酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

プレイバックPARTⅠ~大阪万博の頃

2005-03-31 04:09:27 | 戯れ言

 愛知万博が始まった。京都育ちの俺にとって、万博といえば1970年の大阪である。混雑ぶりは常軌を逸していた。広場の拡声器から、三波春夫の間延びしたテーマソングが流れていた。座り込んで弁当を食べる家族連れを縫うように、フライドチキンを頬張ったカップルが通り過ぎていく。新しさと古さのミスマッチが至る所で見られた。

 人気パビリオンだけでなく、トイレにも人の縄が巻きついていた。都市近郊でさえ汲み取り式が残っていた時代だから、洋式の水洗トイレに戸惑うおばあさんが続出したのも無理はない。進歩の幻想に踊る側と、進歩の成果を掠め取る側……。両者の絶望的な距離を知らしめたのが大阪万博だった。

 よど号事件が起きたのは、35年前のこの日(31日)である。シリアスなのか茶番なのか、中学生の俺には理解出来なかった。今でこそ北朝鮮亡命はブラックジョークでしかないが、当時のイメージは違っていた。軍事独裁の韓国よりましで、どこか謎めいた国という感じだった。

 赤軍派のリーダーが自らを重ねた「あしたのジョー」は、1月から十数号分、力石と激闘を繰り広げていた。力石の死は社会的事件になり、寺山修司を発起人に葬式が営まれたほどである。少年マガジンの黄金時代で、中学生には「巨人の星」派の方が多かった。山上たつひこの背筋が凍るポリティカルフィクション、「光る海」が連載されたのもあの年だった。

 学校では推理小説が流行っていた。V・ダイン、E・クィーン、A・クリスティが御三家である。深夜放送もブームで、関東の局にチューニングするようになった。亀渕ニッポン放送社長のパーソナリティー時代も知っている。選曲のセンスが良く、リスナーに優しいDJだった。亀ちゃんは俺にとり「洋楽の先生」なのである。ラジオで頻繁に流れていたのは、1910フルーツガムカンパニーの「トレイン」、マッシュマッカーンの「霧の中の二人」、ショッキングブルーの「ビーナス」、ルー・クリスティーの「魔法」、エジソンライトハウスの「恋のほのお」etc……。日本だけでヒットした曲も少なくなかった。

 ビートルズは4月に解散を発表したが、1世代下なのでショックはなかった。「ウッドストック」でフーに驚き、友達に借りた「クリムゾン・キングの宮殿」のテープを聴いてぶっ飛んだのもあの年だった。発表時にロックシーンのレベルを超越していた点でいうと、「クリムゾン――」はドアーズの1stと並ぶ金字塔だと思う。

 吉田拓郎のデビューは6月だった。「イメージの詩」の衝撃で一気にファンを獲得した。振り返ると、当時の中学生の音楽遍歴は妙な感じである。多くの者はポップスから日本のフォークを経て、三人娘(小柳ルミ子、南沙織、天地真理)に転向した。とりわけ真理ちゃんの人気は絶大で、公演後、京都駅のホームまで追っかける少年の群れに、俺の級友もいた。大人たちが眉を潜めたのは言うまでもない。

 ということで、今後もタネが尽きたら、プレイバック作戦でいくことにする。

 さて、W杯予選のバーレーン戦。1―0の予想は当たったが、セットプレーではなくオウンゴールだった。結果オーライってとこか。ジーコがしくじれば、サッカーのみならず自由放任主義の否定に繋がりかねないので、とりあえず応援している。ついでに、将棋のNHK杯決勝。新鋭の山崎六段が羽生4冠を鮮やかに逆転し、初優勝を飾った。朝日オープンの決勝五番勝負でも、この二人が激突する。山崎六段といい渡辺竜王といい、現状では棋界の五指に入る実力者なのに、順位戦はともにC級1組。どうも釈然としない。
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サッカー三昧の日々~農耕民族の限界は?

2005-03-29 07:43:59 | スポーツ

 25日から30日までW杯予選ウイークだ。前半戦はイラン対日本を含め、10試合以上を楽しんだ。日本、韓国、北朝鮮の東アジア3国が相次いで敗れ、砂漠の民に凱歌が上がった。3試合通して感じたことは、サッカーと農耕民族のミスマッチである。

 東アジアの成り立ちは米作りを基盤にした農耕社会である。非農耕従事者、漂泊者を排除した共同体のDNAは現在も受け継がれている。和を尊び、突出を嫌う構造は、堀江氏がぶつかっている壁でもある。自国の風土を否定するつもりはないが、サッカーではマイナスに作用する。何より嗅覚の鋭いストライカーが生まれない。

 野球とサッカーの違いはあるが、横浜監督時代の権藤博氏は、自主性に任せるあまり選手から突き上げを食らった。専制を生みやすい農耕民族の気質は、指示待ちのマニュアル世代でも変わらない。俺はジーコの放任主義を支持するが、日本人にはトルシエの徹底管理が合っているのだろう。

 ジーコの母国ブラジルは、ペルーに1―0と辛勝だった。絶不調のロナウドだが、カカの決勝ゴールをアシストして帳尻を合わせていた。フォビーニョのように才能豊かな選手が次々に現れるのもブラジルらしい。驚いたのはエクアドルの爆発力だ。ホームが高地というアドバンテージもあったが、2点を先制された後、5点を奪ってパラグアイを圧倒した。

 スウェーデンはブルガリアに2―0で楽勝した。解説者の分析通り、スラブ系の選手に精神的な弱さを感じた。安定ぶりでは欧州一のチェコだが、足が地に着かずフィンランドに4―3の辛勝だった。フランスはトレセゲの不調もあり、スイスと引き分けた。ジダン代表引退、アンリ欠場とくれば安閑としていられない。イタリアはピルロがFKを2本決め、スコットランドに勝った。流れからの得点ではなく、相手の決定力のなさに救われた面もある。

 どこより応援するオランダは、敵地でルーマニアと戦った。いきなりファンバステンの「俺流」に仰天する。「20世紀最高のストライカー」ゆえ許されているのだろうが、メンバーがあまりに若い。才能の絶対値だけで選んでいるようだ。3バックが24歳以下、躍進チェルシーを支えるロッベンは21歳である。前半40秒で先制したが、ロッベンがケガで退場する。代わりに登場した18歳のバベルが、代表デビューをゴールで飾った。この少年、とてつもない逸材かもしれない。2―0で勝ったとはいえ、後半は危ないシーンも多く、冷や冷やし通しだった。

 あす30日にも世界各地で予選が行われる。イスラエル対フランス、セルビア・モンテネグロ対スペイン、スロバキア対ポルトガルは、いずれも各組の天王山だ。

 日本にとっても重要な戦いとなる。ケガや警告累積で攻撃の主力を欠くバーレーンは、スコアレスドローを目指し、専守防衛でカウンターに賭けてくるだろう。決め手に欠く日本にとって、逆にやりにくい。俺の予想は1―0で日本の勝ち。その1点は、中村のPKもしくはFKかなと……。
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骨太の軽さ~ワイルダーという匠

2005-03-27 12:58:07 | 映画、ドラマ

 3年前のこの日(27日)、ビリー・ワイルダー監督が鬼籍に入った。享年95歳、大往生といえるだろう。ワイルダーのイメージは匠(たくみ)である。導入部でグイッと掴まれ、魔法にかかったようにラストまで引きずられていく。

 ワイルダーはオーストリアで生まれ、脚本家としてドイツ映画界に身を投じた。爛熟期を迎えたベルリンで、ドラマトゥルギーの基本――「普遍的な真理」と「個別の心理」との整合――を学ぶ。映画が共同作業で成立する表現である以上、作り手には多様性への理解と複眼的思考が求められる。その点でワイルダーは際立っていた。

 ナチスの支配を嫌い、ハリウッドに渡って監督に転身する。評価を確立した頃、アメリカには赤狩りの嵐が吹き荒れていた。250人の監督が一堂に会し、国家への忠誠を誓う集いが催された。無言の圧力の下、踏み絵を迫られたのである。勇気を振り絞って「ハリウッド版報国会」にNOを突きつけた者が2人いた。ヒューストンとワイルダーである。

 カザンは保身のため友を売り、ヒチコックは反共を隠さなかった。チャプリンは狂気から逃れ、安住の地をスイスに求めた。ナチス台頭→パリ→ハリウッドというワイルダーの足跡は、別項で記したキャパと重なる。FBIのマークは厳しかったはずだが、淡々と作品を世に問い続けた。

 ワイルダーほど女優を輝かせた監督はいない。ジゴロ修業の賜物といえるだろう。「サンセット大通り」におけるグロリア・スワンソンの鬼気迫る演技、「情婦」でのマレーネ・ディートリヒの退廃的な妖しさには息を呑むばかりだ。公開当時の年齢でいうと、スワンソンは53歳、ディートリヒは56歳。銀幕からリタイアしていた2人の魅力を、余すところなく引き出したのだ。

 熟女だけでなく、ジョーン・フォンテーン、オードリー・ヘプバーン、マリリン・モンローといった若手女優をうまく使っている。モンローにはかなり手を焼いたらしいが……。ワイルダーの作風に一番マッチしていたのはシャーリー・マクレ-ンではなかろうか。「あなただけ今晩は」で見せた溌剌とした姿態に圧倒された思い出がある。

 極私的ベスト5は、「サンセット大通り」「第十七捕虜収容所」「情婦」「あなただけ今晩は」「フロント・ページ」で、次点は「翼よ!あれが巴里の灯だ」。人間ドラマ、戦争物、ミステリー、恋愛コメディー、社会風刺劇、伝記物とバラエティーに富む6作だ。ワイルダーはまさに一流シェフで、素材、道具、調味料、食器に合わせ、いかようにも作り分けることが出来るのだ。

 「サンセット大通り」はオスカーを取れず、翌年度のキネマ旬報ベストテンでも2位に甘んじる。目の上のたんこぶは「イヴの総て」だった。甲乙付け難い傑作は、ともに業界の内幕を描いていた。「サンセット大通り」は脚本家、「イヴの総て」は批評家を語り手にして物語は進行する。

 1950年に制作された作品を他に挙げると、「羅生門」「オルフェ」といったところか。だからといって、この年が豊作というわけでもない。映画に関する限り、当時は今より遥かにゴージャスでエキサイティングだったのだ。
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電撃戦は気取ったカフェで~高松宮記念

2005-03-25 17:43:16 | 競馬

 俺が競走馬だったら、適距離は5000㍍。まじめに走って力尽きた馬をゴール前、ノラリクラリとかわすって感じか。とっとと身を削られ、コンビーフ缶に紛れるだろうが……。

 さて、高松宮記念。最近10年の連対馬を見ると、逃げ=3、先行=3、差し=8、追い込み=6で、小回りコースの割に後方待機組が健闘している。内外で満遍なく連対しているから、枠を気にする必要はない。

 脚質が合いそうなプレシャスカフェを本命に推す。12番枠も最高ではなかろうか。小島太厩舎のカフェ軍団ときたら、ストーミーカフェの故障が残念でならない。運命の女神に憐憫の情あれば、微笑んでくれるはずだ。

 対抗はウインクリューガー。昨年の13着惨敗は連闘ゆえ、勝手に参考外とする。絞れていることが条件だが、鞍上の吉田稔も加味し、G1馬復活を期待する。3番手はアドマイヤマックス。安定感があるし、武豊騎乗も魅力だ。

 昨年3着を評価し、キーンランドスワンは押さえに。四位騎手はSカフェ離脱で痛手を被った一人でもある。穴は中京と好相性のゴールデンロドリゴ。前々走は落馬寸前の不利、前走は出遅れと敗因がはっきりしている。

 以下、切った馬について。メイショウボーラーは芝で頭打ちゆえ、ダートに転じたはず。福永騎手は今年重賞6勝と絶好調だが、桜花賞ではラインクラフトとシーザリオのいずれかを捨てねばならない。そろそろ女神がヘソを曲げる頃だ。カルストンライトオは中京が得意ではないし、メイショウと競り合って共倒れするシーンが目に浮かぶ。ギャラントアローは熱発で一頓挫あったとのこと。先物買いでクリノワ-ルドといきたいが、中京1200戦で16、17着では狙いづらい。

 まとめると、◎⑫プレシャスカフェ、○④ウインクリューガー、▲⑱アドマイヤマックス、△⑮キーンランドスワン、注⑤ゴールデンロドリゴ。

 さて、今夜はイラン戦。バーレーンが北朝鮮を破って勝ち点4となり、プレッシャーの掛かる試合になった。注目は中田の意地。チーム内の突き上げもあり、崖っ縁に追い込まれた。負けたら戦犯扱いで、代表での居場所がなくなる。ちなみに予想は1-1の引き分け。

 ついでに、急展開を見せたライブドアVSフジ。1カ月以上も前、ある情報通に「ホリエモン=ソフトバンクの使い走り」説を吹き込まれた。ネット界で流布している話なのだろう。百鬼夜行の世界ゆえ真相は薮の中だが、堀江氏にとって現状は「想定内」に違いない。中国や朝鮮半島に厳しい保守派のフジサンケイグループにとって、親アジアの孫氏が「白馬の騎士」とは限らない。朝日紙上で江坂彰氏がコメントしているように、「トロイの木馬」になる可能性が高いのでは……。
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「ヒロシマの嘘」を読んで~あるサムライの生き様

2005-03-23 02:36:36 | 読書

 「ヒロシマの嘘~写らなかった戦後」を読了した。日本を代表する報道写真家、福島菊次郎氏が自らの半生を綴ったものである。凄まじい内容で、ページを繰るたび針を呑み込んだような痛みを感じた。

 福島氏の写真は、主観と客観のバランスが取れたキャパの作品と大きく異なる。自らの怒りや怨念を重ねて焼き付けているから、目をそむけたくなるような力が篭もっている。文章も同様だった。

 氏の原点は原爆である。写真店を経営する傍ら、民生委員として被爆者と接するうち、「平和都市ヒロシマ」の酷薄な仕打ちに憤りを覚えるようになる。被爆者の絶望的な状況と向き合い、時に軋轢を生じながらシャッターを押し続けた。永年の営為を経て、「原爆写真家」として認知されるに至る。

 闘い方には幾通りもある。大抵の者は勝算が消えれば闘いを放棄するが、氏は違った。反体制の側が退潮する中、たった一人で叛乱する。変節をカムフラージュして防衛庁に取り入り、兵器製造の現場を隠し撮りする。結果として身辺に危機が迫るが、ひるむことはない。阿修羅の如く退却戦を引き受け玉砕する様は、まさにサムライなのである。

 正義感ゆえの撮影行為において、プライバシーを踏みにじったことに、氏は強い悔恨の念を抱いている。62歳でカメラを捨て、無人島で自給自足生活を始めた。本書には食えなくなったからと記しているが、自ら与した側が負けたことに対し、表現者として責任を取ったともいえるだろう。

 本書で福島氏は、興味深い事実を指摘されている。76年にスリーマイル島で原発事故が起きた時、米政府は放射能予防薬5万人分を現場に急送した。その後、同薬は欧州諸国で市販され、チェルノブイリ事故時には薬局に長蛇の列が出来たという。ABCC(原爆障害調査委員会=広島市)は10億㌦(当時3600億円)の巨額な年間予算で、被害の実態を分析した。被爆者の犠牲によって製造されたのが予防薬だとしたら、原発が林立する日本で売られないのか不思議でならない。

 来月以降、日本映画専門チャンネルで「岡本喜八追悼特集」が組まれている。オンエアは難しいと思っていた「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」もラインアップされていた。「肉弾」では、ドラム缶に魚雷を括りつけた兵隊が描かれているが、福島氏が終戦直前に与えられた任務こそ、まさに肉弾と化することだった。海岸線に蛸壺状の塹壕を掘り、米軍の上陸を待ち受けたのである。氏は軍隊、昭和天皇、アメリカに鋭い刃を向けているが、空疎な理論に基づくものではない。自らの体験で研ぎ澄まされたものなのである。

 今月6日、原爆詩人の栗原貞子さんが亡くなった。被爆を自らの言葉で語れる人が、また一人斃れた。一つの戦争が風化した時、新たな「戦争がはじまる」。それは、手元にある福島氏の写真集(87年刊)のタイトルでもある。
 
 福島氏の生き様を知り、自分の至らなさが身に染みる。俺はハエ取り紙みたいに、情報を入手して消費する。感応することは出来ても、氏のように内在する意志がない。だからフワフワ、ミルクに浸されたパンのように生きているのだ。
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キャパの目が捉えたもの~主観と客観の狭間で

2005-03-21 01:17:28 | カルチャー

 3月は写真月間というべきか。キャパの人生を追った「CAPA in Love&War」(WOWOW)と「一瞬の戦後史~スチール写真が記録した60年」(衛星第1)を見た。キャパに絞って内容を紹介し、感想を述べたい。

 いい写真を撮る方法を尋ねられ、「近づけばいい。対象が個人なら愛すること。愛していることを相手にわからせること」とキャパは答えている。キャパはまさに「近づく者」であり、ジプシーを自称したように「放浪する者」でもあった。相反するベクトルを制御し、バランスを保ったからこそ、キャパの写真は普遍性を獲得し、緊張感を発散出来たと思う。

 キャパはスペイン戦争で名を上げた。共和国側で従軍し「倒れる兵士」を撮る。この写真だけでなく、ドイツの爆弾が降りしきる都市でも、死と背中合わせにシャッターを押し続けた。報道の公共性や中立性なぞ糞食らえで、立ち位置を明確に取材を続けた。恋人ゲルダをスペインで亡くし、反ファシズムの信念は強固になる。空爆に曝されるロンドン、北アフリカ、シシリア島、ノルマンディーと、常に激戦地で体を張っていた。

 キャパは1913年、ハンガリーで生まれた。アンドレ・フリードマンが本名のユダヤ人である。反政府運動で17歳の時、母国を追われた。ドイツに渡るが、ナチス台頭でパリに移住する。後にアメリカの市民権を得たが、遊牧民の自由さで世界を駆け巡った。戦後、日本にも滞在し、子供の写真を多く残した。目線に合わるため跪いて撮影したが、このエピソードこそキャパの人間性と方法論を示すものだと、邦人カメラマンが証言していた。

 そもそもキャパとは、無名時代にゲルダと作り上げた架空の存在だった。「多忙で有名なカメラマン」をデッチ上げ、ゲルダがマネジャー役で出版社と契約した。自らを「トリックスター」に仕立てたのである。祖国がナチスと組んだため、アメリカでの活動が難しくなると、国務省と直接交渉して逆転ホームランを放つ。ノルマンディー作戦での従軍カメラマンの地位を確保したのだ。戦後はグループ「マグナム」を結成し、カメラマンの地位向上に成功する。キャパは優れた芸術家であり、天才プロデューサーでもあった。

 キャパが世間の耳目を集めたのは、他の理由もあった。ハンサムな女蕩し、ギャンブラーとしてゴシップの種が尽きなかったのだ。中でも、イングリッド・バーグマンを袖にしたエピソードは有名だ。バーグマンにとっての悲恋の経緯は「裏窓」のプロットや台詞にも影響を与えたという。

 キャパはアメリカにとって最高のスポークスマンだったが、戦後は微妙な立場に追い込まれる。自由のために闘ったにもかかわらず共産主義者のレッテルを貼られ、チャプリンと同じ悲哀を味わった。同じくFBIの監視下にあったスタインベックとソ連に渡った。その時のルポはセンセーションを巻き起こしたが、権力者の心証をさらに悪くする。「赤狩り」の狂気がアメリカを覆った時期、キャパはパスポート取り消しの圧力を掛けられた。

 キャパは50年前後、引き気味の仕事を選び、明らかに倦んでいた。「ライフ」からインドシナ取材を要請されると、二つ返事で引き受ける。キャパはフランス側で従軍しながら、ベトナムの勝利に興奮していたという。退却中に地雷を踏み、死を迎えた。40年の人生は、一瞬の煌きの連なりといえるだろう。生き延びていたら、ベトナム戦争でどのようなスタンスを取ったか興味深い。「マグナム」の一員であるリブーのように北ベトナムに入国し、アメリカを糾弾する写真を世界に配信した可能性が大きいと思うのだが……。

 最後に訃報を。アヤックス対PSVにチャンネルを合わせたら、元オランダ監督でトータルフットボールの生みの親、ミケルス氏死去のニュースを伝えていた。遥か極東の島国から、冥福をお祈りする。オランダ代表も今月末、W杯予選を2試合控えている。ファンニステルローイとロッペンはケガで復調途上、マカーイ欠場と不安はあるが、墓前に勝利を捧げてほしい。
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永遠なる前衛~ソニック・ユースの煌き

2005-03-19 00:57:14 | 音楽

 17日、O-EASTでソニック・ユースを見た。渋谷は鬼門ゆえ避けてきたから、土地勘などない。当てずっぽうで道玄坂を右に入ったら、何とラブホテル街だ。グルグル回って、ようやく目的地に辿り着いた。

 客層は意外に若い。「これ、いいね。何ていうバンド?」……。横で女の子がBGMについて話している。「トーキング・ヘッズだよ」と会話に加わりたかったが、薀蓄オヤジっぽくてやめた。そういや、ソニックスと同世代のREMも来日している。ちなみに俺も同じ40代後半。時の流れに、しばし感慨に耽ってしまった。

 ベルベッツ、イギー・ポップ、ドールズ、パティ・スミスの流れを汲み、まさに嫡流というべきUSパンクだが、メッセージ性ゆえ弾圧の憂き目をみた。1980年前後、ウエストコーストシーンに身を投じていた知人によると、多くのパンクスがFBIに抹殺されたという。ギャング団の抗争の巻き添え、自殺、薬物の過剰摂取……、さもありなん死因を偽装されてである。

 荒廃したUSシーンを再興させたのが、ガレージバンドと称されたロッカーたちだ。代表格がソニックスとREMである。いや、最大の功労者は経済政策で失敗し、ロック隆盛に不可欠な反権力ムードを醸成したレーガン元大統領かもしれないが……。

 2人組が奇妙なパフォーマンスを見せた後、ソニックスが登場する。軋み、歪み、外す。神経を逆撫でするノイズは健在だ。新作“sonic nurse”は柔らかくナチュラルな感じだが、ライブだと印象が異なる。2年前よりさらに閉じ、ギザギザの内向きベクトルで聴く者を刻んでいる。アヴァンギャルドの旗手、ジム・オルークが加入した影響が大きいと思う。

 演奏が進むにつれ、「ソニックス=サーストン・ムーア」という俺の中の図式が崩れていく。200㌢を超える長身をくねらせ、ふて腐れた表情でギターをかきむしるサーストンが、オンでもオフでもバンドの軸だった。でも、今回は様子が違う。リーがボーカルを取る曲が増え、ジムはバンドのアンサンブルを支えている。サーストンは意識的に引き、熟女シャーマンというべき愛妻キムをイコンに据えている。バンド内の民主化ともいえるだろうが、サーストン派の俺は物足らなさを覚えていた。

 だが、最後の最後に見せ場が来る。88年の大傑作“daydream nation”の1曲目“teenage riot”でサーストンが爆発する。比類なきドライブ感でもどかしさも吹っ飛んだ。インプロビゼーションでカオスが創出され、ステージは幕を閉じる。

 インテリジェンスと先見性で、ソニックスは他のバンドの追随を許さない。キャリアのピークは91年オルタナ欧州ツアーだろう。ニルヴァーナやダイナソーJRを引き連れ、ヘッドライナー(トリ)として20ほどの都市を回っている。10万規模の聴衆を熱狂させるソニックスのパフォーマンスは、“1991:The Year Punk Broke”のビデオに収録されている。パンク→オルタナ、グランジの潮流を作った以上、カリスマとして君臨しても良さそうだが、ソニックスは別の道を選ぶ。自らを研ぎ澄まし、聴く側を覚醒させる前衛として、商業的成功に背を向けるのである。

 ソニックスはフジロックに来るのだろうか。今のところ、リストに名はない。そういや、ナイン・インチ・ネイルズがサマソニの方に来る。スリップノットの次に演奏するだろうから、その夜の闇はかなり濃密になるだろう。
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M・ムーアの真実~「華氏911」の背景は?

2005-03-17 06:02:03 | 映画、ドラマ

 大統領選挙が終わって4カ月、ようやく「華氏911」を見た。スカパーのPPVである。後の祭り、いや、祭りの後って印象も拭えないが、アメリカ社会の様々な問題が提示されていた。

 先月、米民主主義基金(NED)代表が来日し、インタビューに答えていた。NEDとは内外で莫大な資金を調達し、世界中に民主主義の苗を植える組織という。成果としてグルジアの「ローズ革命」やウクライナの「オレンジ革命」を挙げていた。見方を変えれば内政干渉、陰謀集団である。「民主主義の先輩として、中国や北朝鮮が自由な国になればいいでしょう」と、本音(援助要請)はさておき、日本を持ち上げていた。

 世界中に民主主義とはご立派だが、そちらは果たして民主国家なの……、本作はこの疑問に答えてくれた。

 ブッシュ家とビンラディン一族やサウジ王室との癒着、軍需産業との露骨な関係は、田中金脈並みの大問題だと思うが、不問に付されている。人権侵害に繋がる愛国者法は、6週間の質疑で成立してしまった。怪しいとなれば無条件で7日間拘束でき、電話やメールの傍受、銀行やプロバイダーからの個人情報提供も可能という内容だ。法案が施行された結果、ありきたりの個人や市民グループまでFBIの介入に曝されている事実が、本作で描かれていた。「物言えば唇寒し秋の風」の状況が、民主主義のご本尊? で進行中なのだ。

 日系3世の弁護士、ブルース山下氏が衛星第1でアメリカの現状に警鐘を鳴らしていた。同氏は士官学校を不当に退学させられたが、裁判で国防総省の非を訴え、名誉回復を勝ち取った。差別を受けた経験を踏まえ、アラブ系アメリカ人の権利を守るために尽力している。「好戦的=愛国者」と考えるアメリカ国内の風潮を、同氏は強く否定していた。愛国心が強いからこそ戦争に反対し、理想を掲げることもあるという主張は、ムーアと重なるものがある。

 ムーアを支えているのは、アメリカと民主主義への強烈な愛だと思う。「ロジャー&ミー」で描かれた故郷フリントの荒廃が、創造の原点なのだ。GMに捨てられたフリントは、理想的なコミュニティーからスラムと化した。フリントの青年は、「空爆で破壊されたイラクの様子は、この街と似ている。ここは戦争もないのに。ブッシュよ、テロを言う前にここを見ろ」と映画の中で語っていた。

 失業中の若者は、仕方なく兵士になる。大義なき戦いゆえ、捕虜虐待など壊れる者もいる。傷つき、死ぬ者も少なくない。ブッシュ大統領は兵士を称賛するが、各種手当の大幅削減を提案するなど、退役軍人や死傷者に対する仕打ちは冷酷だ。戦死者の最後の5日間が欠勤扱いになっていたというエピソードに、胸が痛んだ。

 連邦議員535人の子息のうち、イラクに赴いた者は1人だけという。ムーアは議員相手に「お子さんをイラクに送りましょう」と署名活動を展開する。もちろん、誰も相手にしない。軍歴を偽った大統領が、下層階級の子供を兵隊に送る。政権の基盤たるキリスト教保守派も、中流以上の白人が多い。声を嗄らして愛国心を語るが、その手を血で染める者は少ない。民主主義や正義について考えさせられる作品だった。

 次回の大統領選挙にも、ムーアはきっと飛びつくだろう。コンドリーザ・ライス国務長官とヒラリー・クリントン上院議員で争われる可能性が強いからだ。いずれが勝っても女性初、ライス氏ならマイノリティー初でもある。現大統領のお守り役と前大統領夫人とくれば、ブッシュとクリントンの二大王朝の戦いといえる。空前絶後の政治ショーになることは言うまでもない。

 さて、夜は渋谷でソニック・ユース。彼らもムーア同様、ひるむことのない反骨精神の持ち主である。
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ベンジーの白い焔~新作“natural”の世界

2005-03-15 08:18:58 | 音楽

 浅井健一(ベンジー)がリーバイスのCMに出ている。格好良さに感心しつつ、何かやらかさなきゃいいかと、少し心配している。

 先日発売されたSherbetsの新作“natural”は、昨年春に録音したもの。タワーレコードの特設コーナーでは「動のJude 静のSherbets」なんてコピーの下、ズラッと陳列されていた。

 “natural”は昨年秋に出たJudeの“Zhivago”と触感が似たアルバムだ。沈みつつ浮揚する内面が、切なくて美しいメランコリックなメロディーで紡がれている。始原の孤独と愛を歌ったかのような「フクロウ」から、水彩画みたいな「並木道」まで楽曲の質は高い。モノトーンの万華鏡を覗き込んだみたいだ。

 繰り返し聴くうち、郷愁が込み上げてきた。薄皮一枚でロックと接していた20年前、レコードを聴いて過ごした一日を思い出す。エコー&バニーメンの“Crocodiles”、コクトー・ツインズの“Treasure”、キュアーの“Pornography”、スージー&バンシーズの“A kiss in the dreamhouse”。日本ならルースターズの“φ(ファイ)”だ。締めがジョイ・ディヴィジョンの“Closer”とくれば、精神的深海魚というべき趣向だが、“natural”はUKニューウェーブの湿度や温度に極めて近い。

 ベンジーの多産ぶりには驚かされる。オリジナルアルバムは、ブランキー・ジェット・シティー(BJC)で10枚、Sherbets5枚、Jude4枚、UAと組んだAjicoで1枚。ソングライターとして14年で20枚を世に問うている。パフォーマーとしての自信の表れか、ライブ映像は5月発売分を合わせ11作になる。さらに小説とかデザインとか、その才能は無尽蔵といえよう。

 自らの青春期がBJCの10年と重なるファンは、当時のベンジーこそピークと感じているだろう。BJCとは狂気、反抗、暴力、絶望といったロックに不可欠な要素が混ざり合った坩堝だった。ライブ会場では、ファウルラインを越えていそうな若者がひしめき合い、異様な切迫感が漂っていた。

 俺は年も上だし洋楽派だから、BJCとは一定の距離を保っていた。並行して立ち上げたSherbetsや解散後のJudeの方に共感を覚えたのである。BJCでのベンジーは、聴衆とのコミュニケーションを第一に、クリアな詩を書いていた。SherbetsやJudeでは、イメージの連なりを追求しているように思える。

 焔の色は、発火体の温度が上がるにつれ、赤→黄→青→紫→白と変化するという。“natural”に似合うのは白だ。本作には「君と僕」にこだわった詩が多い。凡人が天才を邪推しても詮方ないが、ベンジーは恋しているのかもしれぬ。真っ白な焔を発して昇華する、純粋でひりひりするような恋を。

 「ジュース物語」ではこう結んでいる。♪氷みたい冷たい宇宙で暖かな光になるんだ……。アンビバレンツな自らの世界を言い当てた表現だと思う。
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ブログの未来は?~米国の現状を踏まえ

2005-03-13 02:10:40 | カルチャー

 先日、衛星第1の海外ニュース番組で、アメリカにおけるブログの現状が紹介されていた。アメリカでのブログの認知度は33%。読んだことがある人は3200万人(10%強)で前年比60%増というから、猛スピードで浸透しているようだ。

 さまざまなテーマについて思うままに表現している点では、アメリカも日本と変わらない。とりわけ注目されているのは政治ブログである。04大統領選の民主党予備選では、ブロガーたちがネット上で、ディーン候補の選挙運動を展開した。州議会では、女性ブロガーが法案提出を阻んだケースがある。トラックバックを繰り返すことで支持の輪を拡大した。数百通の反対メールがHPに届いたことで、当該議員は提出を断念する。

 CBSの名物キャスター、ダン・ラザー氏の引退は日本でも話題になった。ブッシュ大統領の軍歴を巡り、偽の資料を用いて報道した件の責任を取ったのだ。最初に誤りを指摘したのはブロガーである。小さな波紋が、ブログ間の交流でうねりとなり、巨大メディアを呑み込んだ。

 番組では、NYタイムズのHPと個人のブログを2台のパソコンに表示し、「違いがわかりますか」と視聴者に問い掛けていた。表紙は似ていても、情報の信憑性やデータ量において、両者に大きな差がある。だが、ブロガーがチームを作れば、大きな影響力を行使することも可能なのである。

 gooのブロガーは15万人を超え、ライブドアは20万人前後である。ブログ増加によるインターネット帯域幅の侵食という問題はあるが、日本にも100万ブロガー時代が来るかもしれない。

 さて、ブロガーの端くれとして暴論を。新聞はもはや必要ない……。

 政治や経済の動向は、各HPやニュース番組でキャッチ出来る。活字メディアは中立性に縛られているから、論説は刺激的ではない。ブックマークに登録した左右180度のブログに目を通して多角的に考察すると、本質が見えてくることもある。日本の新聞に掲載されない発展途上国や紛争地域の実情、入管問題等についても、反グローバリズム活動家、NGO関連、人権派、報道写真家のブログを読めば、詳細まで知ることが出来る。

 スポーツ、映画、音楽、文学など趣味の分野でも、深い考察に満ちたブログを幾つも発見した。分析力、情報収集力で既成のジャーナリズムを超えているブログも少なくない。堀江氏は今回の騒動で、インターネットの他メディアへの優位性を繰り返し説いているが、温室で満足している「プロ」たちが努力を怠れば、遠からず「アマ」に淘汰されてしまうだろう。

 もちろん、ブログ側にも克服すべき課題がある。ブロガーに敗れた上記の州議会議員は、送られたメールは礼を失したもの、法案の理解を甚だしく欠いたものが大半だったとコメントしていた。ブログに限らず匿名性のツールでは、内容が伝言ゲーム化して捻じ曲がり、集団化した同調者が攻撃性をむき出しにするという危険性を秘めている。ブログの中身に事実誤認、他者を傷つける表現が含まれていても、「所詮は日記」という逃げ道が用意されているのだ。

 「責任」と「節度」……。読者の少ないインディーズブログではあるが、この二つの言葉に留意して綴っていきたいと思う。
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