従兄弟宅(寺)で大晦日、今年を振り返る。個人的には申し分ない一年だった。そもそも俺程度の能力と性格で、東京砂漠で生き延びていること自体が奇跡で、周囲に感謝するしかない。読書や映画観賞もそこそこ捗ったが、最大の成果は人の輪が広がったこと。サークル的で縛りのない緑の党だが、地方選や各種イベント(音楽など)を通じて仲間が増えた。アラカンでも一歩踏み出せば景色が変わることを実感している。
歴史認識の転換を棚上げした従軍慰安婦問題の解決は、先行きが怪しくなってきた。「子供や孫に謝らせない」という安倍首相の言葉に違和感を覚える。<国家は犯罪に無限責任を負う。中韓が戦時中の日本の蛮行を追及するのは最たる例で、外部化されず国民にも責任が問われる>(論旨)……。内田樹氏は「憲法の『空語』を充たすために」でこう指摘していた。朴家と岸家の親密さを考えれば、朴大統領と安倍首相は子供の頃から顔見知りだった可能性がある。<朴正熙-岸信介ライン>が21世紀に甦ったのか。
今年も様々なニュースが世間を騒がせたが、格差と貧困の拡大、戦争法案反対の盛り上がりと〝祭りのあと〟がとりわけ印象に残っている。
老人医療の一律3割負担、年金給付年齢70歳など、弱者を痛めつける企てが囁かれている。鈍感な俺でさえ、スーパーやコンビニで驚くことが多い。ティッシュペーパーからチョコレートまで、明らかに目減り(実質値上げ)しているからだ。リストラを断行して融資を要請する企業(例えば東芝)の株を買え……。そんな記事を当たり前のように受け止める側も、他者を慮る想像力を失くしているのだろう。
この夏、戦争法案反対の動きが盛り上がった。その後はどうか。選挙権を新たに得る18~20歳にリサーチしたところ、自公圧勝の結果が出た。早大で先日、学者主催の戦争法案関連のイベントが開かれたが、孫崎享氏は「若い人は殆どいなかった」と仕事先の夕刊紙に寄稿していた。若者は反抗の現場から消えたのだろうか。
これほど国民が反対しているのに、これほど若者が立ち上がっているのに、なぜ強行採決するのか……。こんな声を上げたメディアや識者は50%正しく、50%外れている。三宅洋平氏は緑の党総会(7月末)にオブザーバーとして参加し、「シールズ、シールズと騒ぐけど、若者の90%は関心がない。10%と90%をいかに繋ぐかが課題」と語っていた。
1980年代前半、反核運動が広がった。動員力は凄まじく、代々木公園で開催された集会には20万人近くが参加したが、一気に終息する。事情通の友人は、次なる課題に繋がらなかったことを理由に挙げていた。<反核>は広き門だが、<反原発>や<原潜の寄港反対>は間口が狭い。しかも、公安のマークも厳しくなるから、99%が引き返した。
戦争法案に当てはめれば、次なる課題は<武器輸出反対>になるが、参加者も少ないし、メディアも取り上げない。メディアは永田町の地図の書き換えを追うばかりだ。熊本など1人区で野党統一候補擁立が決定するなど〝ベターの選択〟が進んでいるが、意識と構造を変えるための〝ベストの選択〟を同時に志向しないと元の木阿弥になるだけだ。
尻切れトンボになってしまった。この一年、牽強付会の物言いに付き合っていただいた読者の皆さん、ありがとうございました。良いお年をお迎えください。
歴史認識の転換を棚上げした従軍慰安婦問題の解決は、先行きが怪しくなってきた。「子供や孫に謝らせない」という安倍首相の言葉に違和感を覚える。<国家は犯罪に無限責任を負う。中韓が戦時中の日本の蛮行を追及するのは最たる例で、外部化されず国民にも責任が問われる>(論旨)……。内田樹氏は「憲法の『空語』を充たすために」でこう指摘していた。朴家と岸家の親密さを考えれば、朴大統領と安倍首相は子供の頃から顔見知りだった可能性がある。<朴正熙-岸信介ライン>が21世紀に甦ったのか。
今年も様々なニュースが世間を騒がせたが、格差と貧困の拡大、戦争法案反対の盛り上がりと〝祭りのあと〟がとりわけ印象に残っている。
老人医療の一律3割負担、年金給付年齢70歳など、弱者を痛めつける企てが囁かれている。鈍感な俺でさえ、スーパーやコンビニで驚くことが多い。ティッシュペーパーからチョコレートまで、明らかに目減り(実質値上げ)しているからだ。リストラを断行して融資を要請する企業(例えば東芝)の株を買え……。そんな記事を当たり前のように受け止める側も、他者を慮る想像力を失くしているのだろう。
この夏、戦争法案反対の動きが盛り上がった。その後はどうか。選挙権を新たに得る18~20歳にリサーチしたところ、自公圧勝の結果が出た。早大で先日、学者主催の戦争法案関連のイベントが開かれたが、孫崎享氏は「若い人は殆どいなかった」と仕事先の夕刊紙に寄稿していた。若者は反抗の現場から消えたのだろうか。
これほど国民が反対しているのに、これほど若者が立ち上がっているのに、なぜ強行採決するのか……。こんな声を上げたメディアや識者は50%正しく、50%外れている。三宅洋平氏は緑の党総会(7月末)にオブザーバーとして参加し、「シールズ、シールズと騒ぐけど、若者の90%は関心がない。10%と90%をいかに繋ぐかが課題」と語っていた。
1980年代前半、反核運動が広がった。動員力は凄まじく、代々木公園で開催された集会には20万人近くが参加したが、一気に終息する。事情通の友人は、次なる課題に繋がらなかったことを理由に挙げていた。<反核>は広き門だが、<反原発>や<原潜の寄港反対>は間口が狭い。しかも、公安のマークも厳しくなるから、99%が引き返した。
戦争法案に当てはめれば、次なる課題は<武器輸出反対>になるが、参加者も少ないし、メディアも取り上げない。メディアは永田町の地図の書き換えを追うばかりだ。熊本など1人区で野党統一候補擁立が決定するなど〝ベターの選択〟が進んでいるが、意識と構造を変えるための〝ベストの選択〟を同時に志向しないと元の木阿弥になるだけだ。
尻切れトンボになってしまった。この一年、牽強付会の物言いに付き合っていただいた読者の皆さん、ありがとうございました。良いお年をお迎えください。