酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

グラス再論~作家と政治の関わり

2006-08-29 01:18:15 | 読書
 前稿でギュンター・グラスの告白を取り上げた。敬意を抱く作家ゆえ、まずは弁護という文脈だったが、今稿では補足しながら角度を変えて取り上げたい。

 グラスは自由都市ダンツィヒ(ポーランドが実効支配)出身で、父親はドイツ人、母親はスラブ系である。グラス自身は「召喚された」と説明しているが、武装親衛隊はナチス支配下地域の外国人が70%近くを占めていた。ナチスというとユダヤ人迫害を連想するが、武装親衛隊は戦闘兵補充の側面が強かったという。

 ポーランドのレジスタンスはナチスに蹂躙され、<戦後支配>を目論むスターリンに見捨てられた。悲惨な結末は、アンジェイ・ワイダの「地下水道」に描かれている。多くの10代の少年も反ナチスに身を捧げたが、グラスにレジスタンスに参加する選択肢があったのかという点に興味がある。ナチスが提示した悪魔的な様式美に、15歳のグラスが魅入られた可能性も否定できないが、その<罪>は戦後の作品で贖われているのではないか。

 グラス同様、積極的に政治に関わる作家は多い。日本の代表格は三島由紀夫と大江健三郎だろう。ちなみに日本では<グラス≒大江健三郎>のイメージが強いようだ。俺自身、三島と考え方は正反対なのに、作品や生き方に惹かれる部分が多い。三島は全共闘との討論では劣勢だったが、死に様は強烈なボディーブローになった。<おまえら、信念に体を張れるのか>という三島の問いに、団塊の世代は沈黙し、体制に取り込まれた。

 グラス以上に敬愛するバルガス・リョサは、政治との関わりで評価を落とし、ノーベル賞まで逃した。社会の矛盾と権力の腐敗を告発する作品を発表してきたリョサだが、ブルジョアに担がれてペルー大統領選に立候補する。「裏切り者」のレッテルを貼られたリョサを破ったのが、かのフジモリ氏である。「民衆の代弁者」「貧しい者の救世主」として登場したフジモリ氏が、後に独裁と汚職で支持を失くすとは皮肉な話である。

 グラスの「ブリキの太鼓」に触発され、「真夜中の子供たち」で名声を確立したサルマン・ラシュディは、「悪魔の詩」で政治と宗教の陥穽にはまった。ラシュディはイスラム教冒涜の科で、イスラム原理主義者から死刑を宣告される。日本にも波及し、翻訳者が惨殺されるという悲劇を招いた。ちなみにラシュディは今回の件で、師匠のグラスを弁護している。

 騒動のおかげで自伝の売れ行きは上々らしい。ある世論調査の結果、70%近いドイツ人が「今回の件でグラスへの信頼は損なわれない」と答えているという。その点には安堵したが、今はただ日本語版の発売を待つしかない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グラスの告白~10代の罪の償い方

2006-08-26 00:16:13 | 読書
 <第2次大戦末期、ナチス武装親衛隊に所属していた>……。自伝「タマネギの皮をむきながら」の発売に合わせて独紙に掲載されたギュンター・グラスの告白が、大きな波紋を広げている。

 グラスは78歳にして、筆力の衰えは見られない。当ブログでも「はてしなき荒野」(95年)を取り上げた(昨年3月1日)。この10年、「私の1世紀」(99年)、「蟹の横歩き」(02年)と問題作を世に問い、渦中の自伝は発売前倒しになった。

 グラスは<時空を行き来するファンタジー>と<絶対的史実>を織り交ぜて物語を組み立てる。<前衛性>と<ストーリーテリング>を兼ね備えた独特の作風は、<マジックリアリズム>と称される南米文学に通ずる側面もあり、影響力も絶大だ。<グラス⇒ジョン・アーヴィング⇒村上春樹>の流れも、下るにつれ薄まった感はするが、壮大な系譜の一部といえる。

 グラスは反体制の立場で政治に関わってきた。東西ドイツ統一を<資本主義への隷従>と<危険なナショナリズムの勃興>と捉え、緩やかな国家連合を提案していた。<ドイツの良心>といわれるグラスの告白に、辛辣な言葉を浴び続けた保守派たちは勢いづいている。あるテレビ局の調査では、国民の3割がノーベル賞の自主返還を求めているという。ユダヤ人団体も糾弾の声を上げているが、イスラエルのパレスチナ人やレバノンに対する行為を是とする以上、グラスを非難する資格はない。

 当時のドイツで、10代の少年が<国家の呪縛>から自由でありえただろうか。ナチスのマインドコントロールは、<形式は内容に先行する>というダダイズム、表現主義のテーゼの実践だった。ゲッベルスはエイゼンシュタインの大ファンで、その技法をナチズム浸透に利用していた。

 グラスは「ブリキの太鼓」でナチズムの空虚さを皮肉っていた。自ら洗脳された経験が、作品の基になっていると思う。グラスは15歳で最年少の戦闘兵になり、17歳で連合軍の捕虜になる。武装親衛隊に入隊した経緯は自伝で詳らかになっているはずで、日本語版の発刊を心待ちにしている。

 少年十字軍、白虎隊、ベトコンの少年、紅衛兵、自爆テロのイスラムの少年……。純粋さで突き進むのが10代の特質だ。熱が冷めた後、グラスは罪の意識に苛まれ、トラウマと闘いながら執筆を続けたのではないか。グラスにとって文学とは、贖罪であり、自らの浄化のための手段だったのだろう。グラスの10代の罪は、作品に込められたメッセージで既に償われていると思う。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「幕末太陽傳」~フランキー堺の魅力

2006-08-23 02:28:46 | 映画、ドラマ
 今回もフランキー堺の主演作について記したい。ミクシィ日記の焼き直しだが、前稿からの流れで読んでいただければ幸いである、

 フランキー堺は進駐軍相手のジャズドラマーとしてキャリアをスタートした。邦画史の残る「幕末太陽傳」(57年、川島雄三)で主役を演じた後は、「駅前シリーズ」で森繁久弥、伴淳三郎と共演し、喜劇俳優としての地位を確立する。

 「幕末太陽傳」は「居残り佐平次」をベースに、「三枚起請」、「品川心中」、「芝浜」らの廓噺を織り交ぜ構成されている。各演目の味を生かすだけでなく、テンポとリズムを増してシャープなストーリーに仕上がっている。黛敏郎の音楽も効果的だ。自由人のフランキー堺は、劇中で演じた佐平次と重なる部分が大きい。

 佐平次が居残った遊郭で、勘定を払えぬ高杉晋作(石原裕次郎)が「人質」になっていた。佐平次と高杉との交遊が、作品の肝になっている。50年代は武装闘争から太陽族まで、怒れる(イカレた)若者たちが闊歩していたが、彼らを志士に投影する意図も制作サイドにあったはずだ。

 佐平次の機転で難題は次々解決し、高杉たちの計画も上々の首尾となる。コメディータッチに影を落とすのが佐平次の苦しげな咳で、ラストも暗示的である。高杉は維新を迎えることなく肺結核で夭折している(享年27歳)。佐平次にうつされたのかもしれない(バカな!)。

 「幕末太陽傳」は川島雄三監督の日活最後の作品だった。日活は作家性より人気スタ-を上に置く風潮があり、川島監督も上層部と軋轢を抱えていたようだ。本作の豪華なキャスティングも、スターシステムの日活らしい。フランキー堺、裕次郎に加え、小林旭、二谷英明が志士役、南田洋子、左幸子がきれいどころと、キラ星の如き若手俳優が名を連ねている。脇を固めるのは金子信雄、西村晃、小沢昭一、殿山泰司ら個性派たちだ。

 脚本&助監督担当は若き日の今村昌平監督だ。「豚と軍艦」(61年)でのパワフルな演出に本作の影響が窺える。日活デビューながら、今村監督は自由に映画を撮ることを許されていたのかもしれない。初期の「盗まれた欲情」や「果てしなき欲望」も、タイトルこそ太陽族映画だが、松竹ヌーベルバーグに引けを取らない意欲作である。

 リアルタイムでフランキー堺に接したのは、ブラウン管を通してである。「赤かぶシリーズ」の柊検事役、「霊感ヤマカン第六感」の名司会者ぶりが記憶に残っている。桂文昇の噺家名を持ち、俳句をたしなんだ。写楽研究家としても有名で、晩年には大阪芸大教授として舞台芸術の講座を持っていた。実に多彩で幅広い。フランキー堺ほど人生を満喫した者はいないのではなかろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「私は貝になりたい」~東京裁判の負の断面

2006-08-21 01:10:01 | 映画、ドラマ
 「私は貝になりたい」(58年)を見た。テレビ史に残る社会派ドラマという評価通りの傑作だった。

 主人公の清水豊松(フランキー堺)は、苦しい修業を経て、妻と高知で理髪店を営んでいる。息子にも恵まれ、店も繁盛していたが、召集令状(赤紙)で人生は暗転する。毎夜のように空襲警報が発令される敗色濃厚の時期だった。

 B29が墜落し、瀕死の米兵が発見される。「適当に処分せよ」の矢野司令官の曖昧な通達が、悲劇の発端だった。上官は士気高揚のため米兵刺殺を命じ、「初年兵教育」の名目で豊松らが執行に当たる。「上官の命令は事の如何を問わず、天皇陛下の命令である」との中隊長の言葉に、豊松が逆らえるはずもなかった。

 理髪店のシーンで戦後が始まる。東条ら戦争指導者を罵る客に、「俺たちは二等兵でよかったな」と豊松が相槌を打った時、GHQが現れた。豊松は戦争犯罪人として逮捕され、巣鴨プリズンに収容される。豊松の剣は米兵の右腕を刺したに過ぎなかったが、命令を下した上官より重い死刑判決を受けた。

 豊松は矢野と巣鴨で再会する。矢野はすべての罪を引き受け、他の者の減刑を求める上申書をGHQに提出していた。豊松に髪を刈られながら、矢野は慨嘆する。<戦犯はBC級が大半で、命令に従っただけの下士官兵が重罪を科せられた。この事実を国民は知っているだろうか>と。

 東京裁判に対する常識的な見解は、<天皇を免罪し、日本をアメリカの同盟国(州)として位置付けるための儀式>というものだ。昭和天皇の発言メモや小泉首相の靖国参拝で俎上に載る機会は増えたが、A級戦犯に関する議論に限定されていた。本作は封印された東京裁判の理不尽さと暗黒面を抉り出す作品だった。アメリカは裁判を復讐の道具にする一方、軍で重責を担った者は次々に復権し、731部隊の石井中将まで免罪された。TBSもCS(TBSチャンネル)ではなく、15日前後のゴールデンアワーに地上波でオンエアすれば、反響は大きかったと思う。

 「私は貝になりたい」はモノローグで繰り返される豊松の遺書中のフレーズで、加藤哲太郎氏の著書の題名だった。豊松は十三階段を上ったが、加藤氏は減刑され、58年に釈放されている。遺書は加藤氏らの著書をヒントに、脚本家の橋本忍氏が創作したものである。

 大本営発表の効力、赤紙を恐れる素直な感情、戦中戦後の配給や闇市の実態、将棋の人気など、庶民の日常が織り込まれていた。身を置いた者しか知りえない巣鴨プリズンの内実も興味深かった。

 時代に翻弄される男の悲劇を、若き日のフランキー堺が演じ切っていた。次回はスクリーンでの代表作「幕末太陽傳」(57年)について書くことにする。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盆雑感

2006-08-18 00:50:25 | 戯れ言
 昨夜、こんな夢を見た。俺は初めてセラピストを訪ねた。待合室で叔父と鉢合わせ、昔話に花を咲かせる。順番が来て診療室に入ると、医師は高校時代の友人だった。「夢遊病らしいです」と症状を打ち明け、催眠療法を施される。夢の中で見た夢で、俺は真夜中、奇矯な振る舞いに出ていた。窓を開け放って「助けてくれ」と叫び、ドアを叩く音(空耳?)がするや、包丁を手に身構えていた。

 やまないノック音に「うるさい」と怒鳴った時点で目が覚めた。夢を反芻し、奇妙な符合に気付く。叔父も旧友(実は官僚だったが)も鬼籍に入っている。時節柄、死者の魂があちこち彷徨っているのだろう。季節感を失い、伝統や習慣に無頓着になってしまったが、彼岸とお盆には親族や知人の墓に参り、汚れた心を洗うべきかもしれない。晩年に差し掛かった今、志向するものが変わりつつある。

 世論調査によると、小泉首相の靖国参拝支持は50%を超えた。一方で、次期首相参拝については否定派が上回った。安倍官房長官にはプレッシャーになるだろう。小泉首相は「中韓ならびに中韓と通ずる諸勢力」といつもの二元論を展開したが、豪州やマレーシアの首脳も遺憾の意を表明している。日本を「アジアの英国」にするというアメリカの思惑は外れてしまった。姜尚中東大教授が提起したように、日本は「アジアのイスラエル」になりつつあるからだ。

 サマソニの感想では、やはりというかミューズ絶賛が目立っているが、チケットを譲った知人によると、リンキンパークのファンが多く陣取り、「ミューズワールド」が成立したとはいえなかったという。残念ながらサマソニには「理念」が欠けている。<ミューズ⇒リンキン>の異質な流れは、ファンへの配慮に欠けたラインアップだ。

 高校野球も佳境に入った。昨日(17日)の帝京対智弁和歌山戦のように、ホームランが飛び交う滅茶苦茶な試合が多い。福知山成美の健闘は予想外だった。府大会では6回表まで俺の母校にリードを許していた。そんなチームがベスト8とは驚きだが、今日も勝てそうな気がする。

 日付が変わった今、雷鳴が鳴り、シャワーが地表を洗っている。溜まった熱を冷ましてくれたら、寝付きも少しはよくなりそうだ。現実がしょぼい分、カラフルな夢が見れたらいいのだが……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「戦争との距離」~小泉首相が示したもの

2006-08-16 00:40:18 | 社会、政治
 昨日(15日)、出勤前に小泉純一郎首相の靖国参拝を知る。帰宅してテレビをつけた。炎上する加藤邸に暗澹たる気分になった。

 小泉首相は昨年のバンドン会議で「村山談話」を継承し、日本の侵略をアジア諸国に詫びた。同様の趣旨の発言を繰り返しており、本音に近いと思う。小泉首相は東京裁判を全面的に肯定し、復古的な教育基本法改正にも慎重だったという。昭和天皇の発言メモについて、「それぞれの心の問題です」と語り、皇室に特別な尊崇の念がないことを示した。小泉首相の政治信条は加藤氏と決して遠くない。

 それではなぜ、小泉首相は靖国参拝にこだわるのか。総裁選の公約を実行しないと男が廃るとでも言いたげだが、小泉首相はアメリカの年次要望書を敷衍した郵政民営化以外、公約へのこだわりはない。3年前、菅民主党代表(当時)に「国債発行枠30兆円」の公約違反を指摘されるや、「その程度の公約は守れなくていい」と逆切れした。<15日靖国参拝>も「その程度の公約」だったから、日をずらしてきたはずだが、最後の夏に強行した。

 ポピュリズムの典型といわれる小泉首相だが、靖国参拝問題ではマスコミ批判に回っている。確かにこの1年、世論の動向は変わった。参拝賛成派だった読売が渡辺会長の号令の下、反対に回ったことが大きかった。軌を一にして、渡辺会長と一心同体の中曽根元首相が小泉首相に苦言を呈し始める。世論調査の結果をみても、任期末の小泉首相は民意を動かせなくなった。

 小泉首相の靖国参拝で<戦争の記憶>というツンドラが解凍され、<時間の縦軸>がグッと縮まった。戦争とは、アジアと日本とは、国家とは……。昭和天皇の発言メモも公開され、多くの日本人が近現代史を学び始めた。この点については多くの識者が述べているように、小泉首相の功績だ。

 小泉首相のアメリカ追随は、グローバルな意味で日本人と<戦争との距離>を縮めた。<日米同盟>が確固たるものなら、イラク戦争もイスラエルのレバノン空爆も<日本の戦争>である。<日本の平和を守る>というメッセージは既に虚妄で、日本人は自らの手を血で汚すことなく多くの命を奪っている。

 中国と韓国は次期首相に期待しているようだが、安倍官房長官は筋金入りの保守派で、遊就館の歴史観に近い。来年の敗戦記念日も喧騒の中で迎えるのだろうか。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しい老い方とは

2006-08-13 00:58:55 | 戯れ言
 自分の予知能力の低さに驚くばかりだ。これじゃあ、競馬は当たらない。仕事と個人的にやりたいことに専念するため、2月にブログを停止した。ところが、仕事はさっぱり来ない。ならばと6月にブログを再開した途端、仕事がどっさり入ってきた。今では中2日で更新するのがやっとの状況だ。

 さて、本題。先日、出張校正先で年齢が話題になった。事務所の先輩に「50近くになって、変わったことある?」と尋ねられ、「今の方が30代の頃より健康ですよ」と答えた。ウオーキングの効果もあり、10年前より体力はあるが、精神面では後退している。

 進取の気性は明らかに衰えた。顕著に表れたのはロックとの接し方である。<瞬間最大風速>を求め、新しい音を追いかけてきたが、流れに追いつけなくなった。関心のあるバンドはミューズだけなので、今日(13日)のサマソニはパスし、チケットは若い知人に譲った。仕事のバッティングも断念の理由だ。無下に断ったり、疲れで質が低下したりすると依頼が来なくなるのが、フリーの厳しさだ。

 柔軟性も年とともに消えていく。会社時代の最後の数年、パブリックイメージ通りの自分を演じるのに汲々としていた。周りに迷惑を掛けるのは嫌なので、意を決して会社を辞める。もちろん愚挙だが、失くしていた<意志>を取り戻せたことに意義があった。

 俺は老境で飛翔する人に憧れてきた。誰より尊敬する作家は、ブログでも頻繁に登場する石川淳である。作風を壊しては再構築し、80歳で最高傑作「狂風記」を書き上げた。最も好きな映画監督は、50代後半から「近頃なぜかチャールストン」「ジャズ大名」「大誘拐」と傑作を世に問うた岡本喜八だ。落語は半可通だが、還暦を超えて能力に相応しい人気を獲得した古今亭志ん生の生き様に惹かれている。

 俺如き凡人以下が、今さら何かを為せるわけではない。欲を出せば角が立つし、我を見せれば頑迷の誹りを免れまい。<肩肘張らず淡々と>の自縛的な意志を保ち続けたいと思う。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争の傷

2006-08-10 02:52:15 | 社会、政治
 6日の広島、9日の長崎と相次いで原爆慰霊祭が催された。日本人が厳粛な気持ちで戦争と向き合う時節である。

 子供の頃、親類が集まると、戦争で亡くなった人のことが話題になった。「生き残ってすみません」という日本人独特のメンタリティーが、高度成長を支えたのだろう。生者を衝き動かすのは常に死者である。1956年生まれの俺に戦争の記憶はないが、<戦争の傷>は一冊のアルバムと傷痍軍人として脳裏に焼きついている。

 祖父は陸軍少将で、中国における金の流れや人員配置を統括する立場にあった。国民党支配下地域で抑留され、蒋介石が仕立ててくれた背広を纏って帰国する。蒋介石は共産党との内戦を見据え、日本軍関係者を厚遇したのだ。

 意図は謎だが、祖父は一冊のアルバムを残した。軍刀を掲げる日本兵と斬首寸前の中国人(八路軍のゲリラ?)、木の枝に吊るされた中国人の首、転がる遺体の山(南京?)など惨たらしい写真の数々が収められている。繰り返し眺めて気付いたのは、日本兵も中国人も怒りや憎しみ、叫びや涙を超越していることだ。戦争が生み出す狂気と絶望は、人間の感情を殺いでしまうのだろうか。

 <戦争の傷>のもう一つの形は傷痍軍人だった。野菜のように切られた手足や火傷の痕、サングラスの下の潰れた目は、幼い俺にとり、恐怖の対象でもあった。大学に入り、大島渚監督の「忘れられた皇軍」を見た。衝撃的なドキュメンタリーで、隠された真実に触れる。傷痍軍人の多くは日本人として召集され、負傷した朝鮮人兵士だったのである。日本国籍を喪失したことで補償金が下りず、物乞いで生計を立てるしかなかったのだ。

 自らを何より苦しめた戦争と日本軍のテーマソングである軍歌を、傷痍軍人はハーモニカやアコーデオンで奏でていた。彼らの懊悩と痛みの深さを思うと居たたまれくなる。傷痍軍人こそ俺にとって<戦争の傷>の象徴であり、戦争について考える時の起点である。

 70年以降、傷痍軍人は街から消えた。<戦争の傷>が癒えるにつれ、戦争は風化する。この六十余年、日本は自らの手を血で汚すことはなかったが、本当に平和で戦争と無縁だったのか、検証すべき時期に来ている。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トゥパック:伝説の死と再生」

2006-08-07 02:15:24 | 映画、ドラマ
 ラップやヒップホップについて何の知識もないが、WOWOWで放映された「トゥパック:伝説の死と再生」を見た。トゥパック(2PAC)が死を迎えるまで(96年9月)を追ったドキュメンタリーである。2PAG自身が死後の世界? から一生を振り返る形で進んでいく。

 2PACは才能に満ちたハンサムな自信家で、ミッキー・ロークらと共演するなど、俳優としても評価されていた。「サグ・ライフ」を提唱し、全米の黒人から支持される。エスタブリッシュメントの白人は「暴力礼賛」のレッテルで貶めたが、2PACの真意は黒人の意識と地位の向上だった。2PACの母はブラックパンサーの女性幹部で、父はギャングの一員だった。ラディカルさと後ろ暗さは、両親から受け継いだものなのだろう。

 英国では10年ほど前、オアシスVSブラーの「ブリットポップ対決」が仕掛けられたが、同時期のアメリカでは遥かにスケールが大きい「戦争」が勃発していた。東海岸(バッド・ボーイズ)と西海岸(デス・ロウ)のヒップホップ2大勢力が、ギャング団の抗争を背景に衝突し、2PACは最前線に立っていた。2PACはもともと東海岸で活動していたが、自らへの襲撃事件でノトーリアス(ビギー)の関与を明言する。レイプ事件で服役後(逮捕歴12回!)、デス・ロウと契約し、西海岸に本拠を移した。

 死を覚悟した2PACは、言動をエスカレートさせていく。親友のタイソンの試合を見た後、ラスベガスで銃撃され、絶命する。真犯人は不明のままだ。宿敵とされたビギーも1年後、凶弾に斃れた。権力の陰謀を疑う声も強い。FBIは抗争を偽装し、世間的に無名なウエストコーストパンクの力を削いだ。数百万枚を売り上げる2PACは、FBIにとって目障りだったに違いない。

 ウィキペディアで面白い記述を見つけた。死後も未発表音源が続々CD化され、いずれもヒットしたため、2PAC生存説が流れたという。本作のラストで、2PACとビギーの母親が抱き合うシーンが紹介される(MTVアワード?)。東西抗争はエミネムらの尽力で終結を見たようだ。

 遠からず50歳になる俺は、2PACの倍も生きていることになる。たった5年の活動で伝説になる男と自身を比べても仕方ないが、<生きた証>ぐらい残したいと思う今日この頃だ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

将棋界の混乱~義理と矜持はいずこへ

2006-08-05 00:04:45 | カルチャー
 前稿、亀田について記した。すると、衝撃の数字が現れた。アクセスip数が274で1000位以内に入っている。復活後はMAX100前後だったので、まさに<亀田バブル>といえるだろう。瞬く間に旧に復し、地味な数字に戻るのは間違いないが……。

 さて、本題。8月1日、将棋連盟は総会を開き、名人戦の<毎日単独開催案>を否決した。朝日移行への流れは定まったが、釈然としない思いを抱いているファンも多い。

 昨年度のNHK杯将棋トーナメントでのこと。解説の山崎6段が対局者の青野9段を「将棋界に希な人格者です」と紹介すると、暴言で鳴る千葉女流王将が言葉を詰まらせた。若手社員が飲み会で、「うちの会社、ロクな上司いないな」とこき下ろすのはありふれた光景だが、山崎6段の場合、<将棋界に人格者が居ない>という真実を、視聴者にぶちまけてしまったのである。
 
 <将棋は日本の伝統と精神を表す文化であり、棋士は修業を重ねて人格的に陶冶されていく>……。これは空虚な絵空事だ。臍から下の不始末は大目に見るとしても、米長会長―中原副会長コンビに対する人格的な不信感が、ファンまで巻き込んだ騒動の背景にあった。

 毎日新聞はこの30年、名人戦を単独で開催し、王将戦をスポニチと共催してきた。系列の毎日コミュニケーションズも「週刊将棋」や戦術本を発行している。米長-中原体制の理事会は、瑕疵なく棋界を支えてきた毎日と相談せず、<契約破棄⇒朝日移行>を通達するという暴挙に出た。非常識を絵に描いた行動に対し、毎日は怒りを鎮めつつ、朝日を上回る条件で連盟に再考を促した。

 事態が表面化した後、経緯をつぶさに伝えてくれたのは棋士たちのブログだった。世論形成に寄与したのは、gooでアクセス数ベスト3に入る渡辺明竜王のブログである。<考えられないようなこと=理事会側の多数派工作>が行われていると告発するなど、毎日支持を隠さなかった。<傲慢なオタク少年>から<正義感の強い青年>へと、若き竜王に対するファンのイメージは一変した。

 米長会長は大所帯の佐瀬一門(関東)で、盟友の内藤9段を通し藤内一門(関西)も押さえたはずだ。中原副会長も名門の高柳一門(関東)である。30年前なら七日会(田中派)と清和会(福田派)が手を組んだようなもので、基礎票は固かった。総会直前、羽生3冠(朝日選手権者で実質4冠)、森内名人(棋王)も毎日支持を表明する。彼らを慕う若手に影響を与えただろうが、90対101の僅差で<毎日単独開催案>は否決された。

 米長会長は都教育委員として復古的な価値観を現場に押し付けているが、この騒動で<義理><矜持><信条>より<お金>を優先する人間であることが明らかになった。十数年前、二上会長(羽生3冠の師匠)が名人戦朝日移行を画策した時、大山16世名人(故人)の意を受け潰したのが米長―中原コンビである。羽生3冠を含め、不思議な因縁を感じざるをえない。

 否決されたのは「毎日単独開催案」であり、ファジーな俺は「共催案」を支持する。朝日は昨日(4日)、毎日に共催を提案した。名人戦の重みは共催でさらに増すことは間違いない。単独なら消滅する可能性が高い朝日選手権と王将戦も継続するだろう。順位戦を含め、棋譜掲載は毎日、ネット中継は朝日と棲み分けるのも一つの案だ。何はともあれ、禍根と軋轢で棋界がカタガタになることだけは避けてもらいたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする