酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ポストカーズ・フロム・ア・ヤング・マン」~マニックスから届いたマニフェスト

2010-09-28 00:05:20 | 音楽
 欧米バンドのメッセージを正しく理解するのは難しい。例えば、字面(邦訳歌詞)上は極めてラディカルなMUSE……。“MTV EXIT”とのコラボ曲のタイトル「MKウルトラ」は、CIAによる洗脳活動のコードネームでもある。

 彼らのメッセージがどこまでリアルなのか、俺には判断がつかない。かつて知人を介して英語圏の音楽通と話す機会があったが、いずれも〝常識〟を吹っ飛ばされ、日本人として洋楽を聴く限界を思い知らされたからだ。

 <黒人のコミュニティーじゃ、プリンスはジョークに過ぎない。スモーキー・ロビンソンの焼き直しで、まともに受け止めてる奴なんていないよ>……。

 元米兵の黒人(輸入業者)は20年前、日本のメディアが神格化していたプリンスを斬り捨てた。

 <メッセージを信じるに足るバンドは、UKじゃマニック・ストリート・プリーチャーズぐらい。高等遊民の僕なんか、連中にとっちゃ敵だろうけど>……。

 5年前、ロンドン出身の英会話教師はいかにもインテリのネイティヴらしく、数多のバンドの仮面を剥いでくれた。
 
 比類なきインテリジェンスを誇るマニックスが、1年4カ月の短いインターバルで新作「ポストカーズ・フロム・ア・ヤング・マン」を発表した。彼らは90年代後半、オアシスの失速を埋める形で<国民的バンド>に上り詰めたが、世紀が変わってからは量的な勝負を避けている。左翼としての矜持から必然の帰結だと思う。

 前作「ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ」では、リッチー(現在も行方不明)が遺した散文や詩にエッジの利いたサウンドを被せた。アルビニ独特のスタジオライブのアナログ一発録りで、マニックスは原点に回帰した。

 前作のライナーノーツでニッキーはUKニューウェーヴへのオマージュを明かしていたが、新作「ポストカーズ――」にはイアン・マカロック(エコー&ザ・バニーメン)が参加している。両者の接点は知らないが、攻撃性という面では共通点がある。

 最初に聴き終えた時、「失敗作?」と首をひねってしまった。ストリングスとコーラスが導入され、らしからぬマイルドなテーストになっていたからである。繰り返し聴いているうち、マニックスの辛口の本質がジワジワ染み出てきた。

 ポップな♯1「(イッツ・ノット・ウォー)ジャスト・ジ・エンド・オヴ・ラヴ」から、バンドのマニフェストというべきタイトル曲の♯2へと続く。♯3ではゲストのイアンとジェームズがボーカルを取っていた。バニーズの代表曲「ネヴァー・ストップ」のフレーズが流れるのはサービス精神か。

 バンドはカラフルな仕上がりを目指したようだが、アレンジの奥にあるストレートでモノトーンの素の音が広がってくる。ニッキーが中心になって書いた詞は、いつものように濃く、激しく、重くて深い。泣きが入った不惑オヤジたちの成熟と恬淡を示すアルバムがライブでどう化けるか、2カ月後(11月26日、スタジオコースト)が楽しみだ。

 併せて購入したブロンド・レッドヘッドの新作「ペニー・スパークル」も、前作「23」と並んで愛聴盤になっている。日本人女性カズとイタリア人の双子男性のユニットが奏でる音は、4ADレーベルでもあり、ニューウェーヴど真ん中だ。コクトー・ツインズの浮遊感と狂おしさが懐かしい人にはお薦めのバンドである。



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「告白」~心を抉る鋭利なエンターテインメント

2010-09-25 06:33:06 | 映画、ドラマ
 クリントン国務長官が<尖閣諸島は日米安保の適用内>との言質を前原外相に与えた翌日、中国がレアアース禁輸措置に言及した。すると、件の船長が釈放される。財界から政府へ懇請があったのかもしれない。

 人民元切り下げをめぐり対中制裁法案が下院に提出されるなど緊張が高まる米中だが、自動車産業など既に緊密な関係を築いた分野も多い。腹黒い両国のこと、表面の対決ムードに目をやっていると、足をすくわれかねない。尖閣諸島問題は螺旋状にねじれながら、普天間と繋がっている。

 「告白」(中島哲也監督)を先日、池袋で見た。同監督の「嫌われ松子の一生」には遊び心も窺えたが、「告白」は息つく間もない正攻法のエンターテインメントで、心をスパッと抉られた。原作(湊かなえ著)はベストセラーで、映画もヒットした。内容をご存じの方も多いはずなので、ネタバレありで記したい。

 終業式の日(3月下旬)、1年B組担任の森口悠子(松たか子)は衝撃の事実を告げる。自らの娘愛美を殺した2人の生徒を名指しして、警察には通報しない旨を伝えた。

 少年たちはいかにして自らの行為を償い、命の意味を噛みしめるべきか……。<罪と罰>の重いテーマをクラスに突き付け、悠子は学校を去る。2学期の始業式まで5カ月、教室の喧騒と熱は膨張していく。新担任の寺田(通称ウェルテル/岡田将生)の熱血が逆効果となり、空気は狂気の色を帯びてくる。

 主犯の修哉は三島由紀夫の小説に登場しそうなデモニッシュな少年だ。愛に飢える早熟の天才は、善ではなく悪に魅入られる。悠子の内側でも、愛が育んだ憎しみによって悪魔が目覚めた。ラストの悠子の歪んだ笑みに、息をのんだ人も多いだろう。

 深夜の舗道、悠子が蹲って咽び泣く印象的なシーンは、映画独自のものという。相前後して流れたのが主題歌「ラスト・フラワーズ」(レディオヘッド)で、静謐でダウナーな同曲は映像に怖いほどマッチしていた。

 悠子や修哉ほど宿命的な構図に組み込まれてはいないにせよ、人は誰しも喪失、絶望、孤独を背負って生き、同時にささやかな嘘、裏切り、不誠実を繰り返している。復讐譚といえる「告白」だが、勧善懲悪の薄っぺらさとは無縁で、負の感情や行為を重ねてきた俺の心にズシリと響くテーマを秘めている。

 ストーリーの進行を加速するのは、未成熟な人間には毒にしかならないネットやメールだ。IT時代、日本の悪しき伝統といわれる集団への埋没、排除の論理、強者への屈服は若い世代に確実に浸透している。B組の異様な光景は、日本社会の縮図ともいえるだろう。

 松たか子の存在感、「重力ピエロ」における悪魔的青年と真逆の個性を演じた岡田将生、共犯少年の母を演じた木村佳乃に加え、修哉役の西井幸人、美月役の橋本愛も光っていた。

 これまたヒット作の「悪人」を近日中に見る予定だ。映画と読書に浸る日々は続く。
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「善良な町長の物語」~愛と癒やしに溢れた寓話

2010-09-22 00:30:17 | 読書
 月曜8時は習慣でWOWOW「エキサイトマッチ」を見ているが、一昨日は内山高志の世界戦にチャンネルを合わせた。内山はパンチ力、ディフェンス、ハートとすべて世界標準のボクサーだが、もうすぐ31歳。渡米して能力に相応しいビッグマネーを手にするべきだと思う。

 ボクシング同様、勝者と敗者の明暗がくっきり分かれるのは恋だ。前稿に続き、恋に惑う中年男を主人公に据えた作品を紹介したい。「善良な町長の物語」(アンドリュー・ニコル/白水社)は、愛と癒やし、浮遊感と喪失感に溢れた寓話だった。

 舞台はバルト海沿岸の架空の町トッドだ。短い夏と厳しい冬、ロシアとの距離感、港町、路面電車、文化の薫り……。俺が本作に溶け込めた理由の一つは、トッドのイメージが函館に近いことだ。

 主人公は町長を20年務めるティボ・クロビッチだ。タイトル通り人格者のティボは独身で、日本の町長のように利権絡みの会合を開くこともない。裁判官も兼ね、路面電車トラムで通勤する庶民派だ。

 そんなティボが人妻に恋をした。プレーボーイで鳴らしたティボが、初心な少年になる。相手は秘書のアガーテで、ブコウスキー風に言えば〝町でいちばんの美女〟だ。幼い娘を亡くしたことで夫との間に埋め難い溝ができ、冷めた日々を過ごしている。ティボとアガーテの孤独な魂は次第に相寄り、めくるめく予感におののくようになる。恋する女性の五感が精緻に描写され、息が詰まるほど官能的な表現がちりばめられている。

 帯電した二つの心身が重なり合ってショートし、稲光がした刹那、恋の雷鳴が町中に響き渡る……。幸せの爆発が迫るにつれ、俺の中の下卑た虫が疼いてきた。「不倫がこれほどうまく進むはずがない。町のみんなも気付いてるんだろ。もっと騒げよ」と囁きかけるのだ。

 予兆はあった。帯に「マジックリアリズムがこの物語に起伏をもたらした」と記されているように、本作には仕掛けが施されている。ティボ、アガーテ以外に現れる一人称は町の守護神ヴァルブルニアのモノローグで、大聖堂から俯瞰の目で語っている。

 予知能力を秘めるママ・セザールは、アガーテを気遣いつつ助言を与える。訴訟の件でティボと敵対した異形のイェムコ弁護士は、別世界の案内人というべき存在で、状況をすべて把握した上で新たな生き方を提示する。

 たったの1日……。ティボとアガーテの思いが臨界点に達するわずかな時間差が、ほろ苦い悲恋への転調をもたらした。時機を逸して失くした恋、臆病さゆえに消えた恋……。皆さんにもティボと似た経験があるはずだ。ティボは絶望の淵に落ちたが、〝衝動という決断〟に身を委ね、夫以上に質の悪い男に縛られたアガーテも後戻りはできない。

 ティボはひたすら耐え、アガーテは崩れていく。悔恨と罪の意識に加え、思いがけぬ災難に襲われたアガーテは意志を放棄し、犬として振る舞うようになる。イェムコの尽力の下、再生と救済への逃避行が始まる。行き着いたのは、ふたりにとって約束の土地だった……。

 読書の秋、内外問わず多くの小説をリストアップしている。20代前半の新鮮な好奇心が甦ったのは嬉しい限りだ。


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「瞳の奥の秘密」~愛に根差した重厚なミステリー

2010-09-19 02:57:48 | 映画、ドラマ
 小林桂樹さんが亡くなった。享年86歳である。当ブログでは3度、小林さんの主演作について記している。「黒い画集~あるサラリーマンの証言」、「江分利満氏の優雅な生活」、「激動の昭和史 沖縄決戦」だ。飄々としたユーモアを漂わせた名優の冥福を心から祈りたい。

 今が旬の俳優といえば、野性で見る者をねじ伏せる内野聖陽だ。その不倫報道に、「俺があんなルックスだったらな……」と、しばしピンクの妄想に耽ってしまう。婚外恋愛が当たり前になり、離婚率が30%を超えた日本で、不倫は悪徳から憧れに転じつつある。夏目漱石が行間に閉じ込めた夢は100年後、現実になった。

 <不倫の構図>に身を置く中年男を主人公に据えた作品に続けて触れた。映画「瞳の奥の秘密」(09年、アルゼンチン/ファン・ホセ・カンパネラ監督)と小説「善良な町長の物語」(アンドリュー・ニコル)である。今回はアルゼンチン映画界の粋を結集し、'10アカデミー賞外国語映画賞に輝いた「瞳の奥の秘密」について論じたい。ストーリーは25年の歳月を行きつ戻りつするが、主演の2人は完璧なメークと繊細な演技で、若さと成熟を表現していた。

 1974年のブエノスアイレスで、銀行員モラレスの新妻リリアナが惨殺された。捜査打ち切り後も、裁判所職員のベンハミン(リカルド・ダリン)は飲んだくれの同僚パブロとともに、真相解明に奔走する。モラレスの深い愛に打たれたからだ。上司である判事補イレーネ(ソレダ・ビジャミル)は板挟みになりながらも、ベンハミンたちへの協力を惜しまない。取り調べの際の挑発は見どころのひとつである。

 タイトル通り、眦の力が物語を推進していく。数枚の写真における<瞳>から真犯人に至るが、ベンハミンとイレーネの互いを見つめる<瞳>は相寄ることはなかった。階層の壁を越える勇気がなかったベンハミンは、身の危険が迫ったこともあり、ブエノスアイレスを離れる。本作の肝というべきは、形を変えて繰り返しインサートされる駅のシーンだ。

 それから25年……。家庭と仕事を両立させて検事の地位にあるイレーネの元を、定年退職したベンハミンが訪れた。モラレス事件の真相を綴る小説を書く旨を伝え、壊れたタイプライターを借りる。〝A〟が打てないタイプライターという設定も計算ずくだ。相棒パブロはなぜ殺されたのか、モラレスと真犯人のその後は……。紙一重の運命と封印された謎が明らかになり、愛が育んだ狂気に彩られた結末に息をのむ。

 本作はアルゼンチン現代史の闇を背景にしたミステリー仕立ての重厚な物語で、四半世紀を超えた愛が芳醇な香りとともに甦る。犯人に迫る過程で、サッカー大国らしい仕掛けも用意されていた。俺にとって「瞳の奥の秘密」は、「息もできない」と並ぶ今年のベストワン候補である。同じくアルゼンチン映画の「ルイーサ」の公開を心待ちにしている。

 目は心を写す鏡という。俺の瞳が思いを伝えていないのは、心が淀んでいるせいだろう。愛は決して若者の専売特許ではない。挫折や孤独で魂を濾過した中高年こそ、愛にチャレンジするべき……なんて言えるのは、守るものを持たない<愛のプロレタリアート>の特権だけど……。


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秋の夜長~読書の友には<ジョイ・ディヴィジョンの息子たち>

2010-09-16 01:23:29 | 音楽
 民主党代表選は菅首相が予想外の大差で小沢前幹事長を破った。小沢氏が勝利を収めたとしても、<アメリカ>、<警察+検察>、<官僚機構>の三大権力とメディアに疎まれている以上、政権は茨の道になったはずだ。新自由主義者、エコノミスト、左派、反米ナショナリストと立場を超えた識者から〝劇薬小沢〟に期待する声が上がっていたが、所詮は外野席での話である。
 
 1カ月ほど前、グラストンベリー'10総集編をスカパーで堪能した。密度の濃いパフォーマンスの連続だったが、エディターズとザ・ナショナルが新たにアンテナに引っかかった。ともに俺がロックから遠ざかっている時期(04~09年)に頭角を現したバンドである。新作を発表したばかりのインターポールと併せて紹介したい。

 本を読んでも、映画を見ても、ロックを聴いても、<……に似ている>とカテゴライズし、既成の引き出しに仕舞う悪癖が付いた。俺ぐらいの年になると、〝経験の弊害〟と〝感性の鈍麻〟から逃れるのは難しい。

 新鮮さと同時にノスタルジーを覚えてしまうのは、インターポール、ザ・ナショナル、エディターズも同様だ。いずれもアルバムの完成度は高く、メランコリック、イマジナティブ、リリカル、サイケデリックと形容詞を奮発してしまう。共通する部分は大きいが、<ジョイ・ディヴィジョンの息子たち>と一括りするのは乱暴かもしれない。

 まずはNY派の先駆け、インターポールの新作「インターポール」から。前作「アワ・ラヴ・トゥ・アドマイヤー」(07年)でブレークしたが、1作でインディーズに戻る。主要メンバーの脱退など様々な葛藤を抱えていたようだが、開放感と切なさが混在する灰色のトーンは変わらない。バンド名を冠したタイトルや哀調を帯びたラストのインストゥルメンタルに、再出発への決意が窺える。

 ザ・ナショナルもNYを拠点にするバンドだ。2nd「ボクサー」と3rd「ハイ・ヴァイオレット」を併せて購入したが、底から湧き出るしなやかな情感が染み込んでくる。ニューウェーヴ色は感じるが、そこはアメリカのバンド、ルーツミュージックへのオマージュもちりばめられている。グラストンベリーではホーンセクションやバイオリンを導入していたが、インパクトはいまひとつで、アウトドアは似合わない気がした。

 最後に、一押しのエディターズを。2nd「アン・エンド・ハズ・ア・スタート」と3rd「イン・ディス・ライト・アンド・オン・ディス・イヴニング」は、UKロックの30年分の良質なDNAを結集した音だ。ニューウェーヴにシューゲーザーの薫りがアレンジされ、ダウナーでありながらキャッチーでもある。肝というべきはフロントマン、トム・スミスの伸びやかで表情豊かなボーカルだ。ホラーズ、フォールズとともに今後も追いかけたいUKバンドである。

 音は内向的だが、グラストンベリーでは躍動感に満ちたステージで聴衆の心を掴んでいた。フジロックの稿で絶賛したミュートマスに匹敵するパフォーマンスである。近日中にフルバージョンのブートレッグDVDを購入する予定だが、何より間近で体感したいバンドだ。

 秋の夜長は読書と相場は決まっている。今回記したバンドたちのナイーブで静謐な音もBGMに最適で、枯れかけた俺のイマジネーションに養分を与えてくれる。



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NFL開幕~濃密なドラマの始まり

2010-09-13 00:42:49 | スポーツ
 ヴィクトワールピサ(武豊)とナカヤマフェスタ(蛯名)が仏ロンシャン競馬場で、凱旋門賞のステップレースに出走した。ピサはニエル賞で4着、フェスタはフォワ賞で2着と明暗を分けたが、試運転としてはともにまずまずの内容だった。

 凱旋門賞の最有力候補だったバービンジャーは骨折で先月引退したが、種牡馬として日本にやって来る。2400㍍以上で実績を残した同馬と、社台が誇るサンデー系牝馬との組み合わせでどのような仔が生まれるか、POGに興じる者として興味は尽きない。

 9・11から9年、愚かしいコーラン焼却計画は中止されたが、アメリカ国内で反イスラム感情が高まっている。女性の方は気を悪くされるだろうが、「何て女々しい」が正直な感想だ。

 俺は<加害者意識=男、被害者意識=女>をリトマス紙に、身体と別に性別を分類している。人を成長させるのは、もちろん加害者意識の方だ。アメリカは自らの悪行――原爆投下、ベトナム戦争、軍事政権への加担、サラエボ空爆など――をカウントせず、攻撃されたら大仰に反応する未成熟国家だ。似たようなメンタリティーを共有する政治家は、日本にも少なくない。

 ステレオタイプで論じた嫌いはあるが、〝アメリカ的〟は一筋縄ではいかない。スポーツを例に挙げれば、情報分析が奨励されるNFLと、サイン盗みがご法度のMLBでは温度差が大きい。9・11をNFL的に解釈すれば〝計画を察知できなかったことは米当局の重大な過失〟となり、MLB的なら〝敵の卑怯な行為〟となる。

 待ち焦がれていたNFLが開幕した。今季もG+とガオラでフルバージョンを楽しむが、お薦めはガオラの方だ。G+ではインターバルで画面がアーカイブ映像に切り替わるが、ガオラはスタジオに戻してプレーを詳細に解説してくれる。村田斉潔氏の明晰さには感嘆しきりだが、<哲学とケミストリー>を軸に据える河口正史氏の右脳的分析も聞き応え十分だ。

 NFLはスポーツであると同時に、運が大きく左右する。桶狭間を彷彿させる奇襲がゲーム中、何度も試みられ、見る者を驚かせてくれる。昨季王者セインツの試合は実にエキサイティングだが、村田氏と河口氏は「開幕特番」で、キャンブル性の高いプレースタイルを理由に挙げていた。

 スティーラーズQBのロスリスバーガーは昨秋、特別ホストとしてWWEの「RAW」に登場した。「シーズン中にこんなのあり?」と俺は首をひねったが、危惧は翌週以降、現実になる。前年度王者は失速し、プレーオフ戦線から脱落した。驕り、内紛、緩みが負のスパイラルになって、チームを崩壊させたケースは数え切れない。逆に言えば、相乗効果でプラスを膨らませたチームが王座を引き寄せる。3季前のジャイアンツがその典型だ。

 漫然と見ていても力が入らないので、応援するチームを決めた。AFCはドルフィンズとテキサンズ、NFCはファルコンズと49ersで、いずれも昨季はプレーオフ進出を逃している。中でも注目は49ersで、従来のスマートなイメージと異なり、厳格なヘッドコーチ、挫折から這い上がったQBを軸にした泥臭いチームだ。相手関係に恵まれ、地区優勝は堅いと思う。

 プレースタイルがひいきの基準だから、シーズン中の浮気は毎度のことである。これから5カ月、究極のスポーツエンターテインメントをたっぷり満喫したい。


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「インセプション」~夢現の狭間でロールプレーイング

2010-09-10 03:16:42 | 映画、ドラマ
 遮眼革を着けた拗ね者ゆえ、目に映る景色は歪んでいる。例えば民主党代表選……。俺は<菅VS小沢>ではなく、<野中VS小沢>を対立項に据えている。

 機密費の存在を公にしながら具体名を明かさぬ野中元官房長官にメディアは脅え、反小沢の旗幟を鮮明にした。麻生政権時にも野中氏の影響力が窺えた「週刊文春」の最新号には、「小沢一郎と青木愛の密会映像」の見出しが躍っていた。「まさか、あの鉄仮面が」と驚いたが、日本テレビとの連携による〝勇み足〟で、「週刊新潮」の方が正解らしい。

 事業仕分けで自らが会長を務める団体にメスが入ったことへの私怨だけでなく、野中氏の小沢氏への憎悪は根深い。ギリシャ悲劇やシェイクスピアほどの高尚さは望むべくもないが、〝角栄の2人の息子〟は余人の想像を超える確執を抱えているのだろう。

 倫理で政治家を測らない俺は、小沢氏を菅氏と同じ土俵で比較している。<社会(民主)主義>、<アメリカからの独立>が俺にとって重要なリトマス紙だから、必然的に小沢支持となるが、別稿にも記したように負けを予想している。

 長々と世間の常識とは程遠い妄想を記したが、ようやく本題に。新宿で先日、「インセプション」(10年、クリストファー・ノーラン)を見た。夢、記憶、潜在意識をテーマにした作品である。

 「空気人形」と「第9地区」は、ともにありえない設定なのにズシリと心に響いた。ところが「インセプション」には両作のように<フィクションを超えたリアリティー>を感じなかった。その理由を以下に挙げたい。

 サイトー(渡辺謙)が夢を操るコブ(レオナルド・ディカプリオ)に、ライバル企業の崩壊を依頼する。2人は仲間とともに夢の幾つもの階層で闘うが、商売敵の跡取りの青年は悪い奴ではない。ここまでしなくたって簡単に籠絡できるはずと思った瞬間、壮絶なアクションが無意味に思えてきた。<夢の中の死=現実の死>ではなく、リセットも可能である。

 ロールプレーイングゲーム風の流れに<重い愛>が織り込まれるから、全体として散漫な印象になる。「惑星ソラリス」のように、コブと亡き妻モルの愛と葛藤を主題に据えた作品を別枠(続編?)で見たかった。この手の映画の常套手段というべき、見る側の判断に委ねるラストもしっくりこない。

 夢と現実の混濁は、実は俺の得意技である。20年近く前、出身高(男子校)が数年後、共学になる夢を見た。夢の中で見たニュース番組や新聞記事を現実と錯覚し、同期生にも話したが、やがて事実無根であることが明白になる。俺は自分の行く末が不安になったが、今も靄がかかった日常を何とかこなしている。

 サラリーマン時代、後輩女子社員数人と混浴した夢を見た。翌日「一緒に風呂に入った夢を見たぞ。パーツは想像通りだった」などと彼女たちに話して回る。超弩級のセクハラだが、表面上は許されていた。振り返ってみれば、夢のような日々である。



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「悪貨」~資本主義の彼方に咲くのは彼岸花?

2010-09-07 01:08:41 | 読書
 フランス政府のロマ国外送還が波紋を呼んでいる。スロバキアで先月末、ロマ一家射殺事件が起きたばかりで、流浪の民の受難の日々は終わらない。日本ほどではないにせよ、異文化に寛容なフランスで排除の論理が頭をもたげてきたのは残念でならない。

 定住せず、キリスト教的世界観から距離を置くこともロマ迫害の理由だが、その影響力はとりわけ音楽の分野で顕著だ。ワールドミュージック、ロックだけでなく、日本や韓国の演歌に通底する情感も窺える。

 さて、本題。島田雅彦の「悪貨」(講談社)を読んだ。恥ずかしながら〝島田初体験〟である。以前<この20年、村上春樹を読んでいない>と記したが、戦後文学が一段落した80年代以降、日本の作家から離れてしまった。

 これほどのエンターテインメントを敏腕プロデューサーが放っておくはずがなく、「悪貨」は確実に映画化されるだろう。42章から成る本作は既にシナリオに近く、魅力的な台詞に溢れている。島田にはコテコテの純文学という先入観を抱いていたが、本作では修飾が排されていた。

 島田がいかにして現在の文体、世界観に至ったか、長年のファンなら理解しているはずだが、一見さんの俺は、「悪貨」を独立した作品として論じるしかない。テーマは資本主義で、絡まり合った宿命の糸は次第にほどけ、一本に収斂していく。

 冒頭は「ラルジャン」(ブレッソン、82年)を彷彿させる。ホームレスが手にした100枚の偽一万円札は、若者たち、キャバ嬢、その父の農園主へと渡りながら、それぞれに不幸をもたらす。偽札捜査のキーマンである通称フクロウは、寝食を忘れて真偽を究めるうち、自らの過去に連なるサインを発見した。

 <悪貨は良貨を駆逐する>のグレシャムの法則通り、偽札の流通量が全体の0・01%を超えるとインフレ危機に直面するという。ちなみに0・01%は100億円前後で、「悪貨」では4倍に当たる400億円が流通し、日本経済は崩壊した。

 本作の背景にあるのは、現在進行形の中国による日本買いだ。マネーロンダリングの拠点になっている宝石商に潜入した女性刑事エリカは、謎めいた野々宮に魅せられていく。このふたりのフェイクからリアルへと転調する悲恋がサイドストーリーで、野々宮の伝言<ヴェネチアで待っている>が胸を打つ。

 <彼岸コミューン>は、格差と貧困を生み、人間を苦しめる資本主義の彼方にある社会のモデルケースといえるだろう。野々宮は創始者の池尻と〝仮想の父子〟であり、瀋陽から秘密裏にコミューンを援助する。

 日本買いの中心人物である中国人実業家の郭解が、野々宮にとって偽装の父だ。心が通った父(池尻)、いずれ牙を剝くべき父(郭解)、そして野々宮……。三者の相克が物語に厚みを増している。

 <売ったのは偽の魂です。本当の魂は今もイケさんと「彼岸コミューン」の側にあります。ぼくは中国人の悪魔を利用して、日本の経済を牛耳ってきたユダヤ人やアメリカ人の悪魔に一泡吹かせてやりたかったんですよ>……。

 野々宮は池尻にこう弁明し、日本銀行を支配する国際機関の仮面を被ったロスチャイルドやロックフェラーを、偽札造りより悪辣と批判する。悪魔に勝つために、悪魔を利用し、自らも悪魔になる……。目論見通り事は運ばない。愛に渇く野々宮は悪魔になりきれず、売国奴と化した日本政府の裏切りに遭い、ささやかな破滅を迎える。

 作家の力量ゆえか、シーンのひとつひとつが映画を見たかのように浮かんでくる。平野啓一郎、池澤夏樹同様、発見が遅きに失した島田だが、「悪貨」には感嘆させられた。旧作も読み、いずれ感想を記したい。



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「妖しき文豪怪談」~和の情緒を堪能した夜

2010-09-04 05:00:26 | 映画、ドラマ
 広瀬章人6段(23)が深浦王位を4勝2敗で下し、タイトルを獲得した。新王位は現役早大生で、ブログを読む限りキャンパスライフも満喫している。20代の精鋭たちが後に続き、棋界を活性化させることを願っている。

 BSハイビジョンで「妖しき文豪怪談」(全4話)の再放送を録画し、毎夜1話ずつ見た。併せて放映された原作の背景やメイキングも、作品理解に大いに役立った。

 第1話は「あたし、片腕を一晩お貸ししてもいいわ」という印象的な台詞で始まる「片腕」(川端康成/落合正幸演出)だ。中年男(平田満)は若い女(芦名星)から預かった右腕を外套に隠し、自宅へと向かう。

 靄の中で奇妙なニュースを伝えるラジオ、白い車の運転席からいわくありげな視線を遣る女、虫を閉じ込めた透明の球、半日でつぼみから花弁を開いた泰山木……。官能的でシュールなシーンの連続で、男は片腕と言葉を交わす。

片腕「人間が覗いても、あたしのことは見えないわ。覗き見する者があるとしたら、あなたのご自分でしょう」
男「自分って何だ、自分はどこにあるの」
片腕「自分は遠くにあるの。遠くの自分を求めて、人間は歩いていくのよ」
 
 余韻が去らぬ作品で、謎の幾つかは解けないままだ。アイデンティティーもまた、テーマの一つかもしれない。

 第2話は「葉桜と魔笛」(太宰治/塚本晋也演出)だ。無機質な都市を疾走する塚本ワールドは、20世紀初頭の山間の村に舞台を変えても〝らしさ〟を失わず、自然の魔性を禍々しく描いていた。

 死の床に伏す妹(徳永えり)、看病の日々を過ごす姉(河井青葉)……。姉妹はそれぞれ、狂気すれすれの純粋な恋に身を焦がしていた。姉のしめやかな恋は、真夜中に這う異形の幻を生み、森を戦場とシンクロさせる。絶望に苛まれた妹は、恋の独り芝居に興じていた。

 頑迷な支配者として描かれた父(國村隼)が、どうやらオチに一枚噛んでいる。救いとユーモアに心が和むエンディングだった。
 
 第3話は原作を大胆に翻案した「鼻」(芥川龍之介/李相日演出)だ。原作では高僧の地位を保証されていた禅智内供だが、ドラマではボロを纏った托鉢僧(松重豊)に転じている。その鼻はただ大きいだけでなく特殊メークが施され、僧はフリークスとして差別と直面する。心ならずも死に至らしめた少年の幽霊は、悔恨のメタファーとして僧を苦しめた。

 李監督は在日3世で、厳しい差別を体験してきた。本作の僧に自らを重ねたことは明らかだが、ただ痛みを訴える被害者意識とは無縁だ。鼻を切り取られる直前の僧の独白<醜いのは鼻ではなかった>が本作の主題を浮き彫りにしている。李監督は<差別―被差別>の構造が、いずれの側の人間をも歪めることを訴えた。

 第4話は喪失感に満ちた「後の日」(室生犀星/是枝裕和演出)だ。夫婦(加瀬亮、中村ゆり)の元を、死んだ息子が訪ねてくる。息子は夫婦仲を取り持つだけでなく、時に刺々しくもする。いずれかが気を配っていれば死を防げたという悔いを、二人が共有しているからだ。

 生と死の淡い境界を描いてきた是枝監督は、一つの仕掛けを用意する。本作に登場する息子は、1歳で死んでからあの世で7歳に成長している。犀星の伝記的作品を幽霊譚と重ねることによって、喪失感と陰翳はさらに濃くなった。

 少年は幽霊ではなく、家庭的温もりを求めて若夫婦を訪ねた〝こちら側〟の存在だったかもしれない。答えは見る側に委ねられるが、このファジーさもまた日本的感性の一面といえるだろう。

 文豪と日本を代表する映画監督のコラボは、いずれ劣らぬハイレベルの作品を生み出した。残暑厳しい折、4夜続けて和の情緒を堪能できたのは幸いである。



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闘いに萌える秋~民主党代表選に思うこと

2010-09-01 01:11:30 | 社会、政治
 安全な場所から、パンチの応酬を眺める……。俺のような野次馬に、これ以上の快楽はない。闘いに萌える秋がやって来た。最も注目するNFLについては稿を改めて記したい。

 史上空前の混戦に、関心のないプロ野球にまでチャンネルを合わせるようになる。にわかに肩入れしているのはヤクルトと日本ハムだが、クライマックスシリーズ圏に浮上できるだろうか。

 サッカー日本代表の次期監督がザッケローニ氏に決まった。30日付1面はスポニチがザッケローニ、日刊はペケルマン……。勝者はスポニチだったが、両紙のライバル意識はすさまじく、これからもスクープ合戦を繰り広げるだろう。

 欧州リーグが開幕した。サッカーに割ける時間は限られているので、リーガを中心に見ていきたい。〝空気を変える男〟モウリーニョを迎えたレアル・マドリードの開幕戦はスコアレスドローだった。対照的に好スタートを切ったのはバルセロナで、メッシ、イニエスタ、移籍したビジャの3発でラシンを圧倒する。今季は熟成したバルサに分がありそうだ。

 羽生名人が久保2冠を破り、渡辺竜王への挑戦権を得る。羽生は2年前、3連勝後によもやの4連敗で辛酸を舐めた。羽生には今回も全冠永世称号が懸かっている。竜王戦になると5割増しの力を発揮する渡辺と、背筋がゾクゾクするような番勝負を期待したい。

 民主党代表選に小沢前幹事長が立候補し、闘いの秋はいきなりヤマ場を迎える。各メディアが週明けに発表した世論調査では、菅首相支持が小沢氏を圧倒していた。小沢氏はあまりの不人気に萎え、出馬回避に傾いたと想像していたが、ここで引いては自らの賞味期限が切れると腹を括ったのだろう。

 政権交代から1年、日本を実質的に動かしている存在が見えてきた。一にアメリカ、二に警察(=検察)、三に官僚機構で、それぞれが水面下で絡まり合い、おどろおどろしい伏魔殿を形成している。

 普天間移設問題で〝51番目の州〟としての日本の位置が明らかになった。アメリカへの配慮で実効ある経済政策を打てないと指摘する識者もいる。半世紀以上かけて強化された官僚機構の岩盤を砕くには、最低でも10年はかかるだろう。何も変わらないと民主党を責めるのは酷ではないか。

 政権交代の結果として望んだ社会の活性化は、全くといっていいほど進行していない。自分で考え、意思を表現し、議論して接点を見いだすというシステムが失われているから、俗情と結託したメディアに操られてしまう。安倍、福田、鳩山の3政権の異常な壊れ方は、<井戸端民主主義>が蔓延した結果だと思う。

 母からの電話で小沢氏の悪口を聞かされるが、大抵は週刊文春と週刊現代の受け売りである。両誌はいまだ野中広務氏の影響力が強く、<反小沢色>が濃い。週刊新潮は立ち上がれ日本を〝民主の別動隊〟とこき下ろしたが、野中氏と気脈を通じる石原都知事を慮ったのか、文春の論調はかなり優しかった。前々号の週刊現代は立花隆氏と野中氏の〝ありえない夢の対談〟をセッティングし、小沢氏について言及していた。ちなみに週刊ポストは小沢寄りである。

 俺はまだ、小沢氏の実像を掴みかねている。小沢神話が政策としてリアルな姿を取った場面を知らないからだ。「ニュースの深層」で金慶珠氏は小沢氏の手法を「ノーフレーズ・ポリティックス」と評していた。的を射ている気もするが、小沢首相に期待を寄せる声も小さくない。

 菅首相を〝アカ攻撃〟するメディアは的外れだ。菅首相は学生時代、左翼支配から大学を解放するために闘い、石原都知事からも一目置かれていた。ちなみに森田実氏は菅首相を米共和党に近い新自由主義者に分類している。プロの目からも幅広い見方が成立するようだ。

 どちらが勝つか……。原則好きの小沢氏ではなく、柔軟な風見鶏の菅首相だと思う。これから2週間、メディアは小沢攻撃を繰り返すだろう。俗情が名を変えた世論に、政治家が左右されないはずはない。





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