりだ。柳井正氏が提示した「年収100万時代」は準正社員制度導入で現実になるだろう。消費税は上がり、年金支給年齢の引き上げが検討されている。自民党は<国民が権力に仕える憲法>への改悪を目指し、破綻した原発のセールスマンである安倍首相は、オスプレイ問題で〝同志〟橋下大阪市長に助け舟を出した。

 トルコで拡大する反政府デモのニュースを眺めているうち、羨ましさが込み上げてきた。五輪誘致を<自由度>で決めるなら、閉塞した日本はトルコに勝てない。トルコも日本に劣らぬ警察国家だが、自らの意志で社会を変えようという空気が横溢している。それこそが、民主主義を支える精神なのだ。

 シティボーイズの公演(WOWOW放映)を録画で見た。「西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を」という長ったらしいタイトルである。メーキング映像を含め、門外漢の感想を以下に記したい。

 結成して30年余年……。大竹まことは憤怒、斉木しげるは破天荒、きたろうは脱力と、還暦男がそれぞれ個性を表現している。「立っているだけで笑ってもらえるけど、それで満足したらおしまいだ。闘う気概がないと続ける意味がない」とメーキングで斉木ときたろうが会話していた。一方の大竹は、「あの二人とここまでやってこれたのは、神様がいるからとしか思えない」と思いを吐き出していた。

 まだ若い(俺と同じ56歳)、準メンバーの中村有志が下支えしている。「ちょっと休ませて」という本音が台詞になっていた。いとうせいこうも久しぶりのゲストで熱演していたが、下の世代との共演も楽しみのひとつだ。戌井昭人はいとう同様、作家としても活躍するクリエ―ターで、紅一点の笠木泉は年齢より若々しい。コントは初体験で、「果たして笑いが取れるのか」とメーキングで不安を洩らしていた。

 「西瓜割――」の冒頭に感じたのは、ここ数年とのトーンの違いだ。不条理、ナンセンスが色濃くなり、エンターテインメント度が少し後退している。80年代、シティボーイズ、中村、いとうらとともに伝説のユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成した宮沢章夫が作・演出を担当したことが大きかったのだろう。危ない? 台詞も多かったようで、画面が暗転したり音が消えたりと、WOWOWが自粛したシーンが幾つもあった。

 第一のモチーフは原発事故だ。オープニングで背広姿の5人の男がどこかへ出発し、門の前に辿り着くシーンでジ・エンドとなる。そこは除染工事の現場か、もしくは原発そのものなのだろう。ハローワークで前金をちらつかせる勧誘員が繰り返し登場していた。第二のモチーフは<老いと欠落>だ。ブラックの極みは知的障害者が訪れた喫茶店で、客とマスターの本音と建前が巧みに表現されていた。

 大竹はメーキングで、「普通のジジイだったら植木切ってるんだよ」と語っていた。確かに疲れ切っただろう。ナンセンスの極みというべき花見の準備のシーンでは、大声で叫び、駆け回っていた。大竹の気持ちはわかるが、残念ながら日本のジジイに植木を切る余裕はない。悠々自適なんて今は昔、形を変えた奴隷制の下、窒息寸前になっている。

 シティボーイズのステージは、祝祭的で笑いが溢れ、ノスタルジックな気分を味わえる同窓会だ。今回もまた、<自由に生きる男たちの絆>に胸が熱くなった。
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「殺人の告白」~疾走感に溢れた愛と慟哭の物語

2013-06-03 22:02:02 | 映画、ドラマ
 ひねくれ者のせいか、俺は権威や格式が大嫌いた。世間の人が敬意を表するIMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機関)など、多国籍企業の意を体し世界の富を貪る金融マフィアではないか。さらに質が悪いのが平和を提唱する国連で、常任理事国から流出する武器が紛争拡大の拍車になっている。

 〝悪人〟の威を借るつもりは毛頭ないが、国連拷問委は橋下大阪市長(日本維新共同代表)の従軍慰安婦を巡る発言について、日本政府の明確な対応を求めた。安倍首相もさぞかし困っているだろう。首相は2001年、故中川氏とともに従軍慰安婦関連の番組(「ETV特集」)に介入し、内容を変更するよう圧力をかけたとされている。

 国連科学委は<福島原発事故による被曝は最小限で、がん患者は増加しない>との調査結果を公表した。日本の再稼働を後押しする<国連=IAEA=アメリカ>の連合体と、現地で診察に当たっている医師たちによるデータは真逆だが、俺が信頼するのはもちろん後者だ。両者を分かつのは人間としての良心と倫理だが、私用と天びんにかけて反原発集会(2日)をパスした俺も、獣の群れに呑み込まれつつある。

 一昨日(1日)、シネマート新宿で「殺人の告白」(12年、チョン・ビョンギル監督)を見た。公開初日、そして映画の日……。でも、タカを括っていた。同館は韓国映画を頻繁に上映しているが、常に閑古鳥が鳴いている。「義兄弟」(10年)、「哀しき獣」(同)、「高地戦」(11年)といった傑作群でさえ、1割前後しか埋まっていなかった(スクリーン1のキャパは330人強)。<韓流ブームはドラマだけで、映画には浸透していない>とブログに記したこともある。

 ところが、今回は様子が違った。受付横にパク・シフのファンクラブから贈られた花輪が並び、女性たちでごった返している。俺が見たのは6時半の回だが、2回目の観賞というグループもいた。パク・シフが知名度の高い韓流スターであることを、彼女たちの会話で知った。

 「息もできない」、「母なる証明」などなど、人間の業と宿命に迫った韓国映画は数え切れない。意地の悪い俺は、「殺人の告白」がその系譜に連なる重くて暗い映画であることを願った。実際はというと、狂気や悪という人間のダークサイドに迫ると同時に、緊張の途絶えない秀逸なサスペンスだった。公開直後でもあり、感想を大雑把に記したい。

 1986年から数年間、ソウル近郊で女性連続殺人が起きた。この未解決事件をモチーフにした映画を見るのは、「殺人の追憶」(03年)に次ぎ2作目である。「殺人の追憶」は民主化闘争を背景に、社会と人間の闇を照らす作品だったが、「殺人の告白」でも大統領選挙が大きな意味を持っていた。92年12月、文民政権への移行が決定した直後、主人公は悲しい事件と直面する。

 HPには、主人公はパク・シフが演じた告白者イ・ドゥソクと記されている。だが、観賞した人は、真の主人公がチェ・ヒョング刑事(チョン・ジェヨン)であると理解したはずだ。渡辺謙を彷彿させる骨太なチョン・ジェヨン、繊細で謎めいたパク・シフ……。対峙するアンビバレンツな個性が光芒と陰翳を添えている。

 連続殺人犯を取り逃がしたチェ刑事は、今も事件を引きずっている。その思いを表すのが唇横の傷だ。公訴時効後、殺人を告白する青年イ・ドゥングが登場する。犯人しか知り得ない事実が記された回想録は大ベストセラーになり、イケメンのイ・ドゥングは一躍、時代の寵児になる。刑事、告白者、被害者家族の思いが交錯する中、ストーリーは結末へと突き進んでいく。

 冒頭のアクションシーンに、ジョン・ウーら香港ノワールの影響が窺える。より激しい追跡劇が後半に展開するのもお約束だ。終演後、会場から拍手が沸き起こる。俺の記憶では「ダイ・ハード」と「スピード」以来のことだ。主人公のチェ刑事に? いや、おばさんたちはパク・シフに対して拍手を送ったに違いない。

 蛇足と思える部分、ツッコミどころもあるが、多少の欠点をクリアしても余りあるエネルギーと疾走感に溢れた作品だった。根底に流れるのは<愛と慟哭>であり、<法を超越した罪と罰の追求>だ。拍手に値する作品であることは言うまでもない。
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