酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

沢田研二、75歳の現在地~バースデーライブ&「土を喰らう十二ヵ月」

2023-06-28 23:29:29 | カルチャー
 母や同居していた祖母の影響で歌謡曲が好きだった。1967年2月、タイガースの登場で世界は広がる。グループサウンズを介して洋楽の扉を叩き、ビートルズにも接するようになった。WOWOWで先日放映された沢田研二(ジュリー)の75歳の誕生日に開催された「バースデーライブ」(さいたまスーパーアリーナ)と主演作「土を喰らう十二ヵ月」を併せて見た。

 まずはライブから。ジュリーは虎の着ぐるみ姿で登場し、ステージには岸部一徳(ベース/当時修三)、森本太郞(ギター)、瞳みのる(ドラム)の姿がある。「シーサイド・バウンド」からタイガース時代のヒット曲が演奏され、当時の思い出を語り合うまったりした展開だった。岸部はベーシストとしてレッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズが絶賛したほどの実力者で、森本はプロデューサー、作曲家として活動している。セットリストにあった「青い鳥」は森本が作った曲だ。

 存在感が際立っていたのは瞳だ。解散後、慶大に進み、卒業後は慶応義塾高で漢文を教える傍ら、研究者として日中文化交流に貢献する。音楽活動を再開して十数年前、瞳のドラミングは若々しかった。ジュリーは「花の首飾り」を歌う前、「みんなで歌ってください」と会場に声を掛ける。同曲のリードを取った加橋かつみに思いを馳せていたのだろうか、その目が潤んでいるように思えた。

 「時の過ぎゆくままに」などソロ時代のヒット曲のオンパレードで会場は盛り上がり、ジュリーの矜持とプライドを窺わせる曲の数々でショーをいったん閉じる。反核と護憲を訴えた曲は演奏されなかった。南野陽子やいしのようこも加わった「河内音頭」でアンコールは始まり、タイガースの面々も再登場するとローリング・ストーンズの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」と「サティスファクション」が演奏され、ビートルズの「愛こそすべて」にインスパイアされたタイガース時代の「ラヴ・ラヴ・ラヴ」で締めくくる。活動期間は4年と短かったが、タイガースの初心が窺える構成だった。

 同日にオンエアされた「土を喰らう十二ヵ月」(2022年、中江裕治監督)で、ジュリーはキネ旬、毎日映画コンクールで主演男優賞に輝いた。ジュリーといえば俳優としても煌めいており、映画「太陽を盗んだ男」、ドラマ「悪魔のようなあいつ」に加え、ジュリーと大林宣彦の初心が刻まれたドラマ「恋人よわれに帰れ」も記憶に残っている。

 「土を喰らう十二ヵ月」のベースは水上勉のエッセーだ。ジュリー演じる主人公のツトムは少年時代、口減らしで禅寺に奉公に出され、和尚から精進料理を習う。本作にも道元が著した「典座教訓」が紹介されていた。ツトムは信州の山荘で犬のさんしょと一緒に自給自足生活を送っている。地産地消、ミニマリズム、ダウンシフトが新しい生き方を示すキーワードになっているが、水上は時代を先取りしていたのだろう。

 ジュリーは刺激体として周りを変えてきた。75歳になっても声を振り絞り、ステージを駆け回るが、「土を喰らう十二ヵ月」では自然に溶け込んでいく。折を見て訪ねてくる編集者の真知子(松たか子)との語らいが日常にささやかな味付けを加える。恋人という設定だが父娘といった雰囲気で、両者の関係の微妙な変化が四季の移ろいとともに物語の回転軸だ。

 画面右上に二十四節気が提示され、山里の美しい自然の中、ツトムは農作業に励む。食材選び、調理法から器にまで関わった料理研究家の土井善晴により、本作は深みを増した。トーンが変わったのは、自らの骨壺を作ろうとしてツトムが窯場で倒れたからだ。偶然訪ねてきていた真知子が発見し、緊急搬送された。心筋梗塞で意識を失ったツトムは、死を射程に入れ、孤独を受け入れようとする。13年前に亡くなった妻八重子の遺灰を湖にまいた。

 病院からの帰り道、ツトムは赤い花に気を取られる。<秋分 極楽浄土の岸に到る>のテロップとともに映し出されたのは血の色をした曼珠沙華だった。ツトムは葛藤を抱えていた真知子に「人はしょせん単独旅行者だ」と告げ、少し経って現れた真知子は赤い服を着ている。切なくさりげない別れだった。

 山荘近くで師匠格としてアドバイスする大工役の火野正平に加え、奈良岡朋子、西田尚美、尾美としのり、檀ふみら実力派が顔を揃えていたが、最大の脇役は、いや、主役は山里の自然だった。コロナ禍もあり1年半も撮影に加わったジュリーの現在地を確認出来て幸いだった。

 主題歌「いつか君は」は1996年に発売されたアルバムの収録曲だったが、26年ぶりにリマスターされ昨秋シングルカットされた。

 ♪いつか君は そっとさよなら言うよ いいよ こんなに愛せたから いいよ 祈るのは君のすべて いいよ あとは波音だけ

「土を喰らう十二ヵ月」のために作られたような美しい曲だった。
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「覇王の譜」~現実を写すエキサイティングな将棋小説

2023-06-24 15:43:32 | 読書
 棋聖戦第2局は佐々木大地七段が藤井聡太7冠を破り、1勝1敗のタイになった。時間が切迫する中、佐々木の受けの緩手と藤井の攻め急いだ龍切りで形勢は不明になる。佐々木が5五角の妙手で藤井を押し切った。難解でスリリングな展開を常に制してきた藤井に逆転勝ちした佐々木の底力に瞠目させられる。無敵の藤井にライバルが現れたか。

 王座戦挑決T準々決勝の藤井対村田顕弘六段戦も衝撃的だった。村田は板谷四郎九段の孫弟子で、その息子である板谷進九段の孫弟子に当たるのが藤井と、同門対決でもあった。〝安全牌〟と見做されていた村田は対局前、「棋士人生を懸けて指す」と決意を明かし、「村田システム」で優位を築いて、終盤はAI評価値で95%以上になる。藤井の勝負手△6四銀で怪しくなり、受け間違えた村田が即詰みに追い込まれる。AIとの蜜月と藤井の登場で空気は変わったが、村田の人間臭さは、百鬼夜行、魑魅魍魎が闊歩していた頃の将棋界に通じるものがある。

 現在進行形の棋界に匹敵するエキサイティングな将棋小説「覇王の譜」(橋本長道著、新潮文庫)を読了した。橋本は元奨励会会員で、1級で退会後、神戸大を出て政府系金融機関に就職したが退職し、作家になる。主人公の直江大五段は期待されて四段になったが7年もC級2組にとどまっている。くしくも上記した佐々木七段と同じ状況だ。

 物語の軸はライバル関係だ。直江は奨励会同期入会の剛力英明と切磋琢磨していたが、四段になったのは3年遅れ。王座戦挑戦者決定戦でようやく背中が見えた。直江は万全の準備で臨んだが敗れ、剛力は勢いそのまま戴冠する。剛力が直江の研究を予測し、対策を練っていたことが明らかになるや、直江は盤上以外では関わらないことを剛力に宣言した。

 両者の個性は対照的だ。剛力はトレーニングで筋肉の鎧を纏い、直江や棋士を駒の如く扱っている。〝闇将軍〟と呼ばれ、次期会長と目される師匠の千々岩棋聖とともに棋界制圧の野望を隠さない。叛旗を翻した直江はゼロ研からパージされ、順位戦最終局では陰湿な情報操作に巻き込まれて、あやうくC1昇級を逃しそうになった。千々岩-剛力ラインを警戒する北神名人(4冠)が直江に接近するなど、生々しい棋界の動きが描かれているのも本作の特徴だ。

 直江少年を見いだしたのは関西の重鎮、三木邦光だった。実利だけでなく、将棋の本筋を追究することを説き、詰将棋の重要性を教えた。直江の師匠になったのは、三木の弟子に当たる師村柊一郎王将で、モデルは久保利明九段か。3人に共通するのは棋界政治から距離を置いていることだ。

 剛力は傑出したリーダーシップで棋界を主導していく。絶大な藤井効果で棋界の景色は変わっていることの典型的な例は不二家が主催する叡王戦だ。新聞社の不況を見越した剛力は、一般企業がタイトル戦を立ち上げる動きを先取りする。守旧派で棋界革新の阻害物になる千々岩の排除を棋聖戦の場で宣言した。「あなたは会長にはなれません」と師匠に言い放つのだ。

 チーム直江が形成されていく。打倒剛力に向け、練習相手を務めるのが師匠の師村で、弟子の高遠拓未も心強いパートナーになる。寡黙な藤井とキャラは好対照だが、天才少年の拓未はAI導入を直江に勧めた。奨励会三段リーグに編入された女流トップの江籠紗香も魅力的だし、関東の有望な10代棋士、遠藤四段も仲間のひとりだ。

 個性的な棋士を絡めて物語は厚みを増していくが、プライドと矜持を隠さずぶつけ合う直江と剛力の対局シーンの迫力に圧倒される。さすが元奨励会会員というべきで、将棋は知的な格闘技であることを思い知らされた。続編に期待している。
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「アフターサン」~ヒリヒリ肌を擦る喪失の哀しみ

2023-06-19 21:04:51 | 映画、ドラマ
 心身ともに老いを感じている。満身創痍であちこち痛いし、いつも眠い。気力が萎えて読書も進まない。人は老いると二つのパターンに分かれるそうだ。一つは<感動不能性>で、何を見ても聞いても〝これぐらい以前に経験した〟とクールに反応する。もう一つは<感動過敏性>だ。俺は明らかに後者で、先日も映画「アフターサン」(2022年)に心が震え涙腺が緩んだ。

 脚本も担当したシャーロット・ウェルズ監督の記憶、ホームビデオに残された映像、監督の想像がベースになっている。11歳のソフィ(フランキー・コリオ)は母とエジンバラで暮らしている。両親は離婚しており、ソフィは夏休み、別居している父のカラム(ポール・メスカル)とトルコのリゾート地で過ごした。

 バカンス中、カラムは31歳になり、20年後に31歳になったソフィ(セリア・ロールソン・ホール)が父と撮影した映像を編集しながら回想するという設定だ。31歳がストーリーのキーになっている。作品にちりばめられたピースがラストで一気に組み立てられ、ジグソーパズルが暗示される。悲しい真実だ。

 話は逸れるが、女の子は中学生ぐらいになると、父親に生理的な嫌悪感を抱くようになる。「お父さんのものと一緒にわたしの服を洗濯しないで」と娘が母親に言うシーンをドラマで見たことがあるだろう。だが、ソフィはカラムとスキンシップしている。アフターサンとは日焼けした後、肌に塗る保湿ローションで、父娘は互いの背中に擦り込ませていた。ソフィが思春期を迎えた時期なら、このような親密さは現れなかったはずだ。

 カラムを演じたポール・メスカルは注目の若手俳優だが、ソフィ役をオーディションで射止めたフランキー・コリオの煌めきが、本作をより魅力あるものにしている。カラムがのぞかせる暗い表情と対照的に、ソフィは少し背伸びしながら未来を見据えている。<あの時、あなた(父)の心の声を聞けていたら>……。31歳になったソフィのモノローグは痛切だ。子供とパートナーがいるソフィだが、暗い表情はカラムと重なる。

 音楽の使い方にも感嘆させられた。観光客がカラオケを歌うシーンで、ソフィはカラムが好きなREMの「ルージング・マイ・レリジョン」をリクエストする。カラムが拒絶したので、ソフィは意識的に下手くそに歌う。夢を失い絶望した男の心情を歌った曲で、カラムにそのまま重なる。その後はダンスで、カラムは気が進まないソフィを引っ張っていく。

 かかっていたのはデヴィッド・ボウイとクイーンの共作「アンダー・プレッシャー」だ。冒頭のレイブのシーンで31歳のソフィが踊っていたが、カラムが踊っているシーンがストロボで何度もフラッシュバックし、11歳の、そして31歳のソフィが一緒に踊っている。愛の意味を謳いながら、♪これが私たちの最後のダンスで締めくくられる。空港で「愛しているよ」と手を振って父娘は別れた。カラムはストロボが洩れる扉を押す。そこはきっと天国の門だったのだ。

ソフィ「同じ空を見上げるっていいね」
カラム「パパと離れていても、太陽を見れば近くに感じられる」
 これだけでなく父娘の記憶に残る会話は幾つもある。31歳のソフィが身を起こした時、足元にあったのはカラムがトルコで買ったペルシャ絨毯だった。ヒリヒリと繊細に紡がれた年間ベストワン候補の傑作だった。

 カラムとソフィとは設定が大きく異なるが、俺も父が死んだ年齢に近づいている。俺は父の何を理解していたのだろう。湿った余韻で考えがまとまらず、書き上げるのに時間がかかってしまった。
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「ガルヴェイアスの犬」~100もの主観が織り成す寓話

2023-06-14 21:57:09 | 読書
 日本は様々な矛盾を抱えているが、<国際標準>を志向して少しずつ解決していくだろう……。10代の頃、そんな風に考えていたが、間違っていた。あれから半世紀、この国は先進国の常識から大きく逸脱している。LGBT、選挙制度、そして2年前に廃案になった旧法案を殆ど修正せず提出された入管法改正案も国際人権法とかけ離れている。難民申請は2回まで、3回目は特別な事情がない限り送還措置で、背けば刑事罰というという内容だ。

 日本の入管制度は、難民申請者の人権や生活を支援するのではなく、収容から放免されても監督するという非人道的な原則に基づいて運用されている。紛争に加え、気候変動によって難民になるケースが今後増えることが想定される。66歳の俺だが、世界を知って<国際標準>を理解したい。その一助として、ポルトガルの小説「ガルヴェイアスの犬」(ジョゼ・ルイス・ペイショット著/新潮クレスト・ブックス)を読んだ。

 ポルトガルの作家といえば、「白の闇」と「複製された男」を当ブログで紹介したジョゼ・サラマーゴで、76歳でポルトガル語圏初のノーベル賞作家になった。サラマーゴ賞を受賞したペイショットは後継者で、「ガルヴェイアスの犬」はSF的でイマジネーションに溢れた偉才の精神を継承している。

 タイトルのガルヴェイアスは作者の出身地でもある小さな村だ。冒頭で爆音とともに巨大な物体が落ちてきた。「名もなき物」と呼ばれるが、大きさ、色、形は明かされない。落下後、豪雨が1週間降り続き、硫黄の臭いが村を覆うようになって、焼いたパンにも染みついていた。寓話が俯瞰の目で進行すると思いきや、視点は地面に下りてくる。天変地異の影響か、村の風景はプリズムを通したように歪み始め、村民たちの関係性に齟齬が生じた。

 100人ほどの村民たちの主観で進行するが、読了した時、反省した。大雑把でいいから登場人物を整理しておけば、血縁、地縁、記憶の糸をほどき、作品の肝に気づけたかもしれないと……。本音のモノローグだから、各自の倒錯も明らかになる。年下の女性への執着を隠せない老人、ロリコンで10代の女の子を孕ませた男、窃視者……。人間の秘められた欲望と対照的なのが、本能剥き出しの犬たちだ。「名もなき物」は臭い以外、村民から忘れ去られるが、棲みつく無数の犬たちと交霊している。

 「ガルヴェイアスの犬」は<一九八四年一月>と<一九八四年九月>の2章立てになっている。本作の背景を探るにあたり、ポルトガル現代史を調べてみた。隣国スペインについては政治からサッカーまである程度の知識はあるが、ポルトガルについては何も知らなかった。スペインで独裁が終焉する2年前(1974年)にポルトガルで民主化が実現した。その年にペイショットが生まれている。86年にEU加盟が実現するが、地味な国という印象は拭えない。

 「ガルヴェイアスの犬」の登場人物で記憶に残るのは、郵便配達夫のジョアキン・ジャネイロだ。写真撮影も買って出る情報通で、村人たちの結び目役を果たしている。独裁最後の数年間、ポルトガルはアフリカに軍を派遣していたが、ジョアキンも応召し、ギニアで知り合った女性と家庭を持っている。

 ジョアキンのギニア訪問とともに国境を越えるのは、後半で事件にまき込まれるイザベラが語る思い出だ。ブラジルで娼婦として働いた彼女は、ファティマ母さんの遺体を故郷のガルヴェイアスに送り届け、娼館兼パン屋の経営者として定住する。ファティマ母さんが故郷について語る時、イザベラは<幸福な悲しみ>に酔いしれているように感じ、ガルヴェイアスに思いを馳せた。<幸福な悲しみ>こそが本作の主音ではなかったか。

 ラストで生を享けた赤ちゃんは硫黄の臭いがしなかった。村はようやく解き放たれたのか。<ガルヴェイアスは死ぬわけにはいかない>と記され、<動きを止めたまま、宇宙はガルヴェイアスを見ていた>と締めくくられる。翻訳を担当した木下眞穂は訳了前、ペイショットにガルヴェイアスを案内してもらった。作者は村人たちと和やかに交歓していたらしい。本作が黙示的ながら懐かしさを醸す理由がわかった気がした。
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「渇水」~渇いた心から迸るカタルシス

2023-06-09 16:38:51 | 映画、ドラマ
 世間の目は梨園とジャニーズ事務所に注がれている。芸能界には疎いし、ワイドショーも見ないからあれこれ述べても的外れだと思うが、ジャニーズについてはメディアの忖度もあって、性被害の実態が隠蔽されてきた。立花隆が田中角栄の金脈を暴いた際、大手新聞社の記者連中は<前から知っていた>と嘯いたことと重なった。

 性被害で蝕まれた者、結果として成功を手にした者……。この微妙な境界が問題を複雑にしており、ジャニーズ系を応援してきたファンの心は揺れているはずだ。そのうちのひとり、ジャニーズ事務所所属の生田斗真が主演した映画「渇水」(高橋正弥監督)を新宿で見た。河林満の同名の原作は33年の芥川賞候補作である。

 生田の主演作はBSやCSでオンエアされた際に見たことがあるが、スクリーンで接するのは初めてだった。生田が演じるのは前橋市水道局職員の岩切だ。熱波に襲われ給水制限が発令される中、岩切は後輩の木田(磯村勇斗)とともに停水執行を行うため、料金滞納者宅を回っていく。冒頭で恵子(山﨑七海)と久美子(柚穂)の小学生の姉妹が水のないプールで遊ぶシーンが、ラストと鮮やかなコントラストをなしていた。

 岩切と木田が最終通告に訪れたのは、姉妹の母有希(門脇麦)の家だった。蒸発した夫は姉妹の記憶の中だけで生きている。育児放棄した有希は男を頼って生きており、電気もガスも止められていた。「渇水」はシンクロする二つの家族のドラマであることが浮き彫りになる。有希が岩切を抱き寄せ、「旦那みたいに、水の匂いがする」と囁くシーンが象徴的だ。岩切は水道局職員で、有希の夫は船乗りという設定だ。

 岩切はトラウマを抱えていた。子供の頃、家族とうまくいかず、その影響なのか愛を伝える術がわからない。妻和美(尾野真千子)は息子の崇を連れて実家に帰っている。岩切は渇いた心で壊れそうになりながら食い止めていた。和美を訪ねた帰途に見た瀑布が変化のきっかけになる。

 原作発表から30年余。当時はバブル崩壊直前とはいえ、世帯の可処分所得は高かった。現在、政策の失敗もあって格差が拡大し、先進国の中でも貧困率は高い。映画化は時機にかなっている。停水執行に向かう車内で、姉妹に同情する木田は「水なんて無料でいいんじゃないですか」と問いかける。岩切は「自分は粛々と仕事をするだけ」と返した。

 欧州では水道民営化への抗議が広まり、パリとベルリンでは水道事業が公営に戻った。根底にあるのは2015年のバルセロナが起点になったミュニシパリズム(住民自治、草の根政治改革運動)で、木田の言葉は<コモン=全ての人にとっての共用財、公共財>を軸に据えるミュニシパリズムと遠くない。酒を飲んだ帰り、岩切がダムを占拠して水道代を無料にするという〝水道テロ〟を夢想するシーンは、後半への布石になっていた。

 岩切の心象風景が浸潤する微妙な表情の移ろいは本作の肝だったし、木田役の磯村も日常のささやかな変化を好演していた。前回紹介した映画「波紋」にも出演していたし、最も旬な俳優といえるだろう。宮藤官九郎、柴田理恵、田中要次、大鶴義丹など豪華な脇役陣が本作を支えていた。向井秀徳の主題歌も内容にマッチしている。

 映画の主人公にシンパシーを抱くことも少なくない。本作の岩切は社会的地位を失うことは覚悟の上で、ささやかなテロに打って出た。呼応するように渇いた空から大粒の雨が降ってきた。熱く湿ったカタルシスの後、着信音が鳴る。エンドマークの先に希望の光が灯った。当初は「怪物」を見る予定だったが、前倒しにした「渇水」は年間ベストワンクラスの傑作だった。
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先駆者エドガー・アラン・ポーの煌めき

2023-06-05 18:38:23 | 読書
 藤井聡太新名人誕生が大きなニュースになっている。朝日新聞も1面トップだけでなく、2面、社会面も関連記事で埋め尽くされていて、〝日陰者〟の頃から将棋ファンだった俺も感慨ひとしおだった。対局番組をアメフトやラグビー、ボクシングを観戦するように楽しんできたが、最近は上質なミステリーの味わいを覚えている。

 例えば名人戦第5局。後手藤井の72手目△6六角に渡辺明名人が▲同金と応じていれば優勢を維持出来たが、長考の末に指した▲2三桂で互角になる。この間、両者の脳裏にいかなる局面が表れていたのか凡人にはわからない。これぞミステリーで手練れの解説陣も謎解きは出来なかった。

 ミステリーの原点を読了した。積読本の中から選んだエドガー・アラン・ポーの短編集2冊(巽孝之訳、新潮文庫)を読了した。「ポー短編集Ⅰ ゴシック編」には「黒猫」、「赤き死の仮面」、「ライジーア」、「落とし穴と振り子」、「ウィリアム・ウィルソン」、「アッシャー家の崩壊」の6作、「ポー短編集Ⅱ ミステリ編」には「モルグ街の殺人」、「盗まれた手紙」、「群衆の人」、「おまえが犯人だ」、「ホップフロッグ」、「黄金虫」の6作が収録されている。

 この12作は1838年からポーが亡くなる49年までに発表されており、推理小説という形式を世界に示した作品群だ。ピックアップして何作かを紹介したい。「黒猫」はゴシック(=幻想的)、ホラーに分類される作品で、キーワードは<天邪鬼>だ。<やってはいけないとわかっていながら悪い行いに手を染めてしまう>悲しい人間の性を背景に描かれている。

 主人公は優しい性格でペット愛好家でもある。中でも溺愛したのがブルートーと名付けられた黒猫だが、酒に溺れて壊れていく。妻やペットに暴力を振るうようになり、ブルートーの片目を潰してしまう。本作に重なったのは、目取真俊の「署名」で、知人に殺され吊るされた猫が出てくる。目取真はポーにインスパイアされたのか。

 「ライジーア」と「アッシャー家の崩壊」には共通したモチーフがある。それは死者の再生だ。主人公は最愛の妻ライジーアの死を受け入れられず、2人目の妻ロウィーナも失う。だが、死の床から立ち上がったロウィーナはライジーアそのものだった。スケールアップした「アッシャー家の崩壊」には友人のロデリック・アッシャーの屋敷を訪れた主人公が見聞したことが描かれている。

 ロデリックによる双子の妹マデラインの生き埋めがストーリーのメインだが、アメリカ南部におけるスピリチュアリズムの浸透、奴隷制度が背景にあるのではないか。南北戦争は本作発表から22年後に勃発した。一族、屋敷だけでなく、価値観の崩壊を予兆させる物語だ。

 別稿(2月27日)でドストエフスキーの「二重生活」を紹介した。同作は1846年発表で、ドストエフスキーはポーを読んではいないはずだ。だが、ドッペルゲンガー(自己像幻視)をモチーフにした「ウィリアム・ウィルソン」(39年)とは近似的だし、ロンドンを彷徨う男を主人公に据えた「群衆の人」(40年)は「二重生活」と同様、<都市小説>の走りといえる。アメリカとロシアで偉大な作家は等質の空気を吸っていたのだろう。

 推理小説の先駆けといえるのが「モルグ街の殺人」と「盗まれた手紙」だ。舞台はパリで、語り手が友人であるオーギュスト・デュパンの推理を披瀝する。謎解きだけでなく、<天才的な探偵-平凡な相棒>のバディはミステリーの定番になった。ホームズとワトソン、ポアロとヘイスティングス、そして現在の「アストリッドとラファエル」に至るまでそのスタイルは継承されている。

 ゴシックでもホラーでもなく、肉感的な恐怖を覚えた「落とし穴と振り子」、ミステリー映画を見ているような「おまえが犯人だ」も記憶に残るが、「黄金虫」には先駆者としての煌めきに溢れていた。暗号解読という点でホームズの「踊る人形」、宝探しという点で「マスグレーヴ家の儀式」への絶大なる影響が窺える。積読本の中からポーを〝発見〟出来て幸いだった。
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「波紋」~壊れる者、壊す者の境界に広がる

2023-06-01 19:29:24 | 映画、ドラマ
 前稿末でダービーを予想した。急に気になった馬として挙げたドゥラエレーデがスタート直後に落馬して競走中止。◎▲△が2~4着も、勝ったタスティエーラを外していたのだから仕方ない。レース中に急性心不全を発症したスキルヴィングがゴール直後に死亡した。動物虐待と非難する声も上がっているが、サラブレッドは〝経済動物〟だ。9割以上が殺処分されているという過酷な事実の上に成立しているのが競馬というゲームである。

 藤井聡太竜王が渡辺明名人を下し、史上最年少名人と7冠を達成した。後手藤井の6六角を渡辺は同金と取らずに長考。2三桂を打った時点で形勢は五分になった。あとは〝藤井曲線〟でリードを広げて押し切った。合理主義者の渡辺は諦念を滲ませていたが、3日前に叡王戦で藤井に挑んだ菅井竜也八段は2局の千日手の末に敗れた後のインタビューでも悔しさを隠さなかった。

 最初の指し直し局で菅井が6一歩を打っていれば回避出来た。菅井がやや有利との分析もあったが、時間も切迫する中で千日手を選んだことを「死ぬほど後悔している」と話した。藤井について感じたことを聞かれ、しばし沈黙した後、「将棋に真っすぐに接している」と答えた。〝真っすぐ〟は同様の菅井は今回の叡王戦でファンの心を掴んだ。藤井とタイトル戦で再度戦う日を心待ちにしている。

 新宿武蔵野館で「波紋」(2022年、荻上直子監督)を見た。先週末に公開されたばかりなので、ストーリーの紹介は最小限に感想と背景を記したい。昨年10月に紹介した「川っぺりムコリッタ」以来4作目になる荻上ワールドで、本作でも生と死の淡いはざま、家族や絆の在り方を描いていた。

 「波紋」の起点になっているのは3・11だ。原発事故による放射能汚染を伝えるニュースがテレビから流れている。東京郊外の須藤家では依子(筒井真理子)が夫・修(光石研)、長男・拓哉(磯村勇斗)のために夕飯を用意していたが、ありふれた家族の日常は突然、崩壊する。修が失踪し、拓哉は九州の大学に進学する。

 それから11年。依子はスーパーでレジ打ちのパートをしている。彼女の心象風景を象徴的に表すのが全編に織り込まれた雨と波紋、自転車で滑走するシーンで、赤が映像を引き締めていた。修が丹精込めて造り上げた庭は波紋状の砂の上に構成された枯山水に様変わりしている。修が前ぶれなく帰ってきて、「父の仏前に手を合わせたい」という。依子が看取った修の父は半年前に亡くなっていた。

 がんに冒されている修は、室内の劇的な変化に驚く。仏壇にはガラスの球体が飾られ、ペットボトルが並んでいた。緑命会という新興宗教に入信して依子は、緑命水を大量に購入していた。会の集まりで代表役のキムラ緑子や会員役の江口のり子らとともに依子が踊る予告編に、宗教がメインテーマと勘違いした人もいるだろう。

 寛容を説く教祖だけでなく、依子にはもう一人の〝先生〟がいた。レジ打ちのパートをしているスーパーの清掃員である水木(木野花)だ。一緒にジムで泳ぐようになった水木は依子に男(修)への復讐を勧める。プールで体調を崩して搬送された水木の自室を訪ねた依子は汚部屋に衝撃を受けた。<あの大地震の後、何事もなかったように世間が流れるのに違和感を覚えた>と語る水木にとっても3・11がターニングポイントだった。

 壊れそうで耐える女……。そんな依子のイメージが変化していく。修に対してだけでなく、レジでクレームをつける老人(柄本明)への対応でも自身の思いを貫くようになる。帰省した拓哉が婚約者として紹介したのは年上で聾者の珠美(津田絵理奈)だった。壊れる者、壊す者の境界があやふやになり、拓哉の言葉で依子もまた壊す側であったことが明らかになる。

 現在62歳の筒井真理子の存在感に圧倒される。学生時代は第三舞台に所属し、その後は刑事ドラマ、2時間ドラマの常連になる。50代半ばで主演した「淵に立つ」と「よこがお」は映画祭で高い評価を受け、「アンチポルノ」ではヘアヌードを披露している。本作でも荻上監督は筒井の魅力を引き出していた。喪服で雨の中、フラメンゴを踊るラストが記憶に残る。長い女優生活で内面を磨いていたからこそ飛躍出来たのだろう。
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