酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ルイーサ」が映す老いの形~どん底で射した光とは

2011-01-30 02:49:55 | 映画、ドラマ
 延長で決着したアジア杯決勝を深夜まで観戦した。川島の好セーブ連続と長友の頑張りを、李の決勝ボレーが結実させる。チーム全体の耐久力は国民性に即した個性といえるだろう。見ている側も疲れる消耗戦だった

 新宿シネマートで先日、「ルイーサ」(08年、ゴンサロ・カルサーダ監督/アルゼンチン=スペイン)を見た。良質な作品なのに、スクリーン2(定員62)の客は俺を含め2人だけだった。

 本作同様、ブエノスアイレスを舞台にした「瞳の奥の秘密」は社会状況、秘められた愛、ミステリーの要素が織り込まれた濃密なエンターテインメントだったが、「ルイーサ」は高齢者の孤独と再生をテーマにした水墨画の趣だ。主人公の年齢(60歳)に近くないとピンとこない<R50>といえる。

 夫と幼い娘を不慮の事故で亡くしてから、モノトーンの生活に自らを押し込めていたルイーサ(レオノール・マンソ)を突然の不幸が襲う……。正しくは十分不幸な彼女に更なる不幸が重なったというべきか。

 唯一の癒やしで、目覚まし時計代わりでもあった愛猫ティノが死んだ。ルイーサはティノの死骸を箱に詰め、一つ目の職場である霊園に向かった。30年目で初めて遅刻した朝、積極経営を企てる2代目にクビを宣告された。後釜は若い美人である。

 二つ目の職場は大スター、クリスタル・ゴンサレスの家だ。家政婦として20年働いたルイーサに、クリスタルは自身の引退と郊外への引っ越しを告げる。ルイーサの仕事はなくなったのだ。

 理不尽な展開だが、ルイーサの心の持ちようにも問題はある。先代経営者が非社交的なルイーサを雇ってきたのは恩情ゆえだろう。ルイーサが胸襟を開くタイプだったら、クリスタルも別の形を選んだはずだ。ルイーサはプライドが高く、ハリネズミのように身構える。気遣ってくれるホセ(アパートの管理人)にも冷淡な態度で接してきた。

 30年働いても退職金はスズメの涙で、質素に生活しても貯金ゼロ……。これが当地の過酷な現実かもしれない。失業によってルイーサの目に、社会と世間が見えてきた。

 ティノを荼毘に付すため、300㌷が必要だ。ルイーサは地下鉄に乗り込み、「私はHIVで……」とか「子供が7人……」とか偽りの口上でカードを売ろうとするが、誰も買わない。障害者を装って物乞いするうち、膝下を失ったオラシオと交流するようになる。

 オラシオとホセの優しさに触れ、ルイーザは再生のきっかけを掴む。ティノを正しく葬ることで、哀しい過去を吹っ切れた。ラストでルイーサは、駅構内で演奏する若者たちに声を掛けられる。ストップモーションの後、ルイーサはきっと音楽に合わせて踊っていただろう。自分の壁を破ったルイーサは、孤独から解放されたのだ。

 人は何歳になっても脱皮することができる。俺の余命は15年程度だろうが、「ルイーサ」を見て少し希望が湧いてきた。
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耽美とエキセントリック~ブロンド・レッドヘッドの世界に浸る

2011-01-27 01:43:52 | 音楽
 アジア杯の日韓激突をじっくり観戦した。「元気がなくて大丈夫?」と内外から心配されている日本の若者だが、サッカーは例外のようだ。個性派揃いで伸びしろも十分、夢を感じさせるチームである。

 先日(24日)、「4ADナイト」(渋谷・O-EAST)に足を運んだ。同レーベル所属のブロンド・レッドヘッド、ディアハンター、アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティが集うイベントである。思いのほか客層が若く、開演前から熱気に溢れていた。気後れした老兵は、2階で全景を視野に収めつつライブを堪能した。

 7時少し前、アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティがステージに現れる。フロントマンはギンギラのグラムロッカーのいでたちで、ウエストコースト、ディスコ、ソウルといったレトロの要素もちりばめられていた。現状では散漫な印象は否めないが、調味料次第で〝カラフルな万華鏡〟に化ける可能性もある。

 ディアハンターの現れ方は、まるでエコー&ザ・バニーメンだった。メランコリックでサイケデリックな音は俺の好みだが、やや情念に欠けている。新作のタイトル「ハルシオン・ダイジェスト」は〝古き良き時代〟という意味らしい。彼らは確かに、ニューウェーヴ、シューゲイザー、グランジら先達のDNAを受け継いで消化し、硬質な統一感を保っていた。

 9時半を回る頃、お目当てのブロンド・レッドヘッドがステージに立つ。カズ・マキノ(ギター&ボーカル)はモデル体形の長身を悩ましげにくねらせ、空間を幻想的かつ頽廃的な美学で満たしていく。上記2バンドのファンには申し訳ないが、格というより次元の違うパフォーマンスで心を震わせてくれた。

 <ブロンド・レッドヘッドは4ADの中核だったコクトー・ツインズの後継者>いうイメージを抱いていたが、ライブが進むにつれ、もう一つの貌が見えてきた。90年代からニューヨークで活動する彼らはソニック・ユースの影響が濃く、ノイジーなビートを刻んでいた。耽美とエキセントリックを調和させるのが、カズの物憂げで官能的な声である。

 <アメデオ(ギター&ボーカル)=懸想する男、カズ=つれない女>がお約束の設定? 2人の立ち位置やしぐさにこんな誤解をしてしまったが、真相は違った。俺と同郷(京都)のカズが柔らかいイントネーションで聴衆に語りかける。「この2カ月、声が出なくて、わたし、おしまいかなって思いました」……。そうか、アメデオはずっとカズの声を気遣っていたのだ。

 カズに重なったのが、作家のカズオ・イシグロだ。長崎出身のイシグロは幼くして家族とイギリスに渡り、英語圏を代表する作家になった。作品の肝になっているのは、矜持、諦念、もののあわれ、形にならないものへの執着といった日本人独特の感性だ。〝英語で書く日本人作家〟イシグロの作品に触れるたび、ノスタルジックな気分になる。

 カズもまた、イシグロと同じではないか……。思いついたばかりの仮説で論理的に説明できないが、カズがブロンド・レッドヘッドのメンバーとして世界標準をクリアしたのは、グローバルを意識して英語で歌ったからではない。和の感性を音やパフォーマンスに浸潤させ、独自の世界を築いたからではないか。4ADからリリースされた3作には、小泉八雲が憧れた切なさと儚さが息づいている。

 最後に4AD史上のベストアルバムを挙げるなら、ディス・モータル・コイル(所属アーティストによるプロジェクト)の3部作だ。ブロンド・レッドヘッド同様、俺にとって〝独り占めしたい宝物〟である。


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「キック・アス」~善悪を超越した<ゲーム感覚>

2011-01-24 00:35:48 | 映画、ドラマ
 勤め人時代の後輩が先日、俺の逆夢をきっかけに一席設けてくれた。10年ぶりに再会したOGもいたが、タイムラグもものかは会話が弾む。連中によれば、前部署はある時期まで〝天国〟だったらしい。俺は無能な管理職だったが、〝居心地いい空気〟をつくったことが唯一の貢献かもしれない。

 宴までのつなぎに「キック・アス」(10年、マシュー・ヴォーン監督)を見た。アメコミ実写版は大抵、近未来の廃れた街を背景にしているが、本作の舞台は現在のニューヨークである。暴力シーンが多すぎるためメジャー各社に門前払いを食ったヴォーン監督は、自ら資金を調達して完成にこぎつけた。ブラッド・ピットも協力者のひとりである。

 〝面白すぎる〟と感じつつ、後ろめたさを覚えていた。<憲法9条―自殺―死刑は同じ文脈で語るべし>などと、俺は繰り返し論じてきた。それが偽善やポーズとは思いたくないが、本作で展開する<ゲーム感覚>の殺戮にどっぷり浸り、快感さえ覚えていた。

 余談になるが、「キック・アス」公開直前(昨年4月)、ウィキリークスが米軍によるイラク市民銃撃(07年)の映像を配信した。米兵が機上から30人余りを狙い撃つ場面(音声あり)は、<ゲーム感覚>の戦争の恐ろしさを全世界に知らしめる。〝大義〟は地に堕ち、ウィキリークスへの弾圧はさらに強まった。

 主人公のリゼウスキ(=キック・アス、アーロン・ジョンソン)は正義感の強い高校生だ。悪を懲らしめようと緑を基調にしたコスチュームで街に出るが、不良にボコボコにされる。志に実力が伴わないリゼウスキの日常とカットバックするのが、「ピストルズ」(前稿)を彷彿とさせる父娘の特訓だ。娘ミンディ(=ヒット・ガール、クロエ・グレ-ス・モレッツ)は10代前半ながら父デーモン(=ビッグ・ダディ、ニコラス・ケイジ)に匹敵する戦闘力を身に付けている。

 キック・アスと父娘が敵を共有するや、コメディータッチから一転、目が眩むようなアクションの連続となる。 殺戮の担い手はヒット・ガールだ。見る側は無垢な美少女が悪党どもを殺すのを暗黙のうちに認め、CGをフル活用した映像に、自らがプレーヤーであるかのような錯覚に陥いる。

 クロエは「ぼくのエリ~200歳の少女」(昨年10年7月27日の稿)のリメーク版“Let me in”(原題)でバンパイアを演じている。日本で公開されたら、映画館に足を運びたい。

 本作で再認識したのは、奔放なアメリカのハイスクールライフだ。ティーパーティーなど保守化の波は、大都市にまで届いていないようである。サントラも魅力的だった。主題歌は〝フレディ・マーキュリーの再来〟の声もあるMikaで、プロディジー、プライマル・スクリーム、スパークス、ニューヨーク・ドールズも映像にマッチしていた。

 ニューヨークが舞台といえば、毎週楽しみにしているのが「CSIニューヨーク」(WOWOW)だ。シーズンを重ねるごとに闇と孤独が濃くなり、見終えるたびに深いためいきをついてしまう。「シーズン6」冒頭、行動派で鳴るマックがシェイクスピアの警句を口にしたのは意外だった。

 ぶっ壊れた「キック・アス」、ダウナーな「CSIニューヨーク6」……。対照的に映る両者も、それぞれ巨大な像の断片なのだろう。俺は時々、「アメリカは……」と紋切り型で論じてしまうが、上っ面をなぞっているに過ぎない。身近でつぶさに観察している日本でさえ謎だらけなのだから、他国を理解できるはずもないのだ。
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「ピストルズ」~忘却と覚醒のファンタジー

2011-01-21 02:51:56 | 読書
 馴染みの床屋で髪を刈った。年が近い理容師とは毎度よもやま話で盛り上がるが、今回のテーマは<日本は変わった>……。とっかかりは人為的ミスによる新幹線運休である。<事務能力に長けた日本人は何事にも正確>という〝固定観念〟は日々ガラガラと壊れていく。

 「花を運ぶ妹」(池澤夏樹)に、〝インドネシア人が今も覚えている日本語はバカヤロー〟(趣旨)という記述がある。軍隊の後は経済でアジアを蹂躙した日本は30年前、<肉食系国家>の代表格で、現地での買春も厳しい批判にさらされていた。翻って現在の日本は、老いも若きも飼い慣らされ、<草食系国家>に転じてしまった。

 表層は確かに変化したが、時を経ても普遍かつ不変な感性がこの国には根付いているはずだ。それは居丈高ではなく、柔らかく切ない息遣いである。阿部和重の「ピストルズ」(10年、講談社)を読み終え、そんな思いを強くする。

 〝数年来の最高傑作〟という批評家、同業者(作家)の評価に、ミーハーゆえ飛びついた。タイトルから言葉の爆弾に撃ち抜かれることを覚悟したが、平易な語り口と構成に「本格小説」(水村美苗)が重なった。

 「ピストルズ」は650㌻を超える長編だが、魔法にかかったように読み進めた。「4ADナイト」(24日)の予習としてBGMに選んだブロンド・レッドヘッドと<忘却と覚醒のファンタジー>は至高のマッチングといえた。以下に、簡潔に本作を紹介したい。

 舞台の山形県神町は架空の地で、阿部の旧作に繰り返し登場するという。住民たちと一線を画す菖蒲家は広大な土地を所有し、60年代から70年代にかけてヒッピーたちが集っていた。呪術的、退嬰的な空気を醸し出す菖蒲家だが、外の空気と無縁ではなく、常に非定住者、行商、流浪の民が集うコミューンだった。

 語り部2人(わたしとああば)は主人公ではない。自らの言動が招いた結果に打ちのめされ、引きこもり状態だったわたし(書店主)は、疎遠になっていた娘との会話から、わたしを含め神町の住民は菖蒲家について何も知らないことに気付いた。

 次女のあおばが作家であることを知ったわたしは菖蒲家を訪ね、数奇な事実に彩られたサーガ、一子相伝の秘術を受け継ぐ<瑞生⇒瑞木⇒水樹⇒みずき>の孤独と葛藤を知ることになる。

 法と権力が及ばないコミューンは、普通の人々の目にいかがわしく映るが、神町の住民も甚だ危険な連中だ。事あるごとに自警団が結成され、よそ者への過剰反応が悲劇を生む。非暴力を唱える水樹の代になると、菖蒲家はサンクチュアリ、シェルターの様相を呈してくる。

 一子相伝の宿命は〝親殺し〟だ。<愛の力>を纏った少女みずきは10代にして幾つもの〝事件〟を起こし、時にカタストロフィーを未然に防ぐ。そのパワーを何かに例えるなら、次稿で紹介する「キック・アス」のヒット・ガールだ。

 期待が混じった妄想だが、俺は補遺を続編のプロローグと受け取った。みずきと異母兄カイトとの愛憎を軸にした壮大で破天荒な物語が用意されているかもしれない。





 
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ネタバレ抜きに語れない「相棒劇場版Ⅱ」

2011-01-18 00:12:56 | 映画、ドラマ
 NFLのディビジョナル・プレーオフが終了し、週末はいよいよカンファレンス・チャンピオンシップだ。ゲームマネジメントと勝負強さでシーズンを14勝2敗で乗り切ったペイトリオッツだが、爆発力のなさを突かれてジェッツに敗れる。珍しく俺の予言が当たった。次週以降、ヘッドコーチからして〝陽〟のイメージのジェッツを応援することにした。

 株主優待券を職場の同僚に譲渡され、「相棒劇場版Ⅱ―警視庁占拠! 特命係の一番長い夜」を銀座で見た。テレビシリーズともシンクロする大きな変化が起きるので、ネタバレご免で記すことにする。

 本作の肝はラストの衝撃だ。推理の部分は意外なほど平板で、「双頭の悪魔」、「潜入捜査」、「バベルの塔」、「サザンカの咲く頃」、「神の憂鬱」といった2時間SPのトップクラスより落ちるというのが全体としての印象である。捜一トリオに米沢鑑識課員といったお約束の面々、曲者揃いの警視庁幹部らが脇を固める中、籠城犯役の小澤征悦の野性味が光っていた。

 今や〝国民的刑事番組〟になった「相棒」(テレビ朝日)だが、認知されるまで時間がかかった。亀山薫(寺脇康文)の途中降板が話題になったシーズン7で平均視聴率が18%を超えたが、同局で後発の「臨場」はシーズン2で既に17・6%を記録している。

 <良質なドラマなのに、どうして人気が上がらないのだろう>……。制作サイドは忸怩たる思いを抱えつつ、優秀な脚本家を登用してストーリーの幅を広げていく。不断の努力を重ねる過程で、「相棒」は刑事ドラマ枠組みを超え、〝社会性〟を獲得する。

 歌舞伎町に監視カメラが多数設置された時、非難の声が上がったが、今はすっかり萎んでいる。刑事ドラマではコンビニや駐車場の監視カメラが当然のように捜査ツールに組み込まれ、警察のCIA化、FBI化は第一段階をクリアした……。

 一見無関係に思われるかもしれないが、この状況をどう捉えるかが「相棒」を論じる上での鍵になる。

 警察庁を警察省に格上げして安全保障へのコミットまで射程に入れる小野田官房長(岸部一徳)……、市民の論理に則り警察による自由の侵害にブレーキを掛けたい杉下右京(水谷豊)……。「劇場版Ⅱ」はテレビシリーズの対立項の延長線上にある。両者の不即不離の関係が、「相棒」の〝社会性〟を支えてきた。

 時に杉下を「青い」と諌める小野田はソフトランディングの名手だが、本作では少し様子が違う。ルール違反もなんのその、高圧的に振る舞い、非情さを前面に警視庁に揺さぶりを掛けたことが、悲劇の呼び水となった。

 シーズン2で明かされた通り、大河内監察官(神保悟志)は同性愛者だ。テレビシリーズで頻繁に神戸尊(及川光博)を呼び出すのは、職務を超えた片思いゆえと訝っていた。穿った見方だが、本作の推進役は〝恋愛感情〟ではないか。惚れた相手になじられるほどつらいことはない。神戸の怒りを受け止めた大河内は、思い切った行動で特命コンビの協力者になる。

 「相棒」と出合って8年余……。これからも変化を楽しみながら付き合っていきたい。小野田の不在をどうカバーしていくのか注目している。敏腕の制作チームのこと、準備に怠りないはずだ。

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ミッシェル・ガン・エレファント~燃え尽きた初期衝動

2011-01-15 05:26:58 | 音楽
 アメフト漬けの日々を過ごしている。NFLのプレーオフだけでなく、カレッジのボウルゲームまで録画して見ているから時間が足らない。BCSチャンピオンシップでオーバーン大が全米王座に輝いたが、創意工夫とギャンブル精神に溢れた敗者オレゴン大の戦いぶりも見事だった。

 相変わらずネタ切れだが、今回は<世界標準>をキーワードに記したい。

 「タイガーマスク運動」が全国に広がっている。民主党政権が社民主義を放棄した今、政府は当てにならない。矛盾に喘ぐ人々の役に立ちたいという<世界標準>の意識が、この国に定着すればいい。

 アジア杯の日本代表は本田圭、香川、長友、内田ら<世界標準>の選手揃いだが、無名軍団を圧倒できない。〝足し算〟が簡単に成立しないのは、サッカーという競技の特性なのだろう。

 言葉の壁が高いロック界はどうか。タカ・ヒロセ(フィーダー=ベース)、カズ・マキノ(ブロンド・レッドヘッド=ボーカル)らがトップシーンで活躍中だが、バンド(ユニット)として海外で評価されたのはコーネリアス、ボアダムス、ブンブンサテライツぐらいではないか。

 国内で活動しながら<世界標準>をクリアしたバンドを挙げるなら、ブランキー・ジェット・シティとミッシェル・ガン・エレファント(以下MGE)だ。両者はフジロックで00年、グリーンステージのヘッドライナーに指名されている。

 日本映画専門チャンネルで先日、「ミッシェル・ガン・エレファント“THEE MOVIE”―LAST HEAVEN―031011」(09年)を見た。幕張メッセに4万人を集めた解散ライブ(03年10月11日)とフジロック'98の映像に、初期インタビューなどが織り交ぜられている。殺気さえ覚えるパフォーマンスで〝鬼〟と評されたアベ・フトシ(ギター)追悼プロジェクトの一環として公開されたドキュメンタリーだ。
 
 CDは数枚持っているが、俺は決してMGEのファンではなかった。いや、ファンになるにはあまりに老いていた。ライブに触れたのはフジロック'98(豊洲、8月2日)の一度きりだが、最後方で目の当たりにした衝撃は忘れられない。死者が出なかったのが奇跡と思えるほどの混乱で、演奏は何度も中断される。聴衆を熱狂させるパワーに、「この瞬間、こいつらが世界一のバンド」と感じた。

 チバユウスケは悪声の部類に属するボーカリストだ。歌うというよりがなっていて、ビートを刻む楽器に近い。メッセージやイメージを歌詞に込めるのではなく、潔いほど日本語をぶっ壊して記号化しているのに、どこか哀調を帯びている。

 MGEの凄まじいライブ映像に触れるたび、「長くはもつまい」と感じていた。解散時、彼らは30代半ばだったが、肉体的にも精神的にも限界に達していたのだろう。一切の虚飾を排して真摯に自らを切り刻み、初期衝動を保ったまま燃え尽きた稀有なバンドだった。

 本作冒頭、メンバーがフジロック'98のステージに向かうシーンに、「俺たちは世界一だと思ってる」というチバのモノローグが重なる。<世界標準>どころか天辺まで突き抜けたことに、当人たちも気付いていたのだ。MGEという熱く乾いた麻薬を体験した若者はその後、どこに漂着したのだろう。

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既存メディアは絶滅種?~地殻変動への胎動

2011-01-12 00:09:00 | 社会、政治
 NFLがプレーオフに突入するこの時季、テレビ視聴時間が一年で一番長くなる。いきなりのアップセットにアドリナリンが沸騰した。負け越し(7勝9敗)で駒を進めたシーホークス(NFC西地区優勝)が昨季王者セインツを破る番狂わせで雑音を封じる。アメフトというスポーツが秘める魔性を改めて実感した。

 というわけで、頭の中はスッカラカンのネタ切れ状態だ。〝困った時のメディア批判〟を支離滅裂に記したい。

 左派は「大企業に媚びるテレビ局は、貧困や格差、派遣労働者の実態を報じない」、右派は「新聞は大規模な反中国デモを無視した」と怒っている。ちなみに、権力の内側で<メディアの力学>を知り尽くした俺の従兄弟(元自民党参院議員)は、「日本の新聞とテレビは一切信用しない」と最近のブログに記していた。

 <真実>と距離を置く既存メディアは、井戸端会議のレベルに堕している。話題の中心は小沢一郎氏だ……と書き、上杉隆氏がキャスターを務める「ニュースの深層」にチャンネルを合わせると、小沢氏がゲストで登場した。既存メディアでは<悪の権化>扱いの小沢氏だが、非記者クラブ系のジャーナリストからは高い支持を得ている。反検察、情報公開、脱官僚機構、自主外交が両者の接点といえるだろう。

 同じ〝隆〟でも、輝きが失せたのが立花隆氏だ。メディアへの影響力とダーティーさで他の追随を許さない野中広務氏と〝反小沢〟でタッグを組み、「週刊現代」で2度にわたって対談している。まさに愚の骨頂だ。上杉氏を結集軸にした独立系ジャーナリストを露骨に敵視し、排除に回っているというから、初心は溶けてしまったのだろう。〝日本のハルバースタム〟も昔の話である。

 帰省中の昨年末、京都新聞の社説に愕然とした。<排出権取引に消極的な菅政権は環境問題をどう考えるのか>と追及していたが、この点に関する限り菅首相は正しい。1年前ならともかく、<二酸化炭素地球温暖化主因説>は絶対的地位から後退し、北海道新聞、東京新聞に続き、朝日新聞もスタンスを変えている。朝日は温暖化について、昨年7月末に<偏西風蛇行説>、12月に<海水温上昇説>を1面で紹介していた。ちなみに海水温上昇に最も大きく〝寄与〟するのは原発である。

 排出権取引の前提は<二酸化炭素主因説=原発推進>で、バックに控えるのはゴールドマン・サックスだ。GSといえば現在、食料危機を人工的につくり出して数億人を飢餓に追いやったと批判されている。

 インターネットが導く明るい未来が喧伝されていた10年ほど前、権力中枢に連なる知人は<ネットは自由を促進するどころか、最終的に巨大な資金や権力を持つ者に支配され、「1984」的管理社会に導くツールになる>と語っていた。まるでMUSEの“RESISTANCE”が描く世界である。

 「ホンマかいな」が当時の感想だったが、彼の予言が的中した部分もある。GoogleはCIAと協力し、ウェブサイト、ツイッター、ブログを監視する「レコーデッド・フューチャー」に出資するなど、権力と寄り添う姿勢を打ち出した。
 
 ならば、ウィキリークスに期待しよう。オバマ大統領の強硬姿勢、前原外相のトンチンカンな発言はさておき、ウィキリークス支持を公言する先進国首脳も少なくない。「アサンジにノーベル平和賞を」なんて発言したロシアのメドベージェフ大統領は、自国の管理体制をどう考えているのだろう。

 ツイッターの登録者が日本で1200万人を超えた。上杉氏らジャーナリストだけでなく、堀江貴文氏、作家の平野啓一郎氏らツイッターの可能性を説く識者も多いが、万事ミーハーの俺はいまだ傍観中だ。まずはブログを究めたいというのが、偽らざる本音である。




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「白いリボン」~神秘的で暗示的なモノクローム

2011-01-09 00:18:10 | 映画、ドラマ
 勤め人時代の後輩女子(多くは既に退社)から、新年の挨拶を兼ねた〝そのうちメール〟を幾つも受信した。彼女たちとの再会が楽しみだが、俺ぐらいの年になると、〝忘れられていないこと〟がしみじみ嬉しい。

 郷里代表の久御山が流経大柏をPK戦で破り、決勝に進出した。自由奔放なパスを駆使する久御山は、5年前の野洲同様、高校サッカーの理想形を提示したといえる。吉報がもうひとつ、POG指名馬ターゲットマシンが寒竹賞を楽勝した。田中勝騎手とのコンビでクラシック戦線を賑わせてほしい。

 さて、本題。「相棒劇場版Ⅱ」、「アンストッパブル」、「海炭市叙景」と候補は幾つもあったが、「白いリボン」(09年/ミヒャエル・ハネケ、独=墺=仏=伊合作)を今年の〝スクリーン初め〟に選んだ。

 第1次大戦直前、北ドイツの農村で起きた奇妙な事件の数々が、教師(クリスティアン・フリーデル)を語り部として描かれる。<あの出来事が恐らく、当時の我が国そのもの>と、教師は来るべきナチズムを射程に入れて回想していた。

 財政と家庭に不安を抱える男爵、支配的に振る舞う男爵家の家令、罪と罰を高圧的に説く牧師、紳士の仮面の下に淫らな獣を隠すドクター、理不尽を受け入れるほか選択肢がない小作人と使用人……。しめやかで冷たい狂気が立ちこめる中、大人世界の偽善と欺瞞に感応した子供たちは、恐怖と怒りが形を変えた怪物を育んでいく。それはいずれ皮膚を食い破り、ナチズムとして蔓延する。

 翻って、現在の日本……。絶望と怨嗟が渦巻いているが、人々は叫ぶことなく押し黙っている。数十年後、〝21世紀初頭の無力感が怪物を胚胎させた〟と振り返る識者がいるかもしれない。

 自らの心の闇、普遍的な原罪を突き付けるモノクローム映像に引き込まれていくうち、俺はデジャヴを覚えていた。記憶の底から引き上げたのは、アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの「密告」(43年)である。同作では街を混乱に陥れる<カラス>の正体を巡り、人々は疑心暗鬼に陥っていく。同様の混乱が「白いリボン」でも現れるが、警察も犯人を特定できない。

 白いリボンは明らかに未来の腕章(ナチスのハーケンクロイツ)のメタファーだ。<事件の背景にあるのは複数の人間(子供)の悪意の集合体>と俺はファジーに結論付けたが、キリスト教やドイツ精神史に造詣が深い方は、全く別の捉え方をされるはずだ。

 本作をご覧になる機会があったら、<笛>に注目してほしい。ラスト近く、家令が息子たちに笛について尋ねる。からかうような笛の音が階上から聞こえ、家令は怒りを爆発させるが、このシーンの意味を俺は全く理解できなかった。節穴の目が、全体像に迫る重要な鍵を見落としていたのだろう。

 大公夫妻暗殺をきっかけに第1次世界大戦が勃発する。戦争を閉塞からの解放と感じたのか、登場人物の表情は一様に明るかった。現在の日本と重ねると、不気味さを覚えざるをえない。
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寝正月の友は「ゴールデン・スランバー」&星野智幸

2011-01-06 00:16:44 | カルチャー
 旧聞に属するが、高峰秀子さんが亡くなった。代表作は「浮雲」(1955年)とされているが、俺の一押しは同じ成瀬巳喜男監督の「あらくれ」(57年)だ。華も影も自然体で表現し、子役時代から天才と謳われた不世出の女優の冥福を祈りたい。

 正月休みは実家でも東京でも、テレビ桟敷でゴロゴロしていた。箱根駅伝などスポーツを堪能したが、個人的なMVPは高校サッカーの久御山だ。俺が京都にいる頃にはなかった学校が、質の高い奔放サッカーでベスト4に進出した。

 正月恒例の「格付けチェック」には仲間由紀恵、内山理名が出ていたので見てしまった。演出問題では絶対Bと思ったが、正解はA……。堤幸彦監督まで間違えたのはご愛嬌か。東尾理子ってプロゴルファーだったっけ? 芸能人で十分通用するぐらいチャーミングに映った。

 知的とは程遠い日々だったが、酔生夢死状態で触れた映画と小説について記したい。

 日本映画専門チャンネルで録画した「ゴールデン・スランバー」(10年、中村義洋監督)は、「重力ピエロ」(別稿=09年7月11日)と同じ伊坂幸太郎原作である。ともに小説は読んでいないが、本作でも作者の立ち位置に共感できた。

 「ゴールデン・スランバー」の冒頭、金田首相が警察によって暗殺される。周到な準備によって犯人にデッチ上げられた青柳雅春(堺雅人)は、謀殺の危機を辛うじて逃れていく。香川照之演じる警察トップは、人命など屁とも思わぬ悪の権化として描かれていた。警察に弱い地上波局が放映をためらうような設定である。

 自ら爆死を選び青柳に「オズワルドになるな」と諭す森田(吉岡秀隆)、青柳の逃走を助けるかつての恋人晴子(竹内結子)、警察の暴力にさらされても青柳を信じる小野(劇団ひとり)……。学生時代のサークル仲間の絆を象徴するのが、タイトルでもあるビートルズの「ゴールデン・スランバー」だ。

 友人だけでなく、自称裏社会の住人(柄本明)、連続通り魔に似た男(濱田岳)、花火職人(ベンガル)ら反骨精神に溢れたアウトローたちが青柳の無実を確信し、<信のネットワーク>を形成する。大逆転かと思わせたが、何せ相手は国家権力だ。ファジーなソフトランディングで、オープニングとラストの繋がりが胸に響く。

 「俺俺」(10年)に度肝を抜かれた星野智幸の旧作を2冊読んだ。「最後の吐息」(98年、河出文庫)、「ファンタジスタ」(03年、集英社文庫)で、短中編合わせて5作が収録されていた。

 星野のテーマの一つはアイデンティティーだが、それは核のように硬くなく、割れた数個の卵が混ざり合うような軟らかい<浸潤>として描かれる。「砂の惑星」では新聞記者とその父、棄民老人、自殺志向の少年少女、女性ホームレスの魂が<浸潤>し、集団的で柔軟なアイデンティティーが形成されていく。

 「ハイウェイ・スター」は日常から突然、SF的世界に突入する星野作品の典型といえる。「最後の吐息」は舞台がメキシコということもあり、南米文学風の<マジックリアリズム>がちりばめられていた。

 サッカーと政治をシンクロさせた「ファンタジスタ」は実に斬新な作品だ。星野に感じるのは<構造への理解>で、同作でも昭和天皇の戦争責任を明確にすることこそ民主主義のスタートという持論を、首相最有力候補に語らせている。偶然とはいえ、「ゴールデン・スランバー」と「ファンタジスタ」に首相公選制が取り上げられていたのは興味深い。

 この一年も読書と映画を軸に回っていきたい。ハイレベルの作品からスタートを切れて幸いだった。



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今年の目標は<老いを直視する>

2011-01-03 00:42:29 | 戯れ言
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 大晦日から元日にかけ、亀岡も寒かった。雪が降り、大本教団前の南郷池が凍っていた。寒気とともにスタートした卯年を、波乱含みと予言する識者が多い。

 大連立、小鳩新党が囁かれているが、国会でどの勢力が多数を占めても、<アメリカ―警察―官僚機構―財界>の権力複合体の壁を壊すのは至難の業だ。

 海外に目を向けると、米大統領選に向けてベイリン氏(アラスカ州知事)の台頭、北朝鮮の崩壊へのカウントダウンと波乱の要素もある。中国脅威論が喧しいが、ブログで繰り返し記しているように、幼児化した中国はいったん自壊し、再生に至ると俺はみている。30年以内に正しい道筋――資本主義⇒社会主義――を経た第二の革命が成就しても不思議はない。

 御託を並べてみたが、個人的な目標は<老いを直視する>だ。ウオーキングは続けているが、昨年3月に右膝を痛めてから時間が短くなった。新陳代謝は齢を重ねるごとに低下するから、様々な数値は高止まりする。俺も50代半ば、老いを見据え、食生活改善に努めたい。

 帰省中、ケアハウスに伯母を訪ねた。入居に至る経緯に納得し難い点もあったが、結果オーライだった。非社交的な伯母は環境に馴染めず孤立するのではと懸念していたが、友達もできて楽しくやっている。晩年に華やいだ伯母の姿に、〝新しい老後の形〟を見た。

 俺は小説「仮想儀礼」、映画「フローズン・リバー」、「春との旅」等をテーマに、<血縁を超えた絆>の可能性を論じてきた。〝親子だから、兄弟だから、親族だから、……するのは当然〟という理屈は通用しなくなっている。とはいえ、血縁に縛られない老後について、オブスキュアな像しか結んでいない。

 妹はより明確な老後のプランを持っていた。<私的ケアハウス>で夫だけでなく、友人と助け合いながら暮らすのが夢という。俺もメンバーに想定されているようなので、地下室にでも住まわせてもらえれば幸いだ。歩んできた道のりは異なるが、俺と妹が老後について似たような像を描いているのは血の成せる業だろう。

 老後に先立つものは金であり、様々な保障だ。一億総下流化、少子高齢化に歯止めを掛けない限り、〝老後〟は確実に、一部富裕層の特権になるだろう。
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