眠りが浅いせいか繰り返し夢を見る。最近の〝トレンド〟はディテールを変えて甦る昔の出来事だが、昨夜見たのは前稿で紹介した「フィールズ・グッド・マン」の断片だった。古民家風の友人宅に泊まり、トイレで擬人化したカエル男ペペを目撃する。慌てて飛び出したものの漏れそうになる。アラームが鳴って事無きを得た。
「ペパロンチーノ」(NHK・BSプレミアム)は素晴らしいドラマだった。「ミッドナイトスワン」で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞した草彅剛が、主人公(小野寺潔)の心情を余すことなく表現していた。舞台の気仙沼についてはは6年前に訪れた時、<絶望とか希望、孤独とか絆……。血肉になっていない薄っぺらな言葉を吐いていたことが恥ずかしくなった>と記した。
崖っ縁で出会った佐々木医師(國村隼)、心の支えであり続けた妻灯里(吉田羊)、同級生のより子(矢田亜希子)らに力を与えてもらい、小野寺は海辺にイタリアンレストランを再興する。〝宮城発〟のキャッチフレーズにぴったりのエンディングに、心揺さぶられる仕掛けが用意されていた。
夢、そして異界との交流……。枕2題と連なる川上弘美著「水声」(2014年、文春文庫)を読了した。このところ家族をテーマに据える小説を紹介してきた。「枯木灘」(中上健次著)は血と芥にまみれた濁流で、「サラバ!」(西加奈子著)は時空を超える奔流だった。「水声」も同じく家族の物語で、タイトルから冷たく淡々と流れる川をイメージしていたが、孤独とやるせなさを濾過する神性の滴を湛えていた。
ささやかな気持ちの積み重ねの上に成立する愛を巧みに描く川上だが、チューインガムを噛むうち苦くなり、しこりとして残っていく……、そんな読後感を覚えることもしばしばだ。「水声」の8年前に発表された「真鶴」は他者との距離感、現実と仮想の混濁、生死の淡い境界をテーマにしていたが、「水声」に引き継がれている部分を感じた。
本作の語り手は都で、1歳違いの弟・陵、ママとパパ、武治さん、都の幼馴染みである奈穂子が主な登場人物だ。都と陵は幼い頃から互いを強く意識していた。帯にあるように<流れる水のような静謐な恋愛小説>である。姉弟の恋愛といえば「ホテル・ニューハンプシャー」のフラニーとジョンを思い出す。10代だった彼らは短期間に膨大な数のセックスを繰り返すことで欲望を鎮め、禁忌から逃れた。都と陵はママが亡くなる直前に体を重ねた。
鴻巣友季子氏は<中世以前、「いもせ」は夫婦だけでなく、姉弟、兄妹が結ばれることを差していた>と書評に記していた。都と陵にとって、ママの存在が関係の軛になっていた。陵を愛していたが自分には毒を吐くママに、都は愛憎半ばする感情を抱いていた。<陵のようにママに愛されたかった>という思いが、都を陵に近づけたのだ。都と陵に「枯木灘」の主人公である秋幸と異母妹のさと子が重なった。秋幸を禁忌に向かわせたのは怪物というべき実父・龍造への憎しみがあった。
ママとパパが兄妹であったことが明かされる。都と陵の実父は、幼い頃から家族同然で、パパとも仲のいい武治さんだった。強烈な個性の持ち主であるママの求心力にパパ、武治さん、都、陵が引き寄せられていた。都はママの死後、夢で会話し、打ち解けるようになる。
都の語りは1969年を起点に時間を行きつ戻りつし、ママの両親まで登場する。あり得ない奇妙な家族の設定が自然に思えてくるのが川上の筆致の成せる業だ。 都、陵、そして奈穂子は69年に10歳前後だから、俺とほぼ同世代だ。彼らの見聞する往時の様々な出来事に親近感と懐かしく感じた。
95年の地下鉄サリン事件を目の当たりにした陵は、東京・杉並の生家で都と暮らすようになる。それどころか、同じベッドで眠っている。流れる川のように横たわる姉弟は、理性、倫理、通念を超えた安らぎを与えてくれる存在なのだ。その生家に開かずの間がある。奇妙な音が聞こえるなど不穏な気配が漂っていた。夢に現れるママの隠れ処だったのか。
川上には「真鶴」、「大きな鳥にさらわれないよう」と鳥をタイトルに据えた作品がある。本作の冒頭とラストは鳥が現れるし、姉弟が抱き合ったのは〝鳥が騒がしく鳴いた夜〟だった。サリン事件だけでなく、ママが語る東京大空襲、そしてママと奈穂子が学生時代に旅したのは東日本大震災の被災地だった。川上が俯瞰の目で社会を見据えて見ていることが窺える。
「ペパロンチーノ」(NHK・BSプレミアム)は素晴らしいドラマだった。「ミッドナイトスワン」で日本アカデミー賞主演男優賞を受賞した草彅剛が、主人公(小野寺潔)の心情を余すことなく表現していた。舞台の気仙沼についてはは6年前に訪れた時、<絶望とか希望、孤独とか絆……。血肉になっていない薄っぺらな言葉を吐いていたことが恥ずかしくなった>と記した。
崖っ縁で出会った佐々木医師(國村隼)、心の支えであり続けた妻灯里(吉田羊)、同級生のより子(矢田亜希子)らに力を与えてもらい、小野寺は海辺にイタリアンレストランを再興する。〝宮城発〟のキャッチフレーズにぴったりのエンディングに、心揺さぶられる仕掛けが用意されていた。
夢、そして異界との交流……。枕2題と連なる川上弘美著「水声」(2014年、文春文庫)を読了した。このところ家族をテーマに据える小説を紹介してきた。「枯木灘」(中上健次著)は血と芥にまみれた濁流で、「サラバ!」(西加奈子著)は時空を超える奔流だった。「水声」も同じく家族の物語で、タイトルから冷たく淡々と流れる川をイメージしていたが、孤独とやるせなさを濾過する神性の滴を湛えていた。
ささやかな気持ちの積み重ねの上に成立する愛を巧みに描く川上だが、チューインガムを噛むうち苦くなり、しこりとして残っていく……、そんな読後感を覚えることもしばしばだ。「水声」の8年前に発表された「真鶴」は他者との距離感、現実と仮想の混濁、生死の淡い境界をテーマにしていたが、「水声」に引き継がれている部分を感じた。
本作の語り手は都で、1歳違いの弟・陵、ママとパパ、武治さん、都の幼馴染みである奈穂子が主な登場人物だ。都と陵は幼い頃から互いを強く意識していた。帯にあるように<流れる水のような静謐な恋愛小説>である。姉弟の恋愛といえば「ホテル・ニューハンプシャー」のフラニーとジョンを思い出す。10代だった彼らは短期間に膨大な数のセックスを繰り返すことで欲望を鎮め、禁忌から逃れた。都と陵はママが亡くなる直前に体を重ねた。
鴻巣友季子氏は<中世以前、「いもせ」は夫婦だけでなく、姉弟、兄妹が結ばれることを差していた>と書評に記していた。都と陵にとって、ママの存在が関係の軛になっていた。陵を愛していたが自分には毒を吐くママに、都は愛憎半ばする感情を抱いていた。<陵のようにママに愛されたかった>という思いが、都を陵に近づけたのだ。都と陵に「枯木灘」の主人公である秋幸と異母妹のさと子が重なった。秋幸を禁忌に向かわせたのは怪物というべき実父・龍造への憎しみがあった。
ママとパパが兄妹であったことが明かされる。都と陵の実父は、幼い頃から家族同然で、パパとも仲のいい武治さんだった。強烈な個性の持ち主であるママの求心力にパパ、武治さん、都、陵が引き寄せられていた。都はママの死後、夢で会話し、打ち解けるようになる。
都の語りは1969年を起点に時間を行きつ戻りつし、ママの両親まで登場する。あり得ない奇妙な家族の設定が自然に思えてくるのが川上の筆致の成せる業だ。 都、陵、そして奈穂子は69年に10歳前後だから、俺とほぼ同世代だ。彼らの見聞する往時の様々な出来事に親近感と懐かしく感じた。
95年の地下鉄サリン事件を目の当たりにした陵は、東京・杉並の生家で都と暮らすようになる。それどころか、同じベッドで眠っている。流れる川のように横たわる姉弟は、理性、倫理、通念を超えた安らぎを与えてくれる存在なのだ。その生家に開かずの間がある。奇妙な音が聞こえるなど不穏な気配が漂っていた。夢に現れるママの隠れ処だったのか。
川上には「真鶴」、「大きな鳥にさらわれないよう」と鳥をタイトルに据えた作品がある。本作の冒頭とラストは鳥が現れるし、姉弟が抱き合ったのは〝鳥が騒がしく鳴いた夜〟だった。サリン事件だけでなく、ママが語る東京大空襲、そしてママと奈穂子が学生時代に旅したのは東日本大震災の被災地だった。川上が俯瞰の目で社会を見据えて見ていることが窺える。