酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

端緒を開いた「緑の革命」~杉並区議補選に寄せて

2014-06-30 23:13:00 | 社会、政治
 「あいときぼうのまち」について記す予定だったが、外せないテーマが見つかったので、次稿に回すことにする。

 先週末から吉報が相次いだ。「海砂市叙景」で感銘を受けた熊切和嘉監督の最新作「私の男」が、モスクワ映画祭でグランプリに輝く。音楽は「海砂市叙景」同様、ジム・オルーク(元ソニック・ユース)が担当し、ヒロインは「ヒミズ」、「地獄でなぜ悪い」(ともに園子温監督)で強烈な印象を受けた二階堂ふみである。

 POG1位指名のティルナノーグが、前評判ほど弾けなかったもののデビュー戦を飾った。W杯では決勝トーナメント1回戦で、40年来応援しているオランダが、絶体絶命から逆転勝利を収めた。「いい流れだ、この勢いで」と吉報を心待ちした杉並区議補選だが、夢は現実にならなかった。

 11人が立候補し、組織票を持つ自民、生活者ネットワーク、共産の3人が当選した。他にも民主、みんなの党、生活の党の公認候補、元職3人が顔を揃える中、地盤も知名度もない川野たかあき候補(緑の党推薦)は、6位とはいえ8000票強を獲得する。投票率が30%弱では浮動票頼みの候補には厳しい。

 先週土曜日、選挙戦最終日に応援に駆け付けた。<ミッション1>は、街宣場所の荻窪駅北口から少し離れたドン・キホーテ前のロータリーで、横断歩道を渡ってくる人、バスを降りた人に、ラウンドガールよろしくクルクル体を回しながらパネルを見てもらうことだが、反応はイマイチだった。若者は「変なおっさんが宣伝してる。パチンコ?」ってな具合。中高年は一応見てくれるが、「川野って誰?」と怪訝な表情を浮かべている。

 <ミッション2>は重要で目立つ任務だった。宇都宮健児氏の後ろに立ち、「応援弁士 宇都宮けんじ」と書かれたパネルを掲げることだ。愛嬌も機動力もない俺にピッタリとの判断だろうが、数少ない当ブログの読者は、俺が膝と肩の痛みを癒やすため接骨院に通っていることはご存じだ。風が強く、支えるのはホネだった。前に倒れて宇都宮氏の脳天直撃となれば……。俺は応援団長のように必死の思いで、旗ならぬパネルを掲げ続けた。立ち位置が変わると、聴衆の反応がビビッドに伝わってくる。宇都宮氏の説得力ある演説はさすがというしかない。

 俳優だった川野さんは山本太郎議員に誘われ、反原発の思いを引っ提げ政治の世界に入った。だが、自身の演説では認可保育園と緊急一時保育の拡充、区内の非正規雇用削減、低所得者への家賃援助、健康保険無資格者ゼロ、特養ホームの増設など、生活に即した主張を繰り返していた。

 俺が思い出したのは、都知事選の際の星野智幸のブログだ。原発にテーマを特化した細川陣営を批判し、以下のように記していた。

 <ただ生命を維持しているだけとしかいいようがない若者の貧困、孤立する高齢者の一人暮らしや夫婦等々、今この一瞬が死活問題として、生死の瀬戸際に立たされている人がものすごくたくさんいる。広く捉えれば、福祉の問題ということになる>

 福祉の充実を前面に出した川野さんは、来年の統一地方選で再チャレンジするという。「落選したら鳶の仕事やるかな」と話していたように、川野さんは37年間、逞しく世を渡ってきた。今回の得票数があれば、緑の党推薦候補で川野さん以外、もう1人、いや2人の当選も可能だと思う。再度の機会はもちろん、地元(中野区)で立つ人がいれば縁の下で協力したい。

 当日午後は川内原発再稼働反対集会が明治公園で開催された。ハシゴも考えていたが、応援の方を優先する。緑の党で反原発その他の政治的課題に先頭で取り組んでいるのは杉原さんだ。デモを終えて合流した杉原さんと、公職選挙法の矛盾について話した。ビラやチラシを聴衆に撒くことはできず、積極的に尋ねてきた人のみに配布可能という縛りがある。供託金制度は治安維持法と軌を一に発布された普選法の精神を現在に置き換えたものだ。先進国に例を見ない不自由な制度は、日本が民主国家ではないことを端的に示している。

 ラストデーしか応援できなかったけど、自由の胚胎を感じることができた。役に立たないアラカン男に出来ることは限られているが、政治を動かすエンジンが義理と人情であることは重々承知している。緑の党に入会してからまだ4カ月だが、高邁な意志と熱い気持ちを併せ持つ人たちと出会えた。世界が広がった気がする。
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麻雀&POG~博才ゼロ男のギャンブルとの接し方

2014-06-27 13:53:02 | 独り言
 仮定は禁物だが、日本代表は1年前の状態を維持出来ていたら、決勝Tに進めたかもしれない。協会もザックも、負の連鎖――中心選手の相次ぐコンディション低下、露呈した守備の穴――に対応出来ず、〝取られたら取り返す〟なんて無謀な〝哲学〟がチームに蔓延する。組織と規律を重視する監督の方が、日本人の長所にフィットするのではないか。

 整理記者Yさんは反原発にも関わる演劇評論家で、権力者には鋭い刃を向け、弱者にはシンパシーを抱く。教えられることが多いYさん絶賛の「あいときぼうのまち」(14年)を一昨日、テアトル新宿で見た。併せて書きたいことがあるので、次稿で感想を記したい。

 勤め人時代の後輩T君と週2回、仕事先で顔を合わせるようになった。T君は20年以上前にフリーになっていたが、その後も交流があった。サマーソニック'02は俺の負傷(肉離れ)で合流出来なかったが、翌年のパティ・スミス日本公演(赤坂ブリッツ)は同行する。T君の当ブログ登場は2度目で、大銀座落語祭(08年)に誘ってくれたことが、寄席に足を運ぶきっかけになった。

 T君を一言で評すれば<水平思考の自由人>だ。勤め人が罹りやすい病――上から目線の傲慢、下から目線の卑屈――とは無縁で、〝偽悪的装い〟にも親近感を覚える。彼のフレームインは、ささやかで好ましい日常の変化だった。

 枕が長くなったが、本題に。今回は博才ゼロ男のギャンブルとの接し方を記したい。まず麻雀だが、フリーで打つほど力はなく、もっぱらテレビ対局を楽しんでいる。応援しているのは受け重視の新津潔プロで、耐えに耐えた末に爆発するシーンにカタルシスを覚えてきた。〝テキトー〟はポーズで、俺の本性は堅実と忍耐かもしれない。

 女子プロでは二階堂亜樹だ。結婚、出産を経ても可憐さは変わらず、テレビ対局で振るわないというイメージを、最強位戦女流プロ決定戦で払拭した。ルックス(グラビアアイドル)で惹かれた高宮まりは腹が据わった打ち手で、勝負と見れば暴牌も辞さない。二階堂のキャッチフレーズは<卓上の舞姫>だが、高宮には<卓上の修羅雪姫>がピッタリだ。

 1989年の日本シリーズ第3戦を、大学時代の先輩Kさんと観戦した。勝利投手インタビューで球史に残る発言が生まれる。加藤哲郎による「(3連敗した)巨人は(パ最下位の)ロッテより弱い」だ。その後、巨人が4連勝し、近鉄の悲願の日本一はならなかった。加藤は〝勝負のアヤを知らない男〟として人々の記憶に刻まれる。

 加藤の別の貌を知ったのは、最強位戦著名人代表決定戦だ。予選、決勝と萩原聖人と同卓した加藤について、解説の土田浩翔は早い段階で「日本に100人いるかいないかのアマ強豪」と絶賛する。情熱と美学で麻雀と向き合う萩原は、プロを見下す発言で物議を醸したこともある。そんな萩原の対局中の表情に、「あなた(加藤)になら負けても納得です」との敬意が込められていた。今回は微差及ばなかったが、〝勝負の深さを知り尽くした男〟加藤の闘牌に触れる日が楽しみだ。

 先日、POGドラフト会議に参加した。縛りは関東≧関西だけで、各自30頭前後を指名する。POGの走りというべき由緒あるグループだが、メンバーは6人に減り、平均年齢も60歳を超えている。指名済みの馬の名を数巡後に挙げたり、厩舎を勘違いしたりと、空気はまったりしていたが、そこは老いたりとはいえつわものたちの集まりだ。俺の隠し玉が次々に消えていく。

 指名馬には感情移入してしまう。コディーノの死は悲しい知らせだった。昨年のダービー直前、同馬に競馬を教えてきた横山典が降ろされ、藤沢和調教師との間に修復不能の亀裂が生じた。ワンアンドオンリーで今年のダービーを制した横山典と橋口調教師との間には、〝ダービーまで続けて騎乗〟の約束が交わされていたという。

 俺は昨年、悲惨な成績に終わった。最大の敗因は見栄である。〝評判馬、人気馬なんか取ってたまるか〟と未知数に懸けた指名を繰り返したのが失敗だった。今年は30頭のうち11頭がディープインパクト産駒とPOGの常識に沿う指名だったが、今をときめくハーツクライは1頭だけである。今年もしくじったかもしれない。以下に上位10頭を挙げておく。

①ティルナノーグ(牡・ディープインパクト/松永幹)
②トーセンゲイル(牡・ディープインパクト/池江)
③ウェルブレッド(牡・ディープインパクト/加藤征)
④ブロードキャスト(牡・ディープインパクト/中竹)
⑤アルター(牡・ネオユニヴァース/古賀慎)
⑥コートオブアームス(牡・ディープインパクト/矢作)
⑦ショウナンアデラ(牝・ディープインパクト/二ノ宮)
⑧レッドマジェール(牝・ディープインパクト/手塚)
⑨ブルックデイル(牝・キングカメハメハ/尾関)
⑩アースライズ(牝・マンハッタンカフェ/矢作)

 日曜には阪神競馬場で宝塚記念だ。⑦ウインバリアシオンと⑩メイショウマンボを軸に馬券を買う予定だが、俺にとってのメーンは5Rの新馬戦で、1位指名ティルナノーグと16位指名アドマイヤロケット(牡・ゼンノロブロイ/友道)がぶつかる。ワン・ツーが希望だが、そう簡単にいくはずもない。
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「グランド・ブダペスト・ホタル」は巨大なデコレーションケーキ

2014-06-24 23:24:36 | 映画、ドラマ
 関東一帯は今日の午後、激しい雷雨に襲われた。三鷹や調布では局所的に雹が降り、初夏の街が冬化粧する。衝撃的な映像だったが、地震など天変地異の前触れと警鐘を鳴らす声もある。

 政治では安倍台風の猛威が収まる気配がない。5月に来日したイスラエルのネタニヤフ首相と安倍首相との会談で確認済みというが、集団的自衛権の適応範囲が中東にまで広がった。法人税の引き下げ、残業代ゼロ、それに原発再稼働と、国民を無視したまま事態は進行している。歯止めは掛からず、無力感だけが膨らんでいく。

 W杯を勝ち上がるための鍵になるのはモメンタムだ。その点で可能性を感じたメキシコが、わがオランダの前に立ちはだかる。内容ではオランダを上回っていたオーストラリア、イタリアを破ったコスタリカ、ドイツを追いつめたガーナ、アルゼンチンを慌てさせたイラン……。結果はともかく、煌めいたチームも多かった。日本代表は数時間後、見る者の魂を揺さぶることが出来るだろうか。

 さて、本題。TOHOシネマズシャンテで先週末、「グランド・ブダペスト・ホテル」(14年、ウェス・アンダーソン監督)を見た。同館では全回ソールドアウトで、都内の上映館は10を超える。欧米での大ヒットが日本にも波及したようだ。

 映画館だけでなくレンタルDVDでご覧になる方も多いはずなので、ストーリーの紹介は最低限にとどめ、背景と感想を記したい。ブダペストはハンガリーの首都ではなく、ドイツと国境を接するチェコの町という。

 人気作家(ジュード・ロウ)は1968年、保養のためにグランド・ブダペスト・ホテルを訪れる。絵画から抜け出したような瀟洒なホテルだが、往時の賑わいはない。作家はオーナー(F・マーレー・エイブラハム)と親しくなり、過去のエキサイティングな物語を聞くことになる。

 オーナーは1930年代、中東からヨーロッパに流れ着き、当ホテルでロビーボーイとして働くようになる。ゼロと呼ばれた少年(トニー・レヴォロリ)は、コンシェルジュのグスタフH(レイフ・ファインズ)と父子を超えた絆で結ばれる。グスタフは一流の色事師で、未亡人たちの人気の的だったが、そのうちのひとりであるマダムDの死によって、遺産を巡る事件に巻き込まれる。グスタフとゼロの荒唐無稽な冒険譚が始った。

 本作は〝贅を尽くした重層のデコレーションケーキ〟の如くだ。どこから齧っていいか迷うほど豪華で、見栄えだけでなく隠し味も施されていた。ちなみに、ゼロの恋人アガサはお菓子職人で、要所要所で大活躍を見せる。

 館内が明るくなった時、俺は同行した知人に「正体不明だったね」と感想を漏らした。ヨーロッパ、それも1930年代から半世紀の東欧に照準を定めた映画なら、ナチスの残虐、戦争の悲劇、社会主義国の沈滞がスクリーンから滲んでくるのが普通だ。もちろん、本作にもナチスは登場するが、歴史は後景に退いている。理屈をこねるのが好きな俺が〝正体不明〟と感じたのも、その辺りにある。

 米国人のアンダーソン監督は歴史から距離を置き、オマージュを軸に物語を紡いだ。30年代、60年代、80年代をそれぞれ異なるスクリーンサイズで描くなど、細部に工夫と仕掛けが凝らされている。笑いが漏れたシーンで、「?」と取り残されたことも癪というか、情けなかった。ユーモアと皮肉がちりばめられたエンターテインメントで、上記以外にもウィレム・デフォー、エイドリアン・ブロディ、ジェフ・ゴールドブラム、エドワード・ノートン、ハーヴェイ・カイテルら豪華な面々が脇を固めていた。

 本作を彩るのは郷愁、孤独、そして遊び心だ。間を置いて〝デコレーションケーキ〟を齧ったら、新たな風味に気付くかもしれない。無限の奥行きを感じさせる作品だった。
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「かなたの子」に表れる日本人の不変の感性

2014-06-21 22:12:59 | 読書
 コスタリカがイタリアを破るなど、W杯では意外な結果が続いている。オランダファンにとってスペイン戦圧勝は嬉しい想定外だったが、オーストラリア戦はハラハラドキドキの辛勝だった。予選段階では日本より一段下のイメージがあったオーストラリアだが、サッカー通によるとこの1年、あらゆる点でビルドアップしたという。チームに芯が入っている感じて、変化を恐れた日本とは対照的な戦いぶりだった。

 当ブログで繰り返し記した通り、俺の感性はここ10年、急速に<和化>した。東日本大震災と原発事故、そして妹の死が拍車を掛けた。<和化>を字面で<保守化>と捉え、安倍首相支持者と誤解する方もいるだろうが、実際は真逆だ。俺は感性的、生理的に安倍内閣が象徴するもの――単純な二進法的発想、強者の論理、垂直思考、集団化――を拒絶している。

 十進法的人間にとって<日本的>とは、浸潤するアイデンティティーの追求、多様性を重視する寛容な精神で、日本的情緒や死生観も含まれる。表情で譬えれば〝柔らかな微笑〟で、安倍首相を支える〝優越感に歪んだ怒り〟とは対極にある。この年(57歳)にして緑の党に入会したのも、自分の感受性にフィットする集団を初めて見つけたからである。

 <和化>と軌を一に、日本の小説を再発見した。池澤夏樹、島田雅彦、星野智幸、平野啓一郎、辻原登、カズオ・イシグロetc……。彼らが志向するものに共感を覚えたが、新たな名が加わった。先日、角田光代の「かなたの子」(11年、文春文庫)を読了する。泉鏡花文学賞受賞作というのも納得で、鏡花だけでなく小泉八雲、川端康成の世界と多くを共有している。

 数作読まないと作家の全体像を把握出来ない。初めて読んだ角田について語る資格がないことは承知の上で、「かなたの子」の感想を以下に記したい。

 「かなたの子」は第1部「おみちゆき」⇒「同窓会」、第2部「闇の梯子」⇒「道理」、第3部「前世」⇒「わたしとわたしではない女」、第4部「かなたの子」⇒「巡る」で構成され、各部は因襲が色濃く残る共同体と21世紀を繋ぐ形を取っている。畏れ、罪の意識、残酷な宿命に彩られ、主人公は現実と幻想の狭間を惑ううち、何者かが自分に憑依しているかのような感覚に陥り、<わたし>という主体は崩れていく。

 第1部のテーマは<闇>だ。即身仏になるため墓に入った僧、スーツケースに閉じ込められた少年が対比して描かれる。<沈黙の掟>により、罪の意識が紐帯になる。「同窓会」の主人公がラストで感応した、閉じ込められた、いや、閉じ込めた少年の恐怖が行間から滲み出て、読む者の心へと染み込んでいく。

 第2部のテーマは<言霊>だ。「闇の椅子」の主人公は妻、「道理」の主人公は再会した元恋人とコミュニケーションが取れなくなる。彼女たちの心は現実の向こう側と結ばれているからだ。「道理」の主人公は、かつて心を寄せたヨガ講師の影響で〝道理〟を説いた。その言葉が元恋人に憑りつき、刃になって主人公に突き刺さる。

 第3部のテーマは<もうひとりの自分>だ。「前世」では、昭和初期まで黙認されていた間引きが仄めかされている〟主人公の意識は時空を彷徨い、殺さざるを得なかった母、殺された娘を行き来する。「わたしとわたしではない女」の主人公は、出産時に死んだ双子の片割れという設定で、<わたしって何>というアイデンティティーの危うさを常に感じている。

 表題作を含む第4部のテーマは<母娘の絆>で、角田原作の映画「八日目の蝉」(07年)が重なった。「かなたの子」には生まれなかった子(死産、堕胎)に対する母の罪の意識が描かれていた。逼迫感から逃れるため、主人公は贖罪の小さな旅に出る。現在に置き換えられた「巡る」の主人公はバスツアーに参加し、霊験あらかたと評判の寺に詣でる。旅の過程で混沌としていた記憶がクリアになり、悲痛な形を取った娘との断絶が像を結ぶ。

 言葉の底にあり、同時に言葉で掴めないもの……。「かなたの子」は日本人に不変の感性に迫った、寒気がするほど恐ろしい短編集だと思う。
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政治にとってリアリティーとは~新宿の乱で考えたこと

2014-06-17 23:54:14 | 社会、政治
 一昨日(15日)、新宿アルタ前で開かれた「安倍政権はダメだとはっきり言おう~PART2」集会に参加した。平均年齢が高めなのは残念だが、前回(5月10日)の3倍強(500人)が集まった。〝新宿の乱〟はトレンドとして定着するかもしれない。

 アルタビジョンから享楽的な映像が流れ、新宿駅東口前ではW杯関連のイベントが開催されている。ジャパンブルーに身を包んだカップルが、濃密な気圧を避けるように通り過ぎていった。集会では若者の未来に言及するアピールが続いたが、彼らを取り込むことが出来れば、この国の風景も変わるだろう。

 話は逸れるが、俺はある決意をした。知識人や国会議員の空虚な演説は絶対聞かないという……。「市民の皆さん」と壇上から呼び掛ける作家がいる。だが、警察国家日本で何かに疑問を抱いて立ち上がった市民は、たちまち監視下に置かれ、活動家にならざるを得ない。公安のマークが〝勲章〟かもしれない知識人が、市民生活を犠牲に闘う活動家たちに高い場所から話すなんて、言語道断の構図だ。

 原発、秘密保護法、辺野古移転、TPPと、数字操作が確実の<安倍機関=メディア>による世論調査でさえ、賛否は拮抗しているが、国民の声を反映できない政党は機能不全状態だ。古賀茂明氏は昨年末、講演会で<護憲と反原発>を軸にしたリベラル連合に期待を寄せていたが、事態は真逆に進んでいる。前原グループが民主党から出て維新と合体し、自公と組む可能性もある。

 「安倍政権はダメだとはっきり言おう」集会では、日常活動に立脚した真摯なアピールが相次いだ。<貧困と格差>を軸に語った雨宮処凛氏と山口素明氏、郡山で<反原発>を訴え続けている梅津俊也氏、<安倍政権とメディア>の観点で現状を抉る斎藤貴男氏、<反TPP>の立場で深刻な影響を例示する内田聖子氏、<辺野古基地建設反対>を闘う井上澄夫氏と加藤宣子氏、<集団的自衛権反対>を主張する国富健治氏と、マイクはリレーされた。

 的を射た簡潔なアピールで、個の課題が浮き彫りになるだけでなく、互いが分かち難く繋がっていっることが理解できた。安倍首相、そして構造を変えない限りポスト安倍も、日本の社会をアメリカ型に変えようとするだろう。安倍首相の保守回帰も、新自由主義を実践するための手段ではないか。逆もまた真で、政権が推し進める格差と貧困の拡大は、徴兵制の前提条件になる。

 奇妙な誤解がこの間、とりわけリベラル側で語られていた。<オバマ大統領は右翼的な安倍首相を嫌っている>という希望的観測だ。野田政権が地均しした道を、安倍政権はまっしぐらに歩んでいる。仕事先の夕刊紙は<集団的自衛権に抵抗する公明党に対し、オバマ政権は「創価学会を米国内でカルト認定するぞ」と脅しをかける>という記事を掲載した。TPPしかり、原発再稼働しかり、辺野古移設しかり……。アメリカの意に沿う限り、度が過ぎる点があっても目こぼししてもらえるのだ。

 内田氏のアピールのさなか、隣に立っていた西洋人風の青年に質問された。聞き逃した点があったらしい。正確に伝わるか不安だったが、「TPPによって自由診療が浸透したら、日本の医療制度や保険制度が崩壊する」と彼女の主張を説明した。「国はどこですか」と続けてしまったが、「僕はハーフで日本育ちです」と答えた彼は、気分を害したかもしれない。新宿の乱で今後会う機会があれば、礼を失したことを詫びたい。

 デモコールのメーンは当然、<安倍政権を倒そう!>だった。フラッシュバックしたのは、2年前の幾つかの反原発集会である。共産党や社民党のトップが<野田政権を倒すぞ>と拳を突き上げていたが、俺はリアリティーの欠落に愕然とした。野田政権の代わりに登場するのは、さらに悪い自民党であることは自明の理だった。反原発を軸に広範な勢力を結集しようという姿勢は全く見えなかった彼らだが、無責任な発言を恥じている様子はなかった。それが国会議員のリアルな現実だ。

 では、どうすればいいのだろう。安倍政権の後、よりましな政権像を具体的に描くことは出来るだろうか。日本のあちこちで地殻変動に向けた予兆はあるが、時間はかかる。何より必要なのは、思いを一つにした複数のオルガナイザーではないか。デモ解散後、そんなことを考えながら徒歩で家路に就いた。
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「シャーロック3」~バディからチームへの進化の予感

2014-06-14 22:45:19 | 映画、ドラマ
 W杯開幕戦で西村主審が下したPKの判定が、世界中で議論を呼んだ。<誤審>の汚名を着るかに思えたが、当事者が援軍になる。シミュレーションと非難を浴びるブラジル代表フレッジは、<エリア内で肩を掴んで進路を阻んだ時点でPKと通達されていた。あの判定はFIFAの意に沿うもの>(要旨)と主張した。

 王者スペインが惨敗した。オランダファンの俺は「何とか引き分けで次戦に」と、録画した試合を恐る恐る見ていた。同点ヘッドを決めたファンベルシーが真っ先に〝規律オヤジ〟ことファンハール監督の元に向かい、ハイタッチしたシーンにグッときた。戦略家ファンハールがチームにケミストリーをもたらせば、快進撃が期待できる。

 椎名林檎のNHKのテーマが物議を醸している。椎名が心酔する浅井健一は、ブランキー・ジェット・シティ時代から反米感情を曲に込めていた。BJC解散後は右派的な発言を繰り返していたが、思想信条を曲に反映することは俺の知る限りなく、メルヘンチック、メランコリック、シュールな歌詞が特徴だ。椎名は浅井と異なり、〝言曲一致〟を表現したのだろうか。ちなみに椎名は、愛車をヒトラーと名付けている。

 サッカーではW杯に限らず、得点を挙げた選手を囲んでセレモニーが行われる。俺ぐらいの年(57歳)になると、目標に向かって邁進し、結果が出た時、大勢で歓喜するなんて経験できない。チーム、そしてバディ(男同士の相棒)を扱ったドラマの人気を支えるのは、憧れと羨望といえるだろう。両方を併せ持つのはドラマ「相棒」だ。

 バディの原型であるホームズとワトソンのコンビでは、「シャーロック・ホームズの冒険」(グラナダテレビ制作、1984~94年)がベストと考えていたが、衝撃的なシリーズが登場する。ホームズを21世紀に甦らせた「シャーロック」(BBC制作)で、ホームズ(ベネディクト・カンバーバッチ)、ワトソン(マーティン・フリーマン)のバディの形も今風にアレンジされている。

 NHKで先日放映された第3シリーズ(全3話)は、今後に向けた<インサイド・ストーリー・オブ・ホームズ&ワトソン>の赴だった。友情を超えたホームズとワトソンとの絆が強調され、兄マイクロソクトどころか両親まで登場する。父は普通人だが、兄弟の才気の源は母(数学者)のDNAであるらしい。

 パンク風の不埒な言動、幼児性、バイオリンと柔術の名人、薬物依存、下層社会(ホームレス)に張り巡らしたネットワーク……。原作のイメージに忠実だが、今シリーズでホームズの新たな側面――熱さ、柔らかさ、自虐的なユーモア――も明らかになる。ダンス好きというのも笑えるエピソードだ。ちなみにホームズは「高機能社会不適応者」を自称している。

 第1話「空からの霊柩車」ではホームズの生還の真実と日常の様々な変化が示される。第3話「最後の誓い」の敵役であるメディア王マグヌセンが、「あなたは首相に何度も会っている。政策に影響を及ぼしているのではないか」と責められるシーンに、民主国家の世界標準を教えられた。安倍首相と頻繁に宴を囲んでいる新聞社やテレビ局のトップが、その点を恥じる様子はない。日本のメディアが信じられないのは当然なのだ。

 旧シリーズを含めて白眉といえるのは第2話「三の兆候」だ。ホームズはワトソンとメアリーの結婚披露宴で、ベストマン(付添人)を務める。参列者の前でスピーチするが、脱線もしばしばだ。最近依頼を受けた「衛兵ストーカー事件」と「亡霊ナンパ事件」、そして結婚式で起きる可能性があった殺人事件が点から線に繋がって、全てが一挙に解決する。新鮮なプロットに驚嘆するしかない。

 「頭の中に作った架空の地図に記憶を落とし込む。地図を辿れる限り、理論上、何かを忘れることはない」……。ホームズの明晰さは健在だが、女性の気持ちがわからぬ男というキャラは払拭した。正確には<女性の気持ちを理解した上で、愛の力学を巧みに用いる男>というべきだろう。

 次回以降、マグヌセンが「英国一の実力者」と位置付ける兄マイクロフト、ミステリアスな過去を持つメアリー、そして抜群の観察力を誇る弟子?のビリーらがストーリーを膨らませていく。バディから進化したチームに立ちはだかるのは、<ネット上の悪意の結晶軸>というべきモリアーティだ。仇敵が復活する「シャーロック4」が待ち遠しい。
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「コレラの時代の愛」~マルケスが誘う愛の深淵

2014-06-11 23:56:04 | 読書
 W杯が始まると、サッカーについて話す人が急増する。試合の内容だけでなく国民性も話題になるが、的外れも多い。98年の自国開催で優勝したフランスは、ジダンを筆頭に旧植民地出身者が主軸を占めていた。ドイツもポーランド系、トルコ系、アフリカ出身など〝多国籍軍〟で、ゲルマン魂も過去の話だ。イタリア男性は開放的とされているが、サッカーは伝統的に守備重視だ。

 今回紹介するのは、バルガス・リョサと南米文学のツインピークスを形成するガルシア・マルケスの「コレラの時代の愛」(85年、新潮社)だ。マルケスはW杯で日本と同組のコロンビア出身だが、俺はそのことを時々忘れている。マルケスの作品はコロンビア色が希薄で、ペルー人であることを前面に出すリョサとは対照的といえる。

 コロンビアのサッカー界は90年代、麻薬カルテルのマネーロンダリングの道具になっていた。94年W杯では優勝候補の一角だったが、初戦で敗れるや賭博を牛耳る闇組織から脅迫が相次ぎ、代表選手の兄弟が殺害された。開催国アメリカ戦でオウンゴールを献上したアンドレス・エスコバルは帰国後、酒場で殺された。エスコバルの死に至る経緯を追ったドキュメンタリーに、マルケスの「予告された殺人の記録」が重なった。

 マルケスは尊敬する作家として、カフカ、ウルフ、フォークナーを挙げている。血や情念を濾過した上で、〝インターナショナリズム〟に則った作品を書き続けたともいえる。代表作のひとつとされる「コレラの時代の愛」は、字がぎっしり詰まった500㌻超の長編だ。放り出すことも覚悟の上で読み進むうち、違和感を覚え始めた。

 マジックリアリズムと総称される南米文学の最高峰は1966、67年に相次いで発表されたリョサの「緑の家」とマルケスの「百年の孤独」だ。物語は時空を行き来し、現実と虚構の間を彷徨う。一つのセンテンスが複数の主観で構成されるという前衛的な手法を用いているが、本作は違った。

 南米文学に対峙するとは、ピカソ、シャガール、シュルレアリズムの画集を幻惑されながら繰っている感覚に近いが、本作はモネの水彩画のような印象だった。50年以上の時をカットバックして進行するが、丁寧な描写は消化不良を招くことなく、内側に染み通ってくる。

 自然の移ろい、天候の変化、街の風景と音を、登場人物の心象風景と重ねながら描写している。19世紀の写実主義を20世紀後半に甦らせた実験作なのだろう。黒澤明は精緻な絵コンテを用意して撮影に臨んだが、マルケスは黒澤と近い方法論で、映画を撮るように本作を書き進めたのではないか。ちなみに息子のロドリゴ・ガルシアは「アルバート氏の人生」などで知られる映画監督だ。

 本作はコレラが世界的に流行した19世紀末に始まり、終息した20世紀半ばに終わる。帯にあるように、<51年9カ月と4日、男は女を待ち続けていた>……。男とはフロレンティーノ・アリーサで、女とはフェルミーナ・ダーサである。

 男の女への愛に重なるのは、「アタメ」のリッキーであり、「トーク・トゥ・ハー」(ともにペドロ・アルモドバル)のベニグノだ。男は詩とバイオリンに愛を託すが、若かった女に愛のスケールを測り、咀嚼する力はなかった。女は自らと男の間にあるものが<恋ではなく恋に焦がれる熱情>と気付き、思いは冷める。そこに現れたのがフベナル・ウルビーノ博士だった。

 博士は名門出身の男前の医師で、亡き父とともにコレラ撲滅に尽力した。欧州への留学経験もあり、あらゆる点で洗練されている。<三高>どころか全てを持つ博士は女性の憧れの対象で、女は博士の求愛を受け入れる。

 それから半世紀……。男は博士との間にあった差を縮めていく。海運会社のトップに上り詰めた男は、博士と女に社交場で鉢合わせすることがあった。女にとって男は、常に<人間というより影のような人>だ。確かに男は、愛を形に出来ず、〝愛という影〟を求めて生きていた。

 結婚とは残酷なものだ。完璧に近い博士も、女の目に<苗字の重みで虚勢を張っているだけの張子の虎>と映る。名声や地位といった虚飾をはぎ取ったら、どこにでもいる平凡な男なのだ。結婚30年でベッドは別になり、両者の間に倦怠が忍び寄る。夫の不実を許せず家を出た時期、男との<形にならなかった愛>を蜃気楼のように思い出す。そして、博士は突然、召された……。

 待ち続けた男は、再アタックを試みる。76歳になった男は独身で、ゲイと見る人も少なからずいた。美貌で知られた女は72歳になったが、男は変わらぬ情熱で突き進む。愛とは何て崇高なのだろう……。あらましだけ聞いた人は、こんな風に考えるかもしれない。

 だが、実態は大いに異なる。男はカリギュラやカサノバ並みの色事師で、親しい女性から「恋乞食」、「さまよえる夢魔」と評されていた。世間に洩れなかった理由は、許容量のある女性(多くは未亡人)を無意識のうちに選んできたからだ。半世紀分の思いを遂げた時、男は不道徳の極みにいた。今風にいうと援交、淫行の関係にあった美少女が、男が急に冷たくなったことを理由に自殺する。

 本作を読まれた方、特に女性は<至高の愛を壮大かつ精緻に描いた>という看板に偽りありと感じるだろう。だが、俺には男の気持ちが理解できる。愛に必要なのは対象ではなく、愛を求める尽きぬ泉なのだ。届かなぬ思いを狂気未満にとどめるためには、仮想の愛が必要だった。

 70代の男女は老いさらばえた体をさらし、一線を超えたことで次の段階へと進む。男が経営する会社の豪華船で、行き先のない旅を続けるのだ。女との愛、そして少女の死により、男には帰る場所がない。辿り着くのは愛の墓場、もしくは極北なのか。

 マルケスは愛の深淵に読む者を誘う。リョサもまた、愛についての長編を発表していた。「悪い娘の悪戯」の帯には<ひとりの男がひとりの女に捧げた、40年に及ぶ濃密かつ凄絶な愛の軌跡>と記されている。年内には読了し、南米ツインピークスの力量を比べてみることにする。
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落語、選挙、W杯~戦う者たちの光芒

2014-06-08 23:22:50 | 独り言
 昨日のAKB総選挙をメディアは大々的に報じていた。ボロクソに書くはずの仕事先の夕刊紙も、AKB狂騒曲については微温的な論調である。国家的一大事といわないまでも、現在の日本を象徴するイベントであることは間違いなさそうだ。

 本日は「特選花形落語会」(北千住・シアター1010)に足を運び、個性豊かな話芸に酔いしれた。桃月庵白酒が「佐々木政談」、柳家三三が「青菜」、三遊亭白鳥が新作の「隅田川母娘」を披露する。三三と白酒については当ブログで絶賛してきたが、初めて接した白鳥のアナーキーな芸に衝撃を受けた。東宮御所を抜け出した雅子妃と愛子内親王の冒険がテーマで、「この人、襲われない?」と気遣う声が洩れるほどブラックな中身に絶句する。ラディカルでアウトサイダーの白鳥が、俺にとって注目度NO・1の噺家になった。

 噺家は客、そして共演者と戦っている。本日の3人も、枕の段階から気合の入り方が違っていた。都内の寄席は十数年前、閑古鳥が鳴いていたという。志の高い若手はめげることなく少ない客と対峙し、笑いを引き出してきた。その積み重ねが、業界の隆盛に繋がったのだろう。

 <笑いを取る>という物差しは抽象的だが、目に見える数字を突き付けるのが選挙だ。夕方は杉並区議会議員補欠選挙(29日投票、定員3)に立候補予定の川野たかあき氏の事務所開きに参加した。川野氏は緑の党推薦で、宇都宮健児、三宅洋平の両氏に加え、漫画家の石坂啓さんの応援を受けている。基礎票の多い自民、共産が有力視されており、国会に議席を持つ民主、生活の党、維新、みんなの候補と鎬を削っている。

 俺の中で杉並補選は<負けられない戦い>だが、世間的にいえばW杯になるだろう。この2、3年、欧州リーグを殆ど見なくなったため、流れの中でW杯を捉えられない。オランダの優勝を願っているが、チームの核といえるストロートマンの欠場はあまりに痛い。「経験不足の若手が多く、1次リーグを突破出来れば御の字」が重鎮クライフの予測だ。

 あれこれ戦力を分析して展望するのは不可能なので、40年に及ぶW杯の思い出を簡単に記したい。高校3年だった74年ドイツ大会で、オランダのサッカーに度肝を抜かれる。真っ白なキャンバスに、想像力と創造力に溢れた絵が突然描かれたのだ。オランダの決勝での敗戦は、〝敗北の美学〟として俺の人生観に深く刻み込まれた。

 82年スペイン大会の注目は黄金のカルテットを擁するブラジルだったが、ソ連との初戦で絶体絶命に追い詰められる。俺が見たのは午後の録画放送で、後半30分まで0―1とリードを奪われていた。約束があったので家を出て、合流した友人に「ブラジル、負けたな」と話していたが、夜のニュースで逆転勝利を知る。インターネットがなかった頃はのんびりしたものだった。

 同大会のヒーローは、直前まで八百長に絡んだ疑いで出場停止処分を食らっていたイタリアのロッシだった。2次リーグで突如、覚醒し、ハットトリックでブラジルを破る。その勢いで6得点を挙げ、チームを優勝に導いた。74年同様、<理想の追求は勝利に繋がらない>ことを思い知らされた。

 マラドーナの〝神の手〟と5人抜きゴールで記憶に残る86年メキシコ大会は、俺にとって82年に続くオランダ不在の大会だった。「三菱ダイヤモンドサッカー」でオンエアされた欧州予選プレーオフ、オランダ―ベルギー戦は胸が熱くなる激闘だった。ベルギーのアウェーゴールが第2レグの後半40分に決まった瞬間、時間差(2カ月前後)でがっかりしたのを覚えている。

 開催国ブラジルで「W杯より福祉と教育の充実を」のスローガンを掲げたデモが頻発している。東日本大震災の被災地復興に支障が出ることが確実なのに、日本人は東京五輪開催に熱狂した。彼の地の方が遥かに民主的だと思う。

 そもそも政治とサッカーは切り離せない。82年大会の2次リーグ、ポーランド―ソ連戦で、連帯支持の横断幕が掲げられる中、ポーランドは引き分けで決勝トーナメントに進む。会場が自由の聖地バルセロナのカンプノウというのも象徴的だ。

 〝W杯観〟を覆されたのがボクシッチ(クロアチア代表)の発言だった。ボクシッチは「一番欲しいのはスクデッド」と繰り返し発言し、代表よりも所属チーム(ラツィオ)を上位に置いていた。ユーゴ内戦を経験したボクシッチは、<国を代表する>という構図に忌避感を覚えていたのだろう。ちなみにボクシッチは、キャリアのピークで迎えた98年大会をケガで欠場している。

 理由は様々だが、自主的にW杯出場を辞退した選手も少なからずいる。メッシのように「バルセロナでは超一流、代表では並」と評される選手もいる。そのメッシは今季終盤、バルサファンからブーイングを浴びていた。W杯で逆の目が出て、ブラジルの開催国Vの夢をぶち壊すなんてことが起きるかもしれない。

 友好の第一歩と期待された日韓共催から12年経ち、両国の亀裂は深刻になった。日韓関係を停滞させたのは。〝親韓派の総本山〟清和会から生まれた小泉、安倍両首相である。そこに働いている見えざる力、利権の現在に興味があるが、表に出ることはないだろう。
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ドラマ「犯罪」に窺えるドイツ人の柔軟さ

2014-06-05 23:52:07 | 映画、ドラマ
 福井地裁は先月21日、「安全技術と設備は脆弱。人格権を超える原理は憲法上見いだせない」と大飯原発の運転差し止めを命じる判決を下した。俺は極めてまっとうな判決と受け止めたが、安倍機関を構成する読売新聞や週刊文春は、「暴挙」と非難した。「正義、倫理、良心は我が方にあり」と確信しているものの、数の上では劣勢といわざるをえない。

 日本の刑事ドラマ、法廷ドラマでは<法の下の正義>が絶対的な意味を持ち、視聴者は<真実>が明かされることを期待している。そこに怪しい弁護士が登場し、罪を犯した者を無罪に導くなんて結末は許されないのだ。AXNミステリーチャンネルでオンエアされた「犯罪~ドイツの奇妙な事件」(字幕)は、正義、倫理、良心の意味を違った角度から問う刺激的な内容だった。

 原作は11編から成る短編集「犯罪」(09年)で、そのうち6作がドラマ化された。日本でも本屋大賞1位(翻訳部門)に選ばれ、ミステリーの各賞で軒並みベスト3の高い評価を受けた。フェルディナンド・フォン・シーラッハ(現役弁護士)は今や世界で最も注目を浴びるミステリー作家といえるだろう。

 続編の映像化も決まっているが、NHKもWOWOWもなぜか食指を動かさなかった。その点はミステリアスだが、勧善懲悪を好む日本人に向かないとの判断があったからではないか。作者の投影というべきレオンハルト弁護士は冷静かつ狡猾で、黒を白と言いくるめる。ラストでレオンハルトの信条、<弁護士は事件の真相を常に知りたいわけではない。依頼人の無実を信じるかは無関係で、その任務は弁護することに尽きる>がモノローグで流れる。

 原罪のイメ-ジなのか、本編だけでなくエンドタイトルにもリンゴが登場する。第4話「ハリネズミ」、第5話「サマータイム」は移民社会ドイツが背景になっており、第3話「緑」、第6話「正当防衛」では青年層の歪みがストーリーに盛り込まれている。ドイツのテレビ番組は規制が緩いのか、暴力やセックスも生々しく描かれていた。

 レオンハルトは第2話「タナタ氏の茶わん」で日本の闇社会ボスと〝腹芸〟で接し、第6話「正当防衛」ではパリ人肉事件のS氏に言及していた。この辺りに、作者の日本文化への造詣の深さが窺える。とりわけ印象に残った第1話「フェーナー氏」と第4話「ハリネズミ」について、簡単に紹介したい。

 「フェーナー氏」は愛の意味を突き付けるストーリーだ。妻イングリッドは結婚直後に豹変し、人望のある開業医のフェーナーを虫けらのように扱う。50年近い忍耐の末、夫は斧を18回振り下ろし、妻を惨殺した。検察は当然、計画的犯行を主張するが、フェーナーには立てた誓いによって離婚の選択肢がなかったとレオンハルトは強調する。刑罰の意味(=再犯防止)を示した上で、「フェーナー氏に脅威を感じる人はいるでしょうか」と傍聴者に問い掛けた。

 日本で考えられない判決が出た。<3年間の開放処遇>で、フェーナーは医者として普段通り活動し、夜は刑務所に戻るという刑罰だ。犯行直後のフェーナーの冷静さ、最終陳述で語った妻への愛、刑を言い渡された時の表情に、多くの日本人は〝クロ〟の心証を抱くだろう。

 「ハリネズミ」は胸のすくピカレスクだ。移民の犯罪ファミリーに育ったカリムは、10代の頃から株の取引などで富を築いている。強盗の容疑者として捕まった兄を釈放させるため、脳細胞をフル回転させるカリムにアドバイスするレオンハルトを、日本人は悪徳弁護士と詰るだろう。でも、その言動は彼の信条に沿っている。

 日本人選手のブンデスリーガにおける活躍の理由を、日独の国民性の近さに求める声もある。だが、その辺のところは俺にはわからない。「犯罪」を見て、ドイツ人の意外なほどの柔軟さに驚いた。本作とは関係ないが、歴史認識を共有することで周辺諸国との関係を改善した道筋、脱原発への志向など、日本人がドイツ人に学ぶべき点は多いと思う。
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「冬の旅」~堕ちゆく者への鎮魂歌

2014-06-02 23:54:25 | 読書
 友は少ない俺だが、昨日は①さくらんぼ狩り(山梨)、②ダービー観戦(府中競馬場)、③川内原発再稼働反対の抗議活動(国会周辺)の三つのイベントに誘われた。筋からいえば③だが、最初(半月前)に声が掛かったこともあり①を選ぶ。

 さくらんぼに適した気候、土壌、実がなるまでの過程など関係者にあれこれ質問した。糖度の高さ、酸味の強さと品種それぞれにプラスポイントがあり、薦められるまま口に含む。県内、本場の山形と多くライバルと競いつつアイデアを練っている様子が、言葉の端々から窺えた。

 前稿の最後に〝手触りある絆〟を軸にダービーを予想した。ワンアンドオンリーが制した今回は2年越しの絆のドラマといえる。横山典は昨年のダービーでコディーノから降ろされ、藤沢和師との長年の絆が断たれた。橋口師はレース後、横山典について「感性で乗る騎手だし、何も言わなかった」と語っている。騎手との強い信頼関係もあり、橋口師は開業33年目にしてダービートレーナーに輝いた。

 俺にフラれ、ひとり抗議活動に参加した知人から様子を聞いた。相変わらず多くの国会議員(落選中を含め)がスピーチしたとのこと。2011年3月11日から12年12月16日(総選挙)を経て今日に至るまで、あまりに無策だった国会議員たちに何事かをアピールする資格があるとは思えない。まあ、無資格なのはサボった俺も同様だ。<行動を伴わぬ政治談議>は慎みたいので、本題に入る。

 「冬の旅」(13年、集英社)を読了した。作者の辻原登について、<虚実の皮膜で空中楼閣を築き上げる魔物>と評したことがある。現実と虚構が交錯する独特の世界は、南米文学のマジックリアリズムに通底している。辻原の出身地は熊野古道の要衝というから、南方熊楠のDNAを継承しているに違いない。

 物語を幾つものプリズムで屈折させる辻原だが、「冬の旅」は静面に属する作品だ。ひたすら堕ちていく男の心境を淡々と描いているようで、その実、罠が幾つも仕掛けられていた。主人公の名前、緒方隆雄、即ち<オガタタカオ>は100%ではないが回文だ。緒方は回文好きの男に誘われ、犯罪に加担する。

 仮出所者は様々な便宜が図られるが、緒方は受刑中の振る舞いが反抗的と見做された満期で出所する。<その国の民主度を測る物差しは刑務所>といわれるが、日本の刑務所は今も牢獄のままだ。作業中に強烈な便意を催した緒方だが、我慢するよう指示された。結果は最悪で、抗議の度が過ぎた緒方は人権侵害も甚だしい独居房に閉じ込められる。緒方のツキのなさと不器用さは、刑務所でより浮き彫りになっていた。

 緒方はある意味、同じ宿命を背負う登場人物たちの負のエネルギーを吸収するブラックホールといえる。刑務所で知己を得た久島老人は、娑婆で緒方の下降に加担した上司の血縁で、妻の痴呆症をきっかけに底へと堕ちていく。緒方の少年時代の微かな記憶に連なる出来事を共有した少女が20年後、あるシーンに登場する。彼女の名は、失踪した緒方の妻と同じゆかりだった。

 異彩を放つのが白鳥だ。緒方がレストランチェーンに務めていた頃のバイトだが、少年時代に殺人を犯している。染色体の異常で凶暴かつバイセクシュアルの傾向を持つ白鳥は、緒方にとって最初の躓きの石だった。白鳥はアメリカに留学し、ブランチ・ダヴィディアン、ガイアナの人民農場など、カルトが引き起こした殺戮の現場を〝聖地巡礼〟し、帰国後は上九一色村を訪れた。禍々しい志向は、緒方の人生を遠隔操作しているかの如くだ。

 「ジャスミン」(04年)にも描かれていたが、本作でも阪神淡路大震災時の神戸に多くのページを割いている。辻原は神戸で見聞した地獄図に多大な影響を受けているのだろう。新興宗教団体の一員として被災地と関わる過程で、緒方は看護師のゆかりと出会う。魅力的な妻を得た緒方は広報誌編集長に出世し、順風満帆の人生を手にしたと思った刹那、幸せは去っていく。これが、緒方の人生のリズムになる。

 <分人>の概念を掲げるのは平野啓一郎だが、辻原も以前から近似的な方法論を導入している。出所後に〝分人化〟した緒方は天王寺駅で合体し、久島の言葉に導かれて紀州に向かう。現実と齟齬を来した緒方は、境界の向こうに存在する久島、ゆかり、ゲイバーのママとその飼い犬らの霊と交流する。デッドエンドでの罪は、善悪、正邪を超えた絶望の彼方での解放といえるだろう。

 猛スピードでページを繰ったので、作者がちりばめた糸を見落としている可能性も強い。数年後に読んだら別の景色が見えるかもしれない。緒方だけでなく「板子一枚下は地獄」の状況に追いつめられている人は日本に今、無数にいるはずだ。本作は堕ちゆく者への鎮魂歌である。
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