酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

俺もそろそろエピローグ?~07年を振り返る

2007-12-30 00:09:30 | 戯れ言
 昨年は「からっぽの世界~空洞化が進行した06年」のタイトルでブログを締めくくったが、07年は俺自身の空洞化が著しい一年だった。♪白い雲がポッカリ 心の中に浮かんでる……のフレーズで始まる猫の「僕のエピローグ」(吉田拓郎作詞)は、俺の心的風景そのものだ。 
 
 社保庁、厚労省、安倍前首相、閣僚たち、食品偽装各社の行いが示すように、この国は何かが壊れしてしまった。思い出したのは無名時代(70年代)のいしいひさいち氏の作品である。<日本人は数十年後、勤勉さと正確さを放棄し、ギャンブルに興じるかのように物事を処理している>……。漫画を言葉で説明するのもおかしな話だが、こんな感じの内容だった。予測をピンポイントで的中させたいしい氏の慧眼に感嘆せざるをえない。

 俺にとって今年のハイライトは、フジロックでミューズとキュアーを体感したことだ。器材到着が遅れリハーサルなしで臨んだにもかかわらず、ミューズは10年前のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに匹敵するパフォーマンスを見せ付ける。一方のキュアーは苗場に降臨したロックの神の如く、重厚なショーを展開した。

 今年最大の反省は、仕事中の失言だった。トイレから戻った後、「年取って頻尿気味で」と言ったつもりが、「ヒンニュウ気味で」と活舌を誤る。俺の視線はその時、話しかけたスリムな女性の胸に注がれていた。「糖尿かな」と慌てて言葉を繋げたが、当人を不快にさせたことは間違いない。

 俺の悪い流れは、安倍晋三氏の首相在任期間(06年9月~07年9月)とピッタリ重なっていたが、11月頃から好転の兆しが見えてきた。一陽来復の故事を信じ、空洞を少しずつ埋めていきたい。

 来る年の火薬庫は、ブット元首相が暗殺されたパキスタンだ。関与を疑われているムシャラフ大統領だが、民主主義に理解を示す政教分離主義者で、ブット氏と志向するものは遠くない。暗殺を実行したのは<親米派一掃>を掲げるイスラム原理主義者だと思う。インターネットにより世界共時性を獲得した今、世界の荒みや飢えが自分自身と無縁ではないことを心に刻み、新しい年を迎えたい。

 最後に皆さまにお礼を。この一年、世迷言にお付き合いいただき、ありがとうございました。良い年をお迎えください。


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映画の中のドストエフスキー

2007-12-28 01:30:16 | 映画、ドラマ
 秋以降、「マシニスト」、「いつか読書する日」、「マッチポイント」について当ブログに記した。3作に共通する小道具がドストエフスキーだ。

 1年間不眠の「マシニスト」のトレバー(クリスチャン・ベイル)は、「白痴」を読んでまどろんでいた。「いつか読書する日」の美奈子(田中裕子)は、「カラマーゾフの兄弟」のページを繰りつつ眠りに就く。 <ドストエフスキーは睡眠薬代わり>という世間の常識に基づく設定といえるだろう。登場人物に複数の呼称があり、間を置くと「この人、誰だっけ」と混乱してしまう。ドストエフスキーは一気読みが可能な学生向きの作家なのか。

 「マッチポイント」でクリス(ジョナサン・リース・マイヤース)は、「罪と罰」をギブアップする。解説書の内容を持論の如く話し、「君のドストエフスキー論は独特だね」と義父に褒められていた。ドストエフスキーは英社交界でも教養を測る物差しのようだが、俺の学生時代(30年前)はその傾向が顕著だった。

 ゲバラが革命のシンボルになったのはこの10年で、当時はロシア革命を成し遂げたレーニンとトロツキーに憧憬を抱く者が多かった。社会主義サークルに参加して死刑判決を受けた(後に恩赦)ドストエフスキーの作品には、付加価値が与えられていたのである。

 先輩に薦められて読んでみると、意外なほどエンターテインメントだった。アナキストの内ゲバを描いた「悪霊」にしても、政治を否定的に捉える姿勢が窺える。革命の先駆者とみるか、それとも魂の救済の追求者とみるか……。ドストエフスキーは複層的なプリズムで、読む側の立ち位置によって、受容する光彩が異なってくるのだろう。

 「それから」と「門」を取り上げた際、漱石を<恋愛小説家>と評した。漱石はある意味、俺のような凡人と同レベルで煩悶する天才だが、ドストエフスキーの主人公は超然としており、恋愛に一定のパターンがある。

 ラスコーリニコフとソーニャ(「罪と罰」)、ムイシュキン公爵とナスターシャ(「白痴」)、スタヴローギンとマリア(「悪霊」)は、それぞれイエスとマグダラのマリアの関係に近似的だ。「白痴」でムイシュキン公爵がロシア正教を称揚するくだりがあるが、ドストエフスキーは19世紀のロシアに、新たな福音書を提示せんと試みたのか。

 <日本のドストエフスキー>と称された高橋和巳は、同世代で同郷(大阪)の開高健とともに<アンチフェミニズム>の色が濃い。両者に恋愛を描いた作品はあっただろうか。

 ドストエフスキー原作と銘打たれた映画で見たのは、「白痴」(黒澤明)、「白夜」(ヴィスコンティ)、「狂気の愛」(ズラウスキ)「悪霊」(ワイダ)あたりか。いずれも巨匠の作品だが、お薦めというわけではない。観念と思弁が滔々と語られるドストエフスキーの小説は、映画化のハードルが高いのかもしれない。


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'07スポーツ界あれこれ

2007-12-25 00:16:23 | スポーツ
 まずは有馬記念の感想から。マツリダゴッホの優勝は冷静に受け止めたが、メイショウサムソン(8着)がレゴラス(7着)に負けたことに衝撃を受けた。近3走、1000万下で5、3、5着だったレゴラスが、GⅠ馬3頭、GⅡ馬4頭に先着した。<競馬の物差し>がボキッと折れた有馬記念だった。

 先週(16日)はプレミア4強決戦、今週(23日)はミラノダービー、クラシコと、欧州サッカーの「目玉商品」をじっくり堪能した。適度に抑制の利いたミラノダービーに比べ、クラシコは湿度も温度も高い闘いだった。バルサは前掛かりに攻めたが、一瞬の隙を突いたレアルが1対0で勝利する。空回り気味とはいえ押していたのはバルサで、メッシ欠場も痛かった。勝ち点7差は大きいが、昨季レアルが起こした奇跡をバルサに再現してほしい。

 NFLは開幕と同時に、シーズンの行方が見えてしまった。ペイトリオッツの全勝Vを阻むとしたら、地上戦にシフトチェンジした昨季王者コルツしかない。「事実上のスーパーボウル」AFCチャンピオンシップで奇跡が起きる可能性は、天候(雪)の助けがあっても10%ぐらいか。

 八百長問題の決着は? 横綱の風格とは? 警察はなぜ殺人事件をもみ消したのか? 前時津風親方の逮捕は? 北の湖理事長はいつまで居座る気? NHKはなぜ放映を続けるのか? 相撲界の矛盾が噴出した一年だった。<皇室=政治家=財界=警察=暴力団=メディア=文化人>の連携により国技に押し上げられた大相撲だが、構造改革しない限り自壊の道を歩むだろう。

 特待生問題が表面化した年に、「普通の高校生」佐賀北が夏の甲子園を制した。決勝で対戦した広陵監督の審判批判も波紋を広げたが、高野連が<10人目のナイン>として佐賀北をプッシュしたことは否定できない。結果として高校野球の<偽善の構図>が温存されることになった。

 関東学院大ラグビー部の春口前監督が、大麻問題で引責辞任した。春口氏は未開の地を開墾した<スポーツ界の中内功>だが、カリスマ、創業者にありがちな過ちを犯した。自らを信じるあまりコーチング体制を整えなかったことが、事件の遠因といえるのではないか。

 亀田一家に振り回された協栄ジムに比べ、さすがと思わせたのが帝拳ジムのグローバルな戦略だ。所属する世界王者、バレロとリナレス(ともにベネズエラ出身)は来年以降、世界の注目を浴びるビッグマッチに登場するだろう。ボクシング界のメジャーリーガー2人が、異郷の地日本の生活にすっかり馴染んでいるのも嬉しい限りだ。

 帝拳代表の浜田氏と「エキサイトマッチ」(WOWOW)でコンビを組むジョー小泉氏が、ボクシング殿堂入りを果たした。日本人ではファイティング原田氏に次ぐ快挙である。10代で「RING」誌通信員に就任以来、セコンド、マッチメーカー、評論家としてボクシングに携わってきた。該博な知識、的を射た分析だけでなく、文学をはじめ文化全般に造詣が深いのも小泉氏の魅力だ。殿堂入りを心から祝福したい。


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終わり良ければ有馬キネーン

2007-12-22 14:36:31 | 競馬
 まずはお知らせから。パソコンに不具合が発生し、メールを受信できても送信できない。大抵の方はミクシィか携帯で返事できるので支障はないが、復旧までしばしお待ちを。

 さて、本題。あっという間に有馬記念だ。おやじギャグのタイトルで、本命はおわかりいただけたと思う。馬券は日常が冴えない時に的中するものだが、今年は私生活も競馬もパッとしなかった。数百円ケチって数十万円逃したり、ガッツポーズした瞬間に3着馬が入れ替わったり……。3連単特有の泣き笑いならぬ「泣き泣き」に、マゾヒスティックに浸った一年だった。

 3歳牝馬が勝利数の記録を大きく更新した。史上最強世代を象徴するダイワスカーレットとウオッカは、合わせて切ることにした。俺が<女を切れる>のは、競馬ぐらいのものである。百戦錬磨のおじさんたちは、さすがに<スロー⇒ヨーイドン>のスカーレットの十八番を許さないだろう。ウオッカの鋭さは府中向きで、週末の雨も心配だ。

 <幻の鞍上=柴山>と合わせ、ロックドゥカンブを応援する。柴山にとって今年秋は天中殺だった。カンブで菊花賞に挑むものの足を余して3着、天皇賞(エイシンデピュティ騎乗)ではコスモバルクのあおりを受けて降着の憂き目を見る。今回は世界的名手マイケル・キネーンがカンブを駆る。柴山は元相棒の勝利を素直に願っているはずだ。

 メイショウサムソンは俺にとってミステリー馬のままだ。皐月賞と天皇賞秋がベストパフォーマンスなら、中山2500㍍には向かない。今年2度のポン駆けを見ると、3戦目で失速する可能性もある。JC3着は位置取りの差と指摘する声もあり、<サムソン=武豊>にとって有馬は汚名返上の舞台となった。

 義理を欠いては世間を渡れない。昨年お世話になった<ポップロック=ペリエ>に再度期待する。ポップロックは昨年有馬以降、国内GⅠで2⇒3⇒4⇒2着と安定した成績を残している。6歳馬ゆえ突然ガクッときても不思議はないが、湿った馬場がプラスに作用しそうだ。

 '07JRAキャンペーンキャラクターの織田裕二といえば、「椿三十郎」だ。③マツリダゴッホと⑩フサイチパンドラで遊ぼうと思ったら、パンドラが回避する。中山得意のゴッホはそのまま買い目に加えることにした。

 結論。◎⑧ロックドゥカンブ、○⑥ポップロック、▲①メイショウサムソン、△③マツリダゴッホ。馬連は4頭BOXの6点、3連単は<⑧・⑥・①><⑧・⑥・①・③><⑧・⑥・①・③>の18点。

 終わり良ければすべて良しといきたいが、結果はいかに。昨日(21日)落とした1万5000円が回収できれば、俺は十分満足だけど……。


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「マッチポイント」&「ゴースト・ドッグ」~らしくない作品たち

2007-12-20 01:09:17 | 映画、ドラマ
 文芸坐オールナイトで「一気見」を繰り返したことも理由の一つだろうが、映画について記憶違いが極めて多い。例を挙げればきりがないが、以下に二つだけ記してみる。
「江分利満氏の優雅な生活」(63年) ×市川崑監督⇒○岡本喜八監督
「黒木太郎の愛と冒険」(77年) ×岡本喜八監督⇒○森崎東監督

 俺を混乱させそうな映画を近作で選ぶなら、「マッチポイント」(05年、ウディ・アレン)と「ゴースト・ドッグ」(99年、ジム・ジャームッシュ)だ。クレジットなしで見たら、監督名を当てられなかったと思う。

 まずは「マッチポイント」から。舞台はロンドン、当人の出演なし、美男美女が勢ぞろいとアレンらしくない作品だ。ノラ役のスカーレット・ヨハンセンの官能的な美しさが、本作最大の見どころかもしれない。

 主人公のクリスはツアーを退いたテニスのレッスンプロで、勝負を決めるネット上の<運命のひとひねり>がストーリーの下敷きになっている。クリスは富豪の娘クロエと結婚して上流階級の一員になるが、義兄の元婚約者ノラとの関係が躓きの石になる。

 「陽の当たる場所」(60年)の21世紀版に、「罪と罰」、カルーソ、「椿姫」と知的な仕掛けがちりばめられ、見る者はカタストロフに誘導される。結末はいかに……。

 「ゴースト・ドッグ」は「サムライ」(68年)の世紀末版だ。サブタイトル(“The Way Of The Samurai”)が示すように、現代のアメリカに武士道を甦らせている。

 主人公は「葉隠」を座右の書にする殺し屋ゴースト・ドッグ(フォレスト・ウィテカー)だ。唯一の友人であるアイスクリーム屋のレイモンは、フランス語しか話せないハイチ人だ。ゴースト・ドッグと会話は成立しないが、心は通じている。新たな友人は、本をきっかけに親しくなった少女バーリーンだ。

 ゴースト・ドッグが忠誠を誓う主は、命の恩人であるマフィアのルーイだ。ルーイの依頼を実行したゴースト・ドッグだが、ボスの娘ルイーズが現場にいたことで、命を狙われる羽目になる。マフィアといってもロートル化しており、ゴースト・ドッグの敵ではない。個性的な面々は笑いを取る役目を果たしていた。

 繰り返し朗読される「葉隠」の心に刺さる文言、空を舞う伝書鳩、主人公のメタファーというべき黒い犬が織り込まれたスタイリッシュな映像に、RZAのクールなラップがマッチしている。ラストも秀逸で、<死の美学>をストイックに表現した傑作ノワールだと思う。

 芥川龍之介の短編集「羅生門」が、ゴースト・ドッグ、ルイーズ、バーリーン、ルーイを繋ぐ接着剤になっている。ジャームッシュの日本文化への理解の深さは驚くばかりで、武士道を<個の哲学>として描いた点に共感できる。タランティーノは本作を見て切歯扼腕したに違いない。
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「門」に描かれた愛の形

2007-12-17 01:10:58 | 読書
 漱石&ドストエフスキー読破計画(再読含め)は遅々として進まないが、それなりの収穫はある。神棚に祭られた両文豪だが、五十路になって別の貌に気付いた。高踏派の漱石は恋愛小説家だし、難解と敬遠されがちなドストエフスキーの作品は極上のエンターテインメントなのだ。

 今回は「門」について論じたい。ページを繰った途端、疑問が頭をもたげてきた。「門」は果たして「それから」(9月2日の稿)の続編なのか……。

 「それから」のラストで、代助は社会のとば口で身悶えしていた。「門」の宗助は代助の数年後とされるが、飄々と庶民生活を楽しんでいる。「それから」の三千代は御米という古臭い名になり、これまた淡々と、「吾輩は猫である」の細君のごとく市井の暮らしに馴染んでいる。

 排外主義やナショナリズムに距離を置く姿勢は「それから」と同じで、伊藤博文暗殺も夕飯のおかずでしかない。役所勤めの宗助は裕福ではないが、当時の慣習なのか下女(家政婦)を置いている。その名が清というのも、「坊っちゃん」を髣髴とさせて面白い。「吾輩は猫である」にも泥棒が登場したが、漱石は盗人がお気に入りなのか、本作では大家宅に忍び込んでいた。

 谷崎潤一郎は「門」を欠点多き作品と論じつつ、理想の夫婦愛の物語と評している。「それから」の狂おしさとは無縁だが、宗助と御米が置かれた状況と細やかな交情が描かれている。以下に一部を抜粋する。

 <社会の方で彼らを二人ぎりに切りつめて、その二人に冷かな背(そびら)を向けた結果にほかならなかった>……。

 <男と女の間を陽炎のように飛び廻る、花やかな言葉のやりとりはほとんど聞かれなかった。(中略)または最初から、色彩の薄い極めて通俗の人間が、習慣的に夫婦の関係を結ぶために寄り合ったようにも見えた>……。

 <二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合ってでき上がっていた>……。

 宗助は友人の安井から御米を奪い、御米は病弱ゆえ子供を授かることができない。二重の負い目が夫婦の蹉跌だったが、安井が身近に現れたことで、宗助は惨めなほど動揺する。不倫愛を貫いた時、修羅の道を覚悟していなかったのか、罪の意識におののいて山寺に籠もる。

 本作が朝日新聞に連載された1910年、理想主義、人道主義に立脚する「白樺」が創刊され、大正デモクラシーの先駆けとなる。漱石は白樺派のように個人の確立を叫べず、封建制と近代の狭間で苦悩していたのだろう。10日ほどの修行で何も得られず日常に復した宗助は、漱石の分身に違いない。

 「門」発表から100年……。非婚率は上昇し、少子化が進行中だ。離婚歴や不倫が勲章のように語られるこの時代、誰しも理想の愛の形を求めて彷徨っている。




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「台風クラブ」~俺の心に刺さった棘

2007-12-14 03:44:28 | 映画、ドラマ
 スカパーで「台風クラブ」(85年、相米慎二監督)を見て、22年の時の重みをしみじみ噛みと締めた。

 ロケに使われた木造校舎は年季が入っており、夜景が多く照明を抑えたATGらしい映像と相俟って、時を超越したノスタルジーを味わわせてくれる。中学生にとって背伸びした感のバービーボーイズの楽曲と等身大の「もしも明日が」が、カタルシスを爆発させる場面で効果的に用いられていた。

 <台風接近をきっかけに解き放たれた中学生たちは、嵐が通り過ぎて晴れ間が覗くや、日常に帰っていく>……。これが映画サイトやブログで紹介されている「台風クラブ」のあらましだが、俺は今回、異なった感想を覚えた。8人の少年少女は台風が来る前、既に壊れ、疎外されていたのではないか……。そんな風に思えてならなかった。

 主人公は恋人同士の恭一と理恵(工藤夕貴)だ。恭一は哲学的思弁で遊ぶこともあり、社会との距離感を覚えている。母の寝床で自慰に耽った後に家出する理恵、美智子を追い回す健のストーカーぶり、泰子と由利のフィジカルな同性愛は、いずれも当時の中学生の域を超えていた。

 三浦友和演じるやさぐれ教師の梅宮は、生徒たちに「百姓の子供たち」と言い放つ。確かに舞台は田園地帯だが、共同体的な絆は描かれていない。台風の夜に子供が家にいなかったら大騒動になるはずが、学校に居残った恭一たち、家出した理恵は、ゴーストみたいに家族の匂いが希薄なのだ。

 恭一の真摯さと対極に位置するのが梅宮だ。台風の夜、恭一は梅宮と電話で口論する。酔いが回った梅宮に「おまえは15年もたちゃ今の俺になるんだよ」と言われた恭一は、「僕は絶対あなたにならない」と電話を切る。22年前、恭一の台詞は俺の心に棘のように突き刺さった。矜持も志も失くし、ごまかし笑いで日常に流されている自分と梅宮が、ピタリと重なったからだ。

 <俺たちには、厳粛に生きるための厳粛な死が与えられていない。だから、俺が死んでみせてやる。みんなが生きるために>……。三島的美学に裏打ちされた恭一の台詞は、独立した言葉として説得力はあるが、物語の中では<接ぎ木>の印象は否めなかった。

 先日、ネットで撮影中のエピソードを知り、唐突なラストが用意された理由の一端を知った。理恵が大学生にレイプされるシーンが、諸般の事情でおくらになったという。理恵の悲しみに感応した恭一がラストの行動に至るという当初のプラン通りであれば、本作の性格は異なったものになったはずだ。

 「台風クラブ」は世界中の映画人に絶賛された。工藤夕貴はジム・ジャームッシュの目に留まり、「ミステリー・トレイン」(89年)に起用されてハリウッド女優になる。楊徳昌監督が本作のカメラワークにインスパイアされたことは、「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」(91年)を見れば明らかだ。

 相米氏は01年、ガンで帰らぬ人になる。ノンポリの印象が強いが、若い頃は筋金入りのラディカルとして知られた存在だった。相米監督による硬派の社会派映画を見たかったのは、俺だけじゃないだろう。


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億万長者はロックンロールを殺す?

2007-12-11 01:34:13 | 音楽
 勤め人時代の後輩M君(ミクシー名ジロー)は、マイミクの一人でもある。彼の先日の日記に、俺のかつての口癖が紹介されていた。即ち<ロックは最新のものを聴かなければ意味がない>……。ロックは時代の空気をビビッドに反映して進化してきたが、世紀を越えて雲行きが怪しくなってきた。

 ロックンロールは俺と同じ頃に産声を上げた。1950年代まではジャズが変革の担い手だったが、60年代に状況が一変する。ジョン・レノンが「ジャズは死んだ」と公言し、自らの言葉を実証してみせた。ビートルズは「サージェント・ペパーズ」(66年12月録音開始)から、「アビイ・ロード」(69年9月録音完了)まで、たった3年弱で7枚のアルバムを制作した。

 ロックは他の音楽ジャンル、文学、思想、文化を食い漁り、瞬く間に怪物に成長した。パンク、ニューウェーヴ、ヒップホップ、オルタナ、グランジ、ミクスチャーと立て続けに潮流が生起し、世界中で氾濫する洪水になった。

 10年前(97年)、2日目が台風で中止になった第1回フジロックには、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、フー・ファイターズ、グリーン・デイ、ベックなど錚々たる面々が結集した。上記バンドに加え、当時からヘッドライナー格の現役アーティストを挙げると、キュアー、U2、メタリカ、ナイン・インチ・ネイルズ、オアシス、レディオヘッド、ビョーク、マニック・ストリート・プリーチャーズといった辺りか。

 名前を挙げて愕然とした。十年一日の如くの番付に横綱、大関が居座り、新しいムーヴメントが起きた気配も感じない。ロックは既に博物館入りの危機に瀕しているのではないか。音楽誌で最近目立つのは<名盤100選>みたいな企画だ。ロックはクラシックやジャズに続き、既に考古学の対象かもしれない。

 停滞の最大の理由は、ハイパー資本主義に取り込まれたことだ。トップバンドは膨大な資金を投じて<売れる音>を作り、ツアーやビッグフェスのスケジュールを織り込んだ上でアルバムを発表する。<レーベル=プロモーター=代理店=メディア>が相互補完するシステムに従属し、ロックは魂を失いつつある。

 21世紀に名を上げたコールドプレイ、キラーズ、アークティック・モンキーズ、フランツ・フェルディナンド、ストロークスらは、メディアが持てはやすほど新鮮とは思わない。その中で俺がミューズに肩入れするのは、内包させた矛盾を変化の糧にするという方法論を感じるからである。

 ロックに進化をもたらすものは何か。あるいはロックの次に来るべきものは何か……。フジロック'07の映像(WOWOW)を見て閃いた。フェルミン・ムグルザ、グルーヴ・アルマダ、ジュノ・リアクターらは、反グローバリズムに立脚し、民族音楽とデジタルとの融合を追求するユニットだ。ジジイの俺に追いかける元気はないが、彼らの試みが浸透し、ロックを資本主義から解放する日を心待ちにしている。

 夢が現実になった頃、俺はとっくに地獄に落ち、悪行と無為の罰を受けているに違いない。

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ジョン・レノンの命日に寄せて

2007-12-08 00:09:21 | 音楽
 今日8日は二つの出来事で、人々の心に刻まれている。日本が米英に無謀な戦いを挑んだ1941年、ジョン・レノンが銃弾に斃れた80年……。今回はジョンについて語ることにする。

 俺が洋楽に目覚めた頃、ビートルズは既に活動を停止していた。聖域にズカズカ踏み込んだヨーコ、脱退を宣言したポール・マッカートニーが、バンドを解散に至らしめた元凶として悪者扱いされていた。

 ジョンとヨーコの反戦パフォーマンスは、<底の浅い茶番>と否定的に報道されていた。ジョンは<革命家>か、<愛と平和の殉教者>か、時代の熱に浮かされた<お調子者>か……。実像は死後、明らかになる。ジョンはトロツキストに資金を提供するラディカルで、IRAとの関係も取り沙汰されていた。長年ジョンを監視していたFBIを暗殺首謀者とするルポルタージュが数冊発表され、今では定説になりつつある。

 「ビートルズは今や、キリストより人気がある。キリストは正しいが、弟子たちが捻じ曲げてキリスト教を滅ぼした」(抜粋)……。ジョンの<キリスト発言>(66年)は、とりわけアメリカで物議を醸す。政治的スタンスが近いパゾリーニの「奇跡の丘」(64年)を見れば、ジョンの真意を理解できるはずだ。体制側はもちろん意趣返しをする。代表作「イマジン」は左翼的かつ反宗教的楽曲と見なされ、実質的な放送禁止が継続している。

 ジョンで連想する映画は「市民ケーン」だ。主人公同様、両親と疎遠だったジョンは、絶叫調の「マザー」で幼少時の孤独を表現した。ジョンがケーンより幸せだったのは、<バラのつぼみ>が象徴する喪失感を癒やす存在(ヨーコ)と出会えたことだ。ジョンはヨーコへの愛を、衒いもなく等身大で表現している。徹底して一人の女性への愛を謳った芸術家はジョン以外、高村光太郎(「智恵子抄」)しか思いつかない。

 ジョンとポールは70年代前半、曲で互いを攻撃する泥仕合を演じたが、和解するのも早かった。映画「イマジン」(88年)で、ジョンは「僕が一声掛ければ、ビートルズ再結成もありうる」と話していたが、70年代後半には、米ツアー中のポールがジョン宅を訪ねるほど関係は修復されていた。

 ジョンの<キリスト発言>に、「ロックンロールとキリストのうち、どちらが先になくなるかわからない」というくだりがある。21世紀に入って魂を失ったロックは、絶滅の危機に瀕している。次稿「億万長者はロックンロールを殺す」で、ロックをめぐる貧困な状況について述べてみたい。

 最後に、ジョンにちなんだ朝日杯FSの予想を。ジョンにピッタリくる馬名ならスズジュピターだ。「ジュピター」はモーツァルトの交響曲41番の通称で、牝系には「ジャズ」「ビーバップ」と音楽関連の言葉が散見する。ビートルズのリーダーだったジョンに敬意を表してキャプテントゥーレ、「夢の夢」(「心の壁、愛の橋」収録)の曲名からドリームガードナー、ドリームシグナルも買うことにする。

 結論。◎⑨スズジュピター、○⑦キャプテントゥーレ、▲⑮ドリームガードナー、△④ドリームシグナル。馬連は4頭ボックスの計6点、3連単は⑨1頭軸の4頭ボックスで計18点。

 俺だってジョンみたいに純粋に、真摯に生きてみたい。心の浄化を一番邪魔しているのは、競馬かもしれないが……。


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「処刑の部屋」~半世紀後の太陽族

2007-12-05 11:30:08 | 映画、ドラマ
 柳沢元厚労相、赤城元農水相、久間元防衛相、長崎市長銃撃犯、食品偽装各社、厚労省、守屋前防衛事務次官、前時津風親方……。<'07日本悪名大賞>候補を思いつくまま挙げてみた。亀田家や朝青龍などかわいい部類で、石原都知事を見習って、更生に努めてもらいたい。

 先月スカパーで放映された「処刑の部屋」(56年、市川崑監督、石原慎太郎原作)は、数ある太陽族映画の中で、とりわけ物議を醸した作品だった。主人公の克巳(川口浩)が睡眠薬を用いて顕子(若尾文子)を暴行するシーンに刺激を受け、その通り事に及んだ私大生が逮捕された。たちまち全国から太陽族映画の上映禁止を求める声が上がり、石原氏はPTA最大の敵になる。今じゃ初心を忘れ、取り締まる側に回っているのが残念だ。

 市川崑監督―和田夏十脚本の割に本作の出来はいまひとつだが、六大学野球への熱狂、ダンスパーティーの人気、大学を超えて開催される学習会と、50年代の学生生活の一端が窺える。主人公がプライドを保ちながら暴力に身をさらすラストは、その後の日本映画、とりわけ日活作品に影響を与えたのではなかろうか。

 60年前後の作品に共通するテーマは父権の喪失だ。克巳の父(宮口精二)は、「青春残酷物語」(60年、大島渚)のヒロイン(桑野みゆき)の父(浜村純)と重なる。権威、信念、価値観を失った父世代の空虚な言葉に、息子たちは行動で対峙するが、立ちはだかる社会の壁に跳ね返される。

 俺が生まれた56年を、映画をキーワードにプレイバックする。ちなみに「ピクニック」、「赤い風船」、「猫と庄造と二人のをんな」が同年公開作の私的ベスト3だ。

 娼婦たちは組合を結成し、売春防止法に抵抗した。赤線最後の日を描いた「赤線地帯」(溝口健二)のヒロインは、「処刑の部屋」同様、若尾文子だ。スクリーンに映える艶かしい未来の妻を、京大生だった故黒川紀章氏は陶然と眺めていたに違いない。

 56年2月、石川力夫が府中刑務所の屋上から飛び降りた。その破天荒な生涯を描いたのが「仁義の墓場」(深作欣二)で、渡哲也が鬼気迫る演技でアウトローを演じ切った。その頃、渋谷や銀座でブイブイいわせていたのが安藤組だ。その武勇伝は実録シリーズとして後に映画化される。ヒチコック作品でファンを魅了したグレース・ケリーがモナコ王妃になり、マリリン・モンローはアーサー・ミラーと3度目の結婚をした。

 56年は石原氏自身が主演を務める「石原慎太郎物語」が封切られた年ともいえる。芥川賞受賞(56年1月)から半世紀、<天性のポピュリスト>石原氏の賞味期限はいまだ切れていない。俺にとって石原氏は手ごわい悪役だが、4月に投票した280万都民にとっては弟裕次郎に匹敵する名優なのだろう。
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