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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「パターソン」~日常の糸で紡がれた癒やしのファンタジー

2017-08-28 21:51:41 | 映画、ドラマ
 俺は一貫して小池都知事に批判的だった。自主避難者への住宅支援打ち切り、嘆願を拒絶した定時制高校廃止、小金井の「はけ」など環境保護への無関心、利権と結びついた豊洲移転決定……。「既得権益者&富裕層ファースト」の小池氏が正体を晒した。

 関東大震災時、流言飛語に基づき多くの朝鮮人が虐殺された。悲劇を繰り返すまいと誓う慰霊式典(9月1日)には石原氏など歴代都知事も追悼文を寄せていたが。小池氏は取りやめた。日本会議国会議員懇談会副会長を務めた小池氏は記者会見で御託を並べていたが、根っ子はトランプ大統領と変わらぬ差別主義者だ。

 ヘイトやレイシズムと対極に位置する「パターソン」(16年、ジム・ジャームッシュ監督)を新宿武蔵野館で見た。公開初日、永瀬正敏がトークイベントに登場する。「ミステリー・トレイン」以来、27年ぶりのジャームッシュ組だったが、普段から交流があるらしい。永瀬はユーモアを込めてジャームッシュへの敬意を語っていた。

 舞台はニュージャージー州パターソンで、主人公は地名と同名のバス運転手パターソン(アダム・ドライバー)だ。アダムといえば「沈黙-サイレンス-」で苦悩するガルペ神父役が印象に残っている。妻あるいは恋人ローラを演じたのはイラン映画「彼女が消えた浜辺」の主演女優ゴルシフテ・ファラハニだ。

 <いつもと変わらぬ1週間が生み出す奇跡>というのがキャッチで、ドラマチックな出来事が起こるわけではない。それでも日々のピースが填め込まれたはパズルは、極上の燦めきに満ちたファンタジーに昇華していた。

 ご覧になった方はすぐ気付かれただろうが、ブラウン、グリーン(ブルーに近いことも)、そしてホワイトの3色が柔らかな統一感を映像にもたらしていた。工業都市として栄えた移民の街も、今は寂れ人口15万人弱。パターソン以外、主要な登場人物に白人がいないのは住民構成の反映だ。

 ローラはイラン系、行きつけのバーの店主ドクと常連たちは黒人、毎朝愚痴る同僚ドニーはインド系、そして永瀬は日本人だ。ルーツが異なる人々が同じ目線で共存するパターソンは、ジャームッシュにとって〝理想郷〟なのか。

 全体を貫くモチーフは詩だ。ウィリアム・カルロス・ウイリアムズやアレン・ギンズバークを輩出した街で、パターソンも日々、詩作に励み、モノローグで流れる。〝ハリケーン〟ルービン・カーターについて語り合う小学生、自称アナキストの男女……。現実感が薄い乗客の会話に耳を傾けるパターソンは、クルクル回る腕時計の針に誘われるように、創造と想像の世界に迷い込む。脳裏に浮かぶイメージを、合間を縫ってノートに書き留めるのだ。

 本作に描かれる出来事はすべてが日常で、同時に仮想ではないか……。そんな考えが脳裏をよぎった。心ここにあらずで茫洋としているパターソンと対照的なのがローラだ。ギターを覚えて歌手になる、ケーキ作りで財を成す、パターソンの詩を出版するといった夢を形にするため、積極的に日々を過ごしている。カップルの温度差も、柔らかく中和していた。

 コインランドリーのラッパー、ベンチに腰を下ろした少女、そして「詩は私の全て」と言い切る旅行者(永瀬)と、パターソンは頻繁に詩人と遭遇する。ほんの数分、場を共有しただけで、内なる詩への情熱を共有する。詩人の魂は凄まじい引力で相寄るのだろう。

 犬嫌いの俺でさえ、一家の飼い犬マーヴィンの名演技には感嘆した。ニュートンが愛犬の悪戯で灰になった万有引力の論文を半年かけて書き直したエピソードは有名だが、パターソンにも同様のことが起きる。失意のパターソンに希望をもたらしたのが永瀬演じる詩人だった。何気ない日常が紡ぐファンタジーに心を癒やされた。

 音楽に造詣が深いジャームッシュは、トム・ウェイツやジョー・ストラマーをキャスティングしていた。バーでの会話に出てきたイギー・ポップの生き様に迫った「ギミー・デンジャー」が今週末に封切られる。まさに〝ジャームッシュ週間〟で、近いうちにブログで紹介したい。
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「十年」に描かれた抵抗の拠点としての香港

2017-08-24 23:51:59 | 映画、ドラマ
 民進党代表選は前原元外相と枝野元官房長官の賞味期限切れ対決だ。文学、将棋、麻雀、落語には才能がひしめき、スポーツ界も新陳代謝が著しい。それに引き換え、政治は……。ポスト安倍が見つからない自民党、志位氏が委員長、山口氏が代表をそれぞれ17年、8年務める共産党と公明党……。民進党だけでなく、閉塞感は否めない。

 前原氏は10年以上前、自民党に先駆けて武器輸出を主張していた。<格差と貧困の解消>を説く井手慶大教授をブレーンに据えてはいるが、保守の〝地金〟は変わらない。枝野氏は官房長官時代、原発コングロマリットに逆らえず、「放射能は直ちに人体に影響はない」を繰り返した。昨年の参院選新潟選挙区では、連合の意を受け、野党統一候補に決まった反原発派の森裕子氏に横やりを入れた。

 〝一見まともだが実は怪しい〟と俺は枝野氏を見ている。ならば〝策士〟小沢一郞自由党代表や山口二郎北大名誉教授らと気脈を通じ、中道にシフトしつつある前原氏の変わり身に期待する。

 新宿ケイズシネマで先日、「十年~TEN YEARS」(15年)を見た。「エキストラ」(クォック・ジョン)、「冬のセミ」(ウォン・フェイパン)、「方言」(ジェヴォンズ・アウ)、「焼身自殺者」(キウィ・チョウ)、「地元産の卵」(ン・ガーリョン)から成るオムニバスで、2025年の香港を見据え、気鋭かつ無名の監督たちがメガホンを執った。

 本作には<非情な抑圧者VS存在を懸けて抗議する者>という構図が明確だった。中国への怒りに満ちたアジテーションで、公開時、感涙にむせぶ観客もいたという。多くの香港人は、中国を簒奪者と見做しているようだ。以下に、作品ごとの感想を。

 まずは「エキストラ」。舞台は2020年で、続く4作の伏線になっている。言論弾圧を効果的に実行するための法案を通すため、中央政府(中国)はメーデー祝賀式典でテロ事件を仕掛ける。実行犯に選ばれた中年男とインド系の若者のユーモラスなやりとりに、香港の問題点が描かれていた。自身を主役と信じ、冴えない人生からの飛躍を目指した2人の〝エキストラ的死に様〟に悲哀を覚えた。

 直裁的メッセージに満ちた他の作品と対照的に、「冬のセミ」はシュールな色調を醸している。中央政府と闘う男女は、秘密の部屋で身の回りの物の標本を作製している。人々がマインドコントロールされる中、男は女に自身を標本にするよう依頼する。遺すものは<自由と民主主義>への意志で、終末論的ムードに貫かれたアポカリプスだ。

 コミカルな「方言」は、中国によってアイテンティティー(言葉)を奪われる香港人を描いている。<普通語=北京語>が公用語になり、広東語しか話せないタクシー運転手は失業の危機に直面し、家庭や職場から疎外されていく。自国語が消えていく哀しみと虚脱がスクリーンから滲み出ていた。

 「焼身自殺者」には中国と最前線で対峙する者たちが登場する。抗議のハンストで亡くなった若者の遺志を継ぎ、英国大使館前で何者かが焼身自殺した。香港の自由を奪う中国だけでなく、黙認する英国にも刃を向けていた。パキスタン系の女子大生は<人種ではなく自由こそ香港人のアイデンティティー>と話していた。文革、天安門事件を生き抜いてきた老女がラストで焼身自殺するが、彼女と燃える傘に、雨傘運動の挫折が象徴されていた。

 ラストの「地元産の卵」には紅衛兵やヒトラーユーゲントを彷彿させる少年団が登場する。政府の意を受けた少年たちは、危険文字のリストを渡され、商店街を闊歩する。食料品店を営む主人公は<地元産>の言葉が反共産党的と詰られるが、少年団の一員である長男は気骨ある態度で書店主を救う。人間としての最高の価値は<自分の頭で考えること>という父の教えを守っていたのだ。 

 中国の本作への対応が興味深い。ネット時代で映像流入も可能だが、全力を挙げて遮断した。本作の意図がリアルであることを図らずも証明したことになる。観賞後、香港へのイメージが変わった。チベット、パレスチナ、沖縄と並ぶ<抵抗の拠点>と捉えることも可能である。
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ロックに親しむ冷夏~MANNISH、そして新譜3枚

2017-08-20 17:51:34 | 音楽
 木曜夜、スカパーでチャンネルサーフィンしていたら、8時ちょうどにMANNISH BOYSのライブが始まった。「麗しのフラスカツアー」ファイナル(1月27日/Zepp Tokyo)の模様を収録したものである。元ブランキー・ジェット・シティの中村達也はお馴染みだ。斉藤和義にはフォークシンガーというイメージを抱いていたが、MANNISHのステージはエキサイティングなロックショーだった。

 中村が〝一匹狼〟と評する斉藤は51歳、斉藤が〝予測不能〟と評する中村は52歳……。野性のおっさんコンビが凄まじいエネルギーを放射する。トランペットのセッションが斬新だった。BJC時代はMC専門だ中村のボーカルパート(モノローグ風)の多さにも驚く。斉藤の佇まいが時折、浅井健一(元BJC)に重なる。詩的なイメージに溢れる歌詞に、浅井に通じるものを覚えた。

 俺はアナログ人間の典型で、フェイスブックは開店休業状態だし、ツイッターとは無縁だ。ロック界もSNSが幅を利かせ、新譜発売への過程が小出しにアップされ、メディアがフォローする。アーティストと一蓮托生のメディアが高評価したアルバムを聴いてずっこけたケースは少なくない。肩透かし覚悟して7月に購入した3枚のアルバムだが、いずれも納得の出来栄えだった。

 感想を発売順に記したい。まずはフリート・フォクシーズの3rd「クラック・アップ」から。6年ぶりのアルバムで、<レーベル=プロモーター=代理店=メディア>の縛りと距離を置くフォーク色の濃いインディーバンドだ。♯4「ケプト・ウーマン」のハーモニーはCSN&Yを彷彿させる。

 フロントマンのロビン・ペックノールド゙は日本通という。熊野散策時にインスパイアされて作った曲が♯5「サード・オブ・メイ/大台ケ原」だ。俺の内なるジャパネスクと感応し、安らぎを覚えた。静謐ながら無限のスケールを秘める牧歌的サウンドは、バロックロックとも評されている。東京は今夏、暑くなかったが、涼を取るのに最適な作品だった。音につれて浮かぶ心象風景は、マルセル・カルネのモノクロ映画だった。

 カラフルなポップにダウナーを染み込ませたのがフォスター・ザ・ピープルの3rd「セイクレッド・ハーツ・クラブ」だ。前2作と比べでコンパクトになり、〝弾け〟から〝内向〟にベクトルが変わった。燦めきと初期衝動から〝生みの苦しみ〟という道筋を、彼らも辿っているのだろう。

 フォスター・ザ・ピープルはバーニー・サンダースを支援した。社会への関心の高さは本作の歌詞にも窺え、暴走する資本主義に警鐘を鳴らした曲もある。だが、体制は甘くない。ツツ大主教らとレディオヘッドのイスラエル公演を徹底的に批判したロジャー・ウオーターズに圧力がかかり、北米ツアーの一部が中止になる可能性もある。本作のチャートアクションが芳しくないフォスター・ザ・ピープルにも〝見えざる力〟が働いたのか。

 穏当にヒラリー支持を表明したアーケイド・ファイアの新作「エヴリシング・ナウ」は、良くも悪くも想定通りの中身だった。工学的要素を加味しつつ祝祭的でボーダレスな音を維持するあたりに、貫禄と余裕を感じる。アルバムの完成度だけでなく方向性でもここ数年、アーケイド・ファイアを超えるバンドは存在しないだろう。彼らを脅かすバンドとしてダーティー・プロジェクターズに期待していたが、〝自然体で楽しむ〟ことが出来ず、個人プロジェクトに戻ってしまった。

 ロッキング・オンのHPによれば、シングルをダウンロードして楽しむリスナーの傾向に対応するため、ミューズはアルバム制作を先送りするという。「アルバム勝負」の時代は、既に終わっているのかもしれない。そのミューズは11月に来日する。横浜アリーナに足を運ぶつもりだ。
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<戦争の罪>を問う「原爆と沈黙」と「731部隊の真実」

2017-08-16 19:11:34 | 社会、政治
 敬虔という言葉と無縁の俺でさえ、厳粛な思いで過ごすことがある。広島に原爆が投下された8月6日から敗戦の日に至る10日間だ。今稿では<戦争の罪>を問う2本のドキュメンタリー(ともにNHK制作)を紹介する。

 ETV特集「原爆と沈黙~長崎浦上の受難~」(12日)から。当初のターゲットは小倉だったが、天候上の理由で原爆は8月9日、長崎市浦上に投下される。1万2000人のカトリック教徒の3分の2が犠牲になり、隣接する被差別(浦上町)では居住者1000人のうち死者、行方不明者がそれぞれ300人を数えた。

 <神の子羊に選ばれた>という思いが、カトリック教徒に〝沈黙の祈り〟をもたらす。<浦上のピカドン>が市内に蔓延したことを、カトリック教徒の西村さん、浦上町出身の中村さんが証言する。中卒後に市内で働いた西村さんは職場で、中村さんは学校で厳しい差別に直面する。

 「河童」や「原爆」が通り名だった中村さんは卒業式だけ本名で呼ばれたが、抗議の意味を込めて席を立たなかった。被爆と出身という二重の差別に苛まれた中村さんは長年、沈黙を強いられる。長崎市に解放同盟支部が結成され、同対事業の一環で建てられたアパートに母と暮らすことになった1970年代後半、変化の兆しが表れた。

 番組では言及されていなかったが、宮本常一の<個人史の聞き取り>という方法論は解放運動に多大な影響を与えた。語り部のひとりだった母の遺志を継ぎ、中村さんも現在、差別、戦争、被爆の真実を若者たちに伝えている。

 江戸時代、浦上には隠れ切支丹が暮らしていた。<弱い者を相撃ちさせる>が権力の常道で、浦上では仏教に改宗した民が切支丹の動向を探り、検挙する任務を負わされた。悲劇(浦上四番崩れ)で決定的になった確執は、150年を経て和らぎつつある。ローマ法王の言葉に感銘を覚えて信仰を取り戻した西村さん、語り部になった中村さんは、カトリック教徒との人たちが共同で歴史を学ぶ会で手を携えている。

 恩讐を超える崇高な意志の欠片もないのが日本政府だ。核兵器禁止条約に批准しないことに抗議し、長崎の被爆者団体代表は安倍首相に「あなたはどこの国の総理ですか」と詰め寄った。「アメリカです」なんて本音は言えない首相の動揺を映像は捉えていた。

 浦上と重なるのは、小池都知事を筆頭に原発事故の自主避難者への冷酷な対応だ。教育現場では中村さんが少年時代に受けた差別が広がっている。頬被りしている教師たちの良心や矜持を疑ってしまう。戦後72年、人間の尊厳は死語になりつつある。
 
 NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」(13日)が大きな反響を呼んでいる。俺も731部隊(関東軍防疫給水本部)について書物を読み、折を見てブログに記してきた。「DAYSJAPAN」は発刊当時、繰り返し特集を組んでいた。

 NHKが夜9時に放送した意味は大きい。ブログには質量とも限りがあるので、本日深夜(午前1時)の再放送をぜひご覧になってほしい。ハバロフスク裁判(1949年)の録音に残された当事者の肉声、写真と資料、元隊員の証言を織り交ぜ、人体実験のおぞましい実態が明かされている。

人体実験を主導した医師のひとりは帰国後、「自分は良心を失った悪魔ではない」と語ったという。一方で罪を悔い、自殺した者もいた。アジアにおける日本軍の蛮行を自身に照らし合わせて追求したのが辺見庸だ。死を覚悟して上官に反抗する、遠巻きに眺める、あるいは先頭に立って行う……。辺見は書いている、「三つ目かもしれない」と。

 <国家はその罪に無限責任を背負う。決して外部化されず国民にも責任が問われる>と内田樹は指摘していた。私たちはまず、戦前の日本軍の振る舞いを直視し。併せて未来への指標も掲げなければならない。古今東西、歴史が証明するように戦争は人間を狂気に駆り立てる。日本人が人間であるための防波堤は、不戦を誓う憲法9条であることを、視聴者は再認識しただろう。

 エリートたちの戦争協力は今日的な課題である。京大から多くの後輩を部隊に送り込んだ教授、細菌兵器開発に寄与した研究者は莫大な見返りを得ていた。知人でもある杉原浩司さんは武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)代表として<軍学共同>に警鐘を鳴らし、数字を挙げて実態を詳らかにしている。番組後半では防衛省と大学の結びつきについての学術会議における発言が紹介されていた。

 細菌兵器は部隊施設だけでなく中国戦線、一般集落、捕虜収容所で使用されたが、アメリカは人体実験のデータと引き換えに731部隊を免罪した。野放しになった悪魔たちはその後、日本を闊歩する。3・11後、福島県のアドバイザーに就任し、「体内被曝は大丈夫」と繰り返した山下俊一氏は悪魔の末裔である。部隊のエリートたちは学会、製薬会社(主にミドリ十字)、厚生省トップとして戦後日本を蹂躙した。

 宇都宮健児氏は「体内被曝は大丈夫と喧伝した学者たちがシフトして、豊洲汚染は心配ないと主張している」と語っていた。この国の権力構造には悪魔が巣食っている。
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「容疑者の夜行列車」に乗ってミステリアスな蜃気楼に辿り着く

2017-08-12 11:14:35 | 読書
 老いを実感する日々だ。老眼に加え、耳の調子もおかしい。テレビを見ていて音割れを感じたが、傷んでいるのは耳の方だった。記憶力低下は絶望的で、例えば「相棒」……。亀山(寺脇康文)、神戸(及川光博)の時代は言うに及ばず、甲斐(成宮寛)のシーズン11~13でさえ初めて見るように再放送を楽しんでいる。

 凡人の俺は仕方ないが、驚異的な記憶力、直感力、観察力を誇る柳家小三治でさえ、スポーツ紙のインタビューで「アルツハイマー病を患っている可能性がある」と告白していた。小三治は頸椎の手術で夏場を休養に充てるという。5月の独演会(調布)で、声の衰えが気になった。名人も77歳……。「頑張れ」と言う方が酷ではないか。

 日本では遠からず年金がストップし、富裕層以外はボロ雑巾で死を迎えるだろう。絶望的な未来を前提にもてはやされているのが、摂理に反するアンチエイジングだ。「記憶改善薬」のCMには慄然とする。俺のような半惚けが常用すれば、記憶力が回復すると謳っている。特攻隊員はヒロポンで意識を高揚させられ散華した。滅私奉公がこの国の倣いなら、覚醒剤を解禁すればいい。

 多和田葉子著「容疑者の夜行列車」(2002年、青土社)を読了した。多和田の作品に接するのは「犬婿入り」(1993年)、「雪の練習生」(11年)、「献灯使」(14年)に続き4作目になる。

 第1輪「パリへ」から第13輪「どこでもない町へ」から成る短編集で、夜行列車の旅が描かれている、俺はタイトルの〝容疑者〟の謎に難渋した。主人公の<あなた>はコンパートメントで、不思議な人、怪しい人、犯罪者と思しき人たちと出会う。「容疑者との夜行列車」ならしっくりくるが、<あなた>に一体、何の嫌疑がかかっているのだろう……。20年以上も〝多和田荘〟で暮らしている知人が、笑いながら教えてくれた。<容疑者→Yogisha→夜汽車>……。作者の遊び心に「へえ」である。

 俺は本作の読者に適さない。パスポートを申請したこともない〝井の中の蛙〟のくせに、多様性の尊重やアイデンティティーの浸潤を説いているからだ。〝旅する人〟多和田は対照的に、俺が書くと空虚になる言葉の本質を把握している。複数の言語に通じ、ドイツ語と日本語で小説を発表する多和田と俺では、吸う空気が違うのだ。

 ドイツに渡った多和田の葛藤は、「ペルソナ」(「犬婿入り」併録)に描かれていた。ドイツと日本の境界で被るべき仮面が見つからないと悩む主人公に、等身大の作者が反映されている。本作のテーマも、多和田ワールドに通底する<アイデンティティーの追求>ではないか。

 「雪の練習生」で熊のクヌートは、<わたし>という一人称を体得し、アイデンティティー探しを始めた。「容疑者の夜行列車」の主人公が<あなた>になった経緯は第12輪「ボンベイへ」に示され、<その日以来、あなたは、描かれる対象として、二人称で列車に乗り続けるしかなくなってしまった>と結ばれている。最初の旅は第12輪で、<あなた>が日本人であることも紹介されている。

 <あなた>がダンサーを夢見た学生時代、もがきながらキャリアを積んだ修業時代、評価が定着した現在……。時を行きつ戻りつ、<あなた>は13輪に填め込まれる。いずれの場所でも他所者で、言葉で伝達することに限界を覚える。永遠に<わたし>になれない<あなた>とは、アウトサイダーとしてしか存在できない状況のメタファーなのだろう。

 <俺は本作の読者に適さない>と上記したが、親しみを覚える点がある。それは主人公――こう決めつけること自体、読みが浅いのかもしれないが――のダンサーが寝台で頻繁に、酔生夢死状態に陥ることだ。悪夢にうなされ、帰ってきた現実にもリアリティーを感じない。<あなた>を操る語り手の作意が窺えるのだ。

 俺の従兄はアジアを中心に活動する旅人で、フットワーク良く世界を回る知人もいる。彼らは一様にコミュニケーションに長け、発想も自由だ。今更、彼らのようになれない俺は、〝迷路を彷徨う旅人〟といったところか。読書も旅程のひとつで、時に想像を超えた光景に辿り着く。「容疑者の夜行列車」は俺を<ミステリアスな蜃気楼>に導いてくれた。
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落語、野球、ジャンヌ・モロー、競馬etc~真夏の雑感横浜編

2017-08-08 21:02:44 | 戯れ言
 週末は1泊2日で横浜を訪ね、落語、野球、観光を楽しんだ。感じたことを記したい。

 横浜といえば先月末、市長選が施行され、下馬評通りの結果に終わった。連合神奈川が現職の林候補(自公推薦)、旧民主系が元衆院議員の長島候補、旧維新系が伊藤候補を支援と、民進党が三分裂の体たらくある。

 長島、伊藤両候補が掲げたのは<カジノか給食か>……。言い換えればギャンブルか福祉で、まっとうなスローガンだが、プチギャンブラーの俺の心に響かない。太宰治は「人間は恋と革命のために生まれて来たのだ」(「斜陽」)と記している。恋と革命こそ、人の心を沸き立たせ、至福と破滅をもたらすギャンブルである……なんて、賭け事と無縁な人には屁理屈でしかない。

 土曜午後は「三遊亭白鳥 春風亭一之輔二人会」(関内ホール)に足を運んだ。仲入りを挟み、白鳥「アジアそば」→一之輔「百川」→一之輔「蝦蟇の油」→「隅田川母娘」の順で高座は進む。一之輔は古典に毒をまぶし、シュールな世界で〝壊れ〟を表現している。

 白鳥の「隅田川花火」を聴くのは3回目だが、最新バージョンには菅官房長官や松居一代も登場し、毒の密度はさらに濃い。片や古典、片や新作とベースは異なるが、両者の共通点は<毒と自嘲>で、深化と進化を続けている。行き止まりまで見届けたい。

 「勝烈庵」で腹ごしらえし、横浜スタジアムに向かう。残念ながら、前夜の快勝とは対照的な消化不良の内容だった。先発の井納は軸がブレているのか、体重移動がスムーズではないのか、制球が定まらない。攻撃陣も決め手を欠き、薮田を立ち直らせてしまった。その辺りが広島との実力差なのだろう。

 ネット中継が中心になったため、昨季からNFLを見る機会が激減した。30年近い観戦歴で得た教訓は<モメンタムとケミストリーの重要さ>だ。論理的に分析するアナリスト系ファンも多いが、NFLの死命を制するのはメンタルの力だ。プロ野球も同様で、一昨年のヤクルト、昨年の日本ハムと広島が当てはまる。今季、勢いを感じるのは西武で、日本一を予感させる。

 翌朝、ホテルでジャンヌ・モローの訃報に接する。名匠たちと映画を革新した大女優の死を悼みたい。俺にとって「死刑台のエレベーター」は〝映画の原風景〟で、アンニニュイなモローに心惹かれた。濡れねずみのフロランス(モロー)が恋人の姿を追い求め、夜の街を彷徨うシーンが記憶に残っている。マイルスの乾いたトランペットがフロランスの心象に寄り添い、叫びたくなるような狂おしさを覚えた。

 チェックアウトして向かった赤レンガ倉庫で、母に頼まれていたものの見つからなかったアクセサリーを発見出来たのは幸いだった。倉庫を出ると、「工作船資料館」の怪しい看板が目に飛び込んでくる。管轄する海上保安庁と工作船とのせめぎ合いに関する資料(船も)が陳列され、録音された音声を聞くことも出来る。

 中学1年の夏(1969年)、高浜(福井)の海水浴場を訪ね、<不審者を見かけたら通報してください>という看板に気付く。友人に意味を聞くと、「北朝鮮から工作船に乗ってやってくるスパイのことや」と教えてくれた。拉致事件との符合に気付いたのはかなり後のこと。日本海側は原発銀座で、公安警察の目が光っていたはずだ。そんな場所で拉致が頻発したことが不思議でならない。

 資料館を出て桜木町行きのバスに乗り、ウインズ横浜に向かう。POG指名馬アーモンドアイのデビュー戦を見届けるためである。1・3倍の圧倒的人気だったが差し届かず2着に終わった。素質の一端は示したし、放牧を経て臨む未勝利戦では勝ち上がれるはずだ。

 POGに興じるようになって10年、愛情で馬券を買うようになった。期間を過ぎても指名馬を追いかけてしまう。今週末は関屋記念(新潟)でメートルダール、エルムS(札幌)でピオネロが、ともに初重賞制覇を狙う。人気しそうで妙味はないが、馬券の軸に据えて応援する。
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シガー・ロスat国際フォーラム~ロックの頂上を体感した

2017-08-04 12:32:04 | 音楽
 馴染み深い築地場外の火災映像にショックを受けた。仕事先は築地から茅場町に引っ越したが、週1回は築地市場駅まで歩いている。〝自己ファースト〟小池知事によって政争の具にされたものの、既定方針通り豊洲移転が決まった今、焼失した店舗の再スタートを心から祈るばかりだ。

 音楽との付き合い方が気になっている。ヘッドホンを着けたまま食事を取るなんて店の人に失礼ではないか。電車で音楽を聴いている人は視線を下げ、時に目を瞑っているから、近くに高齢者が立っていても気付かない。聴きながら歩道を自転車で疾走するなんてもっての外だ。彼らにとって音楽とは、自身と周囲と遮断するためのツールなのだろう。

 俺は半世紀近くロックに親しんできた。ジャンルを問わず音楽ファンは脳内にジュークボックスを備えていて、気分に応じて自由自在に選曲できる。この10日ほどはシガー・ロスが鳴り響き、内側からのヨンシーの声と街の音がいい塩梅でブレンドされていた。音楽は耳だけでなく心と体でも感じるもの……。そう再認識させられたのがシガー・ロスのライブ(1日、国際フォーラム)だった。

 13年5月、武道館でシガー・ロスを初体験した際、ブログのサブタイトルは<まどろみと覚醒>だった。俺にとってこの間、〝読書の供〟であるシガー・ロスは、言葉を研ぎ澄まし、物語を神話に高める魔力を秘めている。星野智幸や中村文則を読む時の必須アイテムで、最もシンクロしたのは「ヘヴン」(川上未映子)だった。コジマの言う<標準>から<天上=ヘヴン>に飛翔する瞬間をキャッチできた。

 4年後、印象は少し変わった。武道館の2階席、国際フォーラムの1階席とシチュエーションの差もあるが、今回覚えたのはまどろみ抜きの、それも刺さるほど痛い覚醒である。スクリーンに映し出された自然や廃墟に、ライティングが形作る人魂や墓標らしきカラフルな幻影が重なり、ソリッドで重厚な音と混然一体になった〝闇のページェント〟が現出する。ロックの彼方を志向しながら、ロックの本質を追求するシガー・ロスの世界に浸った。

 20分の休憩を挟み、1時間ずつの2部構成(全15曲)のサイケデリアに、時空を超えた始原の闇を彷徨っているような感覚に陥る。「みんなが思い思いに歌詞をつけ、タイトルを決めてくれても構わない」(論旨)とヨンシーは語っていたが、彼らのパフォーマンスはファジーと対極で、聴く者に世界観を刻みつける。MCもアンコールもなく、カーテンコール2回というのも点にも、ストイックな姿勢を感じた。

 バンドを追ったドキュメンタリー「ヘイマ」では、故郷アイスランドの文化と自然へのオマージュを感じた。反グローバリズムを明確に、支配し搾取する側への怒りを表明していたが、シガー・ロスの基軸は世界観だけではない。性同一性障害を公言するヨンシーは少年時代、自分が周りと決定的に違うという感覚に苛まれた。味わってきた孤独と苦悩がファルセットボイスとボウイング奏法によって儚げで幻想的な音楽に昇華され、聴く者を癒やしとカタルシスの海に誘う。

 映画「127時間」で主人公アーロン(ジェームズ・フランコ)が避け難い選択をして生き延びた時に流れた「フェスティバル」もセットリストに含まれていた。避け難い選択をして生き延びる……。言い換えれば、疎外からの解放と救済への祈りを音楽に託したシガー・ロスは、ロックの頂上を超え、ボーダレスの空間を行き来している。

 今回のライブは、フジロック97でのレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの歴史的名演に並ぶ、個人的なツインピークスになった。タイプは異なるが、二つのバンドはこの四半世紀、世界観、知性、卓越したパフォーマンスで他のバンドと別次元に聳えている。

 アイスランドはシガー・ロスとビョークを生んだ極寒の小国(人口30万)だ。ともに祝祭的かつマジカルなムードを醸しているのも同郷たるゆえんだろう。フジロックで来日していたビョークが飛び入り……なんて期待したが、そんなサプライズはさすがになかった。

 アイスランドは平和度、男女平等度、医療の充実、人権意識の高さで世界トップと評価されている。グローバリズムに巻き込まれて破綻した経済を女性たちが再建した経緯は、「世界侵略のススメ」(マイケル・ムーア監督)に描かれている。シガー・ロスをとば口に、日本でアイスランドへの関心が高まれば幸いだ。民主主義を学ぶ上で最高の教材といえるからだ。

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