酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「工作 黒金星と呼ばれた男」が抉るリアルな政治の実像

2019-07-28 22:22:43 | 映画、ドラマ
 昨夜、隅田川に足を運び、闇を彩る儚い刹那を満喫した。5㍍前後の風速で、花火の燃えカスが落ちてきたのは初めての経験である。桜、蛍、花火、紅葉と四季折々の移ろいを楽しむようになって十数年が経つ。土に還る日が近づいているのだろう。

 参院選で外交の成果を強調していたが安倍首相だが、実は八方塞がりだ。イージス・アショア配備では秋田県民から「NO」を突き付けられ、対ロ交渉は決裂した。北朝鮮問題では埒外に追いやられ、日韓関係は最悪の状況に陥った。

 徴用工への賠償問題で、<日韓条約(1965年)で解決済みのことを韓国側が蒸し返している>と主張する日本側に対し、<経済支援(8億㌦)に慰謝料は含まれない>と韓国は応じている。名前と言葉を奪う皇民化、強制連行と従軍慰安婦……。対立がエスカレートした背景には、日本の苛烈な植民地政策がある。

 <国家はその罪に無限責任を背負う。決して外部化されず国民にも責任が問われる>(内田樹)の言葉を体現したドイツは戦後、欧州でリーダー的役割を果たしている。一方で日本では、河野談話を発表した河野一郎氏の長男、太郞外相も、1911年から時が止まっているかのような妄言を繰り返している。

 シネマート新宿で韓国映画「工作 黒金星と呼ばれた男」(2018年、ユン・ジョンビン監督)を見た。女性サービスデーということもあったが満員御礼で、政府間の軋轢とは別に、文化的交流が滞っていないことを実感させられた。公開から10日余りで、これからご覧になる方も多いだろう。ネタバレは最小限に感想を記したい、

 ユン監督作は〝ペーソスに満ちた裏社会版ホームドラマ〟と評した「悪いやつら」に次いで2作目になる。昨年来、「タクシー運転手」、「1987、ある闘いの真実」と史実に題材を取った韓国映画が次々に公開されている。両作は軍事独裁に抵抗する闘いを描いていたが、「工作――」は1990年代、北朝鮮の核開発を巡る実話に基づいている。

 「タクシー運転手」と「1987――」、そして「工作――」を通してのキーパーソンは金大中元大統領だ。光州事件で抵抗のシンボルだった金は死刑判決を受け、公民権を回復した1987年には大統領選に出馬する。そして「工作――」のハイライトは金が当選した98年の大統領選だ。金を〝北と通じた容共主義者〟と敵視し続けた国家安全企画部にスカウトされ、北朝鮮に潜入したのが元陸軍中佐で〝黒金星(ブラック・ヴィーナス)〟と呼ばれたパク・ソギョン(ファン・ジョンミン)だ。

 パクはチェ局長(チョ・ジヌン)と二人三脚で北朝鮮指導部中枢に入り込み、核施設を探る。橋渡し役として利用したのが、北朝鮮で外貨獲得を統括するリ所長(イ・ソンミン)だ。日本の俳優と風貌が重なる実力派たちの競演が作品に奥行きを与えていた。

 韓国映画全般にいえることで、北朝鮮の諜報員が登場する場合は色合いが濃くなるが、パクとリ所長も体制を超えた友情を築いていく。〝絶対悪〟金正日総書記でさえ、意外なほど物分かりが良く、パクにも本音を見せる。総書記を含め北朝鮮関係者が欲望を隠さない点も面白い。

 北に接近するにつれ、パクはスパイとしての任務、リ所長との友情に引き裂かれる。朝鮮半島だけでなく、東アジアと世界を俯瞰で眺め、自分が何を成すべきか懊悩するのだ。パクは緊張感を意図的につくり出す政治の仕組みを目の当たりにする。その場面と重なったのが、仕事先の夕刊紙が追及した安倍政権と北朝鮮との〝癒着〟で、北朝鮮がミサイルを発射するタイミングと安倍政権の危機が符合していると論じていた。

 と書くと、取るに足らない陰謀論と嗤う人もいるだろう。だが、本作を見て信憑性を覚えた。安企部にとってかつて死刑判決を受けた金大中の大統領就任を阻止することが第一命題だ。そのため選挙前、北朝鮮に軍事活動を要請し、金大中ならびに彼が率いる勢力に打撃を与えることを繰り返してきた。

 金大統領の誕生でパクを取り巻く状況は一変する。韓国と北朝鮮の緊張緩和が進み、安企部は解散して大統領直属の国家情報院に様変わりする。活躍の場を得たパクだが、李明博、朴槿恵と2代続いた保守政権の下、権力の追及を受ける。大衆レベルの動きはダイナミックな韓国だが、大統領が代わるたびに流れは変わる。韓国の民主主義も発展途上であることが本作で窺えた。


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れいわ新選組はポデモスになり得るか~山本太郎氏の初心を思い出した

2019-07-24 20:36:17 | 社会、政治
 藤井聡太七段が竜王戦挑戦者決定トーナメントで豊島将之名人に敗れた。序中盤のねじり合いで名人に引けを取らなかった点は評価していい。NHK杯で里見香奈女流5冠が高崎一生六段を下す。解説の羽生善治九段、対局者も里見の実力を認めているためか、感想戦は淡々と進む。2回戦で稲葉陽八段(A級在籍)を倒せば〝大事件〟だが……。

 棋界で注目しているのは木村一基九段だ。タイトル戦に7度登場しながら獲得ゼロと、勝負弱さは否めない。40代後半に差し掛かると羽生でさえ衰えを隠せなくなったが、46歳の木村は各棋戦で活躍し、豊島王位に挑戦中だ。辛酸を舐め続けた不屈の中年男が勝って泣く姿を見てみたい。  

 将棋はイーブンの条件下で戦われるが、政治は違う。供託金違憲訴訟について繰り返し記してきたが、日本は先進国(OECD加盟35カ国)で例を見ない制度で選挙が運営されている。治安維持法とセットで導入された普選法(1925年)を踏襲した制限選挙だ。日本は民主主義のスタートラインにさえ立っていない。

 投票率が50%を切れば自公有利は当然だが、「組織票に負けた」という言いは的を射ていない。創価学会は一種の互助会でもある。経営の苦しい個人事業者同士は助け合っているし、窓際のサラリーマンが学会内でリーダー的役割を果たしているケースも多い。中高年層にとって何より必要なのが助け合いと生きがいだ。<組織票=悪>と決めつける前に、理念と情で結ばれた絆をつくることが、反自公側の喫緊の課題ではないか。

 前稿を<あと2時間ほどで参院選の結果が判明する。自由への細い道筋は見つかるだろうか>と締め括った。名称など違和感を覚えた点もあったが、俺は比例区でれいわ新選組に票を投じた。見つけた細い道筋は山本太郎氏である。彼を〝発見〟したのは2013年で、参院選公示前日に開催された「どうする日本の貧困問題」(反貧困ネットワーク主催)というイベントだった。

 各党の論客が壇上に顔を揃えていたが、際立っていたのは緑の党の高坂勝共同代表(当時)で、脱原発とエコロジー、多様性とオルタナティブ、障害者と女性の現状など、語るすべてが哲学と実践に裏打ちされていた。7カ月後、俺は緑の党に入会する。

 飛び入りでスピーチしたのが、緑の党が東京選挙区で推した山本氏で、反貧困、脱原発、護憲がリンクしていることを強調していた。「自分も貧乏です。困った時の後ろ盾として、反貧困ネットワーク、よろしくお願いします」と笑いを取っていたが、天才という第一印象は今も褪せることはない。

 山本氏と緑の党の蜜月は続き、15年の統一地方選では党の公認・推薦候補の応援演説で熱っぽく語ってくれた。前回の参院選で袂を分かつことになったが、山本氏が初心を忘れていないことは今回の選挙でも明らかだ。貧困に喘ぐ人、弱者を第一に考え、障害者、重病者を当選させて〝貴族の巣窟〟国会の造りを変えたことに喝采を送りたい。

 参院選後、維新は自公にさらに接近し、国民民主も政権の草刈り場になるだろう。野党にとってカンフル剤になるのはれいわ以外に考えられない。山本氏の突破力と表現力を武器に、れいわはポデモス(スペイン)に匹敵する政党に育つ可能性もある。

 れいわが廃止を掲げる消費税について気になっているのは二つの点だ。第一は、消費税が先倒しで実質アップしていること。スーパーやコンビニで頻繁に買い物をするが、総菜類など値段は同じなのに量が減っているケースは数え切れない。第二は、税の使い道が公開されていないこと。欧州では福祉のために使ったことが明示されるから、高税率にも国民は納得している。日本ならアップ分が武器購入に充てられる可能性を否定出来ない。

 山本氏に対して警戒心を隠さない亀井静香氏は、小泉純一郎氏と闘った経験から、「山本氏はヒトラーになり得る」と反ポピュリズムの立場で評していた。とはいえ、多くの国民は〝板子一枚下は地獄〟を実感している。その声を吸収したら、空気は変わるだろう。衆院選が楽しみになってきた。


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「COLD WAR~あの歌、2つの心」~愛の極北に心を射抜かれた

2019-07-21 17:54:11 | 映画、ドラマ
 世界に向けて夢を発信する工房で惨劇が起きた。亡くなった方々の冥福を心から祈りたい。「京都アニメーション」は俺が通っていた小学校の校区内にあり、六地蔵駅周辺には幼い頃、何度も足を運んだ。蛮行を憎むと同時に、俺は自分に問うている。「それでもおまえは、死刑制度反対を主張するのか」と……。

 前々稿で紹介した「乱世防備 僕らの雨傘運動」で若者たちは、<独裁と腐敗が本土からもたらされ、中国資本の進出によって商店街のシャッター化が進行した>と語っていた。香港の現状は日本と酷似している。独裁者による言論封殺と政治の私物化、そして階級社会の成立だ。この3点をリトマス紙で測って今朝一番で投票を済ませた。

 渋谷で先日、「COLD WAR~あの歌、2つの心」(18年、パヴェウ・パヴリコフスキ監督)を見た。ポーランドとパリを主な舞台に、20年にわたる男と女のさすらいを描いた作品で、モノクロ映像がズーラ(ヨアンナ・クーリク)とヴィクトル(トマシュ・コット)の心象風景を浮き彫りにしていた。

 ピアニストのヴィクトルは当初、ポーランドの民俗音楽発掘に関わっていたが、冷戦の進行でプロジェクトの内容が変わり、国威発揚が目的になる。集められた若者の中で際立った才能を見せていたズーラが、ヴィクトルのファム・ファタール(宿命の女)になる。ジャンヌ・モローを彷彿させるズーラ役のヨアンナ・クーリクは、奔放、情熱、アンニュイを表現していた。

 さすらう男女を描いた傑作といえば、「情婦マノン」と「浮雲」だ。両作の背景にあるのは第2次世界大戦だが、「COLD WAR――」の二人は冷戦に人生を翻弄される。パヴリコフスキ監督が読んだかはともかく、バルガス・リョサの「悪い娘の悪戯」に重なる部分が大きい。同作は世界を俯瞰するスケールを誇るが、「COLD WAR――」はポーランド現代史の濃密な縮図になっている。

 モノクロ映像は自分の内側に染み込んでくる。俺はここまでどんな恋愛をしてきたのか、そして宿命の女と出会えたのだろうか……。<宿命の女≒魔性の女≒悪い女>は男の思い込みだ。女性が憂い顔で物思いに耽っていると心がそよいでくるが、実際は「夕ご飯は何にしようかな」と考えているだけだったりする。それが恋の本質なのだろうが、ズーラにとってもヴィクトルは宿命の男だった。二人にとって互いは防波堤だった。

 本作は愛の本質を見る側に問い掛ける。ヴィクトルには詩人の恋人がいたし、ズーラも2度結婚し、子供ももうけている。俺が肝と感じているのは、深夜のパリを並んで歩くシーンだ。ヴィクトルが制作し、自身が歌ったアルバムを、ズーラが路上に投げ捨てる。<二人が創り上げた世界>に希望を覚えるヴィクトルに、<形になったら愛は腐る>と言いたげなズーラは、成功の兆しも夫も捨てポーランドに戻る。

 本作は様々なジャンルの音楽に彩られている。ロマの音楽に似たポーランド民謡、ズーラが歌う「二つの心」、パリに亡命したヴィクトルがクラブで奏でるジャズ、ズーラがアルバムに吹き込んだシャンソン風の曲、エンディングで流れるバッハの「ゴルトべルク変奏曲」……。パーティー会場で「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が流れるや、ズーラはテーブルの上で踊りまくった。ロックは新しい時代の息吹と捉えられていたのだろう。

 ポーランド映画には悪魔が棲んでいる……。俺は当ブログで様々な作品の名を挙げながら、このように評してきた。本作は英仏との共同制作でもあり、悪魔の影は薄かった。二人が教会で神に愛を誓うラストに「灰とダイヤモンド」が重なった。クリーシャが墓碑に刻まれたノルヴィトの詩を読み、マチェクが諳んじた部分を続けるシーンだ。

 <たいまつの如く火花を散らし 我が身を焦がす時 自由となれるを汝は知るや 持てるもの全て失われ 残るのは灰と混沌 嵐の如き深淵の底深く 永遠の勝利の暁に 燦然と輝くダイヤモンド>……。「私たちは何」と問うクリーシャに、マチェクは照れながら「君こそダイヤモンドだ」と答えた。

 「COLD WAR――」も永遠と刹那に彩られていた。至上の愛、いや、愛の極北を描いた本作に心を射抜かれ、館内が明るくなっても椅子からしばし立ち上がれなかった。改めて映画の可能性に気付かされた傑作だった。

 あと2時間ほどで参院選の結果が判明する。自由への細い道筋は見つかるだろうか。

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「犯罪小説集」~濃密な吉田修一の世界に浸る

2019-07-17 22:58:45 | 読書
 Yahoo!のトップページに掲載されていた「遊戯王キャラ政治的発言謝罪」をクリックした。作者の高橋和希がインスタのアカウントで、登場キャラクターに<安倍政権は売国、独裁政権>とまっとうに批判させたことが波紋を広げる。「遊戯王」のことは全く知らないが、漫画、アニメ、ゲームで人気を誇っているらしい。

 言論の自由には何物にも代え難い価値がある。〝ネット右翼〟を主導する自民党サポーターズクラブが蠢いているのかはともかく、この国の自由は風前の灯だ。<安倍政権は取り巻きのみに便宜を図る犯罪集団で、国民虐待罪に問われるべき>なんて書く自由を守るためにも、参院選は自公+維新以外に投票する。

 吉田修一の「犯罪小説集」(2016年、角川文庫)を読了した。収録された5編の共通点は、犯罪に至る心の動きが丁寧に描写され、濃密な気配が立ち篭めている。さらに、東京と地方の格差も後景に描かれている。

 別稿(今年5月31日)で<20代半ばの頃、犯罪予備軍だった>と記したが、不運が幾つか重なっていれば〝予備軍〟が取れていたことを、本作で実感した。〝犯罪小説の第一人者〟松本清張は、市井の人が罪を犯す経緯を描いたが、吉田修一は本作で清張の衣鉢を継いだといっていい。それぞれの感想を以下に記す。

 ♯1「青田Y字路」は少女失踪事件がテーマだ。寂れた町で愛華の姿が消え、数年経っても見つからない。不安な空気が流れる中、住民たちの心に犯人として像を結んだのは外国生まれの豪士だった。白い車、白い花、赤いランドセル、燃え盛る炎……。白と赤がイメージカラーで、予定調和的に哀しい結末に至る。愛華目線のミステリアスなラストに余韻は去らない。俺も物語に入り込んで、罪の意識を覚えていた。

 ♯2「曼珠姫午睡」では、英里子とゆう子の人生が交錯する。中学生時代、二人がテニスに興じたシーンが肝になっていた。ルックス、家庭、成績と全てで勝っていた英里子に、地味なゆう子が必死に食らいつく。三十数年後、ゆう子が殺人の共犯になったことを知った英里子は、沈殿していた記憶が甦ってくるのを覚えた。

 スナックを転々とする際、ゆう子の源氏名は英里子だった。英里子は遺漏なく体裁を整えてきた人生の亀裂に気付いた。波瀾万丈のゆう子の来し方に自身を重ね、かつての勤務先を訪ねる。ゆう子はどこで踏み外し、自分はどこで〝間違えなかった〟のか……。48歳になった英里子はささやかな冒険で境界に踏み入れる。濃密な女の生理に、桐野夏生の作品を思い出した。

 ♯3「百家楽餓鬼」はギャンブルに憑かれた青年の転落を描いている。製紙会社元会長のI氏を思い出す方も多いだろう。永尾は一族会社の経営者で、妻の由加里はNGO活動家としてアフリカの貧困救済活動に取り組んでいる。妻を支援することで会社のイメージも上がる。順風満帆だが、カジノでバカラにハマり、ファミリー企業に莫大な借金をする。

 プチギャンブラーの俺は<少額を中穴に賭ける>から負けてもストレスは溜まらないが、永尾のような生まれもっての勝ち組は負けが込んだら「なぜ?」となる。ハレとケが入れ替わるが、欲に動かされているとの自覚はない。ラストで永尾は妻が関わっている難民キャンプを訪ね、飢餓でやせ細った少女からスープを奪う。蠅が顔中を覆っても気にはならない。永尾は餓鬼道に墜ちたのだ。

 ♯4「万屋善次郎」の主人公は、父を介護するため限界集落に居を移した還暦男だ。父亡き後も住み続け、若いことで頼りにされる。養蜂で町興しを試みるが、面子を保ちたい長老に拒絶され、両者の対立は修復不可能に陥る。爪弾きにされ、善次郎はぶっ壊れた。善次郎と被害者のそれぞれの飼い犬が、惨劇を癒やす微かな希望になっていた。吉田が鷹野3部作で追求した水資源についても少し触れられていた。

 ♯5「白球白蛇伝」の主人公はプロ野球で1年だけ活躍したものの、若くして引退した早崎だ。その高校時代から早崎を見守ってきたのがジャーナリストの山之内である。白蛇は弁財天の使いで、神社に詣でるものに富をもたらすとされるが、早崎は見栄のために散財し、借金を重ねる。結末は予想通りだったが、ラストの白球の行方に息を呑んだ。

 吉田の膨大な作品群の中で読んだのは「犯罪小説集」が4作目。「悪人」と「さよなら渓谷」は映画で見た。これからも折を見て触れていきたい。
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「乱世備忘 僕らの雨傘運動」~香港からの熱いメッセージ

2019-07-14 20:58:58 | 映画、ドラマ
 2009年8月30日、民主党が総選挙で308議席を獲得し、政権交代を実現した。8日前(同月22日)、<不気味なほど静かな革命>のタイトルで、違和感を以下のように記している。

 <韓国や台湾が数十年に一度の変化を迎えたら、若者たちは大掛かりなデモンストレーションを展開するはずだ。不気味なほど静かな日本で、街角の騒がしさと投票行為は無関係なのかもしれない>……。

 韓国、台湾に続き5年後、香港の若者が雨傘運動で世界を瞠目させる。「ユジク阿佐ヶ谷」で「乱世備忘 僕らの雨傘運動」(16年、チャン・ジーウン監督)を見た。初めて訪ねたミニシアターでキャパは50人弱だが、座席もゆったりして画面も見やすい。見逃した作品が上映された際には足を運びたい。

 香港は英国統治時代、一定の自治と自由が認められていたが、<一国二制度>の下、中央政府は公営の制限選挙を導入しようとする。最初に声を上げたのは高校生と大学生だった。背景にあったのは天安門事件(1989年)で、中国政府の徹底的な弾圧を見たリベラルな香港市民は、中国返還を前に国外に出た。

 真の普通選挙導入を求めた雨傘運動、容疑者引き渡し条例に抗議した今年のデモは繋がっている。6月16日には人口の3分の1に当たる200万人が参加した。本作の最後で「雨傘運動の影響は跡形もなく消えてしまった」と独白していたチャン監督だが、<抵抗の地下水脈>が涸れていなかったことを実感しているに違いない。

 雨傘運動のどこに視点を据えるかが作品の質を決める。チャン監督は香港当局と交渉する学連指導部や〝学民の女神〟周庭(アグネス・チョウ)ではなく、最前線で警官隊と対峙するグループを対象に選んだ。成り行きで集まったメンバーは香港の平均的な若者像に近いが、個性豊かな顔ぶれだった。

 ゴキブリ兄さんと呼ばれる髭面の青年が温厚なまとめ役だ。解放区で無料英語教室を開講する大学生、仕事と運動を両立させるため体に鞭打つ建設労働者、常に最前線に立つ準学士、学校を中退した10代の少年、そして大学生と中学生の2人のレイチェル……。浮き彫りになるのは、香港に根付く儒教精神とキリスト教、そして日常と運動との〝ハレとケ〟の境界だ。

 ゴキブリ兄さんをはじめ、政治を語る言葉は柔らかい。派閥や力学、中央政府と香港政府の動向などには詳しくないが、モンコックとアドミラルティをそれぞれ占拠するデモ隊に温度差を感じた。学連は全体の支持を受けているわけではなく、グループのひとりは立法会に侵入したデモ隊を「過激派」と斬り捨てていた。

 デモ参加者を批判する親中派の背後には、非情かつ強大で、膨大な資金を誇る投入する中央政府が控えている。雨傘運動の挫折をテーマに製作された「十年」と「誰がための日々」には、中国への憤りと格差社会が描かれていた。14年当時、中国資本の参入で、個人営業の店は次々に廃業に追い込まれていたという。

 チャン監督のズームの視点は、雨傘運動の空気と全体像に迫っている。ラストで紹介された大学生のレイチェルが担当教授に宛てた手紙が、本作の肝といえる。自重と節度を求める教授に対し、彼女は香港人のアイデンティティー、若い世代の未来、自由への希求を切々と訴えていた。

 日本人は本作のメッセージを正しく受け止め、絶望的な閉塞状態を打破するためには何が必要かを考えるべきだろう。自由と民主主義の価値を高らかに謳い、格差拡大への怒りを叫び、腐敗にまみれた自公政権を断罪する……。消去法で測れば、参院選の投票先は自ずと絞られてくる。

 最後に、ふと思いついた戯言を。日本の若者に元気がないのは、思想を血肉化せず、唯々諾々と沈黙してきた中高年世代の責任だが、イベントと化した<就活>も拍車を掛けているのではないか。一流であれ、二流であれ、三流であれ、若者を奴隷として馴致するのが<就活>だ。今のままではアジアの民主主義先進国に追いつくのは難しい。


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「科学する心」~科学と文学を結ぶ池澤夏樹の柔らかな世界

2019-07-10 22:11:53 | 読書
 松本智津夫死刑囚の刑執行から1年が経った。その前日(5日)、公安調査庁がオウムのアレフなどに立ち入り検査を行う。AXMミステリーは7日に予定していた「A2完全版」(森達也監督)の放映を中止した。自主規制を批判し、日本最大の問題点を集団化と見做す森は、何かアピールを出すのだろうか。

 九州に梅雨前線が停滞し、800㍉の豪雨が甚大な被害をもたらした。かつて被害は全国に及んだものだが、ここ最近、〝局地的〟という表現に接することが多い。東京で500㍉超の雨が降れば、200万世帯が避難を余儀なくされるという予測もある。人間に蹂躙された自然が、復讐の牙を研いでいる気配を覚える。そんな気分に即した池澤夏樹の最新刊「科学する心」(集英社インターナショナル)を読了した。

 まず、タイトルがいい。平凡に考えたら<科学する脳>だが、<心>にした辺りに作意を覚える。昆虫の生態、永遠の概念、進化論、AI、原子力など多岐にわたる内容に自身の作品を重ねた刺激的なエッセーで、ページを繰る指が止まらなかった。

 池澤の父福永武彦は、俺を文学に導いてくれた恩人で、「草の花」に深く感動した記憶がある。父に敵うはずはない……。そんな先入観は池澤の作品に触れるにつれ霧散した。池澤は世界を俯瞰で見据える旅人で、物理学科に籍を置いたこともあり、科学と文学の結び目といえる存在だ。

 俺は高校時代、<科学する脳>に劣る完全文系だったが、30代になって内なる<科学する心>に気付いた。「躍る物理学者たち」がきっかけで、科学(量子力学)と東洋哲学(道教や禅)の共通点を追究するニューサイエンスにハマったからである。前稿末に触れたベルナール・ヴェルナールの小説も、科学と哲学の境界を描いた点でニューサイエンス的といえなくもない。

 「科学する心」には池澤少年時代の記憶もちりばめられている。足し算しか知らなかった池澤は乗法(掛け算)を知った時、〝支配者の発想〟と感じた。乗法を渋々受け入れた池澤だが、人を縛るツールとして数そのものを拒んだ石牟礼道子の一文を紹介していた。

 本作を読んで、科学とは五感をもって自然に向き合う姿勢であり、 <科学する心>は哲学と文学にリンクしていると感じた。最も肝心なのは、固定観念に囚われず、想像力をフル稼働することである。池澤は粘菌を下等、人間を高等と言い切れないとし、粘菌を用いた北海道の道路地図作成の実験を紹介する。生物多様性に立脚する池澤は、<ホモサピエンス優位>の神話を壊したいと考えている。

 池澤は吉川浩満著「理不尽な進化」を下敷きに、キリスト教、とりわけトランプを支える原理主義者(福音派)が声高に叫ぶ<全てをデザインした神の意志>を否定する。種は99・9%絶滅している。進化の歴史は賭場の一夜のようなもので、人間も分化や絶滅を免れない。適者は決して強者ではなく、俗流進化論(弱肉強食、適者生存)に則る〝自己責任論〟に与しない。

 もの思へば 澤の蛍もわが身より あくがれいづる 魂かとぞ見る……。和泉式部の和歌の英訳と仏訳に際し、池澤は自然、感覚、文字の連なりを直観した。別稿で紹介したバリ島を舞台に著した「花を運ぶ妹」を解読している。同作のみならず池澤は主観と客観の交歓を希求してきた。科学で証明出来ない神秘を背景に「マシアス・ギリの失脚」、「静かな大地」、「氷山の南」といった作品を発表している。

 池澤は「すばらしい新世界」(2000年)で、<原発ほど環境を汚染し、非効率でお金がかかるシステムはない。2030年にはほとんど消滅している>と主人公(東電社員?)に語らせている。「科学する心」にも原発についてページを割いていた。科学と文学の架け橋である池澤は、常にオルタナティブかつ柔軟に発想している。

 池澤が選んだ「世界十大小説」(NHK新書)のうち、「百年の孤独」、「悪童日記」、「フライデーあるいは太平洋の冥界」、「老いぼれグリンコ」、「苦海浄土」を読んでいる。池澤は辺見庸とともに貴重なブッグガイドだから、残り5作も召される前に読んでおきたい。池澤は多和田葉子とともにノーベル文学賞の有力な候補ではないか。


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「聖☆おにいさん」のまったり感に浸る

2019-07-06 20:03:47 | 映画、ドラマ
 順位戦C級1組で藤井聡太七段が2日、堀口一史座七段を破り2連勝と幸先いいスタートを切った。堀口は対局前の奇矯なアクションで周囲を驚かせ、昼食休憩前の午前11時23分に投了する。将棋への真摯さで知られる堀口だが、心身とも将棋に打ち込める状態ではないとの声もある。連盟のサポートに期待したい。

 WOWOWやNHK・BSで連続ドラマを堪能している。今年になって観賞した「盗まれた顔~ミアタリ捜査班~」、「ダイイングアイ」、「坂の途中の家」、「悪党~加害者追跡捜査~」(WOWOW)、「モンローが死んだ日」、「盤上のアルファ」(NHK)はいずれ劣らぬ傑作だった。

 スカパーでオンエアされているドラマの再放送では、「税務調査官・窓際太郞の事件簿」にハマっている。主人公の窓辺太郞(小林稔侍)は俺に似たアナログ人間だ。表向きは左遷された税務署員だが、その実、森村部長(北村総一朗)の命を受けた隠密査察官。窓際と揶揄されながら、行く先々で巨悪の犯罪を暴いていく。

 森村の姪で窓辺に惚れている国税庁査察課員の椿薫(麻生祐未)が協力者だ。早とちりのあがり症で普段は危なっかしいが、仕事は完璧だ。30回以上続いた2時間ドラマゆえ、お約束のシーンがちりばめられている。「税務――」に重なるのは、20代半ばまで親しんだ勧善懲悪の時代劇だ。〝齢を重ねると子供に帰る〟という俗説の正しさを、身をもって証明している。

 日本映画専門チャンネルで実写版「聖☆おにいさん」(福田雄一監督)を見た。昨秋、動画サイトで公開された本作の原作は中村光による人気漫画で、アニメ映画(2013年)も製作されている。山田孝之がプロデュースを担当した実写版は、それぞれ10エピソードから成る第Ⅰ紀、第Ⅱ紀が製作されている。

 ブッダ(染谷将太)は極楽から、イエス(松山ケンイチ)は天国から下界に降りてきてバカンスを楽しんでいる。立川の松田ハイツでルームシェアしているという設定だ。前稿で紹介した「人間小唄」(町田康著)の登場人物と異なり、本作の両聖人は品がいい。とはいえ、物質文明の毒に染まっている。

 第Ⅰ紀は主に室内、第Ⅱ紀は街で物語は進行する。ブッダは節約家、現実的、アナログ、自制的で、意外に猜疑心が強く、笑顔を作れない。一方のイエスは浪費家で飽きっぽく、流行に敏感だ。染谷と松山が自然体で臨んだことが、まったり感を生んでいる。

 第Ⅰ紀→第Ⅱ紀の飛躍を考えれば、第Ⅲ紀はかなり楽しめそうだ。微妙なタイミングでの放映を深読みすれば、NHKが第Ⅲ紀製作を狙っているのではと勘繰ってしまう。ブッダとイエスの伝説が話題になり、ともにさりげなく奇跡を起こす。〝仏教国〟日本だが、イエスのエピソードの方に馴染みがあるのは俺だけではないだろう。

 「聖☆おにいさん」はアメリカでは作れないだろう。グローバル企業、軍需産業、イスラエルと結びつき、反移民を訴える世界の保守派に資金を提供している福音派はトランプ最大の支持基盤だ。進化論を否定するキリスト教原理主義者が、イエスの来歴や故事をコメディーにすることを許すはずがない。イスラム教も登場したら面白いと思ったが、よく考えたらムハンマドは人間である。

 ブッダとイエスが秋葉原でコスプレに挑戦するシーンなどユーモア満載だが、秀逸なのはブッダのヘアスタイルの謎に迫る第Ⅰ紀の「サンパツ沐浴ドランカー」、アダムとイブの原罪を背景にした第Ⅱ紀の「りんご注意報!」だ。クスッと笑える梅雨時の清涼剤だった。

 「タナトノート~死後の世界への航行」の作者ベルナール・ヴェルベールは宗教を体系的に捉え、相似形で提示している。日本文化に造詣が深いヴェルナールなら本作を見てクスッと笑うかもしれない。欧米を見る限りキリスト教は拝金教に席を譲った感があり、格差に寛容で、排外主義が蔓延している。「聖☆おにいさん」を見て、無信仰であることを卑下する必要はないと感じた。


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「人間小唄」~人間の業を掘り下げる町田康の力業

2019-07-02 22:34:02 | 読書
 〝グッドマナー〟と対極の俺だが、スマホを手にしながら松屋やすき家で食べている姿にイライラしてしまう。音楽を聴きながらなんてもっての外だが、注意しても逆ギレされるのがオチだろう。学生だった40年前、マナーについて考えさせられる経験をした。

 「愛情ラーメンって店で新聞読みながら食ってたら、店のオヤジに叱られた」……。仕事先でこんな話をしたら、「私も行きました」と当時、江古田に住んでいた同世代のTさんが話に加わってくる。老夫婦が切り盛りしていた愛情ラーメンは貧乏学生御用達で、ラーメンとチャーハンのセットが200円前後。友人は食べ残して怒られたという。オヤジにとって薄利多売はモットーでありプライドだった。

 俺は人生の3分の1、20年を江古田で過ごした。Tさんと江古田話で盛り上がったためか、苦く酸っぱい青春時代の思い出が蘇り、寝付けない夜が続いている。♪ひとつ曲がり角 ひとつ間違えて 迷い道くねくね(「迷い道」)ではないが、幾つも曲がり角を間違えた俺は、今も青春の曠野を彷徨っている。

 町田康の小説を読むと、鋭いナイフで全身を刻まれ、血が迸る感覚を覚える。梅雨時で饐えた俺の肉体を「人間小唄」(2010年、講談社文庫)が洗ってくれた。主人公の小角の名は役小角にちなんでいる。役小角は呪術を操る修験者で、本作の小角も〝涅槃物質〟が立ち篭める空間で糺田両奴を操った。相棒の美少女は新未無で、名は体を表すというが、中身は空洞だ。暴力的な小角だが、未無には遠慮がち。女性に弱いのが、町田ワールドの男たちの特徴だ。  

 「人間小唄」の底に流れるのは<正義>、いや<自分勝手な正義>と<憤怒>だ。フェイク、紛い物が幅を利かす世間を小角は許せない。ターゲットに選ばれたのが作家の糺田両奴だ。小角が送った短歌をネタにした一文を発表し、作者(小角)の人間性まで酷評する。滅びゆく日本語と軽佻浮薄な風潮を刷新するための革命……というのは建前で、小角は糺田両奴を潰すため、異空間に監禁し、三つの宿題を課した。

 その一、短歌を作ること。その二、ラーメンと餃子の店を開業し、人気店にする。その三、暗殺。小角と未無のさじ加減ゆえ、糺田は合格しなかった。糺田の短歌は作家とも思えないほど稚拙だった。ラーメン屋台は「愛情ラーメン」並みの値段設定で繁盛したものの、諸般の事情で失速する。

 結果として糺田は暗殺(魂のテロル)に追い込まれる。小角が指定したターゲットは、権力と癒着し、この国の空気を薄め、歪めている猿本だ。糺田のアイデアを盗んでラーメン屋を開店したのも猿本である。そのモデルである秋元康を、町田が〝日本の癌〟と見做していることが窺える。

 町田ワールドといっても、どこから囓るかによって印象は大きく変わる。「告白」と「宿屋めぐり」を、<21世紀の日本文学が到達した高みで、石川淳の「狂風記」彷彿させる土着的パワーに溢れている>と評した。「人間小唄」は主音が大きく異なるが、共通しているのは<言葉とリズム>だ。ロック、歌謡曲、落語、漫才、河内音頭、古典にインスパイアされた語彙を攪拌し、聖と俗、善と悪の境界を疾走する。

 「人間小唄」は破綻し、矛盾と欠落に溢れているが、JPOPのような聴き心地の良さを町田に求めてはいけない。整合性や予定調和と無縁で、人間の業を力業で掘り下げるのが町田康なのだ。ページを繰りながら、俺の耳に遠藤ミチロウのシャウトが響いていた。両者に交流があったか知らないが、町田は先達の死を心から悼んでいるに違いない。

 「告白」の主人公である熊太郞は「思想と言葉と世界がいま直列した」と独白した。この直感を形にするため、町田は身を削っている。俺も自身を浄化するため、これからも町田の小説に触れていきたい。
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