俺は一貫して小池都知事に批判的だった。自主避難者への住宅支援打ち切り、嘆願を拒絶した定時制高校廃止、小金井の「はけ」など環境保護への無関心、利権と結びついた豊洲移転決定……。「既得権益者&富裕層ファースト」の小池氏が正体を晒した。
関東大震災時、流言飛語に基づき多くの朝鮮人が虐殺された。悲劇を繰り返すまいと誓う慰霊式典(9月1日)には石原氏など歴代都知事も追悼文を寄せていたが。小池氏は取りやめた。日本会議国会議員懇談会副会長を務めた小池氏は記者会見で御託を並べていたが、根っ子はトランプ大統領と変わらぬ差別主義者だ。
ヘイトやレイシズムと対極に位置する「パターソン」(16年、ジム・ジャームッシュ監督)を新宿武蔵野館で見た。公開初日、永瀬正敏がトークイベントに登場する。「ミステリー・トレイン」以来、27年ぶりのジャームッシュ組だったが、普段から交流があるらしい。永瀬はユーモアを込めてジャームッシュへの敬意を語っていた。
舞台はニュージャージー州パターソンで、主人公は地名と同名のバス運転手パターソン(アダム・ドライバー)だ。アダムといえば「沈黙-サイレンス-」で苦悩するガルペ神父役が印象に残っている。妻あるいは恋人ローラを演じたのはイラン映画「彼女が消えた浜辺」の主演女優ゴルシフテ・ファラハニだ。
<いつもと変わらぬ1週間が生み出す奇跡>というのがキャッチで、ドラマチックな出来事が起こるわけではない。それでも日々のピースが填め込まれたはパズルは、極上の燦めきに満ちたファンタジーに昇華していた。
ご覧になった方はすぐ気付かれただろうが、ブラウン、グリーン(ブルーに近いことも)、そしてホワイトの3色が柔らかな統一感を映像にもたらしていた。工業都市として栄えた移民の街も、今は寂れ人口15万人弱。パターソン以外、主要な登場人物に白人がいないのは住民構成の反映だ。
ローラはイラン系、行きつけのバーの店主ドクと常連たちは黒人、毎朝愚痴る同僚ドニーはインド系、そして永瀬は日本人だ。ルーツが異なる人々が同じ目線で共存するパターソンは、ジャームッシュにとって〝理想郷〟なのか。
全体を貫くモチーフは詩だ。ウィリアム・カルロス・ウイリアムズやアレン・ギンズバークを輩出した街で、パターソンも日々、詩作に励み、モノローグで流れる。〝ハリケーン〟ルービン・カーターについて語り合う小学生、自称アナキストの男女……。現実感が薄い乗客の会話に耳を傾けるパターソンは、クルクル回る腕時計の針に誘われるように、創造と想像の世界に迷い込む。脳裏に浮かぶイメージを、合間を縫ってノートに書き留めるのだ。
本作に描かれる出来事はすべてが日常で、同時に仮想ではないか……。そんな考えが脳裏をよぎった。心ここにあらずで茫洋としているパターソンと対照的なのがローラだ。ギターを覚えて歌手になる、ケーキ作りで財を成す、パターソンの詩を出版するといった夢を形にするため、積極的に日々を過ごしている。カップルの温度差も、柔らかく中和していた。
コインランドリーのラッパー、ベンチに腰を下ろした少女、そして「詩は私の全て」と言い切る旅行者(永瀬)と、パターソンは頻繁に詩人と遭遇する。ほんの数分、場を共有しただけで、内なる詩への情熱を共有する。詩人の魂は凄まじい引力で相寄るのだろう。
犬嫌いの俺でさえ、一家の飼い犬マーヴィンの名演技には感嘆した。ニュートンが愛犬の悪戯で灰になった万有引力の論文を半年かけて書き直したエピソードは有名だが、パターソンにも同様のことが起きる。失意のパターソンに希望をもたらしたのが永瀬演じる詩人だった。何気ない日常が紡ぐファンタジーに心を癒やされた。
音楽に造詣が深いジャームッシュは、トム・ウェイツやジョー・ストラマーをキャスティングしていた。バーでの会話に出てきたイギー・ポップの生き様に迫った「ギミー・デンジャー」が今週末に封切られる。まさに〝ジャームッシュ週間〟で、近いうちにブログで紹介したい。
関東大震災時、流言飛語に基づき多くの朝鮮人が虐殺された。悲劇を繰り返すまいと誓う慰霊式典(9月1日)には石原氏など歴代都知事も追悼文を寄せていたが。小池氏は取りやめた。日本会議国会議員懇談会副会長を務めた小池氏は記者会見で御託を並べていたが、根っ子はトランプ大統領と変わらぬ差別主義者だ。
ヘイトやレイシズムと対極に位置する「パターソン」(16年、ジム・ジャームッシュ監督)を新宿武蔵野館で見た。公開初日、永瀬正敏がトークイベントに登場する。「ミステリー・トレイン」以来、27年ぶりのジャームッシュ組だったが、普段から交流があるらしい。永瀬はユーモアを込めてジャームッシュへの敬意を語っていた。
舞台はニュージャージー州パターソンで、主人公は地名と同名のバス運転手パターソン(アダム・ドライバー)だ。アダムといえば「沈黙-サイレンス-」で苦悩するガルペ神父役が印象に残っている。妻あるいは恋人ローラを演じたのはイラン映画「彼女が消えた浜辺」の主演女優ゴルシフテ・ファラハニだ。
<いつもと変わらぬ1週間が生み出す奇跡>というのがキャッチで、ドラマチックな出来事が起こるわけではない。それでも日々のピースが填め込まれたはパズルは、極上の燦めきに満ちたファンタジーに昇華していた。
ご覧になった方はすぐ気付かれただろうが、ブラウン、グリーン(ブルーに近いことも)、そしてホワイトの3色が柔らかな統一感を映像にもたらしていた。工業都市として栄えた移民の街も、今は寂れ人口15万人弱。パターソン以外、主要な登場人物に白人がいないのは住民構成の反映だ。
ローラはイラン系、行きつけのバーの店主ドクと常連たちは黒人、毎朝愚痴る同僚ドニーはインド系、そして永瀬は日本人だ。ルーツが異なる人々が同じ目線で共存するパターソンは、ジャームッシュにとって〝理想郷〟なのか。
全体を貫くモチーフは詩だ。ウィリアム・カルロス・ウイリアムズやアレン・ギンズバークを輩出した街で、パターソンも日々、詩作に励み、モノローグで流れる。〝ハリケーン〟ルービン・カーターについて語り合う小学生、自称アナキストの男女……。現実感が薄い乗客の会話に耳を傾けるパターソンは、クルクル回る腕時計の針に誘われるように、創造と想像の世界に迷い込む。脳裏に浮かぶイメージを、合間を縫ってノートに書き留めるのだ。
本作に描かれる出来事はすべてが日常で、同時に仮想ではないか……。そんな考えが脳裏をよぎった。心ここにあらずで茫洋としているパターソンと対照的なのがローラだ。ギターを覚えて歌手になる、ケーキ作りで財を成す、パターソンの詩を出版するといった夢を形にするため、積極的に日々を過ごしている。カップルの温度差も、柔らかく中和していた。
コインランドリーのラッパー、ベンチに腰を下ろした少女、そして「詩は私の全て」と言い切る旅行者(永瀬)と、パターソンは頻繁に詩人と遭遇する。ほんの数分、場を共有しただけで、内なる詩への情熱を共有する。詩人の魂は凄まじい引力で相寄るのだろう。
犬嫌いの俺でさえ、一家の飼い犬マーヴィンの名演技には感嘆した。ニュートンが愛犬の悪戯で灰になった万有引力の論文を半年かけて書き直したエピソードは有名だが、パターソンにも同様のことが起きる。失意のパターソンに希望をもたらしたのが永瀬演じる詩人だった。何気ない日常が紡ぐファンタジーに心を癒やされた。
音楽に造詣が深いジャームッシュは、トム・ウェイツやジョー・ストラマーをキャスティングしていた。バーでの会話に出てきたイギー・ポップの生き様に迫った「ギミー・デンジャー」が今週末に封切られる。まさに〝ジャームッシュ週間〟で、近いうちにブログで紹介したい。