酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

さようなら12年

2012-12-30 14:26:41 | 戯れ言
 普段の年は締めの稿を亀岡のネットカフェで更新しているが、今年は携帯から手短に記したい。件の店がアミューズメント施設から消えたからである。

 年末年始の雑感は3日にもまとめて綴ることにして、唯我独尊の雑文に付き合ってくださった読者の皆さんに、感謝の思いを伝えたい。ありがとうございました。

 個人的にいえば、妹の死があまりにも大きく、年を取るとは喪失と折り合いをつけることであると実感しました。

 皆さんが幸多き年を迎えられることを願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「空白を満たしなさい」~21世紀の死生観を提示する力作

2012-12-27 23:19:21 | 読書
 齢を重ねるとともにロックやスポーツへの関心が薄れ、生活の中で読書が占める割合が増えた。本の場合、発刊から時間が経て読むケースが殆どだが、この一年、記憶に残る作品を以下に記したい。

 「眼の海」(辺見庸)、「棺一基」(大道寺将司)、「枯葉の中の青い炎」(辻原登)、「氷山の南」(池澤夏樹)、「カオスの娘」(島田雅彦)、「白の闇」(ジョゼ・サラマーゴ)、「星々の蝶」(ベルナール・ウェルベール)、「母の遺産~新聞小説」(水村美苗)、「シューマンの指」(奥泉光)……。感想はブログで綴った通りだ。ベストワンは「シンセミア」(阿部和重)で、重層かつ繊細に紡がれた神話的世界に圧倒された。

 今回紹介する「空白を満たしなさい」(平野啓一郎/講談社)も上記の作品群に匹敵する。「モーニング」連載という発表形式は、純文学の殻を破る画期的な試みといえるだろう。平野は〝三島由紀夫の再来〟の評価に相応しい表現力、実験性、俯瞰の目を併せ持つストーリーテラーで、本作は前々作「ドーン」同様、SFに分類されても不思議はない。

 自殺した主人公が3年後に生き返るシーンから物語は始まる。徹生は自ら企画した商品が大ヒットし、仕事に生きがいを見いだしていた。愛する妻(千佳)と生まれたばかりの息子(璃久)がいたが、前触れもなく唐突に会社のビルから飛び降りる。殺人を疑い、当時の状況に迫っていく徹生が〝犯人〟に想定したのが、人生のプラス面を全否定する警備員の佐伯だった。

 徹生が死の直前に書き留めた「いやだ」の文字、転落する直前に見た影、そして「生きたい」という心の叫び……。徹生は自分の中の迷路を行きつ戻りつしながら、真実に辿り着く。ミステリアスな展開で、ページを繰る指が止まらない。

 生き返ったのは徹生だけではなく、国内で<復生者>が続出するが、法的立場と社会復帰の道筋は定まらない。徹生自身も生命保険の返還を求められるなど窮地に陥るが、他の復生者との交流で、新しい世界が開けてきた。復活するのはイエスのみと信じるキリスト教国では、復生者の存在が大きな波紋を呼び起こす。

 「決壊」以降の平野の作品を貫くキーワードは<分人>だ。複数の分人の集合体が一人の人間を形成するという考え方で、多重人格とは異なる。本作では池端(自殺対策のNPO代表)がゴッホの自画像を題材に、分人の捉え方を説明している。対人関係ごとの複数の自分が分人で、徹生を例に挙げれば、千佳、璃久、母、幼い時に急死した父、隣人、友人、池端、佐伯と分母は広がっていく。

 自殺したゴッホの十数点の自画像を見せた池端は、「この中のどのゴッホが、どのゴッホを殺したのか」と徹生に問い掛ける。ゴッホの自画像といえば、耳を削ぎ落した直後の<パイプを銜えた包帯の自画像>が有名で、狂気のゴッホを犯人と考えるのが一般的だ。<温和な複数のゴッホが、厄介者のゴッホを殺した>とする徹生の回答は、池端を瞠目させた。

 二人の復生者に、徹生はインスパイアされる。ポーランド人のラデックは、神の自殺という概念を示し、グノーシス主義、ヒロシマ、アウシュビッツに言及する。ラデックは日本古来の死生観にも通じており、死の直前に読んでいたのは「伊勢物語」だった。もう一人はIT会社経営者の木下だ。徹生は木下と組み、復生者の生きた証しを残すためのプランを練る。

 前作「かたちだけの愛」は妻へのラブレターの要素が強かったが、本作の重要なテーマは家族の絆だ。平野自身の半生にも関わる部分が大きかったのではないか。再度の死を覚悟した徹生は、壊れていた千佳と義父母との断絶を和らげ、千佳と母との軋轢を解消するために尽力する。何よりも重要だったのは、璃久との間に消えない心の糸を紡ぐことだった。母、千佳、そして璃久とのピクニックが描かれる最終章「永遠と一瞬」に心を揺さぶられた。

 「決壊」は主人公の自殺でピリオドが打たれたが、「空白を満たしなさい」のラストは、再生への希望に溢れている。<永遠が、一瞬と触れ合って、凄まじい光を迸らせる。璃久が駆け寄ってくる。抱き締めるまでは、もうあと少しだった>と結ばれた先は読者の想像に委ねている。生と死の境界と深淵を問う傑作で、平野の豊かな知性と教養がちりばめられている。

 来年は星野智幸の旧作、高村薫の新作から読書ライフをスタートさせる予定だ。当ブログで感想を記すつもりでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「狂った一頁」~イブの友はレイジとPANTA

2012-12-24 23:31:12 | 音楽
 原発は再稼働どころか新設にも言及し、TPP参加に含みを残すなど、自公の前政権継承は確実になった。〝安倍州知事〟の最大の使命は、日中軋轢の維持かもしれない。中国市場からの日本企業駆逐は、米財界とワシントンの総意なのだ。

 BS1で放映された「WHY POVERTY? 世界の貧困~なぜ格差はなくならない」(全8回)に刺激され、ここ数日、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのDVDを繰り返し見ている。クリスマスとレイジ? 何たるミスマッチ! と感じる人がいるだろう。だが、餓えと貧困が世界の主調になった現在、レイジこそがクリスマスに相応しいバンドといえる。そのことを証明したのはイギリスのロックファンだ。ネット上の呼びかけで3年前、レイジの「キリング・イン・ザ・ネーム」がUKクリスマスチャートで1位に輝いた。

 ♪この世界を操る権力の中枢には 十字架を燃やす者たちと同類の人間がいる 殺戮の権限を与えているのは誰か 今やおまえは奴らの言いなり バッジを身に着けた選ばれし白人が相手なら 彼らの死を正当化するというのか……

 字面をなぞれば、<彼ら=黒人やヒスパニック、選ばれし白人=警官>の図式で米国内の差別主義者を糾弾する曲と受け取れる。だが、本作が1992年に発表されたことを踏まえれば、<彼ら=イスラム教徒、選ばれし白人=米軍>と捉えることも可能だ。

 レイジ並みの知性と反骨精神を誇るロッカーは稀だが、日本にはPANTAがいる。イブの夜は「2012 PANTA復活祭」(初台)に足を運ぶ。制服向上委員会、アキマツネオ、中川五郎、樋口舞にスペシャルゲストの稲川淳二、飛び入りの松村雄策と、PANTAと親交が深い多彩なゲストのパフォーマンスとトークを満喫した。

 トリのPANTAはMYWAY61バンドを率い、フルスロットルでファンを熱くする。後半は「ルイーズ」、「屋根の上の猫」、「マーラーズ・パーラー」で盛り上がり、アンコール前はステージに出演者が集合して「悪たれ小僧」を歌う。PANTAの人柄に見合ったアットホームなイベントだった。

 選択肢はもう一つあった。「原発全廃、絶対できる! 大集会」(日比谷公会堂、「終焉に向かう原子力」主催)は広瀬隆氏と山本太郎氏が進行役を務める魅力的なイベントだったが、「PANTA復活祭」と時間がバッティングしたので断念した。ソールドアウトでチケットを入手出来なかった広瀬氏と小出裕章氏の講演会(22日、豊島公会堂)ともどもネットで視聴し、心を洗って新しい年を迎えたい。

 閑話休題。今日も2曲セットリストに入っていたが、PANTAは先日、頭脳警察名義で「狂った一頁」を発表した。前衛映画「狂った一頁」(1926年、衣笠貞之助監督/川端康成原作)に感銘を受けたPANTAは、80年余の歳月を超えてサウンドトラックを制作する。ライブ形式で録音されたのは2年前だが、ようやく日の目を見た。

 ラディカルというパブリックイメージが独り歩きしているが、PANTAは情緒と醒めた狂気を詩と音楽で表現する稀有のロッカーといえる。自身が「難しい曲を作って自分の首を絞めた」とMCしているように、日本的な情念に根差した詩を、変調を繰り返す分厚いサウンドに塗り込めている。愛に憑かれた女が、長い髪を振り乱して踊っている……。そんな鬼気迫るシーンが脳裏のスクリーンに浮かんできた。闇を舞う言霊と音霊を捉えたようなアルバムだった。

 ロックをメッセージとアートに領域に飛翔させたPANTA、いや、PANTAさんとは、ともに反原発集会に参加した。人柄に感銘を受けたことは別稿(7月30日)に記した通りである。周囲に気配りする優しいカリスマのパフォーマンスに、来年以降も触れていきたい。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の映画ベストテン&有馬記念

2012-12-21 13:34:16 | 戯れ言
 朴槿恵韓国新大統領は、安倍晋三新首相と系譜が重なっている。父の朴正煕元大統領は親日派で知られていたし、安倍氏は親韓派の清和会嫡流で、祖父の岸信介氏、父の晋太郎氏は韓国政財界に人脈を築いた。両者は年齢も近く、子供の頃から面識があっても不思議はない。

 仕事先の夕刊紙で興味深い記事を見つけた。春名幹男早大客員教授の連載である。春名氏は共同通信記者時代、シーファー駐日米大使公邸に招かれた。安倍前政権がスタートした時期である。大使は昼食会の席で、小泉前首相が元慰安婦に寄せた「お詫びと反省」を読み上げる。この〝事件〟は効果てきめんで、安倍首相は渡米した際、従来の発言を撤回し、小泉氏と同様の見解をブッシュ大統領に伝えたという。

 財界と創価学会のパイプを用い、前政権時に生じた日中の亀裂を修繕したのは安倍氏だった。中韓への対応は保守派の目に裏切りと映ったようだが、今回もオバマ大統領の意向に従い、柔軟に対応する可能性が高い。公明党との連立キープをその布石とみる識者もいる。

 今年もあと10日となった。この時期のお約束といえば<一年を振り返る>で、今回は映画館に足を運んだ作品からベストテンを選んでみた。

①「預言者」(ジャック・オーディアール)
②「さあ帰ろう、ペダルをこいで」(ステファン・コマンダレフ)
③「ル・アーヴルの靴みがき」(アキ・カウリスマキ)
④「ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳」(長谷川三郎)
⑤「ヒミズ」(園子温)
⑥「希望の国」(園子温)
⑦「高地戦」(チャン・フン)
⑧「最強のふたり」(エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ)
⑨「永遠の僕たち」(ガス・ヴァン・サント)
⑩「サニー 永遠の仲間たち」(カン・ヒュンチュル)

 番外編は順不同に以下の5作だ。
「コッホ先生と僕らの革命」(セバスチャン・グロブラー)
「ミッション・インポッシブル」(ブラッド・バード)
「セブン・デイズ・イン・ハバナ」(ベニチオ・デル・トロほか)
「ミッドナイト・イン・パリ」(ウディ・アレン)
「ヘルプ~心がつなぐストーリー~」(テイト・テイラー)

 素直に選んだつもりだったが、知らず知らずのうちにバイアスが掛かっていたようだ。上位3作と「最強のふたり」は、切り口は異なるものの、いずれも<移民>をモチーフに描いた作品である。異質な存在と向き合い、偏見を克服して新たなコミュニティーを目指すというヨーロッパの理想が、各作品から窺える。

 1位の「預言者」は、人間の本質を抉る目、実験性、転調によるラストのカタルシスが印象的で、フレンチノワール色の濃いエンターテインメントだった。良質な作品なのに客席はガラガラという点で共通していたのは「さあ帰ろう、ペダルをこいで」である。第2のキーワードは、①③⑧と「ミッドナイト――」の舞台だった<フランス>で、第3は当たり外れはあるものの、⑦と⑩に感銘を覚えた<韓国映画>だ。

 第4のキーワードは、4~6位の邦画3作に色濃く反映している<3・11>だ。福島菊次郎の不屈の精神、園子温の志の高さには敬意を表するしかない。園は独特の方法論を維持しつつ、震災と原発事故を正面から見据えている。復活を願っているのは是枝裕和だ。シャープな映像感覚と骨太の作家性を併せ持っているのに、園に引き離された感がある。テレビドラマ「ゴーイングマイホーム」の視聴率は悲惨だったようだが、力を注ぐ場所を間違えているのでは……。

 邦画では役所広司、阿部寛、堺雅人、井浦新の4人がフル稼働していた。それぞれの主演作「キツツキと雨」、「テルマエ・ロマエ」、「鍵泥棒のメソッド」、「かぞくのくに」はいずれも秀作で、日本映画の底上げを感じた。最も記憶に残った男優を挙げるなら、「臨場劇場版」の柄本佑だ。父は柄本明、妻は安藤サクラ、義父は奥田瑛二……。濃い一族に団欒はあるのだろうか。

 最後に、有馬記念の予想を。◎⑬ゴールドシップ、○⑯ルルーシュ、▲⑨ルーラーシップ、注③スカイディグニティ。3連単は⑬1頭軸マルチで、<⑬⑯⑨><⑬⑯⑨③><⑬⑯⑨③>の14点。この週末、俺にとって最も重要なレースは有馬記念ではなく、POG指名馬ノーブルコロネットが参戦する月曜阪神の万両賞だ。ハイレベルの一戦だが、ここを勝ち抜けたら一気にオークス候補に浮上するだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい水夫は現れるか~総選挙の結果に感じたこと

2012-12-18 23:13:09 | 社会、政治
 米長邦雄将棋連盟会長(永世棋聖)が亡くなった。安倍自民党の大勝は、右派の米長氏にとってこれ以上ない死出の餞になっただろう。棋士として人間として、米長氏の真骨頂は融通無碍で、柔軟な指し回しと軽妙な語り口が記憶の底から甦ってくる。享年69歳、早すぎる名棋士の死を心から悼みたい。

 一昨日の午後8時、出口調査の統計が発表されるや、暗澹たる気持ちでテレビを消す。<最大のテーマは原発と貧困で、3・11以降、排外主義と無縁の柔らかなナショナリズムが胚胎している>……。こんな俺の希望的観測とは真逆の答えが出た。

 気を取り直して福島の開票結果をチェックしたが、数字から見えてくるのは濃い闇だ。自民党が4議席を占め、あと1議席は原発輸出に積極的な玄葉国家戦略相である。民意を得たと確信した安倍新首相は、「原発は可能な限り再稼働し、新規建設も考える」と施政演説で方針を提示するかもしれない。

 河野太郎衆院議員は3・11直後、東電防衛のため永田町を徘徊する連合系の民主党議員に眉を顰めつつ、「デモも重要だが、国会を動かさないと脱原発は難しい」と語っていた。1年9カ月と時間は十分にあったが、国会の内外で合従連衡に向けた動きはあっただろうか。脱原発集会で「野田内閣打倒」と拳を振り上げる共産党や社民党の幹部に、「もっと悪い連中(自民党)が政権を奪ったらどうする」と心の中でツッコミを入れていた。

 国会を包囲した脱原発のデモ隊に、安保闘争を重ねたオールドリベラリストもいた。絶対的ヒールの岸首相(安倍新首相の祖父)が退陣し、国民的人気を誇った浅沼社会党委員長がテロに斃れた1カ月後に行われた総選挙で、自民党は9増の296議席を獲得し、社会党は21議席を失った。

 大衆的な盛り上がりと国政選挙には、意外なほど相関関係はないが、それは今回も同様だった。残念なことに、脱原発派にはひとりの龍馬もいなかった。脱原発のシンボルといえる小出裕章氏、あるいは脱原発への工程を把握している古賀茂明氏らを軸に据え、緩やかで広範な結集体をつくるという知恵がなかった。脱原発を主張する全ての組織が、内なる敗因を追求するべきだ。

 県知事選で善戦した飯田哲也氏は、急ごしらえの未来に取り込まれ、山口1区で惨敗を喫する。一方で、未来の推薦を受けたものの無所属を貫いた山本太郎氏は、公示1日前の立候補表明にもかかわらず、東京8区で石原伸晃氏を相手に健闘した。これらの事実が、脱原発派の進むべき道を示しているのではないか。吉田拓郎の1stアルバムのタイトル通り、「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」……。古い水夫(小沢一郎氏)に櫂を置く日が来たのではないか。

 脱原発と格差是正を重視する有権者は東京だけで100万弱(宇都宮健児氏の得票数)存在する。その数字が、俺の希望の礎石だ。<安倍=麻生コンビ>の実力は周知の通りだが、敵失を待つことに意味はない。リベラルで魅力に溢れた新しい水夫が、新しい船で航海に出る日を心待ちしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「WHY POVERTY?」パート1~貧困問題を考える

2012-12-15 21:06:49 | 社会、政治
 部屋近くの商店街(中野区)はシャッター通りの様相を呈している。かといって、乱立するスーパー、コンビニ、100円ショップも儲かっているように見えない。パイは限られているからだ。師走に入り、電車に飛び込む人が増えているが、死を選んだ彼らの絶望は日本社会の主音になりつつある。

 総選挙のメーンテーマは、第一に原発、第二に貧困と考えている。原発については当ブログで繰り返し俎上に載せてきたので、今回は貧困に触れることにする。貧困とは裾野が広い問題で、低所得者に多くの負担を強いる増税、福祉と医療の切り捨てと、様々な支流が巨大な海に通じている。

 NHKが貧困をテーマに、世界のテレビ局や支援団体と制作したドキュメンタリーを見た。「WHY POVERTY? 世界の貧困~なぜ格差はなくならない」と題された8回シリーズで、リベラルな視点で貧困の本質に迫っていた。一気に紹介するのは無理なので、今回は中国とアメリカの実態に迫った2本に絞ることにする。第2弾は1月中旬、グローバリズムに軸を据えて記す予定だ。

 「中国 教育熱のゆくえ」(第2回)のテーマは、大学民営化以降の中国の教育事情だ。就職先が見つからない新卒者、貧困家庭から大学に進学する少女、勧誘担当で全国をツアーする大学講師……。3人の目を通して格差の実態が浮き彫りにされている。能力ではなく〝奴隷性〟をアピールする中国の就職活動も、日本と寸分違わない。

 「この国の理想はどこに消えたのか」と嘆く若者の姿が印象的で、彼らのプライドや希望は無残にも踏みにじられている。上記の大学講師は「自分は詐欺師」と言い切っていた。大学進学がいい暮らしに繋がるとの虚言を弄し、家族から金を巻き上げていく。だが、パスポートに何の効力もないことは番組内で示されていた。

 日本では中国脅威論が席巻しているが、俺は異なる見解を示してきた。共産主義を標榜する中国で資本主義が導入され、矛盾が国中を覆っている。自由と平等を求める革命が成就すれば、マルクスもあの世で目を丸くするだろう。歴史上最大のパラドックスは、俺が生きているうちに成立するだろうか。

 「パーク・アベニュー」(第4回)はニューヨークを舞台に、アメリカの絶望的な格差を抉っている。俺はアメリカを<資本主義独裁国家>と評してきたが、本作では中流層の崩壊を、データとともに実証していた。以下に、数字を挙げてみる。

 データ①=国民の7人に1人が食糧配給に頼っているが、ポール・ライアン議員ら共和党は予算カットに邁進している。
 
 データ②=上の階層に行ける確率は先進国で最低。アメリカンドリームは幻想に過ぎない。
 
 データ③=1977年まで所得増加分は公平に分配されていたが、レーガン政権以降、すべてが1%に吸収される。2010年には400人の富裕層が1億5000万人分の富を手にした。
 
 データ④=1965年には<重役1人=労働者20人の収入>だったが2010年には231人分になった。だが、この20年、富裕層の税率だけが4分の1に下がり、アメリカの財政を逼迫させている。

 アメリカの病理と狂気を表す驚愕の数字だ。倫理と良心とは無縁の<1%>は莫大な〝余剰金〟で政界とメディアを操っている。彼らの特権を守るための法案やルールが次々に成立しているが、恐るべきは洗脳の実態で、大統領選でも富と無縁の低所得層が、<1%>の利益を守るためのスローガンを叫んでいた。本作の感想は、先進国全体で問題なのは<貧困>ではなく、ここ20年の<貧困化>ということ。アメリカ国内で起きたことが世界に波及し、南欧諸国や日本を蝕んでいる。

 総選挙は下馬評通りにせよ、脱原発、反貧困、護憲を主張する党や候補者が、次回に繋がる票を得てほしい。そういえば今日、優勢が伝えられ、電話作戦なんて無用のはずの猪瀬直樹陣営から「お願いします」コールが入った。未来1党で民主、自民、公明、維新推薦候補をトリプルスコアで破った桑名市長選の例もある。宇都宮健児候補はメディアの報道以上に浸透しているのではないか。都知事選の結果が少し楽しみになってきた。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シューマンの指」~伽藍から迷路へ転移するミステリー

2012-12-12 23:28:22 | 読書
 昨日は仕事先の忘年会だった。宴まで時間を潰した喫茶店で、整理記者Yさんから桑名市長選(12月2日投開票)の結果を知らされる。民主、自民、公明、維新の推薦を受けた現職をトリプルスコアで破ったのは、未来推薦で嘉田政経塾出身の新人だった。主要紙は結果を曖昧に報じ、ネット版から早々に削除したという。<3・11>以降、明白になった情報操作が現在も継続中ということだ。脱原発派が勢力を伸ばすことを、メディアは心から恐れているのだろう。

 角田容疑者の自殺、北朝鮮のミサイル発射、舞鶴女子高生殺人事件の被告に下された無罪判決……。今日12日は想定外の出来事が続けて起きた。波乱の空気が16日までとどまることを期待している。

 驚愕の結末を迎える小説を読了した。奥泉光著「シューマンの指」(10年、講談社文庫)である。「『吾輩は猫である』殺人事件」、「プラトン学園」、「グランド・ミステリー」と、奥泉の作品には文学の薫りとミステリーのペーストが入り混じっている。導入部で大きな謎が提示された。右手中指を失ったピアニストが、コンサートで演奏を披露するなんて可能だろうか。

 読者は音楽が鳴り響く壮大な伽藍に誘われるが、一本の梁を抜いたら瞬時に崩壊するような不安に満ちている。舞台は都内の公立高校で、音大志望の私(里橋優)が、天才ピアニストの永嶺修人、オタク的な鹿内堅一郎と交遊する。譜面だけでなく言葉で音楽を表現しようと試みたシューマンに倣い、3人は「ダヴィッド同盟」を結成した。

 クラシック、なかんずくシューマンについての知識は皆無の俺だが、作者が修人に語らせる分析に魅せられていく。<創造性より解釈と再現性を求められるジャンル>とクラシックに偏見を抱いていたが、読み進むうち、音楽の本質が見えてきた。

 <シューマンの曲はどれもそうだけど、一つの曲の後ろ、というか、陰になった見えないところで、別の違う曲がずっと続いているような感じがするんだよね>……。この修人の言葉は、そのまま奥泉文学の神髄に繋がっている。本作には刺激的なシューマン論がちりばめられていた。

 修人が深夜の学校でシューマンの「幻想曲」を弾く場面の濃密で官能的な筆致に心が震えたが、余韻は叫び声で一気に冷める。殺人事件で伽藍が崩壊するや、読者は無数の鏡が乱反射する迷路に閉じ込められる。狂気に濡れて不遇の死を遂げたシューマンの晩年に添うように、転移した物語は正気を離れ、蜃気楼のように遠ざかっていく。

 <「音楽」はもう在るのだ。氷床の底の蒼い氷の結晶のように。暗黒の宇宙に散り輝く光の渦のように。動かし難い形で存在しているそれは、私の演奏くらいで駄目になるものではない>……

 音大の入試で課題曲(シューマンの「交響的練習曲」)を弾いた時、私は修人の境地に到達する。既に在る音楽の神意を捕まえたのだ。ちなみに、修人とは、修(シュー)+人(マン)の造語である。

 読了した時、平野啓一郎の「決壊」と似た感触を覚えた。平野は<分人>という概念を作品に採り入れているが、「シューマンの指」も志向するものは近い。ちなみに平野はショパン、奥泉はシューマンと嗜好は異なるが、世間的にはショパン派の方が圧倒的に多いようだ。

 本作は<信頼できない語り手>の手法を用いている。ラストの妹の手紙で真実を知ってから読み返していくと、作者の企みや仕掛けが見えてくる。でも、俺が魅了されたのは〝伽藍〟の部分で、後半の〝迷路〟にはいまひとつ入り込めなかった。

 紀伊國屋で高村薫の「冷血」と平野啓一郎の「空気を満たしなさい」を併せて購入した。今年の読み納めはどちらにしようかな……。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人生の特等席」~イーストウッドの老いが煌めく野球映画

2012-12-09 23:01:29 | 映画、ドラマ
 マニー・パッキャオが惨敗を喫した。ボクシングの常識を覆す奇跡を演じ続けた怪物も34歳。引退と思いきや、再起を目指すという。香港からは朗報だ。ジャガーメイルの香港ヴァース2着に続き、ロードカナロアが香港スプリントを制した。日本馬の海外での活躍により、賞金が高い日本市場開放を求める圧力がさらに強まるだろう。

 「ロッキンオン」先月号に、NYインディーシーンを担うグリズリー・ベアの財政事情が掲載されていた。「シールズ」は俺にとって'12ベストアルバムで、来年3月の来日公演を楽しみにしている。近2作はビルボードで10位以内にランクインしており、来年のサマーフェスでも世界中から声が掛かるはずだ。稼ぎはたっぷりと思いきや、各メンバーが手にするのは年に約650万円という。知名度や評価と相容れない数字に愕然とする。対照的なのは、50周年記念ライブで莫大なギャラを手にするローリング・ストーンズだ。

 昨日はジョン・レノンの命日だった。<社会の本質的な問題に関わるな>という風潮がはびこるロック界で、ジョンの不在がボディーブローのように効いてきた。日本と縁が深いジョンのこと、存命なら<3・11>後、福島を訪れ明確なメッセージを発したに違いない。その死についてCIA謀略説が根強いのも、ジョンが生前、革命家やラディカルと交流があったからだ。代表曲「イマジン」はアメリカの主要メディアで放送禁止歌に指定されている。

 先週末、東京メトロ銀座駅から表に出ると、長蛇の列が出来ていた。大当たりが連続して出た宝くじ売り場に並んでいるという。WIN5さえかすりもしない俺が向かった先は丸の内ピカデリーだ。「人生の特等席」(12年、ロバート・ロレンツ監督)は丁寧に作られた野球映画で、主人公ガスを演じたクリント・イーストウッドの老いが、作品にコクと風味を添えていた。

 冒頭で老いが象徴的に示されていた。前立腺肥大で小便がチョロチョロしか出ない。目がかすみ、足がよろめく。実年齢は80歳を超えているイーストウッドの喉元は皺だらけだ。老いを曝け出すイーストウッドの潔さに感嘆したが、含蓄と切れのある演技から、脳内のシャープさは明らかだ。

 ガスはブレーブスのスカウトで、その身を案じた娘のミッキー(エイミー・アダムス)は、父との溝を埋めるために仕事を放り出してスカウトツアーに同行する。父娘の旅先に現れるのは、レッドソックスのスカウトであるジョニー(ジャスティン・ティンバーレイク)だ。ジョニーはかつてガスに見いだされた投手だったが、選手としては大成できなかった。3人が織り成す絆が本作のメーンテーマといえる。

 崩壊しつつある古き良き中産階級へのオマージュが、作品中にちりばめられていた。球団幹部のピート(ジョン・グッドマン)や他チームのスカウトたちとガスとの友情は、アナログ的な人間関係の典型といえるだろう。一方で、ミッキーが属する勝ち組世界は否定的に描かれる。利だけを追求する弁護士事務所にとどまることにどれほどの価値があるのかと、見る者に問い掛けていた。小気味よく据わりのいいラストに快哉を叫んだ。

 選手の力量を極限まで数値化して成功したビリー・ビーン(「マネーボール」のモデル)もいれば、本作のガスのように、五感をフル稼働するスカウトもいる。野球というゲームの幅の広さを実感した作品だった。

 最後に薀蓄を一つ。長嶋茂雄が世に出た経緯について。北海道の社会人チームのスカウトが高校野球の東京都予選を視察するため上京した。総武線沿線に宿を取ったスカウトが購入したのは朝日新聞千葉版だったが、佐倉高校の紹介記事で長嶋の存在を知り、母校の立教大学への進学を勧める。スカウトにとって仕事は賭けの連続だが、偶然が想定外の結果を招くことは、「人生の特等席」にも描かれていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヒトリシズカ」~結末に心が濡れるミステリー

2012-12-06 22:32:47 | 映画、ドラマ
 俺の中で、「悪夢」と題されたミステリーが進行中だ。6日付の主要紙に総選挙の情勢分析が掲載されていた。原発を推進し、格差を拡大した自民党が、政権の座に返り咲くらしい。日本人は<3・11>から何を学んだのだろう。日本人は踏みにじられ棄てられる快感に痺れるマゾヒストなのか。俺はもちろん、どんでん返しの望みを捨ててはいない。人を信じる気持ちを失くしていないからだ。

 鮮やかな結末を迎えるミステリーを見た。WOWOWで放映された「ヒトリシズカ」(誉田哲也原作、全6話)である。宿命と意志、絆と孤独を追求したドラマで、時を行き交う物語を再現するには270分が必要だった。今年映像化されたミステリーで「ヒトリシズカ」を超える作品はあっただろうか。

 夏帆が10代半ばから30代前半までの伊東静加を演じている。通常なら主演は出ずっぱりだが、本作の静加はセリフが少なく、物語を綾なす透明の糸といった感じだ。関連のなさそうな複数の殺人事件の陰に、ひっそり静加が寄り添っている。偶然によって手繰り寄せられたかに思えたが、ストーリーが遡行しつつ進行するにつれ、静加の意志が見えてくる。

 最初の殺人事件の8年前、警察署内で起きた拳銃を巡る不祥事が起点になっていた。3人の当事者、静加の父(岸部一徳)、私立探偵(長塚圭史)、暴対課刑事(松重豊)が、ストーリーに大きく絡んでいる。ラストの慟哭に繋がるのが、静加の母(黒沢あすか)の悲しい過去だ。複数のプリズムで屈曲する物語の核に、家族の崩壊と絆が据えられている。静加の志向を明らかにする肝ゼリフも用意されていた。善と悪、罪と罰の境界に関わる静加の言葉に、両親は愕然とする。

 静加のプランを実行する周到さ、危機に即座に対応する果断さ、他者の死を平然と見つめる冷酷さに衝撃を受けるが、彼女を支配するのが熱い感情であることが明らかになってくる。憎悪は愛の裏返しでもある。極限に達した愛に一滴の狂気、そして孤独が垂らされたら、人間を衝き動かすマグマが発生する。

 上記の松重に加え、不気味な刑事を演じた新井浩文の個性が光っていたが、最終話で緑魔子が放ったオーラに圧倒された。演技を超越し、緑の人生がそのまま表現に結びついている。階段を踏み外した者たちの終着駅ともいえる安アパート経営者の役で、逃げてきた姉妹に手を差し伸べる。15年後、静加と澪の絆は完結し、俺の心はカタルシスで熱く濡れた。

 開局以来、WOWOWに親しんでいる。サッカー、ボクシング、映画、舞台と豊富なアイテムを誇っているが、ドラマの充実ぶりも素晴らしい。高村薫ファンとして待ち遠しいのは来年3月、シリーズで放映される「レディ・ジョーカー」だ。作品の根底にある差別問題にどこまで踏み込んでいるのか気になるところだ。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「冷たい方程式」~読み継がれるSFの古典

2012-12-03 22:42:37 | 読書
 JC直前、「フェノーメノ(POG指名馬)がジェンティルドンナに負けたら、女装して仕事をする」と啖呵を切った。結果はご存じの通りである。肩身の狭い日々を過ごす俺と比べ、肝の太さに驚嘆するのが野田首相だ。

 大飯再稼働に抗議して官邸前で毎週金曜、大掛かりなデモが継続している。多くの民主党議員が電力総連の圧力で脱原発を封印していることは、様々なメディアが報じている通りだ。これらの事実を無視し、<2030年代に原発ゼロ>とのたまう野田首相にはあきれるしかない。厚顔無恥、確信犯的大嘘つきを操っているのはアメリカだが、次なるミッション(TPP)を実行するのは自民党か。

 マニック・ストリート・プリーチャーズがWWEのウェイン・バレットに入場テーマを提供する。バレットは「文化、疎外、退屈、絶望」の歌詞をタトゥーに彫るほどのマニックスファンだ。マニックスはキューバに赴きカストロの前で演奏した左翼色の濃いバンドだ。一方のWWEは、リンダ・マクマホン(会長夫人)がティーパーティーの支持で上院議員選挙に出馬したように保守派と連携している。ありえないミスマッチが、いかなるケミストリーを生むだろうか。

 仕事先で隣に座るSさんは、大のSF通だ。そのSさんに薦められた短編集「冷たい方程式」(ハヤカワ文庫)を先日読了した。Sさんが読んだのは80年版で、俺は2011年版……。共通する収録作は、表題作(1954年、トム・ゴドウィン)と「信念」だけだ。

 SFに疎いゆえ、知らないうちにSFを読んでいることがある。「オペレーション・ノア」(野坂昭如)や「ドーン」(平野啓一郎)もSF小説に分類できるだろう。当ブログで繰り返し紹介しているベルナール・ウェルベールは〝フランスのSF界の鬼才〟と呼ばれているが、SFと意識したことはなかった。

 純文学であれ、ミステリーであれ、SFであれ、優れた小説の条件は変わらないというのが、本作を読んだ感想だ。条件とは即ち、人間の本質と社会の構造への深い理解だ。以下に、収録作からピックアップして感想を記したい。

 「徘徊許可証」の舞台は、犯罪が消えた地球の植民地、惑星ニュー・グラディアだ。地球から調査官が視察に訪れると知り、市長はこの惑星が地球の精神に近いことを証明せんと躍起になる。急きょ刑務所を造り、犯罪者を用意する。ユーモアと皮肉の陰に人間社会への洞察が窺えた。

 「信念」には重力から解放された物理学者が登場する。ありえない設定の下、薄っぺらい権威と秩序に翻弄される人間の悲喜劇が描かれていた。「オッデイとイド」には、人心を操る能力で世界を支配する若者が主人公だ。発表当時(50年代末)、洗脳やマインドコントロールといった概念がどこまで普及していたのか気になった。

 「危険! 幼児逃亡中」の舞台は、放射能に汚染された街……だったが、実際に紛れ込んだのは別物だった。危険で管理不能な原子力に、自身を制御できない幼い超能力者を重ねているとみるのは深読みだろうか。掉尾を飾る「ハウ=2」(クリフォード・D・シマック)はロボットと人間の関係を描きつつ、進歩は果たして人間を幸福にするのかという問いを投げかけていた。

 表題作「冷たい方程式」は、やるせなさ、怒り、絶望を喚起する作品だ。SF史を飾る金字塔であると同時に、最大の問題作という位置付けか。伝染病が発生した惑星へ血清を届ける宇宙船に、少女が紛れ込んだ。兄に会うためである。燃料は1人分しかなく、少女を乗せたままでは惑星に行き着かない。パイロットは冷徹な判断を下し、兄と無線で話した少女は、宇宙の藻屑になる定めを受け入れる。

 俺もどんでん返しを期待した。少女が生き永らえる方法が示されるのではないか。あるいは、パイロットが代わりに犠牲になる? 希望は叶わず、「冷たい方程式」はそのまま実行された。本作に触発されて多くの小説が生まれたが、Sさんによれば筒井康隆の「たぬきの方程式」が白眉らしい。

 SF作家は未来と格闘した。俺が唯一、熱心に読んだ小松左京も同様で、地球温暖化、地殻活動の頻発といった科学の分野だけでなく、権力に操られるメディア、中国の台頭、利潤のみを追求して腐敗するアメリカを半世紀前に見通していた。

 SFの黄金期は1950年代という。当時は他のジャンルと一線を画していたが、その後、SFの発想や手法は他の分野に浸透していく。SFは他のジャンルを豊かにして、歴史的使命を終えつつあるのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする