酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

日本ダービーの思い出

2023-05-28 10:13:32 | 競馬
 コロナ禍以降、海外ロケはなくなったが、再放送を含め「岩合光昭の世界ネコ歩き」(NHK・BSプレミアム)を楽しんでいる。同番組で知ったことのひとつは猫の親和力で、牧場では癒やしをもたらす仕事人として重宝されている。最近ではYoutubeなどでサラブレッドと猫との好相性を示す様子が頻繁にアップされている。

 投稿者は牧場、厩舎、引退馬協会の関係者で、猫が馬の背中でくつろいでいたり、追いかけっこをしたり、体重差が100倍ほどの両者が鼻面を寄せ合ったりと心和む映像が多い。草食系の馬は集団に馴染み、肉食系の猫は孤独を好むといわれる。接点が少ないように思えるが、繊細かつ臆病で、音に敏感という共通点がある。ちなみに、生産界と猫との結びつきは強い。ストームキャット(嵐の猫?)はアメリカの大種牡馬で、その血脈は日本でも多くのG1馬を生んでいる。

 テーマがないので、今回はダービーについて。予想というより思い出を軸に綴りたい。初めてダービーの馬券を買ったのは1982年だった。前日、一緒に野球観戦に行った大学時代の先輩が横でダービーを予想していた。俺が1点で買ったバンブーアトラスとワカテンザンで決まり、枠連が28倍ついた。全くのビギナーズラックで、フリーターだった俺には旱天の慈雨だった。

 2年後にスポーツ紙の校閲を担当するようになってからは、毎年のように買うようになる。93年は肩入れしていたガレオンがウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの3強に次ぎ4着に入った。その後のダービーで記憶に残るのはPOG指名馬が出走したレースばかりで、勤め人時代のサニーブライアンは皐月賞、ダービーを人気薄で制し、馬券的にも実入りは大きかった。

 最も印象的なダービーを挙げれば2012年だ。POG指名馬のディープブリランテとフェノーメノが①②着し歓喜に浸ったのも束の間、膠原病と闘いつつ日常に復帰していた妹の急死の報が翌朝届く。義弟は職場で缶詰めになっていて、朝帰りして妹の死に気付いた。前年の東日本大震災、原発事故と併せ50代後半、生き方を変えるきっかけになった。

 勝利を確信していたのは17年の指名馬アドミラブルだった。同馬は9月の新馬戦では喘鳴症で9着に惨敗するが、3月上旬の未勝利戦で復活Vを果たすと、2400㍍のアザレア賞と青葉賞を連勝してダービーに挑む。レース前々日に開催されたPOGのイベントには多くのクラブ法人やメディア関係者、競馬評論家が詰め掛けていたが、<今年はアドミラブルで決まり>の空気が充満していた。結果は1番人気も3着で、同馬には最後のレースになった。3カ月で4戦、しかもそのうち3戦が2400㍍という過酷なスケジュールに心身とも蝕まれていたのだろう。

 同じく指名馬ロジャーバローズは2年後、京都新聞杯2着からダービーに挑み、12番人気ながら角居師に最後のG1をプレゼントした。コロナ禍もあり、POGは翌年で終了したが、予想より愛情を上位に置いてレースに接することが出来て楽しかった。俺にとって、POG最大のヒット、いや、ホームランは牝馬アーモンドアイである。ダービー出走説もあったが、結果は神のみぞ知るだ。

 最後に、5時間後に出走するダービーの予想を。桜花賞馬リバティアイランドのオークス圧勝を考えれば、皐月賞馬のソールオリエンスが最有力だ。同じくキタサンブラック産駒スキルヴィングの取捨がポイントも、青葉賞馬はローテが厳しくアドミラブルでも勝てなかった。皐月賞2~6着のタスティエーラ、ファントムシーフ、メタルスピート、ショウナンバシット、シャザーンは買う気にならない。

 注目しているのは京都新聞杯馬のサトノグランツ、青葉賞2着のハーツコンチェルトだ。上記したバンブーアトラス、ストームキャットの血をそれぞれ受け継ぐトップナイフ、ベラジオオペラを買い目に加える。ともに皐月賞では展開が合わず7、10着に敗れているが、挽回も可能だ。◎⑤ソールオリエンス、○⑱サトノグランツ、▲⑪ハーツコンチェルト、注④トップナイフ、△①ベラジオオペラが結論だ。

 目が覚めたら、妙に⑰ドゥラエレーデが気になってきた。父と母父はともにダービー馬である。⑤を軸に相手①④⑪⑰⑱の3連複でも買おうかな。自信はゼロだが、楽しめればいい。
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高橋和巳「悲の器」再読~破滅の理由は〝愛せない罪〟?

2023-05-24 22:39:51 | 読書
 名人戦第4局(福岡)は衝撃的な結末だった。先手の藤井聡太竜王(6冠)が69手目に指した7五角に、渡辺明名人が投了を告げる。一局を通して攻勢に出た渡辺だったが、藤井は積極的に応戦しリードを広げた。感想戦では1日目の38手目、渡辺が指した8八歩が敗着だったという結論が出たそうで、将棋というゲームの恐ろしさを実感する。藤井は次の手を封じた。

 2日目の夕食休憩前、AI評価値が88対12の段階での投了は早過ぎる気もしたが、アベマで解説していた郷田真隆九段は「これ以上、指しようがない」と分析していた。現地で大盤解説を担当していた中田功八段は羽生善治九段の言葉<AIになく人間にあるのは美意識>を引用して、「名人はここで投了です」と断言する。その通りになってファンの喝采を浴びていた。藤井が美意識を纏う日は来るのだろうか。

 若い頃、貪るように本を読んだ。脳内で弾けた言葉が血管を迸り、熱くなった体を冷やすため、真夜中に散歩に出た記憶もある。66歳になった今、言葉は脳内で惑い、クチクラ化した血管で詰まる。本はいつしか催眠剤になってしまったが、学生時代に読んだ高橋和巳の「悲の器」(河出文庫)を読了した。再読は「邪宗門」以来、2作目になる。

 高橋は三島由紀夫とともに<言葉の身体性>を表現した作家だった。「邪宗門」はスケールが大きく物語性も高かったが、「悲の器」は観念的で難解な作品だ。今も、そして40年以上前も、本作を理解したとは思えない。「悲の器」は第1回文藝賞受賞作だが、研究者として評価を確立していた高橋の受賞は決まっていたという裏話もある。完成度の高さと濃密さは、とてもデビュー作とは思えない。当時31歳の〝日本のドストエフスキー〟は膨大な小説と評論を残し8年後、がんで斃れた。

 主人公は刑法学の権威で国立大(東大?)の法学部長である正木典膳だ。高橋は中国文学者だったから専門外だが、全編に展開される稠密な法律論に圧倒される。戦前から戦後に至る国家と法学との緊張関係が背景だ。正木は宮地博士門下の俊英として姪の静枝と結婚する。<厳法主義>に則ることで弾圧を切り抜け、一時は検事に転身し、大学に戻った。

 正木と好対照に、同門の先輩だった荻野は獄中で転向を余儀なくされ、戦後は教育委員長に任命されるも組合との板挟みになり自殺する。後輩の富田はアナキストに転じて獄死した。正木は保守派に分類されながらも、戦後の逆コースと距離を置き、警職法へは反対の立場を取る。次期学長候補と目されており、破滅とは遠いはずが、階段を転げ落ちる。

 〝苦悩教〟教組と評された高橋の作品には限りなく下降する男たちが登場する。「悲の器」の正木の破滅の理由はスキャンダルだった。静枝の闘病中から家政婦として働くようになった米山みきと愛人関係になったが、静枝の死後、大学教授の娘である栗谷清子と婚約した。堕胎したこともある米山みきに婚約不履行で慰謝料を請求された正木は、名誉毀損で訴え返し、泥仕合は世間の耳目を集めた。

 本作には女性差別的な表現が少なからずある。開高健の小説も同様だ。〝民主主義の先進国〟フランスも1960年代はカトリックの影響で、インテリ層の男性でさえ女性に差別的に接していた。高橋が今世紀まで生き長らえていたならば、真摯な自己批判をしたことは間違いない。

 本作発表時、高橋は31歳だった。正木は50代後半だから、〝男の性〟に対する認識が正しかったといえない気もする。〝夫婦の掟〟として正木が静枝と交わる場面も違和感を覚えたし、米山みきとの関係も享楽的に映る。栗谷清子との接し方は大学生のように蒼い。正木の転落の根底にあるのは<愛せない罪>ではないか。

 親族、かつての友やその家族への対応も杓子定規で冷淡だが、例外は末弟で神父の規典だ。人はいかに生きるべきか、罪とは、宿命とは、そして救いとは……。兄弟は観念論をぶつけ合う。静枝は死を前にキリスト教に帰依した。全共闘に寄り添った高橋らしいのは学生たちとの議論を拒まないことだ。

 ラストの悲痛なモノローグに暗澹たる気分になった。主人公はまさしく作者自身の反映であり、絶対的な孤独、絶望の底に俺は死の匂いを嗅いだ。アラサーだった高橋にとって、死はどのような意味を持っていたのだろう。
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「不思議の国の数学者」~数式が奏でる至高のハーモニー

2023-05-20 21:41:40 | 映画、ドラマ
 オークスの予想を。<3歳春は距離適性より完成度>である以上、桜花賞を鬼脚で差し切ったリバティアイランドが本命だが、②着コナコーストは買う気がしない。今期31勝を挙げリーディング10位の鮫島駿は、ミスもなかったのに下ろされる。新しい鞍上はヴィクトリアマイル(VM)で物議を醸したレーンだ。

 桜花賞③着馬ペリファーニアに騎乗する横山武はVMでレーン騎乗のソダシの斜行に怒り心頭だったし、桜花賞⑤着のドゥアイズの鞍上は不可解な乗り替わりでソダシをレーンに奪われた吉田隼だ。レーンを軸に織り成された〝ドロドロの感情〟が結果に反映するかもしれない。◎⑤リバティアイランド、○⑭ペリファーニア、▲⑫ハーパー、注⑯ドゥアイズ、△⑰シンリョクカでいく。

 朝鮮半島の緊張関係を背景に製作された韓国映画は数多い。脱北者をテーマにした作品で思い浮かぶのは「The NET 網に囚われた男」で、主人公はアクシデントで韓国に漂着した後、政治の荒波に翻弄される。新宿で先日、「不思議の国の数学者」(2022年、パク・ドンフン監督)を見た。脱北した数学者と高校生の友情をテーマに据えた物語である。

 韓国の教育制度には疎いが、ハン・ジウ(キム・ドンフィ)は上位1%の秀才が通うエリート高校に奨学生枠で入学した1年生だ。数学が苦手で、担任でもある数学教師のグノ(パク・ミョンウン)に普通校への転校を勧められる。クラスメートを庇って退寮処分を受けたジウは、ひょんなことから警備員ハクソン(チェ・ミンシク)に数学を習うことになった。チェは「オールド・ボーイ」などで知られる韓国を代表する俳優だ。

 脱北者であるため生徒から人民軍と呼ばれているハクソンは、意識的に目立たぬ生き方を選んでいた。バッハが好きで、ジウが最初に訪れた時、ハクソンの部屋では「無伴奏チェロ組曲」がラジカセから流れていた。ハクソンの台詞に「バッハは始まりであり終わりでもある」があったが、バッハは数学者としての一面もあったという。

 とっつきにくい雰囲気だが、イチゴ牛乳が大好き……。ハクソンのこのギャップが微笑ましい。ジウに心を寄せるバウム(チョ・ユンソ)の可憐さに魅せられたが、アラサーと知って驚いた。ハクソンは妙にバウムに優しく、2人のピアノの連弾が本作のハイライトだ。鍵盤に数字を割り振り、円周率π=3・14159265……を叩くハクソンにバウムが伴奏する。数式と音楽のコラボで出来上がったハーモニーに心が震えた。

 ジウはアナログ人間のハクソンにスマホを勧め、2人で演奏会に足を運ぶ。世代を超えた友情を紡ぐ言葉は「数学は正解を出すことよりも過程が大事」で、ジウは授業でグノを追い詰めるほど学力が向上する。ハクソンがリーマン予想を証明した天才数学者であることが報じられるや、状況は一変する。ハクソンが自らの業績を隠している理由、息子の不幸な事件について明らかになる。

 数式は武器や暗号資産に利用される<悪魔の学問>になり得る。本作は青春ドラマ、サスペンスドラマの要素も濃いが、クライマックスに至る展開に韓国映画の底力を感じた。ハクソンは高校生や教師を前に、壇上から学歴社会を批判する。自由を求めて脱北したが、自由と美を希求する手段だった数学が、韓国では学歴社会の道具になっていると。

 ラストで紹介される後日談にも感銘を覚えた。俺は数学や理科で幾つも赤点を取った純粋文系だが、ハクソンのような先生に出会っていたら、見える景色は変わっていたかもしれない。
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「黄色い家」~東京を彷徨するデラシネたちの魂

2023-05-16 22:24:56 | 読書
 別稿(2022年7月15日)で紹介した「怒り」(吉田修一著)の映像化作品(16年、李相日監督)をWOWOWで見た。八王子で起きた夫妻惨殺事件の現場に、<怒>の血文字が残されたが、山神一也容疑者の足取りは1年経っても掴めない。渡辺謙、宮崎あおい、松山ケンイチ(房総)、妻夫木聡、綾野剛、高畑充希(東京)、森山未來、広瀬すず(沖縄)と3地域がカットバックして進む群像劇で、原作で比重が大きかった捜査陣の登場は最小限にとどめられていた。

 妻夫木と綾野が演じるゲイカップルの苦悩は、サミットに向け超党派の議員が「LGBT理解増進法案」提出を目指している時機にフィットしている。日本はジェンダー、選挙制度など多くの点で〝先進国基準〟を満たしていない。国民に支持されている同性婚や夫婦別姓の法制化を阻害しているのは神政連、統一教会、日本会議の影響下にある自民党議員たちだ。安倍元首相の亡霊が今も闊歩している。

 「怒り」は漂流の物語でもあるが、魂の彷徨を描いた小説「黄色い家」(川上未映子、中央公論新社)を読了した。原稿用紙にして1100枚の長編で、川上作品は「夏物語」以来で6作目だ。「夏物語」の主人公はセックスに忌避感を抱き、AID(非配偶者間人工授精)に取り憑かれていた。「黄色い家」の伊藤花も性の匂いは希薄で、執着していたのは<金>だった。

 冒頭は2020年。40歳になった花は<新宿区のマンションで20代女性を監禁して暴行した吉川黄美子被告(60)の初公判が東京地裁で開かれた>というネット記事を目にする。黄美子と過ごした1990年代後半からの5年間が甦った。黄美子はスナック勤めの母の友人だった。母は腰の定まらない人だったから、15歳だった花は黄美子を慕い、再会後に2人で「れもん」というスナックを開店する。やがて黄美子と花、同世代の蘭と桃子の4人で黄色い家に暮らし始める。

 川上は関心を寄せてきたゴッホの作品をタイトルにした。黄美子、そしてスナックの名前も黄色で、4人が暮らす家の壁も黄色に塗った。黄美子だけでなく、花にとっても黄色は神聖な色になる。〝吉川黄美子被告〟の記事に、俺は危険な女性を思い浮かべた。支配的で宗教団体の教組のような女性を連想したが、その実像は次第に明かされる。

 帯に書かれた<人はなぜ、金に狂い、罪を犯すのか>、<ノンストップ・ノワール小説!>は確かに本作の一面を捉えているが、本質は別のところにあると思う。黄色い家で暮らす3人の少女と黄美子には行き場がない。花は<金に狂った>わけではなく、生活力のない母と暮らしていた頃も猛烈に働いた。「れもん」でも経理を担当していた花は〝疑似家族〟を守るため、<罪を犯す>ことになる。

 黄美子には若い頃、歌舞伎町でつるんでいた仲間がいた。銀座のクラブで働いている琴美、闇世界の住人である安映水、犯罪グループの元締であるヴィヴだ。主要な登場人物で唯一の男性である映水が語る黄美子像は<時に意識があやふやになり、判断停止状態になる>というもの。物語が進むにつれ、花が事実上の世帯主になる。カード詐欺の一員になり、蘭と桃子も仲間に加わるが、花はどこまでも無垢なのだ。

 黄色い家で力関係が変化する。率先して掃除をしていた黄美子は後景に退き、3人の少女に不協和音が生じる。花は黄色の壁を剥がし、黄美子は狂気をのぞかせる。桃子が持参した青い海を描いたクリスチャン・ラッセンの絵を怒声とともに叩き壊すのだ。本の装丁は青が黄色を包み込んでいた。作者は青と黄のコントラストで何を示そうとしたのだろう。

 ラストで、花は黄美子に会いにいく。2人は別れてからの20年をどのように生きてきたのだろう。黄色い家は再度、扉を開くのか。彷徨するデラシネたちの魂を描いた秀作だった。
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「いつかの君にもわかること」~未来に紡ぐ父子の絆

2023-05-12 19:04:08 | 映画、ドラマ
 棋界で現在、最も注目されているのは佐々木大地七段だ。師匠は同郷(長崎)の深浦康市九段で、棋聖戦挑決トーナメントで渡辺明名人、永瀬拓矢王座を連破して藤井聡太6冠に挑む。王位戦でも連続タイトル挑戦を懸け、羽生善治九段と相まみえる。3勝1敗と藤井に勝ち越している藤井キラーの師匠は、弟子に秘策を授けられるだろうか。
 
 前稿で紹介した「パリタクシー」同様、死に彩られた「いつかの君にもわかること」(2020年、ウベルト・パゾリーニ監督)をMorc阿佐ヶ谷で見た。「パリタクシー」がカラフルな風景画なら「いつかの――」はモノクロの水彩画の趣がある。パゾリーニといえば思い出すのが前作「おみおくりの作法」だ。主人公のジョン・メイはロンドンの民生係で、行旅死亡人、身寄りのない死者に真摯に向き合う。情熱の源は自身の孤独だった。

 両作にパゾリーニの好みがわかる。第一は名前だ。本作も主人公はジョンで、余命宣告を受けた33歳の清掃作業員だ。演じるジェームズ・ノートンは別稿で紹介した「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」でホロドモール(スターリンがもたらした人工飢饉)を告発した英国人記者ガレス・ジョーンズを演じている。

 ジョンは妻に去られたシングルファザーで、ソーシャルワーカーのショーナ(アイリーン・オヒギンズ)の協力を得て4歳の息子マイケル(ダニエル・ラモント)の里親を探す。数組の夫婦や個人の家を回るが、両者の思いは一致しない。ジョンとマイケルが互いを見やる表情に、父子の情がおのずと表れ、ともに多くの時間を過ごしたことが窺える。

 好みの第二は赤だ。「おみおくりの作法」では、後半に進むにつれて、スクリーンは赤みを増していった。本作を〝モノクロの水彩画〟と評したが、赤が父子の心象風景を象徴していることは明らかだ。ジョンのジャケットとマイケルの帽子は赤だ。マイケルの手から離れて舞い上がる風船も赤だし、ジョンの誕生ケーキのローソクも赤だった。

 余命を意識した人の決意をテーマにした映画で最初に浮かぶのが「生きる」で、前稿で紹介した「パリタクシー」も該当する。「いつかの君にもわかること」は「死ぬまでにしたい10のこと」(2003年)にインスパイアされたかもしれない、主人公のアンは本作と同じく、自身の来し方を否定的に見ている清掃作業員だった。失業中の夫と2児を抱えたアンはがんで余命僅かと知らされ、前向きに生きようと考える。

 死に根差していれば、愛が研ぎ澄まされていくことを本作は教えてくれた。ジョンを見るマイケルの表情からエンドタイトルに続く構成も印象的だった。記憶に残るのは、ともに見たカブトムシの死骸と重ねながら、ジョンがマイケルに<死ねば体が動かなくなり、言葉を交わせない。でも、魂は永遠で、いつもそばで見守っている>と語るシーンだ。マイケルは思い出ボックスに仕舞われたジョンの記憶とどのように繋がっていくのだろう。

 俺が父とどう繋がっていたのか考える。友人たちで父を肯定的に語る者は少なかった。反抗の対象で、疎ましい存在というのが息子から見た一般的な父親像か。俺の父は69歳で召されたが、その年に近づくにつれ、感謝と親近感を抱くようになった。老いるとはそういうことなのかもしれない。
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「パリタクシー」~パリの街並みが映す波瀾万丈の人生

2023-05-08 18:50:29 | 映画、ドラマ
 ベイスターズファンにとって、バウアーは頼りになる〝優勝請負人〟だ。女性暴行疑惑は不起訴処分になったが、ファン離れを恐れて契約するMLB球団はなく、日本にやってきた。好投に心から拍手を送れない複雑な思いを抱えている。若手騎手がスマートフォン不適切使用を理由に30日間の騎乗停止処分を受けた。控室にスマホを持ち込んだ女性騎手4人、調整ルームで通話した今村と角田の計6人である。

 パワハラやセクハラが横行した競馬サークルの状況を変えるため、騎手だけでなく関係者は長い間、闘ってきた。その恩恵を受けた藤田を除く女性騎手のルール違反に、常態化していたと疑念を持たれるのは当然だ。「レース映像をチェックしていただけ」と擁護の声も上がっているが、〝やらかし〟の数では人後に落ちない俺でさえ、公正競馬の根幹に関わる問題だけに処分は甘いと思う。だが、汚名をそそぐ機会は与えられるべきだ。

 枕と多少つながっているフランス映画を見た。「パリタクシー」(2022年、クリスチャン・カリオン監督)は運転手と客の一期一会を描いたロードムービーだった。地球3周分も走ったのに金も休みもなく、免停寸前のタクシー運転手シャルル(ダニー・ブーン)に、92歳のマドレーヌ(リーヌ・ルノー)を自宅からパリの反対側にある終の住処に送るという依頼が舞い込む。

 ぜひ映画館でご覧になってほしいので、ストーリー紹介は最小限にとどめたい。46歳の運転手を演じるブーンは撮影時56歳でコメディアン、俳優だけでなく映画監督などマルチな活躍で知られる。94歳のルノーは女優、歌手として成功するだけでなく、エイズ撲滅や尊厳死法制化など社会的な運動にも関わってきた。「パリタクシー」では、ルノーの活動家としての側面も反映されている。シャルルがブリ=シュル=マルヌにあるマドレーヌの自宅前で警笛を鳴らすシーンが始まりだった。

 マドレーヌが生まれ育ったヴァンセンヌ、母が働いていた劇場があったパルマンティエ大通り、そして老人ホームがあるクルブヴォワに至る旅行きは、シャルルの波瀾万丈の人生を辿る旅行きだった。回想シーンと現在がカットバックして物語は進行するが、若き日のマドレーヌを演じていたのはアリス・イザーズだ。パリ観光案内の赴もあり、エッフェル塔やシャンゼリゼ大通りに魅入ってしまった。これはネタバレになるが、街の光景は趣向を凝らした方法で撮影されたという。

 別稿(23年2月21日)で紹介したアニー・エルノー著「嫉妬/事件」には1960年代のフランスがカトリック教会の支配の下、女性たちが男性優位社会で苦しんでいたことが描かれてきた。シャルルがパリに進駐してきた米兵と恋に落ちたのは1945年のことだが、生まれてきた息子の顔を見ることなく帰国してしまう。その後結婚したのはDV夫だった。命の危険を覚えたマドレーヌは思い切った行動に出る。タクシーの窓から見えるパレ・ド・ジャスティスはマドレーヌが長期の禁錮刑を受けた裁判所だった。

 激動の人生をさりげなく「一瞬だった」と振り返るマドレーヌにとって、タクシーでの旅行きはパリへのお別れの挨拶だった。回想シーンに流れるジャズに合わせるように、シャルルとマドレーヌは恋人のように腕を組み、目を見つめ合って食事をする。シャルルの免停を防いだのはマドレーヌの機転だった。

 鮮やかなラストに余韻は去らない。生きる意味、死ぬ意味、人が他者と通じる意味を考えさせられる秀作だった。俺も終活を考える時機に来ている。
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「巨匠とマルガリータ」~スターリン独裁下ではじけるイリュージョン

2023-05-03 21:50:58 | 読書
 野良猫ミーコとの交遊をブログで記してきた。複数のお得意さんと寝場所をキープしたミーコは、老齢(10歳以上?)ながら極寒期を生き延びる。<餌を与える人-野良猫>という関係とはいえ、彼女の逞しさに感嘆している。空腹でない時は道端に寝そべり、俺に対してだけではないがタッチを待っている。愛に似た感情を表現しているのだ。

 猫が活躍する小説を読了した。「巨匠とマルガリータ」(ミハイル・ブルガーコフ著、水野忠夫訳/岩波文庫)で、上下800㌻超の長編だ。人の言葉を話すおしゃべりで巨大な黒猫ベゲモートは、催眠術師コロヴィエフらとともに悪魔ヴォランドの手下である。本作を知るきっかけは映画「オットーという男」で、主人公と亡き妻との絆がベースになっていたが、「巨匠とマルガリータ」でもマルガリータの巨匠に寄せる思いがヴォランドを衝き動かす。

 難解かつ奇想天外な20世紀最高のロシア語文学と評される本作だが切り口は多い。キリスト教、ロシア正教に批判的と説く識者もいるが、的を射ていな気がする。万能の悪魔ヴォランドは登場するが神は出てこない。<善と悪>、<神と悪魔>の二元論は無意味で、ヴォランドは善を成す。巨匠とマルガリータの崇高な魂を救済するのだ。

 巨匠が書いた2000年前のヨシュア(イエス・キリスト)処刑の経緯を綴った小説とカットバックしながら物語は進行する。巨匠を黙殺した文芸誌編集長ベルリオーズが無神論を詩人イワンに披瀝している時、謎の男が話に加わる。教授として現れたヴォランドはベルリオーズの死を予言した。ちなみに巨匠にとってベルリオーズは怨嗟の対象だった。

 ブルガーコフの分身ともいえる巨匠の小説の中で、ヨシュアの処刑を決めたピラトゥスの悔恨と苦悩が繰り返し表れる。本作を締めくくるのは<冷酷な第五代ユダヤ総督、騎士ポンティウス・ピラトゥスも>だ。キリスト教やロシア正教を理解しているわけではないが、<信仰>や<贖罪>も本作のテーマになっている。

 本作が執筆された1929~40年は、スターリン独裁が確立する時期に重なる。完全版が発刊されたのは作者の死から34年を経た1974年のこと。社会主義的リアリズムと対極にあり、発禁処分も当然だ。本作を閉塞した独裁体制への抵抗と捉えることは出来る。ブルガーコフはウクライナ出身で、革命軍と対峙する白軍に加わったこともある。スターリンによるホロモドール(人工的な大飢饉)も知っていたはずだ。文壇から締め出されたブルガーコフだが、スターリンと接点があり、公職から追放されなかった。

 本作の魅力はヴォランド一味が巻き起こすモスクワでの驚天動地の大混乱だ。大掛かりな魔術と催眠術でスケールの大きいイリュージョンが展開する。ブラックユーモア、エログロ、サスペンスを坩堝で似たような大騒動が風俗紊乱と倫理破壊をもたらす。悪魔に魂を売ってでも……。マルガリータの強い決意を聞き入れたヴォランドは、精神病院から巨匠を解き放つ。ヴォラントの魔術でマルガリータが空を飛ぶシーンはまさにファンタジーで、慣れ親しんできた<マジックリアリズム>の魁といっていい作品だった。

 遊び心満載で音楽の素養に満ちた本作に出合えて本当に幸せだった。この世は素晴らしい小説に溢れているが、ほんの一部を囓っただけで死んでしまう。老い先短いが、心震える読書を体験出来ればと思っている。
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